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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
日も月も明けない
6/20

不思議な青年


 綺麗に清掃された大浴場には誰もいなかった。私と桃さんはそれぞれ体と髪を洗い始める。

 シャワーが流れる音、フェイスタオルや指が肌を擦る音が交互に響く。白い泡を運んで、排水口に流れていく水を無感動に眺める。

 ゴゥと音をたてて、目が小さい金網を吸い込んでいく。透明な水も、白くて綺麗な泡も、身体から剥がれた汚れも等しく。ずっと見ている内に、なんだか自分自身も渦を巻いて吸い込まれそうな感覚に陥った。


「柊木さん」


 急に話しかけて、ビクッと肩が跳ねる。

 振り返れば洗い終わったらしい桃さんが佇んでいた。


「終わった?」

「あ、うん、終わりました」


 慌ててかけ湯をしてから立ち上がる。バスタオルを体に巻きつけてから桃さんの隣に並ぶ。


「露天風呂に行きましょう。此処の名物だから」

「へえ。楽しみですね」


 耳の奥で逆巻く水の音が止まない。それを振り払うように私は会話に専念した。


「桃さんも此処に泊まっている……?」

「んー、そんなところかな」


 露天風呂に行くための扉に手をかける。随分と重い扉だ。中が見えないように目張りされている。

 何の気はなしに思いっきり開けてから、扉の向こうに広がっていた状況に悲鳴をあげそうになった。


「なにこれ!?」


 ――何故か露天風呂に男がいた。

 横顔しか見えないが、年齢は同い年くらいに見える。まず視線を奪われるのはパーマがかった赤黒い髪、次に暗い色の瞳だろう。

長い髪を括らずに湯船で遊ばせている。ゆらゆらと海藻のように揺らめく髪は別の生き物のようで不気味だ。

 髪が長いから勘違いそうになるが、胸板は断崖絶壁で、しなやかな筋肉質の骨格はどう見ても男だ。どう見ても、男だ。


「あ、あの! こ、こは女性風呂ですよ!」


 思い切ってそう声をかければ湯船に浸かっていた男性は緩慢な動作で此方を見た。彼はとても落ち着いた様子で私達を見た。幼い面影を残しているのに、終わりを迎えようとしている老人のような静かさもある。少年と言うべきか、青年と言うべきか。不思議な容貌だ。

 顔にぺったりと貼りついた髪を振り払うことなく、彼はにっこりと微笑む。


「えー、知らなかったの? 此処の露天風呂は混浴なんですよ」


 なんとはなしに視線を巡らせれば露天風呂の脇に立札があった。少年の言う通り、混浴に関する注意事項が書いてある。バスタオルをつけたまま入浴していい、というのはこのためだったのか。


「本当だ、混浴大丈夫だって」


 そういえば女将が名物うんぬんかんぬんと言っていたような。星来さんが抱き着いて、耳半分で聞いてしまっていたが。


「ああ、だから女性は体にタオルを巻いてお風呂に入っていいんですね」


 桃さんはなんてことはないように普通に返事をしていた。状況のスルースキルがすごい。あ、でもよく見たら身構えている。膝を軽く曲げて、ちょっと後ずさりしている。

 そんな様子を彼は面白そうに眺めている。

 露天風呂を囲っている木の縁に肘をついてから、ゆっくりと首を傾けた。


「そんなところにいたら寒いんじゃない? 温泉入って温まりなよ」


 促されるようにそう言われた瞬間、体の奥まで凍るような寒さを自覚した。冷え切った皮膚が、温かさが欲しいと訴えるように体を震わせる。

そっか、私は寒かったんだ。

桃さんの方に視線を向ける。彼女も寒かったのか、肉付きの薄い肩を擦っている。


「凍えたら風邪をひいてしまうよ」


 耳が痺れて、鼓膜にねっとりと馴染むような声だ。

混浴なんて抵抗ある、という気持ちのブレーキが掛かる。それを取り払うように、別に悪い事をしているわけではないからいいのではないかと誰かが囁いた気がした。


「柊木さん、寒いから温泉に入ろう」


 桃さんは早足で温泉の中に入った。

 私も後を追いかけるように足先を湯に沈ませる。痺れるような熱さの後には蕩けるような心地よさが待っていた。

 膝まで浸かってから、なるべく目の前の青年から離れた位置に腰を下ろす。疲労感と緊張が解れていく。思わず、ほうと息を吐いてしまう。

 桃さんの方を見れば、彼女もうっとりとした顔で湯に浸かっていた。

 最後に青年の方を見やる。視線が合った瞬間に彼はうっそりと口元に笑みを作る。


「初めまして、僕はクマリって言います。よろしくね」


 人懐っこい声色と笑顔で彼は、クマリさんはそう自己紹介するのだった。


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