閑話 ガイリュート・ラ・マリンジェイドの誤算 (1)
俺は束縛されるのが大嫌いだ。
贅沢で優雅な生活?
そんなもんには興味はねえ。
上手い酒といいオンナ、面白い話があればそれでいい。
刹那主義と呼ぶなら呼べ。
この世にしがみつく未練なんて持っちゃいねえ。
俺は情報屋だ。
死にたいなんて思っちゃいないが極上のスリルを味わいたいのならある程度の危険はつきものだ、その覚悟も当然ある。
危険を潜り抜けた先に俺の欲しいものがあるんだ。
人生一寸先は闇、安穏と暮らしていけるほど世の中は平和じゃねえ。
明日どころか次の瞬間にもうこの世とオサラバしてることだってあるだろう。
だったら今を面白おかしく生きた方がイイに決まってる。
誰かの代わりに犠牲になるなんて真っ平だ。
最後の最期に自分を守れるのは自分自身だけだ。
俺には自分以上に大切なものはない。
そう、思っていた。
・・・ハズ、だったんだ。
デキャルト領から屋敷に戻る道中だったあの日、
御主人様を狙った弓矢をこの肩で受ける前までは。
判断は一瞬。
頭で考えてる余裕なんてなかった。
なのに迷いなく身体は動いた。
死ぬかもしれないなんて考えもしなかった。
瞬間。
襲った痛みに俺は既に出せなかった答えが、
覚悟が、
とっくに決まっていたのだと自覚した。
痛みに倒れた瞳に映ったのはボロボロと涙を溢して泣くまだ幼い泣き顔。
必死に冷静を取り戻そうと焦りながら回復魔法を唱えているその姿に、持っていないと思っていた未練に気付く。
死にたくない。
この人を、御主人様を残して絶対死にたくない。
俺が死んだら誰が御主人様の身を護る?
イシュカ、ケイ、ライオネル、ゴードンやランス、シーファにアンディ、ハンス達、俺の代わりは他にもいくらでもいる。肉弾戦以外ならマルビス、ロイやテスラ、ゲイル達だって、あらゆる手を尽くして俺の『次』を探すに違いない。
俺がいなくなったら御主人様は悲しむだろう。
長期間戻らずフラリとぶらついていれば心配して遅くまで眠らず待っていたくらいだ、嘆いて俺を犠牲にしたと泣いて、悔やんで、数日くらいは悲嘆にくれるかもしれない。
だけど、それだけだ。
俺のいた席はきっとすぐに埋まる。
御主人様はとびきりの人タラシだ。
俺の後釜を狙っているヤツは文字通り山ほどいる。
それが気に食わねえ。
死にたくねえ。
絶対に死にたくねえ。
俺の座っている、とっておきのこの場所を他人になんて譲りたくねえ。
歯を食いしばって前を見る。
俺の血で汚れることなど全くお構い無しに呪文を唱え終わると必死の形相で魔法を発動する。そうして俺の肩の傷が塞がったのを確認するや否やライオネル達の制止を振り切って、賊を追ったイシュカ達の後をすぐさま追い掛けた。
その瞳に宿った炎を見て、俺は俺達を襲った賊に同情した。
気の毒に。
っていうか、ザマアミロってヤツだ。
きっとコテンパにノされることだろう。
「・・・愛されてんなあ、俺って」
ボソリと微かに漏らした俺の呟きにマルビスが呆れた声で宣う。
「何を今更。判りきったことでしょう?
