第18話 「閑話②:エルンストの妻と聖石」
エヴァリン嬢の悩みを解決する為にあげた『聖石』が、あんな大事に発展するとは、全く予想も想像もしなかった!
藍からの報告を聞いて、本当に焦った。藍が物凄い速度で、どこかから帰って来たと思ったら、エルンスト団長の危機だって言うんだもん。
隣で一緒に果物を食べながら藍の話を聞いた姉さまに、もう少し乙女心に気を配りなさい、と注意された。
でも、相手はエルンスト団長の奥様だよ?と言ったら、女性の装飾品に対する気持ちは、永遠に乙女です、とゲンコツ喰らった。
意味不明。理不尽。ぶーとむくれていたら、藍に「急いでよ!」と突かれた。
確かに、至急案件だから、急いで用意したけれど。
クラウス団長の方は、大丈夫だったんだろうか?
ちょっと心配になってきた。
この惑星の創造神エムラカディアは悩んでいた。
エムラカディアは、古い魔素問題の解決の一つになる事を期待して、神界から幾度となく鉱石を持ってきており、惑星に存在している神術を帯びる『聖石』は全てエムラカディアが持ってきた物なのだが、気付くとほぼ全ての『聖石』が国宝指定されてしまい、宝物庫に保管されてしまったり、教会で保管されてしまったりと、期待した通りにはならなかった。
そこで、あえてその鉱石が『聖石』であるとは知らせず、教会に併設されている孤児院の工場にその鉱石の寄付を数年前から始め、古い魔素の影響を相殺する力を持つ『聖石』を幅広く広める方法の手段として、また同時に、孤児院の子ども達の就労訓練の支援も兼ねて、鉱石『聖石』で装飾品を作らせる事にしたのだった。
しかしながら、孤児院の子どもたちが作った作品を買ってくれる裕福な者は殆どおらず、平民の多くは、装飾品を日常的に楽しむ余裕もなく、多少のお小遣いを持つ商人の子ども達が、記念日などの特別な日に買い求める程度で、やはり、エムラカディアが期待したほどにはならず、さてどうしたものか、と悩んでいた。
ところが、創造神とは異なり、直接惑星の住民の中に入っていく事が出来る魔導王ルウィージェスが、降臨したその日に教会に立ち寄り裏にある工場を見学し、加護を与えたいと思えるほどの才能を持つ子を見つけ、『錬金の加護』を与えたのだった。
これにはエムラカディアは喜色満面でルウィージェスを褒めた。
『加護持ち』の作品なら、貴族が積極的に買う。貴族が買えば、裕福な商人も買い求める。この『加護』という言葉が付くだけで、「孤児院の子どもの作品」という課題が払拭される。
エムラカディアは、ルウィージェスから『錬金の加護』を受けたマリーに期待する事にし、見守る事にした。
学校の、現在使われていない教室で、実際に魔素障害の程度を確認したエルンストたちは学校長と分かれ、【ゲート】で教会に戻って来た。
ルウィージェスは、エムラカディアが古い魔素問題の解決の一つになる事を期待して神界から『聖石』を持って来ていて、孤児院の子ども達の就労支援も兼ねて、鉱石『聖石』で装飾品を作らせている事を伝えた。ただ、何故かエムラカディアは教会の人たちに、この鉱石が『聖石』である事を伝えておらず、理由も教えてくれなかった事は話しておいた。
「これは本当に偶然なんだけれど、その工場を見学した時、凄い才能を持つ子がいてね。その子に、ぼくの『錬金の加護』を与えたんだ。その子がマリー。」
ルウィージェスは結界を解除しドアを開けた。廊下の向こうに助祭が通るのを見かけ、声を掛けた。
「遅くなってごめんね。工場まで連れて行ってもらえるかな?」
「只今、アデルバード枢機卿を呼んでまいります。少々お待ちくださいませ。」
助祭は、静かにその場を離れた。
アデルバード枢機卿の案内で、教会に併設されている工場まで来た。
教会関係者以外の上級貴族が工場まで足を運ぶ事はまずないからだろう、アデルバードは嬉しそうだ。嬉々として、クラウス、エルンストとエヴァリンに説明している。
「こちらが、リリーエムラ公爵閣下が子ども達の就労の為にと寄付して下さっている鉱石です。」
クラウス、エルンストとエヴァリンの三人は、この鉱石の正体が『聖石』である事を知っている。興味を持って覗き込む。
「箱の中には、大きさの違う、様々な種類の鉱石が入っております。子ども達は、この中から自分の考えた図案に合う石を選び、装飾品を作成しております。普段は、孤児院の前に作った露店で細々と販売しておりますが、収穫感謝祭などの祭りの時には、教会として出店しております。」
エルンストは箱の中にある石を一つ取り出し、光にかざしながらアデルバードに聞いた。
