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黄昏の御柱  作者: 倉木 優
二章 幽玄の地
6/17

絶望は光を背に

「すまん、恭哉は行方をくらましていてな、部屋はすでにもぬけの空だった」

「やっぱな。そうだと思ったよ。あの人はそういう人だ」

「そういう人って?」

「人の気持ちが分かっている上で、人の気持ちを考えない人」

「…………あー、なんか納得」

 神森神社の件から、すでに二週間が経っていた。

 今は日曜、天気は快晴、清々しい空気を漂わせた朝の喫茶店に、蓮達三人はいた。目的は主に朝食を兼ねた状況確認である。

 少なくとも、懐中時計と自身の身には一切異常は見られなかった。

 そう、少なくとも、自身の身(・・・・)には。

 

 予報どおり寒さが抜けて心地よい暖かさの中、蓮達は外のカフェテラスに腰掛けて、コーヒーを飲みながら朝刊の新聞を広げた。

 蓮はある記事に目を留めて、秋彦にも聞こえるようにスラスラと新聞を読み上げる。ちなみに、玲はお手洗いに席を外している。

「鶴龍財閥はリレニアの実権を握り、実質鶴龍がリレニアの指揮を執ることになった模様。これからもこのような国は増えていくと思われる。我々は決断しなくてはならない。今の政治に身を任せていては日本も乗っ取られる日が来る事は想像に難くないだろう。……一部要約改正はしたが、大方このような内容の記事だ」

 実際はもっと大仰に長ったらしい文章で書かれてはいるのだが、そこは割合した。

「なるほど、な」

 秋彦は嘆かわしそうに顔を緩く振った。口に含んだコーヒーだけではないだろう、苦々しい顔だ。

「ついにリレニアが落ちたか。こりゃ確かにやばいかもな、日本」

 蓮はテーブルに新聞を置き、腕を組む。

「小国にしてはもったほうだろう。次はリレニア以外のアフリカないし東南アジアあたりが狙われるのではないか、とマスコミは見ているらしい」

「西アジアも可能性は高いな。全く、どうなることやら」

「まあ、それにも時間はかかるだろうがな。今は取り込んだリレニアの平定で忙しいはずだろうし、それに、いい加減鶴龍のこれ(・・)ももうすぐ終わるだろうしな」

 蓮は足を優雅に組み替えた。

 まあな、と秋彦が肩を竦めて答えたところで、玲が戻ってきた。

「おまたせ」

 せわしなく席について、そのままサンドイッチにかぶりついた。

 ちなみに、はさんでいる具はレタスとツナとトマトに秘伝のタレ。このカフェ、“蒼藍”の一番の人気商品だ。

「うん。これは変わらずおいしい。世界は変わっちゃったけど」

 妙に実感が篭っている玲の言葉に、秋彦は苦笑交じりの笑みを浮かべた。

「そうだな。まさか、あの光のせいで世界が激変するなんて、夢にも思ってなかった」

 そう、あれは丁度二週間ほど前のことだった。



 あれから二週間、本当に世界は変わった。

 あの後、光の渦はなかなか収まる事はなく、むしろ規模は神森神社を中心として一日足らずで世界中に進行していった。

 そして、光の渦からは蓮達を襲ったような狼たち以外の異形――魔物が次々と沸き始めた。その勢いはとどまる事を知らず、世界の隅から隅まで、北極や南極にさえ、それは現れた。人類に、逃げ場はなかった。正体不明の魔物たちに世界中が恐怖し、混乱したのは当然といえるだろう。

 腰の重い日本政府も止むを得ず全国に自衛隊を派遣。

 他の国々も軍を派遣し、国連も軍のない、あるいは軍の足りていない国々に軍を派遣。魔物を一掃しようとした。

 だが、銃も爆弾も火も、あらゆる手を尽くしても化け物には傷一つつくことはなかった。原子爆弾の使用も検討されたが、あまりにもリスクが高く、結局 その案は否定される事になった。

 第二次世界大戦以来のかつてない危機と、止まる事を知らない魔物により拡大の一歩をたどる被害に、今まで一線をギリギリ踏みとどまっていた世界中の国民という国民の感情ははついに爆発。文字通り、今度こそ世界中はパニックに陥った。

