(3)「Between the sheets」
「ただいま。皆、ご苦労様!」
明るい女性の声に、『J moon』従業員は振り返る。
新香は、北京に寄るということで、蓮華だけが帰ってきていた。
仕事用のシックな服装に着替えている。
従業員たちは、「お帰りなさい」と、嬉しそうに、彼女を出迎えた。
「いいんですか? お疲れでしょう? 今日は、お休みになっても、良かったのに」
「ううん、いいの。大丈夫よ」
気遣う優に、蓮華はにこにこしながら、手をピラピラと振った。
中年男性客たちからも、「帰ってきたばかりなの? 元気だなぁ!」と、さっそく声がかかる。
「せっかくいらして下さったお客様に、一刻も早くお会いしたくて」
引き止められた蓮華は、彼らの間に座らされると、満面の笑みを送った。
その一角は、一気に華やいだ。
グラスを片付けていて、挨拶しそびれた奏汰も、早く蓮華と話したかったが、客を押しのけるわけにはいかないので、仕事中は諦めることにした。
『J moon』閉店時、蓮華を迎える、ちょっとしたパーティーが、従業員だけで行われた。
店のインテリアに加える雑貨や、グラスなどは、数日後に送られてくるという。
従業員に、順番に土産が配られる。
奏汰は、いよいよだと思い、土産を袋から取り出すと、予告通りに、ミッションの書かれた付箋が、貼付けられていた。
それが目に留まった奏汰は、一瞬硬直したが、すぐに付箋を丸め、誰にも気付かれないよう、ポケットにしまった。
蓮華の土産話に花が咲く。
本場のシンガポール・スリングは、赤と透明のグラデーションではなく、混ぜてあったとか。
優もシンガポールには学生時代に行き、本場のシンガポール・スリングを飲んだと言う。
シンガポールに行く前に、二人とも『ラッフルズホテル』の映画をレンタルで借りて見て、小説も読んだと話すと、蓮華と優の研究熱心さに、一同感心した。
パーティーが、お開きになった時だった。
「ところで、奏汰くん、指令を出しておいたカクテルは、作れるようになったかしら?」
ふいに、蓮華が、問いかけた。
「はい、一応」
「じゃあ、試験するから」
「えっ、今ですか?」
「そうよ。まさか、まだ決まってないんじゃないでしょうね?」
「そんなことないです」
「じゃあ、僕たちは、お先に失礼させてもらいますね」と、優が先陣を切って帰る。
「お前も大変だな」
タケルとケントは、同情するような顔で、奏汰の肩を叩くと、ハヤトも「頑張れよ」といい、帰っていった。
奏汰が、私服姿のまま、カウンター内でカクテルを用意する。
まずは、サイドカーを、差し出した。
ブランデーベースの代表でもある。
ホワイトキュラソーとレモンジュースを使う。
グラスに口を付け、すぐに蓮華が顔を上げた。
「あら、オレンジも入れたの?」
「はい。ホワイトキュラソーは、オレンジの果皮を使っていますから、サイドカーのオレンジ色に合うよう、さらにオレンジの香りを濃くしようと、オレンジのスライスを使うこともあるって本に書いてあったので、そうしてみました」
「とっても美味しいわ!」
「ありがとうございます」
にっこり笑う蓮華に、奏汰は、会釈した。
「このベースをジンにすると『ホワイト・レディー』に。あっさりとした甘みになります。ウォッカベースなら『バラライカ』、すっきりした味になります。ラムベースなら『XYZ』、これもさわやかで、美味しいです」
奏汰は、五つのカクテルの違いを覚えた報告をした。
蓮華は、感心するように微笑み、美味しそうに、サイドカーを飲み干した。
次に、彼がカウンター・テーブルに置いたのは、ロックグラスに、大きな丸い氷と、サイドカーに似た、だがより透明度の高い、オレンジがかった黄金色の飲み物だった。
蓮華は、一口飲んで、顔を上げた。
「これは、……スティンガーね!?」
針、刺などの意味だった。
サイドカーよりも、ブランデーの量が多く、後は、ホワイトペパーミントのリキュールのみだ。
