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水上の綾  作者: 白石ライ
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第五話

 人気の無い静かな弓道場で、華英(かえい)は一人、的に向かっていた。高校が冬休みに入ってからは毎日、暇を見つけては神宮の敷地内にある弓道場か武道場に足を運んでいる。十六歳を過ぎれば、正月の弓射の儀と、皇帝と巫女姫が立ち会う御前試合への参加が許される。もっとも、織の直系である華英の参加は、本人の意思に問わず決定されているようなものだが、そうでなくとも華英は出るつもりだったし、出るからには織の名に恥じぬよう力を尽くしたいと思っていた。

 ここのところは毎日、一日の大半を舞や楽の稽古、大人達の手伝いに費やし、空いた時間は鍛錬に励んでいる。当然、学校で出された冬休みの課題など一ページも進んでない。毎年、三学期開始直前にやっと取り掛かり、期限ギリギリに提出するのが恒例で、もう慣れたものだった。


 華英が新たな矢をつがえようとした時、道場内に無機質な電子音が響いた。携帯電話の着信音だ。本宮からの呼び出しかもしれない。華英は急いで画面を開く。しかしそこに表示されたのは、見知らぬ番号だった。不審に思いながらも通話ボタンを押す。

「は」

『もしもし!?華英!?私!!』

 ボタンを押した瞬間、はい、と華英が言う前から電話の相手の声がかぶさった。

「……どちら様でしょうか」

『だから私だってば!忘れたの!?』

「『ワタシワタシ詐欺』っていうのも、最近はあるかもしれないよね」

『何言ってんのよ!私の声、わかんないの?』


 忘れるはずがない。生まれたときからずっと近くで聞いてきた声。


「……いきなり家出しておいて今更どうしたんだよ、有明(ありあけ)


