第七十一話 怖い物見たさというヤツです。
リッチという平均Bランクに該当する魔物はある意味実に多彩な魔物だ。
他の魔物や魔獣などはある程度持っている特性が一致していて対策も立てやすい。
だがリッチは元となった人間の特性が色濃く反映されている。
勿論、聖、光属性に弱く、知能が高い闇属性を持つ魔術にたけた魔物として分類されているという大まかな共通点は多い。しかし、生前高位な僧侶であったか、魔術師であったか、貴族、王族その他色々あるもののその職業によって得意とするものや執着しているものが違う。通常、死後即日火葬が一般的なのにも関わらず魔物化したということは自らそうなることを望んでいたと思われる。アンデッド化するということはつまり不死になるということ。生前の記憶が残っているか否かは人として生きていた時の格の違いや、執着の度合いも関係するようだが、死の直前まで執着していたものを忘れることは少ないようだ。
この洞窟内にいると思われるリッチが執着していたものは果たしてなんだろう?
イシュカとガイと一緒に周囲を警戒しながら洞窟の中をゆっくり進む。
聖水に矢尻を浸した弓での攻撃と鏡の反射を使った太陽光の攻撃はかなり効果的だったようで入口付近ではスケルトンやアンデッドが塵と化したものと思われる残骸とその錆びついた武器、装飾品、小さな魔石などが落ちていた。何かの役に立ちそうな物や換金できそうな素材などは持って帰りたいところだが、まずは全てを片付けてからの話。狭かった洞窟入口付近を抜けると通路は少しづつ広くなり、やがて広間というか所謂ゲームでいうボス部屋みたいな結構広い場所の入口まで辿り着いた。
だが、そこに入る一歩を踏み出せなかった。
ここに到着するまでの間、長くはないがそれなりの距離を歩いて来て、襲撃に遭わなかった。
全滅できたとは思ってなかった。
蠢く気配は感じられたから。
だけどその理由がここにあった。
リッチは残った戦力の全てをここに集結させていたのだ。
ちまちま攻撃を加えたところで戦力を削られるだけだと察して聖属性を纏った矢尻も、陽の光が差し込まないこの場所で待ち構えていたわけだ。
コイツ、思っていたよりも狡猾で頭がいい。
そこには百体ほどのスケルトンとアンデッドの兵隊、そしてその後方に私でも違いがをわかるほどの格の違いを持ってリッチがそこにいた。
「マズイですよ。アレはBランクなんてもんじゃない、Sランク級です」
へっ? Sランク?
「デミリッチです。高位魔導僧兵の落ちた姿です」
って冗談でしょう?
ダルメシアの嘘つきっ!
リッチという魔物は上はSランクから下はCランク、平均Bランクという幅広い魔物。確かにボロボロになっているとはいえいかにも高位な僧侶が身に着けていそうな法衣を着てるけど、それってヤバくないの? ヤバイよね?
私の運の悪さと厄介事に愛され体質、こんなところで本領発揮しないでよっ!
「一時撤退する?」
私達の戦力はイシュカとガイと私の三人だけ、どう考えても分が悪い。
「イヤ、無理だろ。まあ出来ないことはないだろうが出直すにしても時間が足りない。万が一アイツが土地に縛られているタイプのヤツでない場合、夜になってここから出て来られると折角削った戦力を補強される可能性がある。生きた人間を殺してな」
つまりは近隣の町や村を襲ってってこと?