「そうです。普通は、カクテル・グラスでお出しするんですが、ロックで飲む人も増えているということで」
「スーッとするのが、嫌いな人もいるかもよ?」
「その辺は、優さんに調査済みですから。蓮華さんが、ペパーミントのカクテルもOKだってことは」
蓮華は、「やるじゃない」という表情で、彼を見た。
「氷も、きれいに丸く削られてるわね。スティンガーって、後味がすっきりしてて、美味しいのよね。どちらかというと、男性的な方だと思うけど、これ、飲むの久しぶりだから、嬉しいわ」
うっとりとした瞳を、奏汰に向ける。
奏汰は、少しだけ頬を染め、次のカクテルの作成に入った。
不透明な、カフェオレのようなカクテルが、丸みと、控えめに装飾のあるカクテルグラスに注がれた。
「こちらは、アレキサンダーになります。高級感を出すために、俺なりに、グラスにもこだわってみました」
「これ、お店のグラスじゃないわね? わざわざ買って来たの?」
「グラスもプレゼントしようと思って」
蓮華が目を丸くする。
「ありがとう……」
グラスの底近くに彫られた透かしを眺め、奏汰に掲げてみせから、唇を付ける。
「うん、良くシェイクされてるわ。やっぱり、男性は、こういうの上手に仕上げるわね。グラスもかわいくて、ステキよ。良い食後酒ね。カクテルを出す順番も、ちゃんとわかってるわ」
満足そうに、もう一口、啜ってから、蓮華は言った。
「全部、ブランデーベースで統一したのね? 最後は『ビトウィーン・ザ・シーツ』が出て来るかと思ったわ。サイドカーと似た材料で、あれも美味しいから、使っても良かったのに」
ドキッとしながらも、奏汰は、さらっと答えてみせた。
「あんまりあからさまなのも、どうかと思って」
「女性に似合うカクテルで、アレキサンダーなんて、強そうな名前のカクテルが出て来るのは、どうかと思うけど? 特に、強い女性には、嫌味にも聞こえるかもよ?」
蓮華の瞳が、意地悪く光る。
だが、奏汰は焦らなかった。
蓮華が、自分を試しているのが、わかっているからだった。
「蓮華さんなら、名前の由来もご存知ですよね? 『アレキサンドラ』という王妃の名前から付けられたものですので、高貴な女性に対して、敬愛の意味を込めて、選ばせていただいたんです」
「ちゃんと勉強したのね。そうよ、王妃の名前から来てるのよね。あたしには、お世辞言っとけっていう、優ちゃんからの入れ知恵?」
「ちっ、違いますって!」
そこまで、ポーカーフェイスで通していた奏汰が、焦った。
だが、蓮華の微笑みを見ているうちに、取り繕っても見抜かれるとわかり、観念する。
「……まあ、そうですけど。選んだのは、俺です」
「いいわ。第一のミッションは合格よ。グラスも、ありがとう。気に入ったわ」
蓮華は微笑むと、その続きは言わず、黙って、アレキサンダーを飲んでいる。
そこから先は、仕事の課題ではないことは、奏汰にもわかっている。
彼は、第二のミッションを思い浮かべた。
『私を口説いて』と。
少し、緊張した表情で、奏汰は、カウンターの、蓮華の隣に腰かけた。
ためらった後、蓮華に向き直り、口を開く。
「ビトウィーン・ザ・シーツ」
蓮華は、目を丸くした。
「セリフで使うの?」
「ミッションを与えられるまでもなく、俺なりに、ずっと口説き文句考えてたんだけど、第二のミッション見た時、全部吹っ飛んじゃって。もう、これしか、思い付かなくて」
英語であり、カクテルの名前だと思えば、日本語で口にする恥ずかしさよりも、薄らぐ。
そう奏汰は思った。
蓮華は、微笑みながら、言った。
「面白い人ね。じゃあ、気持ちをこめて、もう一回。ちゃんと、発音も、それっぽく」
「ええっ?」
奏汰は、照れてから、真面目な顔になった。
「Between the sheets,my Alexandra?」
「Sure!」
「何て言ったの?」
「やあね。『もちろん』よ」
シティーホテルの一室では、シャワーの音がしていた。
ソファに座る奏汰は、緊張しながら、部屋を見回す。