 次になにが起こるかわからない。世界の要人達が頭を抱えたそのときである。

 その中で、どんな手を使っても倒す事の出来なかった魔物をことごとく倒しつくし、統制した者が現れた。

 唯一光の渦を操り、制御する術を持つ“鶴龍”である。



「こっちに非難しろ!!」

「化け物が迫っている! 早く、逃げ遅れるな!!」

「傷を負っているものはこちらへ! 重症の方から順にお願いします!」

「女子供や老人を優先して、男性の方は避難誘導を!」

 怒号や悲鳴、叫び声、自衛隊の戦う音が響く。銃弾の音、爆弾の耳を劈くような背筋の冷えるような心地のする音。車両の耳障りな擦れ合う金属音。およそ平和な日本では聞く事すら稀な殺伐な音、風景。そしてそこら中を徘徊する“魔物”。

 戦場のようになってしまった近所の風景。家は半壊、全壊、消失、火がうねり、煙が噴く。

 いろんな物が焼ける臭い。たくさんの者が焼ける臭い。

 大切なものが焼けていく。思い出が焼けていく。想いが焼けていく。

 人々の希望が消えていく。涙が火花と共に散っていく。

 人々の絶望が轟々と沸きあがる。炎のように紅い鮮紅が散る。

 ゆっくりと、だが確実に。

 大怪我を負った親しき人々。

 亡くなった愛しき恋人や家族。

 小説にでも出てきそうな姿をした“魔物”。

 戦いには無縁の日本国民がこうも冷静に対処できた事は、奇跡の一つに数えられるほどに幸運な事だったろう。

 そして、日本の首都である東京に蓮や秋彦が居た事も。


 誰も知らない。

 蓮、そして秋彦が混乱を鎮めたことを。魔物を倒そうと東奔西走した事を。人々を比較的安全な場所に誘導した事を。

 それだけ派手な事をしておいてなぜ知られていないのか。

 彼ら二人が、それを望み、バレないように手を回したからに他ならない。

「ここはもう大丈夫か?」

「ああ、次の場所へ」

 秋彦は頬を流れた汗を乱暴な仕草で拭った。

 ここ連日の疲労で眩暈を感じはしたが、それを強引に無視しながら。

 どうにも、十七歳にしてすでに百戦錬磨の蓮も疲れを隠し切れないようだった。汗でうっすらと湿った髪を鬱陶しそうにたくし上げる。

「きりがないな、これは」

「ああ、本当に」

 秋彦は汗で滑り落ちそうになりそうだった懐中時計を握り締めた。

 異変が現れたのはすぐだった。

 蓮達が家に帰宅し、それぞれ気持ちを静める暇もないままに、神森神社をはじめとする数々の地点から光の渦が発生し、“魔物”が生まれた。

 その光景はまさに絶望を連れてやって来た死神のようだったと、後に人々は語る。戦争と同じ、あるいはそれ以上に悲惨な光景であったと。

 光の渦がないところか、比較的少ない場所へ、人々は避難した。

 女子供、老人を優先して、男性は避難誘導に周り。

 だが、それでも被害者の数は増えていくばかり。

 手足がなくなるもの、体がばらばらになって帰ってくるもの、遺体さえ残らなかったもの、原爆の時のように壁に影のみを残したもの、発狂して狂ったもの、錯乱して自ら死地に飛び込んでいったもの、大切な人を庇って死んでゆくもの。死んだ我が子を抱えて泣き叫ぶ母親。家に放置されていた、見殺しにされたペットらしき肉塊。

 自衛隊は獅子奮迅の活躍を見せた。これは間違いのない事実だ。

 爆弾だろうが銃だろうが、人知の限りを尽くして応戦しようがあまり効果の見られない、死ぬ前に心が折れそうな状況の中、彼らは勇気をもって戦った。 なかには、怯えて逃げ出したものも大勢いたが、それでも身を削って、犠牲にして戦ったものも大勢いたことも、また確かだったのだ。

 だが、それでもどうしようもない事も、事実だった。

 自衛隊の奮闘空しく、死亡者は時間が経つごとに増え続け、人々の精神は磨耗していく。

 その悲惨な阿鼻叫喚の光景は、二人の若者を覚悟させるに十分の威力をもっていた。


 自ら立ち上がらなければならない。

 頭の良い蓮と秋彦がその結論にたどり着くのに、そう時間と労力は掛からなかった。

 自分達は対抗できる手段を持っている。幸か不幸か、もっている。

 なら、使わねば、と。

 だが、二人は決して聖人君子ではない。赤の他人に命を懸けられるほど人間は出来ていない。だから、せめて手の届く範囲。自分の半径何メートルかにいた人々たちのために――いや、この際正直に言おう、彼らはひどく利己的に、ただ自分たちのためだけに戦おうと決意した。助かった赤の他人は、玲たちのおこぼれを授かっただけに過ぎないのだと。

