閑話 イシュガルド・ラ・メイナスの覚悟 (1)
ハルト様のお側は何時も驚きの連続だ。
それは初めてお会いした時から少しも変わっていない。
その才能は様々な策を弄して魔獣、魔物討伐するだけにとどまらない。
日々の生活の知恵から開発、開拓、観光事業に至るまで多岐に渡るそれには感心どころか最早感嘆の域だ。
私達とは発想力の幅が違うと実感する。
なのにハルト様は仰るのだ。
『イシュカは大袈裟だなあ』と。
それはアバタもエクボ、欲目贔屓目って言うんだよと貴方は言う。
違う、貴方が謙虚過ぎるのだ。
私にもっと欲張りになれと言うのに貴方には欲がない。
そう私が言えば貴方はいつも自分は強欲だと言う。
一人を選べなくて結局私達を独り占めしたのだからと。
そうではない。
押し付けたのは私達。
迷う貴方の優柔不断さにつけこんだ。
貴方が選べなかったのではない。
私達が選ばせなかったのだ。
潰したのは自分が選ばれないかもしれないという可能性。
どうしてもお側を離れたくなかったから、
貴方の特別でいるために臆病にも、
唯一の存在になることを私達は放棄したのだ。
ハルト様は露悪的なところがある。
頼まれたからと策を練り、
困っている者に手を差し伸べ、商会の利になるからと嘯いて、
事件に自ら首を突っ込んで巻き込まれたのだからしょうがないと解決する。
いつも断る理由でなく無自覚に断れない理由を探す。
だから仕方ないのだと溜め息を吐いて。
カッコつけるのではない。
どちらかといえば逆。
最高にカッコイイ男になるのだと言いつつも、自分を常にカッコ悪い男に見せようとする傾向がある。
過剰評価は冗談じゃないと。
それは偽善者とは逆の、むしろ偽悪的な言動。
魔獣討伐にしてもそうだ。
居合わせたのだから、領主の務めだからと討伐に参加する。
それは言い訳ではない言い訳。
本来そういうものは嫌なことなどから逃げるためにすることだ。
本来であれば屋敷で命じるだけでも許される立場でありながら、自分にも出来る役割、自分にしか出来ない役目だからと前線に出て、それだけのことをしておきながら今度は自分一人の功績ではない、仲間の協力があってこそなのに自分だけ持ち上げられるのはどう考えてもオカシイ、人の功績まで取っているようで気分が悪い、申し訳ないと畏まる。
男には目立ちたがり、承認欲求が強い者が多い。
特に戦うことを職業としている男なら尚更だ。
私達からすれば何故そこまで控えめなのか甚だ疑問なのだが、ハルト様はそれを嫌味でも謙遜でもなく大真面目で言っている。
だが、自分達の力を偽りなく評価してもらえる、見てくれていると思うからこそハルト様の周囲にいる者達は張り切る。
無自覚に人心を掌握しているのがハルト様の怖しいところだ。
仕事を全うしたならば大袈裟なほどに褒め称え、『お疲れ様』と声をかけ、食事や酒を存分に振る舞う。
『頑張った人に御褒美があるのは当然でしょう』と。
あり余る財産で贅沢が許される身でありながら自分よりも他人に惜しみなく使い、楽しそうに笑う。
みんなが喜んでくれるのが嬉しいと。
本当に幸せそうに微笑うのだ。
贅沢を望んでいるわけじゃない。
自分は既に欲しかったものを手にしているから構わないと。
だから周りにいる人にも幸せだと思ってもらいたい。
この幸せを分けられたらいい。
そうすればきっと、ずっと私の側にいてくれるでしょうと。
ハルト様のお側は居心地が良すぎて困るのだ。
どんどん贅沢になる自分を自覚している。
ベラスミの叛乱軍を抑えて以降、ハルト様の下には更に陛下から人材が送り込まれてきた。シューゼルト様とアンディ、その他警備、農林畜産系の経営に詳しい者や事務、経理に長けた者達だ。
ハルト様は優秀な者であるならば悪い意味で性格が破綻していないものであれば、所謂変人奇人の類である著しく生活能力に欠けていたり、それ以外の能力が著しく欠けていてもそれが他者を蹴落としたり危害を及ぼすものでない限り、多少の常識が欠けているくらいのことは気になされない。
一芸に秀でているのならばそれで良いという。
