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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第三章『ライブ』
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(2)『Cantalope Island』ライブ

「ネットで見たわよ、今日、ライブが入っているのね?」

 その日も、百合子があらわれた。


 ホームページに、ライブの出演者の名前も出ている。

 ちらっと、奏汰の名前も載っていた。


 演奏までの間は、従業員として、カウンターの中で仕事をする奏汰だったが、初ライブのため、緊張もしていた。


 正直に言って、そんな時に、百合子の相手などしていられない、と思った。

 そんなこととは思いもよらない百合子が、カウンター席に座る。


「私、音大ピアノ科でクラシックを専攻してるんだけど、ジャズって、よくわからないわ。アドリブなんて、楽しいの? ちゃんと、譜面があるの?」


「あれは、ちゃんと理論があって、やってることなんだよ。でたらめなわけじゃないんだ。即興演奏なんだから、譜面なんてないよ」


「あら、そう。そんなことが、出来るものなの?」


「出来るんだよ。俺は、まだ出来ないけど」


 不思議そうな顔の百合子は、またしても、店内を見渡す。


 前方の壁際には、グランドピアノ、ドラムセット、ギターとベースのアンプが置いてある。


「あの女は、今日もいないの?」


「まだ海外出張中で」


「どうせ、遊んでるのよ。愛しい彼の初舞台だっていうのに、遊びに行くなんて、私には考えられないわ」


 ジントニックを、ごくごくと飲んでから、百合子は続けた。


「私だったら、旅行をキャンセルしてでも、駆けつけるけどね。あなた、やっぱり、弄ばれてるんじゃないの?」


 奏汰には、少しグサッと来た。


 それには構わず、百合子は、思い付きでペラペラ喋り出す。


「ここって、社内恋愛御法度じゃないのね。バイトも、カフェの方には女の子ばかりだけど、ここだと男の子ばかりよね。それって、あの女が、バイトの男の子に手を出しやすい環境に、あえてしてるんじゃないの? だから、若い女の子、こっちには入れないんだわ、盗られちゃうから」


 普通に考えれば、日中の仕事には女子を雇っても、夜遅い時間帯は雇えないことは当然なのだが、普段と違う精神状態の奏汰には、充分動揺させられた。


 バンドのサックスの男が、現れた。


「よう奏汰! あれ? 今日、ママいないの? せっかくの初ライブなのに? ママもひどいなぁ! 聴いてくれる人がいないってのは、淋しいよな」


 さらに追い打ちをかけられた奏汰は、大分、不安になった。


 自分が彼女を想うほど、彼女は自分を想ってくれてはいないだろう、とは思っていたが、それでも、構わなかった。


 全部わかった上で、互いに、付き合っているはずだった。


 彼女といることに、彼にはメリットはあるが、向こうにしてみれば、彼から学ぶだとか、得になることなんて、考えてみれば、なかったのだ。


 奏汰は動揺し、一気に淋しい気持ちにおそわれた。


 一番聴かせたかった相手に、リアルタイムで聴かせられないことを、しみじみ実感させられたのだ。


「ライブの前って、神経質になってるから、ちょっとのことでも、過敏に反応しちゃうんだよね。でも、本番になれば、結構、すんなりいっちゃったりするもんだよ。だから、大丈夫、大丈夫!」


 さすがに可哀想に思った優が、奏汰の肩に、ポンと手を乗せた。


 経験者の優の言葉と微笑みに、奏汰は、少しは救われた思いがした。




 ライブが始まった。


 奏汰が演奏に加わるまで、あと二曲となった。


「しょうがないから、私が、あの女の代わりに、聴いててあげるわよ」


 百合子がからかうように、笑った。


 奏汰はピリピリしていて、営業スマイルが出来ずにいた。


「奏汰くん、電話だよ。ここじゃ、聞こえないだろうから、奥に行っていいよ」


 優から、店にかかってきた電話を受け取り、不審な顔で、奏汰が裏口に出た。


「まだギリギリ出番前なんですって? 良かったわ、間に合って!」


 意外なことに、それは、蓮華の声であった。

 旅に出てから、初めての電話だった。


「……ちゃんと、覚えててくれてたんだ……」


「何言ってるのよ、当たり前でしょ? 奏汰くんの初ライブ、一番楽しみにしてたんだから」


 驚いていた奏汰だったが、安堵した顔つきに変わる。


「どう? 緊張してる?」


「ちょっとね。今までやってきた学園祭とかのライブとは、客層も違って、大人ばかりだし、客席も近いから。俺のソロもあって、本当の即興じゃないから、まだマシなんだけど」


「ちょっとくらい音ミスったっていいのよ。ライブは楽しんでやれればいいんだから。間違えても、ポーカーフェイスで『これでいいんだ』って顔して弾けば、意外とごまかせるもんよ。あたしなんか、いつもそうしてたわよ。ハッタリで行くのよ、ハッタリで!」


「蓮華さんらしいね」


 くすっと、奏汰が笑う。


「このまま電話で聴いてるから、頑張って!」


 店の子機では、音がきれいに伝わるとは思えず、ベースのように低音だと、ますます聞き取れないだろう、とは思ったが、蓮華が聴いてくれていると思うと、奏汰は、相当に勇気付けられたのだった。


