第三話 つい世話を焼いてしまいました。
ファーストダンスが終わると父親に一通り御来賓の方々の挨拶に連れ回され、その度に子供らしからぬ挨拶と辺境伯夫人にダンスを申し込んだ度胸を揶揄う様に賞賛され、将来が楽しみだと言われた。
これは嫌味だろうか?
こまっしゃくれたマセた子供はどこの世界にもいるはず。
とりあえず上手い具合に婚約者候補の話も避けられたし今日はこれで良しとしよう。
多少いきあたりばったりのような気がしないでもないが何事にもアクシデントはつきものだ。それなりにそつなくこなせば後々思い出話として笑われるくらいで済むだろう。
行く先々で着飾った御婦人達を褒めちぎり、紳士達の武勇伝など耳にすれば興味深そうに聞き入り驚いてヨイショするのをひたすら繰り返す。そんな退屈な顔見せが一通り終わると歓談する大人達を置いて中庭に飛び出した子供達の後を追った。
今日は空も青く澄み渡り、雲一つない。
これから夏に向かうこの季節は咲いている花こそ少ないが瑞々しい新緑が美しい、私が一番好きな季節だ。覆い繁る葉の隙間から溢れる陽の光は眩しく、そよ吹く風も優しく心地良い。
子供達は庭先に用意された沢山のお菓子や季節のジュースに夢中だ。
太い樹の枝には庭師のラルフ爺に頼んで準備してもらった太いロープと木の板で作った背もたれと肘掛けつきの特製ブランコ、開けた場所には簡単な丸太等を使ったジャングルジムやアスレチックも幾つかある。勿論、ブランコの乗り心地は全て確認済みだし、アスレチックにも万が一の地面への落下防止策に網も張った。
前もって父様にパーティに来た子供が遊べる物で簡単な物を作っていいかと尋ねて許可もとってある。
もともと妹達と一緒に遊ぶために用意したそれはこの世界では珍しいのか、遊具の前には短い行列が出来、その横に執事兼父様の秘書のロイ(前世の私の好みドストライクのなかなかの美形だ)や、メイドのアイリ、ミオナ達が遊び方を説明している。
なかなか好評のようでひと安心だ。お菓子や遊びに忙しい子供達は庭に出てきた本日の主役のはずである私に見向きもしない。
この様子なら少しくらい息抜きに少し離れた場所で休憩しても問題ないだろう。
下手に女の子に捕まっても後々面倒そうだ。
私は生け垣の影を伝い、コソコソと人目につきにくい場所まで辿り着くとそこには一人、先客がいた。
大きな樹の根元にうずくまるように座り込んだ黒髪の少年は私のガサリという枝をかき分けた音にビクッと反応して怯えたように顔をあげた。
綺麗な紫水晶の瞳。吸い込まれそう。
それに中性的な私とは逆、男の子にしか見えない、なかなかの美少年。
眉を寄せ、不安に揺れる瞳、気弱そうに俯いているのが実に惜しい。
釣り気味の目尻も、男の子らしい太めの眉や少し厚めの唇も、顎を上げて前を向き、活発に振る舞えばかなり印象が変わるだろう。
成長すればさぞかし男前に違いない。
「ご、ごめんなさい、すぐよそに行くからっ」
慌てて移動しようとするその男の子を私は反射的に捕まえる。
「どうして謝るの? 後で来たの私の方だよ?」
「でも僕、邪魔じゃ・・・」
今にも泣き出しそうな涙を淵に湛えた瞳は私には覚えがあった。
これは前世のイジメに怯え、耐えていたあの頃の私と同じ。
寂しくて、でも他人に縋る度胸もない。
「邪魔じゃないよっ」
思った以上に大きな声が出てしまった私の声に彼は肩を震わせ、反応を伺うように見上げる。
しまった、怯えさせてどうするっ!
