運命の二人
「なら、なってみるかい、龍ヶ峰蓮。この鶴龍隼人の右腕に」
蓮は後ろから唐突に聞こえた声に、椅子に座ったまま反射的に振り返った。
振り返って、目が釘付けになった。
精悍と形容するよりは、美しい青年だった。肩まで伸ばしている絹のようにサラサラな銀髪はゆったりと風になびかせている。切れ長の瞳は血のように紅く、思わず引き込まれてしまいそうになるほどに澄んでいた。薄い唇には間近で見ないと気付かない程度の薄い笑みが刻まれている。
身に纏う雰囲気は大分違うが、間違いなく神社で見かけた神森の彼だった。
だが、神森では彼は二十歳を過ぎているかくらいの容貌だった筈。それにもっと凛々しい顔立ちをしていた。目の前の彼はどこからどう見ても十七・八前後。黒いコートではなく、白いTシャツにズボンというラフな格好がそう見えさせるのだろうか。
――それにしても。
彼は異質だ。身に纏う空気が異質だ。
幼そうな気がするかと思えば、老成したような雰囲気を纏わせる。かと思えば年相応な雰囲気を醸し出す。
だが、一つだけ言うなら、彼にはどこか王者のような風格があった。仕草の一つ一つに王侯貴族のような気品がある。
気付けば、蓮は心の底から笑っていた。
ようやく見つけた。秋達以外に、自分の全てを理解してくれるであろう人物に。
「君が神森の……いや、か――」
「ストップ」
蓮の口元に青年の白く長い人差し指が添えられる。
青年は周りを一瞥した。
「英語で話しているとはいえ、ここでは目立つからね。場所を変えよう」
周りを見れば、確かに蓮達を好奇の視線で見る人達がいた。
彼の言うとおり、ここは場所を移したほうがいいだろう。
背後にいる友人たちに目を送ってから、蓮は頷いた。
会計を済ませてから、蓮達は歩き出した。
どうやらあてがあるらしく、青年が迷いの一切ない足取りで先頭を勤めている。
蓮は青年の横を歩きながらたずねた。
「どうしてこんな辺鄙なところに? 美しきグルージャ」
ちなみに、グルージャというのは鶴のスペイン語だ。鶴龍と素直に言うのはさすがにまずかろう。
青年は察したようだった、ノリノリでこう返してくる。
「なかなかこじゃれてるじゃないか。なら私はこう返そう。私は君をヘッドハントしに来たのだよ、気高きドラゴーン」
これは龍をスペイン語にしたものだ。龍ヶ峰の龍からもじったのだろう。なかなかいいセンスをしている。
どうも玲は話の内容はともかく、最後の単語の意味が分からないらしく、首を傾げていた。まあ、スペイン語を知っている人は少ないだろう。ドラゴーンはともかく、グルージャの意味が分かる人など極端に少ないに違いない。
だが、秋彦は「もしかして……」と呟いているところ、青年の正体を察したようだ。相変わらず聡い。
「ヘッドハント?」
意味するところは理解していたが、あえてこう返した。
ちょっとした言葉遊びである。
「もう解っているのだろう。君も感じたはずだ。私達は」
――私達は“同類”だと。
蓮は黙って笑みを深めただけだった。
言葉を返さない蓮を咎めるわけでもなく、青年は顔のみ後ろを振り返った。
「君達も同じだろう? 古来の都の名を冠する者、そして、月の異名を持つ者よ」
秋彦は心底楽しそうに肩を竦め、玲は驚いたように目を見開いた。
青年はクスクスと笑って、あっ、とある方向に顔を向ける。
そこで蓮も気付いた。そういえばこの道、神森神社の――
「着いたね。丁度いいタイミング」
青年に引き連れられて訪れた場所は、案の定神森神社だった。
長い階段を上り、深い森林を抜ける。
「もしかして、この神社も鶴龍が……?」
どこか神秘的は気配がする鳥居をくぐりぬけ、燈篭が並んでいる参道に歩を進めながら蓮は横の青年に目を向けた。
予想通り、青年はそう、と首肯した。
「ここの宮司は私直属の部下なんだ。ここを護ってもらっているのだよ」
