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黄昏の御柱  作者: 倉木 優
一章 始まりの刻
3/17

その神森神社にて

(れん)。コーヒー」

 友人、京極秋彦の声に、龍ヶ峰(りゅうがみね)蓮は顔を上げた。

 近づいてきた秋彦の手には、熱々のブラックコーヒーが握られている。

 差し出されるコーヒーを、蓮は礼を言って受け取った。

「うー寒い。十月に入って急に冷え込んできたよな」

 秋彦は温かいコーヒーを両手で包み込みながら唸った。

 十月に入ったばかりの今日この頃、薄着ではやや寒いと思えるほどに、ここ、東京都神森(かみもり)市神森町は例年に無く冷え込んでいた。

 今日、冷え込む中でわざわざ外の、しかも神社に居るのにはある理由があった。蓮と秋彦の幼馴染、如月玲(きさらぎれい)から神森神社に集まるよう先ほど連絡を受けたのである。


 ――神森神社、ここ最近神森区内で有名になりつつある神社の名前だ。何でも、ここにお参りした病人が、次々と奇跡のごとく回復する、というものである。そのほかにも、事業で成功しただとか、信じられないものの中には、霊が見えるようになったというものもあったように思う。――だが、それとは反対に、その願いがかなったものの子孫は、みな不幸な死を遂げる……。というような、真反対の噂もあった。

 つまりは、数えられないほどの噂があちこちに飛び交っていたのである。眉唾物と、蓮は信じて疑わないが。決してそういう心霊現象を頭から否定する気はないが、闇雲に信じることもない。

 今まで身近にありすぎただけに、そのような話が実際にあったのだろうかと、そうゆう疑問も蓮は捨てきることが出来ないのである。

「それにしても、玲遅いな」

 秋彦の言葉に、蓮は思案を中断させた。

「そうだな。何かあったのか?」

「あいつに限ってそれは無いだろ」

「まあ、それもそうか」

 蓮は言葉を返しながらコーヒーの蓋を開け、中身をすする。

 同じようにコーヒーを口に含みながら、秋彦は寒さを紛らわすかのように口を開いた。

「あ! そういえば知ってるか、蓮? 明日からまた寒気ぬけて暖かくなるらしいぜ」

「本当か? ここ最近なぜか異様に寒かったからな」

「いやー、ホントに」

「ところで、今日のその話し方、そういう(・・・・)気分なのか?」

「まあな。暫くはこのままだと思う。気がすんだら戻んだろ」

 そうやって世間話を続けていると、足音と、唐突に背後から見知った少女の声が聞こえた。

「ごめん二人とも! 遅れた!」

 申し訳なさそうにそう謝罪してくる玲に、気にしなくていいと、秋彦が笑って返した。

「それより、どうして遅れたんだ?」

「あ、そうだよ! 遅れた理由」

 玲は肩に下げていたバックからごそごそと何かを取り出す。

「もー、傷つけないように持ってくるの大変だったんだから~」

 愚痴をいいながら玲が鞄から取り出したのは、三つの懐中時計だった。三つのうち二つは銀の懐中時計であるのに、なぜか一つだけ金の懐中時計である。それぞれに細やかな細工が施してあり、少なくとも英語ではない、見たことも無い文字が刻まれている。一箇所、これもまた見たことが無い宝石があしらってあった。すべて鎖でつなげてある。

