第五十七話 平和というのは短いものです。
丁度六人前のオムライスが出来上がる頃、テスラが戻って来た。
とろふわ卵も捨て難いがあれは技術もいるし、六人分の卵を焼く間にケチャップライスが冷めてしまうので先に人数分の卵焼きを用意してから御飯を炒めた。これならみんなが一緒に温かい御飯を食べられる。
「出来たよ。ロイ、一度机の上片付けて運ぶの手伝って」
私の声にロイが反応して机の上を整理して、一旦部屋の隅に避けると四人分の食事を机に運んでくれる。暑くなってきたので抽出した紅茶は魔法で冷やして柑橘のスライスをいれたグラスに注ぐ。
大きなトレイに二人分のサラダとオムライス、アイスティを乗せ、スプーンとフォークを添えるとビーズと格闘している二人に声をかける。二人は顔を上げると漂う匂いに目を輝かせた。
「イシュカ、キール、御飯だよ。作業は一度中断して温かいうちに食べよう。キールはお母さんと二人分トレイに用意したから一緒に食べておいで」
「ありがとうございます」
とととととっとキールが御礼を言いながら駆け寄って来た。
「はい、気をつけて持って行ってね」
「行ってきます」
トレイを揺らさないように気を付けながら倉庫を出て行く。
痩せ細っていたキールの体にも少しづつ肉が付いてきたのは良いことだ。お母さんも随分回復に向かってきていて掴まり立ちが出来るようになったらしく、壁を伝いながらなら少しだけ移動できるようになったということだ。
買ってきた物を床に下ろしてテスラが座卓の上に視線を向け、ギョッと目を見開く。
「貴方はまた俺の留守中にこんな物を作っていたんですか?」
「ああ、それ?」
驚いているのはガラスビーズのアクセサリーは初めて見るからだろう。ガラス製のビーズの存在は知っていたはずだし、それを使ってアクセサリーを作りたいと私は言っていたはずなのだが何を驚いている?
「作り方は後で説明するからまずは温かいうちに御飯食べよう、テスラ」
折角作ったオムライスが冷めてしまっては美味しくない。
すると席に着こうとしたテスラが再び固まった。
「コッチもですか?」
「コッチって、オムライスのこと? 王都でお米大量買いしてきたことは言ってあったと思ったんだけど」
「これも、ですよね?」
そう言ってテスラが指差したのは卵を焼いている間に用意した本日の夕食後のオヤツ、五平餅。
「それは晩御飯の後にみんなで食べようと思って用意しておいたんだけど」
甘味噌ダレはバーベキューでも御披露したはずなのだが何をそんなに驚いている?
テスラが深いため息を吐いて席に座る。
「なるほど、マルビスの苦労がよくわかりました。貴方からは極力目を離すべきではない、欲しいと口に出した物は可能な限り用意しろと言っていた意味も。多分、俺が今買ってきたものも何か考えがあってのことなんですよね?」
「考えって言うか、寮建設してくれてる職人さん達の寝具が足りないって言ってたから、代用出来ないかと思って」
「大量の丈夫な布と太くて長いロープと硬い木材の棒をですか?」
ジッとこちら見る視線が言わんとしていることはなんとなくわかった。
「別に変なモノを作っているつもりは全くないんだけど」
「ええ、変なモノではありませんよ、全く。ただ俺はとんでもない人のところに来たんだなということはこの数日でよくわかりました」
それは褒められているのだろうか、それとも呆れられているのだろうか。
綺麗なテスラの不気味ににっこりと笑う顔は妙に迫力がある。
「全部後で説明するから、まずは御飯食べよう?」
誤魔化すつもりはないが私は小さくなって用意した昼御飯を勧めた。
食事が終わると早速食べたばかりのオムライスについて説明させられた。
私の説明下手をテスラはよく理解したようで、まだ少しだけ余っていた白米を見つけるともう一度私に作ってくれと頼んできた。そんなに手間のかかるものでもないし、私が二つ返事で作り始めるとテスラがそれを見ながら横でメモを取る。少量なので加減を間違えて野菜盛り盛りになってしまったが特に問題はないだろう。とりあえず作り方だけなのだし。
