神に愛されし者
鶴龍は秘密結社といったが、正確に言えば秘密ではなく、ある程度表に姿を現してもいる。いわゆるダミー会社というやつだが、裏だけで活動していたというのは、あくまで鶴龍のほんの一面に過ぎない。どちらかと言えば鶴龍組織だ。ある意味企業と言い換えてもいいかもしれない。ならばなぜ裏だけで活動していると世間に公表したかと言えば、そこは鶴龍の元トップであり今のトップ、鶴龍隼人の父親、鶴龍源蔵の意向によるところが大きい。これは後に表でも多かれ少なかれ手を伸ばしていたと世間に公表する事となるのだが、これには複雑な裏事情が語りきれないほどに混在しているため、正確なところは鶴龍本人たちにしか知り得ないことだ、とだけ言っておこうと思う。
鶴龍は、元々はマフィアに似た暗殺を主な家業にしていた集団だったらしいが、それが長じて、裏の政治を牛耳るというところまで噂されていたらしい。あくまで裏の話だが。
それを何より証明するものは、鶴龍が実際に国を操っているところに由来するだろう。鶴龍以外にも国を裏から操っている隠れた組織はまだ数個ある噂もあるが、それも別に珍しい話でもないためそこは割合しよう。
鶴龍はリレニアをはじめとする数個の国を裏で操っている。だが、操っているだけでその国の代表にはなっていない。つまり、今の国家代表は傀儡の王というわけだ。鶴龍の手の平で踊るただの操り人形。それはもう巧妙としか言いようのない手際で、表はおろか、裏の間でも知っているものは数少ない。
これらの事で分かるように、鶴龍についてはほとんどの事が不明だ。
どこに支部があるのか。秘密裏に従えている組織はどれほどあるのか。構成員はどれほどいるのか。もちろんどこに本部があるのか。まあこれも、鶴龍を正式に一つの組織と定義するならの話なのだが、少なくとも鶴龍の構造や規模はほかの大組織と大差ないのでこれで特に説明するのに支障はないだろう。
交渉の現場でも、場所と時間を指定し、ことがすめばいつの間にか消えている。そういう組織である。
最近になって、リレニアが鶴龍の手に落ちたとようやく分かってきた程度だ。大っぴらにした理由と言えば、それは蓮が前述したとおりである。それだけではもちろんないが、大本はそこに起因する。
どこからどこまで鶴龍の影響があるのか、これは元からわかっている。
一言で言えば全てだ。
裏でいつ死ぬか分からない状況で生きてきた鶴龍は完全な超実力主義。有能な人材も多く集まる。その凄まじさたるや、どこかの研究者も舌を巻くほど。かなり話は飛躍するが、軍需関係から生活関係、医療関係、宇宙関係等々、それに鶴龍には文字通り天才ばかりが集まる。それを結集して研究される未来のオーバーテクノロジー。数えだしたらきりがない。
何故こんな事が知られているかといえば、それはつまり鶴龍が世界を脅しついでに告白したからなのだが、それは後日語ることにしよう。
そして、世界から選りすぐられた天才の中でも、鶴龍二代目トップ、鶴龍隼人の異質さは群を抜く。
齢六歳で最先端の学問を全て修め、身を守るための護身術も十歳でその筋のプロを震撼させるほど。絵本の変わりに帝王学を学び、子守唄の代わりに世界の悪どさを父親から口が酸っぱくなるまで聞かされる幼少時代。
齢十二歳から経営の舵を取り始め、数々の功績を立てた。裏のごたごたによる内乱も、彼の手腕により数多く解決されている。
そして彼は今から二年前、十五歳のときに鶴龍のトップへと相成った。
鶴龍の構成員から、後の決して遠くない未来世界中の人々から、彼は畏怖の念をこめられこう呼ばれる。
神に愛されし者、“テオフィロス”――と。
真田時司は隼人のいる執務室の前に立っていた。
時司は息を呑んで、恐る恐る高級感の漂う扉をノックした。
「真田時司でございます。鶴龍様」
時司はこの待っている時間がとてつもなく嫌いだった。妙に空気が重く、扉の向こうから放たれている威圧感が容赦なく時司を蝕んでいくのだ。
そう時間は経っていなかったろう。だが、時司にとっては永遠にさえ感じられるほどの間の後、威厳のある、だがまだ若々しく張りのある声が返ってきた。
「時司か、入れ」
失礼します、と時司は扉を無礼にならない程度に素早く開けた。
まず視界に広がったのは、舞っている様に錯覚させられそうなほどの膨大な本と資料。そこかしこに積み上がり、脇にある本棚にも隅から隅まで入りきっている。調度品はどれもこれも気品あふれる高価なもの。鶴龍が製作しているものばかりだ。
前方にどっしりと据えられているデスクの椅子に、腰掛けている人物がいる。
彼は資料を片しながらもデスクに置かれている最新式パソコン――これも鶴龍製――に片手で文字を打ち込んでいる。傍ら、そのまた横にある資料にも目を走らせていた。
