第四話
筝子が春比奈の私室で待機していると、舞の予行を終えた春比奈が別の近侍を伴って戻ってきた。すでに舞装束は脱ぎ、くつろげる服に着替えている。
「お帰りなさいませ、姫様」
舞はかなり神経を集中させねばならないものと聞く。特に今日の稽古は本番と同じく、重い舞装束を身に着けてのものだったので、体力自慢の春比奈も心身ともに少し疲れているようだった。肩をぐるぐる回している。
「ただいま……。あー、肩凝った」
「お疲れでございましょう」
「うん。っつーかね、腹減った……あれ?なんかいい匂いがする……あっ!!」
机の上のビニール袋を見つけた春比奈が、飛んできた。
「ショギ屋のたこ焼きっ!!」
いそいそと袋から出し、蓋を開ける。ソースの強い香りが辺りに漂った。
「うっわ、あたしこれ大好きなんだ。ちょうど食べたいなあって思ってたんだよね」
「はい、実は、あの、先ほど……」
「これ筝子ちゃんが買ってきてくれたの?気が利くね、ありがとう。一緒に食べようよ」
「いえ、あの、つい先ほど大野さんが持ってきました」
それを聞いた瞬間、春比奈の動きがぴたっと止まった。露骨に顔がしかめられる。チッと舌打ちまで聞こえた。それが自分に向けられたものではないとわかっていても、筝子には恐ろしかった。春比奈はなまじ美人なので、余計迫力があるのだ。
「……まあ、たこ焼きに罪は無い」
そう言って、春比奈は動きを再開させた。たこ焼きに爪楊枝を刺し、豪快に一つ丸々口に入れる。まだ熱いのに平気で咀嚼しており、猫舌な筝子にはそれが少し羨ましかった。
「美味いぃぃ……。筝子ちゃんも食べていいよ」
「いえ、私は結構ですから。どうぞ姫様が全部お召し上がり下さい」
「いやいや、これ2パックもあるから、あたし一人じゃ食べきれない。希恵さんも食べて」
春比奈は、筝子と、ここまで付き添ってきた希恵にも爪楊枝を渡した。主の前でたこ焼きを頬張るなど無礼な気もしたが、当の主が強く勧めるのだから致し方無い。筝子はたこ焼きに爪楊枝を刺そうとして、ふと違和感を感じた。
「あれ……。これ、ネギが乗ってませんね」
ショギ屋のたこ焼きと言えば、大きいタコの入ったたこ焼きの上に、鰹節とネギがたっぷり乗せられているのが特徴である。まさか店主が忘れたのだろうかと筝子が訝しんでいると、春比奈がまた顔をしかめていた。
「それは、多分……あたしがネギ嫌いだから」
筝子にも、希恵にも初耳だった。今までも食事の中にネギが入っていることはあって、その時も春比奈は何も言わずに食べていたから。
「申し訳ありません。存じませんでした。言って下さってよろしかったのですよ」
「料理方にも申し付けておきますので」
「謝ることじゃないよ。料理方にも言わなくていい。別に食べれないってわけじゃないし、この年になってネギ嫌いってのもかっこ悪いから、何にも言わなかっただけ。気にしなくていいよ」
と春比奈は言うものの、やはり気になる。それに、何故千はそれを知っていたのだろう。その辺りも気になる。しかし春比奈に尋ねるわけにもいかないし、千に聞くのもはばかられる。
もやもやとしたものを抱えながらも、二人は春比奈の勧めるまま、ネギ抜きのたこ焼きを頬張った。
どことなくまだ憮然とした表情の春比奈が、部屋の隅に目をやった。何かに気づいたらしく、眉をひそめる。「どうかなさいましたか?」と希恵が尋ねた。
「…………あたしのゲーム機、無くない?」
筝子はぎくりとした。できれば今気づいて欲しくなかった。しかし気づかれてしまった以上、言わないわけにはいかない。
「実は、あの、先ほど……」
たこ焼きを置き、代わりにゲーム機を持ち去った女。「明日良様に許可はいただいてあります」と平然と言い、どこに持って行くのかは告げなかった。一体彼女は何を考えているのか、何がしたいのか。あの掴み所の無い同僚のことが、筝子達にはさっぱり理解できなかった。
ソフトは一つを除き全て残してあるものの、肝心のゲーム機が無くなって少し寂しくなったスペースと、手元のたこ焼きを交互に見て、春比奈は大きな舌打ちを一つした。
筝子達は、寿命が少し縮まったような気がした。