第七十話 それが真っ当な言い分であるならば。
ひとしきり笑った後、ガイがチラリと視線を斜め後ろに向けた。
「それで密偵の動きはどうだったのですか?」
ガタガタと音を立ててゆっくり走る馬車の音にかき消されそうなほどの声でイシュカがガイに問いかける。
ガイをレストランに連れて行かなかった理由。
それはガイが『こんな堅苦しいところでメシが食えるかっ』と宣ったのも一つの理由だが、当然他の理由もある。
私達の後を付いてくる密偵の監視のためだ。
窓のカーテンを閉めたまま別邸から乗り込んで、一度もガイは馬車から降りていない。つまり向こうがガイの存在に気がついているかどうかは定かではないが、私達が降りた瞬間、ピタリと気配を絶っているガイが気付かれている可能性はかなり低いだろうということだ。
何故かと問えばウチの諜報部員に後をつけられていることに気づかないまま私の見張りに徹している時点で『たかが知れている』ということらしい。
「ああ、やっぱさっきも少し離れたところからずっと見張ってやがったぞ。途中からそれも二人増えた、今は三人だ。多分他んとこに張り込ませてたヤツをこっちに回したんだろ。ウチんとこみたいに資金が潤沢でもない限り、密偵なんてもん抱えるのは金がかかるし管理も面倒だからな。多くても片手の数も抱えていないのが普通だ。入り用な時だけその都度雇い入れるか甘い言葉か金掴ませて買収する方が安上がりで都合が悪くなりゃ消すのも楽だ。まあそうなると当然質は落ちるが。
限られた人数なら急ぐ案件じゃなけりゃ時間的に最優先すべきはこっちだろう」
大物と言われる上級貴族は大抵子飼いの密偵や間者、情報屋などを数名抱えていることも少なくない。
流れている噂の真偽を確かめるためであったり、仇敵の動向を探るためであったり、悪事を働いているならば国の役人や機関を見張らせていたり。
つまりはガイの言葉からすると、マイエンツ侯爵の子飼いが何人いるのかまでは知らないが、今現在は裁判に向けて私の情報や動きを探ることに専念させているということか?
ならば好都合ではあるのだが、ここで油断は禁物だ。
「っと、一人気配が消えた。飼い主のとこに向かったかな」
わざと後を追いやすいように爆買いを装ってゆっくりライオネルに馬車を走らせてもらっているわけだが、ガイのその言葉と同時に御者台側の窓を軽く三つ、二つと叩く音がした。一人減ったという合図か。
「いつも思うんだけど、見てないのによくわかるね」
馬車の中にいれば人の足音なんて殆ど聞こえないはずなのに。
相変わらず私のそういった気配を探るアンテナはガイにザルと言われている。
「まあ慣れみたいなもんだな。ウチのヤツも動いたから大丈夫だろ。確認できたら戻って来んじゃねえ? 親玉のとこにはケイのヤツが張ってるからな。心配ねえよ」
本当にケイはよく働いてくれていると思う。
「信頼してるんだ?」
「今のとこアイツとリディだけだからな。俺にある程度近づくまで気配を悟らせないのは。それにアイツは忠義も厚いし御主人様を裏切れない理由がある」
ケイが奴隷だということをレインは知らない。
私には現在三人の奴隷がいる。
ケイ、ビスク、そしてクルトだ。
当然違法ではなく、陛下から賜っているわけだが、私はこの三人を奴隷だと思って接していないので命令したことは無い。命令するまでもなく三人は一生懸命働いてくれるので命令する必要性を感じない。その話が出回れば三人を見る周囲の目が変わるだろうことが予想出来るので、バレていないのであればわざわざ言ってまわる必要も無い。
「何か大きな報告は上がって来ないんですか?」
そう尋ねたロイにガイが二本目のワインの瓶を開けながら答える。
「アンディがケイと接触できるようにしてくれてあるが、ちょこちょこ動いているようだが今のところ目立った大きな動きはねえな。ただ、当日にはヤツの正妻の誕生日の舞踏会がある。それがあるせいもあるんだろうな。
何をするにしても資金ってのはいるもんさ。
だとすれば、動くならその後だと睨んでるが」
向こうも色々と忙しいってことか。
裁判の日程はまだ決まっていないけど、最低でも一か月以上は向こうになる。そちらが優先となるのも当然か。それに買収するにも金がかかる。コロッセオを開催してその資金をかき集め、裁判で勝てれば私からガッポリと賠償金をせしめることが出来るという算段か。
知ってます?
