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最終話




 20


「それじゃあ、あらためて乾杯しよう」


「うい、乾杯」


 俺はサムとスコッチのグラスを合わせた。

 かちん、というグラスの音。

 からん、と音を立てる氷。

 喉に染みる高級スコッチの味。

 流れているのはラフマニノフの四番。

 たぶん、アレクシス・ワイセンベルグ。

 すべてが気持ちよく、すべてがけだるかった。

 にぎやかな打ち上げパーティーは終わり、スタッフも、うちの会社の連中も帰った。

 ヒミコちゃん始め出演者たちも帰った。

 バーに残ってるのは、俺たち三人だけだ。


「君がヒミコをパーティーに入れたとき、コントロールルームは感嘆の声にあふれたよ。

 予備知識なしでそれを思いつく人間は十人に一人もいないというのが我々の予想だった」


 うむ。

 そうだろうとも。


「次に君が最大出力で日輪招来を発動させ、サドを消滅させたとき、コントロールルームは悲鳴であふれたよ。

 プロのテスターでそれをやる人は千人に一人もいないというのが我々の予想だった」


 う、うむ。

 そうだろうとも。


「でも、魔法効果セクションの主任は拳を振り上げて歓声を上げてたよ。

 彼いわく、このゲームで考えられる限り最大の派手なシーンなのだそうだ。

 あの日輪は強力過ぎるから、二回目以降はヒミコ自身が威力を弱める設定になっていてね。

 最大出力で撃てるチャンスは、あのときあの場面にしかなかった。

 すごかったよ。

 島が消し飛ぶシーン。

 津波が全てをさらっていくシーン。

 海神(わだつみのかみ)が現れて、波を静めるシーン。

 強大な力を持つ天津神(あまつかみ)たちも、いったんはなすすべもなく波に翻弄(ほんろう)された。

 それは神をもってしてもどうともできない大きな力が天地にあふれていることを強烈に印象づけた。

 そして、君や天津神たちを、海の眷属たちが助けるシーン。

 かつてどんなVRでもERでも実現できなかった迫力だった。

 常識的なプレーヤーが百回プレーしても、あのシーンに至る可能性はほとんどない。

 センセーショナルでエキセントリックでロマンティックでファンタスティックだった。

 スタッフ・キャラクターたちも感動したと言ってたね。

 ショックから立ち直ったストーリーセクションの主任は、あのシーンの登場確率をうんと増やすことを決心した。

 君は見事な仕事をしてくれたわけだ」


 え?

 そ、そうなの?


「ヒルコはね。

 あそこでは倒せないはずだったんだ。

 実は放置しても問題ない。

 倒したければ、両陣営の神々が力を合わせる必要がある。

 ゲームの終盤でなければ実現できないし、難易度の高いクエストだね。

 それはいいんだが、君はパーティーとはぐれ、一人でプレーすることになってしまった。

 あれで、用意されたシナリオの実に七十五パーセント以上が使用不可能になった。

 ゲーム開始たったの二時間で、スタッフ全員がこれからどうなるか予想もできないという展開だ。

 私も、あんなにどきどきしながらモニター画面を見つめたのは、初めてだった気がする」


 おお!

 じゃあ、楽しんでもらえたんだな。

 よかった、よかった。


「君の会社の社長は発作を起こして倒れたけどね」


 なるほど。

 だから社長だけが打ち上げ会場にいなかったのか。


「どんな展開になっても、最後には高天原(たかまがはら)の神々と豊葦原(とよあしはら)の神々、私は天津神と国津神くにつかみと呼んでいるんだけどね、の対立が起こり、主人公はその場に立ち会うことになる。

 ただし、生きていればの話だ。

 ストーリーは、天津神を仲間にして冒険するコースと、国津神を仲間にして冒険するコースに別れていたんだが、君は一人で冒険するという想定外のコースを編み出したことになる。