「パッと見た限りではあるが、鉱石の質もかなり良い。祭りの時に出店しているとの話だが、子ども達が求めるには高級品になりそうだが。価格とのバランスはどうしているのですか?」
アデルバードは小さな溜息をつき、悲しそうに言った。
「ここの装飾品は作成から製作まで、全て子ども達が修行の一環として行っております。ですので、販売価格は、子ども達の小遣い程度になる値段にしております。それに、ここは孤児院です。鉱石は公爵閣下からの寄付であると公言すれば、もう少し値段を上げる事が出来るかもしれません。しかし、鉱石の出所は、公爵閣下の命より公開しておりません。聞かれた場合のみ、話しております。これは、閣下より許可を頂いております故。」
「なるほど…。」
貴族当主であるエルンストとクラウスにも、アデルバードが言わんとする事が痛いほど理解できた。
貴族は、出所の不透明な物を認めない傾向がある。盗品などを下手に買ってしまうと、後々が面倒だからだ。犯罪などに巻き込まれたくない、という本音もある。
「アデルバード枢機卿、今回はマリーに、エヴァリン嬢とクラウス団長の装飾品の作成を依頼したくて来たんだ。また、お願い出来るかな?」
「勿論でございます。ありがとうございます。今、マリーは教皇の所に、完成した依頼品を届けに行っております。もう少ししたら戻って来ると思います。少々お待ち下さい。」
それを聞いたクラウスは、教皇の顔を思い出していた。
教皇カスパル・フォン・ヴェーバーはヴェーバー侯爵家出身で、現ヴェーバー侯爵当主の次男だ。上級貴族のみが集まる会では、侯爵家同士、何かと共に作業を行う事が多く、クラウスも、教皇カスパルの事は幼い頃からよく知っている。
「教皇様も、そのマリー殿に依頼されるのですか?」
「はい。マリーはいつの間にか、『錬金の加護』を神から頂戴した、奇跡の子でございます。マリーの作品は本当に素晴らしく、それに、身内の贔屓目もあるかと思いますが、生活魔法の発動が、とても良く感じるのです。その所為もあり、最近では教皇のみならず、我々枢機卿や大司教も、装飾品の作成をマリーに依頼しております。」
アデルバードの説明を聞いたクラウスとエルンストは、チラっとルウィージェスを見た。加護を与えた当人は、シレっと表情を変えずに、黙って話を聞いていた。
アデルバード枢機卿は、仕事中のクラウスとエルンストをあまり待たせるわけにはいかないと考え、マリーを呼びに行った。アデルバードの姿が見えなくなるのを確認し、ルウィージェスが小声で補足説明を始めた。
「姉さまも複数回、試しに、様々な形をマリーに頼んでいるんだけど、クズ鉱石を集めた装飾品でも、魔素問題に関係なく、魔力効率が悪く生活魔法にさせ苦慮していたメイドの魔力効率が劇的に改善したから、小さくても『聖石』の効果は期待できるよ。」
「では、魔術師団の非戦闘員の魔力効率が上がる事も期待できるわけですね?」
エルンストは、小さめな石を箱から取り出し手に取った。
「あ~そうか。錬金も、結構魔力消費するもんね。もちろん、『聖石』を身に付けて錬金すれば、魔力効率は各段と上がるよ。『聖石』そのものに、魔力回路を活性化させる働きがあるから、使用魔力量の低減効果もあるしね。」
「ならば、宮廷魔術師団としても、早急に購入手続きを進めるべきですね。ありがたいことに、予算には困っておりませんし。」
最後の言葉にはクラウスも笑った。
「王国騎士団の中にも、魔力効率の悪い奴が複数人いるから、そいつらに持たせてみるのもありだな。うちも、かなり予算的に余裕あるしな。」
エルンストも「ありがたいことです」と言いながら笑った。
アデルバード枢機卿と共に、マリーが戻って来た。
エヴァリンとクラウスはマリーに鉱石『聖石』を見せ、希望の装飾品の形をマリーに伝えた。
マリーの作業場は長い机の半分しかない。場所が足りないと見え、机の横に小さなサイドテーブルを置いて、その上に、複数の紙が裏返して置いてある。よく見ると、全ての紙に模様が描かれている。これらは全て、マリーが受けた依頼のようだ。
マリーは自分の席に座ると、ルウィージェスの時と同じように、紙に複数の素案を描き、エヴァリンとクラウスに、希望を聞きながら手直ししていく。
そして、粗方の形が決まったところで、図案を描き始めた。
「おー、すごいな。これは兄上に自慢できる。」
「なんて、素敵な図柄でしょう!」
「ほー、これはまた、かわいらしい。」
三人は、マリーの作業を感心しながら見ていた。
「アデルバード枢機卿、この間と同じく、見積書と請求書を姉さまの所にお願いします。」
