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閑話 フィガロスティア・ラ・シルベスタの決意


 運命というものは時に突然思いもかけない状況でやってくる。

 母によく聞かされた父との出会い。

 一目会った瞬間に、一瞬で恋に堕ちたという。

『貴方にもきっと私が言ったことがわかる時がくるわ』

 そう言う母の言葉を私は話半分も信じていなかった。

 日に日に弱っていく体、落ちていく体力。

 特にどこが悪いというわけではない、原因不明の病気。

 私の運命はきっともうすぐ終わるのだろう、と、そう思っていたのだ。


 宮殿の中というのは広いようでいて案外狭い。

 立ち入りを禁止されているところも多いし、客室、広間が多くても実際にそこが使用できるのかと言われれば否だ。王子の自分が絶対入りたいと言えば止められはしないだろうが仕事の邪魔になることは充分理解しているし、そうすることで従者達の手を煩わせるほどの興味もない。

 勿論もっと狭いところに住んでいる平民からすればかなり贅沢なことを言っていることはわかっている。だが最近弱ってきた体ではその城内の中すらろくに歩き回ることが出来ない。以前は自由に歩くことができた城の庭も今は中庭だけにとどめられている。

 私が体調を崩し始めたのはここ一年ほどの話だ。

 最初はそんなに気にするほどでもなかった体調は次第に崩れ始め、寝込みやすくなった。

 それが度々重なり、通っていた学院もなかなか行くことが出来なくなった。

 日毎弱くなっていく体。

 落ちていく食欲。

 幸いにも成績は子供の頃からの英才教育でトップだったため、学期末と学年末のテストを受ければ最低限でも登校をクリアできれば通学免除で行く必要もない。本来友人を作るなどの社交目的で通っていた学院も足遠くなり、最終学年が始まったとは言え、まだ一度も出席できないままだった。

 私の人生はここで終わってしまうのだろうかとも思ったが、現在の王位継承権を持つのは私と弟、そして妹だけ。姉上は先日他国に輿入れしてこの国の王位継承権がなくなってしまったため、王城内では俄かに次期国王の座に就くのが誰になるのかという話題で騒がしくなって来た。

 順当にいけば私が継ぐはずだったのだが、床に伏せるのが多くなり、王座に就くのは難しいのではと言われているからだ。それが父上や母上の頭を悩ませていることはよく知っていた。私が駄目なら弟に、という単純な話ではないからだ。日頃から聞こえてくる弟の傍若無人な振る舞いはここ最近特に酷い。お祖母様が自分の持っている血統主義を植え付け、王族と呼ぶにはあまりにも情けない行いを繰り返し、問題になっているという。

 父上こと、陛下から常日頃国民あってこその国家、貴族に恐れられ、民から敬われ、慕われる国王になれと言われて来た。自分達の生活は平民の納める税によって成り立っているのだと。

 あのような弟に継がせることはできるはずもない。

 このまま私の病状が回復しないなら妹に婿を取らせ、その夫に就かせる選択肢も考慮しなければならない。だが、そうなってくると余程優秀な者かそれなりの教育を受けて来た他国の第二、第三王子を貰い受けるか。だが他国のものを受け入れるにはそれ相応のリスクがある。下手をすれば国を併合され、乗っ取られる危険性もある。

 私さえ、こんな状態でなければと、そう何度も考えた。

 

 そんな時だ。

 緑の騎士団団長であり、この国の双璧とも呼ばれる叔父上が上機嫌で飛び込んで来たのは。

「すごいぞ、アイツは。きっと俺達が驚くような大物になる」

 そう、興奮状態で語る叔父上に聞かされた話は信じられないような話だった。

 彼の噂は少し前から出回っていた。

 叔父上の持つワイバーン討伐記録を大幅に縮めたというグラスフィート伯爵家の三男坊の話は王宮内でも有名な話だ。齢六歳にして彼が打ち立てた御伽話かのような武勲は見物人も、目撃者も多く、実際に討伐されたというワイバーンの肉が食卓に上がって来た時はかなり衝撃を受けた。

 早急に群れの調査と魔獣討伐部隊が組まれ、叔父上を筆頭に遠征部隊も組まれた。そして叔父上達が率いる部隊がワイバーンの急襲を受け、ステラート領で取り逃した九匹という数のワイバーンを自領で迎え撃った彼は一人の怪我人を出すこともなくたった三十人という兵のみで討伐して見せたのだという。おおよそ信じがたいその話はまるで英雄譚だ。