これ以上ないほどハルト様は私達を愛して下さってますよ。
どういう意味かと問われると微妙に判りかねますが。
彼の方は御自分を襲った者に対しては反省の色さえあれば寛容ですが、私達を傷つける者は絶対に赦しません。多分、それを許せば自分に付け入る隙を作るために私達が狙われると思っていらっしゃるからでしょうが」
その言葉に、確かにそうだなと、そう思った。
御主人様は悪党の思考というのをよく知っている。
真っ当な人間は多少道は曲がってズレても正面から挑みかかってくる。
だが卑怯者、悪人というものは罠に嵌め、陥れ、ソイツの弱いところを突いてくる。逆らう術を持たない者、大事なものを人質に、脅しを掛けてくる。
大切なものを持つということは弱味を作ることでもある。
正面から挑んで勝てないヤツ、特に性根の腐った輩はその弱味を利用して揺さぶりをかけてこようとするのだ。
大事なものを山と抱えた御主人様では全てを守るのは厳しい。
だからこそ自分に対して仕掛けてきたヤツよりも、周囲に手を出したヤツを徹底して追い詰める。
そんなことは赦さない。
そんなヤツには容赦しないと主張するが如く。
御主人様を無傷なまま放置して他のヤツに手を出せば、巨大組織と化したハルウェルト商会の情報網を駆使しての追跡調査する時間を与えることになる。その猶予を与えれば策を弄され、影に潜んだ自分の存在を突き止められ、即座に手酷いしっぺ返しを喰らってジ・エンド。
そうなれば大抵のヤツは御主人様を直接狙った方が早いと判断する。
反撃されたヤツらの末路をよく知っているからだ。
ソイツらが欲しいのは俺達の生命じゃない。
御主人様の首だ。
まあ、それも御主人様を護衛するイシュカやライオネル達に阻まれて終わる。そしてソイツらから手に入れた情報でマルビス達が密かに裏から手を回し、御主人様に気付かれないところで大元の企んでいたヤツが社会的に抹殺されていることも多いのだが。
御主人様に自分の黒い部分は極力見せたくないとコイツらは言う。
それを知ったところで御主人様ならせいぜい目を眇めて、『ふ〜ん、そう。後ろに手が回らなきゃいいんじゃない?』という程度だと俺は思う。
魔王と呼ばれているのは伊達じゃない。
それなりの理由があるからだ。
それは正義感とか正当性とか、そんなお綺麗なモンじゃない。
何かコトが起きて明るみになった場合、突っ込まれる隙を作らなければそれでいい的なモンだ。
だから悪事は働かない。
それをリスクと考えているからだ。
敵が多い御主人様は見張られている目も多い。隙を作れば後々自分の首が絞まると理解しているのだ。
それはマルビス達も解っているだろうに。
「いいんですか? 追い掛けなくて」
そうアンディに問われた。
ぐるりと見渡して、ここにない顔は先行したイシュカとジェネラ、御主人様を追ったライオネルか。
戦力としては申し分ない。
周囲に他の不穏な空気を感じないことを思えばむしろ過剰なくらい、不測の事態が起きても対処できるだろう。
「たかがネズミ一匹程度、たいした脅威でもねえよ。
背中向けて逃げてる時点で程度は知れている。
本人は解っちゃいねえが御主人様が本気になれば俺達なんて束になっても敵わねえんだから」
俺は服についた埃を叩き落としながらゆっくりと立ち上がった。
血が流れたせいか足が少しだけフラつく。
馬車にちょいと寄り掛かって息を吐く俺にアンディが尋ねてくる。
「どういうことですか?」
そうか、コイツは知らねえんだった。
多少の情報は伝わっているんだろうが推測の域を出ないってあたりか。
「考えてみろよ? あの正確無比な魔術コントロールと圧倒的魔力量に任せて一発魔法を無詠唱、詠唱破棄で落とされりゃ終わりってことさ。抵抗する間もありゃしねえよ」
ただ本人がそれをヤル気が全くないだけで。
膨大な魔力量の相乗効果で初級レベルでも御主人様にかかれば中級、上級レベル。最上級に至っては災害クラス。悪党なら即刻処分すべき、野放しにしていいレベルじゃねえ。
御主人様が本気で暴れれば王都も一夜にして滅ぶんじゃなかろうか?