異常だ。才能がどうとかという問題じゃない。存在自体が異常だ。
それでもなおかつ余裕のある仕草で、彼――十五歳で鶴龍のトップになった若き新鋭――通称“テオフィロス”の渾名を冠し、“神の頭脳”を持つといわれ、同時に平行して数々の思考をする事が出来る鬼才――鶴龍隼人は整った薄い唇を開いた。
「待っていたよ。時司」
やさしい声に、なぜか時司は逆に寒気を覚えて、僅かに身を震わせた。
時司は懸命に声の震えを抑えつつ、主である声の主に答えた。
「お忙しい中お時間を頂き、真にありがとうございます」
そこで、隼人は忙しく動いていた筆を止め、顎に組んだ手を持っていきながら時司を真正面から見据えた。
その何でも覗き見されるような澄んだ目を向けられ、余計に威圧感が増したように思えて、時司は身を縮こめる。
――一刻も早くここから出たい、と切に願った。
「堅苦しい挨拶はいらない。早速本題に入れ」
「は。それでは――」
ああ、と隼人は口を挟む。嫌な予感がした。
「無駄な事は言うな。報告はすでに済んでいる」
「し、失礼致しました!」
隼人の鋭い眼が細められる。時司は瞬時に悟った。
――次はない。次は死ぬ。
「そんな事はどうでもいいんだ。私の聞きたい事は唯一つ。日本には、いたかい?」
本能的な恐怖を押さえつけ、時司は慎重に答えた。
「――はい、貴方様のお眼鏡に適いそうなものが、二人ほど」
「ほう、二人もかい?」
その声色には、僅かな期待の色があった。
裏切らせたら、どうなるか分からない。
時司はかつてないほど必死に脳をフル回転させた。
「はい。我々にしか扱えないはずの“光術”を用い、片や銃、片や龍笛で“光魔”を一掃しておりました。なんと、二日間不眠不休のままであったそうです。食事もろくに取っていなかったとか」
「へえ。それは本当かい」
「はい、それにもかかわらず、彼らは意識が混濁する事もなく、地に足をつけておりました。……恐るべき精神力です」
さすがに感心したように隼人は柳眉を心なしか吊り上げた。
「なおかつ、私の言外の追及をさらりとかわしたことから、頭も切れるようでございます」
「それは、ぜひ鶴龍に欲しい人材だね」
なんだか出来の悪い生徒をほめるような雰囲気である。
よくやったね。ほめてあげよう――
しかし、まだ終わったわけではない。第一難関を突破しただけだ。
ここからが正念場だ、と時司は震えそうになる足を叱咤した。
「わたくしも同感でございます。しかし、顔を見ることは出来ず、正体も不明のままなのですが――」
「なんだって?」
声に険が混じる。瞳が急激に冷ややかになっていくのを、直接ではなく視線が突き刺さる肌で感じた。
背中に汗が伝っていくのを自覚しながら時司は続けた。
「……先がございます。彼は、貴方様に伝言があると」
「……伝言?」
険が少し薄れているのを感じて、時司はホッと胸をなでおろした。だが、すぐに気を引き締める。
「――“神森の、銀髪の彼によろしくお伝えください。悪用する気はないと”……どうかされましたか?」
ふと目線を上げれば、隼人は心底おかしそうに片手で顔を覆い、喉の奥で押さえきれない歓喜の笑いをたてていた。
――一体、彼が喜びに身を任せているところなど、何年ぶりに見たろう。いや、それどころか、今日始めてみたかもしれない。
唖然としている時司にも気付かず、隼人は腹まで抱え始める。
ひとしきり笑い切って、僅かに笑みの混じる表情のまま隼人は上機嫌に目に浮かんだ涙を拭った。
「ふふ、君はあたりを引いたよ、時司。こんなに笑ったのなんて何年ぶりだろうな。安心していいよ。彼なら、私直々にもうすでに会っている」
「な、なんと……!」
驚愕であんぐり口を空ける時司をしてやったりという表情で見て、隼人は立ち上がった。
「いまから彼の居場所を調べに行くところだったんだよ。君も来るかい?」
時司はとくに考えもせず即答していた。深々と頭を下げ、胸に手を当てる。
「は! 御同行させて頂きます!」
「うん、よろしくね」
隼人の満足そうな満面の笑みをのぞき見て、時司は己の寿命が大幅に伸びたことを知った。
隼人は部屋を出て、巨大なスクリーンのある先ほどの執務室よりも少し大きい部屋に移動した。
「私はまず彼の雰囲気と顔立ちから高校生であると判断した。そして、神森神社周辺の高校といえば、二校しかない」
「ですが、それだけではその高校に通っていると断定は出来ないのでは?」
むしろ、休日を利用して遠くからたまたま来た旅行者である可能性も否定できない。
