第八十二話 それでも帰ってきてくれますか?
いつものように貸し切った最上階の階段入口に留守番させていた警備二人と合わせて四人交代で見張りをしてくれるというので夕食を食べて階段を上がるとそれぞれの部屋へと移動する。私が最奥、レインは一つ飛んで隣の部屋。
『おやすみなさい』と挨拶を交わしつつ奥の部屋の扉を開けて入ると閉めようとした扉の隙間からガイがするりと入ってきて、何か用かと尋ねるために後ろを振り返ろうとした瞬間、背後から抱え込むようにギュッと抱き締められた。
一瞬、心臓が止まるかと思った。
だってガイは滅多にこんなことしない。
それだけ心配してくれてたんだろうなって察する。
俺には鍵も意味ないぞと言いながらいつもはそんな気配なんてまるでなくて、やっぱりあれは私を揶揄うつもりの冗談だったのかなって思い始めてたから。
ガイが『惚れてる』って言ってくれたのは恋愛感情なんかじゃないのかもって。恋であるにしろないにしろ、家族になってくれると言った言葉には嘘はないはずなので、それならそれでもいいかなと思い始めていたのだ。
恋人は別れたらお終いだけど、家族としてならずっと側にいてくれるかなって。
だけど、シーファが言ってた。
ガイの拳が震えてたって。
喧嘩っ早そうに見えてガイは必要以上の暴力は振るわない。
それは平和主義的な意味なんかではなくて無駄だと思っているからだ。危険と判断したり、向こうが手を出せば反撃はするけれど、怒りが頂点に達した時なら尚更自分の拳を振るう価値などないとばかりにゾッとするような目で相手を睥睨し、威圧する。
そうすると圧倒的な力量の差を思い知らされて相手は崩れ落ちる。
つまりそれだけ心配かけてたってことだろう。
「ガイがこうしてくれるってことは、臭いは落ちたってこと?」
要するにあの時のあの言葉はガイ特有の照れ隠しか。
こういうところはわかりにくいなあって思うのだ。
素直じゃない。
天邪鬼で意地っ張りなのは私も一緒だ。
駄目だ、無理だと言われても諦めが悪い。
余計にムキになったり、判ったと頷いておきながら虎視眈々とチャンスを狙ってたり、強がって弱味を見せようとしなかったり。
要は甘えるのが下手なのだ。
だからこそ自分から上手く甘えられない私は甘やかされるのに弱い。
私がふふふって微笑うと益々ギュウと抱き込まれた。
「あれはっ・・・」
ガイらしくなく言い淀んだ。
ってことは多分私の推測はアタリだ。
背後から抱きしめられているせいで表情は見えないけれど息遣いと鼓動が少し早い。くっついてるとそういうのは誤魔化せない。
大抵のことは声に、言葉にしなきゃ上手く伝わらない。
言葉にしたって上手く伝わるとは限らないのだ。
でも言葉がなくても伝わることがあるのだと、私はこの世界に生まれて、ガイやロイ達に抱き締められるようになってから知った。赤ん坊の頃泣くとあやすように抱き上げらえた時とまるで違う感覚。
以前は真夏の暑い日にまでくっつきたがる恋人同士の気持ちがよくわからなかった。だけど、今は炎天下でも優しく抱き締めてくれる腕が嬉しい。だから最初は恥ずかしがっていたけれど、最近ではスキンシップ過多になっているのは自分でも自覚がある。
しがみついても振り払われない腕。
それにすごく幸せを感じるのだ。
こんなふうに強く抱き締められるのも嫌いじゃない。
感じる呼吸や鼓動はその人の気持ちを伝えてくれる。
察するのが苦手な私もこれだけ至近距離なら間違えない。
「別に気にしてないよ? 臭いのは間違いなかったし。
心配してくれてたことくらい、ちゃんと解ってるから。信じてくれてたってことでしょ。私達が無事だって、だから・・・」
「違うっ、そうじゃなくて俺はっ」
やっぱり止まるガイの言葉。
確信が持てない限りガイはなかなか口にしない。
それを私はガイの情報屋としての矜持ではないかと思うのだ。だからこそガイのもたらしてくれる情報は信憑性も高い。
「無理して言葉にしなくていいよ。
私、器用そうに見えてガイが本当は不器用なの、知ってるから」
ガイの口から出る言葉をそのまま信じちゃいけない。
そうでなくても人間の感情というものは複雑だ。『好き』という言葉は都合が良く利用できるから『好き』だとか、『嫌い』という言葉は自分の感情に振り回されてイラつくから『嫌い』だとか。『好き』も『嫌い』もそこに含まれている感情がその言葉通りの意味とは限らない。好きな子の気を引きたくて『好き』なのに『嫌い』ということもある。
