第四十九話 侯爵閣下のお出ましです。
ウェルムの工房を後にして、私達は侯爵閣下のお出迎えをするための食材調達に向かった。
閣下相手に安物を使うわけにもいかないので大通りに面した店に向かい、必要な食材を揃えた。
ロイと相談して見た目も良く、華やかな方が良いだろうと言うので見栄えも良いフルーツサンドを用意することにした。クリームは三種類、クローテッドとカスタード、クリームチーズ。旬のフルーツはなるべく彩りの良いものを複数選び、高級パン屋で大量のパンを仕入れた。買い物をするロイと私の後ろで欠食児童ならぬ食い意地の張った騎士達が恨めしそうに眺めていたからだ。お腹いっぱいは無理でも味見くらいはさせてあげよう。
ロイに手伝って貰ってそれを用意し終える夕刻少し前頃、閣下はレインと二人の護衛を伴ってやって来た。
「疲れているところをすまないね」
ホテルの支配人に案内されてやって来たのでガイ以外のみんな総出でお出迎えだ。
この間と同じくレインには飛びつかれて、後ろにひっくり返りそうになったのをイシュカが支えてくれたのでことなきを得る。このレインの抱きつき癖はなんとかして欲しいものだが子供のすることだ、目くじらをたてるほどでもない。同じ年齢のはずなのだがこの体格の差はやはり遺伝だろうか。
「ようこそおいで下さいました。本来であればこちらから伺わなければならないところを御足労頂き、ありがとうございます」
「いや、時間を取ってくれただけで充分だ。そなたの王都で示した辣腕ぶりは聞き及んでいるのでな」
用意された軽食兼オヤツの甘い匂いに誘われてレインが食卓の方に駆けて行く。
ロイは軽く椅子を引き、香りの良いお茶を入れてくれる。
私は閣下をレインの隣に案内しながら言葉を返した。
「辣腕ですか? 私はそんな大層なことをした覚えはないのですが」
「ここまでくると謙遜も嫌味だ」
嫌味と言われても私がやったのは口出しだけ。
実際に動いてくれたのは現場にいた騎士達なのだ。
「私は私のできることしかしておりません。私を支えてくれる者があってこその手柄。私一人の功績ではありません」
「昨晩も随分と活躍したようだが?」
色気より食い気、既に口いっぱいに頬張っているレインを微笑ましく見つめながら出せれたお茶に口をつける閣下にもどうぞと勧める。
「随分と耳がお早いようですが、私は戦列に参加していません。評価されるようなことはないと思うのですが?」
「それを本気で言っているあたりがそなたの怖いところだ」
どういうことだ? なんか意味深だ。
私は誰かの手柄を奪うようなことはしていないはず。
戦いの場に素人がいては邪魔だろうと引っ込んでいたのだ。
私がやったのはせいぜい最初の魔素祓いと短剣の属性付与だけ。
心当たりがなくて首を傾げる。
「まずはお祝いを言わせてもらおう。伯爵位、及び緑の騎士団軍事顧問就任、おめでとう。これはささやかだが私からのお祝いだ。是非受け取って欲しい」
閣下は懐から小さな箱を取り出して私の前に置いた。
失礼しますと一言断ってからそれを手に取り開けると、そこには決して小さくない、いや、ハッキリ言ってしまうならかなり大ぶりの宝石のついた一対の耳飾りが入っていて、私はギョッとして目を見開いた。
「うちの特産の一つ、エメラルドだ。そなたの瞳の色に近い物で作らせた。ああ、深い意味はないから安心してくれ。息子の恋敵になるつもりはないのでな。これは息子を救ってくれたことに対しての感謝と純粋な祝いの品だ、それ以外の意味はない」
結構な高額のはずだ。宝石類に詳しくない私が見ても明らかにわかる。
市場で見たものとは明らかに輝きがまるで違う。
「こんな高価な物を、よろしいのですか?」