普通の考え方をしていては既存の常識は破れない。
個性こそが新しいものを作る力になるのだと。
そういう意味でいうならば、ハルト様は間違いなくとびきり個性的だ。
ハルト様の発想が戦いのことに関してのみ発揮されるものではないと判明して以来、シュゼット達の故郷、デキャルト領の開発事業を皮切りにして農業革命をも手掛けられた。
そのキッカケとなったのはサキアスとヘンリーと共同開発したビニールハウスと植物の育成魔術。比較的初期段階まで魔法を使って成長を促すことで砂塵を防ぐ砂防を築き、貯水池を作ることで荒れた土地に緑を戻すことに成功された。更にはテスラと魔法を用いない浄水設備を提案。その影響はデキャルト領だけに留まらず飲み水確保に苦労していた地方の平民の暮らしを劇的に変えた。
最早この国で知らぬ者はない高名な御方。
それがハルト様だ。
自覚がないのは相変わらずだが、デキャルト領の農業革命をキッカケにハルウェルト商会は他領との付き合いも増えて次第にハルト様の味方は地方貴族に増えていく。
『敵を排除する最善の方法は味方につけることだよ。仲良くなった方が得だと思わせれれば敵は敵ではなくなり味方になる』
貴方はそれを簡単なことのように言い、こともなげにやってのけるが、本来ならそれはかなりの難問だ。
自分を良く知ってもらって、それでも受け入れられないのなら仕方がない。全ての人に好かれようとは思っていないと言いつつも、ハルト様のその人柄を知ればまともな人間であれば貴方が王都の貴族達に恐れられている『魔王』などではないことにすぐに気づく。
年齢など関係ない。
驕らず、飾らず、信頼すべき、尊敬に値する人物であることに。
そして心酔した崇拝者を増やしていく。
陛下からアレキサンドリア領を賜り、侯爵となってから更にその勢いは増した。
ハルト様は決して無理強いも強制もしない。
本人のやる気がなければ続かない。それならそれで構わないが真面目に仕事をする者としない者に給金の差をつけるだけ。働きに見合った給金しか支払わないだけだからと。
そしてその考え方は取引先である領主や地主にも適応される。
努力もなしに利は得られない。
契約するのは確実な成功ではなく単なるキッカケ。
自分には自分が責任持って守るべき領地と民がいる。
『だから貴方の領地や土地は最後まで貴方が責任を取る覚悟を持って下さいね』と。
頼り過ぎ、期待し過ぎは困ると念を押す。
それでも良ければ契約すると、おおよそ商売上手とは言い難い。率直で忌憚のない物言い。ビニールハウスとは農作物を育てやすい環境を提供するものであって土地によって育てやすい植物も違えば、ほったらかしで苗が育つものでもない。覚悟のない人には売れないとハッキリと口にする。
マルビスにあれで良いのかと問えば構わないという。
これは売って終わりというものでも数を売れば良いという代物ではない。故障や修理、メンテナンスなどが付いてくる。長く付き合える取引先でなければ意味がない、後々揉め事になって契約破棄となれば大赤字になる。荒れた土地、領地の改革というものは生半可なことでは覆せない。
私達が作ろうとしているのは新たな取引先。
寄生される相手ではないと。
耳障りの良い甘い言葉ではなく、ハルト様はその覚悟を問うているのだと。
そしてその覚悟があるのなら権力を持つ王都の貴族に屈することなく、きっと私達の力になってくれる。
見定めているのは信頼に足る人物であるかどうか。
ハルト様の見ているのは現在ではなく、未来なのだと。
それを聞いた時、私はまだまだ甘いのだと思い知って落ち込んだのだが、そんな私を見てマルビスは笑った。
『何をそんなに落ち込んでいるのですか?』と。
私と貴方の役割は違う。
戦う戦場が違うのだから良いのですよと。
自分は危険な魔獣などとの戦闘でハルト様の隣には立てない。領分を超えない範囲であればハルト様はそこがどんな戦場であっても私達の意見をお聞きになるでしょうと。
