第七十九話 これだから商人というものは。
持ち出した薬品を三階の素材置き場に戻してから再びガイの部屋に戻ってきた。
但し、叔父さんにはすぐに服を着替えてこいと言って追い出し、それまでは部屋の中に入れようとはしなかったが。
幸いにもロイやテスラは戻ってきていなかったのでさっさと話を纏めることにした。
まずは叔父さんにも早々にこの本に目を通してもらい、解析、研究に必要と思われる本は優先的に残してもらう。そして魔法学、魔導書の類は優先的に残すようにして、渡す時にそれを怪しまれないように薬学系は必要と思われるもの以外は全て渡し、オルレアンの研究書もバラして製本し直し、薬学部分だけあの中身の腐った瓶達と一緒に本の買取にきた王家直属の研究員に渡してしまうことにした。そうすればオルレアンの研究が薬学だったのでそういう関係の書物が多く、魔術の本が殆どないことも納得してくれるだろうということになった。そこで薬学系の本を買取として避けると総数が八百辺りになり、一応その三十冊ほどは全て目を通し、必要と思われる物はあれば魔術以外の本と入れ替える。
「ちょうどマルビスに同席して本の値段を釣り上げるように頼まれているからね。せいぜい二百年前の薬学書と一緒にあの瓶達を高値で売りつけてやるとしよう。こちらは貴重な資料を手放そうというのだからね」
のほほんとしているように見えて叔父さんもこういうところは意外にしっかりしているのかとも思ったが、多分これは研究資料を取り上げられる腹いせだろう。
まあ隣には商魂逞しいマルビスが付いているだろうから心配はしていないけど。
魔石を売らない理由作りは私がもともと叔父さんに開発をお願いしたい冷蔵庫、洗濯機、扇風機などの魔道具の材料として確保したということにした。それらの道具がどんなものかと興味津々で尋ねてきた叔父さんに説明しようとしたところ、用事が済んだのなら昼寝の邪魔だからとっとと出て行けとガイの部屋から追い出された。
全部の問題が片付いたわけではないが、とりあえずの目処はたった。
「そういえば叔父さんって魔素研究の権威だったんだよね?」
とてもそうはみえないけど。
尋ねる私に叔父さんは口許だけに笑いを浮かべて答えた。
「もと、だけどね。もう魔素は懲り懲りだ。あれは金にならないから片手間で魔術や魔道具の研究もやっていたのだが研究するのにはお金も時間もかかるからね」
懲り懲り、か。
そういえば叔父さん、奥さんを亡くした後、魔素に取り憑かれたんだっけ。
そりゃあ嫌にもなるよね。
金と、時間か。きっと奥さん相当苦労してたんだろうな。
研究というものは得てしてそういうものだ。
すぐに元手が取れるようなけ商品研究開発なら利益供与を狙ってバックアップしてくれる人も出てくるだろうが金にならないような研究はそれも難しい。しかも魔素研究となれば人のためになったとしても金儲けには厳しそうだ。
「叔父さんって長男、だよね? 家の方は大丈夫なの?」
研究馬鹿の叔父さんに跡継ぎが務まるようにはみえないけど。
「私には男爵家の跡継ぎとしての才能は皆無だからね、弟に継いでもらったよ。あの子は私よりよっぽど優秀だ。研究開発に取りかかりたくても先立つものがなくてはね。それでまずは私が塞ぎ込んでいた間に出来た借金の返済が先だと思って私が外に働きに出ることにしたんだよ。義兄さんや姉さんに迷惑をかけるわけにもいかないからね」
それで慣れない秘書か執事業に就こうとしたわけか。
結局、無理だったけど。
しかし会話の中に聞き捨てならない言葉があったぞ。
「借金ってどのくらいあるの?」
確か父様が雪だるま式に増えるから取らなかったという手段。
「確か、金貨五十枚ほどだったかな? もとは金貨三十枚ほどだったんだがあっという間に利子が膨らんだらしくてね。今はもう少し増えているかもしれないが」
まるでたいしたことのないように言っているがそれはどう考えても暴利だろう。叔父さんが塞ぎ込んでいたのは一年ほどだったはず。腐っても男爵家、しかも母様の実家なら父様がそれなりに気を配ってないわけもない。すぐに資金が枯渇するとも思えない。その優秀という弟が使い込みでもしてない限りという注釈はつくけど、まともな運営がされていれば急激に資金に困るようなことはないはずだから多分お金を借りたのは半年前かそこらのはず。
「それ、父様知っているの?」
「いや、恥ずかしくてそんなこと言えないって言っていたよ」
ケロリとなんでもないことのように言ってるけどマズイでしょ。
恥ずかしいとか言ってる場合じゃないよね、それ。
「さっさと返済しないと大変なことになるんじゃないの?」
「そうなのかい? でも借りたものは返さないといけないだろう?」
ダメだ、これは。
金貨五十枚以上って、現在の叔父さんの給料のおよそ半年分だがその半年後には更に借金が膨らんで倍に増えている可能性大だ。利息を払うだけで終わってしまうだろう。
私は叔父さんが持っていたオルレアンの本を取り上げると、いつものようにベッドの裏に隠し、寝室のドアの鍵を閉めた。本を取り上げられて不満顔の叔父さんの手首を掴むと強引に立たせて部屋の外に引っ張り出す。