 その後も彼の活躍は止まることがなかった。

 イビルス半島で起こった噴火による王都陥落の危機であるスタンピードの沈静化のための作戦立案にその後の危機管理対策の提案、王城内に蔓延っていたへネイギス伯爵一派の排斥、及び、それに付随する魔物化した二人の討伐への助力。ほんの一ヶ月程度の間に彼が成したことは王室で閉じ籠り、ベッドの上で殆ど生活している私より余程王子に相応しい功績。

 私は叔父上から聞かされるその彼の話を楽しみにする一方で嫉妬もしていた。

 私よりも四つも年下だというのに自分とはどこまでも違う眩しい存在に。

 そして憧れていた。

 自分には出来ないことを次々と成し遂げていく彼に。

 そして、つい、気を抜くことのできる叔父上にぽろりとこぼしてしまった。

「ハルスウェルト殿をミーシャの婚約者に迎えて彼に王位を継いで貰えば良い。そうすればこの国も安泰だ」

 口から出てしまった言葉は戻せない。

 多分、彼の話を聞くたびに、今の自分の不甲斐なさを思い知らされて、その嫉妬心にも似た彼への劣等感が澱のように積もっていたのだろう。

 男なら誰でも憧れる、後世まで語り継がれていくような大活劇を妬んでいた。

 私は王子に相応しくない、そんな思いを抱き始めていた。

 だが叔父上は私のそんな弱気を許してくれなかった。

「フィア、お前はそれを本気で言ってるのか?」

 眼光鋭い瞳が私を射る。

 明らかに私を責めるその声に私は身体を竦めた。

 叔父上はいつも私に優しかった。挫けそうになる私を支え、励ましてくれていた。

 だが今目の前にいるのは私が見たことのない、魔獣討伐部隊長に相応しい迫力を備えたものだった。

「確かに陛下も宰相もハルトを内に抱え込もうと必死だ。アイツはそれだけの価値があるからな。でもハルトは権力を持つことを嫌い、それを望んでいない。それでもお前は自分の責任を放棄してそれをアイツに押し付けるつもりか?」

 押し付ける? 

 普通なら一国の王という立場は男子貴族の憧れだ。

 彼はそれを望んでいないと?

 建前だけではないのか?

「少し頭を冷して考えろ。俺は明日からグラスフィート領で目撃されたというお前の病気を治せる可能性を持った魔獣の捜索に向かう。アインツとアイツへの褒美である屋敷建設のための護衛と資材の搬入も兼ねてな。本当にお前が王族としての責任を放棄するというなら早めに陛下に自分の口でそう言え。

 国王というのは半端な覚悟で務まるものではない。お前にその覚悟がないというのならその魔獣の捜索の必要性もなくなるからな。確かにお前の代わりにハルトなら申し分ないがアイツにはアイツの役目がある。それを中途半端に放棄させ、それを望まぬ者に自分の負うべき責任を押し付けるというのなら、さっさと継承権破棄を申し出て療養のためと言い訳して表舞台から引っ込め。そうすれば余計な権力争いの勢力図も決着が付く。お前が王位に付かないというなら陛下はミゲルの継承権の剥奪も視野に入れている。そうなれば候補は姫さんの婿一本に絞られて、俺達はなんとしてもハルトを口説き落とさねばならなくなる。アイツの存在を知った今、お前の代わりにと考えられるヤツは他にいないからな」

 厳しい言葉だった。

 別にお前でなくても構わないのだと、国を背負う気がないのなら国を乱す前にさっさと引っ込めと、そういうことなのだろう。

「俺はお前が陛下を超えるような立派な国王になりたいと言っていたから今まで助力もしてきた。お前がその夢を諦めるということは同時に自分の弟妹、そして本来関係のないはずだったハルトの夢を奪い、人生をも変えるのだという事実を踏まえて答えを出せ」

 自分の諦めたくない夢を諦める代償を突きつけられて私は言葉を詰まらせる。

 拳を握り締め、俯いた私を叔父上は容赦なく責め立てた。

「俺はお前がそんな無責任なヤツではないと信じたいが、何を選び取るかはお前の自由だ。好きにしろ。

 だが、もしお前がその選択をするのなら、お前との付き合いも長くはない。俺達が守るのは国と陛下、そしてその後継者だからな。その座から降りたお前との付き合いも殆どなくなるだろうな、残念だ」

