第23話 「閑話④:シューバート侯爵家の長兄・末弟とユランの肉」
シューバート侯爵家当主のオルトールドだ。過去にあれほど働いたのは、宰相職を継いだ時くらいではないだろうか。あの時は、一日の睡眠時間が少ししか取れなかった事すらも自慢となっていたが、この年(48歳)では、「辛い」の一言にしかならん。
10年年下の末弟クラウスは同母兄弟だ。第一婦人の子としてはかなり遅くに生まれたクラウスは、年上の異母兄弟から、かなり危ない『遊び』を吹っ掛けられる事が多く、私にとってクラウスは守るべき『幼い弟』だった。正直、真ん中の異母兄弟は、嫌いではなかったが、好きにはなれなかった。その最大の原因は、間違いなくクラウスへの危険な『遊び』と称する危害だ。あれに関しては、今でも思い出しただけでも腹が立つ。許せることではないが、クラウスが剣を覚えてからは、全て反撃を喰らっている。だからだろうか。二人に対する負の感情よりも、クラウスへの「よくやった!」という気持ちの方が強い。
私が宰相に選ばれた時、クラウスは25歳。既に、23歳で結婚して家庭を持っていた。当時18歳だったエミリアはまだ学生だったが、それでも、それを強く推し進めたのは私だ。理由は一つ、異母兄弟から離すためだ。
クラウスは幼少の頃から剣術に秀でていて、異母兄弟からの執拗なイジメを剣術で振り払っていたが、騎士団に入団して以降、その実力から、早々に次期王国騎士団の団長候補として名が挙がった。その頃からだ。同じ屋敷内に置いておく事自体が危険になるほどに、二人の感情が悪化した。
私が宰相に選ばれた以上、侯爵当主は私が継ぐことになる。だが、騎士団団長に就任できれば、子爵位が授与される。それが、剣術の才能に恵まれなかった異母兄弟としては面白くなかったのだろう。同じ血が半分でも流れているとは思いたくない程の器の小さい奴らだ。
私に爵位を譲った後、当時王国騎士団団長をしていた父は、第二婦人と異母兄弟を州領に戻した。父の耳にも入っていたようだ。二人は王都に残る事を希望したが、頑としてそれを許さなかった。
クラウスが30歳になった時、父はクラウスを王国騎士団団長に指名し、州領に戻って行った。
あの時、まだ早過ぎるなど意見する者も多かったが、宮廷魔術師団団長のエルンストが30歳で就任したという前例があったのが幸いした。勿論、クラウスも十分な実力は持ち合わせていた。団長就任後、周りの雑音は、実力で黙らせた。
クラウスが王国騎士団団長に就任してからは、異母兄弟はすっかり大人しくなった。子爵とはいえ、立派な貴族当主。不敬罪を下せる立場になったクラウスから、報復されるのを恐れているのだろう。
お互いが、それぞれの職務で多忙になり、ゆっくりと話す機会が少なくなった。そんな折、ユランの肉を食べながら、とはいえ、久し振りにクラウスとゆっくりと、色々な事を話す機会が得られた。
つい、裏表のないクラウスとの会話が楽しくて、夢中になってしまった。
最後に問題が発生したが、非常に有意義な時間を過ごせた。終わり良ければ総て良しだ。
ルウィージェスからユランの肉を分けてもらった後、宰相オルトールド・フォン・シューバート侯爵は、ユランの件も含め、スタンピード時の魔物の素材の売買などで、多忙な日々を過ごしていた。いや、多忙を極めていた、と言おう。
『保管庫魔石』で時間経過のない状態で保管されているとはいえ、ユランの肉の事が気になってはいたが、休日返上しても終わらない作業に、それどころではなかった。
もとより、王国が所有する貴重な魔法素材の正確な量を、どこにも教えるつもりはない。
テューゲンリン王国と歴史的に同盟国として付き合いがあるなど、他国と同列で扱う事の出来ない理由がある一部の国々を除き、直接売買する気もない。
特別扱いする理由のない国々や組織からの申し出は、片っ端から直接売買しない旨の連絡をしている。
そもそもこの事態の元凶は、世界をまたぐ独立した大組織、冒険者ギルドと商業ギルドの内部から瞬く間にスタンピード時の『魔法素材』の情報が惑星全体へと広まり、仲介手数料や取引手数料を回避する為と思われる理由より、王国への直接申し込みが殺到したからだ。
どこからか入手した魔法素材の情報を漏らした冒険者ギルドと商業ギルドの職員たちには苛立ちを覚えるが、ここまでの状況になったのは、さすが『魔法素材』という他に言葉が見つからない。
余りの申し込み量に、貿易省から何度も直訴された。
本当に、申し込みの量が半端ない。しかも何度も断っているのに、担当部署や担当者の名前を変えるなどして、あの手この手で何度も申し込んでくる国や組織も複数あり、何度も無視してやろうかと思ったが、宰相としての立場がそれを許さない。仕方ないとはいえ、それらを裁くだけでも大変な量になっていた。
今回のスタンピードは魔素過多中毒を起こせる上位の魔物が中心だったのも、忙しさに拍車をかけていた。しかもその多くが、通常時でも討伐が難しいマウンテン・ネイルベアとキャニオン・タイガーだ。その魔法素材だから、申し込んできた直接売買を断れない国々とやり取りした全ての値段が超高額。何度も確認する必要があり、とても神経を消耗する売買となっていた。
正直、この忙殺される日々は、50歳を目前にしたこの身には、かなり辛い。
そんな時、商業ギルドから相談が入った。
王国から直接売買をしないと断りの手紙を受け取った国や貴族、商会や商人などから、商業ギルドにマウンテン・ネイルベアとキャニオン・タイガーの素材など、平常時ですら手に入らない素材を「何としてでも手に入れろ」と苦情と申し込み殺到し、その数に流石の商業ギルドも音を上げ、王国に助けを求めてきたのだ。