「ちょっと付いてきて」
途中、帰宅したロイとテスラにすれ違ったので三階にいるマルビスのところに行ってくると告げ、ドスドスと階段を降りる。そして執務室内にある三つある机の一つに座っているマルビスとその横にいたゲイルの前まで来ると、事の次第を話し、経緯の詳細については叔父さんに詳しい話をさせる。
聞いているとやはり借金をしたのは半年ほど前のようだ。
「それは間違いなく悪徳高利貸しですね。おそらく書類を偽造されたか、二枚重ね、白紙の紙にサインさせたのでしょう。よく使われる手口ですよ」
マルビスがキッパリと断言した。
だよね、やっぱり。
話を聞いていれば私でもわかる。
「なんとかなる?」
「なりますよ。五人ほど警護の者をお貸し頂ければ今日中にも」
流石仕事が早いな、マルビス。
なんでこんな優秀な人が私のところにいるのかは未だに謎だ。
「そのような手間をかけるわけには」
「そんなことを言っていると尻の毛まで毟り取られますよ。半年で倍近くになっているじゃないですか。心配には及びません。サキアスにはウチへの借金として給料から月々少しづつ返済してもらいますので。出来ればハルト様に御一緒頂き、グラスフィート伯爵家の紋章の旗をはためかせた馬車で乗り付け、人相のわる、ではなく、できるだけ迫力のある方に御同行頂ければ殊更に早いですよ」
今、人相の悪いって言おうとしたよね?
まあいいけど。
悪徳高利貸し相手に遠慮はいらない。
「それでどうします?」
「ただ団長が王都に今戻っているからあんまりイシュカを連れ出したくないんだよね」
おそらく外出するというともれなくイシュカがついてくるだろう。
イシュカの警護対象は私であって王子ではない。
敷地内、この辺り周辺ならガイだけでも安心してくれるだろうけど過保護なイシュカが納得するはずもない。その間ガイに頼むという手もないことはないが、ガイに二人の警護はできても相手は難しい。それでなくてもガイは位の高い要人を嫌う傾向が強いし。お願いすればある程度は聞いてくれるが、あれこれ指図されるのが大嫌いだしね。実際団長や連隊長もその辺を理解し始めたのかガイに対しては命令口調は最近しなくなった。
「ではその間にその高利貸しについて少し調べておきましょう。お任せ下さい。ああいう連中には探せば後ろ暗いことの一つや二つありますからね。叩けばホコリも出るでしょう。二、三日もすれば団長か連隊長が戻って見えるんですよね?」
「一応、そういう予定だけど」
「では戻ってみえたらすぐに行きましょう。こういうことは早く片付けた方がいい」
借金などというものは背負っていても碌なことにはならない。
極力作らないことに越したことはないが、借りるにしてもちゃんと相手を選ばなければ家財一式どころか下手をすれば身分や命を担保にしかねない。身の破滅というものは思いもかけずあっさりと急激にやってくるものだ。プライドなどさっさと捨ててしまったほうがいい。悪事を働いて返そうというのはもってのほか、そういうことはその場限りは凌げたとしてもやがては己の身に災いとなって返ってくるものだ。助けてくれる人がいて、手を差し伸べてくれるなら迷わず縋った方がいい。その恩は後でしっかり返せば良いのだから。
「面倒をかけてすまない」
叔父さんはマルビスに頭を深く下げた。
「御礼はハルト様に。貴方からその話を聞き出し、気づいて私の元へ連れて来なければ判らなかったことですから。その代わりと言ってはなんですが、例の本の価格交渉では値段を釣り上げて下さいよ。私への謝礼はそれで結構です。最初にあちらが提示した価格から引き上げられたら、その価格差の三割をサキアスの取り分として借金から差し引きましょう。それはサキアスの手柄ということになりますからね」
あれ? 話がなんか違う方向に・・・
「ですから頑張って読み込んでその価値を説き、あちらが勘弁してくれと根を上げるくらい値段を釣り上げられるようにしてください」
「勿論だ、任せてくれっ」
叔父さんが満面の笑みで部屋を飛び出して行った。
あれはそれこそ死に物狂いであの本の群れを読み込み、キバってその価値を釣り上げようとするに違いない。マルビスのその手腕は見事という他ない。これなら叔父さんも興味がない分野の本だったとしても必死に理解しようと頑張ってくれることだろう。
「なかなか考えたね、マルビス」
「もともと頭は私よりもずっと良い方ですからね。おそらくヤル気さえ出して頂ければこれで借金がチャラになるくらいだと思いますよ。八百冊ともなれば価格もそれなりになります。最初の金額から三割も上げて頂ければ釣りが出るくらいでしょう。私では内容も理解できませんし、古文書の価値は把握しきれませんので相場のせいぜい一割乗せが限界です。でもサキアス様に同席して頂いて熱弁を奮って頂ければ最低でももう一割、場合によっては五割ほど引き上げられるでしょう」
それは流石にボッタクリ過ぎでは?
