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第2話



 2


 「やあ、サム。

はじめまして」


 俺は手を上げて答えながら、なんでこいつは俺をヤマケンって呼ぶんだろう、と考えていた。

 俺の名前は、ヤマキ・ケンタロウ。

 仕事で親しく付き合っている連中は、ヤマケンと呼ぶ。


「ははは。

 そんな他人行儀なあいさつするなよ。

 同じクリエーターじゃないか、売れっ子の」


 同じ、ときやがった。

 確かに同じケームデザイナーだ。

 メジャーのスター選手と横町の草野球チームの球拾いが同じ野球人だ、というぐらいには。

 売れっ子だと?

 確かにあんたは、オファーの九割を断らないといけない売れっ子だ。

 俺も毎日忙しい。

 毎日忙しく働かないと食っていけないわけですけど、それが何か?

 あっち行け。

 俺は一人で飲みたいんだ。


「あんたと話の合う同業者なら、周りに山ほどいるだろう」


 俺は言ってやった。

 ここは、ER機器とソフトの展示会場なんだから。

 俺が来たのは、下請け仕事をもらえないか知り合いを見つけて頼んでみるためだ。

 あえなく空振りだったので、無料バーでスコッチを楽しんでから帰ろうとしていたところだった。


「つれないことを言わないでほしいな。

 君の才能を高く買っている人は業界に多いんだよ、ヤマケン。

 ミチコとかね」


 俺は、スコッチを吹いた。

 霧のように。

 バーテンダーがやってきて、汚れたカウンターを黙って拭いた。


 ミチコは、俺の元同僚にして元女房である。

 いい女だったし、仕事を見つけてくる手際は大したものだった。

 貧乏クリエイターには、いい女すぎた。

 結局、彼女が欲しいと言ったものを何一つ与えられず、俺は彼女と別れた。


「ミチコと付き合ってるのか」


「そうしたいと、こちらは思ってるんだけどね」


「俺とは正式に離婚してる。

 今、ミチコがどうしてるかも知らないぜ」


「ああ、今彼女がどうしてるかは、ぼくがよく知ってるよ。

 うちの事務所で働いてもらってるんだ」


 そうだったのか。

 こいつの事務所で、しかも彼女の能力なら、給料も相当なものだろう。

 自分の欲しい物は自分で手に入れられるようになったわけだ。


「そうか。

 まあ、どのみち、俺とはもう関係ない」


「ふうん。

 そうかい?

 まあ、いいや。

 実は、君にぜひ、協力してもらいたいことがあるんだ。

 新しいゲームをデザインしたんだ。

 古代日本の神話世界をベースにした作品でね。

 それで、日本人である君に監修スタッフに入ってほしくてね」


 こりゃ、驚いた。

 仕事の話だったのか。

 しかも、とんでもないチャンスだ。

 横町の草野球の球拾いが、ヤンキースの監督に、「ワールドシリーズの次の先発は、お前だ」と言われたぐらいのチャンスだ。

 つまり、まったくもって信用ならない。


「おお、こりゃ、なんてありがたいオファーだ。

 けど、悪いな。

 今、仕事が立て込んでるんだ。

 それに、日系で日本国籍ではあるけど、日本神話には詳しくない。

 もっと適当なやつがいるだろう」


「単なる歴史や文学の知識が必要なんじゃないんだよ。

 それらしく見えるにはどうしたらいいのかを多面的に評価できるセンスが必要なんだ。

 君のようなね」


 やつは、勝手に俺のグラスに乾杯して、その杯を干した。

 俺は、どうやって後腐れなく撤退するか、それだけを考えていた。

 考えていたはずだった。


「どんなものを作ったのかは知らないけどね。

 日本古代の歴史にこだわる必要はないんじゃないか」


「ほう。

 というと?」


「たとえば、ワーグナーだ。

 ローエングリンにしても、ニーベルングの指輪にしても、神話や伝説をベースにしちゃいるが、それまでの伝説の最大公約数にはなってない。

 まったく新しい神話を作ったといってもいいぐらいだ。

 そして、ワーグナーのあとは、あれこそがローエングリンでありジークフリートだといわれるようになった」


「なるほど。

 独創性か。

 よりによって、君がそれを言うとは」


 やつは、くっくっくっ、と笑っていた。

 ほんとにこんな笑い方するやつっているんだな。

 頭からスコッチを掛けてやりたい衝動に駆られたが、我慢した。

 こんな高いスーツのクリーニング代は、俺のポケットにはない。

 ついでにいえば、銀行にもだ。


「仕事が忙しいんじゃ、仕方がないな。

 でも、二か月後なら、どうだい?

