第三十七話 仕事が早いのはできる男の条件です。
翌日、朝起きると早速イシュカ達を護衛に市場に出かけた。
マルビスは今日も別行動、ランス達を護衛につけてすでに送り出している。
やってきた海岸近くの市場には見たことのない魚介類が並び、その加工品である干物などの乾物も売られていた。ナマモノは持って帰れないけれど日持ちするそれらは当然買い漁る。市場ではホテルに配達を頼むわけにもいかないのでロイとシエルは荷物持ちだ。屋台の塩焼きや海鮮汁を堪能しながら一通り見てまわると荷物持ちの二人の両手が塞がってしまったので一度ホテルに戻ることになった。まだ昼までには随分時間もあるので荷物を置いてからもう一度出かけてようとしたところにガイが姿を現した。
剣呑な目つきで昨日の荷物置き場になっている部屋の方に視線を向けて歩き出したので、そのまま後をついて行く。イシュカ達も一緒についてきたけれど何も言わなかったのでそれなりに何か重大な事が発覚したのだろう。
どうやらこの後の買い物は中止になりそうだ。
「とりあえず全員ではないが、知り合いのヤツらを使って怪しそうな奴と要注意人物から順番に調べた」
「随分仕事が早いね」
まだ半日も経っていない。イシュカ推薦なだけはあると言うことか。
「もともと情報屋ってのは人目につくのを嫌う夜行性だしな。
軍資金がたっぷりあったんで有効活用した。
情報ってヤツは早ければ早いほど価値もある。面白いネタを見つけてきたり、その証拠を持ってきたヤツにはそれに見合った金で買い取る話を回したらいろんな情報が出てきた。特にヤバそうなヤツが一件引っ掛かってきたんでそれを特に集中的に調べさせた。中には信憑性の低いものもあるが心配していた事が現実になった。
容疑者は二人、ゴーシェは自ら、後もう一人、ゲイルは孫娘を人質を取られている。上にいるヤツはどちらも同じだ」
嫌な予感というものは外れてくれないものだ。心配は的中してしまった。
「へネイギス伯爵、ですか?」
「へえ、副団長殿も知っていたのか」
揶揄うようなガイの声にイシュカの声が一段低くなった。
「イシュカで結構ですよ。知らないわけないでしょう。
一年以上前のことではありますがあれほど納得出来ない事件はありませんでしたから。事件現場に立ちあったのは私です」
へネイギスという名前、昨日、マルビスが立ち止まり、見上げていた店に掲げられていた看板にあった名前。
つまり、マルビスの家族の仇であろう貴族の名前だ。
「まあ色々と前から黒い噂はあったわけなんだが証拠を掴ませないので有名だったからな。関わりたくないと言いつつも、ある程度の弱みは握っておかなきゃコッチの身も危ないって思っていたヤツが多くてな。一晩で随分たくさん集まったよ。一応マルがついている情報は二人以上が持っていたネタ、確認出来たのはそのマルを塗り潰してある。後は未確認なんでなんとも言えないんだが」
十枚を超える紙に書かれた内容は呆れるという言葉では片付けられない、おぞましいものだった。
へネイギス伯爵、ここ五年くらいの間に急激に成り上がった地方貴族だ。
普段は王都で贅沢な暮らしを満喫し、納税の時期になると自分の領地に戻るということを繰り返している。領地はそれなりに平和で税金も過剰に集めているわけではない。ではその金がどこから出てくるのか、地方の田舎町からの女子供を誘拐しての人身売買、及び平民商家への押入り強盗だ。へネイギス伯爵の領地は国境、隣国に拐った子供達を奴隷として売りつけたり、商家で強盗によって仕入れた商品を横流しして金銭に変えていたらしい。これくらいというには罪深いし、許されない事だが悪党としては聞かない話でもない。問題はその後だ。
へネイギス伯爵の吐き気を催すほどの性癖。
奴隷として売り払われた子供達がまだマシだと思われる所業。
