第五十一話 リゾート企画、本格始動のその前に。
お見送りが終わると残りの片付けと掃除を済ませ、残された商業部門の人達にマルビスからの説明が始められた。
もう開園予定まで一年を切っている。
ここからはアクセル踏んでフルスピードだ。
まずはこのグラスフィート領における大規模リゾート計画の概要と説明だ。
みんな真剣な表情で聞き入り、頷いている。集めた人員はまず三つのグループに大まかに分けられ、同時進行する。マルビスを筆頭に私の商業登録をもとにした商品の生産ラインと販路の確保する部門、そして現地の施設開設のための準備と現場監督を主とする部門、最後に私を中心とした商品の開発部門だ。現在の進行状況と私の商業登録の一覧とその詳細な資料などが回され、仕事の割り振りなどが行われる。みんな目を輝かせてやる気に満ちているようだ。
そこで実感を持ってもらうためにもまずは明日、朝から出発して現地に向かうことにした。既に着手している道路整備と従業員の寮建設の進行具合も確認しなければならないので丁度いい。
まずは貸し馬車を返しがてらこの町を案内してくると新たに連れてきた十人とウェルムを連れてマルビスは出かけて行った。いつまでも父様にお借りするわけにはいかないので私達用と大人数が乗れる乗り合い馬車のような物を特急でお願いしてくるそうだ。中古があればそれでもいい。ついでに冒険者ギルドに寄ってダルメシアに夜にそちらに行きたいので待っててもらえるか確認して来てもらうように頼んだ。
父様の寮にはテスラ、ガイ、キール、ウェルムが、ロイは正式に私付きになったので私の部屋の横にある従者の部屋に移動して来てイシュカは客人扱いなので私の部屋から一番近い客室になった。
預かってもらっていた荷物と買い出してきた大量の商品はイシュカ、テスラとガイに手伝ってもらって倉庫に運び込んでいる間にロイには空になっている私専用の食材などの買い出しに行ってもらった。陛下に頂いた金貨もワイバーン素材と一緒に入れ、鍵をかけ、結界を張る。金貨の隠し場所もまた考えねばならない。以前の隠し場所であったベッドの下ではとてもじゃないが隠しきれないし、高価なものをこうして一箇所に集めておくのも不安だ。
内装は質素でも構わないので、できれば一部の部屋だけでも王都のホテルの最上階のような仕掛けのある屋敷を森の入口近くに建てられたら一番いいのだが相当にいいお値段がしそうだ。寮以外にも私達が住める屋敷が必要だとマルビスも言っていたし、実際これからあちらで仕事をすることも多くなるだろう。往復四時間が短縮できるのは効率的でもある。それに三男の私はどちらにしろいずれこの屋敷を出なくてはならなくなることを思えば将来的にも私とリゾート施設運営幹部の住むところを早めに建てておくのも悪くない。
キールは座卓の前に座り、マルビスに頼まれた植物や動物などのイラストを複数パターン描いていて、ガイは板の間が気に入ったらしく、荷物を運び終えるとラグの上に寝っ転がり、昼寝を始めた。
私は明日の昼のバーベキューで使うためのタレの準備を始める。
折角醤油も味噌も手に入ったのだ。今回はオニオンソースとデミグラスソースに加えて、甘味噌タレとおろし醤油、串焼き肉に塗る照り焼きソースも作っておこう。味噌汁も受け入れられるかわからないから試してみたいのでダシにする乾燥した小魚も叩いて粉にして置く。
イシュカとテスラは私とロイのやっていることが気になるのか興味深そうに眺めている。
さすがにプラスチックケースは無いのでガラス瓶から使う量だけ掬える小さなお玉も欲しいなと思う。ついでに柄の先が瓶の縁に引っ掛けられるようにしてもらって、後はおろし金も欲しい。紙の値段が高いので紙コップは採算が合わないから貸し出しなどには割れにくい金属や木製食器も良いかもしれない。その辺はマルビスに要相談だ。