下拵えが終わったところで卵を先に焼いているとそこに団長と連隊長が訪ねてきた。昨日の夜の調査では収穫がなかったらしいがすぐに見つかるとは思っていないので大丈夫だということだ。
今日来たのは昨日突然の来訪に対する父様への謝罪とダルメシアからリバーフォレストサラマンダーについての調査報告が届いたら私に知らせることになっていたという話になっていたことを聞いてやってきたようだ。ロイが食器の後片付けをしていた手を止めて、さりげなく私が用意していた五平餅を隠すためにそれを食器棚にしまうと二人に出すお茶の準備を始める。
「事情はわかりましたが少しだけ待って頂けますか? 今、料理の途中なので」
出来上がる量が二人分くらいなので量を考えてもう一枚の卵を焼くために準備を始めると団長達の視線が私の手元に集中する。
「随分手際がいいな」
「慣れてますから」
焼き上がった一枚を皿に乗せ、油をひき直すとそこに溶いた卵を入れる。ゆっくりとフライパンを回して薄く広げてからケチャップライスの準備を始める。私が動くたびについてくる視線の意味は問うまでもない。昨日の蒸しパンも部下に分け与えることも抜け落ちて、二人で平らげてしまっていたし。生唾を飲み込む音が聞こえた。
「正直に思っていることを口に出されては如何ですか?」
私が手を止めることなく視線を下に向けたまま声をかける。
「それはお前らのメシじゃないのか?」
一応は団長も遠慮というものを知っているようだが全てはその表情が物語っている。
「いえ、これはテスラに作り方を説明しているだけです。私達の食事は既に済んでいますよ」
「食わせてくれっ」
二人の声が同時に重なった。
そうそう、正直に最初からそう言えばいいのだ。
「構いませんよ。ご馳走する御約束でしたしね。どうぞお掛けになってお待ち下さい。ロイ、悪いけどサラダをお願い。多分珍しいものを食べたいんでしょうからマヨネーズだけでいいと思う」
「承知しました。ではどうぞお掛けになってお待ち下さい」
ロイに勧められてテーブルに着いたのを見計らい、テスラがもう一つの試作品、ビーズアクセサリーが二人の目に入る前に布を上から掛けて隠した。
その動きに気がついた二人の視線がテスラに向かった。流石に百戦錬磨の猛者二人の視線は逃れ切れなかったが、物が何かまでは確認されなかったようだ。
「ああ、たいしたものではございませんが一応試作途中なのでお見せするわけにもいかないのですよ。危ないものではないことはイシュカが保証してくれると思いますよ」
「はい、危険なものではありません。女性が好みそうなものですから」
頷いてイシュカが肯定する。
それくらいの情報なら構わないし、折角だからまた王妃様達に宣伝してもらえるように手を打っておこう。
「完成して商業登録が通ったら、また王妃様達にお贈りしますよ。気に入って頂けるかどうかはわかりかねますが」
「それは良い。君が持ってきたこの間の布も大層気に入ってみえたからな。今ドレスを仕立てさせているようだぞ。新作が出来たらまた教えてくれと言っていた」
それは何よりだが生憎そこまで話は進んでいない。
せいぜい御婦人達の物欲を煽って価値を釣り上げて頂くとしよう。
人間、手に入らないとなれば余計に欲しくなるというもの。
「まだ生産準備が整っていないので申し訳ないのですがもう暫くお待ち下さいとお伝え下さい。あれは本当にまだ試作段階で私がマルビスに手伝ってもらって染めたものなので」
「あれを君が染めたのかっ」
連隊長の言葉にライスを炒めながら答える。
「そうですよ、試作だとお伝えしたでしょう? 今マルビスが契約生産して頂けそうなところを探しています」
何を今更驚いている。
出来上がったそれを皿に乗せ、卵焼きで包むと仕上げに上からケチャップをかける。
サラダは野菜を千切って盛り付けるだけなので既に出来ているので後は上からマヨネーズをかけるだけだ。ただボテッと乗せるだけでは見場が悪い。テスラにメモ用紙の一枚を半分分けてもらい、表面を拭き取ると円錐状に丸めてそこにマヨネーズを入れ、そこから渦を巻くように絞り出して仕上げだ。
