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水上の綾  作者: 白石ライ
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第一話

 広大なリカー大陸より北東に海を渡った先に浮かぶ小さな島。そこに「綾見(あやみ)」という国が誕生してから、およそ千二百年を超える年月が経っていた。神力を持つ巫女によって興されたその国は、建国の巫女亡き後、政治を司る(はたの)の一族と、祭祀を司る(おりえ)の一族、この二本柱によって、現在まで変わらず国が治められている。

 代々機の直系から選ばれる皇帝に対して、織には直系の女から選ばれる巫女姫という役職がある。これは神に仕える職務の最高位であり、年間を通して、神祇官らと共に様々な祭式を執り行う。時が流れ、かつての神力は失われたものの、国民からは国の象徴として篤く敬われ、皇帝を凌ぐほどの人気を誇っていた。

 今代の巫女は、代替わりしてまだ八ヶ月足らずと経験は浅いが、大層美しく、粛々と儀式を執り行う姿はまさに国の象徴に相応しいと国中の評判で―――。




*****************************************




 年も暮れ行く冬の未明。神宮の一日はまだ日も昇らぬうちから始まる。内宮、巫女姫の居室としてあてがわれた一角。吐く息を白く凍らせる廊下を、(せん)は足早に過ぎていった。目的の一室に着き、襖の前で膝をつく。

「姫様」

 声をかけるが、応答は無し。いつものことなので、特に気にはしない。

「失礼いたします」

 部屋の主は聞いてなどいないだろうが、声をかけるのは忘れない。

 襖を開けると、薄暗い部屋の奥の方に、布団にくるまって丸まる何かが見える。千はそっと部屋に入り、エアコンのスイッチを入れた。


 建国から千二百余年。科学技術は日に日に進んでいる。神宮とて例外無くその恩恵を受けているのだ。伝統が集結する場所として譲れない部分は守りつつ、時代の移り変わりを拒絶しない。柔軟に対応してきたからこそ、千二百年もの長きに渡って、国の柱として在り続けてこられたのだ。

 そもそも、エアコン無しの部屋で暮らせと言えば、この部屋の主は三日で逃げ出したに違いない。


 千は布団の塊に近づく。その途中で、布団の外に転がっている枕を拾った。主の寝相の悪さは今に始まったことではない。

「姫様。起床のお時間です」

 塊に向かって声をかける。くぐもったうめき声が聞こえた。しかし塊は動かない。

 千は気にせず、着替えの準備を始めた。新しい下着、朝の祈祷の際の礼服、足袋などを出し終わったところで、再度塊に声をかける。

「姫様」

「……ぁあ?」

 布団の中から、実に不機嫌そうな女の声が聞こえた。

「そろそろ起きて下さいね」

「わかった……」

 絶対わかってない。その証拠に塊はぴくりとも動かない。しかし千は焦らない。コツはこうやって徐々に覚醒へと導いていくことだ。焦って無理矢理起こしては後で恐ろしいことになる。


 次に千はバスルームへ向かった。ぬるいシャワーにかかり、次いで真水で(みそぎ)をするのが、姫の朝の習慣だ。朝の禊は巫女姫には避けられないものである。そのための準備を整えてから、部屋に戻った。室内が暖まってきたことによって、小さく縮こまっていた布団の塊がだんだん伸びてきていた。

「姫様。シャワーの準備もできていますよ。そろそろ起きて下さい」

「あと十分……」

「だめです。早くしないと朝の祈祷に間に合いません」

「じゃあ五分……」

 なかなかにしぶとい。と思っていたら、部屋の隅に放り出されているゲーム機とコントローラーを見つけた。

「姫様……。もしかして、また夜更かししてゲームをなさっていたわけではありませんよねえ……。」

 知らず、千の声も低くなる。

「年末年始は忙しいので、しっかり睡眠を取られるよう、あれほどお願いしましたのに」

「必殺技覚えたー……」

「聞いてません。さあ、そろそろ本気で起きて下さい。あと五分寝るのと、今起きるのと、そう変わりませんよ」


 少し間があって、チッと舌打ちが聞こえたかと思うと、やっとずるずると布団から這い出てきた。

 ボサボサの黒髪、寝起きの顔は不機嫌丸出しのひどいもので、折角の美人が形無しである。この姿を写真に収めて国民に見せても、誰もこれがあの巫女姫・春比奈(はるひな)だとは信じまい。人々にとっての彼女とは、神に祈りを捧げているときの、あの神々しいばかりの横顔だとか、あの美しい舞姿なのだ。

 春比奈姫はもう一度舌打ちを下さって、ふらふらとバスルームへ消えていった。



*****************************************




 春比奈は実に寝起きが悪い。中々起きない上に、起きたかと思えばものすごく不機嫌だ。千にはそう大したことには思えないのだが、ほかの近侍にしてみるとそれはそれは恐ろしいらしく、誰も進んでこの仕事をやろうとしない。いつも春比奈の起床時刻が近づくと、誰もが忙しいふりをして、千に押し付けようとするのだ。別に春比奈とて悪気があるわけではなく、たとえ夢から覚める瞬間だけは、自分の眠りを妨げる相手を心底憎んでいたとしても、完全に目を覚ました頃にはもう忘れている。だから気にする必要は無いと思うのだが、慣れてない者にとっては、あの舌打ち一つで寿命が縮むのだとか。


 というわけで、今のところ、春比奈を何とかバスルームまで送るのが、千の一日の最初の仕事だった。

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