タレを作っている横で私の留守中に完成した調理器具も使ってみることにした。
蒸し器や沢山のお菓子の型、冷蔵庫代わりの金属製の箱も出来てきたのでまずは蒸し器で簡単に出来る蒸しパンとプリンを作ってみることにした。
この世界のパンはやや硬めで前世で言うフランスパンが近い。
おそらく長持ちさせるために水分を減らしているのだろう。高級店のパンは比較的柔らかいが黴やすい。パン焼き釜はここにはないから生地をふっくらさせるためにも卵白を泡立て、何も入っていないのは少し寂しいので昨日レイオット領で買って来たドライフルーツを刻んで入れてみることにした。
プリンは最初だからまずはスタンダードに固めの蒸しプリンにした。水を冷気で凍らせて金属の箱の上段に置き、中を冷やしておく。
いくら前世とほぼ同じような材料が揃っているとはいえ全く同じとも限らないので上手くいくかどうかわからない。多分今までの経験からして大丈夫だろうと思うがまずは試しだ。美味しく出来たらいいなぁと思いながらパンが蒸し上るのを待っている。
甘くいい匂いが漂って来たので今回は叔父さんに乱入されないように内側から鍵をかけ、ついでに倉庫の周りに薄く結界を張る。それなりの数は用意したがここで甘やかし過ぎてはいけない。叔父さんはまだ私の部下ではないのだから。
案の定、匂いに釣られて叔父さんが特攻を仕掛けてきたが、ここはシカトだ。後々のためにも我慢を覚えさせねばならない。遠慮なしに食べられても困るのだ。
テスラは私のやっている作業や道具の使い方などを細かく書き出しているようだ。
王都出発前に作成をお願いした道具の数々は理解しやすい物はそのまま商業登録に提出されたらしいが使い方の分かりにくい、蒸し器や簡易冷蔵庫等は確認してからということでまだ登録には出されていないそうだ。確かに焼く、煮る、炒めるが基本のこの世界では『蒸す』という料理法はまだ理解し難いだろう。
私はロイに手伝ってもらいながら何回かに分けて三十個ずつくらいプリンと蒸しパンを蒸し上げ、プリンは粗熱を取ってから冷やしておいた簡易冷蔵庫に入れ、水滴が中に入らないように布巾をかけておく。
始めは見ているだけだったイシュカも手持ち無沙汰になったのか使用した道具の洗い物などを手伝ってくれた。
五人分の蒸しパンを皿に乗せ、フォークを添えているとイシュカが大きくため息を吐き、ぽつりと言葉を漏らした。
「私はハルト様と食事を御一緒させて頂くようになってから自分がいかに自分が食に無頓着だったのか自覚しました」
そういえば騎士団本部に連れて行かれた日、他の団員達がそんなこと言ってたっけ。
不味い食堂の食事にイシュカは慣れ過ぎだと。
私の専属になってから何も言わずに美味しそうに食べていたからすっかり忘れていたけど。
「団員達に食堂の食事の苦情はよく聞かされていたのですが、そんなもの腹に入ってしまえば全部同じだろうと聞き流していました。だけど実際にこうして美味しい物を毎日食べていると以前のように全部同じだとはもうとても言えません」
味覚が麻痺していたわけではなかったのか。
ただ美味しいものを食べようとしていなかっただけで。
食事は楽しむものだと認識していなかったのだろう。
俯いて呟くイシュカに私は笑って言った。
「美味しい物を食べている時って文句なしに幸せになるよね」
「はい。貴方と食べる食事はいつも凄く美味しいのです。遠征に出かける団員達にとって、その食事が最後になることもありえると思えばもう少し改善すべきだったと今更ながらに思いました」
後悔しているのか、苦々しい表情に私は明るく声をかける。