この男は三人の妻を娶りながら、その妻達と夜を共にしていない。妻達がベッドに呼ばれたのは結婚して一か月もない短い期間だけ、後は放って置かれっぱなし、興味を示さない。それは何故か、この男は所謂処女好きなのだ。物慣れない様が好きなようで女がそういう情事に慣れてしまうと興味を失い、相手にしなくなる。妻達は貴族間でありがちな政略結婚で嫁いで来たようなのでその間に大体妊娠するので子供は全部で三人、各婦人一人づついる。
だがそんな男がそれだけで我慢などするわけもない。
拐った女の子の中から特に見目麗しい子供を選んで自分の屋敷に連れ込み一週間近い間を寝室で散々玩具にした後、子飼いの部下や兵士達に下げ渡す。そして毎晩ソイツ等に弄ばれ、心が壊れ始めると今度は人間狩りと称してハントの標的として使われたり、地下牢に閉じ込め、拷問の限りを尽くし、その子が泣き叫ぶ様を見て愉悦に浸り、動かない骸となれば更にその地下で飼われている魔獣の餌として投げ捨てられる。最低最悪な意味で無駄がない、反吐が出る。なのに何故捕まらないのかと言えば王宮勤めの貴族や騎士団の中に間者、密偵やそのおこぼれに預かっている者達による密告と隠蔽工作があるからだ。時代劇の悪徳代官よりも酷い。
関わっていると思われる屋敷への出入りが確認されている複数の貴族の名前、屋敷の見取り図と秘密の地下の入り口、隠し通路の出口、その狂宴が行われている日程など事細かに書かれている。
「全く、酷いものですね。こんな事、許されていい訳がありません」
イシュカの拳が怒りで震えていた。
ダグとシエンも不快そうに眉を顰め唇を噛み締めている。
「それで、そのゲイルの孫娘は無事なの?」
「今のところはな。利用価値がなくなればどうなるかは想像に難くないが」
脅されて言うことを聞かされたとして、相手が約束を守ってくれるとは限らない。
ゲイルと孫娘の両方始末される可能性の方が高いだろう。
人一人を見張る労力や資金はタダではない。
殺してしまった方が早いし効率的だからだ。
そうとわかっていたとしても、今、無事である以上孫娘を見捨てる選択肢はゲイルには取れない。
「助け出せる?」
「場所は把握しておいたが難しいだろうな。
汚いことをしているとはいえ、短期間の内でのし上がってきた輩だ。相当に用心深い。警備は厳重だし、間者や密偵以外にもコイツが捕まると芋づる式にお縄になる連中が大勢いるから王宮や騎士団で会議している間にも連絡が行けば速攻で隠蔽されるだろう。仮にその孫娘を助け出したとしても尻尾を切り落とされればまた他の被害者が出る。悪循環だ」
大元を叩かなければどうしようもない。
犠牲者は増え続けるし、警戒されて場所を移動されればまた最初から調べ直さなければならなくなる。ガイの言う通りだ。
「バリウス団長に相談しましょう、勿論内密に。
彼の方は陛下とも縁戚関係にありますから直ぐに相談して手を打つべきです」
「でも近衛が動くと隠蔽される可能性があるぜ。
貴族の調査と取り調べは近衛の仕事だ」
王宮内にも入り込んでいるというのがまた厄介だ。
悪事で利害関係が一致しているということは互いが互いの弱みを握っているということに他ならない。
自分の悪行を隠すためにも相手を守る必要もあるのだから。
「私達に見張りはついてる?」
「ああ、一人。それなりに腕利きのヤツだ。流石に王家御用達のホテルには入ってこれないようだがな。ここは常時入口以外の外部から侵入できないように仕掛けがされている。正攻法で侵入されると話は変わってくるがガードも固いし、予約客以外は宿泊出来ない。身元確認もされる」
「ガイの存在には気付いてるよね」
「だがまだ警戒はされていないみたいだぜ。
ほとんど一緒に行動していねえし昨日からの新入りだからな」
なるほど、確かにそうだ。でも時間が経てばそれだけ警戒も強くなるだろう。
でもこれだけ大事になってくるとどう考えても私達の力だけでは手に余るし、上手くいったとしても貴族が大勢関わっているぶんだけ後処理の問題も困ってくる。どうしても団長、もしくはその上の陛下の耳には最低入れておかなければならない。
「団長には見張りは付いてると思う?」