ルウィージェスがそう言うと、
「いや、娘の分は私に送ってください。」
「自分も、自分の分は自分で払う。」
それを聞いたルウィージェスは驚き、振り向いた。
「え?でも、これ、ぼくが勝手に決めた事だよ?」
「娘を救って下さった方に、これ以上は甘える事は出来ませんよ。それに、これで娘の努力が実るのです。親として応援したいですからね。」
「自分も、これで色々と試したい事がありますからね。」
二人とも、早く確認でき、支払いもすぐに出来るからという理由で、見積書と請求書の送り先を、それぞれの勤務先とした。
「それから、」
クラウスがアデルバード枢機卿に言った。
「ちょっと王国騎士団と宮廷魔術師団からも、この鉱石を使った装飾品を頼みたいと思っています。数はこれから確認する必要があるので、今ここで依頼することは出来ませんが。」
「クラウス団長、それはマリーへの依頼、という事でしょうか?」
「いや、この鉱石を使った装飾品の依頼だから、マリー殿でなくても問題ない。」
「数が決まりましたら、それぞれから注文したいと思います。宮廷魔術師団の方は、副団長ザビーネの方から連絡する事になると思います。」
「王国騎士団の方は、副団長か若い騎士か、まだ決めていませんが、近いうちに依頼書を持ってまいります。」
「はい、承ります。ありがとうございます。子ども達も、喜ぶと思います。」
国の直下組織である王国騎士団と宮廷魔術師団からの注文に、アデルバード枢機卿は、心からの感謝をした。
それから二週間後、マリーとアデルバード枢機卿が、王国騎士団と宮廷魔術師団の棟を訪ねてきた。
出来上がった物を見て、クラウスとエルンストは驚き、喜んだ。
それは、工場で見て確認した図案通りに作られた物だった。
その夜、エルンストはマリーが作った装飾品、髪飾りを持って帰り、夕食後、食堂で食後の紅茶を飲んでいた時、おもむろに懐から小箱を出した。
「今日、マリー殿とアデルバード枢機卿が持って来て下さった。あの時のが出来たそうだ。開けてごらん。」
そう言うと、エヴァリン付のメイドに小箱を渡した。エヴァリンは、メイドから小箱を受け取り、そっと開けた。
「うわぁ。あの時の図案と全く同じですわ。それに、配色もとても素敵です。お父様、ありがとうございます。」
エヴァリンはメイドに、髪飾りを付けてもらった。
「うん、とても似合っているよ。これなら、普通の装飾品にしか見えない。これで、エヴァリンも古い魔素障害を受けずに済む。」
それを見ていた妻のエリザベートも、その装飾品の出来に驚いていた。
「本当に、よく出来ていますね。加工も細かく、細部にまで行き届いています。とても素敵です。これが、以前教会裏の工場で製作の依頼をしたという品なのですね。」
「あぁ。真ん中にある大きなラピスラズリが、ルウィージェス様が神術で作って下さった『聖石』だ。」
今まで、リリーエムラ公爵家の事は黙っていたエルンストだったが、娘が知ってしまった為、教会から戻った夜に、妻と長男エルクにも話すことに決めた。そして、古い魔素問題の事も話し、エヴァリンが受けていた魔素障害の酷さを話し、その魔素障害軽減対策として、ルウィージェスから『聖石』を貰った経緯を説明した。
二人は大きく驚きはしたが、自分の夫、父親が神鳥から加護を頂戴するという奇跡を起こしている。
身内の奇跡の方が衝撃が大き過ぎ、元々神の血族という噂があったリリーエムラ公爵家の者が神族との説明に、直ぐに納得できた。
「エヴァリン、その『聖石』を付けている感じはあるのですか?」
母エリザベートが聞いた。
「いいえ、お母様。違和感も、特に何かを感じるという事は、全くございませんの。普通に、装飾品としての重さだけですわ。」
エヴァリンは髪飾りを外し、メイドに渡した。
「お母様とお兄様も、持ってみて下さい。本当に、普通の装飾品と変わりませんから。」
エリザベートは、メイドから髪飾りを受け取った。
「確かに、特に何かを感じるという事はないのですね。でも、これを持って魔法を発動させたら、全く威力が異なったのですよね?」
「はい。教室で発動させた魔法とは思えない程の、大きな【火球】が出ましたの。本当にあの威力には驚きました。もっとも、お父様の【火球】は、私の【火球】とは、比較にならない大きさでしたが。」
エヴァリンにとって、父エルンストが見せた【火球】の大きさは、ある意味ショックだったようだ。
「旦那様、今、これを持った状態で私が【水球】を出しても、違いは分からないのですよね?」
「残念ながら。この屋敷にあった古い魔素は、私とランによって浄化されてしまっているらしいからね。」