自分の戦う場所は人を疑うことから始まることが多い。巨大なハルウェルト商会に寄生して甘い汁だけを吸おうとする輩もいる。そういう者達と自分は経営者として渡り合わなければならないが、私の戦場は力を合わせて戦う者達を信じなければ巨大な敵を倒すことができない。始まる根本から違う。私達は各々自分の力を発揮できる場所で彼の方のお役に立てば良い、私達は仲間であり家族なんですからと。
そう言ってマルビスは微笑った。
家族。
私がその言葉の重みと温かさを知ったのはハルト様と出会ってからだ。
血の繋がった母には存在を消去され、跡取りに恵まれず愛人であった母から私を毟り取りながら本妻が懐妊した途端に私を不要と切り捨てた父親。血が繋がってはいても彼等を家族と私は呼ぶことが出来なかった。
人との縁が薄い私はこの先も誰とも深く関わることなく、きっといつか消えていくのだろうとなんとなく思っていた。
そんな私を変えたのはハルト様、貴方だ。
命に代えましてもと言った私に無責任なことを言うなと叱責し、自分の命の価値と私の傲慢さを教えて下さった。
帰る家があること、帰りたいと思う場所があることの幸せを知れば死ぬのが怖くなる。『死にたがり』と呼ばれていた昔の私はもうどこにもいない。
私がいなくなると貴方が寂しいと言ってくれるから、悲しいと伝えてくれるから私は生きることに強欲になった。
常にお側に侍る私をあんな子供に誑かされてと嘲笑する者がいるのは知っていた。
だがもとから他人の目というものを気にしたことのなかった私にはそんなことどうでも良かった。ハルト様に御迷惑をかけないのであれば他人の陰口、嘲笑などの些事は気にするほどでもない。私は間違いなく心の底まで心酔し、誑かされて何が悪いと胸を張って言えるし、彼の方に誑かされているのは私に限ったことではない。
もっと大勢の人間だ。
ハルト様の婚約者という地位を得て、私は一躍世間の注目を浴びることになり、更には学院での講師業もあって日々を忙しく過ごしていた。
そして学院での講師業も三年目を迎えた春。
騎士団内別邸に一通の手紙が私のもとに届いた。
差出人の名前は『ドルイドラルク・ラ・メイナス』。
記憶の底に沈めた、忘れかけていた血の繋がっているというだけの父親の名前だった。
既に縁は切っている。
ハルト様に仕えるようになってから、名前だけ知るよく知りもしない他人が親しげに擦り寄ってくることもあったので、どうせそんな類いの内容だろうとたいして気に留めることもなく私はそれを読まずに破り捨てた。
メイナス男爵家に未練はない。
後五年もすれば私のファミリーネームはハルト様と同じになる。
私はその日が待ち遠しい。
既に棄てた家名と捨てた絆と関わりを持つつもりはない。
下手に関わればハルト様にも御迷惑がかかる。
だが無視して破いた手紙はその後、幾度も騎士団事務室に届けられ、私はその度にゴミ箱に破り捨てていたが、それをある日、連絡事項を届けに来たガイに背後から破る前に取り上げられた。
「返せっ」
慌てて奪い返そうとするがするりと交わされあっという間に距離を取られた。
逃げ足の速さは相変わらず、ヒョイヒョイッと私の手をすり抜ける。
「破ろうとしたからにはコレはいらねえんだろ?」
そう問われて私は言葉に詰まる。
いらないと言えば確かにいらない。
だがそれを知られても良いかどうかは別の問題だ。
「お前には関係ない」
そう言い捨てるとガイはニヤッと笑って口を開く。
「こういうのも大事な情報だ。いらねえってなら俺にくれ」
「よせ、プライバシーの侵害だ」
他人に家庭の事情を覗き見られる趣味は無い。
ムッとして言い返した私にガイがチラリとキッチンの方に視線を向ける。
「大きな声を出すなって。御主人様に気付かれたくねえんだろ?」
ハルト様は今、ロイと夕食の準備をされている。
指摘されて私は慌てて口を噤んだ。
するとガイは階段の中程に腰掛けてそれを開封するでもなく、私に見せつけるようにそれをヒラヒラと振った。
「お前は関わらなきゃ済むって思っているかもしれないが、こういうのは最低でも中身はちゃんと確認すべきだぜ? それが気に食わない相手なら尚更な」
どういう意味だ?