「ヤバイでしょ、それはっ」
私は思わず叫んでしまい、それを合図にスケルトン達が襲い掛かってきた。だがガキンッという音がして魔物達の攻撃を弾き返したが百体近い魔物からの一斉攻撃が始まった。ガシャンガシャンと音はするが幸いにも彼らの攻撃力はそこまで強力ではないようですぐには破壊されなかった。念のため更に三枚の結界を追加する。
これで多少なりとも時間が稼げるはずだ。
「これは逃げられませんね。しかも知能が高いということは同じ手は通用しない可能性大です」
呑気な声でイシュカが呟いて肩を竦める。
「つまり、覚悟を決めるしかねえってこった。念のため結界張っておいてもらって良かったぜ」
「魔力五千の結界強度は半端ではありませんからね」
のほほんとした雰囲気はまるでお茶の時間の会話のようだ。
「なんで二人ともそんなに落ち着いてるの?」
オロオロしている私の問いに同時に声が返ってきた。
「ハルト様がついていますから」
「ご主人様がついているからな」
その根拠のない理由はなんなのだ。
私は思い切り脱力してしまった。
「残りの魔力はどれくらい残ってる?」
今日はフル満タンから中級魔法を数回使っただけだからたいして消費していない。
ガイの問いに私は答える。
「まだ四分の三以上は残ってるよ? 使った先から少しづつ回復もして行くし」
「どのくらいだ?」
「一晩で千五百くらいだよ。今は四千弱くらいかな、多分」
実際、昨日聖水作って減らした魔力がそのくらいで朝起きたら満タンまで回復してた。
その言葉に呆れたようにため息を吐いた。
「俺達のほぼ倍か。化け物並みだな、全く」
化け物って酷くない?
ぐっと息を詰まらせた私にガイが笑う。
「だが有難い。とりあえずここに籠っていればその間も回復するわけだ。だが満タンまで待っているとアイツらが自由に動き回れる時間帯になっちまうしな。まずは作戦会議ができる時間を稼げるだけでもツイてるってことだ」
確かにそうだ。ならば化け物も悪くない。
それだけみんなを守れる力があるということだ。
周りは魔物が結界を叩く音で多少うるさいものの贅沢は言えない。
それにこの音なら外まで私達の声は聞こえないだろう。
まずは嘆くより、悩むよりこの状況の打開策を考えるコトだ。
私は頭をフル回転させながら何かいい方法はないだろうかと考える。
「魔道僧兵っていうと得意はやっぱり魔法戦闘になるのかな?」
「そうですね、生前は主に聖属性の魔法を得意とした神殿育ちの戦闘魔術師といったところですね。生まれが市井や貴族などの場合は聖騎士になる事が多いですし。魔法戦は強いですが剣術などは苦手なことが多いです」
「つまり肉弾戦に持ち込めれば勝てる確率があがるってこと?」
イシュカもガイも結構な強者だ。
「まあそうなんだが、コトはそう簡単にはいかないわけだ。アイツを守っている百体近いスケルトンやアンデッドもいるしな。もとはD級、強化されてもC級上位程度の雑魚とはいえ一斉にかかられたら厄介だ。まずはアイツらを排除しなければ近づけない。流石にあの数を相手にするとなると俺らでもそれなりに疲弊する」
と、いうことはリッチの操っていると思われるあのスケルトンやアンデッドを戦闘から追い出せれば勝率は上がるってことでいいのかな。
「排除すればイシュカとガイなら勝てるの?」
「多分な。リッチが厄介なのは手下がいてそれを操るからだ」
やっぱりか。ならば手は無くもない。
「全部は無理だと思うけど、出来なくもないよ?」
「はあっ?」
無理だろうと思っていたのかガイの口から驚いたような、呆れたような声が上がった。
「でも洞窟内の瘴気と魔素は大丈夫なの? 私は耐性あるから多少は平気だけど」
問題はそこなのだ。
今は結界の中だから魔素も入ってこないけど、解けばそれが満ちているそこに放り出されることになる。
イシュカは少し考えてから答えてくれた。
「だいぶ薄れているとはいえ長時間はキツイですね。もう少し魔素が少なくなると助かるのですが」
「瘴気は平気?」