私はそういう感情を汲み取るのが下手で、ついつい逆の意味に取って可愛くないと言われたっけ。
『嫌よ嫌よも好きのうち』というのはそういう心理を現す言葉なんじゃないかと思うけど、大抵は『嫌は厭で好きじゃない』というのが大方の本音で見解だろう。私はこういう心の機微を読むのが昔から苦手で、それまでのその人の行動から分析してよく失敗する。
だからこそズケズケと遠慮なく本音を言って欲しいと思うし、嘘を吐くなら騙し通して欲しいと思うのだ。
とはいえ、それは私の都合であって強制できるものでは無いわけだが。
正直、ガイは言動が読みにくくて私がよく地雷を踏みがちなタイプ。
なので前もって私は『ハッキリ言え』、『嘘を吐くなら吐き通せ』とお願いしたわけだけど。
「みんながみんな、思ってること口に出せるわけじゃないし。ガイは特に意地っ張りの照れ屋で、恥ずかしがり屋だもんね」
「俺のことを恥ずかしがり屋だなんていうのは御主人様だけだぞ?」
呆れたようなガイの声。
確かに外見からは想像つかないかもしれないけど。
「そう? でもちゃんとガイは私を大事にしてくれてるって思ってるし、それを疑ってない。それに唯一でなくてもいいから唯一だって信じさせてくれればそれでいいって言ったの私だし」
ガイは束縛が嫌い。
自由でないのが嫌い。
面白味のない毎日が嫌い。
そんなガイが少しだけ私は羨ましいと思うのだ。
それは強靭な精神が必要な生き方だ。
自由であることは孤独を受け入れることでもある。
人との繋がりは深くなるほどそれは鎖となって自分を縛る。自由は『責任』という言葉がついて纏う。責任を持たずに自由であることは傍若無人な傲慢、その自由の影で犠牲になっている人がいるからだ。
そんなのは『自由』ではなく『傍迷惑』というのだ。
今の私はいろんなものを抱え過ぎて雁字搦めだ。
でも、それでいい。
孤独であることより私は仲間と、大事な人達と限られた自由の中で全力で楽しむことを選んだ。私が駆け回る自由と引き換えに得た幸せは最高のものだ。
二度と独りになんてなりたくない。
ガイの生き方は執着を持たず、人と深い繋がりを極力作らず、身軽で、荷物も少なくて、いつでも鞄一つ担いでどこにでも飛び出せる。いつかふらっとどこかに遊びにでも行くような感覚でいなくなりそうで怖い。
『出来ない約束はしない』主義のガイの戻ってくるという言葉を信じて待つしかないのだけれど、ガイを繋ぎ止めておくのはとびっきりの難問だ。
でも、美味しい食事と暖かな安心できる寝床。
それがあればきっと私のところに戻ってきてくれるかなって。
だから私は作るのだ。
ガイのために、ガイの好きな料理を。
私のが一番美味しいって言ってくれるから、私の料理が食べたくなったら帰ってきてくれるかなって。
ガイに『美味しい』って言ってもらうと私はホッと安心するのだ。
束縛しない伴侶を演じて引き留めたい、ではなく、鬱陶しいと思われたくないから聞き分けの良いフリをする。大事に思われているのは解っているからそこにつけ込んでいるとも言うのだけれど。
でもね、ガイ。
それでも最低限の約束は欲しいんだよ?
「大丈夫、忘れてないよ。ガイが家族でいてくれるならそれでいい。私のところに帰って来てくれるんでしょう?」
そう言って私は問い掛けた。
それはYESの返事が欲しいからだ。
「・・・帰ってくるに決まってんだろ。惚れてんだから。
ホント、こういうところは敵わねえなって思うぜ。大人の女の余裕ってヤツか」
また『惚れてんだから』か。
それが唯一なのか、そうでないのか問い詰めるつもりはない。
でもね。
「余裕なんてないよ」
いつだって必死だ。
「普通女ってモンは俺みたいな態度を取られるとキーキー喚くもんだろ?」
男の不誠実を責め立てる、そんな女性の姿が頭に浮かんだ。
アレを鬱陶しがる男は多そうだけど、男にとっては『たかがこの程度』と思っているのが原因だろう。
男と女の価値観は違う。
「キーキー喚くは失礼だと思うよ。それは相手に聞く気がないから自分の方を向いて欲しくて女の人は訴えてるの」
それは『五月蝿えなあ』という男の感情が態度と表情に現れているからだ。聞く耳を持っている人にならそこまで感情的にはならないんじゃないかなあ。
経験ないから自信ないけど。
「御主人様はしねえだろ?」
それは質問かな?