会うつもりもない縁の切れた相手。
関わる必要性を感じない。
今更連絡をしてきたということは私の今の立場を利用しようとしている可能性がある。それをノコノコと出て行って繋がりをつくられるのも煩わしい。
だがガイは私のその行動を否定した。
「目を通さなければソイツの目的や狙いがわからねえ。
それが判らなければそこに潜む危険もわからねえ。
騎士団勤めの時ならそれで問題ないだろうが無視を決め込めばお前が一番懸念する御主人様に直接接触を図ろうとしてくるかもしれないんだぞ?」
注意されて気付いた可能性。
確かにそうだ。
私に関わるつもりがなくても向こうから強引に接触してくるかもしれない。
それも商会宛てに、最悪はハルト様に直接に。
「単なる昔を懐かしんでよこした手紙なら破り捨てても構わねえ。
だがそれが金の無心や商会への繋ぎならどうする?
伺うと書いた手紙をお前に届けた、返事が無ければ了承されたという意味で解釈したということにする、その日時に訪問するなどと書かれていたらどうする?」
私はその言葉にハッとした。
ハルト様は私の家庭の事情など詳しく知らない。
話したくないなら話す必要はないと仰って下さっているからだ。だが知らないということはあの父が私に会いたいとやって来たと言えば話を聞こうとするかもしれない。困っていると聞けば手を差し伸べようとして下さるかもしれない。そうなれば私の預かり知らぬところで御迷惑をかける事態になる可能性もあることに気付き、私は沈黙した。
そんな私にガイはその手紙を差し出して更に言う。
「捨ててもいい。だが必ず中身は確認しろ。
自分一人の話で片付けられる問題だという認識は捨てろ。今、お前は御主人様の側近で婚約者、しかも現在第一席なんだぞ? その自覚を持て」
言い返せない。
その通りだった。
私は頭を下げて礼を言ってそれを受け取った。
「すみません。ありがとうございます。そういう配慮にまで気が回りませんでした。今後気をつけます」
クシャリと握り締めた手紙をもう破こうとはしなかった。
「まあ無視したくなる気持ちはわからんでもないがな。
ロイやマルビス達と違って俺らには生きてる親がいる。それを面倒だと言えばアイツらに贅沢だと言われるかもしれんが顔も見たくねえし、正直思い出したくもねえ。まあ俺はゲイルの平民籍に入った時点で貴族籍は削除されてるからな。多分アイツらはそこから連隊長の縁戚に養子縁組されてるなんて考えちゃいないだろうから野垂れ死んでいると思っているだろうが。
大抵そういう手紙にはソイツらの重要な情報が書かれていることが多い。お前に無視され続けていたのなら焦れている可能性もある。気に食わないヤツであれば尚更その動向に気を配れ。面倒だと思うなら定期的にその地方の情報屋を使ってもいいし、怪しい動きをしているというならアンディに頼んでウチの諜報部を使えばいい。直接関わる必要はないんだ」
そうだ。あの男は跡取りがいないからと私を母から買い叩き、正妻に子供が出来たからとアッサリ捨てた。私に対して親子の情などあるとは思っていないが自分の都合でそれ以外の人間を振り回すような男。信用などしてはいけない。
