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第1話

「ドリーム・パーク」(ラリイ・ニーブン&スティーヴン・バーンズ)と「XPで幸福を」(シェパード・ミード)をはじめとする作品の思い出に、本作を捧げる。


 1


「やあ。

 ヤマケンじゃないか」


 声を掛けてきた相手を見て、驚いた。

 なんと、世界トップクラスの売れっ子クリエイター、サミュエル・ラデクだった。


 クリエイターというのは、この場合、ERRPG(エクステンデッド・リアル・ロール・プレイング・ゲーム)のゲームデザイナーのことだ。


 VR(仮想現実)システムは、実現されるや、さまざまな分野に浸透した。

 何しろ、夢の中では何でもできる。

 ヘルメットをかぶり、専用カプセルに横たわれば、宇宙へも異世界へも行ける。

 とびっきりの美女とデートすることも、ヒーローとなることもできる。

 無論、それは脳の中にコンピュータが描いてみせた虚構の世界にすぎない。

 しかし爽快感は残るし体験は脳に刻まれる。

 考えてみれば人間のあらゆる経験のうちの多くの部分は、記憶に残るという以外に意味のないものだともいえる。

 となれば、リアルでの「経験」と、VRでの「経験」は、他人と共有されないということを除けばどこが違うのか。

 まあ、身体そのものを鍛え成長させる部分を捨象しての話だが。


 学習は劇的に変わった。

 一晩のうちに二万五千種類の蘭の実物を見て触って匂いを嗅ぐこともできるのだ。

 覚えきれるかどうかは別にして。

 ジャンボジェットの実物を操縦することもできる。

 操作を誤ればちゃんと墜落も体験できる。

 しかも目が覚めれば生き返れるのだ。


 司法も医療も激変し、外交や安全保障も様変わりしてきている。

 脳に直接情報を送り込むことも、その情報を読むこともできるのだ。

 偽証は困難になり、脳の機能さえ生きていればVR空間で人間としての生を得ることが可能になった。


 競うように無数のソフト開発会社が設立された。

 ところが、さまざなな分野でVRシステムはどんどん進化していったけど、娯楽の世界ではやがて頭打ちになった。


 VRシステムは、体験が脳に与える電子的刺激を完全に再現しているはずだった。

 でも、そうじゃなかった。

 コンピュータが計算して与えてくれる「体験」は、(なま)の体験と何かがほんのわずかに違った。

 わずかだけれど決定的な何かが。

 娯楽として心からVRを楽しむには、そのわずかな違いが邪魔をした。

 何というか、ぼんやりとして、味気ないのだ。


 VRゲームをプレーするには、専用の施設で高額な使用料を払わなくてはならなかった。

 専用ベッドが必要だし、再生演算装置も必要だ。

 医療スタッフの立ち会いも義務づけられた。

 こうした点は、料金が安くなり施設が増えたことを除けば、今でも同じだ。

 初めは物珍しさから人が集まったが、やがて彼らは、安っぽいけれど自由度が高く、自宅で気軽に楽しめるホログラム付きのオンラインゲームに戻っていった。


 VRシステムは個人でしか使えないのも、ゲームとしては大きなマイナス要素だった。

 結局のところ、夢というのは個人的な体験であり、複数の人間が同時に同じVR世界に登場することは不可能だった。

 昔若者が夢見たVRMMOは、文字通り夢にすぎなかったのだ。

 え?

 今あるじゃないかって?