「これは?」

 秋彦が懐中時計を指差しながら尋ねると、玲はさあ……、と肩をすくめた。

「これ実はね、蓮のお兄さんの恭哉(きょうや)さんから預かったもので“お前たちに餞別だ”って……」

「餞別……?」

「ああ、なるほど。だから三個分……」

 秋彦はそう一人ごちて銀の懐中時計に手を伸ばす。秋彦が懐中時計を手に取ると、チャリッと、耳障りのよい音がした。

「これを、恭哉が?」

 あの変わり者でケチな恭哉にしてはやけにセンスが良いし、そもそもかなり高そうだ。というか、そもそも餞別とはどういうことだろう。

 弟の自分が言うのもなんだが、恭哉はけちである。それも、筋金入りの。

 この前傘を忘れたとき、土砂降りの雨を前に傘――それもコンビニのビニール傘――を買うお金でさえも惜しんだほどなのだから恐れ入る。

 これで不思議に思わないほうがむしろおかしい。となると、答えは一つだった。

「これ、恭哉さんの手作りっぽいな、なんか。父さんが恭哉さんの作った時計持ってるからなんとなく分かる」

 秋彦のこの言葉に、玲が驚愕の声を上げた。

「え!? 恭哉さんて時計作ってんの!?」

うっそ! とひどく驚いた様子の玲に、今度は秋彦が意外そうな声を上げた。

「知らなかったのか? 恭哉さんてその筋では有名な時計技師なんだよ。まあ、時計はかなり親しい知り合いにしか作らないらしいから、少し前にあった玲じゃ、知らないのは当然か」

「あいつ、相当親しくないと自分が時計を作れることどころか、自分の電話番号さえ教えないからな」

 異常なほど秘密主義の兄に、蓮は思わずため息をつく。恭哉のことでもう何回ため息をついたか知れない。正直、数えたくもなかった。

 年の割には冷静で、冷めた目と思考を持つ蓮をこうも疲れさせる事が出来る人物は、おそらくは恭哉のみであろう。

 苦労がにじみ出るレンの言葉に、秋彦は苦笑とも微笑ともつかない顔で笑った。

「恭哉さんを尊敬している人の前でそんなこと言わないでくれるか、蓮」

「すまんすまん以後気をつける」

「うわー、感情がこもってねー」

「やかましい」

「てか、蓮にこんな疲れた声出させる事が出来る人って恭哉さんぐらいだよなー。恭哉さん絡みじゃなきゃ、蓮って基本的にどんな事があっても飄々としてるし」

「……それはお前もどっこいどっこいだろうが」

 そうやって蓮と秋彦がお互い気の抜けそうな声で言い合う一方、玲は目をぱちくりさせた。

「……尊敬?」

 不思議そうに首をかしげる玲に、疲れたように米神(こめかみ)を押さえてレンが説明した。

「あの人基本的に天才肌だから、やりさえすれば何でもできるんだ。時計技師はあの人の膨大な趣味の中の一つで、本業はなにをやっているのか、そもそも本業をやっているのかさえ不明。まあ、仕事しないと暮らしていけないこのご時勢だから、なにかしらの仕事はしてるんだろうが。……秋彦、マフラーがずれてるぞ」

「おう、ありがとう」

 そこでコーヒーをすする蓮の言葉を、ずり落ちそうになっていたマフラーを整えながら秋彦が続けた。

「で、俺吹奏楽でトロンボーン兼フルート兼指揮者してるだろう。恭哉さん指導者としての才能もあったみたいで、指導の仕方がかなり上手くてさ、なんかいちいち嫌味言いたくなるくらい的確なんだよ。俺が全国大会で優勝できたのも恭哉さんのおかげだ」

「へえー。そうだったんだ」

玲は手をこすりながら感心したように目を再びぱちくりさせた。

秋彦は高校で吹奏楽部に入っており、一年前の高1の時には県大会で一位、今年は全国大会で一位を獲得している。今まで吹奏楽部に関しては全くの無名校だっただけに、強豪校をあっさり蹴落とし一位をもぎ取った秋彦の手腕はかなり有名になっていた。


 ここで一般の生徒が指導をした事に疑問を感じる人もいるだろう。

 蓮たちが通っている学校は少々特殊で、吹奏学部では皆が選んだ生徒が練習中の合奏やセクションなどの指揮をとることが伝統とされている。実際、秋彦で成功しているのだから、その伝統にも意味があったのだろう。通っている学校が元々有名な進学校なだけに、秋彦の神懸り的な指導でもって金賞を掴み取った話は、全国の高校間では有名な話である。