紅茶を飲みながらエルンストはそう答えたが、ふと、ルウィージェスの言葉を思い出す。
「そう言えば、ルウィージェス様は、『聖石』には魔力回路を活性化させる働きがある、とも言っていた。魔法の威力が変化する事はないと思うが、もしかしたら、発動自体には多少の変化を感じる事が出来るかもしれない。」
「旦那様、ちょっと試してみても宜しくて?」
エルンストはエヴァリンを見た。
「エヴァリン、母上が少し使ってみても、いいか?」
「勿論ですわ。お母さま。」
エリザベートは席を立ち、少しダイニングテーブルから離れ、旧【水球】を唱えた。
「旦那様、私、今までこの大きさの【水球】を出せた事はございませんでしてよ。それに、発動も、とても速かったですわ。」
エリザベートはちょっと興奮気味に言った。
「しばらくエリザベートの魔法を見ていなかったから、大きさは分からないが、発動時間が短かったのは分かった。とても速かった。」
「父上、私も試してみたいです。」
長男のエルクが言った。
エルンストは持ち主のエヴァリンを見た。
「お兄様、勿論です。試してみて下さい。」
「ありがとう。」
エルクは、母エリザベートから髪飾りを受け取り、旧【火球】を唱えた。
「研究室で発動させる【火球】とは、全く比較にならない大きさだ。それに、母上が言われた通り、発動に時間が全くかからない。こんなに違うのですか!」
屋敷であまり魔法の練習をしないエルクは、研究室で発動させる【火球】とは威力も大きさも安定感も全く異なるのに愕然としていた。
「やはりお兄様も、学校で発動させると、威力も大きさも安定感も異なる【火球】になっていたのですね。」
それを見ていたエルンストがエルクに聞いた。
「エルクが出していた【火球】は、こんな感じの【火球】か?」
エルンストは、教室で見たエヴァリンの【火球】を再現した。
「それです。父上、まさにその【火球】です。」
「エルクも、魔素障害を受けていたのか。」
その答えに、エルンストは頭を抱えた。
エリザベートは髪飾りをエヴァリンに返し、微笑みながらエルンストを見た。
「ところで旦那様、まさか、エヴァリンだけにプレゼントするつもりでは、ございませんよね?」
エルンストは、その言葉に冷たいものが含まれているのを感知し、背に冷や汗をかいた。
そう、エルンストは、今の今まで、完全に失念していたのだ。これは、装飾品。装飾品を作った経緯から、エルンストには、これが装飾品であるという意識はなく、あくまでも、魔法の補助装置的な感覚でいたのだ。だが、装飾品なのである。
エヴァリンもあの時の流れから、この装飾品を魔道具的な感覚でいたので、父に、母にも買ってあげる事を勧める事を忘れていたのだ。エヴァリンも、背に冷や汗をかいた。
「…今、エヴァリンの髪飾りの効果を見て、貴女も持った方が良いと改めて思ったよ。今度の休みに工場まで一緒に行こう。あそこにある鉱石も、リリーエムラ公爵閣下が神界から持ってきた鉱石、『聖石』だとルウィージェス様が言っていた。効果は同じな筈だ。」
――――流石、宮廷魔術師団団長を長年務めるだけありますわね。素晴らしい危機回避術ですわ、お父様。
エヴァリンも、にっこりと笑顔で言った。
「私も、箱にある沢山の鉱石を見ましたが、とても素敵な物ばかりでしたわ。きっと、お母様が気に入る『聖石』が見つかりますわ。」
冷たい攻防戦に気付かない長男エルクが言った。
「父上、私も欲しいです。」
エルクはエヴァリンと異なり、古い魔素がない環境で魔力の訓練を行っていない。エルンストは、エルクに言った。
「エルク、勿論貴殿の分も、今度の休みの時に買いに行こう。ただ、一つ注意して欲しい事がある。」
エルクは姿勢を正した。
「さっきエルクも経験したように、『聖石』を持った状態で魔法を使うと、初級魔法であっても、あれだけの違いが出る。エルク、貴殿には石を受け取るまで、屋敷で、魔素障害を受けない状態で、魔法を発動させる練習をして欲しい。そうでないと、予想を遥かに超える威力の魔法を発動させた時に、対応が取れなくなる危険性が高い。焦ると魔力制御力が緩くなる。それが魔法を扱う上で、一番危険な事だからね。それから、」
エルンストは、エヴァリンの方を向いた。