 その声は確かに華英のよく知るもので、そしてここ十ヶ月近く聞いていなかった声だった。

『違うわ。家出じゃなくて、駆け落ち』

「もっと悪いよ……」

 次期巫女姫として最有力候補に居ながら、巫女姫の引退宣言の直前に突如行方をくらました彼女の名は、古谷有明(ふるや ありあけ)。旧名、織有明。




     ***




「で、駆け落ちした不孝者が何の用?」

『いやー、もうすぐ正月じゃん?そっちはみんな忙しいだろうなー、と思って』

「そりゃもうめちゃくちゃ忙しいよ。誰かさんが居ないおかげで余計にね」

『華英は今度、初めての弓射の儀でしょー?どう?的中できそう?』

「自分に都合の悪いことには耳を貸さないところは相変わらずだね」

『ありがとう』

「褒めてない」

『華英は元気?』

「ほんっと、人の話聞かないね。僕は今、誰かさんのせいで精神的にかなり疲れてるよ」

『そっか、元気なんだ。よかった』

「全く……まあいいや。元気だよ」

『みんな元気?』

「最近忙しいからあんまり見てないけど。元気だと思うよ。父さんも母さんも。先代も。藍杷那(あいはな)頼彦(よりひこ)も明日良も――」

『春比奈も?』

「元気なんじゃないかな。忙殺されてるけどね」

『巫女姫として初めての新年だからねえ。大変だろうなー』

「何だよ、他人事みたいに」

『だって、もう他人事よ。私はもう織の人間じゃない』

「薄情だな。春比奈がどんだけ大変だったかわかってんの?」

『想像つくわ。でも、春比奈なら大丈夫って、私わかってたもの』

「巫女姫としての立ち居振る舞いがなってないって陰口叩かれてんのに?春比奈が巫女姫に任命されるなんて誰も想像しなかった」

『私はずっと思ってた。私なんかよりずっと向いてるって。春比奈がなるべきだって』

「どうかな。春比奈は祷詞(とうし)もろくに暗記してないんだよ」

『巫女姫に必要なのはそんなものでも、立ち居振る舞いでも無いわ』

「何が言いたいの?」

『まあ、その内わかるわ。それより華英、肝心なこと言ってないじゃない』

「何だよ、みんな元気だって――――」

『“あの子”は?』

「………………元気そうに、見えるよ。少なくとも、平面上は。と言っても、遠目に見るだけだからわからない」

『ふうん……』

「って、ちょっと待って。なんで帰ってきたこと知ってんの?」

『オカアサンとは、たまに電話で話すから。その時に、聞いたの』

「あ、そう……」

『あの子と話す?』

「いや、全然。避けられてるっぽいし」

『春比奈とは仲良くやってるのかな』

「嫌われてるって噂だよ」

『意地っ張りだもんね』

「どっちが?」

『どっちも』

「……否定はしないけど。でも僕だって、まだ納得してないんだよ」

『華英。あの子は、自分の意に反したことはやらないわよ。そして、自分がやると決めたら、誰が反対したって突き進むわ』

「それは知ってる……けど。でもやっぱり僕は嫌なんだ」

『まあ、あんたはそうでしょうねえ』

「なんでそこで笑うの」

『あんたも可愛いわねえ』

「うるさいな」

『ま、今はあの子のことは放っておきなさい。大丈夫だから。それに――――適任でしょ?』

「それも、否定はしないけど。でもさー、やっぱりさー…………だから、笑うなって!」

『ごめんごめん』

「全く……。ねえ有明、僕に電話するくらいなら、藍杷那にもかけたらどうなの?」

『一度、かけてみたのよ。有明ですけどって言い終わる前に切られちゃった』

「藍杷那らしいね」

『おかげで藍杷那の近況だけはよくわかったわ。相変わらずね』

「父さんや母さんとは?」

『まだ。今、忙しい時期だし。迷惑かけたくない』

「一応、気を遣うんだ?」

『私だって、育ててくれた養父母には孝行したいと思ってるのよ』

「血の繋がらない弟には孝行しないでいいの?」

『別に……』

「ひどいね、姉さん」

『あんたは別に、私の手なんか必要としてないじゃない』

「どうかな」

『あんただけじゃないわ。もう織の宮にも、私は必要無いのよ』

「……そんな自虐的なこと言う人だったっけ」

『自虐じゃなくて、事実よ』

「……だからって。あんなに唐突に消えなくてもいいだろ。僕達がどれだけ……」

『あ、心配してくれてた?』

「誰がっ!みんな怒ってたんだよ!藍杷那なんか般若になってんだからな!」

『いやー、みんなが私のこと愛してくれてるのは知ってるんだけどねー。でも私は今ダンナ一筋だしねー』

「人の話を聞けよっ!」

『華英。私、幸せよ?』

「…………」

『声聞けば、わかるでしょ?』

「……そんなら、顔見せに来るくらい、しなよ」

『まあ、その内ね』

「ついでに藍杷那に殴られればいい」

『まあ、それも、その内にね。年明けて、落ち着いたらね』

「ただ手伝わされるのが嫌なだけなんじゃないの」

『それもあるけどー……。私、もうすぐ臨月なのよ』

「…………は?」

『だから、宮を出た時には既に妊娠してたの。だからあんなに急いで出たのよ』

「……それ、父さんと母さんは、知ってるの?」

『知ってるわよ。オカアサンも知ってる』

「…………そう」

『うん、だから行く時は、親子三人で行くわ』

「多分旦那はボコボコにされると思うんだけど、それでもいいの?」

『覚悟はしといてって言っといたわ』

「庇ってやらないんだね」

『織の洗礼を受けることも必要だと思うの』

「怖いこと言う嫁だね」

『とりあえずー、こっちのことは心配しないでって、みんなにも伝えといて』

「はいはい…………ねえ有明、せ――――」

『そして。あんたは余計なこと心配し過ぎずに、今は自分のことに集中しなさい。今年も舞と楽、やるんでしょ?何より初めての弓射と御前試合。あと、勉強。折角いい学校に入ったんだから』

「わかってるよ。でも」

『あの子は強いわよ?』

「強がりなだけだよ」

『でも、私よりはずっと強いわ』

「そうかな」

『あの子は私の…………“妹”じゃないもの』

「……ちょっと。それどういう意味」

『そのままの意味だけど?じゃ、そろそろ切るわ。頑張ってね』

「ちょっと待ってよ姉さん、おい、有明っ!……あー、もう…………」


 自己中心的なところは少しも変わらない。心配させるだけさせておいて。

 しかし姉の幸せそうな声を聞くことができて、華英は安堵していた。


 そしてそんな有明が、当然のように彼女を“みんな”の中に入れていることが、華英には嬉しかった。

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