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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
日も月も明けない
7/20

血のような髪が泳ぐ


「ふたりは友達? 此処は初めて?」


 クマリさんは上半身を僅かに乗り出しながら訊いてくる。離れて座っているとはいえ、目視で五歩分の距離しかない。近付こうと思えば、あっという間に距離を詰められる。

 檜と思わしき囲いに背中をくっつけながら、相手の出方を注意深く見る。

クマリさんは目を細めながら口元に笑みをはいていた。

ふと視線を落とせば温泉の中で揺らめく長い髪が見えた。優雅に泳いでいる髪は生き物のように活発だ。見る角度によっては赤み帯びた黒髪に見えたり、夕陽のように紅い髪にも見えたりしている。

本来の温泉ならばマナー違反になるのだから、どうしても違和感を覚えてしまう。

次いで視界の隅で揺れている見慣れた髪を見つける。そういえば本来ならば私も髪を括らなくてはいけない長さだったということを今更自覚した。

 自分の髪先が水面でゆらゆらと動いているのを見ながら、彼に質問された内容に答えるべく口を開く。


「ここで初めて会いました」

「旅先の出会いってヤツだね。ついでに僕ともオトモダチになってくれるかな?」


 混浴でぐいぐいと来る男性客ははたして信頼して良いのか。私は口元を引き攣らせながら返事を出す。


「それは、まだ分からないです」


 張り詰めた警戒心を前面に出しながら答える。桃さんは畏縮しているのか、ずっと下を向いていた。少し人見知りなのかもしれない。

 そんな私の様子をクマリさんは面白そうに見ていた。


「じゃあ、まずは仲良くなるために会話をしようか。


 この状況で仲良くなるのは無理があると思う。そう口に出せなかった私は押しに弱いのかもしれない。ちょっと自覚はあった。

 ただ、クマリさんの話し方には不思議な魅力がある。聞き取りやすく、耳馴染がいい。抑揚のきいた声は自然と耳を傾けてしまう。彼とお話しよう、という気分にさせられる。

 彼は屈託なく笑いかけながら、明るい口調で訊ねてきた。


「じゃあ、無難な質問から。二人は何処から来たの?」


 思いっきり個人情報を訊かれて、戸惑ってしまう。どう答えるべきかと悩んでしまい、咄嗟に口をギュッと結ぶ。


「えっと、北陸の方からです」


反対に桃さんはしどろもどろになりながら答えてしまった。嘘をついた、という割にはあまりにも困惑した様子だ。きっと、いきなり尋ねられたから正直に答えてしまったのだろう。


「ちょっ、桃さん! なんで普通に答えちゃうんですか!」


 慌ててツッコミを入れた私の言葉に桃さんは余計に焦った様子で挙動不審になる。


「え? あっ、そうか! じゃあ、南極からです!」

「絶対に、嘘だってバレるから!」

「お姉さんたち、面白いねー」


 それに、とクマリさんは言葉を続けた。


「お姉さんたちの名前も分かっちゃった。短い髪の君が桃ちゃん、セミロングの君は柊木ちゃんでしょ?」


 あっ、と声を上げてしまう。うっかり名前を呼んでしまった。そういえば温泉に入る前にも桃さんが私のこと呼んでいた気がする。

 ニコニコと得意気に笑ってみせるクマリさんから目を逸らす。何か、話題を変えなくては。


「クマリさんこそ、何処から来たんですか?」


 質問を質問で返す形になってしまったが、この場合は致し方ない。


「それを訊かれると困ってしまうなあ。うーん、どうしようかな。川からって答えておこうかな」

「……かわ?」


 かわ、とは。もしや町中をのんびり巡っている、あの川のことか。皮、ではないと思うからおそらく川だと思うが。あれかな、橋の下や川で拾われましたとかいうジョークかな。


「桃は川から流れてくるものだよ」


 そう言いながらクマリさんは視線を流す。彼は目を向けた先にはキョトンとした顔をしている桃さんがいた。

 これはもしや、口説いているのかな。それともからかっているのか。

 思わず体に力が入って、正座をしてしまう。温泉の中で居住まいを正すなんて可笑しいことだろうけど。ミーハーだと思いつつ。これはつい見てしまう。

正直クマリさんはちゃらちゃらしている印象があるが、人当たりが良い。対して桃さんは物静かで、会話はどちらかというと受け身だ。意外と馬が合うかもしれない。

 クマリさんと桃さんを交互に見ながら、固唾を呑む。


「名残惜しいけれど、僕はそろそろ行かなくちゃ」


 そう言いながらクマリさんは立ち上がる。


「またね、お二人さん。今度はもっと仲良くなれますように」


 そう言われた桃さんはペコリと会釈をした。強張った顔から察するに、なんて返事をしたら良いのか分からなかったのかもしれない。


「ふふふ、桃ちゃんも次は緊張しないでたくさん話そうね」


 クマリさんもそんな様子から察したのだろう。片目を軽く瞑ってみせてから、彼は温泉の中で遊ばせていた自身の髪を乱暴に手繰り寄せた時だった。

 勢いよく引いたのか、魚が跳ねるように髪が飛び出てきた。

 音もなく、頬に何かが掛けられる。触ってみたが、濡れた肌しか分からない。多分クマリさんが髪を引き上げた拍子に水滴が掛かったのだろう。


「ああ、ごめんね。水がかかっちゃった」


 長い髪を腕に巻き付かせながら彼は綺麗に微笑む。


「いえ、気にしないでください。髪が長いと大変そうですね」

「そうなんだ。ウザイし、切りたくてしょうがないけれど。でもほら髪には色々なモノが宿るからさ」

「やどる? 髪は女の命的な?」

「まあ、命でも合っているかもね?」


 悪戯っぽい笑みを残して、クマリさんは温泉から上がった。のんびりと歩いていく背中を、ただただ見送るのだった。


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