「エヴァリンも、エルクも、『聖石』を身に付けた状態で、魔法の授業を受けてはなりません。急に威力が異なる魔法を放てば、その理由を説明しなければならなくなる。しかし、アデルバード枢機卿から、リリーエムラ公爵閣下とは、工場に寄付している鉱石の出所を公言しない条件になっていると聞いた。あくまでも聞かれた時のみ答えるという事になっていると話していた。しかもルウィージェス様曰く、教会関係者は、あの鉱石が『聖石』である事すら知らされていない。だから決して、装飾品に『聖石』が使われている事を話しても、漏らしても、知られてもいけません。約束、守れますか?」
父エルンストは宮廷魔術師団の団長。つまり、この国で一番の魔術師である。魔法の危険性について、一番熟知している父に、それを言われれば、反対する理由などどこにもない。二人とも、素直に返事した。
そして教会関係者ですら、鉱石が『聖石』である事を知らされていない事に、妻のエリザベートと長男エルクは、驚きを隠せずにいた。
「父上、約束を遵守する事を誓います。」
「私も、約束いたしますわ、旦那様。教会の方々ですら聞かされていない事には驚きましたが、『聖石』はとても貴重な物ですものね。リリーエムラ公爵閣下が秘密にするのも理解できます。」
「お父様、私も、実際に教室で経験しましたので、秘密にする重要性はとても理解しております。私も、約束を遵守する事を誓いますわ。」
三人の反応を見たエルンストは、父としてではなく、宮廷魔術師団団長の顔をして言った。
「古い魔素問題は、魔物の生態にも大きな影響を及ぼしている。それは、今回のスタンピードの時にも見られた。古い魔素の影響で、魔物が本来の生態とは異なる行動を取った為、魔素問題を知らなかった州領の騎士たちが対応できず、大きな被害を受けた。我々王国騎士団と宮廷魔術師団は、ルウィージェス様が途中で普段と異なる魔物の行動が魔素過多によるものだと気付いた為に、それ相応の対応を取る事が出来た。また、改編初級魔法も習得していたお陰で、普段以上に長い時間、数多くの魔法を放つことが出来た。同時に、ルウィージェス様、カリン様、そして『魔道神鳥』ランによる結界に守られ戦う事ができたから、我々は負傷者ゼロで帰ってくる事が出来た。」
エリザベート、エルクとエヴァリンは、古い魔素が、魔法の発動問題の原因になっているだけでなく、魔物の生態にすら影響を与えていると聞き、驚くと同時に、今回のスタンピードが、古い魔素問題の影響を受けていた事にショックを覚えた。
「学校では使用出来ないが、『聖石』を使っての魔法の訓練は、魔素の魔力転換率が悪くなっている今では、唯一、魔力効率を上げ、威力を上げ、魔法の精度を上げる事が出来る手段なのだよ。」
エヴァリンは、手の平にある髪飾りを見た。
――――魔導王様が作って下さった『聖石』が、唯一の魔素問題を破る鍵…。
エヴァリンは、髪飾りを握りしめた。
エルンストは、娘なりの覚悟なのだろうと思いながら、その様子を見ていた。
「私は、ランの加護を受けているから、古い魔素を浄化する事が出来るが、普通はそうはいかない。しかも現在は、弱くなった魔法を基本として学んでいるから、魔素障害を知らない者がいきなり『聖石』を使って魔法を使えば、間違いなく大事故につながる。魔素を浄化した場所でいきなり普通に魔法を使っても、同様に危険な状態だ。」
エルンストは一旦話を切り、皆の反応を見た。三人とも、真剣に聞いている。
「エルクとエヴァリンは、フォーゲル本家の者である以上、周りからの高い期待もあり、強い魔術師になる事が求められている。特にエルクは卒業も間近だから、その圧力も相当なものだろう。だから、余計に焦る気持ちも分かる。だが正直、古い魔素問題を抱える現在は、魔術師にとって、非常に酷な状況下にある。ある意味、努力が報われない状況下にあると言っていい。現に、エヴァリンは学校でうまく魔法が発動できなくて、創造神様の教会へ、不安を吐露しに行こうとしていたしな。だが、ルウィージェス様は、我々に『聖石』を下さった。宮廷魔術師団には、魔術指導もして下さっている。魔素障害下でも強い魔法が使えるよう、魔法陣の改編も手伝って下さっている。この意味、分かるか?」
エルンストは、エルクとエヴァリンに聞いた。
「強くなれ、でしょうか。」
エルクが答えた。
予想していた以上に簡潔な答えに、エルンストは心の中で苦笑した。一切表情には出さなかったが。
「そうだ。創造神様も魔導王ルウィージェス様も、魔素問題解決には時間がかかると言われている。その為に、魔素障害下でも我々が強い魔法を放てるよう、様々な協力をして下さっている。だから我々も、それに答える義務がある。これは、フォーゲル伯爵家としてではなく、この惑星に住む住民としてだ。そして、フォーゲル伯爵家の者としては、与えて下さった手段を有効に使って、強い魔術師になる。これが、我々に手助けをして下さる神々への御礼であり、その手段を得たフォーゲル伯爵家の義務だ。」