自業自得だと思うが、どうやって全ての売買を王国主導で行うか考えていたオルトールドにとって、タイミング的にも嬉しい誤算だった。吉報と言って良い。
商業ギルドとの話合いの結果、冒険者ギルドも巻き込んで、マウンテン・ネイルベアを始めとした熊種十数匹分、キャニオン・タイガーを始めとした大型猫種十数匹分及び、それ以下の狼種や狐種の魔法素材を多めに、王国主催・冒険者ギルドと商業ギルド共催で競売にかける事になった。
一応売買方法が決まり、この件については落ち着いたとはいえ、一言で競売を開催すると言っても、予想される人数を収容できる場所の確保、来場予定の者たちの宿泊先の確保や警備など、問題も盛り沢山だ。
今回は上位の魔物が多かった為、素材だけでなく、集まった魔石の数も相当数になり、その一部を競売にかける事にしたのは良いが、素材と異なり魔石は小さい為、より厳重な警備が必要となる。これも、頭の痛い問題だった。
古い魔素問題がある以上、今後も、今回のような大規模スタンピードが起こる可能性は大いにある。今回は、ルウィージェスとカリンという二柱と、『魔道神鳥』藍の結界に守られた状態で討伐戦を行えたから、騎士団からも魔術師団からも殉職者を出さずに済んだが、ルウィージェスは留学の身。いつかはこの惑星からいなくなる。
魔術師団団長のエルンストは藍から加護を頂いているから、エルンストが団長でいる間は、藍の手は借りられるかもしれない。しかし、エルンストが定年退職した後、また加護を頂く者が現れる事は期待できない。加護を頂く事自体が奇跡なのだから。
弟のクラウスたちは、今回の魔法素材は100年の間で使い切ると考えたようだが、エムラカディア創造神に相談し、魔法素材で作成した武器や防具を、ルウィージェスの『保管庫魔石』による保管庫で1000年間保管出来るようにしてもらった。同時に、『魔法素材』を加工する専用の針とハサミを、アダマンタインで複数作ってもらった。
保管庫の年数も、1000年後もまだ魔法素材製武器や防具が残っていた場合は、創造神が神術で時間経過無しの機能を持つ『聖石』を作ってくれるという確約も得られた。
古い魔素問題はテューゲンリン王国だけの問題ではないから、競売後も、多少は外にも放出する事もやむを得ないと考えている。しかし、時間経過無しの保管方法を持たない他国に多くを流して、貴重な魔法素材製の武器や防具の寿命を縮める事をするつもりはない。
いざという時、王国が保管していれば他国に貸し出し出来るし、恩を売る事も出来る。
オルトールドは宰相として、未来の王国の貴重な交渉手段としても、今回の魔法素材を有効活用したいと考えていた。
競売の準備と並行して行っているスタンピードの事後処理の最大の問題は、殉職したザイラント州領及びヘセン州領の各領の騎士及び魔術師の遺族らへの補償と新たな団員の補充、そして、スタンピードに巻き込まれた村や町の復興再建だ。
国からは、王国騎士団と宮廷魔術師団の各後方部隊からそれぞれ一部を復興再建の為に向かわせている。
王国騎士団の後方部隊は、大工や土木関係者や鍛冶師など、戦闘以外で高い技術を持つ者たちが所属し、宮廷魔術師団の後方部隊は、強い回復魔法を使う者や、土魔法、水魔法など、大工や土木関係者の支援魔法を得意とする者と、短期間で生育が望める食物などの栽培を教える生活再建支援の専門家で成り立っている。荒れた畑でも収穫が望める薬草などを教え、育ったら魔術師団が買取りをする、そういう支援もしている。
当然、戦闘騎士も護衛として付けてある。
また、ヘセン州領以外のザイラント州領周辺の州領領主たちへも、ザイラント州領復興再建への援助の依頼を出した。スタンピード発生直後、真っ先に駆け付けたヘセン州領も多くの騎士と魔術師を失っており、自身の領の立て直しに精一杯で、とても他領への援助に割けるだけの余力はない。
王国領土内の最北端を守るリリーエムラ公爵家からは、大量の木材の支援物資が届けられた。
リリーエムラ公爵家が治めるハインライテル州領は、テューゲンリン王国内で最大の州領であり、また、王国最大規模の森を治める州領でもある。その森は、濃い魔力で包まれ、神獣に進化できる魔獣が多く棲む。また、大量の魔力を得て真っすぐ伸びる硬く丈夫な樹木は、高級な建築用建材であり、貴族がこぞって使う木材である。しかし、豊富な魔力な土地故、頻繁に間伐を行う必要があり、この間伐木材は比較的手頃な価格で販売されている。
今回、リリーエムラ公爵家から支援物資として大量に送られたのは、その間伐木材だ。村や町の復興再建に役立っている。
ハインライテル州領から東南に馬車で10日ほど離れた場所にあるのが、シューバート侯爵家が治めるヴェッティン州領だ。ハインライテル州領の森の手前にある村からヴェッティン州領の間にある森を抜けるだけで一週間はかかる。国が定める州領境界は、森一帯までがハインライテル州領だ。とはいえ、日常生活的には州領境界は曖昧で、ヴェッティン州領の森境にある村々は、浅い森、通称『森の林』からの恵みを生活の糧にしており、リリーエムラ公爵家側も森の浅い所、『森の林』の管理はヴェッティン州領側に一任している。
ザイラント州領の村々の復興の為に、今回は、オルトールド自身が州領主を務めるヴェッティン州領からも、王国騎士団と同様に、後方部隊と護衛騎士を派遣している。指揮は二番目の弟、ヴェッティン州領の代官を務めるクロース・フォン・シューバートに一任している。実際に現場で指揮するのは三番目の弟で、内政官を務めているダリウス・フォン・シューバートだろう。
ハインライテル州領から西南に馬車で15日ほど離れた場所にあるのが、フォーゲル伯爵家が治めるヴァイマル州領だ。ハインライテル州領とヴァイマル州領の間には、ヴェッティン州領間と同様に、広く深い森が広がっている。ヴェッティン州領と同様に、森の境にある村々は、森の浅い所、通称『北の林』からの恵みを享受しており、『北の林』の管理は、ヴァイマル州領に一任されている。