 蓮達は周りの人たちにばれないように慎重に慎重を重ねて行動を起こした。

 顔を隠せる裾の長いフードつきの黒いコートを羽織り、懐中時計を携えて。

 

 もちろん玲は反対した。

 死ぬかもしれない場所に、単身二人で飛び込むなどと、と。

 しかし蓮達は頑として譲らなかった。

 ――ほかでもない玲たちのために俺たちは戦わなくちゃいけない。

 そう真剣な、真摯な瞳で見つめられれば、玲も反論できなかった。心では納得していなくとも、二人が動かねばならない必然性は、頭でははっきりと理解できていたから。

 だから玲はお守りを渡した。蓮に渡すはずだったそれを。

 用途は少し違うけど、気休め程度に、と。

 ――蓮や秋彦にとっては、それで十分だった。



「――負けられない、絶対に」

 お守りを下げている胸元に手を当てて、秋彦は覚悟を滲ませた声でつぶやいた。

 白銀の銃で魔物を一掃しながら、蓮は答えた。

「ああ、玲のそのお守りにかけて」

 気持ち新たに頷いて、銃を魔物に再度向けた。

 蓮はてっきり光の渦がないと銃は使えないと思っていたのだが、それは思い違いだったらしい。

 何発うっても尽きない銃弾に、思いのほか蓮は救われていた。

 蓮にとっての生命線は、いまはこの美しい白銀の銃しかなかったのだから。

 だが、銃を撃ち続けるにも、存外に体力を使う。

 秋彦の龍笛も、問題なく使用はできた。吹くときに秋彦の体からにじみ出る蒼い光も、自動調節が出来るようで、これも問題なかった。

 問題は、使えば使うほど、秋彦の精神力が磨り減っているように感じることだった。

 さすがに二日ぶっ通しで戦い続ければ、さすがの蓮や秋彦だとて体力が持たない。

 一度休まなければと思うものの、次々と沸いてくる魔物を見ては、そんな悠長な事も言っていられなかった。

 銃の引き金を引いたとき、だんだん狭くなっていくようにさえ感じる蓮の視界に、僅かによろめく秋彦の姿がよぎる。

「大丈夫か、秋!」

 いつもは余裕に満ち溢れているはずの自分の声は、思いのほか掠れて切羽詰っていた。

 真っ青な顔をしている秋彦は、覇気のない笑みを浮かべて龍笛を構えなおした。

 どうやら、声を返す力も残っていないらしい。

 ――危険だ。そう思った。このままでは確実に倒れる。いや、むしろいつ倒れてもおかしくない。

 秋彦が倒れたら、自分も倒れる自信がある。ひどく悲壮な自信を持つのは正直気に入らない。体勢だけでも立て直したいところだった。

 だが、正直休んでいる猶予さえ残されていないのも事実。

 攻撃の手を緩めることすら出来ないのが、今の二人の状況だった。

 ここは玲たちの居る避難所の最終防壁。ここが崩れれば、全てが終わる。

「――――!」

 ――このままではジリ貧だ。

 心の中で珍しく悪態をつきながら、蓮が再び銃口を鳥形の魔物に向けた、その時だった。


(わたくし)、鶴龍財閥から派遣されてきた真田時司(さなだときじ)と申します。我々が来たからには貴方方の安全の一切は保障されました。どうぞご安心ください」 

 いつのまにかその場に佇んでいた黒コートを羽織ったその男は、こちらを安心させるように薄く微笑んだ。だが、それとは裏腹に男の声はひどく無機質だ。

 己を偽りつくしている。自分以外の他人をまるで信用していない。疲れ果てながらも、警戒を怠らない蓮の真田時司に対する第一印象は、おおよそこのようなものだった。

 男の後ろには、同じく黒いコートを纏っている者達が整列している。     

「今から魔物どもを一掃致しますので、少々お待ちください」

 その場に居た人々が状況をよく掴めていないのをそのままにして、男は微笑をその顔に浮かばせたまま懐から何かの宝石を取り出した。それが蓮達の所持する懐中時計に取り付けられている宝石と瓜二つで、蓮はその柳眉を疑問に歪める。

