閑話 バリウス・ラ・アイゼンハウントの憂鬱
その報告を受けた時、俺の顔面は間違いなく蒼白していただろう。
イビルス半島で起きた噴火とそれから逃れるための魔獣達の大移動。
スタンピードだ。
ここ数百年の間の記録によれば、かの島の山は噴火した記録がなく、活動を止めたと判断されていた。
イビルス半島は別名魔獣の森とも呼ばれている。
鬱蒼と繁る木々で覆われたそこは人の手を拒む、魔獣達の楽園だ。
細い陸地でこの国と陸地が繋がっているために我が国の一部とされているもののその存在は持て余されている。海まで続く高くそびえ立つ外壁は毎年補強、強化され、魔獣達の侵入を阻んでいるのでここ数年の間は年に数匹程度、警戒するための警備隊もほぼ形式化しつつあった。
ところが突然の噴火はそれを特別緊急非常事態へと変えた。
海上警備隊の報告によれば溶岩は森を焼きながら現在も進行を続けているため、魔獣達の移動は発見されてから一日経った今でも増え続け、しかも次々と押し寄せる魔獣達の死体が刻一刻と積み上げられ、それを登ってくる奴等が迫ってきているのだという。そしてその山によじ登ることの出来ない魔獣は進路を海に取り、海岸に上陸し始めているという報告も上がってきた。
このまま放置すれば外壁は魔獣達の死体で階段が作られ、突破され、海から上がってくる魔獣も増加し、それは波となって王都まで押し寄せてくる。
何か、何か手を打たなければ。
気持ちは焦るがいっこうに良い案は浮かんでこない。
全くなんてタイミングだ。
明日には王都にハルトが到着し、案内しながら連れ回すための休暇まで取ったのに。
と、そう思い苛立ったところでふと、思い立った。
この状況、アイツなら何か良い案が思いつくのではないか?
たった三十人でワイバーン九匹を制圧してみせた、あのひどく大人びた子供。
俺はすぐさまイシュガルドに相談を持ちかけると速攻俺にハルトを迎えに行かせる決断をした。
あいつが考えるための立体地図を訓練場を使って直ちに団員達に作らせておくので必ず連れて来てほしいと言われ、俺は頷くと馬に飛び乗り、まずはハルトの騎士団参加の許可をもぎ取るため、陛下のもとへと向かった。
ハルトはまだ六歳、本来ならば戦闘に参加させられない子供である以上陛下の許可は必要だ。
この事態は既に陛下にも報告が上げられて押し寄せるであろう大量の魔獣達の対応のための貴族間での緊急会議が予定され、もうすぐそれが始まるはず、その前に何が何でも間に合わせなければ。
この事態を覆せるとすれば、
それはきっとアイツ、ハルスウェルトだけだ。
ハルトがこちらに向かってきているのは間違いない。
だが現在地までは不明、昨日予定通りレイオット領の宿に泊まっていると仮定するなら探すのはレイオット領の市街地からこちらに向かうまでの道程だ。俺が馬を飛ばして検問所まで駆けつけるとそこには三人の団員が馬で待機していた。
流石イシュガルド、手回しがいい。
ハルト達が街道沿いにいるとは限らない、道も無数にあるわけではないが一本道ではない以上、行き違い、見過ごしの危険もある。一人で捜索に当たるより人数がいたほうが効率的だ。俺は順番待ちの列を普段はあまり使わない階級特権を使い、早々にそこを強引に押し通った。
今は僅かな時間も惜しい、すぐに馬に飛び乗って視線を前方に向けると見覚えのある紋章が目に入った。
俺はツイてる、あれはグラスフィート家のものだ。
もうこんな近くまで来ていたのか。
「ハルトッ、ハルスウェルトはいるかっ」
馬を走らせながら声を張り上げて名を呼ベば、つい先日見たばかりの幼い顔がヒョコリと姿を現す。
俺は挨拶もそこそこに馬車の真横に馬をつけると力任せにハルトを馬上に引き上げた。