おそらくイザとなったら躊躇いはしねえだろうが御主人様は無闇やたらと自分の力を誇示したりしない。それをしてたらとっくにシルベスタ最強の座を団長から奪い取っていたに違いない。
「俺らからすりゃあアレで俺らより自分が弱いと思ってんのが謎だ。
察知するのは鈍いんで手傷を負わせるくらいなら術がないこともないが、反応が早いから殺るのは普通に考えれば、まあ無理だろうな。
余程強運でもない限り勝てる術はねえよ。
まあ仮に守備よく怪我させられたとしても即効で回復されてあの俊足で追い掛けられる。そうなりゃ後はあの頭の回転の早さで逃げ道塞がれ、追い詰められて捕まるのがオチだ。
絶対敵に回したくねえよ。
現実が見えてないってのは哀れだってことさ。
それを考えりゃあ俺はむしろ同情するね。
俺のこの肩を射抜いたヤツに」
御主人様が回復してくれた肩を指してそれを想像し、俺はキシシッと笑う。
眠れる獅子を起こして馬鹿なヤツ、御愁傷様ってこった。
金を幾ら詰まれたのか知らねえが割に合わないことをしたモンだ。今頃どんな目に遭っていることやら。
ザマアミロってヤツだ。
俺はその賊の末路を楽しみに待っていると、暫くして御主人様とイシュカがノトスに乗って先に戻ってきた。そして御主人様はノトスから飛び降りると歩いている俺の姿を見るなりペタンと地面にしゃがみこんだ。
途端、安心したらしい御主人様の目からボロボロと涙が溢れ出し、ヒックって喉から引き攣るような声が漏れたと思ったら堰を切ったように溢れた声が大声で泣き出した。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、わんわんと泣き喚いた。
百年の恋もいっぺんに冷めそうなその酷い泣き顔。
なのに心臓がギュッと握りつぶされたようにすげえ痛い。
慌てて駆け寄って俺は御主人様を抱え込む。
「泣くなって、大丈夫だ。俺は頑丈だ、これくらいで死にゃあしねえよ」
背中を叩きながらあやすと俺の服に縋るようにしがみついてきた。
いつも実際よりも遥かに大きく凛とした背中がすごく小さく見えて俺は焦る。
そうだ、いつも堂々と大人と渡り合ってる姿を見てるせいで、つい忘れがちになっちまうけど本当はまだ我が儘言って、大人に甘えても許される年齢だ。大人に守られている子供でいていい年齢で、小さな両手をいっぱいに広げて多くの大人を、人間を護ってみせる度胸と胆力、気概と包容力には畏れいる。
これで惚れるなって?
そりゃ難しいってもんだろ?
それは恋愛沙汰に限ったことではない。
御主人様の心意気に俺達は惚れたんだ。
疑り深いこの俺が、たくさんの想いや愛情を注がれて、言葉で、行動で示されて、その好意を疑うこともできない。
幾度も『ごめんなさい』を繰り返す御主人様にそれは違うと言い聞かせると、しゃくりあげていた声が止まり、目を見開いて俺を見た。
安全だ、危険はないと判断したのは俺。
探知能力には自信があった。それに驕って油断した結果がこのザマだ。情けないったらありゃしねえ。
大事なモン危険に晒して、そのツケをテメエで払っただけのことだ。つまりは自業自得ってことだ。
「でも・・・」
なんと言えば伝わる?
気に病む必要などないのだと。
何故なら俺は今も生きてるじゃねえか。
「でももだってもねえよ。それに俺は御主人様はどんな怪我も治してくれるって信じてたからな。そういう約束だっただろう?」
だからこそ安心して生命も張れる。
いや、違う。
多分、あの矢が俺の心臓を貫くと解っていたとしても避けなかった。咄嗟に前に出て庇ったのは反射、頭で考えるより先に身体が動いた。
俺は護りたかったんだ。
この腕の中の小さな存在を。
でも多分それは言うべきじゃねえ。
俺は恩に着せたいわけじゃない。
対等な存在でありたいんだ。
「コレは俺がドジを踏んだ、つい油断しちまった結果だ。
それとも御主人様は自分が完璧で、俺達が必要ないって言うつもりか?
自分が守ってやらなきゃならない、弱い存在だって思っているのか?」
俺に尋ねられて御主人様は言葉に詰まり、見上げて大きく首を横に振った。
惚れたヤツに守られてるだけの存在でいるなんて男の、いや俺のプライドが許さねえ。
頭の上に手を置いてくしゃりとその柔らかな髪を撫でる。
「だろ? 俺達は運命共同体、対等な立場じゃなかったのか?