エルクは立ち上がり、床に片膝を立てた。これは、騎士の礼だ。
「エルク・フォン・フォーゲル、フォーゲル伯爵家の者として、その義務を果たす為、努力を惜しまぬ事を誓います。」
エヴァリンも、慌てて貴族の令嬢の礼を取り言った。
「魔導王ルウィージェス様は、私に魔素障害の影響を教えて下さり、その問題解決の為に『聖石』を下さりました。その恩に報いるため、強い魔術師になる努力を惜しまぬ事を誓います。」
エルンストは二人の覚悟を聞き、肩の力を抜いた。
それから2週間後の週末、エルンストが非番の日。フォーゲル伯爵家は家族総出で、教会の工場に来た。
対応したのは、アデルバード枢機卿だ。
この日、アデルバードは執務室で、王国騎士団と宮廷魔術師団から入った発注書と、その進捗状況をまとめていた。そこに、助祭が慌てた様子で入ってきて、その内容に驚く。フォーゲル伯爵家が一家総出で工場への案内を依頼して来たというのだ。家族で、という事は、本当に私用での訪問だ。
貴族家には代々からの御用達の店が決まっており、買い物をする時は、屋敷の方まで呼びだすのが通例だ。貴族が、いや、上級貴族が直接、御用達以外の店に来ると言うのは、ある意味、前代未聞と言って良かった。しかも、ここは店ではない。工場だ。作業場だ。
――――前回、ルウィージェス様とご一緒だった時に、なんと気さくな方なのだ、と驚いたが、ここまで気さくな方だったとは…。
フォーゲル伯爵家は、昔から宮廷魔術師団団長を幾度も輩出している、歴史ある名家だ。その歴史は、王国建国時以来からあり、三大古参貴族の一つだ。
アデルバードも伯爵家であるシュミット家の出身だ。だが、歴史が違う。威厳も影響力も王城における発言力も、全く違う。
アデルバードは急ぎ書類を仕舞い、教会まで出向いた。
アデルバードは、教会で待つフォーゲル伯爵当主とその家族に挨拶をした。
「アデルバード枢機卿、突然申し訳ないのだが、また、工場まで案内をお願いしたい。妻もマリー殿の作品、この髪飾りを大変気に入ってね。是非とも、マリー殿に妻の分をお願いしたい。それに長男も、学生生活も残すところ1年となった。これから、社交的な場への参加が増えてくるから、長男の分もお願いしたいと思っている。時間はかかっても構わない。」
アデルバード枢機卿は、夫妻に深く礼をした。
「ありがとうございます。伯爵夫人に気に入って貰えるとは、光栄の極みにございます。マリーの、今後の励みになります。」
アデルバードの案内で工場へ向かった。
その時、エルンストは藍の声が聞こえたような気がし、上空を見上げたが、藍の姿は見えなかった。
アデルバードは、エリザベートとエルクを鉱石が入っている箱まで案内した。
「こちらが、リリーエムラ公爵閣下より寄付して頂いております鉱石になります。」
エリザベートとエルクは、箱の中を覗き込んだ。
「本当に、色々な種類の鉱石があるのですね。しかも、」
エリザベートは種類も色も違う鉱石を二つ、両手の親指と人差し指で掴み、光にかざした。
「両方とも、とても、良質な鉱石ですわ。」
「はい、公爵閣下から頂く鉱石は、全てがとても良質な物なのです。私共も初めは驚きましたが、良質な石を使った方が子ども達の目を養う事が出来るし、同時に、購入者からの文句を封じる為、強いては、子ども達を守る為、と言って下さいました。」
「流石、ですわ。」
エリザベートは鉱石を戻し、箱いっぱいにある鉱石、『聖石』を見ながら言った。
エルンストは不意に藍の気配を感じ、外を見た。すると、藍が猛スピードで飛んでくるのが見えた。
「ラン!」
エルンストは藍を呼んだ。
「ぴぴぴぴぴぴぴ」
藍はエルンストの目の前でホバリングし、何かを一生懸命伝えようとしていた。
エルンストは藍の足首に何かが止まっているのに気付き、腕を伸ばし、藍を着地させた。
「これは、【風魔法:リング】か。」
【風魔法:リング】を切ると、小さく畳まれていた手紙が大きくなり、その中から袋が出てきた。エルンストには、これが【空間魔法】の応用である事が分かったが、他の面々は驚き、声を上げた。
手紙を読んだエルンストは小さく噴出した。
「旦那様?」
エリザベートが聞いた。
「ルウィージェス様が、貴女とエルクの為にラピスラズリを下さった。エヴァリンの石と同じ大きさの物をね。」
――――やはり、さっきランが近くにいたのだな。
「ラン、ありがとう。」
いつもの左肩に止まる藍の頬を撫でた。
「ぴぴ」