 あれは正確には、多人数同時参加とはいえない。


 さて。

 VRがリアリティーに欠けるという問題には、解決法が見つかった。

 生身の人間の体験を記録し、それをベースにプログラムを組むという方法だ。

 一万のシーケンスのうち、ほんの二つか三つ生の体験を元にしたシーケンスを組み込むだけで、全体が劇的なリアリティーを持った。


 けれど、この方法には大きな問題が二つあった。

 一つは、人間が実際にできる体験でなくてはならないことだ。

 実体験を記録するわけだから、これは当たり前だ。

 もう一つは、普通の人間の体験でないと普遍性がないということだ。

 トップアスリートが世界記録を出す瞬間や、天才が着想を得た瞬間の記録は、素晴らしいVRネタになると、初めは思われた。

 そうじゃなかった。

 どうも受け手のほうの脳のキャパシティや経験蓄積と関係があるらしく、ちゃんと記録されてるはずなのに思ったような感銘を与えてくれない場合が多かったのだ。


 つまり、VRが鑑賞に値するクオリティーを発揮するのは、普通の人間が実際に体験できる事柄に限られるのだ。

 そんな娯楽に誰が大金を払うだろう。

 それでも、スターとのキス体験などは、最初はばからしいほど売れた。

 それ以上の体験ができる合法、非合法のソフトも。

 あるいは、宇宙旅行や深海探検など、金と時間をかけないとできない体験のソフトもだ。

 けれど、そうしたものは、自由度の低い、いわば録画をそのまま見るような仮想現実体験になりやすかった。

 当たり前になってしまえばそれまでのものだし、過当競争によって価格が落ち込むと、開発は閉塞状況になっていった。


 そうした状況を突破すべく一部の先進的な開発者が選んだジャンルが、ファンタジーだった。

 ファンタジーの人気は根強い。

 そして、ファンタジーの世界でこそVRは真価をみせるはずだった。

 壁は厚かったが、あるとき一人の変人がこんなことを言いだした。


「てことはあれだよな。

 ファンタジーな体験を実際にしてもらってさ。

 それを記録してベースに使えばいいじゃん」


 阿呆だ。

 ほんとに阿呆だ。

 リアルではできないことができてこそのヴァーチャル・リアルなのだ。

 完全に本末が転倒している。

 だが、天才の発想だった。


 魔法使いはいない。

 しかし、普通の人間に魔法使いの格好をさせることはできる。

 呪文を唱えさせることもできる。

 唱えた呪文を隠しマイクで拾うことも、それが資格のある人間から正しく発せられたかどうかを判定することも、設定にしたがってファイアー・ボールそっくりの効果を持った火の玉を出現させ、目標を破壊することもできる。

 もちろん対象の抵抗値も計算に入れてだ。

 それは本人にとっては、まさに魔法を使った「体験」だ。

 敵は役者に演じさせてもいいし、ロボットという手もある。


 この方法で得られたデータは、VRファンタジーに迫真のリアリティーをもたらし、ここからVRゲームは急成長を始めた。

 すると次に、こんなことを言う顧客(アホ)が現れた。


「VRの元になったリアルのほうをプレーしたい」


 わがままだ。

 しかし、金を出す人間のわがままは通るもんだ。


 かくして、ERゲームの世界が始まった。

 最初は、火の玉を出して的を撃つとか、ちょっとばかり空中浮遊するとかいった単純な遊びだった。

 それが段々と複雑になり、ストーリー性を加え、行動の自由が増えていった。

 越えなくちゃならない壁が次々に現れたが、転がり始めたボールの勢いというのは大したもので、すべてをなぎ倒してゲームは進化した。


 大きいエポックとなった発明が二つある。

 外装システムと携帯VR装置だ。


 外装システムは、全身を覆うように取りつける第二の皮膚のようなもので、脳の命令をキャッチして動作し、擬似的に筋力の増加や素早く正確な動作を可能にする。

 よく知られているように、これはライアン・バクスター教授の主導で開発されたものだ。

 サイバネティックスの権威だった教授は、不幸な事故で四肢の自由を失ってから、VRの世界で研究を続けた。

 そして自らを実験台として鬼気迫る情熱で研究をリードし、ついに外装システムの雛形を完成させた。

 ついでにいえば、博士のこの研究スタイルとそこで生み出された数々のギミックは、身体に障がいを抱える人たちの社会参加に新しい地平を切り拓き、さらに思索や理論研究はVR世界で行うという潮流を生み出した。