ハルト様はそういう輩がいた場合、必ず動向をガイに頼んで探らせていた。
何かコトが起こってからでは遅いと。
私は彼の方の何を見てきたのか。
「で、読むのか、読まねえのか? 読まねえってなら俺に寄越せ」
「読みます」
右手を差し出して問うガイに私はそう答えて手紙の封を切った。
そこに書かれていたのは私の半分だけ血の繋がった弟の素行についてのことだった。
学院に上がる前から存分に甘やかされ、過保護に育った弟は我侭勝手放題、学院は落第を繰り返し退学。その後も領地経営の勉強をするでもなく素行の悪い連中と付き合い、多額の借金を作った。自分が領主になれば平民から税を存分に巻き上げてやればいいだけだ、生活には困らないと嘯いていたらしい。
始めは何とか更生させようと思っていたようだが母親がそれを阻み、許容し、甘やかし続けた結果、弟は闇賭博の摘発時に捕縛されたとのことだ。
この国では違法賭博に関われば罰金刑が待っている。
払えなければ良くて家財の差し押さえ、悪ければ爵位剥奪の上国外追放だ。
借金を払った上に罰金を課せられ、なんとか支払いは終えたもののメイナス男爵家の財政は破綻。弟は更生させるのにも厳しく、母親と一緒に実家に追い返し、弟はそこで幽閉された。
そしてメイナス男爵家は再び跡取りを失った。
親戚筋から養子縁組しようにも、そんな家の息子になろうなどという物好きはいない。そこで最近話題の多いハルト様の側近であり婚約者の私に目をつけ、再び家に後継として認めてやるから戻ってこいという話だった。
思い切り顔を顰めた私にガイが怪訝そうな顔をしたのでそのままその手紙を見せてやる。
「どうするんだ? 戻る、わけねえよな」
「当然です」
何故あの男の都合に合わせてやる必要がある?
あんな窮屈で自由もない、二度とハルト様にお会いできなくなるかもしれないようなところに戻るつもりはない。あんな家に戻るくらいなら御迷惑にならないよう婚約者を地位を返上し、単なる使用人や警備になったとしてもハルト様のお側で支えたい。
「このまま放っておくか?」
ガイの問いかけに私は思案する。
心情としては可能な限り関わらず無視しておきたい。
だがそういうわけにもいかないだろう。
ただ血が繋がっているというだけの赤の他人に憐憫の感情はない。
「いえ、あの男の性格からすると間違いなくそのうち私のところか屋敷に押しかけてくるでしょう。厄介ですね」
どうしたものか。
財政破綻しているというなら金の無心にくるかもしれないが、あの男はプライドも高い。素直に正面から来ればまだマシだが、おそらくそんなことはすまい。
だがあの男爵家はそれなりに財産があったはずだ。
あの男が母以外の多くの愛人を囲っていたのも知っている。
財源は把握していないがそれだけの甲斐性があったはずだ。
違法賭博の罰金程度で財政が揺らぐだろうか?
それともその出来損ないの弟とやらが金を遣い込んだのか?