「それはないでしょうね。付いていたならあの人がそれに気づかないはずありませんし、緑の騎士団は魔獣相手が仕事なので近衛とは違って貴族の捕物に借り出されることはまずありませんから」
「だが団長様が用も無しにここにくれば普通に考えて何かあると思うんじゃないか? 長居をすれば尚更だ。かといってイシュカ達が護衛任務を外れて出掛けるのも疑ってくれと言っているようなもんだ」
私達が行ってもダメ、別行動もダメ、ならばどうすべきか。
上手く誤魔化して情報を共有する時間を増やすにはどうすべきか考える。
手紙で詳細を伝えるだけではこちらの意図も伝わり難いし、協同戦線も張りにくい。どうしても一度会って相談する必要はある。情報はこれだけ集まっているのだから団長か陛下の協力が得られれば出来ない事もないはずだ。
私は部屋の中を彷徨きながら必死に頭をフル回転させる。
ここには見張りは入ってこれない。でも一緒に長時間行動するのはマズイ。
騎士団、特に近衛を動かすのはマズイ。かと言って他が動けば越権行為になる。
なんにせよ団長と話をしなければどうしようもないわけで。
窓の外を眺めつつ考えていると私はふと、一つの案を思いついた。
「団長を呼び出そう。但し場所はここじゃない、まずは別のところに。
イシュカは簡単に事情を手紙に書いて至急指定の場所に来る様に頼んで貰っていいかな。そしたらガイはそれを団長まで届けてすぐに来られるか確認してくれる? ロイにはお遣いをお願いしたいんだけどいいかな。ダグは念のためロイの護衛を」
上手くいくかはわからない。だけどやってみないとそれも分からない。
良くも悪くもあの人は有名人、ガタイもいいので目立つのだ。
でもこの手を使えば少なくともそう怪しまれる事なく団長に伝えられるはず。
「キール達に手伝ってもらおう」
私達に付いている見張りは一人だけ、これを利用しない手はない。
イシュカと私が一緒に行動すればそちらについてくるはずだし、向かう先が怪しまれるようなところでない限りは疑われる可能性も低いだろう。
ロイとダグに買い物した物を持って先にホテルの裏通りにあるキール達の元に向かわせ、私達はガイからの連絡を待った。何度も出入りすれば怪しまれるので私宛に配達人に荷物と一緒に手紙を届けてもらうことにした。それを受け取ったのは丁度昼頃、『指定場所にて待機済』と書かれた文字を見て私達はすぐに行動を起こした。
黒のズボンに私だと遠目でも認識しやすい様に昨日買った服でも特に目立つエメラルドグリーンのシャツを着て、イシュカとシエン、二人の護衛を連れて私は徒歩でキール達のところに昼食の差し入れを手に向かう。勿論、これはブラフだが、わかりやすくするためにホテルのロゴ入りの籠に入った物を用意した。
さすがに騎士団員、見張りがついていると分かれば気配を掴むのも容易のようでソイツに見えない様に手で合図を送りながら表面上では笑顔を浮かべつつキール達のいる宿に入る。見張りは通りを挟んで向こう側からとりあえず動く気配はない様だ。だがいつ入って来るかも探りを入れられるかも分からない。行動は早めにが基本。
慌てず、騒がず、迅速に行動することにした。
宿屋の主人には話を通してもらっておいたのですんなりカウンターを通り抜けると真っ直ぐ目的の場所に向かい、扉をノックする。すぐに扉は開かれ、そこには私と同じ服装に身を包んだキールと母親、イシュカに借りた緑の騎士団団服に着替えたロイとダグ、そして団長がいた。キールは王都の男子憧れの的であるバリウス団長を前に緊張気味の様だ。視線がチラチラと団長の様子を伺っている。
「面倒なことを頼んでゴメンね、キール」
まさか護衛強化をかける前にこんな事態になろうとは思わなかった。
「いえ、俺達がハルト様にして頂いたことを思えばこれくらいたいした事ではありません」
「ありがとう、助かったよ。早速で悪いけど直ぐにイシュカ達と一緒に私達のホテルに移動してもらっていいかな? お母さんは責任持って同じホテルに届けるから」
離れるのは不安かもしれないがそのためにダグを待機させたのだ。