 どこで何をしてもミニクエストは起こる仕様でね。

 趣向を凝らした魔神や怪物が待ち構えていた。

 君が生き延びる可能性は低いと思ったよ。

 ところがだ。

 君は武器を手に入れなかった。

 アシナヅチに武器はないかと聞けば、十束剣(とつかのつるぎ)をもらえた。

 オロチを殺せば、天叢雲剣あめのむらくものつるぎが手に入った。

 海神(わだつみのかみ)に土産をねだれば、潮満珠(しおみつるたま)潮干珠(しおひるたま)という強大な秘宝が得られた。

 そもそも山幸彦のイベントはかなり出現条件の厳しいボーナスイベントで、その価値はただただ秘宝の入手にある。

 そうでなくても、棍棒を一本持つだけで、それは攻撃力として計算されたはずなんだ」


 そうだよ。

 何か大事なことを忘れていると思ってたんだが。

 潮満珠と潮干珠かあ。

 しくじったなあ。


「魔神や怪物たちの強さは、パーティー全体の強さから自動的に設定される仕様だ。

 ところが、君自身は戦闘力がなく、仲間と行動を共にせず、武器をついに持たなかったため、魔神や怪物たちの強さはゼロにならざるを得なかった。

 つまり、出現できなかったんだ。

 まさか、あんな切り抜け方があるとは。

 いや。

 脱帽だ」


 わははははは。

 もっと褒め称えるがよい。


「ゲームクリアの基準は、そう厳しいものじゃなかった。

 両陣営の総被害が一定以下なら、それでクリアだったんだ。

 主役が天津神たちと行動した場合には、天津神に有利なエンドに向かう。

 主役が国津神たちと行動した場合には、その逆だね。

 ミニクエストを重ねてチームの団結力と主役プレーヤーへの好感度を高めるほど、メーンクエストはやりやすくなる。

 また、ミニクエストで武力を使えば使うほど、パーティーの攻撃力は上がる。

 なにしろ敵側のパーティーにもPCプレーヤー・キャラクターがいてミニクエストを重ねているからね。

 最終的に相手の攻撃力がどの程度になっているかは、分からないわけだ。

 パーティーをうまく指揮して戦いに勝ち、かつ相手の被害をそこそこに押さえるさじ加減が、主役のプレーヤーに要求される。

 そして岩戸は消滅し、おのころ島は統一国家になるわけだね。

 ちなみに、ミニクエストで武力に頼った攻略ばかりしていると、天津神側ではヒミコの、国津神側ではコトシロの攻撃性が高くなりすぎ、過激な攻撃をして相手に甚大な被害を与えてしまうんだ。

 攻撃性を上回るほどの好感度を稼いでおくことがポイントになるね」


 サムは、少し薄くなったスコッチを、ぐいと一息であおった。

 人差し指だけでグラスを押すと、カウンターの上をグラスが滑っていき、俺の前を通り過ぎて、バーテンダーの前で止まった。

 バーテンダーはグラスに酒を注ぐと右手の平でグラスを押した。

 グラスはカウンターを滑って、俺の前を通り過ぎて、サムの前でぴたりと止まった。

 キミタチは映画に出演する練習をしてるのかい?