甘えるような鳴き声だった。
「アデルバード枢機卿、長男エルクの物は、今後の社交の場でも使用する事を前提にしているので、フォーゲル伯爵家の紋章を入れて欲しいのだが、それもお願いできますか?」
その申し出に、アデルバードは逆に驚く。紋章は大変貴重なものだ。普通は、御用達の店にしか、その紋章の図案を預けないし、頼まない。
「フォーゲル伯爵、私たちに、そのような貴重な物を?」
「構わない。リリーエムラ公爵閣下が後ろにいるのだからな。」
「ありがとうございます。その信用に恥じ入る事のない品物を提供させて頂きます。」
アデルバードは、深く礼をした。
「エリザベート、貴女の分はどうする?紋章、入れてもらうかい?」
「そうですね。私の分にも紋章はあった方が、主催者に関係なく付けることが出来ますわね。」
「アデルバード枢機卿、そういう訳だ。妻の分にも頼む。そして、」
アイテムボックスからフォーゲル伯爵家の紋章図案を取り出し、アデルバードに渡した。
「これが、当家の紋章です。」
アデルバードは、貴重な伯爵家の紋章図案をうやうやしく受け取った。
マリーがアデルバードに呼ばれて来た。
「エルンスト宮廷魔術師団団長様、お久しぶりです。」
教会の上層部の者から学んだのだろう。しっかりとお辞儀をし、立派な挨拶だった。
「マリー殿。この間は、とても素敵な娘エヴァリンの髪飾りを作ってくれてありがとう。娘も、とても気に入っていたよ。」
そう言うと、エルンストは改めてエヴァリンをマリーに紹介した。その頭には、マリーが作った髪飾りが光っていた。
「マリー、素晴らしい髪飾りをありがとう。本当に素敵。私の大切な宝物よ。」
エヴァリンはマリーに略式の挨拶をしながら言った。
「そ、そんな。勿体ないお言葉です。ありがとうございます。本当に、嬉しいです。」
マリーの顔は真っ赤だった。目の前で礼を言われる事は少ないのだろう。照れている。
アデルバードが今回の依頼内容を説明し、マリーの作業場に移動した。
以前は長いテーブルの半分だけだったが、今回は、長いテーブル1つがまるまるマリーの作業場となっていた。サイドテーブルは見当たらない。
エルンストは重なった紙の中に、騎士団と魔術師団が使う紙が混ざっている事に気付いた。
マリーの作業場が広くなった理由の一つに、自分たちの依頼もあったようだ。
先ずはエリザベートの希望を聞き、次にエルクの希望を聞いた。前回と同じように、何度も何度も素案を描き、イメージを固めていく。そして、ある程度イメージが固まると、図案を描き始めた。
「前回も拝見しましたが、本当に、見事ですわね。」
「図案って、このように作られていくのですね。初めて素案作りからの行程を見ましたわ。」
「僕も、こういうのを初めて拝見しました。これは、才能、ですね。見事だ。」
フォーゲル伯爵家にも御用達の店はあるが、屋敷に来るのは店の上層部の者であって、このような素案や図案を作成する者が貴族の屋敷に来ることはない。その為に、図案作成だけで、結構な日数がかかる事が多い。
――――素案から図案を作成する者が、直接依頼者の希望を聞く。これが本来の姿だよな。
そうエルンストも思うが、貴族の屋敷に足を運ぶ、という事自体が、一般の者たちにとっては負担なのだ。それは、エルンストは理解している。
――――悩ましいものだな。
あの時、ルウィージェスが皆をここに連れて来なければ、知ることがなかった場所だ。
――――ルウィージェス様には、ホント、感謝だな。
妻エリザベートが、図案作成から自分の意見が直接反映される事に素直に喜んでいる姿を見て、藍の頭と頬を撫でながら、ルウィージェスに感謝した。
数日後、アデルバード枢機卿から見積書が届いたが、その値段は、申し訳なくなるほどの値段だった。
エルンストは、定期的に出している教会への寄付金の額を増やす事で、バランスを取る事にした。
3週間後、屋敷までアデルバード枢機卿が届けに来た。
エリザベートが頼んだのは、シンプルな胸元のドレスの時に付けるリベリー・カラーだ。真ん中のペンダントに、ルウィージェスからのラピスラズリが使われている。その周りには、小さなクズ鉱石と、肩から胸までにかかる鎖にも、細かい鉱石がふんだんに使われている。
真ん中のペンダントは、普段はペンダントトップとしても使えるよう、脱着可能な仕様になっている。
ラピスラズリには、フォーゲル伯爵家の紋章が見事に掘られている。
「これは見事だな。王城の舞踏会ででも披露できる。」
「アデルバード枢機卿、マリーにお伝えくださいませ。本当に素敵です。私も大変気に入りました、と。また、お願いしたいですわ。」
