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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
日も月も明けない
5/20

彼とよく似た女の子


 女の湯と書かれた暖簾が見えたところで、詰めていた息を吐き出す。ようやく一人になれたのだと実感する。

先程あった事は少し釈然としないが、今は疲労感が強すぎて考えたくない。

暖簾を潜り、脱衣所に入れば先客が一人いた。

 私と同じで来たばかりなのだろう。脱衣所の棚に並べられた籠を見ながら、ウロウロと歩いている。何処で着替えようか迷っているのだろうか。

 先客は眼鏡をかけた女性だ。落ち着いた雰囲気の女性にも見えるし、あどけない少女のように見える。垢抜けていないというより、透明感がある可愛らしさだ。

 でも何より関心をひいたのはその横顔だった。物思いに耽る顔立ちは誰かを思い出す。


「芙さん?」

「え?」


 思わず零れた名前に私は慌てて口を手で押さえた。

 女性はいきなり話しかけられて驚いたのか、きょとんとした表情で振り返る。外見だけ見ると似ていない。むしろ対照的な顔立ちだ。それなのに、どことなく似ていると思ってしまうのはなんでだろう。

 それよりも、だ。驚かせてしまった女性は考え込むように視線を落としてから此方を見る。謝らなくては。そう思って口を開けた瞬間だった。


「兄をご存知なのですか」

「え? え?」


 今度は此方が驚く番だ。


「私は久保寺桃です。よろしくお願いします」


 久保寺、と口の中だけで呟く。

 畏縮した様子で話す少女――桃さんは人と話すのが苦手なようだ。視線は泳いでおり、落ち着きない様子で体を揺らしている。

 芙さんとは正反対の態度だ。でもたしかに面影がある。

 思わず、まじまじと見てしまう。華奢な体形だった。私より小柄で、服装も簡素な格好をしている。

 会って間もない人に不躾に見られたからか、桃さんは僅かに身じろぐ。いけない。知り合いの妹はいえ、向こうから見たら私は他人だ。ましてや脱衣所でガン見されるなんていい気はしないだろう。

我に返った私は慌てて自己紹介をした。


「ごめんなさい! 私は柊木です。よ、よろしくお願いします」

「柊木さん……。苗字ですか?」

「ええ、まあ」


 名前は名乗りたくない私は言外に拒絶的な態度を匂わせてしまった。


「柊木さん、よろしくお願いします」


 桃さんもそれを察したのか、それ以上は追及してこなかった。


「兄に似ていなくてびっくりしたでしょう」


 静かにそう言われて、私は視線を彷徨わせる。こういう時はなんて返すべきだろうか。


「私は父に似て、兄は佐保さんに似ていますから」

「さほさん?」

「母の名前です。お母さんって呼ばれるのを嫌がるんです」


 ――変わってる家族だ。

そう言いかけたが唇を固く結んだ。事情も分からないのに口を出すのはとても失礼なことだと思う。理由が気にならないと言ったら嘘になるが、よその家庭のことは詮索すべきではないだろう。


「お母さんって呼ばれるとプレッシャーを感じるんですって」


 そんな私の様子を察した桃さんは言葉を付け加える。


「プレッシャー、ですか」

「うん、母親だから家事育児を全部こなして自分たち家族の理想でいろって言われている気がするんですって」


 でも、と桃さんは視線を一度落としてから私の方をまっすぐ見た。


「名前で呼んでいるからこそ、友人のような付き合い方になってしまうのかもしれない」

「それは……桃さんにとって良くないこと?」

「さあ、どうでしょうね。でも家族として呼んでしまって縛り付けてしまうなら……」


 中途半端に言葉を止めた桃さんは視線を彷徨わせる。口に出すのを躊躇っている印象を受けた。もしかしたら思った以上にナイーブな関係なのかもしれない。


「ごめんなさい! 根掘り葉掘り聞いてしまって。せっかくだから一緒に温泉を楽しみましょう!」

「ああ、そうですね。温泉入りましょうか」


 桃さんはそう言いながら自身の体にバスタオルを巻きつけた。その光景に私はパチパチと瞬きをする。


「バスタオル、身体に巻くんですか」

「巻いていいって書いてありますよ」


 ほら、と指差した部分を見れば温泉に関する注意書きのプレートが掛けられている。

その中には確かにバスタオルで体を巻いていいと記載している。それに髪をまとめなくてもいいらしい。髪をまとめなかったら湯船が髪だらけになりそうだが、本当にいいのだろうか。

 代わりに奇妙な注意書きを見つけた。『自分の体やタオルから出た水滴を他人に振りかけてはいけない』というものだ。

 どんな状況を想定すればいいのか迷うが、髪を洗った後に頭を振るなとか体を洗ったタオルを振り回すなということだろうか。


「柊木さん、温泉に行きましょう」


 穏やかな声に背中を押されて、大浴場に向けて足を踏み出す。少し感じた奇妙さを置き去りにして。


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