 そう言い捨てて、叔父上は私を一度も振り返ることなく出て行った。


 叔父上のその言葉にショックを受けたからなのか、私はその夜から再び熱を出して寝込んだ。

 主治医からは王都から離れ、空気と水の綺麗なところで暫く療養した方が良いのではと以前から言われていたが、その話も本格化し始めた。どちらにしろこのままではどうにもならない。

 叔父上のいうことは正しい。

 だが正しいが故に私を追い詰める。

 諦めたくない夢を諦めねばならなくなる。

 それも一番無責任とも言える方法で。

 でもどうすればいいというのだ。こんな情けない体で。

 私はベッドの上で泣いていることしかできなかった。


 私が突きつけられた選択を選べないまま八日ほど過ぎた頃、叔父上は『土産』を抱えて父上のもとを訪れた。

 確かグラスフィート領での滞在はニ週間だったはず。二週間でマリンジェイド連隊長が帰還、そして暫く目撃されたというリバーフォレストサラマンダー捜索のために暫く交代で任務にあたるという話だったはず。

 それが何故こんなに早く?

 疑問に思いつつも父上に呼び出され、向かったのは父上の私室だった。

 扉をノックして入ると、そこには父上と母上、叔父上がいた。

 大きな袋を複数抱えて憮然とした表情で父上の横に立ったまま、まだ答えを出せない私を見ている。

「座れ、バリウスが土産を持って来てくれた。ハルスウェルトが是非お前と私にと、差し入れてくれたそうだ」

 従者がお茶を淹れ、下がると叔父上はその大きな手で袋の中から大きな金属製の缶を二つ取り出し、テーブルの上に置いた。蓋を開けるとそこには見たことのない、色とりどりの菓子が二種類、いい匂いを漂わせ、それぞれに入っていた。

「グラスフィート領で今後売り出し予定の菓子だ。俺が向こうで毒味して入れるところも確認し、俺が運んで来たから間違いない。馬で持って来たんで多少形は崩れてしまったのだが、その辺は勘弁してくれ。こちらはチップスと言って色々な食材を薄く切って調理、味付けしたもので、こちらは蒸しパンという。どちらもハルトが早起きして、今朝、お前のためにと作ってくれたものだ」

 その言葉に驚いて叔父上に尋ねた。

「ハルスウェルト殿は菓子も作られるのですか?」

「菓子だけではない。アイツの作るメシは美味いぞ。アインツも俺も口実作って押し掛け、メシをタカリに行くぐらいにはな。華やかではないが食べたこともないような珍しいものがよく出てくる。ハルトは自領の開発事業責任者として食い物以外にも様々な商品の開発にも携わっているからな」

 叔父上から聞いている猛々しい姿からは想像がつかない。

 遠征によく出かける者の中には料理のできる者もいると言う話は聞くが、これはそれとはレベルが違うだろう。しかも叔父上だけではなく、マリンジェイド連隊長まで押し掛けるほどとなれば王宮のコックにも引けを取らないのではないのか? 華やかではないといえど二人とも美味しいものを知っている。その二人が通い詰めるとなればそれはかなりの腕前なのだろうと推測できる。

 私が驚いていると、叔父上は脇に抱えていたもう一つの箱を母上に差し出した。

「それから王妃様達にはコチラをと。まだ商業登録許可待ちの新商品だそうだ」

 商業登録待ち?

 彼の持っているその登録総数は八十を超えていると聞いている。

 更にまだその数を増やそうというのか。

「まあ、開けても宜しくて?」

「先に菓子を食べてからにされてはいかがですか。コチラは出来れば今日明日中に食べて欲しいと言付かっている。それに俺から見てもとても美しい飾りものだったので後でゆっくりご覧になって頂いた方が宜しいかと。お茶も冷めてしまいますし、アインツと俺を虜にした菓子ですよ?」

 謁見の折、彼が自領から持参したという新しい染色技術で染められたという複雑な色合いと模様の布を母上はたいそう気に入って、何に仕立てようかと暫く迷っていたぐらいだ。その彼からもたらされたという登録も済んでいない、即ち、まだこの国の誰も持っていないという品に興味津々だったが叔父上達を虜にしたという菓子からも目がはなせないようだ。

「そんなふうに言われてしまうとこちらのお味も気になって仕方なくなるわ。そうね、早い方が美味だというならまずこちらから頂いた方がよろしいですわよね。バリウスの言う通り飾り物は後でゆっくり見せて頂けば良いのだもの」