「瘴気自体は洞窟の入口を崩壊した時点で拡散してますし、密閉されていませんので発する先から流れ出ていっていますから」
要するにこの洞窟内に滞留している魔素さえなんとかできれば充分に戦えるということだ。
ならば方法はある。
「それじゃあさあ、こんなのはどうかな?」
私は思いついた作戦を地面に書きながら二人に話し始めた。
途中結界の一枚が破られたが問題ない。まだ五枚の結界が残ってる。
焦らず、慌てず、なるべくわかりやすくを心がけて話す。
ここには私の思いつきを正しく理解して代わりに説明してくれるロイはいない。
自分が説明を理解してもらえたかどうか確認してからそこに改良を加え、私達が決行のために立ち上がったのは四枚目の結界が破られた時だった。
まずは三人ともに速力強化の魔法をかけ、ガイは更に隠遁魔法をかけ、結界内の左よりに移動すると私達は持っていた聖水を全身にかける。
「んじゃまあ、行くとしますか。俺が呪文を唱え終わると同時くらいに頼むぜ」
「わかってます。三カウント、ゼロで動きます」
イシュカが私を抱え上げ、結界内部の右端に移動する。
何故かといえば私とイシュカでは身長差があるために上方にジャンプしても高さに違いがあるからだ。強化して倍の高さを飛べたとしてもイシュカと同じ高さは無理がある。
ガイが呪文を唱え終わりそうな頃合いを見計らってイシュカがカウントダウンを始める。
「三、二、一、ゼロッ」
瞬間、私は結界を解除、イシュカは洞窟内壁際、右後方の削れた高台にジャンプ、私は中級聖属性魔法、範囲指定の浄化魔法の呪文を唱え始め、視認し難くなったガイは左壁際に沿って走り出す。当然だがハッキリ見えているこちらに注目が集まるのは必至、私達がスケルトン達の注目を浴びている隙にガイが最奥、リッチの後方に回り込み、そしてジャンプすると一気に魔法を放ち、洞窟内部に澱んでいた魔素を風に乗せて一気に外へ押し出す。これによって洞窟内の魔素濃度は一気に下がる。
何故、一気に浄化しないのかといえば、洞窟内に満ちている魔素濃度のせいだ。
いくらそれを放ったところで濃すぎる魔素に浄化魔力が魔物に届く前に消費されてしまう可能性が高いため、効き目が薄くなる場合が多い。そこでまずはここに留まっている魔素を外に追い出そうというわけだ。そうすれば浄化魔法の効果は上がり、イシュカもガイも格段に動きやすくなる。だがガイの放つ風魔法で体重の軽い私は飛ばされてしまう可能性があるのでイシュカに抱えてもらったというわけだ。そして私達に敵が引き寄せられたところで私は足元に集まってきていた大多数の魔物目掛けて浄化の光を放ち、動きを鈍らせた上で下方に向けて結界を発動させる。
つまり、大多数の魔物達を弱らせた上で結界の中に閉じ込めたというわけだ。
守るための強固な結界を敵を閉じ込めることで戦力を削ぐ方向で利用したのだ。
続けて追加で五枚張っておけばそれなりの時間は稼げるはず。
しかも相手を弱らせ、回復、増強する魔素を排除した上でとなれば尚更結界は長持ちするだろう。それでもそこからかろうじて逃れた魔物もいたが十数匹程度のCランク級のスケルトンやアンデッドに苦戦する二人ではない。あっという間にリッチを守る魔物達は二人に切り伏せられ、残るはリッチ一体となる。
戦う二人の様子を見つつ、魔力消費の少ない回復、浄化などの聖魔法を連発する。
聖魔法は二人に当たったところで魔素や瘴気に侵された部分を回復させるだけで害はない。
要するにリッチに対する嫌がらせだ。
数体ほど影に隠れていたのか、呼び出したのかわからないがリッチは兵力増強を計ったがC級程度の魔物数体なら私でも充分排除出来る。日頃イシュカやガイに相手をしてもらっている私からすれば単調なスケルトンの動きは苦戦するほどのものでもない。リッチと戦っている二人の元に向かわせるわけにはいかないので双剣を抜きながら走り込むと一刀で脚部を切り捨てた。脚がなければ二人の元へは向かえまい。
倒せなくても良いのだ。
リッチさえ倒してしまえば他は動きを止めるはず。
