第六十一話 予定とは未定であり、変わるのが常なのです。
使者の話を整理するとつまりこういうことらしい。
一週間前、私が団長に渡した差し入れは間違いなく陛下のもとに届いた。
陛下も第一王子もたいそう気に入ってくれて、王宮でも食べられない珍しい食べ物に第一王子の食も進んだ。勿論団長もちゃんと約束を守ってくれて到着したその日のうちにそれを口にしたのは陛下と第一王子、そして彼の母親である王妃様だけだった。王子はいつになく食欲旺盛でいつもの倍近い量を口にされたそうだ。そして団長から蒸しパンは翌日はまた違った味わいがあって美味いと聞いた三人は残ったそれらを大切にとって置き、次の日のお茶の時間にも食したそうだ。陛下は執務室で、王妃と王子は東屋で。そしてこの日も昨日と同じく王妃様の分まで王子は食べられたそうだ。
ここまでは問題ない。
問題なのは陛下が席を少し外した間に残して置いた最後の一つがなくなっていたことだ。最初は自分が席を外した時にお茶が済んだと勘違いされて皿を下げられたと思ったそうだ。残念に思ったものの三つあったうちの二つは食べた後だったので仕方ないと諦めた。だが実は皿は下げられた時は既に空の状態、これを持ち出し、口にしたのが例の第二王子だったのだ。
蒸しパンが気に入った第二王子は父親の元に行き、問いただしたが貰い物であるということしか教えてもらえなかった。そこで第二王子はその日と前日に父親のもとに来た来客について調べさせ、その相手が団長らしいことを突き止めた。となれば後は簡単だ、団長がどこから帰って来たのか隠されているわけではない。
最初は従者にそれを買いに行かせようとした。だがウチの領地は馬でも片道一日かかる。しかもウチの領地のどこで売っているのかもわからない。そもそも売りに出されているのかもわからないわけで、手に入れられる目処は立たなかった。
だが手に入らないとなれば余計に欲しくなるのが上流階級の人間だ。
私の作った蒸しパンで近頃稀にみる食欲を見せた第一王子のグラスフィート領への療養が決定され、団長がウチの領に戻ってくる時に一緒に来ることになった。勿論団長は私が普段どのように生活、食事をしているのか伝え、それでも良いなら頼んでやるが作ってくれる保証はないことも伝えたそうだ。だが城にこのまま閉じ籠もっているよりは良いと王子は決断した。
私としてもそういうことならたかが一人前増える程度、気にもしない。
王子の野菜嫌いを治すのにも丁度いいくらいだと受け入れる。
ところが第一王子の療養の話を知り、自分も行きたいと第二王子がゴネ出した。
当然だがこの問題児を外に出すわけにもいかないし、どうみても私の嫌悪するタイプだったので却下されたわけだが第二王子は諦めなかった。自分に従順な従者達に命令し、城を抜け出し、団長達を追いかけた。そして自分達を追い返せないであろう位置まで来たところで勝手に合流を果たした。第二王子がいなくなって大騒ぎになっているだろうと慌てて一人を城まで連絡に走らせたが王子の護衛となるとそれなりの人数が必要なので、もうウチに連れてくるしかなくなったそうだ。
せめて突然来られても困るだろうと騎士の一人を急ぎ、ウチまで走らせた。
と、こういうことだ。
実に傍迷惑な話だ。
団長も陛下も約束を破っているわけではない。
ただ運が悪かったとしか言いようがない。
だがいきなり来てもらってもウチがあっという間に増築出来るわけもなし、かといって、ウチの町に王族を泊められるような宿はない。それで困り果ててしまったわけだ。
「それで、王子達はいつ到着するのですか?」
「今日の宵の口前だ。まだ朝方とはいえ時間がない。来客用はこういう状況もあり得るだろうと用意は出来ているがどうしたものかと困っている」
残された時間は少ない、さてどうすべきか。
控え室付きの部屋、それも最低二部屋欲しいとなれば簡単にはいかない。
私や兄様達の部屋にも一部屋あって今はロイがそこにいるけどイシュカの分まではなかったので一番近い隣の予備の客室になったわけだし。
ん?
