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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
日も月も明けない
19/20

小休憩ー『幸腹』


 芙が言った内容について質問しようと柊木が身を乗り出した時だった。


「はい、おまちどうさま!」


 目の前には頼んでいた料理が次々と運ばれて、卓上をところ狭しと埋めていく。定番ではあるが、美味しそうな卵焼き。ホカホカと湯気をたたせるチキン南蛮定食と唐揚げは表面がサクッと揚げられている。齧りつかなくても口の中でサクサクとした食感を連想させることが出来るほどに。かき揚げ蕎麦からはお出汁の上品な香りが漂って、非常に食欲がそそられた。


「ってアタシが食べられるもの、なくない!?」

「雑炊と魚の煮つけもありますよー」


 そう言いながらウゲツは桃の前にそれらを並べていった。醤油と砂糖で甘く煮つけてあるのか、醤油の香ばしさの中に甘い香りがする。雑炊は様々な料理が放つ香りに押し負けている感じはあるが、野菜や茸がふんだんに使われており体に良さそうだ。


「えっと、食べますか」


 桃は自分が頼んだ雑炊を由貴の前におそるおそる差し出した。


「いいのか」

「はい。私には魚の煮つけもありますし」

「あとお姉さんからのサービスです」


 そう言われて置かれたのは煮物だった。お出汁で煮込まれている筈なのに野菜は色鮮やかで実に綺麗だ。花の形に切られた蓮根や人参、コロッと丸く剥かれた里芋、結ばれた昆布、捩じられたような形の蒟蒻、ふっくらとカサを膨らませた椎茸、青々しく彩られた絹さや。正月のお煮しめを思わせる逸品に、由貴は目を輝かせた。


「美味しそうだな」

「タコ大根もあります。もちろんサービスです」


 ニコッと笑いながら出されたのはタコと大根の煮物だった。ブリ大根のタコバージョンといったところだろうか。生姜の良い香りが醤油に混ざって、鼻孔を擽っていく。


「はい、取り皿と箸も置いておくわね」


 人数分の小皿と箸を置きながらウゲツは嬉しそうに微笑む。


「すみません。こんなに頂いてしまって」


 申し訳なさそうに謝る芙に対して、彼女は首を横に振った。


「ううん、生きるためには食べなくてはいけないでしょ。しっかりご飯食べて、しっかり寝て、……がんばってね」


 どこか寂しそうに見つめるウゲツの視線に、芙は困ったように愛想笑いを浮かべる。

物言いたげな柊木は逡巡する素振りを見せた。やがて頭を一つ振ってから箸を手に取る。どれを取ろうか迷うように忙しなく視線を動かす。そしてふっくらと黄色い艶を帯びた卵焼きに手を伸ばした。橋で掴んだだけで崩れそうなほど柔らかい。柊木は躊躇いがちに一口だけ齧りつく。

 歯で噛む音が一つ響くと彼女は目を大きく見開く。――甘い! お母さんの卵焼きと同じ味だ!


「おいしい」


 思わず漏れた言葉を皮切りに夢中で卵焼きを一切れ食べてしまう。


「まだあるよ」


 そう言ってクマリはチキン南蛮の皿を目の前に差し出す。柊木は小皿にチキン南蛮を二切れ取ったかと思うと、あっという間にぺろりと食べてしまう。お腹は空いていなかったのに、いざ食べ始めれば胃にどんどん入っていくなんて不思議、と彼女は心の中で自分に呆れてしまう。

 パッと目についたタコ大根の皿も手に取る。タコと大根を一個ずつ取ってから頬張った。プチッと弾ける肉厚のタコには出汁が染みていて美味しい。大根はトロトロに煮込まれており、温かくてホッと心穏やかになる。