「君は知らなくても無理はないけどね、神森神社は、ごく最近まで近所の人しか知らないような小さい神社だったのだよ。ちょっと神森神社に行くにはコツがいるからね、結界で遮断していたんだ。特定の人しか通れないように。あの神社は我々鶴龍にとっても重要な位置にある神社だし、鶴龍がそれを故意に隠していたという理由もある。色々事情があって、最近はすっかり有名になってしまったがね」
「……なるほど」
隼人は何かの資料をこちらに差し出した。
失礼します、と断って、時司は資料を手に取った。
資料には、“神森大学付属高校”と“開誠高校”の二文字が並んでいた。どちらも東大進学率がずば抜けて高いエリート高校で知られていると、時司は後に知った。
はかったようにスクリーンに画面が映し出される。
「顔は見ているから、これから全員分の顔を見ようかと思ってね」
「部下に任せればよろしいのでは……?」
実際、有能な部下は吐いて捨てるほどいるはずだ。
隼人はいたずらっ子のようにニッコリと笑った。
「自分で確かめたいんだ。もしかしたら、将来私の右腕になるかもしれないからね」
言葉自体はこれ以上ないほどの賞賛の色が滲んでいたが、なぜか時司は悪寒が止まらなかった。
その時、四方の天井に取り付けられたスピーカーから女の声が聞こえた。
『該当者、三百十五名です。モニターに映します』
抑揚のない無機質の声が途絶えると同時、モニターにデータが次々と映し出される。
神森高校からはじまり、次に開誠高校。
数分で全てのデータが映し出された。
「リシア、百二十番と百二十八番目のデータを出してくれないか」
黙っていた隼人がスピーカー越しに女に声を掛けた。
一つ一つのデータが示されていた時間は一秒に満たない。しかし隼人は瞬間的に全てのデータを見て記憶していた。俗に言う、速読と瞬間記憶能力とを組み合わせたような感じだ。
『了解しました』
女――リシアはやはり感情の篭っていない声で端的に返した。
「さすがですね、隼人様。あれを一瞬で見分ける事が出来るとは」
フフッと隼人は上品に口に手を当て、微笑む。
「君には見分けられなかったのかい? 精進が必要だね」
『映します』
そこで、再び百二十番と百二十八番目のデータが映し出された。
モニターには、時司が目にした彼らと同じほどの背格好をした秀麗な容貌をしている少年と、どことなく冷たい印象を受ける凛とした顔つきの少年の姿が映っていた。
リシアが淡々と備考を読み上げる。
『龍ヶ峰蓮、十七歳。神森高校二年生。東大の進学率トップの高校。公的資料によると、成績は常にトップ、運動能力もおそらくトップかと。学校外の人徳あり。両親共に国連に所属。兄弟は二十歳の兄が一人と、十二歳の弟が一人。そして七歳の妹が一人。現在神森市神森区在住。光脈を通れば二・三分で着きます』
「もう一人は?」
『はい。京極秋彦、十七歳。神森高校二年生。成績は常に二位。運動能力も次点。龍ヶ峰蓮と共にずば抜けている。音楽に関する全般的な才能には目を見張るものあり。実の両親は行方不明。現在は全国でも指折りの名家である京極家に養子として引き取られている。兄弟は正室が産んだ義弟が一人。前者と同じく神森区在住。以上です』
言いたい事だけ言ってもう役目は終えたかのようにリシアは交信を切断した。
時司は少しばかりむっとした。我らが崇拝すべき主にそっけない態度に過ぎるではないか。
隼人が機嫌を損ねたのではないかと時司は恐る恐る隼人の顔を覗き見る。
時司の予想とは裏腹に隼人は女の行動を咎めるでもなく苦微笑した。
「優秀なんだけど、愛想がね。……まあいいや。あとは私がもう一度会いに行けば問題ないかな」
信じられないことに鼻歌なども吹いて、隼人は颯爽と歩き出した。
と、そこで隼人はそうだ、と振り返った。
「君はキルトからイスカリオーテに幹部昇進ね。あとで連絡しておくよ」
たわいないことを言うようにサラッと告げられた昇進に、時司はつかの間目をぱちくりさせたが、すぐに我に返って、
「は! ありがとうございます!」
隼人は誰もを魅了するであろう微笑を浮かべて、今度こそその場を立ち去った。
数秒して閉じられた扉を、時司はじっと見つめる。
昇進して若干興奮してはいた。だが、それ以上に心の大半を占めていた感情がほかにあった。
それは強烈な予感。
時司は確信していた。何かが起こる。
二年前にトップが――クトゥスが代替わりしたという革命がおきた。
そして今回、そのクトゥスの相棒になるかもしれない人物が鶴龍に来ると、鶴龍に新風が巻き起こるかもしれないという、確信が。
蓮は知らない。
鶴龍の総本山でこのような会話がなされていた事に。
自分が、秋彦達の言うような話に巻き込まれていくということに。
お読みいただきありがとうございました。