待てよ、隣。隣なんだ。
私の部屋の隣はウィル兄様、反対側は予備の客室、いずれアリシアとエリシアの部屋に改築するために予備の客室として空いていたからそこにイシュカが入ったわけで、そこはそれなりに広い。
「父様、直ぐに腕の立つ大工職人を何人か用意出来ますか?」
「何かいい手があるのかっ」
「いい手というほどではありませんが私の部屋を使いましょう。屋敷の者を総動員して私の荷物を倉庫の二階に運んで下さい。家具はそのまま使えるものはそのままでも構いませんが、他の客室から適当に引っ張って来るか、足りないものは至急買いに行かせて下さい。今倉庫にマルビスがいますからすぐに手配をつけてくれると思います」
助かった。今日はたまたまマルビスが外に出ていなくて。
「倉庫二階の二部屋に入っているワイバーン素材は一部屋に詰めます。多分大丈夫だとは思いますが入りきらない場合は屋敷の倉庫に。私の部屋と今イシュカが使っている隣の部屋の壁をぶち抜いて早急に扉をつけて下さい。そのくらいの作業なら半日もあれば充分なはず。イシュカの部屋なら従者二人でも広さ的にはそんなに問題にならないでしょう。
ロイとイシュカも申し訳ないけど父様の寮に移動して貰ってもいい?」
もともと倉庫は将来的に寮に改築するつもりだったので生活するのにも問題ない。
そうすれば従者二人と主治医分の部屋は確保出来る。
私がロイとイシュカにお願いすると二人はにこりと笑った。
「移動するのは構いませんが私も倉庫にお願い致します。私はハルト様の従者ですから」
「私も倉庫にお願いします。護衛がお側にいなくてどうするのですか」
あっさりと許諾してくれて助かった。
だけどそれってもしかして三人一部屋ってこと?
いや、まあ同じベッドで眠るわけでもないんだから。
緊急事態だ、細かいことは気にしない。
「兄様達の留守中に勝手に物を動かす訳にはいきません。客室の数も減らしてしまっても今後困ることになりかねません。広さ的には私の部屋も客室もそう変わらないでしょう? 但し、私の部屋は第一王子に。私は自分の欲求を満たすためだけに周囲に迷惑をかけるような人間に自分の部屋を使って欲しくはありません」
譲れないのはその一点だけだ。
「申し訳ありませんっ、なんとお詫びを申し上げて良いのか」
何度も頭を下げるその人の横を一言謝って父様が小走りに走り抜けるとすぐに屋敷の者を総動員させて作業に取り掛かり始めた。
「貴方が悪いわけではありませんよ。これは運が悪かっただけです。ですが、私は第一王子はともかく、第二王子の面倒を見るつもりは一切ないと戻って団長に伝えて下さい」
とりあえずは私達の部屋の荷物の運び出しと職人の手配が先だろう。
倉庫に運んでしまえば後は来客後でもなんとかなる。
忙しくなるので申し訳ないが見送りは出来ないと謝罪すると、とんでもございませんと何度も謝罪の言葉を口にしながら使者は来た道を戻って行った。
それからがとにかく大変だったのは間違いない。
今日はのんびりできるはずだったマルビスも結局忙しい日常に逆戻り、予定外の珍客の来襲は台風のごとくウチの中を引っ掻き回してくれた。
感傷に浸るわけでもないが最近は確かにすっかり倉庫に居着いて部屋には寝に戻るだけだったけどそれなりに愛着のあった部屋とはこうしてあっけなくお別れになってしまった。大勢の大工職人の手によって昼過ぎのお茶の時間前には隣室へ続く扉が無事取り付けられ、日焼けを隠すように設置された少し大きめの家具や豪華なラグ、小さな応接セットも運び込まれる。使っていたベッドは新しい寝具と上掛けが用意され、残っていたのはベッドとその脇のサイドテーブルだけ、すっかり様変わりしていた。有り合わせの間に合わせで揃えたとは思えないセンスある部屋の模様替えは流石マルビスという他ない。
私の使っていた家具は必要最小限を二階に上げ、とりあえず倉庫の壁沿いに置き、不便があれば移動することにした。予定通り建築が進めば一カ月ちょっとでここともお別れ、折角建てた初めての自分の城だったが結局半年も利用しないで再び引越しになってしまった。ここは私達が使わなくなったら父様が新たに改装して使用してくれることになっている。
「名残惜しいですか?」
じっと自分の部屋だったそこを眺めていると後ろからロイに話しかけられた。
「少しだけ、ね。でもどうせ後一カ月ほどでお別れだったし、少し早まっただけだもの。去る者よりここに残る人のことを考えなくっちゃ。父様達に非難が集中したりしたら申し訳ないもの」
用意していた客人が増えることはよくあること。