いきなり荷物のように抱え上げられ、驚いたのかバタバタと抵抗する。
「すまないが緊急事態だ、説明は後でするが至急協力を頼みたい。御子息をお借りするぞ、伯爵」
「その前に状況をお伺いしたいのですが」
「部下を一人置いていく、状況はそいつから聞いてくれ」
今はその時間すらも惜しい、付いてきた部下の一人、レスティに視線で合図を送る。
「待って下さい、私の事情はどうなるのですかっ」
「悪いがそんな暇は・・・」
ない、と言いかけてなおも諦めず手足を動かして暴れているハルトに視線を落とすと理不尽を許さないとでも言いたげな瞳と目が合った。
「・・・いや、違うな」
これではハルトの嫌う権力を振りかざす傲慢な貴族と一緒、人にものを頼む態度ではない。
なおも反論しようとするハルトの脇に手を入れ、馬上で向かい合わせると俺は深くその頭を下げた。
頭を下げることを恥だと言い、嫌う貴族もいる。だが本来ならば法律によって護られているはずの相手を引き摺り出し、こちらの事情を押し付けるのだ。礼は尽くすべきなのだ。
「巻き込んですまない。だが俺達を助けて欲しい。お前が必要なんだ、頼む、力を貸してくれ」
「横暴です、私一人では何も出来ないと前にも言ったじゃないですか」
反論されて以前のハルトの言葉を思い出し、再び視線を馬車に向けた。
「・・・そうか。そうだったな、ロイと、後もう一人いるんだったか。そいつは付いてきているのか?」
馬車の中にロイを見つけ、視線を巡らせ、もう一人の男の姿をとらえる。
「そちらの男か?」
「マルビス・レナスと申します」
スッと立ち上がりその男、マルビスが軽く頭を下げ、名乗る。
「すまないが協力してくれ。一緒に付いてきてくれるか?」
「ハルト様が行かれる場所でしたらどこへでも。
ですが私にも至急片付けたい仕事が一つあるのですが」
「それは他の誰かでは出来ない仕事か?」
するとマルビスが伯爵に意味ありげに視線を流す。
「マルビス、そちらは私がやっておこう。一応私も商業ギルド登録者だ。
緑の騎士団の御威光はお借りしても構わないんですよね? アイゼンハウント団長」
なるほど、この男も一筋縄ではいかない相手のようだ。
だがこの事態が僅かでも好転するのなら多少の融通、権力の利用など安いものだ。
「承知致しました。ではハルスウェルトはお預け致します」
「待ってっ! ロイとマルビスの扱いと安全も保障して下さい、そうでなければ私は参りません」
相変わらずブレないヤツだ。部下は何よりも大切にする。
確かに団員内には貴族が多い、その中に一応貴族であっても子供であるハルトや平民であるこの二人が出張るのはある意味危険であるのは間違いない。
「わかっている。お前の大事な者に絶対危害は加えさせない、俺の名にかけて。これでいいか?」
「はい、その言葉に偽りがあれば私は以降、二度と貴男を信用しませんがよろしいですか?」
睨み上げて返事を待つ子供の視線に圧倒される。
気が強いのとは違う、己の信念に従う姿に魅せられる。
これでまだ六歳だというのだから末恐ろしい。
俺はコイツの信頼を得なければならない。それがたとえ・・・
「その時は俺の首でも、命でも好きに持って行け」
そう、俺の生命を賭けるものであったとしても、だ。
今、王都を救う可能性を持っているのはこの王国内ではコイツだけだ。
何千、何万という民の命が救えるのなら俺の命一つなど安いものだ。
「お前らも聞いたな? 俺がハルスウェルトとの約束を違えたときはコイツが俺に何をしても手を出すなよ」
「団長っ、何もそこまでっ」
「お前らがその二人を守り通せば済む話だ。
ハルスウェルトにはそれだけの価値がある。
今はどうしてもコイツの協力が必要なのだ。わかったな?