だが聖属性付与は伊達ではないのか切断部分からスケルトン達はそこから煙を上げて崩れ、胴から上は残ったものの腕を使って這うようなスピードでは逃げられるはずもなく、私に頭蓋骨を破壊されて動きを止める。
リッチもイシュカとガイの二人を相手に、詠唱を邪魔する私の嫌がらせを受けながらではろくに力を発揮することもできないのか次第に力を弱めていく。
あともう少しと思われるところでガイの使っていた三本目の短剣がリッチの振り降ろす剣にバキンッと音を立てて折れた。
マズイ、丸腰だ。
咄嗟に体を捻って攻撃を避けたもののいくらガイでも素手でリッチの骨を断つのは厳しい。
「ガイッ」
私の呼ぶ声にガイが振り返る。
咄嗟に私は自分の持っていた双剣の一組を一本づつガイの向かって投げる。
それを空中で受け取るとガイが再びリッチに向かっていく。
ガイは私の双剣の師匠だ。扱えないわけもない。
次の瞬間、私の渡した双剣でガイがリッチの身体を胴から真っ二つに切り裂いた。
崩れ落ちた上半身が地面に落ちると同時にイシュカの剣がリッチの頭蓋骨を割り砕く。
ガキンッと大きな音がして、リッチは塵と化し、崩れていく。
それと同時に私の張った結界の中ではたくさんの魔物達が動きを止め、赤く不気味に光っていた瞳は色を失って崩れ、そこには大きな魔石がゴロンッと転がっていた。
息を荒くしてその場に倒れ込むように座り込んだ二人のもとに私は駆けつける。
額に流れ落ちる汗を手の甲で拭いながらガイがニヤリと笑う。
「・・・やったな」
「そう、ですね、なんとか、なりま、したっ」
イシュカが天井を見上げて息も切れ切れに応える。
本当に二人がいてくれて良かった。
こんなの私一人ではどうにもならなかった。
「お疲れ様。イシュカ、ガイ」
私はそう、一言告げると残り五分の一以下になった魔力を使い、二人に回復魔法をかける。
体力の回復は無理でも負った傷は癒すことができる。
「ご主人様もな、助かったぜ。向かってきた雑魚、掃除してくれて」
「はい、それに、気を取られなくて、済みました」
途切れ途切れの言葉に私は複雑な気分で笑った。
「でも私はたいしたこと出来なかったよ?」
二人のお陰、と、そう言い掛けたところでガイが呆れたように言った。
「わかってねえなあ。そもそもご主人様がいなきゃ、成立しない作戦だったんだぜ?」
「そうですよ。貴方が大量の魔物を閉じ込めて、後方からリッチの魔法詠唱を妨害してくれたからこそでしょう。私達二人では討伐できませんでしたから」
そう、なのかな?
私も少しは役に立てたってことかな?
俯いた私にガイが続けた。
「役割分担、だろ? いつも言ってるじゃねえか」
役割分担? そうだ、私はいつもそう言ってる。
「この三人、誰か一人でも欠けては成し得なかったということですよ」
イシュカの言葉に私は笑った。
「しかし、やっぱ気分いいねえ。自分より遥か格上を相手取っての勝利、最高だぜ」
ガイがその場でひっくり返って天井を見上げながら楽しそう言った。
「私は外の皆さんに報告してきます。もう魔物の気配は感じないので大丈夫でしょう」
「ああ、頼む。俺はもうちょっと休ませてくれ。もう魔素も殆ど残ってねえし、大丈夫だろ」
立ち上がって洞窟の出口に向かって歩き出したイシュカの背中に向かってガイが声をかけるとそれに応えるようにイシュカが軽く右手を上げた。
私は寝っ転がったガイの横に座ってぐるりと周囲を見渡した。
ここに入って来た時はゆっくり観察している暇なかった。
この洞窟はもともとここにあったものなのか、それともあのリッチが自ら削って作ったものなのか定かではないが、ゴツゴツとした岩がところどころ突き出し、崩れかけているところからするとかなり長い年月が経っているのだろうと思われる。ズラリと並ぶ魔物達を見た瞬間はボス部屋みたいだとも思ったけれど、随分と質素だ。と、いうよりむしろ何も無い。
視線を巡らせていると広間の奥、そこに小さな何かを見つけた。