「私こそごめん、大きな声出して。でも大丈夫、ちっとも邪魔なんかじゃない。
ここにいたいならいればいいよ。無理してみんなといる必要なんてないんだし」
できるだけ警戒心を抱かせないように膝をついて見上げる彼の視線に合わせて私は腰を落とすと安心させるように笑顔を作った。
怯えている人を見下ろして怒鳴りつけるのはその人を追い詰めるだけ、焦らず、ゆっくりとだ。
「どうしてこんなところにいるの?
よかったら聞かせてくれると嬉しいんだけどダメかな?」
「・・・」
応えは返ってこない、それが答えだ。
言いたくない、言えない、言っても仕方がない。
そんなところだろう。
彼からの答えはなかったが膝を抱えたまま、こちらの一挙手一投足に全神経を尖らせている様子を見るとどうしてもこのままこの場所を離れるという選択は出来なくて、私は近くの芝生の上に持っていたハンカチを敷くとその上に座った。
昔の私はこんな時、気まぐれでかけられる優しい言葉も、その場限りの同情も欲しいと思ったことはない。
どうせ本気で誰も助けてくれはしないと。
自分を本気で庇ったり、味方などしようものなら今度はイジメの対象がその人に移ると知っていた。
だから伸ばされた手を自分から取ったことはない。
確かに私はイジメからは逃れられたかもしれないが自分と同じ目に合うその人を今度は見なければならなくなる。
優しい?
違う、臆病なだけだ。
自分の身代わりとなったその人の姿を見て襲いくるであろう取り返しのつかない罪悪感に晒されるのが怖かっただけなのだ。
自分への痛みだけでなく他人の痛みまでも背負いたくなかった。
助けてくれなくてもいい。
あの時、私は誰かにただ側にいてほしかった。
だから、
「無理に言う必要はないよ。そのかわり、私もここにいていいかな?」
この世界に一人きりではないと、自分を気にかけてくれる存在はそれだけで安心するものだ。
君の気持ちはわかるなどとそんな無責任なことを言うつもりはない。
不安や痛みに感じるものは人によって違う。
想像することはできても理解などできるはずもないのだから。
ただ黙って側にいることで伝わることもあるはずだ。
「・・・どうして、君は父様と違うこと言うの?」
暫くの沈黙が続いた後、彼はポツリと一言洩らした。
それに応えないで私は次の言葉を待つ。
すると風の音にかき消されてしまいそうな言葉がそれに続いた。
「父様はいつももっと男らしくしろ、ハッキリ物を言え、どうして言われた事が出来ないんだって。母様だって何故父様の言うことがどうして聞けないのって、いつも、いつも・・・」
成程、これは子を思うあまりに、逆に萎縮させてしまっているパターンに違いない。
本来頼れるはずの親に追い詰められては逃げ場もない。
せめて母親が庇ってくれたり、慰めたりしてくれれば状況も変わっていたかもしれないが二人揃って責め立てている。
これでは上手くいくものもいかない。
甘やかしてばかりでは勿論ダメだが子供は褒めて伸ばすほうが自分から頑張るようになることが多い。
言われた事をすぐにある程度理解できる大人とは違うのだ。
覚えのいい子もいれば悪い子もいるし、覚えてもすぐ忘れてしまう子もいれば覚えるのに時間がかかる代わりに一度覚えてしまえばいつまでも覚えている子供だっている。それは大人でも同じ事だけど人は自分にできることは他人にも出来るはずだと考えてしまう人が多いのだ。
自分の出来る事は他人の出来ることとイコールではない。
人は人、自分は自分。
あくまで別の人間で、それは個性というものだ。
世界はいくつもの個性で成り立っている。
「それに、僕、あんまり魔力制御、得意じゃなくて・・・あっ」
そんな彼の感情の揺れに呼応して彼の体からゆらりとあたりの空気が歪んだ。
魔力の暴走だ。
魔力の安定していない子供に時々起こる現象の一つでこれ自体は特に珍しいものでもない。
だが問題はその保有量だ。
何が原因であるのかは定かではないがこの年の平均より多分多い。