今回は宮廷魔術師団団長で、ヴァイマル州領・州領主であるエルンスト・フォン・フォーゲル伯爵に、ヴァイマル州領からの支援人材を直接依頼した。早馬で連絡をくれたのは、エルンストの父で、前伯爵のデトレフ・フォン・フォーゲルだ。今は、ヴァイマル州領の代官をしている。もう御年70歳になるのに、長男と次男には代官をさせていない。三男のエルンストが今年43歳なので、10歳離れた長男は今年53歳、8歳違いの次男は51歳になっている。二人とも、内政官をしている。
オルトールドは、前々から前フォーゲル伯爵が、長男や次男に代官をさせない事を不思議に思っていた。他家への口出しは厳禁だ。それは分かっている。だが、デトレフ前伯爵は、伯爵位と宮廷魔術師団団長の座を当時30歳だったエルンストに渡している。爵位はともかくも、団長の座をこの年齢で譲るのは、本当に珍しい事だ。まぁ、エルンストの実力を見れば、不思議でもなんでもないのだが、長男と次男への扱いと比べると、その違いがオルトールドの目には異様に映って見える。
ともあれ、フォーゲル伯爵家からも後方部隊と護衛騎士などの支援人材を出してもらえる算段も付いた。
フォーゲル伯爵家は魔術師の家系だが、シューバート侯爵家と同じく、代々職業軍人の家系。フォーゲル伯爵家の騎士団も、王国内では強くて有名だ。
また、リリーエムラ公爵家、シューバート侯爵家とフォーゲル伯爵家は、他国との国境を抱えている為、『辺境の守護神』と言われている。この古参三大貴族からの支援人材の派遣は、領民を鼓舞する意味でも大きい。
他の州領からも、着々と早馬による連絡が届いている。スタンピード時に動かなかった州領の州領主たちは、過去に見ない大規模だったスタンピードの情報が届いた時に何もしなかった事を悔いているだろう。
当初は、冒険者ギルドと商業ギルドから、スタンピード時の魔法素材の件が漏れたことを怒ったオルトールドだったが、魔法素材の価値が知れ渡ってからの他の貴族たちの動きから、結果的には良い方向に転んだと、細く微笑んでいた。
早馬から届いた手紙にも、それは如実に現れている。皆、自分たちを少しでも良く見せようと、国王への心証を良くしようと必死だ。
それはもう、オルトールドを笑顔にさせる程に。但し、それは冷気を含んだ笑顔、冷笑だ。
忙殺された日々の中、ちょっと溜飲が下がる思いだ。
末弟のクラウス王国騎士団団長から現場の詳細を聞いている。クラウスも、あの時点でリリーエムラ公爵家と宮廷魔術師団と合流が出来てなかったら、帰っては来られなかったと言っていた。それ程に厳しい戦いを強いられたと聞いている。
結果としては一人も欠けずに帰って来たが、それは単に神二柱が同行してくれたからだ。エルンストからも、神鳥から加護を得られたのも大きかったと聞いている。
だが、それらは全て、あくまでも結果論だ。オルトールドは宰相として、現在の貴族たちに怒りを覚えていた。少なくとも、王都より南にある州領からなら援軍を送れた。時間的にも間に合った筈だ。結果的には、遠方過ぎて間に合わなかったり、魔物の大群に撤退を余技されたりしたが、王国からのスタンピード発生の報に反応し行動を起こしたのは、王都より北側にある州領だけだったのだ。それに対し、オルトールドは怒っていた。だから、褒章式を派手に行ったのだ。動かなかった貴族たちへの見せつけの為に。
競売開催日までは、国境警備や会場周辺の警備、競売の流れの確認や素材の保管場所、国賓・貴賓の安全確保など、確認すべき項目が多岐に渡り、それらの打ち合わせに膨大な時間を費やす事になったが、無事に競売開催まで漕ぎ着けた。
競売開催中は、競売会場の保管庫から素材を盗もうとした者たちも多かったが、全て衛兵によって捕らえられ、会場が荒れる事もなく、無事に競売を終わらせることが出来た。
他国からは貴賓の参加も多く宰相としても多忙を極めたが、全て恙なく終わらせる事が出来た。
そしてこの日、全ての海外要人が無事に国境を出たという報告を王国騎士団所属の国境警備隊から受け取り、スタンピード関連の最大の山場は終わりを告げた。
オルトールドは漸く、スタンピード関連の事から解放された。残すは、復興関連の事だけだ。
翌日、オルトールドは久し振りの休日を満喫した。
それから数日後の休日、宰相オルトールド・フォン・シューバート侯爵は、近くに住む末弟クラウス・フォン・シューバート子爵家族を呼び、ユランの肉を使った家族内パーティーを開いた。
エルンスト魔術師団団長より、普通のワイバーンよりも含有魔素量が多かったと聞いていた為、料理人に、子どもと魔力保持量が少ない者向け用と、魔術師ほどではないが、それなりに魔力量の多いオルトールドとクラウスの分に分け、魔素抜きを行った上で、ユランの肉を振舞った。
ユランの肉が手に入る事はまずない。オルトールドは、屋敷で働く者へも振舞った。
ユランの肉は、あえて二口程度の大きさに切り、シンプルに塩と胡椒で焼かれ、その代わりに、複数のソースが用意されていた。
「これがユランの肉か。」
「ユランの肉って、こんなに柔らかかったのだな。」
オルトールドとクラウスは、ソースをかけずに一口食べた。
「これなら、野営の調味料でも十分に旨いな。」
クラウスは、二口目も何もかけずに食べた。
「エルンストが、ワイバーンよりも含有魔力量が多く感じたと言っていたが、多少は魔素を抜いた後だと言え、食べにくさは全く感じない。」
クラウスと同じく、オルトールドも二口目も何もかけずに食べた。
魔力を多く含む肉は、魔術師など、もともと保持魔力量が多い者には何も感じないが、保持魔力量が少ない者が食べると、少し食べにくさを感じることが多い。