そういうのは『取らぬ狸の皮算用』というのですよ?
狸を捕らえる前に売ればいくらもうかると計算し、その金をあてにする。 不確かなもうけ話を自分に都合よく考え、あれこれ先走ったところでその計画は全て潰して差し上げますよ?
その下準備は既に進行中。
貴方達のようにろくな計画も立てずに動くなんて杜撰なことは致しません。
ゴキ◯リは見つけたなら一匹残らず一網打尽、徹底駆除が原則です。
巣穴に戻したらまたそこから増殖するでしょう?
私の立てた穴だらけの計画も、優秀な仲間が全て塞いでくれることでしょう。
だから心配していません。
しかし私も曲がりなりにも侯爵家。
誕生日にはパーティを開かざるを得ないわけだが、一般的には御祝い事があるたびに開くのが恒例だそうだ。最低でも当主と正妻の誕生日には開くのが通例、祝い事は強制では無い。故に所謂社交界の付き合いは私は現在自分の誕生日だけでも問題はない。呼ばれることも多いけれど、どうしても私でなければならないもの以外はシュゼットが代行として出席してくれているからこそ、それも許されている。
だが今年からは学院での講義も言い訳には使えない。
出席しなければならない舞踏会その他が多くなるであろうことを考えると今から頭が痛いところだ。
しかし、それもこの局面を上手く乗り切ってからの話。
マイエンツのヤツが上手く引っかかってくれると良いのだけれど。
あの頭に血が上りやすそうな性格なら多分イケるとは思う。
するとクスクスとイシュカの笑い声が聞こえてきた。
「大丈夫ですよ、そんな難しい顔をされなくても。今日ので更に噂が王都の貴族の口から広まって、そこから耳に入れば彼もさぞかし血の巡りが良くなることでしょうからね」
「だろうな。むしろ煽りすぎだろ。
自分が血眼になって御主人様様のアラを探してるってのに、当人はまるで危機感なくお気に入りの男と遊び呆けてる、となれば俺でもトサカにくると思うぜ?」
その言い方は心外ですよ?
私の最初の提案はパレードで目立ちまくること。
自分の息子が犠牲になっているというのに呑気に英雄気取りで行進してれば正気も消し飛ぶんじゃないかって、確かに提案しましたけれどもね。私に視線を釘付けにして、そのドサクサに紛れて護衛部隊を動かそうって。でも、ならばついでに油断してると思わせるためにロイ達婚約者と連れ立って貴族街で噂になるほど散財し、向こうを苛つかせて、怒り狂って頂こうと提案したのはガイ、貴方ですよね?
それに乗っかって次から次へとみんなから意見が出て、どうせやるなら徹底的に、罠かもしれないと疑われても怒りが爆発し、殺意がわくほど煽りましょうと言い出したのはイシュカとマルビス、シュゼット。
それを面白がっていたのはガイ、貴方ですよね?