 二か月後、ベータテストを実施する。

 そのファースト・テスターになってくれないかな」


 俺は、もう一度、スコッチを吹いた。

 水鉄砲のように。

 バーテンダーがやってきて、汚れたボトルと棚を拭いた。






 3


 ERゲームが正式サービスを開始する前には、ベータテストが行われる。

 これをプレーするのは、プロのテスターだ。

 テスターは、ゲームの中の矛盾や、誤動作、NPCの挙動やゲームバランスについて報告して、開発側から報酬を受け取る。

 といっても、その段階ではイージーなミスはまずない。

 マスコミは、テスターから、そのゲームの独創性や娯楽性などの総評を聞き、報道する。

 テスターの評価は、ゲームの人気を大きく左右する。


 当然、テスターたちは、あらゆるゲームの作法に通暁し、どんな難易度の高いゲームでもクリアできる能力を持つ。

 大型のゲームの場合、複数のテスターを雇うものだが、その中でも、最初にプレーするテスターは非常に大きな名誉と責任を負う。

 小さな国が買えるほどの制作費が回収できるかどうかの鍵を握っているからだ。


 テスターの、特にファースト・テスターの役割は、ほかにもある。

 むしろこちらがメーンだといってもいい。

 ファースト・テスターのERでの体験は細かく記録され、VRの骨格として使われる。

 最初にそのゲームに挑むプレーヤーなのだ。

 そのわくわく感、どきどき感、未知の世界を切り拓いていく喜びは、そのままVRに反映され、質を大きく左右する。

 実際、多くの場合、VRの主たるストーリーは、ファースト・テスターのプレー内容を受けて大きく調整されるという。


 ファースト・テスターは、メーンストーリーを正しく嗅ぎ当てクリアするのはもちろん、最短コースや難易度の低いクリア方法を選ばず、そのゲームの魅力を存分に引き出すようなプレーを要求される。