「良い。そなたが申した『生意気な一言』について妻とも話し合った。今は妻やコレとの関係も修復された。その礼だ。なので余計な返礼の品もいらぬ。そなたはただ受け取ってくれるだけで良い。気に入らねば誰ぞにやっても売り払っても文句は言わぬ。これは私と妻からの気持ちだ」
そう言いながらレインの頭を撫でる閣下のレインを見つめる瞳が以前より随分優しくなっていることに気がついた。レインの目にはもう父親を恐れる様子は見られず、嬉しそうに閣下を見上げていた。
そういうことならば断るのは確かにかえって失礼だろう。
判断基準は人によって違う。それが安いか高いかは私が決めるものではない。
「ではありがたく頂戴致します」
そう言って受け取ると、隣に立っていたロイに預けた。
閣下から王都での出来事を聞かれながら、どこまで話して良いのかわからないことは全てロイとイシュカに任せ、レインの近況も聞きながら歓談した。
そしてテーブルの上にあった最後のフルーツサンドに閣下が手をかけながら尋ねてきた。
「それにしてもコレは美味いな。どこの店の品だ? 是非教えてくれ、妻にも買って行ってやりたい」
閣下は見かけによらず愛妻家のようだ。
ならば余分に作ってある私達の分から少し持って行ってもらおう。
調子に乗って結構な量を作ってしまったのでそこから二、三人分減ったとしても私達のオヤツとしては充分な量もあるし。私はさりげなくロイに視線で合図を送るとそれを察してキッチンからバスケットに入れて持って来てくれたのでそれを閣下に渡してもらった。
「ではこちらをどうぞ奥方様のお土産にお持ち下さい。これは売り物ではなく、私共の手作りですので。
商業登録も済ませ、これから我が領地で売り出そうと考えている品でございます。よろしければウチにお見えになった際にはお土産に是非お買い求め下さい」
「では遠慮なく頂いていこう。レイン、そろそろ帰るぞ」
渡したそれを従者に預け、閣下が立ち上がる。
するとその脚にしがみつき、レインは膨れっ面で見上げる。
「嫌です、父上。もっと僕はハルトといたいです」
「レインはいい男を目指しているのではなかったのか? そのような子供っぽい我儘を言うようではいい男から随分遠ざかると私は思うのだが」
そう言われてレインは恥ずかしそうに頬を染め、しゅたっと姿勢を正した。
「帰ります」
う〜ん、いいように丸め込まれてるなあ。
微笑ましいといえば微笑ましい光景ではあるが。
「ハルト、また会えるよね?」
「勿論ですよ。領地も近いのですから。そのうちまたお会いしましょう」
ホテルの一階まで二人をお見送りするために降りて行くと私達は二人の馬車が見えなくなるまで見送った。
閣下が帰った後、私達は遅めのティータイムにした。
ホテルの部屋の応接室にあるテーブルの椅子は六脚、足りないので隣の部屋から拝借して全員分の椅子を用意し始めた頃、丁度マルビス達が戻ってきた。それもゲイルとジェイクの二人を連れて。
彼らは私の前までくると挨拶もそこそこに床に頭をつけ、謝罪した。
「この度は大変な御迷惑をお掛け致したのにも関わらずお助け頂き、誠にありがとうございました。どれだけ感謝、お詫びしてもしきれるものではありません」
今にも死にそうな顔で床に額をつけている。
もう終わったことだ、気にしていない。
私はゲイルの前にしゃがみ込むとその肩に手を置いた。
「どうぞ顔を上げて下さい。こちらこそ巻き込んでしまい、申し訳ないことをしました」
「いいえ、私はとても許されないようなことを致しました。このままのうのうと貴方様にお仕えすることはできません。ですが、これは私の罪でございます。どうぞ私の命だけで、息子夫婦や孫はお許し下さい」
・・・何故こうなる?