安全のためにも二人はホテルに移動させておくべきだろう。
「王都最強の騎士団の団長と副団長がついているのですから心配していません。
お仕事頑張って下さい」
にっこりと笑ったキールの側まで歩いて行くとイシュカは脱いでいた上着を脱いでそれを彼の頭に被せ、
「では失礼します」
そう、断ってから両腕に抱き上げた。
「えっ、これで移動するの?」
驚いて慌てたキールにイシュカが頷く。
「はい、さすがに歩いて向かうと背格好でバレてしまいます。でも抱えてしまえば多少の体格の差も誤魔化せます。しっかり私の上着を頭から被っていて髪を隠して下さい。走って向かいますから」
「イシュカ、お願いね」
「はい、お連れした後は手筈通り、怪しまれないよう近くの食料品売り場でそれらしく買い物をして戻り、そのまま待機しています」
「頼んだぞ、イシュガルド」
走り出したイシュカに団長が声をかける。
ダグにはイシュカが買い物に出掛け、見張りがホテルの前から動いた隙を見計らってキールの母親をホテルに運び込んでもらう手筈になっている。
「それで、どうするつもりだ?」
「まずは隣の部屋へ。そこで着替えますから直ぐにここから移動しましょう。
イシュカとキールがひきつけてくれている内に」
いくら子供の身であってもさほど親しくない女性の前では着替えるのも気が引けるし、余計な話しは聞かせるべきではない。軽く会釈をすると三人で部屋から移動する。折角キールを私だと誤認させてもこの目立つ色の服を着ていては意味がない。私は移動するとそこに用意されていた淡いアクアマリン色の洋服に着替え始めた。
「おい、それ女物のドレスだぞ?」
「そんな事言われるまでもなくわかってますよ。
でもこの格好が一番団長と一緒にいても怪しまれないでしょう。
ハルスウェルトは男の子供なんですから」
貴族の女の子の服の着方はよくわからないのでロイが着替えを手伝ってくれる。
確かに女の子の洋服一式を揃えておいてくれと頼んだけれど可愛いデザインのワンピースドレスにお揃いの色のお洒落な帽子、レースのリボンに靴まで徹底していて、可愛い色の口紅まで用意されている。一応、男の子なので嫌がるべきなのかもしれないが女であった頃の記憶が残っている私には特に抵抗もない。唯一の心配は女の子に見えないかもしれないという懸念だけれどここまですれば疑われはしないだろう。
微妙な顔の団長に構っている暇はないのだ。
「確かに、まあそうなんだが」
「安全な場所に移動するまではくれぐれも私を女の子として扱って下さいよ。
連れてきた御者は大丈夫なんですよね」
「ああ、ウチの中でも特に貴族との繋がりが薄くて鬱陶しいくらい正義感の強い男だ。間違いない。馬車の中で調査書に目を通しておおよその事態の説明は聞いたがどうするつもりだ? 相当に厄介な相手だぞ」
「わかってます。だからこそこんな格好をするんですよ。普通に考えれば魔獣に立ち向かう男らしい子供がまさか女装してるなんて思わないでしょう?」
着替え終えた服を整え、髪をリボンで結え、ロイが唇に薄く紅を引いてくれる。
「で、どこに移動するんですか?」
それを見ていた団長の呆れた顔が次第に愉快そうに変わっていく。
そんなにおかしな格好なのか? まあこの際そんなことはたいした問題じゃない。
「最初は俺の実家に移動しようかとも思っていたんだが、お前のその格好を見て気が変わった。俺の姪っ子としてこのまま陛下のところに連れて行く。その方が手間も省けるからな。
だからお前も馬車を出たら俺を叔父様と呼べ、いいな?」
なんでまた、そんなふうに気が変わったのかと思ったが面倒が省けるのは歓迎だ。反対する必要もない。
この後の段取りについて考えを巡らせているとロイが出来ましたと言って私を備え付けの鏡の前に連れて行ってくれた。
その鏡に映っていたのは絶世の美少女、とても男の子には見えない私の姿があった。
「お前が無策で行動するとは思えない。何か手があるのだろう?」
ニヤリと笑う不敵な笑みはまさしく百戦錬磨の騎士団長様だった。