「発売前で自分一人では作れる数に限りがあるのでくれぐれも内密にと言われている。バレたら二度と差し入れしないからと脅されているので気を付けてくれ」

 こちらも発売前。彼はいったい幾つの商品を売り出そうとしているのか。

 父上がまず最初に手を伸ばし、蒸しパンと言われるそれを手に取った。

「随分と柔らかいな」

 パンというのは普通固いものだ。そのままでも食べられるがその硬さ故に食欲の落ちた私ではスープなどに浸さなければとても食べにくい代物だ。だが手にした父上はその柔らかさに驚いていた。

「ああ、今朝作ったばかりだからなのだが、明日になると僅かに湿気を含んでまた違う美味さがある。チップスは湿気を嫌うので食べない時は缶の蓋はしっかり閉めてくれと言われているが」

 もう一つの菓子も随分と手が込んでいる。薄く、様々な形をしているそれはカサリと音を立てていることからすると少しばかり固いようだが叔父上の言う様にだいぶ崩れていた。食欲をそそる、なんともいえない香ばしい香りがしている。

 父上が蒸しパンを苦もなく千切り、口に入れる。

 そしてその次の瞬間、驚いたように目を丸くした。

「確かにこれは美味い。しかも驚くほど柔らかく、ほのかに甘い。これがパンだと言うのか? 甘さが控えめに作られているのかいくらでも食べられる。三色あるが味はみな違うのか?」

 一口で夢中になったらしい父上は感心しきりにそれを褒めた。

「ああ。俺とアインツは全部で十種類くらい食った。試作品だと言っていたが」

「本当に美味しいですわね。ハルスウェルト様は本当に多才な方でいらっしゃるのね」

 母上もその柔らかさに驚き、千切っては次々と口に入れている。

 私はその様子をただじっと見て、まだ食べられずにいた。

「フィアは食わないのか? 美味いぞ」

「これは父上にではないので?」

「違う。言っただろう? フィア、お前にだ。ハルトはお前に食欲がないと聞いて目先の変わった食べやすい物をと俺に持たせてくれたんだ。だからどちらかと言えば陛下がオマケだ」

 叔父上の言葉に私は驚いて目を見開いた。

「バリウス、それはないだろう」

「事実だ」

 戯けていう父上に叔父上はあっさりと断言した。

「私のために、ですか?」

「ああ、お前を心配していた」

「一度も会ったことのない私を、ですか?」

 信じられないと、聞き返した私に叔父上が言った。

「平民を庇い、ワイバーンの前に飛び出すようなヤツだぞ? アイツは」

 そうだった。

 叔父上から散々聞いてきた彼の話からすればこれは驚くほどのことでもないのだろう。

 聞いていた通りの、厳しさを兼ね備えた、まさにお人好しとも言える方なのだろう。

 私は叔父上の勧めるそれを手に取り、口にした。


「美味しい。本当に、美味しいです」


 それは父上の言うように、驚くほど柔らかく、ほの甘く、とても美味しかった。

 食欲のなかったはずの私は、そのなんとも言えない優しい味に誘われるように、ろくに物を食べていなかった腹に、夢中になって詰め込んだ。

 その時私は自分がお腹が空いていたことに改めて気付かされた。



 叔父上の話を聞いて、私は即座に彼のいるグラスフィート領での療養を決めた。

 もともと候補地の一つとして挙げられていたこともあり、伯爵には打診済みだった。

 一週間後にへネイギスが捕らえていたという子供達の移動に混じって密かに移動することになった。第一王子が移動するとなればそれなりの騒ぎになるので子供達の存在はある意味隠れるのにちょうど良い。

 叔父上からはハルスウェルト殿が貴族、平民の区別を嫌い、みな同じ食卓を囲み、床に座って食べているという話も聞いた。彼がそこの輪の中に私を入れてくれるかどうかわからない。しかし彼は彼の大事にする者達を対等に扱う限り、絶対ではないが受け入れてくれる可能性が高く、一緒に頼んでくれるという。実際、叔父上達もそれで構わないならという条件付きで受け入れてくれたらしい。