 今や忙しい人間はVRで仕事するのがステータスになりつつある。


 携帯VR装置は、ダイブすることなくVRの効果を実現できる画期的な機械だ。

 現実世界にVR効果を持ち込むわけで、これにより視覚などに補正がかけられるようになった。

 見えてはいけないものを消したり、そこにないものを見せることができる。

 山が噴火したり、生き物が死んだりするシーンも、これでばっちりというわけだ。

 あるいは、ちょっとメイクをしたプレーヤーが、まさしく本物のエルフに見えたりする。


 ER施設は世界中に無数にあるが、その最高峰がER島だ。

 今、太平洋には、全部で十三のER島がある。

 さらに七つのER島が建設中だ。

 一つの島を、まるまる特定のER用に改造してしまうのだ。

 プレーエリアは巨大なドームに覆われ、天候までが細かくコントロールされる。

 一度にプレーできるのは、一組のプレーヤーだけ。

 当然、プレー料金は高い。

 三日間ほどの時間をかけてやる最大級のERだと、火星往復旅行より高い。

 それでも開発、建築、維持運用費用はあまりに莫大で、プレー料金ではまかなえないが、問題はない。


 プレーから生まれたデータはVRゲームに活用される。

 ERゲームをベースにしたVRゲームは、その品質から圧倒的な人気を誇っており、その売り上げがERゲームを支えているのだ。

 市場はすっかり成熟し、パーティーを組んでプレーするVRRPGの最大の顧客はハイスクール世代だ。


 複数の人間が同時にプレーできないという欠点も、徐々に改善された。

 AIによって動くいわばNPCノン・プレーヤー・キャラクターは、データ蓄積が進むにしたがい人間らしくなっていった。

 当人の許可があれば、そのデータを元にしたキャラクターを登場させることが可能になった。

 スターをモデルにしたキャラクターを仲間にすることも流行した。


 そしてさらに技術は進歩し、同じ施設に集合すれば、六人までは一緒にプレーできるようになった。

 各プレーヤーはそれぞれの端末、つまり子機でプレーする。

 その情報は遅滞なく総合演算装置、つまり親機に届けられる。

 親機はその情報を各子機に割り振る。

 それにより擬似的な複数人同時参加が可能になるわけだ。

 この発明も、瞬く間に世界を席巻した。

 国や企業の意志決定機関はみな六人を単位とするようになった。

 VRの世界では現実の百八十倍の時間が稼げるのだから無理もない。

 これも、ゲームから生まれたテクノロジーが人々の生活意識や仕事のあり方を大きく変えた例となった。


 なぜ六人までなのか。

 現実の世界でもそうであるように、VRの世界にも、インプットとアウトプットのあいだにはタイムラグがある。

 行動しようと脳が決めてから肉体が動くまでに時差があるといえば分かりやすいだろうか。

 物を見てから見たと認識するまでのあいだにもタイムラグはある。

 VRシステムの親機は、その時差を利用して各子機のあいだに生じる矛盾を調整する。

 そうなのだ。

 子機と子機は矛盾を生じるのだ。

 なぜなら、起こりかけたことと起こることのあいだには揺らぎがなくてはならない。

 あるファイアーボールは発動するかもしれないし、発動しないかもしれない。

 振り下ろした剣は敵の額のまん中に当たるかもしれないし、一ミリ右に当たるかもしれない。

 その揺らぎこそがリアリティーの源であり、それはプライベートそのものであるがゆえに、個々の子機で決定されるほかない。

 ある子機の演算結果と他の子機のそれが矛盾したら、親機が調整する。

 起こることに決まった事象がキャンセルされ、修正を加えられてしまうのだ。

 このキャンセルが人の脳に小さなストレスを与えるといわれている。

 子機の情報を統合してオンオフ判定をする演算場には同時に二十四個の陽電子が存在できる。

 一回のオンオフ判定には四個の陽電子が必要だ。

 一つの事象に二回以上のオンオフ判定を行った場合、ストレスの危険性は飛躍的に高くなる。

 それで利用者の数は六人までとされるわけだ。


 とにかくVRゲームは今や巨大市場であり、ERゲーム業界も活況を呈している。

 また、ERゲームから生まれた技術は、次々と他分野に輸出され、そのパテントも巨額だ。


 金を払ってER島に行けば、人は誰でも、伝説の魔法使いになったり、最強の剣士になったりできる。

 ある程度ならメイクも可能なので、白髪で知的な老人の姿の魔法使いにだってなれる。