私は許さないなんて一言も言った覚えはないのだが。
この調子ではジェイクはともかくゲイルは死刑台にでも上がるような気持ちでここまで来たんだろうなあ。
マルビスを見上げると困ったように首の後ろを摩っていた。
なんとなくだが理解した。
多分普通の貴族なら処分されてもおかしくない状況。
時代劇で言うところの平にご容赦をというアレだ。
マルビスも一応大丈夫だと言ったのであろうが信じられなかったということか。
どうしたものかと考えていると後ろのソファで寝そべっていたガイがゲラゲラと大声で笑い始めた。
「そりゃあ普通そうなるよなあ、陛下の覚えもめでたき伯爵家御子息様だもんな。まあ外見だけなら間違いなくそうなんだろうが。俺の御主人様は変わり者だからな」
否定出来ない・・・
多分世間一般の貴族から大きく外れている自覚はある。
シリアスそのものの場面でのガイの大笑いに二人は呆気に取られている。
「安心しろよ。ウチの御主人様の度量は大人顔負けだぜ。じゃなきゃ、主が立っているっていうのにこんなところに一応下っ端貴族の出身とはいえ平民の俺が寝っ転がっていて許されるわけがないだろう」
「ガイ、貴方はもう少し体裁というものを学んで下さい。いくらハルト様がお許しになっているとはいえ、人目があるところでは困ります」
イシュカがガイを怒鳴りつけているがそれもあっさり聞き流す。
「大丈夫だって、そういう相手が来た時は逃げっから。侯爵の時はいなかっただろ?」
「突然という場合もあります」
「俺がそういう気配に敏感なのは知ってるだろう? そんなドジ、踏まねえよ」
「そういう問題ではありません」
イシュカの心配はわからないでもないけれど、実際ガイはそういう場面になるといつの間にか消えていることが多い。緑の騎士団は古巣なのもあるのか気にならないようだが面倒そうな相手のときは姿を現さない。
「いいよ、イシュカ。もしそんなドジを踏んだら、それ以降はイシュカの言う通りにしてもらうようにするから。それでいいよね、ガイ」
「ああ構わないぜ」
随分と話がズレてしまったが、ガイのお陰で深刻な空気は消し飛んでいた。
話は済んだとばかりに再びソファの上で大欠伸をしながらくつろぎ始めたガイに二人は茫然としている。
「まあ、そういう訳なので安心して下さい。ジェイクにも先日言いましたが私は今回のことについて責任を追及するつもりはありません。二度目は許しませんが。
それでも申し訳ないと思うのならその償いは仕事で返して下さい。責任というものは処罰したり謝って終わりということではありません。貴方が私に迷惑をかけたと思うならその分マルビスの力になって助けて上げて下さい。これから私達がやろうとしていることには多くの人手や意見が必要なのです」
人手がいつまでも足りないままではマルビスの過労死が近づいて来そうだし。
リゾート開発だけじゃなくて商業登録したものの売り出しや販売ルートの確保など、やることは山積みなのだ。
私が笑顔でそう言って手を差し出すとゲイルはその手を両手で握りしめ、もう一度深く頭を下げた。
「誠心誠意、精一杯、勤めさせて頂きます。宜しくお願い致します」
これで一件落着だ。
食卓の上の食料は新たに三人増えたことで明らかに足りないのでシーファとシエンにお願いして屋台とかで買って来てもらうようにお願いした。こうなったらついでに食事も済ませてしまおう。ホテルにもすぐに間に合いそうな物を何品か頼んだので暫く待ち状態だ。
「それでマルビス、二人は王都にもどるの? それともウチに来るの?」
「出来ればこのまま連れて行こうかと。他にも独身者などの身軽な者はすぐにでも来たいということなのですが構いませんか?」
「それは構わないけど。何人くらい?」
「二人を入れて十人ほど。問題は屋敷の寮が足りなくなりそうなことなのですが」
王都に来る前の父様の寮の空き部屋は全部で六つ。
イシュカとガイ、テスラとキールでほぼ余裕はない。
現在森の入口に関係者の寮を建設中だが、それもまだ始まったばかり。
使用人を増やしたいと言っていた父様の寮を占領するわけにもいかない。
「問題はそれなんだよね」
「旦那様にお許し頂ければとりあえずは倉庫の方にベッドだけ足りない人数分入れ、簡易的に仕切りでもしようかと。旦那様に御迷惑がかかるようなら寮の完成まで短期間借りられるような物件をすぐに探します」
「それでいいの?」
「私達は眠れる場所さえあればどこでも構いませんが」
二人に尋ねるとすぐに返事が返って来た。
「それで連絡はどうやってつけるの?」