それとも『するなよ』という牽制か?
判断が微妙に難しいところではあるけれど関係ない。
ただ正直に答えるだけだ。
こういう時に嘘を吐くと信頼関係が崩れかねない。
カンの良いガイなら尚更だ。
抱き締めてくれるガイの腕に手を添えて私は呟く。
「私のは打算。妥協ともいうかな。ガイがそういうのを嫌うって解ってるから。普通なら女の人が私みたいな態度を取ったら要注意だよ」
それはイエローカードどころかバリバリのレッドサイン。
「どういうことだ?」
「それは既に諦めたか、興味を無くしたか、見捨てようとする前兆だから。
ガイも前に言ってたでしょ?
いつまでも自分に興味の無い男を追いかける女はいないって。
女の人はモノじゃない、だから手に入れてからも安心してちゃダメなんだよ。粗末に扱えば心が離れる。引き留めたいと思うなら不満を訴えかけてくれているうちに耳を傾けておくべきだね。
怒ってくれるうちが花なんだ。
愛情は花と一緒、水も肥料も労を惜しまず与え、手間をかけてこそ大輪で美しい花が咲く。放っておいたら枯れるか、咲いても色艶悪い、そこそこの花が咲くだけだよ。そして一度枯れてしまったら終わり。二度と綺麗な花は咲かない。
修復不可能、もしくは相応の覚悟と努力が必要だと思う」
開き直ると女性の方が逞しいことも多い。
男は夢見がちだ。
昔フッた女の人が今でも自分のことを好きでいてくれると勘違いしてる人もいた。自分に似た男の人と一緒に歩いているのを見れば『アイツはやっぱりまだ俺に惚れてるに違いない』なんて。まあそういう女の人もいたけどね、それはごく少数派だ。
自分に似ているのは単にそういう人がタイプだから。
好みというのはそう簡単には変わらない。
生まれ変わった私も好みが変わることはなかった。
顔より性格。中身のある仕事の出来る男が好き。
優しいなんてのは恋すれば大抵性格悪い人でも惚れた人には優しくなるものだ。
「無償の愛とか永遠の愛なんて伝説級だよ。
ないとは言わないけど滅多にあるものじゃない。
大事な人を粗末に扱ったり、見下したりしていても変わらず想ってくれるなんて、そんなの厳しいと思う。
大切にしてくれるから大事にしたいと思うんだよ。
互いの努力無しには関係は続かないと思う。
男の人は夢見がちだからね。現実を生きてる女の人とどうしたって考え方がズレが出てくる。それを埋めるためにたくさん会話をして、愛情を言葉と行動にして伝えるのが重要なんじゃないかなって」
お互い譲れるところは譲り合って。
片方が我慢するばかりじゃ続かない。
「俺からするとその両方を理解してる御主人様が驚異だぞ」
なんか恐ろしいものを聞いたようなその口調、やめてもらえないかな?
私は人を手の上で転がせるほどの器じゃない。
何故そう思われているのが不思議だけど。
「理解なんかしてないよ。あくまでも想像、一つの意見。そんなのわかっていたら恋人の一人くらいはきっと前世でもいたと思うよ。
私は壊滅的にモテなかったって言ったでしょ?
逆説的に言うなら常に観客だったってことだよ。男と女、両方の言い分を傍から聞いていた第三者だからこそわかることも多い。だけど大概そういう時は既にどうしようもないほど拗れてて、修正きかないことも多かったけどね。
だから手遅れになる前に原因は早期解決すべきなんだ」
割れた皿はもとには戻らない。
欠片を拾って、くっつけて、修復したところでヒビは残ったままなのだ。
「だからこその即日即時実行か」
「魔獣討伐も痴話喧嘩も問題解決に違いはないでしょ」
放っておいて解決することの方が稀だ。
時間が経てば魔獣は被害が増えるし、痴話喧嘩は疑う時間を与えて誤解を招く。
すぐに忘れるようなことなら問題ないだろうけど、怒りの頂点や原因は人によっても違うし、自分にとっての他愛もない事が相手には重要だなんてよくあることだ。
「俺からすると女のヒステリーの方が厄介だ」
ガイの如何にも面倒だというような言い方には笑った。
「ならばまずは女性を怒らせないことだね。
関係を終わらせたいならキッパリそれを伝えない男が悪い。
傷つけたくないとか、嫌いになったわけじゃないとか、カッコつけて期待を持たせるからそうなるんだよ。謝罪して、誠意を見せて、責任取って、慰謝料払うなり、ボコボコにされるなりしてみっともない姿を晒せば女の人も幻滅して少しは気が晴れるんじゃない?」
まあ全員がそんなに理解があったり、聞き分けいいとは限らないから保証できないけど。
「それは俺に対する脅しか?」
ガイの疑問にふと考える。
脅し?