 スキルの設定や装備なども、それなりに選択の幅がある。

 バカ高い料金設定にもかかわらず、どこのER島も何年も先まで予約でいっぱいだ。


 こうした大型ゲームをプレーをするためには、あらかじめ講習を受けないといけない。

 どんな魔法があって、どんな呪文や手順で発動するかを知らなければ、魔法使いの役はできないのだ。

 ジャンプや飛行も、練習なしではうまくできない。


 たいていのゲームでは、いろんな楽しみ方が許される。

 三日間、飛行魔法で島を飛び回って観光するだけ、ということもできる。

 モンスターを狩ったり、迷宮探索で過ごすのもいい。

 ミニクエストをいくつかやってもいい。


 だが、ゲームによっては、いや応なしにメーンストーリーに巻き込まれることもある。

 メーンストーリーを放置すると災害が起こるようなゲームもある。

 そういうクエストを遂行するには、知識が必要になってくる。


 例えば、数年前大ヒットしたあるゲームは、メラネシア地方のカーゴ・カルトをベースに使った脱出型ストーリーだった。

 何もしないでいると、最後には死んでしまう。

 死なずにゲームをクリアするには、カーゴ・カルトの知識が不可欠、というわけだ。


 別のゲームでは、アステカの神々の名とその特性を覚えていないと行き詰まるようになっていた。

 どんな知識がそのゲームに必要になるかの細かい点が、あらかじめアナウンスされることはない。

 ただ、ある程度、モデルとなった地域や時代、あるいはベースとなった神話伝説などが、おおらかには公表される。


 当代の人気デザイナーであるサミュエル・ラデクの場合、アステカ、ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアなどの民族神話を背景にしたゲームで有名だ。

 その設定は、極めてマニアックであり、シビアであり、タイトだ。

 普通の人間なら、「こんなこと知らねえよ!」と怒ること間違いなしの前提をふんだんに盛り込み、「こんなこと思いつかねえよ!」といいたくなる選択肢しか許さない。

 ところが、極めてマニアックな顧客には、やつの設定は、公平で、妥当で、しかも視点が斬新だとうならせるものらしい。

 燃やされて、つぶされて、殺されて、ゲームオーバーした顧客が、あとで、あの神話の解釈からすれぱここはこうなんだと説明されて感心する、というんだから恐れ入る。


 いっぽう、俺はといえば、同じゲームデザイナーであるというのもおこがましいちんぴらクリエーターだ。

 やつの作るゲームエリアが直径三キロとか十キロとかあるのに対して、俺のは三メートルとか十メートルなのだ。

 例えていえば、遊園地のお化け屋敷の隣に、小さな小さな建物があって、その中では、杖を振れば炎が出たり、呪文を唱えれば空中に浮かんだりできる、という程度のものを作るのが仕事だ。

 それでも、アイデア次第で、けっこう楽しんでもらえる。

 そのほかに、頼まれてアイデアを提供したりしてる。

 限られた条件の中で、面白そうなストーリーやイベントを作ったりつじつまを合わせたりする仕事だ。

 まあ俺自身の名前が出ることはない仕事だが。


 もともと、俺は、SFとファンタジーが大好きだ。

 古今東西の作品を読みあさったものだ。

 ゲームも大好きで、一人用のもの、MMORPGなど、いろんなゲームをやりこんだ。


 親は就職先を心配したものだが、ファンタジー系雑学の知識を買われて、弱小ゲーム会社に就職できた。

 社長のほかは全社員六人という、文字通り吹けば飛ぶような会社だが、俺のできる仕事があり、話の合う仲間がいた。


 俺は、テクノロジーのほうはさっぱりなので、ストーリーと設定の担当になってる。

 どんな状況にでも合わせてただちにストーリーを組み立てられる俺の才能は、会社の業績をそれなりに押し上げた。


 だが、はっきり言おう。

 俺には、オリジナリティーのかけらもない。

 俺の作品のすべては、他人のアイデアで出来ている。


 別に、ぱくるわけじゃない。

 条件や場面の一部が示されると、「あ、こんなのあったな」と、記憶の引き出しから、いろんなパターンが飛び出してくるのだ。

 既存の作品に似すぎないよう気を付けながら、それを一つのストーリーにまとめていくわけだ。


 俺は、いわばクリエイターではなく、コーディネーター、あるいはアレンジャーなのだ。







次回9月4日

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