いくら突発的に増えたとはいえ客人を迎える準備の不手際で責められるのはこちらだろう。とりあえず王族とその従者の分は確保できたし、ウチにある他四つの客室と一階の従者用の六部屋でなんとかギリギリ足りた。満員御礼で他の客が来たとしても御遠慮願わねばならない状況だけど。
「貴方はいつも他人のことばかりですね」
ロイにそう言われて私は小さく首を横に振る。
「違うよ、ただ私は『私のせいで』って言われたくないだけ。小心者の自己満足だよ」
「たとえそうであったとしても貴方が常に他人を優先しようとしていることには変わりはありません」
私の周りにいる人達はいつもこうして私を好意的にみてくれる。
「私が悪事に手を染めるような人間にでもなったらどうする?」
「ありえません。それに仮に貴方が道を踏み外そうとしたとしても他人の意見を聞くことが出来る御方ですから私は心配してませんよ」
それは自分に自信がないからだ。
「みんなが『貴方のお陰で』と、どれだけ感謝しているかわかっていますか?」
ロイの言葉に私は俯いていた顔を上げた。
「私もその一人なのですよ。貴方のお陰で私は私の抱えていた闇から抜け出すことができました。私を変えた貴方には責任を持って私を側に置いてもらわなければなりません。覚悟してくださいね」
あの日から、ロイはいつも私の沈みそうになる心を何度も引き上げてくれる。
言葉を惜しむことなくストレートに伝えてくれるそれはまるで・・・
「ロイ、それじゃプロポーズだっていつも言ってるじゃない」
ロイもマルビスもさらりと口説かれているのだと勘違いしそうな台詞をよく口にする。
私の言葉にロイは楽しそうに微笑む。
「そうかもしれませんね。貴方のものになりたいのだと、そう言ったでしょう? 私は貴方に要らないと言われない限り、お側にいると決めているのですから」
簡単にそんなこと言って、後悔しても知らないよ。
「じゃあ一生言ってあげないって言ったら?」
「望むところです。それが地獄の底であったとしてもお供致します。どうぞ私をお連れ下さい」
そう返ってくるとは思わなかった。
「ありがとう。ロイと一緒なら地獄の道行も悪くないかもしれないね」
「はい、私も貴方とならと、そう思います」
一人でないということは、こんなにも心強いのだと、改めてそう思った。
私は荷物の移動を終わらせた後、厨房は急に増えた来客に慌てているようなのでディナーのデザートだけは私達が引き受けることにした。前菜からメイン料理などバランスをある程度考えられているので、一応考えているデザートを提案し、確認した上で用意する。
総勢十七名プラス十人くらいの余裕は見ておくべきだろう。
王族にディナーで提供するからには見た目も重要なのでは底にハチミツ漬けしておいた輪切りのレモンスライスを作ってもらった底を取り外しの出来る器に敷きカラメルソースを薄く注いでプリン液を流し込む。蒸し器で固めた後はその上からレモンを漬けていたハチミツのゼリーを注ぎ、更にそれが固まり始めた頃に上から紅茶のゼリーを注いで冷蔵庫で冷やしておく。後は薄く色のついたゼリーを用意して花や葉の形にくり抜いて、透明のクラッシュゼリーと一緒にガラスの器に盛り付ければ充分華やかになるだろう。出来上がった時点で一応父様に確認してもらうために一つだけ盛り付け、書斎に運ぶ。
「父様、これで如何でしょうか?」
テーブルの上に運んできたそれに父様が驚いた。
「随分と華やかだな」
「一応王族の方々をお迎えしているわけですからシメのデザートは出来るだけ彩り鮮やかな方が良いかと」
商業登録されているが発売されていないプリンと夏らしく柑橘系果物をトッピングして味が複雑になり過ぎないようにまとめてみたけど王族の方々の口に合うかどうかはわからない。
「王宮でもなかなか見ないような美しさだが、これでは後の者が大変になるぞ」
「ではもう少し地味にしましょうか?」
見た目を変えるだけなら難しくはない。すぐに対応できる。
父様は少しだけ考えて首を横に振った。
「いや、これで頼む。歓迎の意を込めて特別に用意したということにしておく」
「味は如何ですか?」
スプーンで掬い、一口食べると大きく父様が頷く。
「問題ない。というより、充分すぎるくらいだ」
「ではこれで準備させて頂きます」
そろそろ到着の時間も近いだろう。私も着替えて出迎えの準備をしなくてはならない。
第一王子の滞在予定は二カ月、第二王子はどうなるか知らないが早めに団長か連隊長に引き取ってもらえれば良いのだが。こういう場合において大概こちらの希望は通らない。