「皆で食べるご飯はうまいな!」


 ガツガツと食べる柊木の姿を由貴は嬉しそうに見つめる。そして芙に視線を移した。


「芙も飯を食え!」

「俺はそんなにお腹空いていないから皆で食べていいよ」

「食べなよ」


 由貴とクマリから食事を勧められた芙は卓上に並んだ皿を眺める。どれも美味しそうだ。胃の奥が少しだけキュウと鳴った気がする。


「アタシのオススメは断然これよ」


 ウゲツはかき揚げ蕎麦を指差した。芙は言われるがまま、蕎麦が入ったお椀を取り上げる。箸を手に取った後に、躊躇うように蕎麦を掬った。ズルズルと小さく音を立てながら、モゴモゴと口を動かす。ゴクン、という嚥下する音と同時に喉仏が上下に動く。芙は安心したような顔で少しだけ笑う。


「―うまっ」


 そう呟いた後に芙は夢中でかき揚げ蕎麦を啜った。その様子に由貴は喜色を滲ませた声を上げる。


「良かったな! 二人とも腹減ってたんだな! 良かったな! 全部食べろ!」

「……なんで泣きそうになりながら言うわけ?」


 言われてみれば、由貴の目尻には薄っすらと涙が溜まっている。人が食事をするのは当たり前のことだ。食べなければ死んでしまう。明日も生きるために食べなくてはいけない。食事とはそういうものだ。おそらく芙はそう認識しているからこそ、由貴が泣きそうになっているのが理解出来なかったのだろう。柊木も同様で少し困ったようにモゴモゴとする口を手で隠しながら何故かお礼のように会釈している。


「キジコちゃんも食べたら?」


 場の空気が何とも言えない微妙なモノへと変わったのを察したクマリはそう促した。由貴はパチパチと瞬きして、指で涙を拭ってから箸を手に取る。


「よし! アタシも食べるぞ! いただきます!」

「はい、からあげ」

「だからいらんって!!」


 由貴とクマリのやり取りを見ていた桃は小首を傾げる。


「お二人は恋人同士ですか?」

「違う! 誰がこんなヤツと付き合うか!」

「そこまでいう?」


 ショックを受けたようにクマリは顔を引き攣らせてみた。けれども口元は笑みを浮かべている。


「まあ、クマリちゃんと付き合うのは大変だからねえ。その分、大事にはしてくれそうだけど」


 フォローしているつもりなのか、ただの感想なのか。ウゲツは柱にもたれかかりながら、二人の会話に相槌をうっている。


「クマリと付き合うならアタシと付き合った方が断然お得だから!」

「えー、キジコちゃんは三秒に一回から話すからそっちの方が大変じゃないかなー」

「失礼な! 三分に一回しか喋っていない! たまに自重もする!」

「おしゃべりな自覚はあったか」


 慣れ親しんだ間柄特有の朗らかな会話に柊木は思わず声を上げて笑ってしまった。


「なんだか夫婦漫才みたい!」


 確かにテレビのお笑い番組でも見ているような息ぴったりの掛け合いだ。それを訊いた由貴は露骨に「うげっ」と小さく悲鳴を上げる。ウゲツはウゲツで、「やっぱりウゲってあだ名は吐きそうな感じでちょっといやねえ」とマイペースに別の話題を口にしている。


「皆さんはご友人なのですか?」


 いつの間にか蕎麦を食べきったらしい芙は素直な疑問を口にする。


「古い知り合いかなあ」


 クマリとウゲツは顔を見合わせながらそう言った。


「クマリは腐れ縁、ウゲツは所謂ダチというヤツだ!」


 続いて高らかに宣言したのは由貴だ。


「腐れ縁って……僕の行く先々に現れて、天災のように荒らしていくじゃないか」

「オマエが言うな! というかアタシを野分扱いするな! アタシはだなー、悪いことをしてないか確認しているだけだッ!」

「なまはげじゃん」

「悪い子はいねぇが! クエー!」


 ノリが良く、やはり息ぴったりである。久保寺兄妹は「やっぱり」という顔で大きく頷いて相槌を打っている。のわきやなまはげという単語の意味がわからなかった柊木は曖昧に笑いながら後で調べてみようと思うのだった。


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