今回のことが終息すれば俺の言った意味もわかる。それまでは何があってもお前らがこの二人を守れ、必要ならば他の団員を動かしても構わん、俺の名前でも、陛下の威光でも使えるものならなんでも使え。責任は俺が取る」
即座に部下に指示を出すと抱えた小さな身体を腹にしがみつかせ、馬を走らせた。
騎士団本部に到着するとハルトを抱え上げ、訓練場に向かった。
そこにはイシュガルドが既にハルトが俺に教えてくれた土を使った縮尺地図が用意されていた。
地理に詳しい団員に手伝わせて作らせたというそれは実に精巧に作られていて、そこに抱えていたハルトを降ろすと、馬に酔ったのか気分が悪いとヘタリ込み、それを見たイシュガルドに雷を落とされた。
だがイシュガルドと俺の口喧嘩を遮り、ハルトは今回のことについての事情説明と経緯、現在の状況説明を求めてきた。椅子に座って水を飲んでいる子供の姿に団員達は不信感を隠そうともしない。実際にワイバーンとの戦闘に参加した者で、俺達が逃した九匹のワイバーンをグラスフィート領地でまだ六歳の三男坊がたった三十名の兵士を率いて倒したという話はある程度伝わっているが半信半疑の者も多い。
俺達からおおよその事情を聞き終えるとハルトは頷き、俺達に向き直った。
「今回の魔物や魔獣の種類と特徴、好物、その習性を教えて下さい。
できるだけ細かく。でなければ対策は立てられません。
私が直接戦って倒したことのある魔物はワイバーンだけです。後はせいぜい鹿や猪程度ですから図鑑でしか魔物や魔獣をほとんど知りません」
ハルトの言葉に周囲がざわめき出す。
眉唾だと言われていた話が目の前に子供に肯定され、驚愕に目を見開いている。
それも当然だ、ワイバーンと言えば魔物討伐の専属部隊である我が騎士団の者でも怯む者が多い相手。それを年端もいかぬ子供が対峙したというだけでも驚きなのだ。
王都の危機、スタンピードの話を聞いてもたじろぎもしないこの胆力、圧倒される。
「生き物である以上、特徴や習性、特性等が解ればその行動もある程度は予測がつきます。但し、絶対ではありませんのでそれを補うために騎士団の方々の経験や知識が必要になります。
団長にも申し上げた通り、私だけの力ではたいしたことはできません。
策を考えることは出来てもそれを実行して頂く方の協力なくして成功はありえませんし、絶対大丈夫と断言することもできません。失敗の責任も取れないのでそれを実行するか否かの判断はおまかせ致しますし、後で責任の所在をこちらに問われても困りますのでその書状もお願いします。
それでもよろしければ手伝わせて頂きます」
ハルトの主張はもっともだ。
異論はない。俺は再び頭を下げた。
周囲の団員のざわめきはひどくなっているがそれに一瞬顔を顰めはしたものの、すぐに気持ちを切り替えたのか精巧に作られた立体地図をぐるりと一周回り、半島のクビレの部分でハルトが立ち止まった。
ひと呼吸おいて、ハルトが語りだした作戦と対策に団員達の不信感はすぐに反転した。
団員達が一晩顔を突き合わせ、考えあぐねていた対応、それも兵士や騎士達の安全と消耗までも避けて考えられたそれは効率的であり、効果的、机上の空論などではない、実践可能レベルで組み立てられている。これを学院入学すらしていない子供が一刻も満たない間で提案してみせたのだ。
それはその場にいた騎士団班長達が、俺とイシュガルドが全てにおいて最優先させ、ハルトを連れてきた意味を理解した瞬間だった。
やはり俺の行動は間違っていなかった。
まくしたてるようにハルトが喋り終わると辺りはシンとしていた。
「この策は使えますか?
不備、不都合があれば教えて下さい。そこをどう対処するか考えてみます」
側にいた俺を見上げて返事を催促する。
それにハッと我に返り、すぐに団員に指示を出した。
その横でハルトがイシュガルドに向って先回りした対策と資材確保に気を配り指示を出している。
ハルトはこのままいけば歴史に名を残す名軍師になるのは違いない。
いや、この事態を終息させればおそらくこの年齢にしてそれを確実のものとするだろう。
ロイとマルビスの二人が到着したのはハルトが地図の周りを彷徨き始めた頃だった。
ここまでくる途中におおよその事態を聞いたらしい二人は筆記用具を抱え持つとすぐにブツブツと呟いていたハルトの側に赴き、その独り言をロイは文章や図形にして紙に書き起こし、マルビスはそれを見ながらロイの図形に足りない物を書き足し、必要な素材を書き出し始めた。俺達が聞いていても理解の及ばないハルトの呟きを慣れた様子で聞き取り、形に変えている。