 私は彼に一縷の望みを賭けてみようと思った。

 そして何より彼に会ってみたい。

 会う人々を魅了し、虜にするという彼に。

 そんな私を父は快く送り出してくれた。

 彼を間近でよく観察、参考にして今後のためにも勉強してくるようにと。

 私は出発までの短い期間、いつも以上に入らない腹に一生懸命押し込んだ。

 まずは食べて体力をつけろと言われたからだ。

 私はまだ自分の夢を捨てなくても良いのかもしれない。

 そう思えばあんなに重かったはずのナイフやフォークを持つ手も少しだけ軽く思えた。


 途中、蒸しパンを父上の目を盗んで食べたと言う弟の乱入という予定外の出来事もあったけれど、私はなんとか彼、ハルスウェルト殿に受け入れてもらえることが出来た。

 弟の急な来訪に彼を屋敷の外に追い出す事態になってしまったことを詫びたが彼は本当にそんなことをたいしたことではないと一切気にしなかった。他の護衛のものは伯爵に食事の世話になっていたが、私とマリンジェイド連隊長は毎食彼と彼の従者が作る食事の世話になっていた。それを羨ましそうに叔父上は見ていたがミゲルを抑えられるのは色々な意味で叔父上しかいないので仕方ない。

 伯爵家の料理は最初のディナーの席でも思ったのだが王室に引けを取らないほど美味しかった。というか、見たことも食べたこともないようなものも幾つか出された。聞けば彼、ハルスウェルト殿が厨房に出入りして少しづつ変えていたらしい。実際、所詮田舎料理だと期待していなかった私や弟の側近からも食事について一切文句は出てこなかった。

 特に高級な食材を使っているわけではないのに何故だと首を傾げる者もいた。

 そしてハルスウェルト殿、いや、ハルトとその従者が作る料理はそのまた一段上だ。

 企業秘密といって作る工程や材料などをあまり見せてはもらえなかったが出てくる料理はシンプルでありながらどこか味わいが深い。運び込まれている食材を何度か目にしたけれど私が苦手とするものも多数あったはずなのに姿が見えない。入っていることは間違いないのだろうがまるで別物にも感じられて口に運んでしまう。

 美味しいのだ。

「採れたての野菜というものはそれだけでも甘く、美味しいのですよ。それを知らなかったなんて今まで生きてきた人生の半分くらい、損していますよ」

 と、そう彼は笑った。


 城にいる時とは比べ物にならないほどに食が進む。

 ハルトは本当に不思議で、そして変わった人物だった。

 父上がよく見てこいと言った意味がわかる。

 彼はとても魅力的だ。

 それは彼のもつ信念ともいえる一本筋の通った行動もその一つだろう。

 ハルトはへネイギスに捕えられていた子供達の多くをこの地に呼び入れた。

 通常親を亡くした子供というのは持て余されがちで大抵は孤児院、教会、神殿といった場所か見目麗しければ娼館、さもなくばストリートチルドレンとなり、やがて犯罪者と落ちることも多い。親がいないというハンデは就職するには大きい問題。何か事が起きた時に身元引受人がいないからだ。救い出したもののへネイギスの一家惨殺といった悪行のせいで受け入れ先にも目処が立たずに困っていたところにハルト達から受け入れの申し出はまさに渡りに船だった。

 私は彼が子供達の職場案内が終わり、帰る道すがら尋ねてみた。

「何故、あの子供達を受け入れようと思ったのですか?」 

「一番の理由はマルビスだよ。マルビスが一番最初に受け入れたいって言ったんだ。他にもロイやウェルムも面倒見てくれるって言ったし。ウチは今結構人手不足が深刻だったから悪くないって思ったのも理由の一つかな?」

 たったそれだけの理由で?

 戦力になるかならないかもわからない大量の子供達を?

「人手不足というなら普通は即戦力の方がいいと思うのですが」

「ウチの本格始動はまだ先だもの。時間的にまだ少しとはいえ余裕あるしね。幸い人材を育てる時間は残ってる。職人は別としても凄く難しい作業は沢山ないし、別にすぐに全部出来なくてもいい。何か一つ、二つあれば作業は分担できるもの。特に今回は女の子が多いって話だったからそんなに困らないだろうなって。小さい子供でも皿洗いくらいならできるでしょ。別に養おうって思っているわけじゃないんだから問題ないよ。長くいて貰えば今はできない仕事もいずれ出来るようになる。人材育成は先行投資だよ。欲しい人材は無ければ育てればいいだけだもの。難しく考えたってキリがない。私は大勢の仲間が増えるのは嬉しいよ」