お酒が飲めない者がお酒を飲むと「辛い」と感じる、あの感覚に似ている。しかしこのユランの肉は、その「辛さ」を感じずに食べられる。
お酒で言うと、アルコール度数が高いのに、カクテルだと飲みやすく感じる感覚に近い。
「これなら、戦った後なら魔素抜きなしでもいけるな。まぁ、少し酔いが回って寝つきが良くなるかもしれないが。」
クラウスは、ブルーベリーソースをかけてみた。
「しかし、もしこれが他の州領の騎士たちの所に現れ、スタンピードに便乗していたら、と考えたら、恐ろしいな。」
オルトールドは、ヨーグルトソースを選んだ。
「これが現れたのは、俺たちがルウィージェス様たちと宮廷魔術師団と合流する前夜だったらしいからな。正直、俺たちの所に現れていたら、間違いなく全滅していたよ。」
クラウスは、レムラードソースを選んだ。
「ハーブが効くソースをかけると、大きく味が変わるな。ユランの油って、ワイバーンと違って、他の味を弾かないのだな。」
「あの時は、かなり危なかったらしいな。」
オルトールドが選んだのはバルサミコ酢ソースだ。
「おー。あの場所に辿り着く前から連戦に次ぐ連戦で、全種類のポーションの残量が箱1個なかったからな。とにかく、グリーン・ウォルフなのにフォレスト・ウォルフ並みの力と速度を持っていたし。グリーン・ウォルフならこの程度で、と思っていたのに全く異なったのも、負傷者が増えた要因であるのは間違いない。」
クラウスは、子どもの頃からよく食卓に上がっていた赤ワインソースをかけた。
「昔ながらのソースも合うね~。うまい。」
オルトールドも、赤ワインソースをかけた。
「ソースが良く馴染む肉なのだな。本当にうまい。」
オルトールドはメイドに、赤ワインを二人分頼んだ。
「ユランを剥製にする時、学術員たちが騒いでいたよ。本当に肉を取り出した時の傷しかないと。」
クラウスはメイドから赤ワインを受け取り、一口飲んだ。
「エルンスト殿から聞いた話しでは、たまたま飛んでいるのを見つけたから、ついでに【土魔法:飛礫】で撃ち落としておいた、と言っていたらしい。その理由も、ユランの肉は旨いからだと。【飛礫】1発で一撃。一体、どんな威力で飛んでいったのだって感じだよな。」
「俺も、その話を聞いた時は驚いたよ。そもそも、初級魔法で亜種とはいえ、ワイバーンを撃ち落とそうという発想にはならん。」
オルトールドも受け取った赤ワインを一口飲み、クラウスの言葉に頷きながら続けた。
「この肉を頂いた時、過去にも2回程【飛礫】で撃ち落としているとアダルベルト殿が話していたしな。あれには陛下も驚きを通り越して、呆れていたよ。」
この話を聞いていなかったクラウスは、肉を取る手を止め驚く。
その後からは、いかにルウィージェスの魔法が凄かったかの話になった。
「これ、まだ話していなかったと思うが、合流した夜、ルウィージェス様が魔法で風呂を作ったのだが、あれも、本当に凄かった。男用と女用の二つ、一度に50名は入れるでかい風呂で、湯には【ヒール】を溶かし、『追湯魔石』でずっと湯が溢れるほど湧き出ていて、『清浄魔石』で常に湯がきれいな状態を維持されていた。しかも、女湯の方には【混合魔法:ベール結界】を張って、外から姿が見えないようにして、声も外に漏れないようになっていたよ。それで、初級と中級の魔法しか使ってない、と言っていたからな。」
「ハハハ。魔石が作れる事すらルウィージェス様に会うまで知らなかったのに、【ヒール】以外、聞いたこともない魔法ばかり。この惑星の住人からしたら、全て『帝級魔法』だな。」
オルトールドは、空になったグラスをメイドに渡し、赤ワイングラスを取った。クラウスも急いでグラスを空け、新しい赤ワイングラスと取り換えた。
「しかも、湯に溶かした【ヒール】は、ルウィージェス様の【ヒール】だからな。」
「ん?それは、どういう意味だ?」
オルトールドは、口に入れようとした肉を止めて聞いた。
「そうか。まだ、これは話していなかったか。」
クラウスはエルンストから聞いた、ルウィージェスの回復魔法の威力を伝えた。
「ルウィージェス様の【ヒール】は骨折を治し、【ハイヒール】は欠損四肢を復活させる?神業だな。あ、ルウィージェス様は上級神だったか。流石、魔導王様魔法としか言いようがないな。」
オルトールドも、いい感じに酔ってきているようだ。
「しかも、スタンピード時に皆に配った『回復魔石』、あれな、」
クラウスは、エルンストから聞いた『回復魔石』の効果について話した。
その話を聞いたオルトールドは、口に入れたワインを吹き出しそうになり、慌てて口を押えた為、今度は気管支に入れてしまい、激しくむせ込んでしまった。
「兄上、大丈夫か?」
背中をさすりながら聞くが、咳は止まらない。
「紙、紙…」
かろうじて聞き取れた言葉に、今度はクラウスが噴出した。
「ハハハハハ!兄上、鼻に来たか?」
クラウスはメイドを呼び、紙を数枚持って来させた。
オルトールドは紙を受け取ると、思いっきり鼻をかんだ。
「あ~、ひどい目にあった。」
涙目のオルトールドは、新しい紙で鼻をふきながら言った。
「文句は魔導王様に言ってくれ。」
ニマニマしながら言う10歳年下の末弟を睨むが、赤くなった目と鼻では威厳も迫力も皆無だ。
喉に引っかかる何かをどかすように、喉を鳴らしオルトールドが言った。
「んんん、つまり、この国の王国騎士団と宮廷魔術師団には、四肢欠損すら治し、50回以上も使える『回復魔石』が、スタンピード参加者全員分の数が存在する、という事なのだな?」
「そうだ。保管方法も魔力補充方法も、魔導王様直伝で。」
「我が国には、現在、いったいどのくらいの国宝級の物があるというのだ?」
