閑話 ランス・ベルガーの告白
俺の現在の護衛対象であるハルト様はかなり変わっている。
どのくらい変わっているのかと言えば、変わっていないところを探す方が難しいくらい変わった方だ。
最初、ハルト様の誕生日当日から二日ほど身内の不幸でお休みを頂き、その休暇明け直後旦那様から呼び出しを受け、御子息である三男ハルスウェルト様の暫くの間の外出の際の護衛任務を申し伝えられた時、ハッキリ言えば不服だった。田舎の伯爵領とはいえ旦那様は人格者、尊敬もしていたし、規模こそ小さいがこの領地内で御屋敷の警護を任される程度には腕に覚えもあったのだ。
後継者候補から外れた三男、しかも六歳児の男の子供の護衛など冗談ではない、俺に子守など出来ないと。
ところが一緒に任務を賜ったシーファに俺が休みの間に起こった出来事を聞いて驚愕した。
興奮気味に語るシーファによれば、ハルト様はご自身の誕生日パーティで来襲したワイバーンを単独で警護の者が駆けつける間もなく倒したのだという。この話を聞いた時、何の冗談だと思った。当然すぐに信じることの出来なかった俺は屋敷に勤めている同僚達に話を聞いて回ったのだが誰に聞いても全く同じ答えが返ってきて、それが真実なのだと理解した。
ワイバーンといえば王都の魔獣討伐部隊、緑の騎士団でも手を焼くような相手、それを俺の三分の一にも満たない歳の子供がいったいどうやって?
少なくとも俺にはとてもじゃないが無理だ。
相打ち覚悟でも厳しいだろう。
今思えば実に失礼極まりないことだったのだが、俺は護衛をしながらハルト様を俺が守るに足る人物なのか見定めようとしていた。
一言で言うのなら、全く子供らしくない子供。
子守どころかやることなすこと大人顔負けの知識と手際を披露し、感心させられるばかり。
そしてそんな俺が一気にハルト様に傾倒することになったのはステラート領から押し寄せて来たワイバーンの群れを討伐した瞬間だった。
上級貴族から領地防衛の任務を押し付けられ、すぐさま冒険者ギルドに向かい、ギルド長とロイ、マルビスの手を借り、様々なものを手配し出した時、ハルト様はいったい何をするつもりなのかと呆れ半分で見ていた。緑の騎士団を含めた総勢四百人の騎士が向かうのだ、俺達の出番などあるわけ無かろうと。
しかし、周囲のそんな声に一切耳を貸すことなく、無駄になるのならそれに越したことはない、万が一があってはならないのだからと何に使うのかも定かではないような仕掛けを俺達に用意させた。
そしてその当日、ハルト様の御心配は現実となった。
想定していた倍以上の数の九匹のワイバーンがこちらに逃げて来たのだ。
それを見たその時そこにいた兵士の殆どが終わったと、そう思った。
俺達はハズレを引いたのだと。
みんなが死を覚悟した。
だが、その中で一人、たった一人だけ諦めていない人物がいた。
そこにいる中で誰よりも小さく、非力に見える貴族の子供、ハルト様だ。
真っ直ぐに前を睨みつけ、逃げ出そうともしない度胸と胆力にその場にいた兵士達は圧倒された。
そしてハルト様は俺達が密かに笑っていた仕掛けを使い、見事に全てのワイバーンを倒してみせたのだ。
この人は俺達と根本から考え方がまるで違うのだと理解し、ロイやマルビス、ギルド長までもがこの方を認め、信頼している理由を知った。
ハルト様を敬い、付き従う彼らを俺は心のどこかで馬鹿にしていたのだ。
こんな子供をと。
だが違う、馬鹿だったのは俺の方で、見る目が無かったのは自分なのだと。
思いもしなかったワイバーン九匹という相手に勝利した事実は兵士達を湧き上がらせ、熱狂させた。
そして自分の成した偉業を誇ることなく、俺達に謝辞を述べ、その日の夕飯をご馳走して下さったのだ。しかも酒も飲めない子供の上司がいては邪魔だろうと金だけ置いてご自分はサッサとお屋敷に帰ってしまったのだ。
無礼講どころかカオスと化した酒場ではみんながハルト様を褒めちぎり、称え、称賛した。そして現在側近に付いているロイとマルビス、専属護衛の任に当たっていたシーファと俺は羨望の的になり、ハルト様の普段の様子や好きな物など質問責めにあったのだった。
領内はハルト様の話題で持ちきり、グラスフィート領の英雄とまで語られるようになった。
だがそんなハルト様が俺達に初めて弱味を見せたのは町の熱狂ぶりに押し潰されそうになった時だ。
詰め寄せる領民を力で押し退けるわけにもいかず耐えている姿を見て、俺はハルト様はまだ子供で守らなければならない存在なのだと改めて認識した。どんなに大人顔負けの知識を持っていようとも子供なのだと。