 ハルトは仲間という言葉をよく使う。

 それだけ彼が一緒にいる者を大切にしているからに他ならないのだろうが。

「職人達の環境を整えた理由も同じですか?」

 彼は私達が連れて来た大工職人達にも色々と気を配っている。

 すると少し考えてハルトは首を横に振った。

「少し違うかな? 半分は下心だよ。だって働きやすい環境の方が本来その人の持っている力を存分に奮ってもらえるでしょう。言ったでしょ? 疲れた体に鞭打ったっていい仕事はしてもらえないって。適度に休息を取ってもらって万全の体調で働いてもらった方がいい。それに酷使する雇人より自分のことを考えてくれる人のための方が働きがいだってあるでしょう。ナメられないようにはしないと甘く見られたら手を抜かれるから気をつけないといけないけどね。ある意味見せしめには丁度良かったかもね、アイツらは」

 アイツらとはあのバーベキューパーティーの時、ハルトが叩き伏せた二人の職人のことだろう。

 子供を虐げようとした彼等をハルトは守るために飛び出し、捕えて縛り上げ、ガイが彼等を荷馬車に積んでローレルズ領まで送り返しに行った。あれは痛快そのものだったがハルトの側近達は特に慌てていなかった。護衛のイシュカでさえ、駆けつけはしたものの割り込もうとしなかった。叔父上の話を聞いていると彼はどちらかといえば叔父上と正反対の頭脳派、直接相対したという話はあまり耳にしなかったのだが。

 まさかこの小さな体で魔法を使わずに捩じ伏せるとは思わなかった。

 あれで職人達の彼を見る目が格段に変わった。

「確かにキールはハルトが負けるとは考えもしなかったみたいですね」

「だってどう見てもイシュカやガイより弱そうだったから。負けるはずないよね。ハルト様が本気で逃げるとイシュカでも捕まえるの苦労するくらいなんだもん。万が一勝てなかったとしてもアイツらに捕まえられるわけないよ」

 あっさりとキールがその根拠を答えた。

「逃げ足だけには自信あるかな、ガイには負けるけど」

「貴方が勝てないんですか?」

「ガイは気配を消すのが上手いし、体術ならイシュカも敵わない。剣術ならイシュカが一番だし。商業関係じゃマルビスが一番で、私が苦手な作業や書類の整理はテスラが手伝ってくれる。絵を描くのが苦手だったからキールに来てもらった。ロイは説明が苦手な私の言いたいことを整理してくれたり、私に足りない周囲の気遣いや手回しをしてくれる。穴だらけの私がなんとかなっているのはみんなのおかげ。みんなに助けてもらってなんとかなってるんだよ。大切にしなきゃ天罰くだっちゃうよ」

 これもハルトの口癖だ。

 みんなのお陰、助けてもらっているからだと。

「いくら私が知恵を絞ったところでそれを実行してくれる人がいなきゃできないんだから力を貸してくれる人には感謝しなきゃ。商売だって同じだよいくら私が新しい商品を売り出そうとしたところで一人では無理。マルビス達は勿論だけど、大量に売ろうと思うなら大勢の人に手伝ってもらわなきゃ」

「だからこそ子供達も大切な仲間、ですか」

「そうだよ。力を貸してくれる大切な仕事仲間は守らなきゃ。勿論、働かざる者食うべからず、仕事をしない子供まで面倒見る気はないよ。でも人には向き不向きがあるからね、頑張って自分のやれることを見つけようとしてくれてる限りは見捨てる気はないから安心して?」

 それは最早全員を見捨てる気がないと言っているにも等しい。

「それでは貴方が随分損失を被ることになるのでは?」

「何も一年二年でもとを取ろうなんて私は思ってないよ? でもここがみんなの居心地の良い場所になってくれたら長くいてくれる。長い目で見ればたかが数年の損失なんてすぐに取り戻せるよ。何をするにしても最初が一番大変なのは当たり前。働きやすい場所だと評判が広まれば人だって集まってくる。人が集まればそれだけ大きなことができる。人材は宝だよ、フィア」

 