 さすがにコンクールのときなどは顧問の先生が指揮を執るようだが。

 ちなみに、コンサートや定期演奏会なども生徒が指揮を執る。

「っと、話がずれてるって。今重要なのはなんで恭哉さんが俺たちにこの時計をくれたのか」

秋彦の言葉に蓮はうなずいた。

「確かに。あの恭哉が何の理由もなしに無償でこんな高価なものを渡すはずが無い」

 真顔で兄である恭哉を貶す蓮も大概である。

 だが、兄の作った時計を高価と言うあたり、なんだかんだで蓮も恭哉のことを認めているのだろう。

「あ、そういえば。恭哉さんが言ってたんだけど」

そういって玲は持っていた金色の懐中時計を蓮に手渡した。

「なんかよく分かんないんだけど、金の時計は蓮に渡せって……」

「……なぜだ」

手の中にある時計を見ながら蓮は首をかしげる。

「さあ……?」

 神社のど真ん中で三人は黙り込んでしまった。

 なんとなく気まずい沈黙の中で一番最初に口を開いたのは玲だった。

「んー、まあ、今はそんなことどうだって良いじゃん。今は私のよ・う・じ!」

「そういや、何でこの寒い中俺達を?」

 秋彦は寒そうに手をこすり合わせ、ふーっと息を吹きかける。

そういえば秋彦は冬が苦手だったな。主に寒いという理由で。なんて心底どうでもいいことが何故か蓮の頭に浮かんできた。

「それがね、この神社のお堂に入ったときに……ちょっと落とし物しちゃったみたいで…………」

「許可は?」

「…………」

 後ろめたそうに黙りこくってポリポリと頬をかく玲。

 なるほど、この神社のお堂には神森神社の関係者に許可をもらわないと入る事が出来ない事になっている。しかもその許可をもらうためにはかなりの条件が必要だそうで、玲がそう簡単にお堂に入る事が出来ないわけだ。つまり玲は無断でお堂に侵入したことになる。それは気まずいかもしれない。

「で、なぜ本堂に侵入した?」

 ああ、分かっている。返ってくる答えはわかっているとも、と蓮は呆れのために自分の目が半目になっていく事を自覚する。だが、一応訊いてみた。

 侵入って人聞きの悪い……、などと不満と気まずさの混じった表情と声と共に、予想通りの返事が返ってきた。

「あー、その……ね? 友達と一緒に、そのー、噂を確かめに行ったというか……ねえ? 気になるじゃない」

 いっそ清々しいほどしどろもどろな玲に、蓮は思わず溜息をついて緩く頭を振った。

 つまり、玲はこの神森神社について飛び交っている噂の真相が気になって、その友人とやらと共に本堂に入ってしまったのだろう。有体に言えば、ちょっとした出来心で神社の本堂に忍び込んでしまったのだ。そのひょうしに、いつの間にか玲曰く“大切なモノ”を落としてしまった、と。

 訂正、どうやら蓮を疲れさせる事が出来る非常に貴重な人物がここにも一人いたらしい。

「気になるって言ったってなあ、玲」

 秋彦がどこか諭すようにたしなめる。目が半目になっていることで、秋彦が何を思っているかは明らかである。

 秋彦が呆れているのに目聡く気付いたのか、玲は子供っぽく頬を膨らませる。これは余談だが、たいそう可愛らしかった。尤も、こんな事を口にすれば顔を真っ赤に染めてお返しにパンチが飛んでくるのであろうが。

「むう~、別にいいじゃない。どこに行こうと私の勝手でしょ?」

「なら一人で勝手に神社行ってその“大事な落し物”とやらを取りにいけばいいだろうに……」

 秋彦の正論に、グッと玲が息を詰まらせた。

「し、仕方ないじゃない。一人じゃ怖くて入れないのよ。友達は用事で一緒にに行けないって言うし」

 そこで何故か玲はそこそこ膨らんでいる胸を張る。威張れる事でもないだろうに。と、もう一度溜息をついて、蓮は仕方無しと、空になった缶コーヒーをゴミ箱の放り込み、本堂に向かって歩き出した。大部分は玲のための行動だが、このまま広場の真ん中にいたらいい加減凍えそうだった。正直、この日に限っては缶コーヒー一本では寒すぎる。ああ、それと、秋彦は寒いのが苦手だから。明らかに後付けだが。

