第四話 ワイバーン来襲です。
響き渡る悲鳴に驚いて、私はレインと手を繋いだまま慌てて中庭に駆けつけた。
そこはかなりのパニック状態になっていた。
原因を確かめようと我先にと屋敷の中に駆け込む人の波に逆らって前に出るとそこには急いで遊具から子供を降ろしているロイとアイリ、屋敷の中に誘導しているミオナの姿があった。
レインに一言ゴメンと言い終えてから手を離すとすぐにロイのもとに駆けつける。
何があったのか尋ねる前に上からバサリッという大きな音が聞こえ、私は空を見上げた。
「ワイバーン・・・」
視線の十メートルほど先の上空に魔物の上級位の一つ、暗い赤褐色の皮膚を持つ竜種がいた。
まだ図鑑でしか見たことのなかったそれは竜種の中でも底辺であるというのに圧倒的な存在感を持って周囲を威圧している。
ロイは最後の一人を丸太から降ろし終えるとその子供を庇うように懐に抱え、走りだそうとした瞬間に駆けつけた私の姿を目にして叫んだ。
「ハルト様、来てはなりませんっ、お逃げ下さいっ!」
「でもっ」
すぐ後ろには既にワイバーン、ロイの持っている魔法属性は火と土、上空から襲いくる敵には不利だ。それでも必死に抱えている子供を逃がそうとロイは自分の背中を曝すことも躊躇わず全速力で走り出す。
「早く旦那様をっ」
ダメだ、それでは間に合わない。
広間はニ階、父様でも丸腰で戦うにはキツイだろう。
だからといって私にはこのままでは助かる可能性が低い二人を置いて逃げる選択肢はなかった。
勝算は低いかもしれないが可能性がゼロではない。
「ハルト様っ」
風魔法を使い、速力を強化してダッシュをかけた私の後ろから悲鳴にも似たロイの呼ぶ声に私は振り向かずに叫んだ。
「ここは私がなんとかするっ、ロイはお客様の避難をっ」
最優先すべきは来客の安全、招待客に被害を出してはならない。
まだ短いけれど二度目の人生、捨てるつもりもない。
倒す必要はないのだ、時間稼ぎさえできれば父様がきっと対策を打ってくれる。
空から襲いくるワイバーンの鋭い爪と火炎のブレスを避けながら距離を詰めると標的を私に定めて急降下したところに可能な限り加速して体当たりを噛まして吹き飛ばした。
まだ子供の私の体重は軽いがGが加わってワイバーンは後ろの木まで弾き飛び、幹をへし折った。
直ぐに追撃しようとしたもののそんなに簡単に行くわけもなく上空に逃げられる。
すでにロックオンされ、スキを窺うようにお互い睨み合うと再び爪とブレスで攻撃を仕掛けてくるワイバーンに背中を見せないように速力強化した脚で撹乱しながら走り、奴のスキを狙う。
空を飛ぶ敵に対してこちらは地上、分が悪い。
風魔法で吹き飛ばす?
いや、それではブレスの火炎を煽って大きくしてしまう。
水魔法で攻撃する?
いや、それもある程度近づかないと避けられて終わりだ。
何にしても距離を縮めなければ効果は薄い。
長期戦になるかもしれない以上魔力の使い過ぎは避けるべきだ。多少は近くの森で魔法を使って狩りの練習もしたけど私には圧倒的に戦闘経験が足りない。
及ばない分は頭を使って他の何かで補うしかない。
そして何度目かのブレスを避け、次の攻撃に備えるため私から距離を取ろうとした瞬間、背後の大木の太い枝に翼を引っ掛けてワイバーンが僅かに体勢を崩した。
勝負はここしかないっ!
そう判断した私はすぐさま足元の地面に両手をつき、土魔法を使って地面を高く、ワイバーンのいる上空まで足場をせり上げた。
再び降りかかるブレスの炎をそれよりも強い火の魔法で相殺すると間髪容れずに目晦ましの光魔法を放ち、ワイバーンの視界を奪う。
この距離なら届く、そう判断すると続けて水魔法を駆使してワイバーンの頭部を水で覆った。
ワイバーンだって生き物だ。呼吸を奪ってしまえば苦しいはず。
案の定、水魔法から逃れようともがきはじめたワイバーンに私は魔法を決して緩めなかった。
お願い、落ちて!
そう天に祈った瞬間、苦しんでいたワイバーンは動きを止め、地上へと落下した。
まだ安心してはいけないとせり上げた地面の上から土魔法を使い、自分の背丈程の下部の尖った岩を作るとワイバーン目掛けてそれを振りおろした。
しかし断末魔は上がらなかった。
ワイバーンは落下した時点で既に窒息死していたのだ。
戦いが終わって気が抜け、その場に座り込むと手が震えているのに気がついた。
必死だった、だから気が付かなかったけど私、怖かったんだ。
眼下にあるワイバーンの死骸の向こうにロイと子供、そしてレインの無事な姿を見つけてホッとすると、足場のすぐ下に駆け寄ってきた父様の姿が目に映った。
汗だくになって力なく笑った私に父様の腕が伸ばされ、転がるように落ち、そして抱き止められた。
驚愕に目を見開き、でも私が無事であることを確認するかのように抱き上げられたその手にはしっかり力が込められていた。
「・・・ハルト、お前、いつの間にこんなこと出来るように・・・」
呟いた父様の言葉を遮って私はお願いする。
「それよりも父様、まずはお客様の安全の確認をお願いします」
そのために頑張ったのだ、全員の無事を確認して安心したい。
視線を屋敷に向けるとそこには自分が守ることのできたたくさんの人がいた。
私の言葉に父様は我に返ると屋敷の主としての責任を思い出し、息子の心配をする父親から領主の顔へと表情を変え、側まで走り寄ってきたロイの腕の中へと私を預けた。
「わかった。ロイ、ハルトを部屋へ。頼んだぞ」
「かしこまりました」
抱えられて屋敷の中へと向かうと、扉の側にレインの姿を見つけて私は少しだけロイに足を止めてもらった。
「大丈夫? レイン」
今にも泣き出しそうな顔で見上げるレインに疲れを隠せないまま微笑みかける。
「・・・やっぱりハルトはズルイよ」
一生懸命頑張った私にそれはないだろうと私は眉をへにょりと曲げた。
「こんなにカッコ良かったら追いつくのが大変じゃないか」
なるほど、そういう意味か。
ならばそれは光栄というものだ。
「諦める?」
「諦めない、僕、絶対諦めないからねっ」
問いかけた言葉に返ってきたのは決意にも取れる、今日一番のレインの大きな声だった。
失礼しますという声とともに再び歩き出したロイの腕の中で、今度こそ私は気を失った。