 叔父上が言っていた。

 俺達と考え方がまるで違うと。

 私が継がないというのなら彼しか考えられないと言った意味を。

 ハルトの理想が現実となれば間違いなくこの国は豊かになるだろう。

 ただし彼が王となり、それを実現しようとするならこの国は根本から作り変える必要がある。

 そしてそれは彼一代ではおそらく無理だ。

 だが、もしハルトがこの地からそれを現実に変えていってくれるならそれはいつか現実になるかもしれない。

 だからこそ父上は彼に学べと言った。

 彼のようになれというのではなく、参考にしろと。

 役割分担と人材育成。

 もし多くの者が自分に合った仕事を見つけられたなら間違いなくこの国は豊かになる。

 国の働き手が多いということは国の繁栄を意味しているのだから。


 だが、彼もまた人なのだと思ったのはその日、伯爵邸に戻った時のことだった。


 私はミゲルに対しても毅然とした態度を貫き、弟の振り翳す権力に決して屈しない彼に本当にハルトが地位や権力に興味がないことを改めて思い知らされていた。自分の意志を決して曲げない彼はいっそ頑固といってもいい。今まで誰にも出来なかったミゲルの間違った意識を変えられるのではないかと思ってつい彼に期待してしまった。

 『弟と喧嘩して欲しい』と。

 ウンザリだという顔をしていたにも関わらず、それでもハルトは弟に何度も言い聞かせてくれた。

 そして、弟が、ミゲルがまた反論できず、黙り込んだのを私は彼の倉庫の中で聞いていた。

 よくあんなにも弁舌が回るものだと感心している私の横をロイが通り過ぎた。


「お疲れ様です。でも、貴方はなんでも背負い込みすぎですよ」

 ロイはハルトに向かってそう言った。

 私の位置からではハルトの顔は見えなかった。

 だがハルトの声が聞こえて来ない。

 いつもなら大丈夫、たいしたことないと言うであろうハルトが黙ったまま。

「貴方が私達を尊重し、守ろうとしてくれるのはすごく嬉しいです。ですが以前にも言ったはずです。私達も貴方の後ろに庇われているだけの弱い存在ではないと」

「どうか俺達にも頼って、甘えて下さい。俺達は誰よりも貴方の味方なのですから」

 マルビスとテスラにそう続けて声をかけられ、ハルトはロイにしがみつき、泣いた。

 

 そして私は気がついた。

 自分が彼に無理を強いていたことに。

 ハルトはまだ私より四つも年下の子供であったことに。

 人を傷つける事に優しいハルトが慣れるわけなどないじゃないか。

 ミゲルを制していたのもハルトの大事な仲間を守るために他ならない。

 私は自分がやらなくてはならないことをハルトに押しつけ、甘えていたのだ。

 

 やがて、ハルトは泣き疲れ、ロイにしがみついたまま、眠ってしまった。


 ロイは眠ってしまったハルトを大事に宝物を扱うかのように抱きあげると、彼を名残惜しげにテスラへと預け、夕食の準備に取り掛かった。そしてすぐにマルビスは自分の仕事に取り掛かり始めた。

 あんなにみんな心配していたのにあっさりと自分の仕事に戻っていく彼等が不思議で見つめているとロイがその理由を教えてくれた。

「ハルト様に余計な心配をかけたくないからですよ。ハルト様はすぐに私達の事を心配して下さいます。そして私達が仕事を忙しそうにしていると働き過ぎだから休めと言います。自分も同じように動いているのにも関わらずに、です」

 ハルトは本当に人のことばかりだ。

 確かに私がここに来てからも彼がのんびり昼寝をしているところを見たことがない。

「私達が心配して自分の仕事をする手を止めれば迷惑をかけたと今度は私達に謝るんです。だから私達は心配であっても仕事をする手を止めません。それをハルト様が望まれているからというのが一番の理由です。勿論何かあっては大変なので最低限の人間はお側に残して置きますけどね」

「イシュカには万が一の場合すぐに動ける状態でいてもらわねばなりませんので今日の場合は俺、と言う事になりますね。基本的に俺はハルト様の発明品の補佐とその書類管理が仕事なので」

 書類整理の手を止めずに言ったマルビスの言葉にハルトを膝の上に乗せたテスラが続けた。

「ハルト様が私達の食事を率先して作ってくださるのは私達の負担を少しでも減らそうとしているのが主な理由だと思います。私はハルト様がよくお作りになる食事はもう殆ど作ることが出来るのですよ。ですから毎日お願いする必要はないんです。私に命令すればいい」

「誰でも疲れている時は動きたくたない。でも外で食べる時以外でハルト様がやりたくないと言ったことは一度もないです」

「俺達はそんなハルト様が大好きなんですよ。一生懸命にこの小さな体で俺達を守ろうと両手を必死に広げる姿を見せられて心動かないヤツはいません。いたとすればソイツには心が無いだけでしょう。