とはいえ叔父さんが飛び出して行ってしまったので先程ガイと叔父さんを連れて庭で確認した瓶入りの液体について報告した。オルレアンの件は叔父さんと相談した筋書き通り、薬学研究をしていたらしいということで話をしておく。
「なるほど、ではあの役に立たない瓶詰めの薬品もサキアスにせいぜい高値で売り付け、いえ、引き取ってもらうとしましょう。これは益々楽しみになりました」
本音が漏れてるよ、マルビス。
そう言ってニヤニヤと笑う顔は間違いなく凄腕商人の顔に間違いなかった。
四階のキッチンではテスラとロイが買ってきた果物でジャムを作り始めていた。
私のところに来たばかりの頃は料理などしたことがないという感じだったテスラの包丁捌きもすっかり板についている。台の上にかき氷機が置いていないということはおそらくまだ完成していなかったんだろう。どうやらかき氷はまだ少しオアズケのようだ。フィア達が帰るまでに間に合うといいけど。
とりあえず今日は作ったジャムを使って本日はオヤツにアイスクリームでも作ってみようか。
私は冷蔵庫から牛乳と卵を取り出してまずは卵白を泡立て器でかき混ぜ、角を立てる。別のボールに卵黄と牛乳、作りかけのジャムを分けて入れてもらってかき混ぜ、そこに泡立てた卵白を加える。本来口当たりのいい柔らかなアイスクリームを作るには完全に固まる前に何度かかき混ぜて空気をたくさん含ませるのがいいのだけれど、この世界にはありがたい魔法というものがあるので折角なので利用させてもらうとしよう。
ジャム作りはロイに任せてテスラに手伝ってもらうことにした。
一口タネを舐めると甘い桃に似た匂いがした。
大きなボールに水を張り、その中に作ったアイスクリームのタネを入れたボールを浮かべてテスラにそのままかき混ぜていてもらう。私が無詠唱で魔法を使えることはフィア達には秘密なので小さく呪文を唱えると、大きなボールに入った水の温度を下げていく。急激に凍らせては出来上がりが柔らかくならないのでテスラの手元を見ながら加減しつつ、ゆっくりと温度を下げていく。ボールの中のタネが少しづつもったりとしてきてテスラのかき混ぜる手に力が入り始めた。
「そろそろ完成するよ。これは溶けるのが早いからみんなを呼んできて、ロイ。三階のゲイルも一緒にね」
フィアとミゲルがかぶりつきでテスラの手もとを目を輝かせて見ている。
イシュカに人数分のガラスの器とスプーンを用意してもらい、冷気を加減しつつ、みんなが集まってくるのを待つ。最後の一人、叔父さんの姿が目に入ったところでもう少しだけ冷気を強めて固める。
「もう無理です、回せません」
「完成だよ、テスラ。ご苦労様」
ロイが人数分に取り分け、綺麗に盛り付けてくれたので、テーブルの前に座ったみんなの前に配っていく。
「早く食べないと溶けちゃうからね、どうぞ召し上がれ」
一口口に入れた途端、みんなの顔が驚きに変わり、夢中で口に運び始める。
本当に美味しいものを食べてる時って確かに無言になりがちだよね。
暑い真夏のこんな日は特に冷たいものは美味しいものだ。
この世界で初めて食べる、久しぶりのアイスクリームの味は格別だ。
「すごいです、美味しいですよこれは間違いなく売れます」
開口一番のマルビスの一声は予想範囲内だ。
「冷たくて、柔らかくて、甘くて最高」
「もうないのかっ、なあハルト、もう一回作ってくれっ」
フィアとミゲルも興奮気味だ。
期待の眼差しが向けられて私はため息をついて立ち上がる。
「テスラ、もう一度手伝ってくれる?」
「ええ、勿論」
同じ物では芸がないので今度はノーマル、ミルクアイス、但し砂糖の代わりに蜂蜜を入れた。仕上げに少しだけ刻んだ柔らかめのドライフルーツを足してみる。今度キッチン台の前にかぶりついているのはフィアとミゲルだけではなく、ガイとイシュカ以外の鈴なり状態だ。
「ちょっと、座って待っててくれない? 気が散って困るんだけど」
結構冷気の操作が繊細なのだ。
そう言われてすごすごとマルビスとゲイルを除き戻って行った。
うん、これも予想通り。商魂逞しい二人がそれくらいで引っ込むわけないよね。
「どうぞ私達のことはお気になさらず」
「空気か置き物だと思って下さい」
これだから商人ってヤツはっ!