人一人がやっと通れるような、扉のような亀裂。
よく見なければこの薄暗い部屋ではうっかり見逃してしまいそうな、それ。
私の動きと視線が止まったことに気がついたガイが尋ねてくる。
「ん? どうかしたのか?」
私はそこを指差してガイに尋ねる。
「あれって、何かの入口、だよね?」
ガイは寝っ転がったまま頭だけをそちらの方向に向けた。
そしてそれを見つけるとむっくりと起き上がる。
「多分、な。見たとこ、ここの部屋にはお宝や重要な物は残ってねえみたいだし、アイツが何を守ってここから動こうとしなかったのは気になるよな。見て見ねえとわからねえが、そこにソイツがある可能性は充分ある」
私は気になって立ち上がるとそこに歩み寄った。
よっと掛け声をかけてガイも立ち上がると私の後をついてくる。
近づくとやはりそこは別の部屋へと続く扉になっているようで、岩肌と同色というより、おそらく入口をわかりにくくするためであろう細工がなされていて、戸口を開ける把手のような穴が空いていた。多分私達が暴れたせいで土壁で隠されていたそれに亀裂が入ったことで見つけられたのだろう。触れるとポロポロと小さな土塊が落ちて来た。
「気をつけろよ、何か仕掛けがしてあるかもしれねえからな」
扉を開けようと手をかけた私にガイが声をかける。
成程、よくありがちな設定だ。
扉を開けた途端毒矢が飛び出してくるとか、眠っていたモンスターが動き出すとかそういうやつか。
「普通仕掛けって扉を開けると作動するもの?」
「それ以外何がある?」
ガイが首を傾げて私に言う。
「じゃあさ、この横の壁、崩して入ったらマズイのかな?」
要は扉を開けなければ問題ないのでは?
仕掛けがあるとわかっていて馬鹿正直に真っ正面から扉を開ける必要ないよね?
私が口にした素朴な疑問にガイが大声で笑い出した。
あれっ?
私、そんなに変なこと言っただろうか。
「確かにそれなら扉を開けて作動するタイプの仕掛けは避けられるよな。考えても見なかったぜ。普通部屋への扉は開けるもんだからな」
ヒイヒイと笑いを堪えながらガイが続ける。
「いいんじゃねえ? こういう依頼の特権はお宝があれば発見者の総取りが基本だ。少々壊れたところで問題ねえよ。俺らも戦闘で随分派手に破壊したからな、壁がちょっとくらい崩れてもおかしくねえ」
つまり怒られそうな場合にはそれで押し通そうと言うことか。
まあ、そういうことなら私もそれに乗っかっておこう。
この部屋にもたいしたものは残ってないし、特に問題もなさそうだ。
念のためすぐに結界だけは張れるように準備して置こう。
私は入口と思われる扉の横の土壁に手を付き、慎重にそこを崩した。
警戒していたにも関わらず、そこはあっさりと崩れ、私達二人の前に姿を現した。
「へえ、金銀財宝の山を期待してたんだが。なんか書斎っぽいなあ。それらしき箱は幾つかあるが、ここでは開けない方が良さそうだな」
一歩、中に足を踏み入れるとそこはガイが言うように四角い部屋の正面と左側の二面にびっちりと本棚が並び、やや左奥寄りの位置に古ぼけた質素な机が置いてあった。
もともと本など殆ど読まないガイはズラリと並ぶそれに興味を示すでもなく右手の壁沿いに置かれていた幾つかの木箱を一つ一つ眺めている。私はどちらいえばズラリと並ぶ本の方に興味をそそられてそちらに向かう。本棚の背表紙に書かれているのは現在使われているものと似てはいるが同じはない。
魔法陣などでよく使われている古代文字に近いようだがそれとも少し違っている。
この世界で初めて本を開いた時にも不思議だとは思っていたのだが、どうやら私はこの世界の文字は勉強するまでもなく読めるらしい。本好きの私としては実にありがたい能力ではある。中を確認してみないとわからないが史実や歴史書、日記や文学書っぽいものが見られた。
遠い昔に書かれた本、か。面白そうだ。
一番端の本棚から視線をズラして次の本棚に目を向けようとした時、ふと、視線の先に見つけた机の上に置かれた一冊の本に目を向けるとその本の下に敷かれた一枚の紙に気がついた。