「改善すべき点が見つかったらすぐに取り掛かればいいだけじゃない、難しいことじゃない。団長に手紙でも書いてみればいいよ。近いうちに誰かジェイクとヘネイギスの件について報告に来てくれるんでしょ。その時渡せばいいんじゃないかな」
私がそう提案するとイシュカの顔がパッと明るくなる。
「そうですね、そうします」
本当に反応は大型犬みたいだ。
やはりどこか可愛い。
吹っ切れたなら良かった。
悩むくらいなら行動を起こすべきだ。
それが覆せないものであるなら仕方ないにしても今からでも変えられることならば悩む時間は無駄だ。やってみて駄目なら駄目で他の方法を考えればいい。いつも深く考える前に突っ走る私が言えた義理ではないけれど。どうせやってもやらなくても悩むなら行動を起こした方が後々まで悩まなくて済む。やっておけば良かったと悔やむよりもやってしまったものは仕方ないとフォローする方が私の性に合っている。
それでいつも周りに迷惑をかけているのではないかと突っ込まれると返す言葉もないけれど。
「貴方と食べる食事はいつも凄く美味しい、か」
いつの間に起きたのかガイが肩肘をつき、寝っ転がったままこちらを向いてニヤニヤ笑いながら言った。
何がおかしいのだろう。食事は一人で食べるより気の合う仲間と食べる方が美味しいに決まっている。
首を傾げた私とイシュカにガイは続けて言った。
「いや、無自覚というのは怖いな、と、そう思っただけだ」
「どういう意味でしょう?」
問いかけるイシュカにガイが言葉を返す。
「今度御主人様と一緒に食べて美味しいと思った物を一人で食べてみな。俺の言った意味もわかるだろうよ」
やっぱりよくわからない。一人で寂しく食べたところで仲間と食べる食事にかなうわけもないだろう。
一緒に食べる相手というのは食事をする上での重要な要素の一つだ。
「それで、手に持っている凄く美味そうな匂いのしているそれは、いつ食えるんだ?」
よっと声を掛けて起き上がり、胡座をかいてガイが尋ねてくる。
「もう食べれるよ。明日持って行くタレの準備もほとんど出来たしお茶にしようか。はじめて作ってみたから上手く出来てるかどうかわからないけど」
「はじめてって、おいっ」
「多分大丈夫。タネは美味しく出来てたし、ちゃんと中まで熱が通ってるのは確認したし膨らんだから」
はじめてって言ってもこの世界で作るのが初めてなだけだ。
前世では何度も作ったことがある。
「ガイが要らないって言うならガイの分は私とキールで半分こにするからいいよ。ロイ、お茶をお願い」
「食うよ、食うって、有り難く頂きますっ」
慌てたガイにみんなが笑った。
蒸し上がったそれは前世と変わらない味でふわふわと柔らかく、美味しかった。
今度は黒糖や果汁も使って作ってみよう。
半分残して母親に持って行こうとしていたキールには、ちゃんとお母さんの分もあるから大丈夫だと伝えると嬉しそうにそれを平らげた。
お茶の後は片付けと夕食の準備はロイとテスラに任せて外に出た。
流石にいきなり増えた従業員の食事まで屋敷の料理人に任せるわけにもいかないので商業部門の人員の食事はここで用意をすることにしたのだ。テスラはほとんど料理したことはなかったようだが野菜などの下拵えと皿洗いくらいは出来ると言うのでロイの補助要員だ。
いつまでも戦闘で御荷物でいるわけにもいかないし、いざという時自分で自分の身くらい守れないのはマズイと思っていたのでガイに新しく手に入れたら双剣の使い方を教えて見せてもらおうと思ったのだ。
実際にガイが剣を持って戦うところは初めて見るので少しだけドキドキする。
この間ギルドで戦った時は打ち合うこともなかったし。
予備にウェルムから買ったもう一組の剣を構え、ガイはイシュカと向き合う。