 違うところといえば、男の持つ宝石は、蓮たちの持つものよりもずっと大きく、不可思議な形をしている事だろうか。

 男は小さいながら、よく通る声で短く呟いた。

「退け、魔物よ」

 それだけだ。

 宝石が虹色に閃光のように輝いて、気付けば周りに蔓延っていた魔物たちは一匹残らず、塵一つ残さず消えうせていた。


「…………え?」


 呆けたようなこの声は一体誰の声だったのだろう。その一文字の言葉は、その場に居る人々全員の心境を的確に表していた。

 隣にやっとの体で立っている秋彦が息を呑む。周りの人々も、なにが起こったか全くわかっていないように口を大きくあけ、驚愕に目を見開いている。

 男は魔物の居なくなった町を心なしか満足げに見て、後ろに待機していた軍隊らしき者達に指示を出した。

「町の鎮圧にかかれ。人々の怪我を手当てし、瓦礫に埋もれている人々を救出しろ。各自状況に応じて臨機応変に対応するように」

「は!」

 班ごとに分かれているのか、数人で固まりながら手際よく黒いコートを纏った者達はすぐさま散った。

 駆け寄ったコートの者達に大丈夫ですか等と声を掛けられ、腰を抜かしている様子の女性は堰を切ったように泣き始めた。

 静まり返っていたこの場で、その泣き声はこの上なく響き渡る。

 少しした後、ようやく助かった実感が湧いたようだった、我に返った人々はおよそ日本人ではありえないほどに大きな歓声を上げた。

 生き残った喜びに両手を振り上げ、助かったという喜びに涙を流す人々。

 この“生きるエネルギー”とでも呼べばいいのか、それを全身で感じ取れるほどに、その場は正の感情に満ち溢れていた。

 とはいえ、あっさりと終わってしまった戦いに秋彦が唖然とした様子でなんともいえない面持ちになってしまうのは、仕方がない事だったろう。

 ふう、と蓮は深い溜息を吐いた。肩の荷が下りるとは、まさにこのことだろう。知らず知らずのうちに、蓮たちが抱えていた人の命は、普段動揺する事のない蓮でさえも押しつぶしてしまいかねないほどの重荷となっていたのである。

 ――おそらく、蓮自身気付かないうちにどこか参っていたのであろう、蓮は心底ホッとしていた。

 鶴龍というものがなんなのか、信用に足る人物なのか、分からない事は多々あるが、それでもこの窮地が鶴龍という名の者達によって乗り越えられた事は否定しようがない。とにかく、自分達は助かったのだ。

 蓮と秋彦は声を出す気力もなく、黙って顔を見合わせた。

 秋彦の表情には隠しきれない疲労の影があるが、その表情はいたって穏やかだ。自分の出来る事をやりきった、と、その黒曜石の瞳が声に出せずとも語りかけてくる。

 無論、蓮の気持ちも全く同じである事は、言うまでもないことだ。

 蓮は手に握っている龍笛を懐中時計に戻した。

 そこで、とうとう秋彦は限界だったらしい、顔色を土気色にさせて、体がゆっくりと傾いだ。

「……秋!」

 とっさに支えて、蓮自身の体もわずかによろける。

 自身の体も同じく悲鳴を上げている事を自覚して、蓮は苦笑気味に笑った。

 いくら異常で異端な蓮達でも、体はきちんと人間の部類に入るらしい。中身がいかんともしがたいことは自他共に認めるところだが。尤も、普段から人外離れしているのは蓮のみで、秋彦や玲はいつも(・・・)は普通寄りの人間だ。考え方も正常。そこに常に(・・)がつかないのがポイントなわけだが、そこはいい。

 蓮も銃を懐中時計に戻す。

「少し、無理をしすぎたか」

「……そうみたいだな」

 秋彦が無念そうに唸った。体力をつけなければうんたらかんたらと物々と呟いている。二日ぶっ通し体力が持っただけ僥倖と言える気もするが、秋彦個人としては納得できないらしい。

「大丈夫か?」

「多分」

 秋彦はよろけないように慎重に体勢を直した。

 体に異常がないのを確認して、秋彦は久しぶりに満面の笑顔を疲れ切った顔に滲ませた。

「戻るか、玲の下に」

「……そうだな」

 胸にかけてあるお守りが僅かに熱を持ったような気がした。

 蓮は無意識に頬を緩ませる。

 お互い今は精神が殺伐としすぎている。すさみきった心を癒す事が出来るのは、今の段階では玲だけだ。学校のクラスメートや近所の子達は蓮達を畏怖して近づかない。両親は国連の仕事をしに海外へ飛んでいるし、弟や妹は両親のいるアメリカに旅行に行っている。秋彦の両親も町の鎮圧に奔走しているに違いない。