「明日の早朝、支度だけ整えて検問所近くで待っていてもらうように伝えてあります。王都の貸し馬車屋には明日の朝ということで予約金として二台分の半額を入れておきました。駄目でもランスが馬を走らせて連絡に行ってくれるとのことでしたので。大丈夫ならそのままこちらに来てもらうことになっています」
さすがマルビス、手回しがいい。だがそうなると、
「じゃあ護衛が必要だね、どうしようか」
通常他領に移動する時は平民は冒険者などに護衛を頼むのが一般的だ。二台の馬車の護衛にランス一人では大変だろうからシーファに頼むとしても安全を考えるともう何人か必要だ。イシュカ達団員は一応私の護衛ということで借り受けているわけだし、近くの諸用というなら問題ないだろうが頼むのは気がひける。
そう思って思案していると昨日からの護衛、ホセ達騎士団五人が申し出てくれた。
「俺達がランスと一緒に行きますよ」
それは願ってもない、ありがたいことなのだが。
「頼んでもいいの?」
「勿論ですよ。昨日も今日も色々御馳走になりましたし、コレの代金分くらいは俺達も仕事しないと。なあ?」
ホセが胸元に仕舞った短剣を指差し、五人は顔を見合わせて頷いた。
「明日の昼前くらいまでにその人達をここに連れてこればいいんですよね」
マルビスにはウェルムのところに契約に行ってもらわなければならなかったのでシーファは出来れば残しておきたかったからすごく助かった。
私が頭を下げてお礼を言うと五人はお役に立てれば光栄ですと言って嬉しそうに笑った。
翌朝起きるとランス達は既に出発した後だった。
マルビスもゲイルとシーファを連れてウェルムのところに出かけていた。
私はロイやイシュカ達と遅めの朝食を取ると少しだけ商店街を見てまわることにした。ガイだけは、
「面倒くせえ」
と言って大欠伸しながらベッドに逆戻りしたけれど。
情報屋は夜行性だと言っていたし、ここ数日一番働いたのは間違いなくガイだと思うので私はゆっくり休んでもらうことにした。
閣下の言う通り、エメラルドが特産というだけあってメイン通りには宝石店が多く、軒を連ねている。
当然のことながらそこは素通りさせてもらい、雑貨や食料品を見て回る。ジェイクは今日は荷物持ちだ。
とはいえ、あまり変わったものもないと思った矢先に見つけたのは様々なドライフルーツの置かれた輸入品などを取り扱う店だった。農業主体のウチの領地では見なかった。ジャムも捨て難いがドライフルーツにも使い道はたくさんある。お菓子にも紅茶にも使えるし、柑橘系なら料理にも使いやすい。もしウチで作れるなら香水代わりの低価格の匂い袋なんかもいいかもしれない。
当然、私はアレもコレもと大量に買い込み、ジェイクの両手はいっぱいに塞がった。
マルビスが言っていたように置かれている商品自体は王都もレイオット領もウチも大きく変わらないようだ。品質とデザインが変わり、価格もその分だけ上がる。
ウチが目指しているのは低価格、低コスト。庶民の味方の商品だ。極力ウチの領地の価格帯に近い、だけどほんの少しだけ高い、買うのを迷わせないギリギリのお買い得ライン。
人手が増えればできることも増える。
施設と商品開発、後は他にも人を呼び込めるようなイベントがあるといいのだけれど。
私は歩きながら何かないものかと悩んでいると躓いて転びそうになり、ロイに助けられた。
いけない、いけない。
歩きながらの考え事は要注意だ。
とはいえ、考え出すと止まらない私はその後も何度か転びかけ、イシュカとロイに抱き止められた。
私達が帰ってくるとマルビス達も帰って来ていて、そこにはウェルムの姿もあった。
どうやら独り者のウェルムの身支度もそんなにかからなかったようで一緒に来るという。仕事道具と身の周りの物は昨日私達が帰った後からすぐに整理し出したらしく、大量の道具類は荷馬車を借りて三人で詰め込んで来たという。窯もまだ用意していないと言ったのだが窯を作るところから立ち会いたいというのでそれならばと一緒にくることになったそうだ。職人には職人のこだわりがあるのでそれは構わない。
ホロが無いのは高価な物を積んでいると思われると狙われやすいので積荷が何かわかるようにしたらしい。
それに護衛がたくさんいる時の方が更に危険も減るだろうし。
問題は一気に急ぎの仕事が増えてしまってどこから手をつけるべきなのかわからなくなりそうなことくらい。
しかし部下も一気に増えたわけだから、まあなんとかなるだろう。
大丈夫、私には有能な片腕が付いている。
そうこうしているうちに王都からの移動人員も到着、私達はホテルで昼食を取った後、すぐにウチの領地に向けて出発することになった。実に馬車三台と荷馬車一台。なかなかの大所帯。
先頭の私達が乗る馬車にはウチの紋章の旗を当然立てた。
屈強な騎士十人の守る馬車は問題なくレイオット領の中を抜けて行った。