友達と旅行した時ですら、泊まったことのない、落ち着いた、ヨーロッパ調に整えられた部屋だ。
蓮華には、自分の暮らすアパートの部屋のような、生活感のあるところより、このようなホテルがふさわしいと思った。
そうすることによって、自分も、少し大人になった気もする。
シャワーを浴び終えた蓮華が、白いガウン姿で現れる。
化粧は、薄くし直していた。
その方が、上司というより、プライベートで会っているという気に、奏汰の方もなれた。
彼女が椅子に腰かけ、ドライヤーで長い髪を乾かしている間に、奏汰がシャワーを浴びた。
ガウンなど、はおったことのない彼は、いくらか緊張した面持ちだ。
なんだか儀式的な感じもして、落ち着かない。
だが、奏汰が心配するまでもなく、蓮華が自然に、彼の胸に、頭を寄せた。
少し安心した奏汰が、腕を回す。
しばらく、抱き合っているうちに、どちらからともなく、口づけた。
「久しぶりね」
蓮華が言った。
「ずっと、こうしたかった……!」
奏汰が、深く口づけ、抱きしめる腕にも、力がこもっていった。
濃厚な口づけの最中、ベッドに、やさしく、蓮華を押し倒していく。
蓮華に導かれ、彼女の髪に口づける。
次に、耳に。
唇に、長く口づけてから、首筋へ。
首筋から、ガウンを少しずらし、左肩に。
彼女の指が、溜め息の中、誘導していく。
奏汰の唇は、ゆっくりと鎖骨を通り、もう片方の肩へとたどり着いた時、ふと顔を上げると、蓮華の反応がなかった。
「……寝てる!?」
どうやら、旅の疲れと、カクテルの酔いで、蓮華は眠ってしまったようだった。
愕然とした奏汰ではあったが、かすかな寝息を立てて眠る蓮華を、見下ろす。
「考えてみれば、……そうだよな、疲れてるはずだ」
これほど、無防備な姿をさらけ出せるのは、彼女にとっても、彼は、特別な存在であるからだ、という気がしてくる。
「……逆に、相手にしてないのか?」
苦笑しながら、眠っている蓮華に問いかける。
「いい女には、何度騙されてもいい」と、百合子に大見栄を切った自分の言葉を、思い出す。
それは、嘘ではない。
奏汰は、蓮華のずれたガウンをもとに戻すと、肘をつき、隣で眠る蓮華の顔を、愛おしそうに見つめた。
「頭痛い……」
翌朝、チェック・アウト、ギリギリの時間に目覚めた彼女は、二日酔いになっていた。
「ごめんね、せっかくの大事な夜が……! つい、気持ち良くて……。ああ、悔しい! 本当に、ごめんね!」
蓮華は、ベッドの上に座ると、奏汰の手を、両手で掴んだ。
必死に謝る様子に、奏汰は笑った。
「俺なら大丈夫だよ。蓮華さんの寝顔は見られたんだし。それに、いい女は、そう簡単には、手に入らないって思ってるから」
「奏汰くん……」
蓮華が、申し訳なさそうに、奏汰を見つめる。
「旅帰りで疲れてる人に、強いカクテルばかり出すんじゃなかった。バーテンダーとしては、失格だな。覚えておくよ」
奏汰は苦笑した。
チェック・アウト後は、奏汰は別のバイトへ、蓮華は『J moon』上の自室へと、戻っていった。
以来、奏汰は、蓮華を、もう一度誘うのは、なんだか照れ臭かったのと、もう少し、大事に取っておいた方がいいのか、とも考えた。
一番大きかったのは、自分では、蓮華とは、不釣り合いなのではないか、自分程度では、ふさわしくない、と思い始め、不安になっていたことだった。
思っていた以上に、自分はナイーブだったのかも知れない。
それを、情けなくも思い、今後、蓮華に、どう接していいかを、悩んでいた。
数日後、日曜の仕事前だった。
沈黙を破ったのは、蓮華の方だった。
「仕事の後、部屋に来て」と、彼女からメッセージが入っていた。
その日の仕事が、滞りなく終わった後、店の裏から階段を上がり、緊張して部屋の扉をノックする。
蓮華に、招き入れられるが、奏汰は、ドアの側で立ち止まった。
すっかり、西欧風な店の雰囲気を、そのまま想像していたが、違っていた。
アジアン雑貨に囲まれた、これもまた異国情緒にあふれる部屋だ。