オルトールドは、王城地下の宝物庫の近くに急遽新しく作った『保管庫魔石』付宝物庫に保管してあるスタンピード時の魔石、解体済みの魔法素材、そしてアダマンタイン製ナイフと、『魔法素材』加工用の針とハサミの数を思い出しながら聞いた。国王アギディウスとオルトールドの二人は、『魔導王様宝物庫』と呼んでいる。今後、新しく作成される魔法素材製の武器と防具なども、ここに保管する予定だ。
「さぁな。しょっちゅう無邪気に量産するから、完全把握は不可能なんじゃねぇ?」
クラウスの胸元には、見事なアベンチュリンのループタイの留め具がある。
「そういえば、それも『聖石』なんだよな?」
「おー。これはルウィージェス様が神術で作って下さったアベンチュリンの『聖石』だ。これも、本来なら国宝だよな。」
クラウスはループタイを外し、オルトールドに渡した。
「見事だろう?」
「あぁ、本当に見事だ。石もそうだが、紋章の彫りも素晴らしい。これを彫った子は孤児院の子で、ルウィージェス様が『錬金の加護』を与えた、教会の者たちが言う『奇跡の子』、だったよな?」
「あぁ。ルウィージェス様が、凄い才能を持つ子だったから加護を与えた、と言っていた。そもそも、」
クラウスはルウィージェスから聞いた、エムラカディアが神界から持ってくる『聖石』鉱石について話した。
「魔素障害は子ども達にも大きな影響を与えていたよ。実際に、エルンスト殿の長女エヴァリン嬢を見て、その深刻度を改めて思い知らされた。兄上は創造神様の眷属だから、魔素障害とは無縁だけどな。」
クラウスは残り少なくなったワインを一口飲んだ時、思い出したように続けた。
「前に、俺も無詠唱魔法が使えるようになった、と話したよな?魔力の流れの調節って、本当に凄いのな。今では、無詠唱で異なる魔法を連続して使えるようにまでなったぞ。」
「本当か?!」
「エルンスト殿ってさ、異なる魔法を同時に発動できるだろう?一体どうやっているのか、フォーゲル家秘伝の技かもしれないと思ったけど、思い切って聞いてみたのだよ。そうしたら、あっさり教えてくれたのだけど、魔力を粒にして通すように想像して、左右交互に無詠唱しているのだそうだ。だから、一見同時発動に見えるが、実際には微妙なズレがあって、発動時には、粒にした魔力を勢いよく放出するようにしているのだそうだよ。俺はまだ連射が限界だけど、もう少ししたら、一見同時に発動させているように見せられるようになると思うぞ。つか、それを『聖石』の魔力経路活性化の助けなしでやっているエルンスト殿は、やっぱり凄いよな。普通は、『聖石』の補助なしでは、あれは無理だ。」
オルトールドは、改めて『聖石』アベンチュリンの留め具を見た。
「俺も、教会に行って頼んでくるか。」
「持っておいて損はないぞ。教会にある鉱石は全て創造神様が神界から持ってきた『聖石』だ。教会の者たちは知らされていないけどな。」
「それ、お前から聞いた時は不思議に思ったが、少し考えてみれば、創造神様が教会の者たちに言わない理由がよく分かる。あそこは不特定多数が出入りする場所だ。ヘタに雑談からでも一般の者に聞かれたりしたら大変な事になる。それなら、一切秘密にしておいた方が良い。」
オルトールドは、クラウスにループタイを戻した。
「…無詠唱で連射は、あこがれるな…。」
皿に残る肉も、残すところ僅かになった。
「せっかくの肉だ。全部食べてしまおう。」
「だな。」
オルトールドとクラウスは最後の肉も食べきり、3杯目の赤ワインも全て飲み干した。
気付くと、最後まで食べていたのはオルトールドとクラウスだけだったようだ。既に他の者はデザートも食べ終わり、主人のオルトールドの閉会の言葉を待っていた。
「なんか、凄く話し込んでいたから、周りが気を使って声を掛けずにいましたよ。」
そう呆れた声で言ったのは、クラウスの妻エミリア。隣には、オルトールドの妻アイリスがいた。
「あなたは、今日の主催者なのですよ。」
アイリスも呆れ声だ。
「いや、…本当に、面目ない…。」
全く弁解の余地のないオルトールドは、素直に謝った。
オルトールドの閉会の言葉で食事会が終わり、侯爵家の従業員一同から、超高級品のユランの肉を食す機会をくれた事への感謝の言葉を受け取ったオルトールドだったが、不意に酔いを自覚し、慌てて近くにあった椅子に座った。横を見ると、クラウスも同じだったようだ。
「ユランの肉とワインの相性の良さは、凶悪だな。こんな酔いを感じたのは、この年になってからは初めてだ。」
「俺も騎士団に入って以来、かなり鍛えられた筈なのだけどな。」
オルトールドは、忙しく片づけをするメイドを呼び、水を二人分頼んだ。
「片付け中にすまない。」
オルトールドは、メイドに謝りながら水を受け取り、クラウスにも渡した。
「俺、結局デザート喰い損ねた。というか、肉しか食ってねぇー。」
「俺も、サラダすら食べずに、肉だけ食べていた。普通なら、肉の油でサラダが欲しくなるのだが、今日は、それが全くなかった。恐ろしいな、ユランの肉は。」
「ユランの肉、市場に出ないわけだ。獲ったモンが食うわな。」
オルトールドは、クラウスの言葉に頷いた。
「少なくとも、ルウィージェス様は、今回も合わせると3回、ユランを獲っている。素材は、公爵閣下がいざという時の為に保管している、と言われていたが、肉は…。」
ここまで言って、オルトールドは思い出した。
「そうか、ルウィージェス様の『保管庫魔石』以外にも、公爵閣下もアイテムボックスを持っているから、保管期間を気にしなくて良いのか。」
「普通は、長期保管する術がないから、市場に売るわけだからな。少なくとも、リリーエムラ公爵家からユランが流れてくることは、ないな。」
クラウスは苦笑しながら言った。