 蓮華から、電話を優に渡すよう言われ、渡した後、奏汰は、スタンドに置いたベースを取り出し、準備にかかった。


「それでは、次の曲から二曲、こちらのお店の、蒼井奏汰(あおい かなた)くんに、ちょっと手伝ってもらいましょう」


 ギターの遠藤が、マイクでアナウンスをする。

 店の制服姿の奏汰が、サイレントのウッドベースを持って登場した。


「まずは、コール・ポーターのバラードを一曲、『Ev'ry Time We Say Goodbye』」


 演奏が始まる。


 ウッドベースを、初めて人前で披露する奏汰は、緊張した面持ちだったが、始まってしまえば、曲の良さに入り込むことが出来、集中していった。


 いつも練習している曲だが、今日は、思い入れが違う。

 ジャズのバラードは、今の自分の心境に、ぴったりだと思った。


 メンバーも、練習時よりも気合いが入っているのか、出だしから、サックスのメロディーが、うっとりとさせる。


 ピアノも、いい感じだ。

 あれ? いつもと、違うこと弾いてる。


 ギターは、あえて、普段より控えめになった。


 奏汰は、メンバーの演奏にも聴き惚れ、自分も、普段よりも、一層気持ちの入った演奏になっていった。


 アドリブでは、サックスが観客を虜にする。


 その後のピアノのアドリブも、コードのサウンドの響きを充分堪能させる。


 テーマに戻ると、ピアノは、シンプルな弾き方になった。


 そして、サックスが、長過ぎないエンディングで閉めた。


 奏汰は、演奏が終わり、ホッとする以前に、感動していた。

 このバンドで演奏させてもらったことに、感謝の気持ちが湧いたほどだった。


「次は、ガラッと趣向を変えて、ハービー・ハンコックの『Cantalope Island』をお送りします。奏汰くんは、今、ウッドベースを練習していますが、もともとエレキベースでロックをやっていまして。なかなか上手いので、エレキもやってもらおうということで、8ビートの曲を選んでみました」


 エレキベースに持ち替えた奏汰のベースから、ミディアムテンポで、イントロが始まる。


 ドラムが加わる。


 メンバー一同、リラックスした感じで加わっていく。


 アドリブはギターからだった。渋いコードをかき鳴らし、アコースティックのギターでも、エレキの奏法に近い。


 順番ではサックスであったが、ピアノがどうしても次にやりたいと、メンバーに合図を送った。


 練習の時と違い、始めから技巧を使って、アグレッシブだ。


 おお~、やるなぁ! と奏汰は感心し、他メンバーもそう感じているらしく、笑顔を見合わせる。


 それを受けたノリの良いサックスが、さらにノッた演奏をする。


 奏汰もメンバーも、おかしそうに笑い合った。


 サックスが2コーラスも多くアドリブを増やしたので、奏汰は出番を引き延ばされたが、練習中にも、そのようなことはあり、わかりやすく終わりの合図を出されていたので、困らずに済んだ。


 バンドのベーシストが前もって作ったソロのフレーズを、奏汰が演奏する。


 聴かせどころと、技巧が練り込まれた、最高のフレーズだ。


 各ソロの後には、拍手をもらえる。

 奏汰も拍手をもらい、嬉しいような、照れたような顔になった。


 二曲とも終わり、ギター遠藤が「蒼井奏汰くんでした」とアナウンスし、もう一度、観客から拍手をもらった彼は、ぺこっと礼をして、下がった。


 カウンターの奥に戻って、優に「お疲れ様! すごく良かったよ!」と言われて、初めて、やっとホッと出来たのだった。


 ステージスペースから少し離れたところに、セットしていた携帯音楽レコーダーには、そのままライブの演奏を録り続けている。

 その近くに、奏汰のものではないスマートフォンが、置いてあるのを見つけた。


 優がそれを奏汰に渡すと、奥で話してきていいと言う。


 奏汰は、ベースをスタンドに置くと、裏口へ出る。


「蓮華さん?」


 電話の向こうは、蓮華だった。


 店の電話子機では、やはり音が悪いから、優が自分のスマートフォンにかけ直すよう言ってくれたのだという。


「おかげで、少しは音がクリアに聴こえたわ」


「さすが、優さん! 気が利くなぁ! ……って、まさか、俺たちのこと……?」


「あたし、何も言ってないわよ。優ちゃん、普段から、気が利くから」


「そうですよね」


「演奏、ウッドベースもだいたい聴こえたし、エレキもよく聴こえたわよ。すっごく良かった! ジャズのノリが良く出せてたわよ」


「本当?」


「『Cantalope Island』では、ピアノもハジケてたし、サックスもノリノリだったわね!」


 おかしそうに、蓮華が笑う。


「止まらなくなっちゃったみたいでさ。サックスなんか、2コーラスもアドリブ増えてて」


「そういうことあるのよ。メンバーも、それだけ、気持ち良く演奏出来たんじゃない? 良かったわね! 奏汰くんも、楽しかったでしょ?」


「うん、練習も楽しかったけど、やっぱ、本番ていいね! そのうち、俺も、ホントに自分でアドリブ出来るといいなぁ!」


 ひとしきり話すと、奏汰は仕事に戻り、優に礼を言って電話を返す。

「ありがとうございました」


 勤務中は、個人の電話は貴重品ロッカーに入れる。優がスマートフォンをしまってから、戻ってくる。


「あれ? そういえば、百合子さんは?」


「ああ、音が大き過ぎるって言ってて、奏汰くんのソロの前に帰っていったよ」


「はあ、そうでしたか。つくづく、彼女って、こういう音楽受け入れられないんですね」


 奏汰も優も、苦笑いをした。


※再登場『Ev'ry Time We Say Goodbye』by Cole Porter

※『Cantalope Island』by Herbie Hancock


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