エスニック風なデザインのサイドテーブルに、飲みかけの缶チューハイと、奏汰がアレキサンダーを入れてプレゼントしたグラスが、置いてある。
仕事着のままの蓮華だが、アップにしていた髪は、下ろしていた。
「ビールかチューハイか、缶で良ければどうぞ、飲んでいって」
奏汰が、遠慮がちにビールと答えると、蓮華が、冷蔵庫から缶ビールを出し、サイドテーブルに置いた。
「それからね、今日は、泊まっていっていいから」
唐突な彼女の言葉に、奏汰の鼓動が、大きく鳴った。
「旅行から帰った日のことなら、俺は気にしてないから、そんなに気を遣わなくてもいいよ。ミッションだったからって、無理に実行しなくても……」
そう言うのが、精一杯だった。
蓮華が、じっと、彼を見上げる。
「そんなんじゃないわ。わからないの? あたしが、奏汰くんと、一緒にいたかったの。それだけよ」
「蓮……っ!?」
蓮華が、奏汰の首に抱きつき、唇をふさいだ。
その勢いで、奏汰の背が、ドアにぶつかる。
「好きよ、奏汰くん。旅行中も、会いたかった。会えなくて、淋しかったわ」
奏汰は、意外そうな顔になった。
「……俺だけが、そう思ってたのかと……」
「そんなことないわ」
真実を探ろうと、奏汰の視線は、蓮華の瞳を、正面から見据えた。
「……本当に?」
「んもう、言葉で信じられないんなら、確かめてみれば?」
蓮華の挑発に、奏汰が、ふっと、肩の力の抜けた微笑になった。
探るような思いで、そうっと唇を重ねる。
奏汰の首に絡んだ蓮華の腕が、引き締められ、吸い付くように口づけを返す。
奏汰の腕も、蓮華の背と、腰に回される。
夢中で交わし合う口づけとともに、いつの間にか、二人の位置も入れ替わり、奏汰が、壁に蓮華を追いつめていた。
首筋から鎖骨へと歩んできた彼の唇は、胸元の黒いレースへと進む。
背に回った手が、黒いワンピースのファスナーを、少しずつ下げていった。
溜め息とともに、蓮華の瞼は閉じられていく。
※『ラッフルズホテル』村上龍監督映画。その後、小説に。村上龍 著。
【カクテル】
「ビトウィーン・ザ・シーツ」:ブランデー、ラム、ホワイトキュラソー、
レモンジュース
なんとか、第三章まで書けました。
ツイッター等で流行りの『壁ドン』……ですかね?(笑)しかも、女側から。
にしても、これからって時に眠ってしまうとは……(^_^;
書いてて、自分でも、蓮華に「おいっ! 」でしたが(笑)、シンガポールから羽田まで、飛行機で約7時間、それから、横浜までバスで約30分、ここでちょっとは眠れたとしても、仕事して、閉店後に酒飲んで……ってなると、それまで気を張ってるんだから、当然か。
メモでは、ラブシーンは全くカットされてました。
なので、ほとんど、新たに作る作業でした。
どうしたら、くっつくんだ、この二人は?
もしかして、本当は無理があったのか!?
と、根本的なところから疑うほど、自分が、奏汰以上に悩んでました。(^∇^;
しかし、互いに惹かれる要素は持っているはずなので、後は、自然に任せました。
我慢出来なかったのは、彼女の方でした。
奏汰には、駆け引きなんかしてるつもりはなかったと思いますが、まあ、なんとか収まったようで、安心しました。自分が、ですが。
今回、大いに参考になったのは、2013年公開の映画『009 RE:CYBORG』。
3DCGアニメなのに、なんと美しいラブシーンであったことか!
もちろん、戦闘シーンやアクションも大迫力で、ハリウッド映画のよう。
日本の技術やセンスが、あそこまで向上していたとは!
映像的にも大満足でした!
映像をイメージしないと、文章書けませんので、映画は大変参考になります。
そっくりそのまま使うことは、ありませんが。
ジャズの生ライブの様子なんかも、今まで見て来たものが参考になっています。
文章として、表現し切れているかは、別ですが。(^^;
第四章でも、意外な展開があります。
出来次第、UPしますので、どうぞよろしくお願いします。