なるほど、ハルトがこの二人を重用するわけだ。
自分達の有用性をその行動で示してみせた二人の平民を蔑む者はもう殆どいない。
全ての者と言えないのはまだそれを面白くないと感じている様子の者が僅かにいるからだ。
ハルトの心配も最もなものだったと言わざるを得ない。
俺はイシュガルドにあの二人の警護を影から強化させるように伝え、部隊を指揮するためにその場を離れた。
ハルトが食堂に行っている間に戻った俺は部下に机と椅子を運び込ませ、訓練場を作戦会議室へ変えた。
俺達は話し合い、ハルトが立てた作戦の実行場所にわかりやすく旗を立てる事にした。
ハルトの部下二人によって書かれた作戦表とその指示が書き込まれたものの一つ一つに対して意見を交わしながら担当と配置を振り分けていく。資材の確保に走らせた兵士からもぞくぞくとその状況が届き始め、とりあえずハルトの立てた策の施行が検討されている位置に全ての旗を立て終えた頃、美味そうな匂いを漂わせ、彼等が食堂から戻って来た。漂う匂いに俺達の腹の虫が食事の催促をして鳴り響く。
そういえばメシを食べることも忘れていた。
すると机の隅にハルトはロイが運んできた二人分の食事を俺達にすすめた。
「二人に余分に作ってもらいましたので差し入れです。
食事は大事ですよ。空腹では上手く考えもまとまりませんから。食べながらでも話は出来ますのでどうぞ」
確かに腹が空けばイライラもするし、ろくなことにはならない。
長丁場が予想される以上体力と気力を保つためにも食べることは必須だろう。
俺達はそれぞれ礼を言うと椅子に座り、食べ始めた。
そして机の上にある資料等を見てもいいか確認してから彼等はそれに目を通し始めた。
「すみません、貴方に提案して頂いたものを一部変更させて頂いております」
プライドの高い奴の中にはそういったことを嫌うものも多いがハルトは何を言っているのかわからないという顔であっさりとそれを許した。
「何故謝罪の必要が?
こういうものは一人の知恵だけではなく、大勢の人間が関わってこそ生きるものでしょう?
現場の意見はすぐに取り入れ、改良はどんどん加えるべきですよ」
全くもって恐れ入る。流石のイシュガルドも呆気にとられている。
こういう奴だと知っている俺でさえ感心せずにはいられない。
手早く食事を終えた後、食器をシエンに片付けて貰うように頼むハルトを見て、ふと、護衛の数が一人足りない事に気付いて尋ねると素知らぬ顔で答えた。
「私が彼を怒らせてしまいましてね、頭を冷やすためにも暫く離れていただくことにしました」
ハルトは確かに負けん気が強いが、基本的に少々の事では動じない奴だ。
「それだけか?」
「さあ? どうでしょう? 私には彼の真意までは測りかねますので」
訝しげに視線を向けて俺に曖昧に答えてとぼけてみせた。
これは何かあったのだろうと察し、すぐに代わりの護衛を二人、追加で付けた。
空気がピリピリしているので万が一のためのポーション等の手配を頼んできたので騎士団管理の保管物資を譲るとその金額を払おうとした。だがそれ以上のものを既に貰っているのでいらないと俺は作戦表の山を指し示した。
「何か状況に変化はありましたか?」
訓練場をぐるりと見回し、確認を取ってきたので現在の状況をざっと話すと立体地図に立てられた旗について聞いてきたのでイシュガルドがそれについて説明する。
崖の入口を突破された場合の森林と川の対策がまだ進んでいない位置を指してハルトが聞いてきた。
「そこは資材不足です。ワイヤーの網の数がどうしても足りません。今急いで作らせていますが早くても一枚二日はかかると。王都中の工場に手配したとして何枚間に合うか・・・」
眉間に皺を寄せ、答えたイシュガルドの言葉に少し思案するとハルトが彼の部下に向かって尋ねた。
「マルビス、この間のワイバーンの時に使ったやつってどうしたっけ?」
ハルトの言葉に俺達はガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。
「五枚は屋敷の資材置き場に仕舞ってあります。使用しなかったものは冒険者ギルドが有事の際に必要になるかもしれないので買い取りたいとのことでしたので三枚納品しました。商業ギルドが荷物を運ぶ際に使用できそうだというのでそちらに二枚」
「屋敷の資材置き場って私の方?」