出来上がったそれらをロイが二人の前に運んでくれる。
「どうぞ、召し上がれ。口に合うかどうかはわかりませんが」
見たことのない料理に一緒戸惑っていた二人がおそるおそるスプーンで掬って口に入れる。
高級料理というわけではないのでどうだろうかという私の心配を他所に一口食べた後はガツガツとお世辞にも行儀がいいと言えない勢いで食べ始めた。そもそもお上品に食べるものではないので構わないのだが私の料理は二人に好みに合ったようだ。
「それで、この資料は拝見させて頂いて宜しいのですか?」
すっかり食べ終わって満足そうな二人に向かって置かれた束の確認の許可を求めると、二人はロイにもう一杯とお茶を所望した。
「ああ、無論だ。是非ともお前の意見も聞いてみたいしな」
「では失礼します」
私はのんびりお茶を啜り始めた二人を尻目に資料に目を通し始めた。
リバーフォレストサラマンダー
その資料を読めば読むほど私の知っているオオサンショウウオの生態と重なった。
綺麗な水を好み、川の中流域から山間部の谷川などに多く生息。
夜行性のため日中は暗がりや岩の下などにジッと息を潜めて休み、夜になると活発に動き始め、昆虫や魚が主食。性格はどちらかといえば臆病。寿命は長く、三十年以上生きた個体もあったそうで、どのぐらいまで長生きするのかはわかっていない。視力はあまり良くないようで狩りは基本的に待ち伏せ。そのため体の模様は環境に馴染むような色をしていることが多い上に平たい体が更に発見を難しくさせている。体は弾力に富み、体表はぬめりを帯びていてイボのようなものが多数ある。体長は昔確認が取れている最大はおよそ二メートル。独特の臭いで敵を威嚇し、水を吐く。
存在が確認されていた当時、その肉はかなり珍味で卵も高級食材、骨や血液も薬剤としても用いられていた。そのため取引価格は高騰、乱獲され、保護指定された時は既に遅く絶滅に至る。
ダルメシアのところで見た資料とほぼ一緒だ。
「それでそれらしきものを見たという冒険者に確認は取れたのですか?」
「一応な。正体は隠してフォルムだけ描き写し、確認したところ間違いないらしい。大きさは三メートルほどだろうと言っていたが正体不明だったこともあってもしかしたらもう少しくらいは小さいかもしれないと。見かけたのはローレルズ寄り、発見場所は対岸に民家が二軒ほど見えたと言うことから中央の開けた場所からローレルズ方面に向かって三分の二ほどの位置、かなりローレルズ寄りになる。あの辺りはこちら方面から向かうよりもかなり足場が悪く、鬱蒼としているし、潜みやすい場所ではあるだろうな。出口付近もこちらと一緒で民家は見当たらない。一番近いところでも歩いて半刻ほど掛かった。確かにこれでは今まで発見されなかったとしても不思議はない」
まあそうだろうなあと思う。
いくら強力な魔獣や獣が殆どいないとはいえ全くいないというわけではない。慣れない深い森に入るのは力のない平民には危険と隣り合わせ。森の木を切り倒して林業で生計を立てようにも樹木の幹が太過ぎてノコギリの刃も上手く入らないものも多いだろう。加工するにも難しければ運搬するのも苦労しそうだ。
「近くに川はありましたよね?」
前にロイに乗せてもらった時、見た覚えがある。馬上からだったし、一瞬だったけど水を跳ね上げる音もした。
「ええ、大きくはないが一本だけ。奥にいくと川幅は狭いが水陸両方で生息できるなら特に問題はないだろう」
ということは湖につながる辺りはそれなりの太さがあるということか。
「上流は確認しましたか?」
「確認したが滝というほどの規模ではない急流があった。おそらくハルト、お前でも飛び越えられるくらいの幅だぞ。あれではニメートル超えの巨体は泳げまい。森の中に隠れて潜んでいるのではないかという者もいるのだが」
可能性としてなくはないが手足があるなら川底を這えばいいだけだ。