「だが、トゥルーエンドに至るには、まったく別のアプローチが必要で、条件は極めてシビアだった。

 もう分かったと思うが、エクストラクリアの条件は、天津神と国津神がそれぞれの固有性を保持したまま対等な形で支え合う関係を築くことだ。

 岩戸は消滅してはならない。

 消滅すれば、かたや森の豊かさ、かたや農耕地の豊かさという固有性が失われるからね。

 岩戸を温存したまま交易する方法を発見するには、高天原にいるうちに、生産や加工タイプのスキルの持ち主がいることを聞き出しておく必要がある。

 主役にステータス・スキャンという特殊能力が与えられているのは、神々のスキルを知る重要性に気付かせるヒントでもあったわけだ」


 たった一回しか使えないけどね。


「主役の調停を両陣営が受け入れるには、両陣営それぞれの好感度平均が等しいことが条件となる。

 だが、好感度が低ければ説得は失敗する。

 普通にプレーをしたら、片方の陣営の好感度だけが上がる仕様だからね。

 両陣営の好感度をそろって上げるのは、とても難しい。

 クエストにわざと失敗して攻略情報を敵パーティーに流して恩を売ったりしなければならないだろうね。

 そして最後にヒルコの共同討伐で足りない好感度を上げる。

 そこまでできてもヒミコかコトシロの攻撃性が上がりすぎていたら戦争は避けられなくなり、しかもその場合両陣営の攻撃力は拮抗しているだろうから、最悪のエンドに向かう。

 片方の陣営の好感度だけ上げるなら最大値は十だが、両方の陣営の好感度を上げるとなれば、その最大値はたぶん五だ。

 四とか三でそろえるのは逆に難しいし、説得の成功率が落ちる。

 私たちは、両陣営の好感度平均五が、エクストラクリアの条件だと考えていた。

 だが君は、両陣営の好感度平均〇で、エクストラクリアが可能なことを証明してしまった。

 私は口をあんぐり開けたまま硬直するという、実にみっともない体験をさせてもらったよ」


 あれ?

 あのとき、ヒミコの好感度はマイナス五だったよな?

 ほかの天津神の好感度が高かったのかな?


「君はあのときヒミコのステータスをスキャンしたから知っているだろうが、ヒミコの最終好感度はマイナス五だった。

 そこまで落ちると、少々のことでは上がらないし、それ以上落ちもしない。

 他の天津神の好感度も軒並み落ちていた。

 ところが、談合がまさに始まるとき、君はソトオシの裸体を露出させるという荒技に出た。

 あれで、カグツチ、ミカヅチ、ヤタの好感度が一時飛躍的に高まった。

 その結果、天津神たちの好感度平均はちょうど〇になった」


 おい。

 ヤタはともかく、カグツチ、ミカヅチ。

 お前らあんとき、俺をぼろくそに言って責めたくせに、実は喜んどったんか。

 むっつりすけべども!


「逆にタマヨリとトヨタマの好感度は劇的に下がり、その結果、国津神たちの好感度平均もちょうど〇になった。

 コントロールルームの大型モニターには、両陣営の好感度平均が大きく表示されるんだ。

 あの決定的瞬間に両方が〇になり、〈エクストラクリアへの進行:可能〉の表示が出たときには、とてつもないどよめきが上がったよ。

 そして君が神々のスキルをうまく使ってトゥルーエンドを迎えたときは、みんな抱き合って喜んだ。

 自分たちが作った作品だから、どうすればどうなるか全部知ってるはずなのにね。

 だが、あんなふうになるとは。

 正直に言おう。

 私も感動した」


 と言いながらスコッチの香りを嗅ぐしぐさが気に入らない。

 高そうなスーツ着やがって。

 リア充、死ね。


「君は本当にいいデータを提供してくれた。

 あれは作ろうと思って作れるもんじゃない。

 ストーリー構成は大幅に見直すよ。

 君がくれた奇跡をできるだけたくさんの顧客に味わってもらいたいからね。

 風神を呼び出して雷神と戦うクエストや、住人全員が狐顔になった謎を解くクエストは、普通はどのコースを進んでもやることになる。

 そういった普通のストーリーは相当撮り直しになるけど、それはやりさえすればできることだ」


 最初のプレーは非常に大事だ。

 大作ERほど、初めに際だったプレーが出たほうがVRの質が高くなる。

 宣伝効果も望める。

 やるじゃないか、俺。

 これからは、テストプレーヤーとして食っていけそうだ。

 ただね、サム。

 一言だけ心の中で言うけど、このトゥルーエンドの思想、たぶん日本人にはあまりウケないよ。


「それに引き換え、ミチコ。

 君には失望させられたよ」


 サムは、振り返ってミチコを見た。

 いつも尊大で女王のように美しい俺の元女房は、見たこともないほどしょげている。


「いつものように、事務処理と全体の進行管理は見事だった。

 だが、君は現場のスタッフじゃない。

 コンソールを直接操作していい立場じゃないんだ。

 その君が、しかもシナリオに関係なく、勝手に操作を行った。

 許されないことだ」


 お、おい。

 サム。

 お前、ミチコに惚れてるんじゃなかったのか?