「いいえ、旦那様の屋敷のほうです」
俺達が一番手配するのに手こずっていたもの、ワイヤー網が手に入る。
「で、どうします?」
グラスフィート伯爵領まで馬で飛ばせば今からでも深夜には到着するはず、それを持って即座に戻ってくれば昼前には、いや、ギルドに納品された分も回収してくるとすれば早朝に出発させれば遅くとも夕刻前には間に合うだろう。
王都で作らせるよりもかなり早く揃えられる。
そう思ったのは当然、俺だけではなかった。
「すぐに伯爵に連絡を、ただちに馬で取りに向かいます」
「重量がそれなりにあるので馬では帰りはキツイと思いますよ。それに往復では馬が持たない」
慌てて手配しようとするイシュガルドをハルトが引き止める。
こいつがこういう言い方をする時はすでに何か策を思いついている時だ。
「ではどうしろと?」
焦った様子のイシュガルドに待ったをかけ、部下の二人に確認をとりながら合理的な策を提示した。
しかも危険と危機対応付きで。
全くコイツの頭の中はどうなっているのだ。
するとハルトの提案が受け入れられるのを待ってマルビスが一歩前に出た。
「枚数がもっと必要ならばウチの領地の職人に依頼を出すことをオススメ致しますよ。運搬の手間はかかりますがウチは山に囲まれているので職人はそういったものを作ることに慣れています。前回私が出した十枚の網を彼らは三日かからず仕上げてくれました。商業ギルドに協力を依頼し、頭ごなしに言うのではなく、領地の全工場に特急料金を積んでお願いすれば張り切って頂けると思いますから数日もあればそれなりの数が集められるかと」
やはりハルトが認める男だけある。有能なのはもう疑いようもなかった。
ガタガタッと周囲にいた団員達が俺の指揮のもと一斉に動き出す。
「後、足りないものは? あれば代用品を考えてみます、教えて下さい」
「まだ回収に回っている途中なのでハッキリとは」
「では分かり次第、マルビスに相談して下さい。前回彼は私の資材集めの手配と代用品の検討に関わっていますので対応できるはずですし、資材調達に関しては私よりもずっと詳しいのでお役に立てるはずですよ。私はまだ打てる手がないか考えてみます。ロイは私に付いてきて側でメモをお願い」
「承知致しました」
すぐに紙とペンを持ち、ハルトの側にロイが立った。
これだけの手を打ってもまだ考える事を止めようとせず、最善を模索する姿に団員達は言葉を失っていた。
「団長、あの生意気な子供をなんとかして下さいっ」
俺が夕食に向かっていると途中でハルト達の護衛を申しつけたレスティに声をかけられ、足を止めた。
そう言えば、コイツを怒らせたと言っていたな。
「どうかしたのか? お前にはあいつらの護衛を言い渡してあったはずだが?」
「私にもプライドがありますっ、あんな扱い、我慢なりません」
なんとなくだが、状況が読めてきた。
コイツはハルトの逆鱗におそらく触れたのだろう。
「ハルトはなんと言ったのだ?」
「この私に向かって非常事態には平民のあの二人の安全を優先させるから自分の身は自分で守れと」
「それのどこがおかしい? お前の任務はあの者達の護衛、当然だと思うが?」
つまり、コイツはハルトが最も嫌う人種なのだ。
俺は人選を間違えたようだ。
「あの二人はハルトの大切な片腕、大事な部下を上司が守ることのどこが変だというのだ?」
「私は貴族ですっ、平民より優先されるべき存在です」
「お前にハルトはその二人を守れと言ったのか?」
沈黙、それが答えだ。
先程コイツは言った、自分の身は自分で守れと言われたと。
コイツはハルトという戦闘力に期待して、万が一の事態にはハルトに自分を守らせる算段をしていて、それをハルトに看破され、追い出されたと。
情け無い、我が騎士団にもこんな奴がいたのか。
「わかった、お前は騎士には向いていない。早めに退団届けを出してここを去れ」
「納得できません」
「護衛すべき相手に自分の身を守らせようとした時点でお前に騎士たる資格はない」
「あいつが、あの子供がそれを言ったのですか?」
怒りの色を露わにして俺に問う。
コイツは要注意だ。
すぐにでも行動を見張らせておくべきか。
「いいや、ハルトは何も言わなかったぞ?
今、お前が自分の口から語ったではないか。あの二人を守るからお前の身を守れないので自分で身を守れと言われたと。
つまりそういうことだろう?」
「たかが子供ですよ、ワイバーン一匹倒したくらいで・・・」
「では聞くが、お前にそれができるのか?