「エリザベート伯爵夫人、我々にとって、そのお言葉は大変な誉れにございます。ありがとうございます。」
アデルバードは深々と礼をし、エルンストからお金を受け取り、帰って行った。
「あのマリーが、ルウィージェス様から加護を受けた子、なのですよね?」
「あぁ、物凄い才能を持った子がいたから、『錬金の加護』を与えた、と言っていた。」
「元々才能があった子だから、なのでしょうけれど、加護を受けるというのは、本当に凄い事なのですね。」
エリザベートは、受け取ったばかりのリベリー・カラーを見ながら言った。
「これは、王都のどの職人の作品よりも素晴らしい物ですわ。これを舞踏会に付けて行ったら、皆から誰の作品なのか、と間違いなく聞かれますわね。」
エルンストの前には、エルクの分が入った小箱がある。本来なら、受け取った時点で、その品の確認をすべきなのだが、エヴァリンの髪飾りとエリザベートのリベリー・カラーを見れば、その職人の腕が分かる。だから、あえてエルンストは、アデルバードの前で小箱を開けて確認しなかった。それに、本人が最初に箱を開けたいだろう、そういう思いもあった。
「あの子はきっと、近い将来、大きな事を成し遂げるだろうな。上級神から直接加護を賜った、それだけの価値があると認められた子だ。」
エルンストの言葉に頷きながら、メイドが入れた香り豊かな紅茶を飲んだ。
「フォーゲル伯爵家の御用達の店にも、たまには注文しないと、まずいわよね。」
「そうだな。品質よりも名誉を重んじる者が主催する会と、そうでない場所と、使い分ける必要はあるだろうな。個人的には、品質を重視したいところだがね。」
「強く同意いたしますわ。私も、これ程の作品でなければ、名誉を重んじていたと思います。マリーの作品が、凄すぎるのです。私の価値観が、完全に変わってしまいました。」
エリザベートは苦笑した。
「とても良い出会いを致しました。」
エリザベートは、ペンダントを手に取った。
「この紋章、本当に綺麗に掘ってあります。しかも、このように、」
エリザベートはペンダントを左右に揺らした。
「光の入り方で、より陰影がはっきりと浮き出るように掘られています。」
エルンストは、その言葉が気になった。
「そうなのか?」
「ええ、近くでご覧になって下さいませ。」
エリザベートからペンダントを受け取り、左右に揺らしてみた。
「おー、本当だ。ここまで計算して掘られているのか。流石、加護持ちだ。…自分の分も、いつか、頼むか…。」
エルンストも、この意匠には驚き、自分も欲しくなった。
「そうなさいませ。加護持ちが、加護持ちの作品を持つ。これは、旦那様にしか出来ない事ですからね。」
エルンストは思わず噴き出した。そう言えば、自分も加護持ちだった。
――――王国騎士団と宮廷魔術師団の発注分が終わったら、頼んでみるか。その前に、上等なラピスラズリを探す事、だな。
エルンストも、香り豊かな紅茶を飲みながら思った。
おまけ
教会でエルンストが受け取ったルウィージェスからの手紙
「ランが、伯爵夫人の機嫌を損ねないように、同じ石を渡したい、と言っていました。ぼくも、エルンスト団長の夫婦円満の為に、必須だと考えました。同じ大きさの石にしました。がんばって。 ルウィージェス」
第18話は、第17話に続く『聖石』の装飾品に関するもので、エルンストの妻の羨望とエルンストの迂闊偏です。
エルンストが、エヴァリンが受けていた魔素障害の酷さと、その対処法としてルウィージェスから貰った『聖石』を装飾品に加工依頼をしたと聞いた時、妻エリザベートは、『聖石』の装飾品は欲しかったが、『錬金の加護』を受けたとはいえ、孤児院出身の、しかも、14歳の子どもが製作しているという点で、自分の価値観と合うとは思っていませんでした。
しかし、出来上がった作品を見て、気持ちが変わりました。変わってしまいました。なので、エルンストの口から「貴女もいるか?」という言葉を期待したのだけど、全くその気配なく。
その結果、出た言葉に棘が混じってしまったわけですね。
「女心と秋の空」ということわざがある通り、女心は光芒一閃でございます。
エリザベート:『加護持ち』の素晴らし作品の現物を見て、心変わりしない女性はいませんわ。ホホホ。
第18話も、少し長めです。文字数は1万4千文字超えです。
最後までお付き合いくださいませ。
次の第19話は、「閑話③:クラウスの嫁と装飾品」です。お楽しみに♪
第一章第19話は、11月28日(金)20:00公開です.
月 千颯 拝