なんとなく気になってそれに手を伸ばす。
だが、それに目を通した瞬間、私の表情は固まってしまった。
「どうかしたのか?」
私の様子がおかしいことに気づいたガイが近寄ってきてそれを私の後ろから覗き込む。
「それは手紙か?」
確かにそうと言えなくもないけど。
私は曖昧に笑って答えた。
「うん、そうみたいだね」
「今使われている文字では無いみたいだが。古代文字か?」
「近いけど、ちょっと違うかな。でも昔の言葉だよ」
「読めるのか?」
それに私は頷いた。
読める。確かに読めるのだけれど、いっそ読めない方が良かったのかも。
いや、違うかな。
中身を確認してみないことにははっきりしないけれどもしかしたら読めて良かったのかもしれない。
「ガイ、お願いがあるんだけど」
私は後ろに立っているガイを見上げた。
「他は構わないんだけど、この本一冊だけ、ここにあったこと、内緒にして貰ってもいいかな?」
真面目な顔でお願いする私の顔をジッと見ると察してくれたのかガイがポツリと言った。
「なんか理由がある、みたいだな」
その言葉に私はもう一度頷く。
するとガイは私の頭の上にポンと手を乗せた。
「構わねえよ。俺は何も見なかった、それでいいか?
でも、後でいいから危ないことなら俺にだけでも教えとけよ。何かあっても一人じゃ対処できねえ場合もあるからな」
ぶっきらぼうに見えて、そういうとこ、優しいよね。
良かった、これを見つけたのが私とガイだけで。
流石にこれをイシュカに国に報告させないままでいさせるのは気の毒だ。
知らなければ知らせる必要もない。
こういう歴史的文化価値があるようなものは文化遺産として買い上げられることが多い。
書棚にあるものも一旦持ち帰った後、ザッと目を通した方がいいかもしれない。
国に引き渡すにしても値段交渉などで時間的猶予は少しくらいあるはずだ。
マルビスに頼んでなるべく引き延ばしてもらうようにして、これだけの大量の本だ、数は多少誤魔化して報告して貰えば問題ないだろう。
「うん、ありがとう。ガイ」
私はその手紙と本を胸に抱えた。
そして、はた、と気がついた。
これって結構大きい。
「どうやって隠して持って行こう」
方法を模索してキョロキョロと辺りを見回していると足音が聞こえて来た。
「貸せっ」
ガイはそれを私からひったくると幻惑魔法をかけて視認し難くすると、戦闘でボロボロになっていた上着を脱ぎ、上着と本を一緒の手で持つと、それらを肩に引っ掛けるように持った。確かにそうすればちょっと見たくらいでは手に上着以外の物を持っているとわかりにくい。
「馬車に持って行くまでバレなきゃなんとかなる。他の奴らが他のモンに気を取られてる隙に俺の鞄に押し込んで置いてやるよ。後でこっそり渡してやる。それでいいだろ?」
「助かるよ、ガイ。ありがとう」
「礼はいつものヤツ、大盛りな?」
ちゃっかり好物をねだってくるあたりは抜け目ないけど本当に助かった。
「今日?」
尋ねた私にガイは少し考えて言った。
「いいや、向こうに着いてからで構わねえよ。その代わり、俺だけに作ってくれよ。みんなに、じゃなくてな」
「わかった」
つまり特別にってことだろう。
それぐらいお安いご用だ。腕によりをかけて作ってあげよう。
ガイの大好物、ハチミツのたっぷりかかったハニーフレンチトーストを。
私は持っていた手紙を折りたたんで胸の内ポケットに入れた。
『私にはもう正常な判断が出来ない。
好奇心という魔物に取り憑かれてしまったのだ。
この研究書を燃やすか否か、手にした貴方にその判断を委ねます』
そう書かれた本を、私はその場で炭にすることができなかった。
たいしたことが書かれていないならそれでいい。
昔の常識と今の常識は違うことも多い。
でも、何か重要なことが書かれていないとも限らない。
何か危ないものであるのならすぐに燃やしてしまえばいい。
怖いもの見たさというものかもしれない。
だが、私はどうしてもその中身が知りたくなってしまったのだ。