「そんなわけないでしょう。皮膚が通常ヌメリを帯びているというなら水分がなくては生活できない。しかも今のような季節なら特に体表からの水分蒸発は多い筈です。水辺からは離れられないでしょう」
「やはり君もそう思うか? 近衛の中には森に火を放ってやれば熱くて飛び出してくるのではないかと言う者達もいるのだ」
「それこそ馬鹿の所業でしょう。臆病で動きの遅い個体に対してそんなことをすれば焼け野原から丸焦げ死体が出てくるか、警戒されてどこかの水辺にでも潜まれ、益々発見が難しくなるのがオチですよ。それに今回の件は調査も兼ねているんですよね。ということは幼体や卵が存在する可能性も考えてのことでしょう。火など放てばもしそれらが存在していたとしたら守備良く捕獲できたとしても今度こそ絶滅です。おおかた捜索が面倒になって楽な手段でも取ろうとしたんでしょうが少しは物事というものを考えて行動なさった方がいいですよ。そんなことを言い出した者やその意見に賛成したような者は調査から外す事をお勧めします。明らかに今回の任務に向いていません」
考えなしは今回の件については邪魔でしかない。
臆病で動きの遅い生物と認識した上でそのようなことを言うのなら明らかに人員の配置ミスだ。おまけに近衛は下の者を従えるのが当然の認識に基づいて行動する貴族で構成されている。力ずくで解決しようとしたところで相手は言葉が通じないどころか同じ生き物ですらないのだ。
「そこまでいうか?」
連隊長が自らの部隊を庇う気持ちはわからないでもない。だが、
「人間というものは楽が出来る方法があればそちらに流されガチです。スタンピードの一件が何よりそれを物語っているでしょう? それを防ぐために王都に残った貴族は何割いました? 下の者に命令することを当然としている者や意志が弱い者、気の短い者に根気のいる調査は向きません。今回の相手には権力も言葉も通じないのですよ? 思い通りにならないからと、ついうっかりを装って火でもつけられたらお終いです」
それであの森全てを焼き払われてもたまらない。折角ここまで準備が整い始めたのに権力馬鹿に台無しにされるのはゴメンだ。
「臆病な者や警戒心の強いものにはこちらもそれ相応の対処をしなければ取り返しがつかなくなる。そういうことですよね」
考え込んでいたイシュカが私の言葉に付け加える。
「へネイギスの一件で私はずっとお側でハルト様を見ていて思いました。用心深い相手に対してハルト様は少しの妥協もしませんでした。常に相手の行動と自分がどう動くことによって相手がどう考え、動くか計算しながら行動なされていました。まして今回捕えようとしている相手は五十年以上もの間我々の目から逃げてきた相手です。そんな簡単にいくはずがない」
イシュカの言葉に連隊長も納得したのか頷いた。
「確かに言われてみればその通りだ。つい重要任務だからと強い者を選び、急ぎ連れてきてしまったが」
「むしろ今回の件に限って言えば逆でしょう。この森には危険と思われる生物の存在は殆ど確認されていないのですから屈強である必要性は低いと思います。むしろ身分が低く、上の者の意思を上手く汲み取り動けるような計算高い、相手の隙を伺って戦うような者の方が向いているでしょうね。
強者という者は、それなりの威圧感や圧倒感を持っています。お二人のように己の気配を隠せるような者なら別でしょうが無自覚に威圧してまわっているような者がいては、臆病であるというなら益々警戒して引っ込んでしまうのではないかと」
その通りだよ、イシュカ。私の言いたいことがよくわかっている。
団長がジッとイシュカを見てポツリと呟いた。
「お前、ハルトに考え方が少し似てきたな」
「本当ですか? 光栄です」
明らかに嬉しそうなイシュカの声。
私に似ていると言われることはそんなに喜ぶべきことなのか?
むしろ嫌がった方がいいと思う。
こんな面倒で無鉄砲な暴走機関車になったら周りが苦労するよ?
見習うべき人物を間違えちゃいけない。
私は要注意のトラブルメイカーなのだから。
こうして平和だと思っていた一日はあっけなく終わった。