唯一慌てていたのはライオネル。流石にそれはやりすぎでしょうと止めてくれた結果、コレでもまだ控えめ気味になったのだ。
私に賞賛が集まっているせいで影に埋もれてしまっている有能な側近や幹部達。
アレキサンドリア領は私の不在ごときで揺るぎはしません。
みんな私が指示を出すまでもなく、自分の判断で動ける人達ばかりです。
油断大敵、画竜点睛を欠くというヤツです。
完璧に私を見張っているつもりなのでしょうがそれが甘いというのです。注視すべきは私ではなく私達。
私がこうして自由に動けるのは優秀なみんながいてくれるからこそなのだ。
噂に惑わされ、本質を見誤るから追い詰められる。
バレて困るようなことをコソコソと隠れてやるから破滅への道を歩くことになるんです。
今はまだ、それにも気付いていないでしょうけどね。
狙った獲物は逃がさない。
売られた喧嘩も今のところは全戦全勝。
頼もしい仲間に囲まれて、私は本当に幸せだなあとつくづく日々思うのだ。
馬車を商会の支店で止めて獣馬に乗り換え、いつものようにさて帰還。
と、行きたいところだけれど、生憎今回はそういうわけにも行かない。獣馬の脚では向こうの密偵を振り切ってしまう。
それはマズイのだ。
とりあえずはレイオット領の大通り、閣下の邸宅から程良く離れた高級宿の最上階を貸し切って翌朝はぶらりといつものように朝市巡りを堪能。しっかり目を私達に釘付け、人混みに紛れ、適度に緊張感を向こうに持たせつつイシュカとライオネルには現在付いている密偵二人にさりげなく気付いているかいないか判らない程度に視線を送ってもらう。
ドキドキハラハラさせまくり、体力、気力、精神力を限界まで削って頂きましょう。
そうして閣下の邸宅に寄ることなく屋敷に帰還。
次に待っているのはウェルトランド内の従業員向けのパレード。
もう一着のド派手な衣装に着替えてオープン馬車に乗り、ついでに婚約者達にもバッチリ着替えさせ、侍らせての優雅に敷地内を周遊。
向こうは一応隠れているつもりなので目立つ馬に乗るわけには行かない。つまり多少の休憩はあってもその間にもイシュカやライオネルの視線に神経を尖らせ、神経を使い、馬車が動けば馬の軽い速足に合わせて一日中ほぼ走り詰め。
お気の毒様である。
そうしてバテてへバッていらっしゃるところでお疲れ様とでも言うような合図。屋敷の四階、プライベートエリアの明かりが消えればホッと一息となるわけだ。
すっかり安心、気を抜いているところで私達が動き出す。
残り五日で全ての護衛、監査人員を配置すべく闇夜に紛れて静かに密かに。
甘いのですよ?
一応交代で見張るつもりでいるようですが、そんなお疲れモードの身体では細かいところまで神経張り巡らせるのは無理でしょう?
諦めて大人しく寝まれた方が賢明かと思われます。
ウチは通りに面した正門側からでは全ての動きは見えません。すっかりオフィス街化した敷地内は視界も通らない。商業棟の裏からは各工房に抜ける道もありますし、更にはその端には諜報部員のいる宿と繋がる小屋もある。反対側の貴賓館の後ろには馬場に繋がっていて、広い馬場を横切ればそこは緑の騎士団支部へも抜けられる通路もある。
要するに、その気になれば森の入り口付近の騎士団支部からウチの諜報部の根城まで表通りを通ることなく抜けられるわけだ。
もっともその境目は普段はガッチリ施錠されていますけど。
何事も遠慮と節度、配慮というものは必要なのですよ。
集まったのは三階私の書斎。厚い光を通さないカーテンを引き、更には灯りが漏れないように厚い板を立てかけて、その上からもう一度厚い布を掛けて灯りが漏れていないことを隣の部屋から確認、ホッと息を吐く。
「それで準備は順調に進んでる?」
必要メンバーが揃ったところで悪巧み・・・ではなくて、作戦会議だ。
私の問いかけにマルビスが報告してくれる。
「滞りなく。ハルト様があちらの注意を引いていて下さったので助かりました。既にパレードに紛れて六割の人員は配置完了しています。二割は今朝から商会の輸送物資の護衛として出発していますので二、三日中には八割の移動は完了する予定です」
ならば決行日には充分間に合う。
残りの二割はフィア達と一緒に船で移動になるから特に問題もない。
「フィアの方はどうなっているか聞いてる?」
私はフィアとの連絡係を請け負ってくれているダイロンに尋ねる。
「閣下や辺境伯と行動を共にする監査人員は明後日、殿下が船に乗り込むのと同時に乗り込むのと同時に詳しい内容は伏せたまま、殿下から指示書を閣下達宛で封書で持たせて商隊を装い、向かわせるそうです。殿下と貴方がたが受け持つ残りの人員は三日前より船に乗り込む予定ですから先に動かすべき人員は既にここを出発しているそうです」
それは上々。全て予定通り。
私が頷くとダイロンが口を開く。
「陛下と殿下からは今回は私達は動く必要はないというお達しが出ていますので我が緑の騎士団の出動要請はありませんがよろしいのでしょうか?」
「構わないよ。ここには密偵が潜んでいるのは知っているでしょう?