「そんな目を爛々とさせてる置き物なんてないよっ」
全くもうっ。
テスラも乾いた笑いながら泡立て器を叩きつけるように回す。
そうして完成させたものをもう一度みんなに配る。また違った味にみんな無言でスプーンを口に運び、皿はすぐに空になった。
「ハルト、もう一回っ」
「ダメ、食べすぎるとお腹が冷えて下痢になっても知らないよ。もう牛乳もないから無理、材料切れっ」
冷蔵庫に入った牛乳を入れていたボトルを逆さにして振って見せる。
果肉や果汁を使ってジェラートというのも捨て難いが、それをやるとおそらく止まらないに違いない。ここは黙っておくが吉だ。
「入れる材料も工夫次第でバリエーション豊かな味が出せるというわけですか。実に興味深い」
「今のこの時期、間違いなく売れますよっ」
相変わらずマルビスとゲイルが興味深そうに真剣な顔つきで話しているけど、
「そうだね、売れると思う。でもこれはかなり冷気の繊細なコントロールがいるんだ。売り出すのは結構厳しいと思うけど」
凍らせるだけなら出来る人は結構いると思うけど、凍らせる一歩手前を維持するのは私もそれなりに苦労しているのだ。一歩魔力操作を間違えれば一瞬で凍ってしまう。それはそれで不味くはないが、口に入れた途端に溶けてなくなるような柔らかさは出せない。
「まずは水属性持ちであること、氷結魔法の微細な調整が得意な者ですか。私も一応水属性持ちですが、確かに凍らせるだけならまだしもハルト様のような繊細な調整は厳しいです」
「そうなるとかなり数が限られてきますね」
まだ諦めていないのか。
氷が出来るなら方法があるのだが、どちらにしても保存は無理だ。
「しかもこれは溶けるのも早いからね。保存が出来ない。売り出そうと思うならまずは冷凍庫や冷蔵庫の開発が先」
魔道具開発はまだ手掛けていない。
今までそれを出来る人材がいなかったからだ。
視線はまだ一口一口味わうように嬉しそうにアイスクリームを食べている叔父さんに集中した。そんなことにも一切気づかず幸せそうな顔は変わらずだ。
二人は深いため息をついて今年の売り出しは諦めたようだ。
「そうなるとすぐには無理ですね。仕方ない、今年は諦めて来年までに冷凍庫と冷蔵庫の開発を進めましょう。そういうわけでテスラ、ここにいる者達には口止めして、後は来年夏前に商業登録しましょう。今から提出しては発売前に登録期限が切れてしまいます。売り出す準備が整い次第ギルドに出すことにしましょう。登録準備だけ万全にしておいて下さい」
「了解」
マルビスの言葉にテスラが大きく頷いた。
おそらく魔道具開発はかなりの確率で急かされることになるだろう。ご愁傷様だ。
だが、そうすれば叔父さんが苦手なマルビス達もどうにか叔父さんを上手く扱おうと必死になってくれるだろう。それはそれで結果オーライだ。
手のかかる叔父さんもみんなで面倒見ればたいした手間ではない。
悪い人ではないのだ。
ただ、何かに熱中すると周りが見えなくなってしまうだけ。
少々一般常識が欠落しているだけ。
雰囲気を読むことが苦手なだけ。
えっ!?
誰かに似てるって?
確かに私は夢中になるとそういうところもあるが空気は一応読んでいるハズ。
多分・・・。