全部一人で背負い込む必要はない。俺達も一緒に背負ってやる」
支えるのではなくて並んで歩く。
側にいる時でも、そうでない時も。
離れていても俺を信じてくれる、信じられる。
俺が欲しいのはそういう自分の足で歩けるヤツだ。
べったり張り付くだけじゃない。
俺にはそんな重いだけのヤツに興味はねえ。
だからこそ、惚れたんだ。
腕の中のこの存在に。
「でも、ガイなら、避けられたはずでしょ?」
ああ、そうだな。避けられた。
だが何度同じ場面に遭遇しても俺はやっぱり避けないだろう。
でもそれは口にしねえ。
惚れたヤツに罪の意識を背負わせてどうする?
そんなんで想い返されたって嬉しくねえ。
罪悪感なんてもんはいらねえ。邪魔なだけだ。
そんなもの俺の美意識に反するってもんだ。
俺は曖昧に微笑って誤魔化す。
「どうだろうな。だが咄嗟に身体が勝手に動いた、考えてる暇なんてなかったよ。
それに逆の立場だったら御主人様は後ろに俺がいて矢を避けたか?」
問われて即座に御主人様は再び首を横に振った。
だろう?
大事なヤツが傷つくと判っていて、それを避ける腰抜けになりたくないのはお互い様だ。俺は御主人様がそういう人間だってちゃんと知っている。
大切な者のためなら命も張る。
だが全員が生き残る道を最後まで探すことを諦めない。
そんな姿を何度も見てきた。
惚れたのは、そんな最高にカッコイイ、イカしたヤツだ。
俺は唇の端を微かに上げて笑う。
「だろ? だったら俺の行動もわかるよな?」
その意味を理解して御主人様はコクリと頷いた。
「ヨシッ、良い子だ。
なら俺にいう言葉は『ごめんなさい』じゃねえよな?」
わしゃわしゃと撫でる髪が指に絡む。
その言葉が意味することに気がついた御主人様の目に引っ込んでいた涙が再び盛り上がる。
俺の胸に抱きついて泣きながら礼を言う。
「ありがとう、ガイ」
何度も繰り返し、御礼を言う御主人様に俺は笑う。
良く出来ましたとばかりに優しく背中を叩くとそっとその耳元に俺は囁く。
「頼むからこれに懲りて変わってくれるなよ?
俺は今のままの御主人様に惚れてるんだからな」
その言葉に一瞬で御主人様の涙が引っ込み、嗚咽が止まって驚いたように目が見開かれた。
「何をそんなに驚いてるんだ?
前にも言っただろ?
その剛胆で強気な性格が俺は気に入って側にいるんだって。
俺は退屈が大嫌いで、楽しそうだから御主人様のところに来た。
スリルのある毎日、最高じゃねえ?」
それは俺が望んでいた生活そのものだ。
腰を落ち着けたらそんな生活とは無縁になる。
昔はそう思っていた。
だが実際はどうだ?
独りでぶらりと貧民街の片隅で暮らしていたあの頃より、ずっと面白くて愉快な毎日がここにある。
しかも美味いメシと酒、珍しい菓子までオマケ付き。イイ女じゃねえけど、代わりにいるのは思いっきり破天荒で最高にイカした御主人様。
文句なんてねえよ?
俺はしがみついてきた御主人様をしっかりと抱え直す。
「仕方ねえな。今日は特別だ、感謝しろ。
この俺が甘やかせてやるよ。
たまには我儘も聞いてやるってこの間、約束したしな」
いつも俺の我が儘を笑って許してくれる愛しい存在。
その仮もたまには返さねえとな。
「だから笑えよ。そんな泣き顔は見たくねえ」
素っ気なく俺はそう告げた。
漂ってきたスープの匂いに盛大に腹の音を響かせるあたりは色気はまだまだ足りねえガキだが慌てて大人になる必要はない。
風来坊だった俺が見つけたのは最高に寝心地のいい巣穴。
御主人様が本当の意味で大人になるまで俺は待てる。
だってそうだろう?
良い酒はゆっくり熟成させてから頂いた方が最高に美味い。
それを側で見守るのも悪くない。
春先早い青空の下、そんなふうに考えてる俺は、
自分が思っていたよりも案外気が長いなあと、そう思った。
少し肌寒い風も暖かく感じた、そんな日だった。