必死に馬車までの道を作ろうとしたものの圧倒的な人数の暴力によって押し流された。あの時ハンス達が駆けつけてくれなかったら俺は確実に護衛という任務を果たせなかったに違いない。
その事態に怯え、困惑していた様子を見て俺達は自分達が出来ることを考え、ハルト様を一目見たさに押し寄せる群衆達を説得した。そして馬車までの道を開け、待つ領民達を目にした瞬間驚き、そして微笑んだその時の御顔を俺は一生忘れないだろうと思った。
ハルト様は頭も良く、腕も立つ。
しかし全てに対して万能なわけではない。
ロイとマルビスのプロポーズまがいの熱烈なアプローチにも気付かぬ朴念仁だし、意外と面倒くさがりだったり、時折とんでもないところで抜けていたりする。まだ六歳の子供なのだから色恋に疎くて当たり前、足りないところがあって当然なのだけれどそういうところを見るとハルト様も俺達と同じ人間なのだと実感し、親近感も湧いた。
そして王都でも緑の騎士団団長にイビルス半島で起こったスタンピードの沈静に協力を依頼され、そこでもその手腕を遺憾無く発揮された。だが、団長に連れ去られて三日後、旦那様のお供をして騎士団本部での護衛を賜った時、最初、俺達より強い騎士達が大勢いるのに俺達の護衛が必要あるのかとも思ったのだが、明らかに俺達の顔を見てホッとしているハルト様を見た。
そして納得した。
ここはハルト様にとって決して居心地の良い場所ではないのだと。
騎士団員の護衛もついているし、既に成果を出しているハルト様に対して好意的な団員も多い。しかし、圧倒的に貴族が多い中で爵位を理由に無理難題を押し付けようとする者や手柄を横取りしようとするような輩が僅かながらいた。
不条理な要求に対しては毅然と対応し、決して頷く事はしなかったがハルト様が神経をすり減らしていっているのがわかった。特にしきりに背後を気にしていらしていたのでシーファと相談して団員の護衛もいるのだからせめてハルト様の背後だけでも完璧にお守りしようと常に後ろに控えてついていくと安心したのか後ろを振り返らなくなった。そしてハルト様が団長に呼ばれてほんの少し俺達の前から席を外した時、副団長にハルト様が背後を警戒していた理由を聞かされた。
ハルト様を逆恨みしてつけ狙っているヤツがいるのだと。
そして後日、ソイツがハルト様の暗殺を企み、捕縛された時に発覚した事実に俺達は更に驚いた。
ハルト様はロイとマルビスを守るために自ら標的となっていたのだと。
唖然とした。
普通逆だろう。
ハルト様は守られる存在であってあの二人を盾にしたところで責められるようなお立場ではない。
だが標的を自分に絞らせることで二人を守ろうとしていたのだ。
大事な部下なのだから上司の自分が守るのは当然だと言っていたのだと。
勿論、このことはロイもマルビスも知らなかった。
ハルト様は自分の懐に入れた者を守るための労力は少しも惜しまない。
きっと俺達が同様の目にあったとしても同じように矢面に立とうとなされるのだろう。
ハルト様が隠されていたことをわざわざ暴く必要はないと俺達四人はこのことに関して口を噤むことにした。
そしてイビルス半島のスタンピードが終息を見せ始めた頃、ハルト様は改めて城に呼ばれることになった。
ワイバーンの件、そして今回の参謀としての功績が認められ、金貨一万七千枚という大金を賜り、伯爵位も頂き、更には緑の騎士団副団長の護衛派遣、緑の騎士団の軍事顧問へ就任をも果たした。
翌日、王都で買物三昧となったのだが俺達みんなにも新しい洋服を買って下さって、輸入食品を買い漁り、一緒に食事をしてホテルに帰る途中、唐突に領地に戻ってからの話をし始めた。俺達の仕事は護衛、ハルト様がグラスフィート領の開発に乗り出していることは勿論知っていたが特に口出しすることはしなかった。かなり大規模な事業であることは理解しているが商売のことを聞かされても門外漢、聞かれても困るからだ。
話を聞いていると人材不足に悩んでいるらしいことはわかった。
優秀な人材はどこでも手放したがらない。
そこでハルト様がマルビスに提案したのは彼の以前の同僚の勧誘だった。
「・・・よろしいのですか?」
マルビスは目を見開いて驚いていた。
そんなアテがあるのなら何故今まで連れて来なかったのか。
「優秀な人材は大歓迎だよ」
「ですが・・・」
「言っておくけど『いわくつき』だなんて迷信は関係ないから。ちゃんと仕事をしてもらえるなら構わないよ。あ、でも引っ越してもらわないと行けないのか、ウチ、田舎だし来てもらえるかなあ。その辺の手配は任せるけどちょうど王都にいる事だし、まだこちらに住んでいる人がいるのなら頼んでみたら?」
『いわくつき』?
