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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
序章
2/20

出会い

「こんなところで何をしているんだ」


 急に話しかけられた少女は弾かれたように顔を上げた。

 瞬きをしてから辺りを見渡せば森に囲まれており、目の前には寂れた御社が一つあった。


「何をしているんだ」


 もう一度同じことを訊ねられた少女は答えられない様子で俯く。――記憶がない、と言ったらきっと可笑しな子だと思われてしまう。氏名とかなら分かるのに。苗字は柊木で、高校三年生だ。

口を噤んだまま柊木は目の前にいる青年を見る。先程声をかけてきた人物だ。年は二十歳くらいだろうか。酸いも甘いも嚙み分けた壮年の雰囲気はあるが、二十代なのは間違いない。


「此処は立ち入り禁止区域だぞ」


 詰問するような声音だ。柊木は肩を竦めてから慌てて謝罪する。


「すみませんでした」

「まあ、俺も気が付いたら此処にいたんだけど」

「は?」


 柊木は弾かれたように顔を上げてから、目の前にいる青年にジトッとした目線を送る。部外者に怒られたという理不尽さに不機嫌さを隠し切れないようだ。

 次いで彼の言葉に引っかかる違和感を覚えたのか、顔を伏せて考え込む素振りを見せた。


「え、待ってください。気が付いたら此処にいたって?」


 自分と同じ状況の人間に遭遇したことを理解した柊木は青年に詰め寄った。彼は落ち着いた様子で話し始めた。


「俺は……此処からすぐ近くの町に住んでいるんだけど、気が付いたらこの場所にいたんだ。無意識に散歩していたのかもしれないけど」


 柊木は口を少し開けたまま何も言わない。――なんだ、この人は。


「で、君は? 急に現れたみたいに其処に立ち尽くしているから正直驚いているよ」


 そう訊かれてから柊木は促されるがまま名乗った。


「私は柊木って言います。あなたは、どちらさまですか?」

久保寺芙くぼでらあざみだ。アザミは草冠に夫って書く方の芙だ。呼ぶなら下の名前で呼んでくれ」

「はあ。じゃあ、芙さん。此処は一体どこですか?」

岐坂きさか町にある山だな。たしか片巣山かたすやまと言った筈だ」


 芙の骨ばった指が宙に文字を描く。町名と山の名前の漢字を書いてくれているようだ。

 柊木はなんとなく彼の背後にある神社を見た。

 立札を見て見れば『睡慈すいじ神社』と書いてあるのがかろうじて読めた。明らかに古くなった木材には黒い滲みが出来ており、今にも倒壊しそうだ。長い間、人の手が入っていないのだろう。


「芙さんは……、よく此処に来るんですか」

「うん、まあ」


 随分と煮え切らない返事だ。芙は考え込むように口に手を当てている。それから口を開いて、こう尋ねた。


「質問を繰り返して申し訳ないけれど、柊木さんはどうして此処に?」

「それが、此処まで来た経緯よく覚えていないんです」

「覚えていない?」

「此処じゃない場所に住んでいたんですが、帰り方が分からなくて」


 ――本当にどうして此処にいるのだろう。そして私は帰り方がわからないのに、どうして嬉しいのだろう。まるでこうなることを望んでいたようにすら思う。

 知らない場所で知らない人と二人っきり。本来なら警戒して然るべきなのに、柊木はライオンの側で遊んでいるキリンやカバのように落ち着いている様子だ。

 けれどもこのまま山に住むわけにはいかない。近くの町とやらに降りなくてはいけないだろう。


「良かったら芙さんの言う近くの町、岐坂町まで案内していただけませんか」


 出会って間もない他人にそう言われた芙は些か面食らった様子で目を瞬かせる。

 この芙という人物が信頼できる人物かは今の柊木では確信を持った答えを出せないだろう。ただ、襲うつもりならとっくにそうしている筈だ。相手は成人男性、かたや柊木はごく普通の女子高生だ。武道系は体得すらしていない。暴力を振るわれたら勝ち目はないのだ。

 彼はそのことを見越しているのか、柊木とは一定の距離感を保ったまま話してくれている。


「よく知りもしない男にそんなことを言うなって。世の中は物騒なんだぞ。君は夜道出歩くタイプ? なら犯罪に巻き込まれないように今後気をつけろよ」


 芙は呆れた様子でブツブツと文句を言う。その様子に柊木は少しだけ緊張を緩めたように笑ってしまった。――悪い事をするつもりの人なら、そんなことは言わない。優しい言葉で安心させて、油断を誘うものだ。

 彼は乱暴に髪を掻き毟ってから柊木に向き直る。


「このまま山に置いて帰っても寝覚めが悪いし、ついてくればいい」

「ありがとうございます!」


 柊木は深々と頭を下げた。

 芙は深く溜息をついてから、社に向かって一度お辞儀をしてから手を合わせる。廃れた社に対してみせる敬意に、柊木は思わず凝視してしまう。

 芙の服装は良く言えば流行りの恰好とも言えるし、悪く言えば少しだけ派手なように見える。こういうと聞こえは悪いが、何処にでもいる若者の装いの範囲ではある。明るいトーンの髪も、ピアスも、さほど珍しくはない。むしろ目鼻立ちがはっきりした顔の芙にはよく似合っていた。少し気怠そうに振る舞うのも様になっている。

だからこそ、どう見ても神社に信仰心を示すタイプには見えない。バイクとか乗り回して、夜の街で浮かれ騒いでいそうだ。


「なに?」


 視線に気付いた芙は胡乱げに見やる。柊木は慌てて視線を逸らしながら言い訳をする。


「いや、信心深くなさそうなのに意外だなって」


 言い訳どころか、本音を言ってしまった事に柊木は蒼褪める。咄嗟に言葉が出て来なかったのだ。これは怒られる。山の中に置き去りにされる。


「思ったことを素直に言うタイプか? 出会ったばかりなのに失礼だな」

「ごめんなさい!」


 ポロっと漏らした言葉に少し後悔する。見かけで判断して本当にすみません、と心の中で付け加えて謝る。


「誰もいないからって不躾にしていいワケじゃないだろう」


 柊木は肩を竦める。表面だけで判断してばかりの自分の短絡さを怒られた気分だ。


「ついてきて」


 社に背を向けた芙は颯爽と歩き出した。柊木もその背中を追いかけるべく、やや駆け足気味で歩き出すのだった。


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