兄様や姉様が起こしたところを見たこともあるがこの半分くらいしかなかったはずだ。
因みに中身が大人の私は精神が不安定になるという状況を転生してからは起こしたことがないので暴走した経験はない。暴走を抑えるにはそれ以上の魔力で強引に抑え込むか、魔力が尽きるのを待つか、もしくは気持ちを落ち着かせるか。
多分、私の今現在の魔力保有量なら抑え込めないこともない。
だけど・・・
私は彼の起こす激しい魔力の揺れの中に踏み込むと彼を怯えさせないように出来る限りの優しく、包み込むように抱きしめた。
そんな私の行動に動揺した彼の魔力が一瞬、更に強く揺らいだ。
「大丈夫、ゆっくり呼吸して」
抱きしめた小さな体はガタガタと震え出し、ぎゅっと瞳が閉じられる。
ここで怯んではいけない。
それではもとの黙阿弥だ。
「私は大丈夫。落ち着いて、深呼吸して。
慌てなくていいから、ゆっくりでいいから、大丈夫だから」
何度も繰り返し大丈夫と静かに、辛抱強く彼の耳もとで繰り返す。
たいしたことではないと言い聞かせるように出来る限り優しい声で。
すると彼の震えが収まり始めるのと呼応するかのように周囲を渦巻いていた魔力の暴走は次第に少しずつ収束し始めた。
涙に濡れた大きなアメジストの瞳が驚いたように見開かれる。
「・・・嘘、収まった。
いつもは上手く出来なくて暴走して色々壊しちゃうのに、なんで?」
信じられないといった様子の声に私はクスリと小さく笑った。
たいしたことではない、そう彼に少しでも伝えるために。
「そう? ならよかった」
私は乱れた髪を手櫛で整え、服に付いた芝や葉を払いながら答える。
「どうして?」
「よくわからないけど本当は君は制御出来るからじゃないかなぁ」
そうでなければ収まるはずがない。
事実、私は彼を抱きしめる以外は何もしていないのだから。
「そんなことないっ、いつも父様にっ」
「多分、それが原因」
そんなはずはないと否定しようとする彼の言葉を私は遮った。
おそらく、これは推測でしかないけれど。
私は違ったらごめんねと先に謝ってから自分の見解を伝えた。
「君はいつも出来なかったらどうしよう、怒られたらどうしようって思ってるでしょう?」
責めるような言い方ではなく尋ねるように言った私の言葉はキュッと唇を噛み、拳を握る仕草が肯定している。多分、彼の多い魔力を魔力で抑え込むにはそれなりに大変だったのだろう。
度重なる暴走に思わず苛ついてしまった気持ちもわからなくもない。
でもそれを怒鳴りつけるだけではなんの解決にもならない。
叱るだけでは「人」は育たない。
私は自分がされて嫌だと思ったことと同じことを他人にしたくはない。
無意識のうちに傷つけてしまうことはあるかもしれないが出来る限り避けたいとは思っている。
それは甘いのでも優しいのでもなく、ただ自分が後悔したくないだけ。
ある意味、私は誰よりも自分勝手なのかもしれない。
だってそれは偽善ですらないのだから。
黙ったままの彼が耳を傾けているのを確認して続けた。
「怯えて、慌ててしまったらできるものも出来なくなるよ。
でも落ち着いて自分はできるって信じればきっと出来る。
たとえ他の誰も信じてくれなくても、自分一人くらい、自分の可能性を信じてあげないと自分が可哀想だと思わない?
少なくとも私は君ができるって信じた、そしたら本当に出来たでしょう?」
万が一の場合は抑え込めると確信はあったから出来た行動ではあったけれど、それは云わぬが花というやつだ。どうやら私の伝えたかった言葉は正しく彼に届いたようだ。
ずっと俯いたままだった顔は前を向き、その瞳には先程までなかった強い意志のようなものが宿った。
「・・・レイバステイン、君じゃなくてレインって呼んでよ、ハルト」
君ではなく、初めて呼ばれた名前。
私は彼に改めて手を差し出した。
「レイン、私と友達になってくれる?」
「・・・嫌だ」
問いかけた言葉はすぐさま拒否されて思わずピタリと動きを止める。
あれ? 私はまたミスってしまったのか?
