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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
日も月も明けない
17/20

小休憩ー『食事』


 重たい引き戸を閉めてから柊木は溜息をつく。両足に鉛でもつけているかのように平時より歩みが遅かった。


「柊木さん」


 扉の前には桃が佇んでいた。彼女は気遣わしげに言葉を続ける。


「お腹空きませんか。どこか食べに行きましょうか」


 毒気がなく、悪意がない。落ち着いた話し方に柊木はやっと表情を和らげた。お腹の辺りを擦りながら柊木は嬉しそうに頷く。


「お昼御飯、ご相伴に預かってもいいかい」


 そして何故かクマリまでついてこようとしていた。


「そちらの方は?」


 桃は不思議そうにクマリを見つめる。その光景に柊木はゆっくりと瞬きをした。――やっぱり温泉を一緒に入ったのは夢だったようだ。


「ああ、挨拶が遅くなってごめんね? 僕はクマリって言います。よろしくね」

「よろしくお願いします。久保寺桃です」


 少しだけ警戒心を覗かせながら桃は深々とお辞儀をする。クマリはニコッと微笑みかけながら歩き出す。


「食べられるお店を知っているからついてきなよ」

「たべられる……?」


 まるで食べられないお店があるような言い方に柊木は首を傾げる。桃は特に疑問を感じていない様子でクマリの後ろをついていこうとしていた。


「この辺りのお店ってそんなにまずいお店多いんですか?」


 柊木は率直な疑問を二人にぶつけた。


「いや、美味しいお店が多いよ」


 クマリは足を止めることなく、そう答えた。


「じゃあ、なんで食べられるなんて言ったんですか?」

「あれー、僕そんな事言ったかな? 言葉の綾だよ。ついうっかり」


 茶目っ気のある言い方に毒気を抜かれそうになる。それ以上は何も言えずに柊木は彼の後をついていく。

 舗装されていない砂利道を三人は静かに歩いていく。昼間だというのに人通りはなかった。広い通りを挟むように立ち並ぶ家々には暗い影が落ちており、どこか生活感がない。人が暮らしているなら多少は聞こえるであろう物音すらも響いてこなかった。

 まるで模型で出来た街を歩いているようだ、と柊木は思った。現実感がなく、無機質だ。足の裏に返ってくる細かい石の感触とぶつかる音を聞きながら無人の道を進んでいく。

 ふと煮物でも煮詰めているような甘しょっぱい香りが漂ってきた。


「此処だよ」


 クマリはある店の前まで来ると躊躇う様子はなく、暖簾を潜って扉を開けた。柊木と桃も『うまいなり!』と達筆に書かれた看板を横目に店の敷居を跨ぐ。


「はいはい、いらっしゃいませえ」


 出てきたのはおっとりとした口調で話す女性だ。肉付きが良く、包容力がありそうな印象を与える。何より花のように柔らかな笑みは優しげで、柊木は少しだけホッとした様子で肩の力を抜いていた。


「ウゲ、きたよー」


 女性に向かって手を振りながら声をかけるクマリに対して、ウゲと呼ばれた女性は眉を顰める。


「その吐く時の声みたいな名前やめてくれる? ウゲツって呼んでほしいわねえ」

「今時は愛称や略称で呼ぶのが流行りなんだよ」


 女性の名はウゲツと言うらしい。クマリは顔馴染のようだ。彼は軽やかな足取りで奥にある座敷に入っていく。

 柊木と桃も後に続いた。八人くらいは座れそうな広さがある座敷だ。中央にあるテーブルを挟む形で座布団が並べられている。室内は木目調で統一されており、床材は畳だ。靴を脱いだ後、戸惑いがちに畳を踏みしめながら座布団が置かれている場所に向かう。そしてクマリと対面になる形で二人は席に着いた。

 柊木はメニュー表を開く。見れば様々な料理名が書かれており、ファミレス並みに和洋食を揃えてあって目移りしてしまう。


「酒はある?」


 クマリは人差し指と親指で輪っかを作った後に持ち上げるような動作をする。ウゲツは呆れた様子で別のメニュー表を出してきた。


「そりゃあ、用意はありますよお」

「やった。なにがあるかな」


 渡されたメニュー表を受け取りながら嬉々とするクマリを一瞥してから、柊木は隣に座っている桃の横顔に視線を移す。


「何を頼まれますか?」


 そう訊ねれば桃は考え込むように睫毛を伏せた。ややあってから桃は顔を上げて、ウゲツに向かって声を掛けた。


「そうですね。じゃあ、雑炊をください」

「モモちゃん、お腹は空いていないの?」


 クマリは覗き込むように見つめる。桃は少しだけ身を引きながら笑って答えた。


「胃が弱いからおにぎりとか雑炊とかをよく食べるんです。ラーメンとかも食べたいんですけど、調子悪い時に食べると気分が悪くなるんです」

「あ、もしかしてあのおにぎりって……」


 いざという時に食べる用に桃の非常食なのかもしれない。柊木はそう言いながらバックの中に忍ばせているおにぎりに手を伸ばす。


「あ、いえ、違います。それは食べてくださいな。ここで買った物ですし」

「来たことあるんですか」

「ここは雑貨とかも売っているので」


 柊木は驚いた表情を貼り付けたままウゲツを見やる。ウゲツは綺麗な笑みを浮かべながら厨房と思わしきスペースを指差した。


「この裏にもう一つお店があるの。雑貨とお菓子とか色々売っているから良かったら来てねえ」


 ウゲツは飲食店とコンビニ両方を経営しているようなものなのか。柊木は首を傾げながらおそるおそる質問する。


「一人でやっているんですか?」


 彼女がその質問をするのは理解できる。たしかに店内には先程からウゲツしか見かけなかったのだ。


「もちろん、あたし以外にも店員はいるわよお。今日はねえ、向こうのお店にひとり、厨にひとりいるわ」


 耳をすませば厨房から微かにトントンとまな板を叩く音がした。音と混じって、美味しそうな香りが漂ってくる。


「あなたはご注文お決まりですかあ?」


 ウゲツに催促された柊木は慌ててメニュー表を見る。持ち合わせを考えると高い物は頼めないだろう。眉を寄せながら考え込む柊木に、クマリは声をかけた。


「ヒイラギちゃん、モモちゃん、此処は僕が出すよ」

「え?」


 見透かしたようなタイミングで言われた台詞に柊木はぽかんと口を開ける。


「あ。いや、でも」

「じゃあ、かき揚げ蕎麦とー、チキン南蛮定食とー、卵焼きに、唐揚げくださーい」


 柊木はどこかぼんやりとした様子で彼等の会話を聞いていた。――正直に言えばお腹がそこまで空いていない。卵焼きも唐揚げもチキン南蛮も好きな筈なのに。

 注文を聞いていたウゲツは口角を上げて深く笑みを刻む。


「あれー、クマリちゃんはお酒飲まないのお?」


 クマリもつられて笑うように悪戯っぽい笑みを見せた。


「いただくよ。オススメの日本酒あればちょーだい」


 思った以上に気の置けない間柄というのは感じ取れる。いそいそと奥に引っ込むウゲツの背中を見送った後、柊木はなんとなしに窓の方をぼんやりと眺めるのだった。


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