そんなつもりはなかったけど、遠回しに『私をあんまり放ったままにしておくと怖いよ?』と言っていると取れなくもない。
「どうだろう? ガイが私を上手く騙してくれなくて、大事にされてないって思ったら私の心の中の花も枯れるかも?
そうしたらイシュカやロイに慰めてもらおうかな」
「それはやめろ。流石にそれは面白くねえ」
ムッとした口調でガイが言った。
私はクスッと微笑う。
「面白くないんだ?」
「ったり前だろ」
少しだけホッとする。
ヤキモチ焼くくらいには好きでいてくれているってことだよね?
大好きでいてくれなくてもいい。まずは好きでさえいてくれれば。
私はせっかちだけど気は長い。
ガイが歳を重ねて、少し落ち着いてもいいかもって思った時の一番の選択肢でいられたらいい。
「じゃあ上手く騙してね。私の前では私だけだって思わせて?」
だから私に期待を持たせたままでいて。
たくさんの我が儘は言わないから、気が向いたらたまには甘い言葉をかけて。
私だけだって信じさせて。
これは下心付きの計算なのだ。
少しでいいから長〜く好きでいてほしい。
これが私にガイだけだったならこんなセリフ言えないだろうけど。
私にはロイやマルビス、イシュカにテスラ、レインがいてくれる。ガイの代わりは誰にも出来ないけど、ガイ以外にも私を支えてくれる人がいる。
私は独りじゃない。
「長く生きてるとね、純粋なだけじゃいられなくなるんだ。
真っ白なままじゃ生きていけない。傷ついて汚れなきゃ判らないことだってある。
私の心はきっと、綺麗な色をしていないだろうね。
それでも、私は私のこの心の色を誇りに思うよ」
だってこの色は私が戦ってきた証だ。
理不尽に屈せず、自分の意志と生き方を貫いた。
妥協はしても譲れない一線は守り抜いた。
私は私のなりたくない自分にはならないと。
それは器用な生き方ではなかったとは思うけど。
綺麗事だけじゃ物事全ては片付かない。
相手の気持ちを理解しないで正論振り翳して、正義を語って解決するなら喧嘩や戦争だって起こらない。
一人一人、みんな持っている正義や譲れないものは違うんだから。
それでも私は私の信じる道を進むだけ。
前世も、現在も。
「だから私は貴族に魔王って呼ばれているでしょう?
私は私の譲れないもののために戦った結果だから、それでいい。
綺麗でも、立派でもないしね。
私は私の護りたいもののためなら魔王でいい、魔王になるって決めた。
それに、私は彼等の持っている自己中心的な正義を私の都合で踏み潰して回ってるんだから『魔王』で相違ないと思うよ?」
私を嫌いな連中も関わってこなければそれでいい。
汚れを知らない真っ白な世界は生きにくい。
限度を超えないなら多少くらいは目も瞑るし、見て見ないフリもする。
でも立ち塞がる障害となるなら排除する。
それが行き過ぎた卑劣、外道の所業でないならば手を出すつもりもない。
力のない者が淘汰されるのは自然の摂理。
手を出しすぎては抗う術を身につける努力をしなくなるし、私には全ての人を救う術も力もない。
私はスーパーマンや世界を救うヒーローじゃない。
私が守れるのは私の手の届く範囲にいる大事な人達だけ。
期待され過ぎるのは困るのだ。
「幻滅した?」
私がそう尋ねるとガイは破顔した。
「・・・いいや。むしろ惚れ直したね。
俺も聖者や勇者についたつもりは微塵もねえ。
俺が惚れ込んだのは御主人様だ。それが恐れ慄かれている魔王様だってんのなら、魔王上等、御主人様に仕えてる俺は魔人でも悪魔でも構わねえよ」
そう言ってガイは笑った。
「御主人様の側は最高にスリリングで面白いからな」
じゃあ面白くなくなったら?
ガイはそれでも私のところに帰ってきてくれる?
私はそれが、
少しだけ不安になった。