 なんにしろ、今は玲の裏表のないはじけるような笑顔を見たくてしょうがなかった。

 要は、秋彦の意見に蓮も大賛成だった、ということである。

 顔を見られないようにフードを深く被りなおして――ここ数日の行動で黒いコートの男二人、つまり蓮達のことは有名になりすぎている――蓮は秋彦を気遣いながら一歩踏み出した、丁度、そのときだ。真田時司とかいう男が声を掛けてきたのは。

 考えてみれば当たり前の話だ。国連や強国の軍隊やらでさえ頭を抱えていた魔物たちの対策だというに、表向きは普通の一般人である蓮達はその魔物をことごとく倒し、撲滅したのだから、何らかの探りを入れてくるのは至極当然のこと。必然だったのである。

「少しお話があるのですが」

 無視していきたかったが、命の恩人に無碍な態度をとるわけにもいかない。渋々ながら、蓮は男の方を振り返った。無論、顔は見られないように慎重にである。

「なにか?」

 蓮が警戒しているのを察したのか、男は柔らかく微笑んで、介抱を受けている人々に目をやった。

「いえ、さきほど貴方方に命を助けて貰ったという多くの声をお聞きしまして。今にも倒れそうなご様子ですし、いかがでしょう。我らのテントで休んでいかれては」

 なるほど。手元に引き込んで事情聴取、か。そんなことはもちろんさせない。

「ありがたいお申し出ですが、私達の身を心配している者達がおりますので」

 本当にありがた迷惑だ。

 もちろん、その気持ちを出すなんて迂闊な事はしない。

 まあ、この受け答えならば相手も何もいえまい。ここで強引にまた勧めでもしたら、反対に不審に思われる。

 全く、こんなことなら助けた人々に口止めをすべきだったと蓮は内心舌打ちをした。自分とした事が、油断していた。男たちが魔物を屠った時点でさっさと逃げていればよかったのだ。

 その苛立ちさえも完璧に隠し通して、蓮は再び言葉を重ねる。横で秋彦が完全に傍観体勢なのが今日に限ってなんだか腹立たしい。

「それでは、私はこれで。……助けていただき、ありがとうございました」

 男に口を挟む余裕を与えず、蓮は秋彦と共に早足に歩き出した。本当なら走り出したいところだったが、体力的にも状況的にも、それはできない。

 俯き加減にその場から離れる蓮達の背に、男は呼びかけた。

 本に書かれたことをそのまま読むような口調だった。自分では何も考えていない。ただ言えといわれたから口にしたような言葉。

「そのうち、お迎えに上がるかもしれません。その力は、ここでは異端でしかありませんから」

“異端”その単語に――否、男のその言葉そのものに秋彦は眉を顰めた。それの原因を思い、蓮はすー、と目を細める。

 ――ふと。

 蓮は立ち止まった。

「――――」

 なんだろう。全く持って自分らしくないが、なんだか腹のそこからふつふつと湧き上がるものがあった。秋彦が顔を歪めたからだろうか。それとも男の言葉の端々に感じられる高圧的な態度からか。いや、後者はない。そんなことで蓮は怒らない。

 そういえば、秋彦は“異端”に関係する言葉を他人から軽々しく言われる事が好きではなかったな。それこそ、冬が嫌いな事の比ではないほどに。

 蓮は遅ればせて気付いた。憤りが沸いた理由。

 そうだ。前者だ。秋彦の敏感な部分に男が口出しをしたからだ。蓮自身の“大切”の中にいる者に土足で無造作に何も考えず踏み入ったからだ。

「――気に入らないな」

 少し考えてみる。男が動揺するような話題を。

 ああ、一つあったな、そういえば。

 蓮はふと閃いて男の方へ再び振り向いた。顔を見せるなんて間抜けなまねもしない。ただし、口元の薄笑いが見えるようにはした。

「……神森の、銀髪の彼によろしくお伝えください。悪用するつもりはないと」

「……ッ!」

 驚きに目を見張る男の顔を見て、蓮は少し怒りの溜飲を下げた。

 せいぜい伝えるがいい。その“銀髪の彼”に。

「……蓮」

 ささやく様な小さな声で秋彦が戸惑い混じりの声を掛ける。

 蓮は秋彦のほうを見て、一つ頭を振った。

 結局蓮は口を開かないままその場を離れた。物言いたげにこちらを見つめる秋彦を無視して。



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