軍を動かせば勘繰られる。
今のところフィアの方は関連を疑われていないみたいだし、戦争しに行くわけじゃないからね、問題ないよ。ここの人員を動かし過ぎても怪しまれそうだからウチの騎士団の各支部に業務に支障がない範囲の応援要請は既に出してある。フィア達が乗船する前にはそこを回って来るから彼等も既に乗り込んでいるはずだし、フィアの視察の護衛という名目でそれなりの数の騎士も乗って来るっていうから問題ないでしょう?」
一国の王子の護衛となればそれなりの数を動かしても怪しまれはしないだろうが、監察官達には船に乗り込む当日にグラスフィート港から乗船してもらうように頼んである。名目はあそこにある植物園の経営状況の視察。昼には植物園人気のフルーツパフェというエサで釣って。今回の捕縛劇を知っているのは現在地方監査局の上位三名だけ。情報漏洩すればすぐにわかる。ウチの騎士団も詳しい話を知っているのは現時点では上位十名と各支部のナンバー2までだ。
それでよく団を動かせるものだと以前言われたこともあるけれど、当日近くにならないと詳しいことを話さないのは毎度のことなのであまりみんな気にしていない。
また『機密事項か』程度である。
ウチは陛下の指示や応援要請で動くこともあるからだ。
代わりに動く前にはキッチリ時間をかけて丁寧に説明する。
主にイシュカが、だけど。
「しかし情報漏洩を避けるためにまさか船を一隻まるごと利用するとは思いませんでしたよ」
なんで?
ダイロンの疑問に首を傾げる。
部外者との連絡を断つならこれ以上無い場所だと思うけど。
「国の上層部に顔が利くとなれば人間関係もどこでどう繋がっているかわかりませんからね。即時動けるのであればたいした問題もないでしょうけど今回の場合は一気に十六ヶ所の検挙、どうしたって時間も人手も掛かります。
ならば細心の注意を計るべきでしょう?
秘密裏なんてのは徹底するには難しいもの。
ならば知らなければ秘密も漏らせない。
本人に悪気はなくても、『これは極秘のことだ、秘密だぞ』なんて自慢されたら折角の企み、下準備も台無しでしょう?」
だが船の上で明かされれば陸に上がらない限り関係者以外への連絡は特殊な手段を持たない限りは難しい。そんな話だと知らずに乗船すれば連絡手段を用意する暇もない。
まあその分予算は跳ね上がるわけだけど。
今回の経費は勿論国が持ってくれることになっている。
当然でしょう?
この計画が持ち上がったのは私が審問会に掛けられるよりも前に持ちかけられている。こちらの都合で動いた分は出ないけど、それは致し方ない。
だが一斉検挙が成功すれば報奨金という形で御褒美が出てくるし、それらは捕縛した悪徳貴族から罰則金や御家取潰しで財産没収となった方々から回収出来るので掛かった経費はそこから出すそうだ。とりあえずウチの一時立て替え状態にはなっているけれど、請求書はダイロンが連絡を伝えに行く時にフィアに届けてもらっているから今頃フィアの執務机の上にはそれが山と積み上がっていることだろうが今のところ高すぎるという苦情は来ていない。
全部捕縛できればお釣りがくるどころか国庫はさぞかし潤うことでしょうね。
彼等、かなり溜め込んでいるみたいですから。
薄利多売がウチの基本理念。
ですが、頂けるところからは特別価格の名の下にガッポリと遠慮なくボッタくる。
それが我がハルウェルト商会のやり方ですので。
勿論、普通のお客様には誠心誠意対応。
そうでない方にはそれなりに。
迷惑客には徹底取り立て、ゴッソリと。
勿論、苦情も文句も受け付けますよ?
それが真っ当な言い分であるならば。