たった一人で平民を庇い、そこに飛び込むことが」
ここでできると断言できればまだ救いようがあるのだが、期待は裏切られた。
ここは騎士団、他人を魔物や魔獣から守るのが仕事なのだ。
それが出来ない者に用はない。
「それからお前は知らないようだから一つ訂正しておいてやる。
確かにあいつが直接対峙して倒したワイバーンは一匹だけだが、僅か三十人の兵を指揮して倒した数も入れると討伐合計数は十匹、四百人かかって俺達が倒した数とほとんど変わらない。しかも出した怪我人はたったの一人、それも戦闘でではなく運搬中の引っ掻き傷だそうだ。
つまり、お前が子供だと馬鹿にしたハルトはそれだけの価値と実績を持った相手なのだ」
レスティが目を見開き、愕然としている。
「お前は喧嘩を売る相手と、利用する相手を間違えたんだ」
馬鹿な奴だ。
多分、コイツが身分に拘ることなく自分の役割を全うしていたならハルトは非常事態に見舞われたとしてもコイツの身も守ろうとしただろうに。
全てはコイツが自分で招いた結果、同情の余地はない。
三日目に一度領地に戻るという伯爵が挨拶にやってきた。
彼等が持って来た献上品やハルト達の私物を乗せた馬車は騎士団で丸ごと預かることにすると、警備の手間が減るので助かったと、ランスとシーファというハルトの護衛を置いていった。レスティの一件以来ピリピリとしていたハルトの気も抜けるようになったようだ。
今のところ上手くハルトの考案した罠や仕掛けが上手く機能していて負傷者は出ているものの死者は出さずに済んでいる。
これは絶望的といわれていた最初の頃から考えると驚異的だ。
イビルス半島の噴火が収まり始めると外壁にも追突して積み上がる死体も少なくなり、海から上陸してくる魔獣の数も減った。終息も見え始めた時、退団届けを出し渋っていたレスティがとうとう行動を起こし、見張らせていた男に捕らえられた。
力で敵わないと知った奴はハルトの毒殺を計ったのだ。
即座に投獄し、事の経緯と顛末を奴の実家に報告したところ平身低頭で赦しを乞い、あっさりと切り捨てられ、流刑地送りが決まったがハルトに伝える必要もなかろうと内内に処分を決定、施行した。
やはり是非ハルトはうちの団に欲しい人材だ。
だが本人にその気がないのはどうしようもない。
ならば戦略についての講義でもと頼んでみたが説明下手の自分には無理だと断られた。
そこで弟子ならどうだと聞いたらそれも拒否されたので、せめてハルトのような考え方が身につきそうなヤツはいないかと尋ねてみた。
わからないと答えられるかと思ったが意外にも答えが返ってきた。
「多分、だけど可能性でいうなら副団長、かなあ」
イシュガルドは頭が切れるのは認める。だがそれだけなら他にも頭のいいヤツはいる。
「何故そう思う?」
「だって私がここに来てそろそろ一週間になるけど、私にそれを聞いてきたのは副団長だけだもの。やる気のない人に教えても身につかないだろうし、彼にも言ったけど私の使ってる策って難しいものじゃないんだよ。でもそれは力ない者が日頃使っているもので、私はそれを利用して工夫して使っているだけ。
だから自分より下の者の意見もちゃんと聞けて、現場の意見を汲み取り、改良出来る人でないと難しいと思うんだよね」
なるほどよく見ている。
確かにその点においてはイシュガルドが一番だ。
貴族というものはプライドが高いヤツが多いのでハルトのような子供に教えを乞おうとか、下の者の意見を差別することなく受け入れる事の出来る奴は案外少ない。
権力を振りかざす貴族を嫌うハルトならではと言えなくもないが。
「私が提案したものを妄信せず、部下の声を聞いてそれを迷わず変更出来るって事は彼にもそれが出来るんじゃないかなぁって思っただけ」
その条件をクリア出来る者が他にいるかと考えるもののすぐには浮かんでこない。
なかなか難しいものだと思った。
その二日後、俺は陛下の呼び出しを受け、王城へと向かった。
延び延びになっているハルトとの謁見についての事だった。
ある程度の予想はついていたイビルス半島の噴火も終息し、事態は改善され始めている。
ワイバーン討伐に加えて今回の功績が加わり、勲章どころの話ではなくなっている。