片付けも終わり、各自が部屋に戻る時間となった。
オルトールドとクラウスも立とうとして、失敗した。立てなかった。
「ん?俺、それ程酔っぱらってないと思うぞ?」
クラウスはもう一度立とうとしたが、やっぱり立てない。
「なぁ、俺の顔、それ程までに赤いか?」
何度試しても立てないオルトールドも、クラウスに聞いた。
「いや、普通にほんのり赤いだけだな。酔っ払いの顔色じゃ、ないぞ。」
「お前の顔も、足が立たなくなるほど、赤いわけではないが。」
それでも、二人とも立てない。
そうなると、理由は一つしか思い当たらない。
「「魔力酔い?」」
立てない理由に思い当たり、二人して慌てる。
なにせ、明日は普通に仕事があるのだ。
しかし、ユランの肉に含まれる魔素量が魔力酔いの原因だとしたら、これから消化が進むにつれ、更に酔いが回る事になる。しかも、魔力酔いの治療法はなく、気長に魔力量が通常に戻るまで待つしかない。
オルトールドは宰相として、まだまだ、スタンピード後の復興業務が残っている。クラウスも、新しいタイプのスタンピードの発見により、騎士団の団長として、部下たちの訓練カリキュラムを変えないといけない。
二人とも、そんな気長に魔素が抜けるのを待っている余裕はない。
今や完全にアルコールによる酔いは冷め、二人して青ざめる。
「……エルンスト殿に相談するか、ルウィージェス様に相談するか…。」
クラウスは、独り言のように呟いた。
「この場合は、ルウィージェス様になるだろうな。」
オルトールドも、その言葉に独り言のように答えた時、メイドが慌ててやって来た。
「旦那様、リリーエムラ公爵閣下のご令弟、ルウィージェス伯爵様と、フォーゲル伯爵様がお見えになりました。」
「……この時間にか?」
「はい。ルウィージェス伯爵様が、多分呼ばれていると思う、とおっしゃっていました。」
「……何故、分かったのだ?でも、ちょうど良かった。ここまで案内してくれ。」
メイドは一礼し、二人を迎えに行った。
オルトールドは以前ルウィージェスから聞いた、加護を与えた者は、加護を受けた者の危機などを察知する事が出来る、という言葉を完全に忘却していた。
かなり、魔力酔いが進んでいる。
メイドに案内され、エルンストとルウィージェスがやって来た。
「こんばんは。姉さまがね、助けてやれ、とぼくに言ったんだけど、シューバート侯爵家には来た事がなかったから、エルンスト団長にも一緒に来てもらったの。」
「公爵閣下に、『オルトールド宰相とクラウス団長は、明日は休みになると思うから、業務について聞いてやって欲しい』と言われたのだが、一体、何があったのです?しかも、二人して。」
「いや、その、」
オルトールドは、魔力酔いでいよいよ頭も回らなくなってきたようだ。珍しく言葉に詰まる。
「質問に答える前に、聞いても良いか?」
クラウスがルウィージェスに言った。
「どうして公爵閣下は、俺たちが助けを求めようとしている事が分かったのだろうか?」
クラウスも酔いが回り過ぎて、完全に失念しているようだ。その質問に、ルウィージェスはクスっと笑い言った。
「宰相さん、姉さまの眷属でしょう?ランが加護を与えたエルンスト団長の危機が分かるように、姉さまの眷属のオルトールドさんの危機も、姉さまには分かるんだ。宰相さんの異変を感じた時点で、神力で状況確認をしたんだと思う。」
「…あ、そう言えば、前に聞いたな。忘れていた。」
クラウスは納得し、二人に現状を説明した。
「え、それじゃ、ユランの肉を食べ過ぎてこうなったの?」
ルウィージェスは本気で驚いていた。
「魔素抜きはなさらなかったのですか?」
「一応料理人には、俺と兄用に、少し魔素抜きをした肉を用意して貰ったのだが、」
クラウスは、ちょっと歯切れ悪い返答をした。
「多少でも魔素抜きをした肉を食べて魔力酔いって、一体、どれだけの肉を食べたのです?」
完全に呆れた口調で問うのはエルンスト。
「……かなり、食べた…と思う…。」
答えたクラウスの声は、どんどん小さくなっていく。
「う~ん、食べた肉が原因なら、これから、もっと魔力が回っちゃうから…、」
そう言いながら、ルウィージェスは両手を上向きに開いた。手の平の上に光の玉が現れるとどんどん圧縮され、そして、透明な石が現れた。長さ15センチはある、エメラルドカットの、一見水晶のように見える。
「これは神術で作った、魔力を一切含まない石ね。『聖石』とはまたちょっと違うんだけど。この石に魔力を送ると、魔力がどんどん溜まっていくから、とりあえず、この石を握って魔力を送ってみて。」
オルトールドとクラウスはルウィージェスから石を受け取った。曇り一つない、透明な石だ。二人はその石を右手に握りしめ、石に魔力を送るイメージをする。その直後、ふっと軽くなる感じがした。
二人は握っていた右手を開いて石を見た。透明だった石が、うっすらと赤く染まっていた。
「その赤色がユランの魔力。あ、エルンスト団長も試してみる?」
「はい、興味あります。」
ルウィージェスは、エルンストの分の石を作り渡した。
エルンストも石に魔力を送るイメージをすると、ふっと魔力が失われた感じがした。握った右手を開くと、エルンストの石はうっすらと黄色に染まり、キラキラとしたものが混ざっていた。
「エルンスト団長はランの加護を受けているから、金色に近い黄色の魔力になっているんだ。そのキラキラしたものは、加護を受けた者だけが持つ特徴ね。宰相さんも、加護ではないけれど眷属になっているから、今は、ユランの魔素過多になっているからキラキラは見えないけれど、ユランの魔力が少なくなってきたら、宰相さんの石にもキラキラしたものが見えてくるよ。」
「この石に溜めた魔力は、どうなるのですか?」