 もうちょっと優しい言葉を使おうよ。


「最初の椰子の実は、まあ許せる。

 アクセントとしては面白いともいえる。

 スタッフも、これは使えると笑っていた」


 ミチコ。

 言い返せよ。

 君らしくもない。

 たとえ自分が百パーセント間違っていても、堂々と相手を責めてこそ君だよ。


「オペレーターを威圧してオフタイムの開始を早めたのも、ぎりぎり許せる。

 本当のプレーだったら料金の払い戻しを要求されかねないオペレートだったが、悪いのは君の目線に負けてオペレーターズ・ジャッジを発動してしまったクインシーだからね。

 彼は降格減俸処分だ」


 おいおい、ミチコくん。

 キミはコントロールルームで何をしてたのかな。


「だが、あの雷は許せない。

 ケンタロウ以外のプレーヤーだったら、厳重な抗議が来た可能性がある。

 スタッフが故意にプレー中のプレーヤーに攻撃を行うなど、あってはならない。

 知られたら、会社の名誉に取り返しのつかない傷が付く。

 しかも、ケンタロウが絶妙のフォローを入れてくれなかったら、ストーリーの進行が止まっていたかもしれない」


 ミチコはますますうなだれている。

 長く美しい髪が、カウンターの上でとぐろを巻いている。

 顔を起こして背を伸ばせよ、ミチコ。

 でないと見事なおっぱいが見えない。


「君はクビだ。

 退職金は出ない」


 その言葉を聞いて、ミチコはハンドバッグを持って、逃げるようにバーを飛び出した。

 俺は出て行くミチコとサムを交互に見た。

 サムはミチコのほうを見ようともしていない。

 このまま彼女を行かせることはできない。

 俺はサムに、おやすみと言い、バーテンダーにもごちそうさまと声をかけると、ミチコを追ってバーを出た。


 エレベーターが地上階で止まっている。

 俺は階段を走って上った。

 上りきってビルを出ると、遠ざかっていくミチコの背中が見えた。

 走って追いついた。

 追いついたんだが、何と言っていいか分からない。

 自慢じゃないが、俺は実生活では大変なヘタレなのだ。

 しばらく同じ速度で後ろを歩きながら、やっとのことで、


「ミチコ」


 と名前を呼んだ。


「ほっといて!」


 いつも澄ましているミチコが、こんなに感情をあらわにすることは珍しい。

 やつに冷たくされたことが、そんなにショックだったのか?


「ミチコ」


 もう一度名前を呼んだ。

 そして、右手で彼女の肩をつかんだ。


「ほっといてって、言ってるでしょ!

 何よ、この浮気者!」


 彼女は振り返った。

 泣いている。


 ごめん。

 泣かしてごめん。

 泣く前に守れなくてごめん。


 おれは突然せつない気持ちで一杯になって、ミチコを抱きしめた。

 彼女は俺の喉元に顔をうずめ、両手で俺の胸をぽかぽかとたたいた。

 しばらくそうしてから、俺の背中に手を回して抱きついてきた。

 それから泣いた。

 ずいぶん長く泣いた。

 彼女を胸に抱きしめたまま、俺は言った。


「フィンランドに行こう。

 オーロラを見に」


 ミチコは泣くのをやめ、ぽかんとした顔で俺を見た。

 そうだ。

 ミチコは前からオーロラが見たいと言ってた。

 もう行ったかもしれないが。


「おごってくれるの?」


「うん。

 実は、ちょっと大きな収入があってね」


「知ってるわ。

 私は職をなくしたの」


「知ってるよ」


「養ってくれる?」


「うん」


 そして二人はキスをした。

 ニューヨークの夜は、優しく二人を包んでくれた。






 21


 ケンタロウとミチコが甘くせつない空間に浸っているころ、サミュエル・ラデクは、氷だけが残ったタンブラーを見つめていた。

 クリスタルグラスの中の丸い氷は、ダイヤモンドのように奇麗だ。

 バーテンダーがやって来て、


「あたしからのおごりです」


 と言って、スコッチをタンブラーにそそいだ。

 手の込んだ方法で恋敵に花を持たせた、この要領のよすぎる男をねぎらったのだろう。

 サミュエルはグラスを目の前にかざして謝意を示してから、口にスコッチを含んで、ゆっくり味わった。

 それから飲み干して、ふうと息をはいた。


「無事に幕が下りたあとの一杯は、ゲームデザイナーのささやかな幸せだね」





(了)






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