考えてみれば俺達はマルビスがハルト様のもとで働くことになった経緯を知らなかった。彼が自分から売り込みに来たことは知っていたがいつも忙しそうに働いているこの男に尋ねる機会がなかったのだ。どういうことかと首を傾げているとハルト様はマルビスを睨みあげ、言い放った。
「それともマルビスはそんなヤツらに私が負けると思ってる?
だとしたらそれは侮辱だよ。
私は卑怯な手には屈しない。
敵前逃亡する腰抜けならマルビスもいらないよ?
どうしても敵わないなら逃げる選択肢も考えるけど、私は闘う前から逃げる男は嫌いだもの」
卑怯な手には屈しない、敵前逃亡する腰抜けならいらない、それはまさしく俺達が見てきたハルト様の姿だ。
「ありがとうございますっ、行ってきますっ」
その言葉に勇気をいただいたのか背中を向けてマルビスが走り出す。
「シーファ、ランス、マルビスの護衛をお願い。
イシュカ達もいるし、ホテルはすぐそこだから大丈夫」
直ぐに後を追うように俺達に指示を出し、ロイに持たせていた金貨の袋を二つ俺達に押し付けた。
「これ、持って行って。多分、いると思うからマルビスに渡して」
随分と太っ腹だ。
確かに人や物を動かすにはそれなりにお金はかかるがこの人は大事なところで出し惜しみもしない。
俺はそれを受け取るとシーファと二人、急いでマルビスを追いかけた。
その後改めてマルビスから聞いたのは俺達が聞かされていなかった彼の過去だ。
普通なら嫌厭されるようなそれを全く気にしなかったハルト様に改めて驚いた。
これはもう度量が広いだとか、器が大きいだとかいうレベルではない。
失礼かもしれないが、いっそ図太いと言ってしまった方がむしろしっくりくる。
ハルト様と同じことをできる大人がこの国にいったい何人いるだろうか。
しかもマルビスの集めた人間の中にいた自分を害そうとした間者をやり込め、その上で許し、受け入れたのだ。
仲間になるつもりがあるのなら待っているから努力して這い上がってこいと。
敵だったはずの一人の男が心酔していく様を目の前で見せつけられた。
この方は生粋の人タラシなのだろう。
きっとこの男は二度とハルト様を裏切ろうなどと思わないに違いない。
ハルト様が明日の準備をするために退室なされた後、そこは当然のことながら騒然となった。
「なんなんですか、あの方はっ、かっこよすぎでしょう?」
「あれでまだ六歳って嘘ですよね?」
「マルビス様っ、いったいどうやってあんな御方を見つけてきたんですかっ」
「俺っ、絶対這い上がってハルト様の側近になってみせるぜ。
マルビス様っ、俺、どんな仕事でもやります、やらせて下さいっ」
押し寄せる人波と質問の嵐。
ハルト様は俺達の誇り、隠すことなど何もない。
多少の欠点など彼を彩る魅力にしかならない。
完璧ではない、時折見せてくれる弱さもハルト様には俺達が必要なのだと思わせてくれるものでしかないのだから。
大事な仲間だとハルト様は俺達のことを言う。
下に見たことなどないと、一緒に戦う仲間なのだと。
俺は、いや、俺達は改めてこの人のために強くなりたいと、そう思った。