 最悪なのは、クリアに失敗することだ。

 まともなデータも取れないうえ、そのゲームのイメージはひどいダメージを受ける。


 その大事な役割を、本格的なゲームはプレーしたこともない俺にやらせると、こいつは言ってる。

 俺の良識が、俺そのままの姿で、俺とやつのあいだに立ちふさがった。

 そして、両手を大きく広げて言った。


 だめだぞ。

 分かってるだろ。

 こいつは罠だ。

 受けちゃ、だめだ。


 俺は、スコッチのグラスをカウンターに置き、右手で良識を押しのけた。


「分かった。

 やらせてもらおう」


「それは、よかった」


 やつは、にっこり微笑んだ。

 そして、こう続けた。


「もちろん、君はプロのテスターじゃないから、プロとして雇うわけにはいかない。

 しかし、報酬はしっかり用意させてもらう。

 私が君の会社に依頼し、君の会社が君を派遣する形にしようか。

 プレー期間は三日。

 クリアできたら、君の会社にこれだけ支払うよ。

 データの使用料と君がくれるアドバイスの料金込みでね」


 やつが示した金額は、俺の会社の収入十年分にあたる。

 だが。

 クリアできなかった場合の違約金は、収入二年分にあたる。

 うちの会社に貯金なんてない。

 失敗したら会社はつぶれる、ということだ。

 こんな仕事は受けるわけにいかない。

 今すぐ断るんだ。


「ああ、このゲームはいろいろ新趣向を凝らしていてね。

 プレーヤーとしての参加は、君一人になる」


 なんだと。

 そんな馬鹿な。


 ERゲームは、運営費がものすごくかかる。

 プレーヤーが一人というのは、まったくあり得ない。

 普通はパーティーメンバー全部がプレーヤーだ。

 つまり、六人とか八人のプレーヤーで助け合ってゲームをクリアするものだ。

 多い時には十人を越える場合もある。

 VRゲームに移植するときは、六人以外はAIが動かすことになる。


「ほう。

 斬新だな」


 こら、断れ、俺。

 なに話を進めてるんだ。


「君ならそう言ってくれると思ってたよ。

 このゲームでは、はっきりとした主役(メーンキャラ)が存在してるんだ。

 そのほか、サブキャラが八人いてね。

 第二次ベータ以降、サブキャラもプレー可能にしていく予定だ。

 彼らには立場に沿ったロールプレーが求められる。

 主役は彼らのある者を味方にし、あるときには敵にしてゲームを進めるわけだね」


 なんてマニアックな。

 だが、ぞくぞくするほどおもしろそうだ。

 待てよ。

 するとサブキャラはかなりの自由行動が許される仕様なわけだ。

 なるほどね。

 全員が敵に回るかもしれないな。

 だめだ、こりゃ。

 始める前から詰んでるよ。


「しかも、この作品は、事前のレクチャーもトレーニングも必要ない。

 ぶっつけ本番でいきなりゲームができるんだよ。

 主役だけの特権だけどね」


 うおおお!?

 いくらなんでも、そりゃおかしいだろ。


「素人は、トレーニングなしじゃあ魔法などのスキルを使いこなせないだろう」


「もちろん、そうさ。

 でも、トレーニングは必要ない。

 なぜなら、このゲームでは、主役は特殊能力といえるほどのものは持たないんだ。

 少しだけ変わったスキルがあるけど、それは練習しなくては使えないようなものじゃない」


「空も飛べないし、魔法も使えない?

 千里眼もテレパシーもなし?

 怪力も加速能力も破壊光線もテレキネシスもなし?

 そんなんじゃ、ERとしてのおもしろさを、どう味わうんだ?」


「そこさ。

 最近じゃ、舌の肥えたユーザーは、派手なスキルに満腹している。

 新しいゲームをやるたびにしなくちゃならないトレーニングやレクチャーにもね。

 このゲームでは、主役に限ってだが、そんなわずらわしさはかけらもない。

 必要な準備は着替えだけだ。

 ファンタジーな能力はサブキャラたちが持っている。

 主役は指揮官として振る舞うわけさ」


 それが本当なら、画期的な作品だ。

 多くのクリエーターが、いつかはそんなものを作ってみたいと思ってきた夢の仕様だ。


「日本神話をモチーフにしていること以外、事前のレクチャーは一切ない。

 極めて自由度の高いゲームでね。

 メーンクエストの達成の仕方は非常に幅広い。

 どんなゲーム慣れしたテスターも、じゅうぶんに楽しんでもらえると思うよ」


 楽しめるだろうさ。

 三日間でメーンクエストがクリアできなきゃ会社がつぶれるんでなけりゃね。

 すぐに断れ、俺!


「トップデザイナーの新作。

 楽しみにしてるよ」


 うわあ、乾杯までしちまった。

 酒のせいだな。

 酒のせいだ。

 きっと。


「おや。

 BGMが変わったね。

 ショパンのワルツ作品六十四の二だ。

 いいね、この曲は。

 ぼくはディヌ=リバッティの演奏が好きでね。

 あれはいつ聞いても泣けてくる」


 泣け。

 家に引きこもって、一生ディヌ=リバッティ聞いてろ。


「ショパンとはね、ふるさとが同じなんだ。

 彼はぼくにとってチャンピオンさ。

 地元の英雄という意味でも、征服と抑圧への抵抗の騎手という意味でも」


 何が抑圧だ。

 お前に抑圧される側の気持ちが分かるわきゃねーだろ。






 その日、どうやって帰ったか、覚えていない。

 だが、契約書にサインしたことは覚えている。


 翌日、会社に契約書が届いた。

 俺は、社長と同僚から質問攻めにされ、それから袋だたきにされた。

 無理もない。

 だが、契約は調ってしまった。

 やるしかない。






次回9月7日

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