エルンストは、石に溜まった自分の魔力を見ながら聞いた。可視化させた魔力より色が濃く見える。
「普通の魔石と同じで、魔力の貯蔵庫だと思って。エルンスト団長に、魔力欠乏を経験する日が来るかどうかは謎だけど、いざという時の魔力補給に使えるよ。ユランの魔力の方は、より強い攻撃魔法を放ちたい時に、その石から魔力を補充すれば、一時的だけど、ユランの魔力で魔法が打てるよ。」
それを聞いたオルトールドとクラウスは、慌てて石への魔力溜めを再開した。
「エルンスト団長の魔力なら他の人へ譲渡も出来るから、魔力回復用ポーションでも補いきれない程の魔力を消耗した団員にその石を握らせれば、その人の最大魔力量によっては、完全回復も期待できる筈だよ。」
「それは凄いですね。以前魔石は劣化する、と聞きましたが、この石はどのくらい持つのですか?」
「それは神術で作ったから、1000年くらいは持つよ。」
クラウスはオルトールドを見て言った。
「な、把握は不可能だろう?」
「…理解した。」
オルトールドは呆気にとられた顔をしていた。
二人の会話は理解出来なかったが、エルンストはそれ以上に石の機能の方が気になり質問を続けた。
「劣化を気にしないでいいのはありがたいですね。この石に溜めた魔力は、魔石と同じように、やはり時間経過と共に抜けてしまうのでしょうか?」
「それも心配しなくて大丈夫。その石に一旦閉じ込めた魔力は、自然には漏れていかないし、劣化もしないから、その石自体の劣化が始まるまでは大丈夫。」
「おぉ~。これは、魔術師団として継承していきたい一品ですね!」
「それじゃ、縛りを付ける?」
「縛り、ですか?」
「うん。例えば、この石に触れられるのは、この国の宮廷魔術師団団長と副団長と、団長もしくは副団長が一時的に許可した者のみとする、という感じで。」
「それは是非欲しいですね。この存在を知ったら、誰もが欲しがる物ですから。」
「それじゃ、」
ルウィージェスは、エルンストが石を持ったまま、縛りを付けた。
――――この石に触れられるのは、この国の宮廷魔術師団団長と副団長と、団長もしくは副団長が一時的に許可した者のみとする。保管場所は、宮廷魔術師団団長と副団長と、国王もしくは宰相が認めた場所。使用用途は救済時のみ。魔力の補給は宮廷魔術師団団長と副団長が認めた者のみ。
「一応、こんな感じで縛りを付けてみた。」
「これだけ縛りがあれば、そう簡単には悪用できないと思います。ありがとうございます。また、宮廷魔術師団に新しい宝が出来ました。」
「保管場所が決まったら、後日、宰相さんか王様が確認する必要があるけどね。」
「宰相殿、その時はお手数おかけいたしますが、ご足労願います。」
「承知した。」
「自分が持っている石も、王国騎士団のものとしたい。ルウィージェス様、この石にも同じように縛りを付けてもらえますか?」
「勿論。」
ルウィージェスは、クラウスが石を持ったまま、縛りを付けた。内容は、宮廷魔術師団を王国騎士団に変更しただけだ。
動じないエルンストとクラウスに半ば呆れながらも、二人のやり取りを見ていたオルトールドも、王国の国宝として、また、いざという時の魔力補充として、保管しておきたいと考えていた。
「ルウィージェス様、私が持っている石も、国宝として国で保管しておきたいのですが、縛りの条件に関しては、陛下と相談したいと思っています。後で、お願いできますか?」
「いいよ。決まったら教えて。」
「ありがとうございます。」
オルトールドはもう一度石を見た。更に色が濃くなっていた。
「この魔力がユランのものであるなら、使える者は、それ相当の魔力量がないと、魔素中毒を起こしてしまいますね。」
「そこは気を付けて欲しい。魔力量が少ない人とか魔素転換率が悪い人が使うと、ヘタしたら心臓止まっちゃうからね。」
「それは本当に魔素中毒症状ですね。」
「だな。」
クラウスも、石に溜まったユランの魔力を見ながら頷いた。
「宰相さんの石にキラキラしたものが現れたら、ユランの魔素の移動が完了した合図としようか。クラウス団長も、食べた量によって多少は前後するけど、ほぼ、同じくらいで完了すると思う。これも、本当に食べた量次第なんだけど、今晩もう少しがんばって、明日も朝からがんばれば、午前中、遅くても昼過ぎ頃には、魔素移動、完了すると思う。」
二人は頷いた。
「それから、魔素移動が完了したら、初級魔法でいいから、数発、試しに発動させてみて。最初の数発は魔力が安定しないと思う。ユランの魔力は強いからね。完全に影響が消えるまで、というか、初級魔法の発動が安定するまで、ちょっと気を付けて欲しい。あと、完全にユランの魔素が抜けても、数時間は体調の悪さが残ると思うから、明日いっぱいは安静にしててね。」
「「承知した。」」
二人は同時に頷いた。とても動作が揃っている。さすが兄弟だ。
「さて、お二方。明日、陛下と騎士団には、なんと説明しましょう?」
オルトールドとクラウスには、エルンストの顔が少しにやけているように見えた。表情筋の使い方がうまいのか、なんとなくそんな気がする程度だが。
「…普通に体調不良で良くないか?」
「騎士団の団員がそれを信じてくれるなら、そう伝えますが?」
「………」
それを言われると、何も言えない。今まで、健康優良青年クラウスが体調不良で休んだのは、若い頃に数回ほど経験した二日酔いの時くらいだ。この年齢で二日酔いが理由で休むと思われるのも癪に障る。というか、団長の沽券にかかわる。
「1日くらいなら何とかなるか。俺も、体調不良とするのが、一番無難だと思うのだが。」
「おや、宰相殿。陛下に嘘の理由を伝えるおつもりで?」
エルンストは、気のせいではなく、とても楽しんでいた。
「いやいやフォーゲル伯爵、今回ばかりは、本当の事を伝える方がまずいであろう?」