疑問は色々とあるが関わりを絶って十年以上経っている。詳しいことはわからない。
「メイナス男爵家か。既に絶縁されて戸籍は抜かれてるんだよな?」
「はい。念書も書かされましたから間違いありません。あの男の正妻に財産を狙われては敵わないと言い掛かりをつけられましたから」
そんなもの鐚一文いらないと啖呵を切ってその足で騎士団の入団試験を受け、緑の騎士団に入団したのだ。
トンッと階段から軽く飛び降りてガイはどうしたものかと渋い顔をしている私の前に立った。
「しょうがねえ。王都からそう離れてねえし、ちょいと調べて来てやるよ。どうするか決めるにしても情報は必要だろ?」
そう言い出したガイに軽く頭を下げて感謝する。
「ありがとうございます」
「タダとは言わねえぞ。今度美味い酒を寄越せよ?」
その報酬の催促に私は微笑う。
「バリウスに聞いて、次に屋敷に戻るまでにダースで用意しておきます」
「ヨシッ、取引成立だ」
ガイが動いてくれるなら間違いない。
この男の情報屋としての腕はトップクラスの中でも更に群を抜いている。本来なら高い酒1ダース如きで雇える男ではないのだが、金に執着しないガイらしいといえばガイらしい。
おそらく放っておけばハルト様にも御迷惑が掛かると考えたせいもあるだろうが素直にそれを口に出すような男ではない。天の邪鬼なところがあるのだ。
「もう行くんですか?」
くるりと背中を向けたガイに私は尋ねるとクンッと鼻を慣らし、答える。
「いい匂いがしてきたし、御主人様のメシを食ってからにするか」
そう言ってガイはハルト様のいるキッチンの方に向かって歩いて行った。
その三日後の深夜。
ガイは別邸まで戻って来た。
相変わらず気配を断つのが上手いこの男は小さく私の部屋のドアを叩いた。以前よりも気配察知に長けてきたとはいえガイのそれは私の能力を上回る。この時間にわざわざ直接私のところに来たということはそれなりの理由があるのだろう。扉を大きく開けると私は無言で首を中に向けて振り、『入れ』と合図する。
するりと音もなくガイは入室するとそのまま部屋を横切り、テーブルの前に腰掛けた。
私はテーブルの上に二つグラスを置き、魔法で小さな氷を作って入れると棚からとっておきの酒を取り出して注ぎ、その前に座った。ガイはその酒を目を細めて少しだけ眺め、一気に飲み干し、おかわりを無言で要求してきたので更に注いでやると静かに調査内容を語り出した。
領内での評判や噂は送られてきた手紙の内容とほぼ変わらない。
だが実際の父の行動とは齟齬を感じるのだという。
財政破綻しているというわりには生活態度も生活水準も変わっていない。使用人の数は多少減っているものの、父の様子には焦った様子もないそうだ。領地経営も他より際立って高いというわけではなく、領民の生活は豊かとはいかないまでも安定しているし、跡取り息子が問題を起こしたというのに領民は然程不安に思っていないという。
それは何故か?
あの男が自分にはもう一人の息子がいる、アレキサンドリア領主の側近で婚約者、それも第一席だと触れ回っているらしい。つまり、ハルト様の名を利用して領民の不安を抑え込んでいるという。
その話を聞いて腹が立った。
ハルト様の名声を利用されているのだ。
私のファミリーネームはガイと違ってメイナスのまま。
絶縁されているとはいえあの男の血が流れているのも嘘ではない。
「ただ上手いのはお前が後継だと明言していないあたりだ。
家財はある程度売り払ったらしいが借金はしていないみたいだな。幾つか店を経営しているだろ、そっちの売上でなんとかなっているみたいだが」
なんの店か明言していないあたり、ガイはその経営状態を知っているのだろう。
既に追い出された家の経営に興味はなかったが。
「ハッキリ言って頂いて結構ですよ。あの男がロクデナシなのはよく知っていますから」
なんの感情も湧かない。
ハルト様の名前を利用していることは赦せないが、それをいちいち目クジラを立てても貴族社会ではよくあることだ。例えば『知り合いの知り合いの知り合い』に団長縁がある人物がいたとして、かなり遠い縁であるのにも関わらず、『知り合いの知り合い』は省略され、『知り合い』として自慢し、マウントを取り合う。