 ですから失礼を承知で申し上げさせて頂くとすれば俺達は貴方の弟君が大嫌いです」

 ロイ、キール、テスラの続けられた言葉に私は頭を下げるしかなかった。

「当然だと思います。申し訳ありません」

 大事な人を傷つけられて腹の立たない者はいない。

 彼等がそれを堪えていたのはハルトのために他ならない。

 テスラは抱えたハルトが起きないようにそっと姿勢を変え、

「俺達はハルト様は時代を変えられる力を持った方だと思っています」

 と、呟くように言った。

 時代を変える、そうかもしれない。

 彼が主に重用しているその殆どが平民。貴族の支配が強いこの国で彼等が力を持つようになればこの国は間違いなく変わるだろう。

「この方の側近であるということは私達の誇りです。この席を誰にも譲りたくありません。だってそれを特等席で見ることができるのですよ。凄いことだと思いませんか?」

 そう言ったマルビスの誇らしげな顔は私には眩しく思えた。



 ハルトがロイの作る夕食の匂いに目を覚ますと私は彼に謝罪した。

 だがハルトはそれに大きく首を横に振り、

「家族より、多分、他人から言われた方が響く言葉もあると思うので」

 と、一言も私を責めることはなかった。

 そしてたくさんの大切な者に大切にされるハルトが羨ましいと告げると、

「だって、フィアはこれからでしょう?」

 そう、言われ、私は目を丸くした。

 元気になって出かけるようになれば私にもできるはずだと。

「これからは人と出会う機会だってもっと増えてくる。大切な人にもたくさん出会えるはずだよ。だって私もほんのひと季節前までは殆ど一人だったんだもの」

「そう、なんですか?」 

 私は信じられないと、驚いたように表情を変えた。

「私の周りに人が増えてきたのは今年の誕生日後の春先からなんです。私はそれまで多くの時間を本を読んで過ごしてました。正直、寂しくてたまらなかったですよ。でも、だからこそ私は私の側にいることを選んでくれた人達を大事にしてきたんです。二度と一人に戻りたくなかったから。

 私は一人でいることの辛さを知っています。だからこそ、周りに大事な人達がいてくれる事の幸せを感じることができる。私は情け無いことに、もの凄く臆病なんです。一人に戻るのが何よりも怖かった。私の側にいてくれる人を失いたくなかったから今も自分に出来る全力で守りたいと思っているんです。

 私は本当は誰よりもカッコ悪い男なのかも知れません。でも、だからこそ、私の側にいてくれる人が自慢出来るくらい私はカッコイイ男になりたいって、カッコイイ男でありたいって思ってます。

 でもやっぱり、私は強くなんてなりきれない。

 みんなに支えてもらってなんとか体裁を整えてるだけなんです」

 だからこそ仲間に言葉を惜しまず感謝するのだという彼に私は目を細めて微笑んだ。

「やっぱり、ハルトは強いですよ。私とは全然違う。私も貴方のように支えてくれる友達や仲間をたくさん作らなければなりませんね。まずはたった一人でも」

「一人ならフィアにはもういるでしょう?」

 そう言った彼を思わず見返した。

「だって、私と友達になってくれるって言ったじゃないですか。そりゃあ私じゃ少しどころか大分頼りないかもしれないけど。王子と友達なんて、やっぱり図々しかったですかね?」

 そう言ってくれたハルトに私は急いでは首を横に振り、否定した。

「いえ、まさか、そんなことあるはずがありませんっ」

「じゃあ問題ありませんよね。では改めて、よろしくお願いします」

 私はそう言って微笑んで差し出された右手を私は両手で握り返す。

「こんなに心強いと、思ったことはありません。私も貴方に、ハルトに恥じぬ、カッコイイ男にならなければなりませんね」

「フィアならなれるよ。私よりずっといい男に、きっとね」

 そう言ったハルトに胸の鼓動がトクンと高鳴った。

 本当に? 本当に私は貴方のようにカッコいい男になれるだろうか。

 いや、違う。ならなければならないのだ。


 貴方も運命の人に出逢えればきっとわかるわ。

 

 そう言った母上の言葉を私は思い出した。

 あの言葉を聞いた時、私は話半分も信じていなかった。

 だが、運命というのは確かにあるのかもしれないと、私はこの時、思ったのだ。


 私はこれまで以上に頑張らなければならない。

 ハルトの隣に友達として並ぶに恥じない男になろうと、この時、私は己に誓った。



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