特に第二王子がどう動くか予想がつかない。
団長には今回の分も高く貸し付けておかなければ。
「ハルト、お前にはこの数ヶ月ほど助けられてばかりで本当にすまない」
どちらかと言うと私が父様を巻き込んでいるような気がしないでもないのだが。
目まぐるしく変わっていく日常に最早ついて行くだけで精一杯だ。
だけど一季節前まではいなかった、私が一番だと言ってくれる人が側にいてくれる。
それがどういう意味であるかは別としても私は確かに欲しかったものを手に入れることができたのだ。
「父様にはロイを譲って頂きました。それで充分です。
それに父様、こういう時に言うべき言葉は謝罪ではないと、私はマルビス達に教わりました」
以前は何かあると私はすぐに『ごめんなさい』と口にしていた。
だけど助けてくれる人がいるなら謝罪の前に言わなければならない言葉がある。
父様は私の言葉に静かに笑った。
「確かにそうだな。ありがとう、感謝している、ハルト。私はお前の父親であることを誇らしく思っているよ」
「ありがとうございます」
迷惑でないと、誇りであると思ってくれているならそれで充分。
下がって支度に掛かろうとしたところを父様に引き留められる。
「それからランスとシーファについてだが」
そういえば最近屋敷からほとんど出ていない上にイシュカが側にいてくれたから護衛もお願いすることがなかったっけ。もともと出掛けるとき限定だったのだけれど、二人には護衛以外にも随分と支え、助けてもらった。
「ハルトが望むならお前のもとに護衛として行かせてもいいがどうする?」
父様の言葉はありがたいことだ。
ランスとシーファがいてくれるとすごく助かるのは確かだ。だけど、
「私は二人に強要することはできません。ですが、二人が自らの意志で私のもとに来てくれるというなら私は喜んで受け入れ、側にいて助けてもらいたいと思います」
みんなにはそれぞれの事情がある。
これからこの田舎町の更に奥に引っ込もうというのだ。ついてきて欲しいとは簡単に言えない。
「だ、そうだが、お前達はどうしたい?」
父様が後ろのベランダに向かって問いかけると、二人が笑顔で現れ、私の前で片膝を着く。
「是非、一緒にお連れ下さい。お許し頂けるなら私達は貴方のもとでお仕えしたいと思っています」
「だ、そうだが。お前はどうしたい? ハルト」
二人の言葉に今度は父様が私の方を向いて尋ねる。
勿論答えは考えるまでもない。
「一緒にいて欲しいと、思います」
選んでくれるのなら嬉しいと、心からそう思える。
「ではお前がこの屋敷を出て行くその日から、ということで構わないか?」
「はい、お願い致します」
「一度にたくさん連れて行かれても困るが、あと八人くらいなら兵を譲ってやってもいいぞ。ウチの領内の施設の治安を守るのにウチの領地の者がほとんどいないのもおかしな話だ。お前の名が広まったお陰で兵の志願者も増えたのでな。今ならそれくらいの余裕はある。ロイやマルビスとも相談して決めておけ。あまり実力上位者ばかり連れて行かれるのは困るが、少々ならば考慮しよう」
「助かります。ありがとうございます、父様」
見知った者が多いということはそれだけで心強い。
私は大きな声で父様に御礼を言う。
「私がしてやれるのはそれくらいのことしかないからな。今日も助かったよ。お前が機転をきかせてくれたお陰で急な来訪にも対応が間に合った」
私がしたことは自分の部屋を移動しただけ。
「御礼はマルビスや屋敷の者に。では私はお出迎えの準備をして参ります」
私は一礼すると今度こそ父様の書斎を後にした。
ディナーの席に私はつく予定はないし、玄関で出迎えの挨拶だけしてさっさと戻って準備しなければ。
極力目立たないよう、目をつけられぬようとは思っているが今までことごとくそれを外してきたのでどうなることかという不安はある。
子供達の受け入れもあるし今回ばかりは目をつけられたくはない。
そういえば結局何人くることになったのか聞くのを忘れてしまった。
予定外の護衛対象の乱入に多分足止めを食っているに違いない。
第一王子はともかく、第二王子が見下す平民一緒の道中に頷くとも思えない。
そして王族よりも平民が優先されることはないと断言してもいい。
おそらく子供達の到着は明日以降に持ち越しだ。
予定は未定であり、変わるものではあるけれど、私の予定というものはどうしてこうも狂わされるものなのか。
着替えている最中に王子達が後半刻程で到着すると知らせる騎馬が到着し私は慌てて身嗜みを整え、玄関に向かった。