 とりあえず風が来ない室内に入りたい、なんていう利己的で偽善心的な考えの下、蓮は嫌々ながら本堂に目を向ける。

 そんな蓮の心情も露知らず、玲は顔を輝かせた。

「いいの!?」

 自分から言い出したんだろうに。

 玲の嬉しそうな歓声についそう答えたくなるのを堪えて、蓮は首を秋彦たちのほうにめぐらせた。

「借りにしとくから、期待しないで待っておく」

「うん! あ、そういえば、秋、今日の喋り方っていつも(・・・)の?」

「……ああ、まあな」

 顔を前に戻す視界の端に、今にも踊りださんばかりに喜びのオーラを発する玲と、やれやれと肩をすくめる秋彦の姿がチラリと掠めた。

 ちなみに、秋というのは秋彦のあだ名だ。



 改めて見渡してみると、神森神社の放つ雰囲気はかなり年季が入っていた。だが、権禰宜か、あるいは巫女にきちんと手入れされているおかげか、ただ単に古臭いだけでもなく、どこか神聖なオーラを醸し出している。

 周りも勿論雑草が個々の思うがままに繁殖しているなんて事もなく、綺麗に手入れされていて、存外にしっかりしていた本堂もどこか威圧感らしきものを肌で感じた。

 これが夜になれば、それはもう昼と比較にならないほどに恐ろしげな風体をしそうなものだが、玲は勇敢な事に、それもよりにもよって真夜中に忍び込んだというのだから、一度蓮と秋彦は本気で帰ろうと思ったものだ。無論、全力で玲に止められたが。

 真夜中に本堂に入れる勇気があるのだから、それこそ一人で行けばよかったろうと、つい毒づきたくなるのは至極当然な成り行きであろう。少なくとも、蓮はそう思う。全くどうして自分たちを呼び出したのか。

 いまだかすかに残る不満を意図的に放棄して、蓮は神社の巫女に許可をとった後――玲は嫌がったが、事情も全て包み隠さず話し、謝罪もした――特に迷いもなく、これからの平穏を疑う事もなく、本堂へ、無造作に足を踏み入れた。



 そして、そう遠くない未来、蓮達は後にこう思うようになる。

 ――ああ、今思えば、これが始まり(・・・)だったな、と。

 これをきっかけに、蓮たちの運命は――否、人類の運命は大きく変化する事になる。

 後世、“始まりの刻”と呼ばれることになるそれの、始まりだった。




 蓮達がお堂に入った頃、数人の人影が神森神社を訪れていた。

 フッと、黒いコートを羽織った長身の男が、堪えきれないといったように笑う。その視線は、何の変哲もない石畳の地面に向けられていた。

「なるほど、これは確かに強大な()。あの男が隠しておきたがるのも、解るというものだ」

 のどの奥で不気味にクククッと笑う男に、同じく黒を基調とした服を着ている女がキビキビとした声で答える。

「ですが、今は一部を封印されているようです。解除致しますので、今しばらくお待ちください」

 そうことわり、丁寧に、しかし迅速に礼をした後、おい、と後ろに立っている部下らしき人影に合図し、小走りで駆けて行った。

 女たちの姿を見送る男は先ほどの不敵さはなく、憂い顔だ。

「これによって起こることが分からぬ訳ではない。私は、起こった事全てを背負う覚悟でここへ来た。なればこそ、必ず我が一族の宿願を――」

 どこか危険なまでに重い決意の色を滲ませ、男は一人つぶやくと、王者の風格を漂わせながら、鷹揚にレンと全く同じタイミングで神社へと一歩踏み出した。


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