オルトールドは宰相モードで応対した。
「陛下に、ヘタに心配をかけさせるよりかは本当の事を話して、安心して頂く方が宜しいのではありませんか?」
今のエルンストは、宮廷魔術師団団長の顔ではなく、年上をからかう、年下の貴族の顔だ。こういう時、必要以上に整った顔は憎たらしく見える。
「…エルンスト、『ユランを食べ過ぎて魔素過多になりましたが、ご心配をおかけしたくないとの事で、理由を体調不良の為、休みを取らせて頂きたいと言っていました』とか、言うつもりなのであろう?」
「さすが宰相閣下。私程度の浅知恵はお見通しでございますね。」
「ったく。昔から、貴殿は口がよく回る事でも有名だったよな。」
「そうなのか?」
オルトールドより10歳年下で、エルンストより5歳年下のクラウスが興味深そうに聞いてきた。
「こいつがまだ初等部にいた時だけど、こいつを攻撃すると、倍返しどころか、10倍にも20倍にも膨らんで返ってくる、というのは、高等部でも有名だったからな。」
「私が初等部の頃から、高等部の古参侯爵家長男に舌戦で勝てる者はいない、と有名でしたよ?」
「俺、その倍返し以上云々という噂、兄貴の事かとずっと思っていたけど、エルンスト殿の事だったのか!考えたら、年齢的に、兄貴の筈ないよな。そうか、そうなのか。…ふ~ん…。」
クラウスは、いいネタを拾った、と言わんばかりの顔をしながらエルンストを見た。
クラウスの何かを企むような顔を見て、エルンストは未来の自分を守る為、ネタの種を潰しておくことにした。
「クラウス殿、貴殿のこの兄上の方が辛辣で有名でしたよ。同級生の当時王子だった陛下を泣かしたことがあるとかないとか。」
流石のクラウスもその話には驚き、ぎょっとしたような顔で兄オルトールドを見た。
「あれは陛下も、自分が悪かったとお認めになっております。」
「兄上、否定はしないのだな…。」
兄を呼ぶ呼称を『兄上』に戻したクラウスは、かなり引いていた。
エルンストの作戦は、あっさりと勝利を収めた。
「それで、どうします?明日の説明。」
今の流れでも全く調子を変えないエルンストを見て、クラウスは、自分の長兄と同類とみなし、『要注意人物』リストにエルンストの名を加えた。
因みにルウィージェスは、仲良し三人組の昔話を興味深く聞いていた。
「とりあえず、副団長のフィンに休む事を伝えて欲しいのと、スタンピード時の反省点である、熊種の攻撃を想定した防御と攻撃の組み方を再検討するよう伝えて欲しい。」
クラウスは、長兄と同類と判明したエルンストには素直に接する事を決めた。
「承知しました。」
「私の方は、一応明日の朝一番に早馬を出すが、貴殿の方が早いだろう。理由は自分で説明するから、普通に休むと伝えて欲しい。…余計な事は言わんでいいぞ。」
一応釘は刺しておくことにした。
「…承知しました。」
エルンストは、上級貴族当主らしい上品な振る舞いを見せた。
その様子を見たオルトールドは、ユランの魔素がかなり抜けて動き出してきた頭で、エルンストが王に伝える言葉を何通りか想像し、王にどう説明したらよいか、今から頭を働かせていた。
テューゲンリン王国の古参貴族、シューバート侯爵家当主とフォーゲル伯爵家当主の、静かな舌戦の火蓋が切って落とされた。
その二人を見ていたクラウスは背筋が凍る思いをし、ルウィージェスは、わくわくどきどきしながら見ていた。
今年最後のエピソード、第23話は、シューバート兄弟の話でした。
末弟クラウスが可愛くて仕方がない長兄オルトールドは、クラウスから今回のスタンピードが如何に過去の経験から外れたものであったかを詳細に聞いていました。その為、スタンピード発生の情報を各州領主に出したにも関わらず、全く動こうとすらしなかった、王都より南側に州領を持つ州領主たちに、はらわたが煮えくり返る思いでしたが、同時に、そんな中でも、クラウスが王国騎士団の団長として、リリーエムラ公爵騎士団と宮廷魔術師団と合流するまで、殉職者を出さずにしっかりと部下を支え、守り抜いた事に、オルトールドは嬉しく思うと同時に、そんな弟を誇らしく思っていました。
それとは別に、神二柱と神鳥の強力な支援があったとはいえ、過去に類を見ない成果(大量の魔法素材)にも、大変だったけれど、心躍ったのも確かだったのです。
思いがけず、超貴重なユランの肉を手に入れたオルトールドは、労いの気持ちも込めて、クラウス家族を呼んで家族内パーティーを開きました。
流石に、魔導王ルウィージェスが「あの肉美味しいから」といって、わざわざ撃ち落とした肉だけあって、クラウスと二人で夢中になって食べてしまい、ちょっと問題が発生してしまいました。
このエピソードは、書いている途中から乗りに乗りまくってしまい、書き終えた時にはA4で18頁越え。流石に、色々削って、やっぱり足して、やっぱり削って…と頑張ったけれど、16頁、文字数1万6千文字越え。これ以上は削れる所なく、ここまま掲載する事にしました。
次の第24と第25話は、エルンストの、宮廷魔術師団の団長として、同時に、フォーゲル伯爵家当主(本家当主)として、どちらの立場にも不利益が被らないように、奮闘します。
第26話では、エルンストが密かに偉業を成し遂げます。
次の第24話は、「宮廷魔術師団団長の奮闘④―結界魔石―」です。
今回は、宮廷魔術師団の団長としてではなく、伯爵家当主として奮闘します。
第一章第24話は、来年1月3日(土)20:00公開です。
第24話から、土曜日の20:00へ公開曜日を変更いたします。
来年もどうぞ、お付き合いください。よろしくお願いいたします。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
月 千颯 拝