防具をつけていない二人を心配すると本気は出さないから大丈夫だと言った。私に教える時は危ないから木刀にするのでマルビスに町に行く前に注文してきてもらうように頼んであるということだ。ウェルムも一緒だからサイズや形は問題ないだろうと思ったらしい。
「最初から動きが早すぎても理解し難いだろうから先ずは五分の力でいくぞ。先に見せるのは防御の仕方だ。適当に打ち込んできてくれ」
「了解しました」
そして二人の打ち合いが始まった。
切りかかるイシュカの剣を厚い峰側で右に、左にと受け流しながら正面に打ち降ろされると二本の剣を交差して受け止め、弾き返す。身体の捻りや二本の剣を上手く使い分けイシュカの剣の勢いを凪いで交わす。正面から打ち下ろされた時は受け止めたがなるべく相手の正面に立たず受け流すのが基本のようだ。時代劇とかで見たものとはだいぶ違う。あれは魅せるのが目的だから当然だろうし、二刀流のアニメの主人公とかは『俺強え』状態が多かったからというのもあるだろう。やっぱり主人公は強くてカッコよくあるべきだろうし。
勿論流派などの違いも当然あるだろうけど。
果たして私にそれが出来るか否かは定かではないが。
打ち合いが暫く続き、ガイのストップがかかるとイシュカが踏み込む足を止めた。
「見えてたか?」
ガイの問いかけに頷いて応える。
「両手に剣を持つとどうしても両手で振り下ろしてくる奴には力ではかなわない。それに今の時点では大人相手の場合、どちらにしろ両手で剣を持ったところで押し負けるだろう。真正面からは打ち合わない方が無難だ」
そりゃそうだ。団長みたいなパワー系なら片手一本でも渡り合いそうだが普通なら片手が両手にかなうわけもない。まして私は今は子供だ。
「だがまあ両手に剣を持つ利点も当然ながらあるわけだが」
「攻撃力、だよね」
「そうだ。上手く躱して相手の懐に潜り込めたなら二本の剣から繰り出される攻撃を全て防ぎ切るのは難しい。特に体格差がある今なら尚更だ。素早い動きで撹乱して間合いを詰めてしまえば自分よりも小さい相手というのは攻撃しにくいものだ」
「ガイも姿勢低くして突っ込んできてたよね」
「だが相手の身長がそれ以上に低かったんであまり功を奏していたとは言えなかったが」
確かにそうだ。私の今の身長はガイの約半分、どんなに姿勢を低くしても私より低くするのには無理がある。
「いくら魔法戦闘に長けていたとしても状況次第ではそれが使えない場合もある。覚えておいて損はない。次に見せるのは攻撃だ。イシュカ、同じく五分で行くぞ」
そうして私はマルビス達が戻ってくるまでの間、暫くイシュカとガイの模擬戦闘を見ていた。
町から戻ってきたみんなと一緒に夕飯を食べ終わると、とりあえず寮が出来るまでの間は木材で囲った枠組みの中に大量の藁を敷き、その上にシーツを敷いて雑魚寝することにしたということだ。
安い宿屋でも取ればいいのにと言うとこれから大量の資金が必要になるのだから勿体無いと新しい従業員達に口を揃えて言われた。たかが一月あるかないかの間だけ、仕入れの途中の道端で何日も野宿することもあったのだから屋根があるだけありがたいのだから心配ないと言われると返す言葉はなかった。
その代わりというわけではないが昼間に作った蒸しパンとプリンを一つずつ(勿論キールと母上の分も)、食後のデザートに配ると七人分のそれをダルメシアのお土産兼オヤツに残りを詰めた。美味しそうにみんなが食べている様子にマルビスが羨ましそうに、というか売り出す気満々の興味深そうな目で眺めていたのでマルビスの分はバスケットに入れたから後で一緒に食べようと引き摺り出した。
私達はそうしてランスとシーファに御者を頼み、ロイとマルビス、イシュカとガイ、テスラを連れて冒険者ギルドに王都土産のお酒とウェルムの短剣、ついでにレイオット領で買ったアレも一つ、持って向かった。