だがそれと同時にハルトの功績を妬んで排斥しようとする動きをみせる者が出始めた。
馬鹿な奴らだ。
自分達は危険だからと地方にバカンスと称して民を見捨て、王都から逃げ出したくせに。
王都を危機から救ってくれた相手に対して失礼にも程がある。
そこで陛下と話し合い、その対策を講じる事にした。
「イシュガルド、お前はハルスウェルトの弟子になる気はあるか?」
その日の夕方、俺は執務室にイシュガルドを呼び出し、こう切り出した。
「その件は断られたのではなかったのですか?」
俺の問いにイシュガルドが首を傾げ、尋ねてきた。
「ああ、断られた。だがアイツに一昨日聞いてみたんだよ、お前の考え方が真似できそうなヤツはいるかと、そうしたら真っ先にお前が上がった」
その時にハルトと交わした話の内容をかいつまんでイシュガルドに教えた。
「その理由を聞いて俺も納得した。そこで陛下とも相談したのだが最近急激に功績を上げ続けるアイツを妬んで陥れようとか始末してやろうとしている奴等の影がチラついていてな、アイツを失うのはマズイという話しになった」
「まあそうでしょうね、対魔獣に対してならあの方は千の兵にも勝ります」
その意見にはイシュガルドも異論はないようだ。当然と言えば当然なのだが。
「そこでアイツに優秀な護衛を付けることにしたのだが、ならばついでにアイツの側でアイツの考え方や戦術を学ばせたらどうだということになり、そこでお前が候補に上がった。だから正確にいうならアイツに弟子という認識はなく、名目は専属護衛、転属ではなく、出向扱いだ。
正直、お前に抜けられるのは痛い。
だが俺達の代わりはなんとかなってもアイツの代わりは今の王国にはいない。そして俺達がこれから増やさなければならないのはアイツの様な考え方を持った人間だ。
だからお前にその気があるのならこれから二年、アイツが学院に入学するために王都ヘやって来るまでの間、護衛任務をしながらそれを聞き、尋ね、学ぶつもりがあるかと聞きたいのだ」
「行きます、いえ、行かせて下さい」
多分、受けるだろうとは思っていた。
見ていてもわかった、イシュガルドがハルトに次第に傾倒していく姿が。
「即答だな」
それでも多少は迷うだろうと思っていた予想は見事に外れ、イシュガルドは目を輝かせる。
「彼の考え方、発想力は絶望的だと思われた今回の件でさえひっくり返します。それを学ぶ機会を与えられて受けないのは馬鹿のする事です」
「そうだな、俺もそう思うよ」
俺が騎士団の団長ではなく、イシュガルドと同じく見込みがあると言われたなら俺も迷わず行った。
「アイツが自領に戻るのは一週間後だ、それまでに準備は整えられるか」
「明日にでも大丈夫です。
足りないものならあちらで揃えればいいだけのことですから最低限のものだけ持って向かいます。残りの物は保管が無理なら処分して下さい」
即決にしてこの決断の速さ、恐れ入る。
最早心酔に近い、これは忠告しておく必要があるだろう。
「一つだけ言っておくぞ、イシュガルド。
二年後、もしどうしてもアイツの側を離れたくないと思ったとしても、必ず一度は、アイツが学院にいる間だけでもここに戻って来い。
そして側にいたいと願うならお前の代わりになる者を仕込んでからにしろ。そいつらにお前が二年間で学んだものを全て伝えてからなら俺は止めないからな」
「どうしてそんな事を?」
これは任務でしょうと首を傾げるイシュガルドに自覚はない。
既にアイツにタラシ込まれかかっている事に。
「アイツは生粋の人タラシだ。
お前が骨抜きにされたとしても俺は驚かないだろうからだ」
きっとコイツは騎士団には戻ってこない。
死にたがりと密かに呼ばれているコイツが変わるキッカケになるのならそれもいいだろう。
だがタダで行かれては困るのだ。
一週間後から増えるであろう書類の処理の山を思うと憂鬱になる。
だがハルトの戦略知識や考え方をイシュガルドが学び、そして騎士団に伝えてくれれば数年後には殉職者が多く、倦厭されがちの魔獣討伐専属部隊の未来は変わってくるはずだ。
しっかり手にした土産は置いていってもらわなければ。
俺はしっかりイシュガルドにクギを刺した。