青年はポケットに手を突っ込んで、本堂の裏へとスタスタと向かっていった。
ちなみに、神社へ来るまでの道のりでレンと美貌の青年が周囲の視線を集めていた事は、言わずとも分かるであろうことだ。
「本堂の更に奥へと進んだところに住んでいるんだけどね。息抜きしたいときとかに時々来るんだ」
青年の言葉通り、二十分ほど森の奥へと入り込んだところに、それはあった。
一目見て、蓮達は思わず昔の世界にでもタイムスリップしたかのような感覚を覚えてしまったものだ。あるいは、建物が西洋風ならば魔女の館とでも思ったかもしれない。それはひっそりと鎮座していた。
名家に住んでいる秋彦の日本家屋もかくやと言った雰囲気である。日本らしさを彷彿とさせる平屋建てが、生垣に囲まれていた。
「ここは正直少しばかり俗世から遠いだろう。もう少し神社の近くで住んで欲しいんだが」
困ったように笑って言うが、こちらとしても正直なところ、下のせわしない街よりもここの方が色々と体にも精神的にも健康的だと思う。庭には畑も見受けられたし、そんなに言うほど食べ物に困っている風でもないのだろう。まあ確かに、本堂から更に二十分というのは深すぎるのではないかと思わないわけでもなかったのだが。
蓮たちが来ると解っていたかのようなタイミングで高齢の宮司は蓮達を丁寧に出迎えた。
さすが高位の、というところだろうか、浮世離れしたような雰囲気を纏っている宮司は、深くお辞儀した。
「ようこそお越しいただきました、隼人様。いつもの場所を御用意させておりますので、そちらに。後ろの方々も隼人様からお話を伺っております。どうぞ御ゆるりとなさってくださいませ。すぐにお茶をお持ちいたします」
青年――隼人は宮司のこの言葉を聞いてパアッと顔を輝かせた。
「うん、君の入れるお茶が一番おいしいんだ。ありがとう。さ、行こうか」
「そうだな」
隼人に答えつつ、蓮と秋彦は宮司同様会釈した。
「お邪魔致します」
「よろしくお願いします」
後ろでは蓮に習い、慌ててお辞儀する玲の気配がする。
思わず隼人と秋彦と顔を見合わせて、三人同時に吹き出した。
慌てて顔を上げた玲は、恥ずかしさからか顔を紅く染めて憤然と抗議する。
「さ、三人してひどい! 笑うなんて!」
ますますツボにはまって本格的に笑い出す三人とは違い、最初ポケッとしていた宮司はホッホッホッ、と上品に笑った。
「さすが隼人様がお選びになった方々ですな。相変わらず隼人様はいい目をしていらっしゃる」
「ふふ、君には劣るよ、重國」
「もったいないお言葉でございます」
「謙遜しないでよ。その力には何度も助けられてるんだ」
「そんなことは。……そういえば、彼らは知っているのですか?」
宮司改め重國は、孫を見るような目で言い合いをしている――玲が一方的に喚いているだけだが――三人を微笑ましげに眺める。
隼人もつられるように三人を見つめた。
「玲という女の子は分からないが、蓮と、それに秋と呼ばれている彼も気付いていると思うよ。でも態度を一切変えなかった。蓮なんて、最初から知っていてあんな無造作な言葉をかけてきたように思う。……自分で思っていたよりもうれしいよ。こんな気持ちは初めてさ」
「……それはようございました。わたくしはずっと願っていたのです。いつか、隼人様を真に理解できる者たちが現れれば、隼人様にとってこれ以上に良い事はないと」
「……重國」
思いがけない主人愛に、隼人は思わず頬を緩めた。
照れた事を隠すように隼人は蓮達のほうに顔を向けて、パンッと手を打った。
「さ、そろそろ行こう」
蓮達を率いて家の奥へと仲良く話しながら歩いていく隼人を、重國は穏やかな顔で見送った。
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