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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
日も月も明けない
20/20

迷い夢を看取る


 手を振って見送ってくれるウゲツに、柊木も手を振り返す。やがてその姿が見えなくなったところで芙の方に向き直った。


「芙さん」


 柊木が呼びかければ、芙は悟ったように頷く。緊迫した雰囲気になり、由貴も何かを察したように大きく頷いてから口を開いた。


「そうだな。アタシ、そこの二人からまだ自己紹介してもらっていない。だから存分に名乗れ!」


 柊木は虚を突かれたように目を丸くする。芙は「コイツ、何言ってんだ」と言わんばかりの顔で、由貴をまんじりと見る。


「久保寺桃です。そちらにいる芙は私の兄です」


 桃はオドオドとした様子で挨拶をする。この雰囲気に負けじと自己紹介を求める由貴は空気が読めていないが、桃は同等レベルの天然かマイペースなのかもしれない。


「あ、えっと、柊木です。よろしくお願いします」

「うん。桃に、柊木だな! よろしく! アタシは由貴だ!」


 歯を見せて朗らかに笑う彼女につられて、柊木も少し笑ってしまう。


「そういえば柊木さんと桃はいつから知り合いだったんだ?」


 芙は素直に質問する。先程は食事や話の流れで失念していたようだが、落ち着いて状況が見えたところで至った疑問のようだ。


「芙さんに連れて行ってもらった宿で会ったんです」


 柊木はそう言いながら芙の方に向き直った。目が合った彼は小さく頷いてからこう言うのだった。


「うん、あの宿へ行こう」







 彼等はあの宿があった場所に向かった。

やや蒼褪めた表情の柊木の足取りは酷く重そうだ。胸の前で手を組み、祈るように歩んでいる。自然と視線は足元に落ちて、心なしか溜息が多かった。


「着いた」


 芙の言葉に促されるように柊木は顔を上げた。見知った場所、数時間前に見た光景が其処にはある、筈だった。


「え?」


 彼女が声を上げるのも無理はない。其処には何もなかった。がらんどうとなった場所にはあるべき建物が消えている。ただ放置された空き地があるばかりだ。


「本当だ……」


 柊木は足を一歩踏み出す。そのまま宿の玄関があったと思わしき場所まで足を進める。


「クマリさん、私たちこの宿から出てきましたよね。桃さんも宿に泊まっていましたよね」


 クマリはにっこりと笑顔を貼りつけたまま、桃は口を固く閉ざして、ふたりとも何も答えない。


「クマリさん? 桃さん?」


 再び呼びかけられた桃は戸惑いがちに唇を開く。


「……そう、たしかにあの宿に泊まっていました。私は、気が付いたら外にいたんですけど」


 芙は驚いたように妹を見つめる。何かを言いかけて、口を閉ざしてしまう。代わりに柊木が口を開いて、疑問を口にする。


「外にいた?」

「目が覚めたら宿の前に佇んでいました。それに私はあの宿にいた時の記憶が曖昧で、まるで夢から醒めた直後みたいに分からなくて。宿に入ろうと思っても入れなくて。どうしようかなーって思っていたら柊木さんたちが出てきたんです」


 そこまで言って、桃は眉を顰めて顔を俯かせてしまう。尚も話を掘り下げようとした柊木の前で、芙は片手を上げて制止する。その様子をクマリは面白そうに眺めている。

 由貴は囁くように言葉を溢す。


「あの家はとっくの昔に病んでいたんだ。助けてあげられたら良かったんだけど」

「家が、病む?」


 柊木は思わず聞き返してしまう。その表現はおかしい。家は病まない。家が傷んだり壊れたりすることはあれど、物は病気にならない。生き物ではないのだから。


「本来はあんな使い方をされるべき子じゃなかった」


 悲愴に満ちた声。由貴は居なくなった家の事に対して心から憐憫を抱いているようだ。


「家をまるで生き物のように言うんだな」


 不思議そうに言う芙に対して、由貴は軽く睨みつけた。


「何を言う。家はお前たちにとっても大事な家族だ。家族を蔑ろにするのは良くない。人間が体を洗ったり綺麗にしたりするように家にもそうしてあげなきゃいけないんだ」


 そこまで言い切ると由貴は嘆息する。その面持ちは酷く苦しそうだ。


「……人間だって家族仲が悪ければ病むことだってあるだろう?」

「まあ、それは、そうだな」


 思い当たる節があるのか、芙は歯切れ悪く同意する。


「どんなにド畜生みたいな人間でも家族だから責任を取らなきゃいけない時もある。あの子はきっと、だから連れて行ったんだ。そんな必要ないのに」


 由貴の大きな瞳から涙が一筋零れ落ちる。そして悼むように頭を少し下げてから空を仰いだ。


「今度は良き人に会えるといいな」


 そう呟く由貴は遠くを見つめるばかりだった。










日も月も明けないーー終

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