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泡沫の憶で語る  作者: 鯨岡 朔
日も月も明けない
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日も月も明けない


 部屋に戻った後、私はすぐ布団で横になった。布団の重みを感じた瞬間に、一気に疲労感が襲ってくる。指一本すら動かすことが億劫だ。

 すぐに眠ってしまった私は、やがて真っ暗な中から突然現れた不思議な光景をぼんやりと眺めることになるのだった。




 現れたのは幸せそうに寄り添う男女だ。肩に掛けたバックや服のデザインが古く感じた。おばあちゃんやおじいちゃんの若い時の写真に写っていた服装っぽい。女性の顔には何処か見覚えがある気がする。

 彼等は何かに追われていたのか、山に入って、やがてある家に辿り着いた。その家の外観には既視感を覚えた。

 ――ああ、そうだ。この宿だ。

 迷い込まれた家は彼等を歓迎して住むことを許した。……許したという言い方が合っているのか分からないが、何故だかそう思った。ともかく彼等は深く感謝して、家を大切にした。

 不思議な家だった。どこから調達しているのか、常に米や肉と野菜が置かれている。赤く塗られた高級そうな器と箸が常に用意されていた。温かい布団やお風呂まで準備されている。

彼等は感謝の印として毎日家そのものにも食事を一膳分準備する。そして窓や廊下を丹寧に掃除して、家を常に綺麗していた。豪華とは言えないが、温かく優しい居場所がそこにはあった。

 脈絡なく場面が切り替わる。紙芝居でも見せられているような、もしくは映画館で他人事のようにフィルムを見せられるような切り替え方だ。

 次の場面には赤ちゃんがいた。この夫婦に子供が生まれた。色白で目が大きく、綺麗な子供。どことなく星来さんの面影がある。


『かわいい子。産まれて来てくれてありがとう。愛しているわ』


 夫婦は子供のために稼ごうと決意する。そしてこの家で商売を始める事にした。風が吹いていないのに、ギシリと屋根や壁が軋む。

 家は宿に様変わりした。宿は繁盛した。二人だけしかいなかった家には見知らぬ人が出入りするようになった。夫婦だけでは宿を管理しきれず、やがて次々と働き手が招き入れられた。客の中には乱暴に家を扱う者もいた。酔って暴れて、器を壊したり柱や壁を傷つけたりする者が現れた。夫婦は困ったように笑って、壊れた器を捨てて、傷ついた柱や壁は放置した。

 ギッ、と木が軋む音がする。遠くで風が吹く。まるで家が泣いているようだ、と感じてしまう。

 ある日、夫が宿の女性従業員と浮気しているところを見てしまった。あれほど仲が良かった夫婦は喧嘩をして、夫は件の女性と家を出てしまった。

 一人残された妻は幼い娘を抱きしめる。娘はキョトンとした表情でされるがままだ。

 娘はどんどん綺麗に成長していった。人形のように一つ一つ整ったパーツで、見惚れてしまうという事はこういうことなのだろうと思った。

ひたすら泣いていた母親はやがて娘を過剰なほど溺愛するようになる。支配的だと思うほどに生活に干渉して、娘は人形のようにそれを受け入れていた。薄々と気付いていたが、私はこの母親と娘を知っている。


『私はね、貴方のことをとても愛しているのよ。愛しているから心配しているし、こうして大切にできるのよ。貴方には幸せになってほしいの』


 普通ならば愛情に溢れた素敵な言葉だと思う。けれども他にもなにか言いたげな声音に背中が冷たくなる感覚がした。この感じはなんだろう。本当は誰を幸せにしたいのだろうか。

 娘には友達と呼べる子供がいなかった。母親が友人となるべき子供を選別した。いずれの子も娘に悪影響をもたらすと判断されて、最終的には遠ざけられる。一つでも母親が思うような行動を取れなかったら娘は静かに説教をされた。説教の痕には必ずこう言っていた。


『貴方のために言っているの。わかってくれるわね?』


 そう言って、娘から選択肢が失われていく。やがて彼女は子供じみた言動しかしなくなる。何も考えない方が楽だと言うように笑顔だけを浮かべていた。

 見慣れた姿まで成長した娘は綺麗に笑う。


『うん、わかっているわ』


 いつしか彼女はそう言って全てを受け入れるようになる。




 私は言葉に出来ない気分の悪さを感じた。結婚式に喪服で出席するような、静かにしなくてはいけない場所でいきなり笑い出すような。そんなチグハグな状態を見ているようだ。

 背中に、細い針が刺されたような違和感を覚える。


 ――視線だ。


 ゆっくりと振り返った。

 ただ、ボロボロの家が其処に在る。埃やカビで朽ちた材木。風に煽られて、ギコギコとないている扉。ささくれた畳。穴だらけの障子、ひしゃげた敷居。


 ――家が病んでいる。


 直感的にそう思った。あれだけ綺麗だったのに。あれだけ大切にされていたのに。


『細やかな幸せを与える場所は、虚栄心を飾る牢獄に成り果てた』


 そう誰かが耳元で囁きかける。


 ――それはとても悲しいことですね。

 

 私は他人事のように呟く。ただ、倒壊しかけた家をぼんやりと眺めるばかりだった。



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