これが物語なら展開的には固い握手を交わし、友情が築かれる場面なのでは?
だが次の瞬間、また私はやらかしてしまったのだと理解する。
「友達じゃ嫌だ、僕と結婚してっ、ハルト!」
向けられる、明らかに友情を超えた熱量の込められた瞳、薄紅色に染まる頬。
前世から恋愛関係に関してはポンコツで、はっきりと言葉にしてもらわなければ気がつかなかい私に対してストレートすぎるレインの言動はある意味正解だ。ここで貴族的に遠回しな言い方をしていたら多分、いや絶対私は気がつかなかったに違いない。
「私、男だけど」
「知ってるよ!」
一応確認の意味も込めたが同性婚が認められている以上、そう返されるのは当然か。
「好きになっちゃったんだからしかたないじゃないかっ」
そうだね、だが相手がそれを受け入れてくれるかどうかは別の問題。
そして拒絶するならキッパリと。
期待させて答える気があるなら別だが曖昧な言葉で濁してはいけない、誤解を招く結果になる。後で揉めないためにもハッキリさせておくべきだ。
「ありがとう、でもお断りするよ」
「どうしてっ、僕が男だから?」
「違う」
誰かを好きになる気持ちは否定しない。
ましてや前世腐女子だった私はそんなこと微塵も気にしない。
私が『恋』できるのなら寧ろ歓迎、どんとこい。
男の恋人を作るのだってやぶさかではない。
だが三十路の中身でこの年の子にときめいたらそれはそれで問題だろう。
「私はね、まだ恋人を作る気も、婚約者を作る気もないんだ。
私は自分が本当に好きだと思う人を見つけたい、だから・・・」
「じゃあ僕がハルトがびっくりするくらい、いい男になったら結婚してくれる?」
今度はそうくるのか、なかなか根性をみせるなあ。でもね、
「それまでに私よりもずっと好きな人が現れるかもしれないよ」
「そんなことないっ」
う〜ん、引き下がらない。
多分初めて魔力制御に成功した興奮のせいもあると思うのだけど結果的に小さな子供を誑かしてしまった感は拭えない。
でもどんなに頑張ってもらっても今の子供のままでは私の精神的に無理だ。
ここは時間と距離を置いて少し落ち着いてもらうのがいいかもしれない。
「だったら私が好きになるくらいいい男になってからもう一度口説いてよ。
そしたらその時考えるよ」
「わかった」
なかなかに食い下がるなあ、だけど残念、
「約束はしないよ。
私を口説きたかったら急がないと他にいい人見つけてしまうかもしれないね」
期待はさせない。
するとレインは子供らしく両頬をぷっくりと膨らませて恨めしげに私を睨んだ。
「ハルトはイジワルだ」
そんなことをしているうちは、まだまだ先は長いよ、レイバステイン君。
私の理想は高いのだ。
前世の私の二次元の推し達はみんな格別イイ男だったからね。
「嫌いになった?」
「ならないっ、絶対ならないからっ!」
それでは頑張ってもらいましょう。
魔力制御の練習も何か目標があったほうが上達も早いに違いない。
途中で諦めても良し、いい思い出に変わっても良し。
この先女の子を好きになって男にプロポーズしたという黒歴史になるのもそれはそれで幼い頃の想い出の一ページということで。
私はもう一度右手を差し出して、改めてレインに選択肢を提示した。
「で、どうする? まずは友達にはなってくれるの?」
多分、なんとなく子供扱いされていることに気がついたのだろう。
レインは悔しそうに拳を握り締めた後、迷いなく私の手を握って応えた。
「なる」
「じゃあ改めてよろしく、レイン」
泣き晴らした彼の目はもう下を向いてはいなかった。
がっしりと握手を交わした次の瞬間、
「きゃああああっ!」
中庭の方から辺りを引き裂くような鋭い悲鳴が聞こえた。