ウンザリするような見栄の張り合い。
虚飾と過飾の世界が貴族社会。
これがハルト様が社交界を嫌う理由だ。
「じゃあ遠慮なく。
まあ有り体に言えば経営しているのは娼館だ。それ自体は珍しくもないがな」
確かに。
納税出来ない庶民がその代わりにと自分の娘を差し出す。そしてその娘がそれを借金として背負い、娼館で働き、返済する。全部ではないがそういうことをしている領主はそれなりの数がいるはずだ。
「察しはついているだろうが、その経営の仕方が結構エゲツない。普通なら娼婦が取る客は一晩に一人か二人、多くても三人。だいたい稼ぎの三分のニが借金返済に充てられ、残り三分の一が給料として支払われるんだが」
「全部取り上げている、そんなところですか?」
「いや、一応規定通り支払われているにはいるんだが」
そうして語り出したガイの仕入れてきた情報は本当にアコギなものだった。
娼婦は商品扱いされることが多いが、当然管理するのにもお金が掛かる。生きているのだから当然と言えば当然なのだが、食事、生活用品、服装、化粧代、その他諸々の諸経費が掛かる。
痩せ細った女に買い手は付かない。それは華奢とかスタイルが良いという意味ではない。アバラや筋が浮き出て肌が荒れた、健康状態の悪い女という意味だ。そういう女は安値でしか売れない。だから娼婦は早く借金を返し終えて自由になるために着飾り、肌を磨く。その金銭は娼婦の給料から支払われるのだ。
しかしながら娼婦に外出は許されない。
ならばどうやってそれらを調達するのか?
娼館に出入りしている商人から商品を買うことになるのだが、通常出張手数料として正札に一割程度上乗せされる。
表向きは一般的な経営状態に見える。
あの男はどうやってそれを中抜きをしているのか。それはこの正札にある。だいたい税金を支払えずに娘を差し出すような家庭が裕福な暮らしをしているわけもなく、物の値段、特にそういった自分を着飾るための贅沢品の値段を知らないことが多い。あの男は出入りしている商人と結託してこの正札の付け替えをして娼婦達から稼ぎのほぼ全てを吸い上げているのだ。言葉巧みに粗悪品を高値で売り付け、場合によっては更に借金を背負わせる。
そして問題は他にもある。その料金表示の仕方だ。
客の払う値段自体は普通の娼館と変わらない。違うのは娼婦達の価格設定にある。一般的な娼館は高級娼館でもない限り入店料などというものは取らない。取ったとしてもしれている。だがあの男の店は逆。入店料が高く、女の子の値段が安い。女の子達は自分につけられている値段しか知らないカラクリになっているのだ。この入店料があの男の懐に流れ込むという寸法だ。春を売るための値段の三分の一が支払われていてもなかなか借金が返せない理由がコレだ。
それ故に女の子はいつまで経っても負債を返すことができずに飼い殺しにされ、下手をすれば一晩で五、六人の客を取らされている子もいるという。
「呆れてものが言えませんね」
人を、領民をいったいなんだと思っているのか。
差し詰め自分の奴隷か召使いと勘違いしているのだろう。
「当然だが二重帳簿、表向きは極めて真っ当な経営になっている。商家の生まれでもない限り、この国の平民の識字率も計算能力もまだまだ低い。『籠の中の鳥』であるなら尚更そういう常識は欠如している。
ウチの御主人様みたいに平民に無償で教育を施し、そういった能力を上げようとする領主は稀、というより皆無だろ。平民は馬鹿のままでいてくれた方が都合の良いと思っている領主も多いからな」
ガイの言うことももっともだ。
支配者階級の人間は民は馬鹿でいてくれた方が良いと思っている者も多い。余計な知恵をつければ反抗的な態度を取り、叛乱や一揆を起こす。そう思っているからだ。知識や考える力を持つ者が増えれば金を稼ぐ力が増して、領地も商会ももっと発展して豊かになるはずだというハルト様とは真逆の考え方だ。
「ハルト様はどちらかといえば平民の味方、ですからね」
「平民というより領民だろ。
基本的にウチの御主人様は自分と関わりのない人間には興味がないからな。
ウチは他所と比べるとかなり領地経営の仕方が変わっていて異色だ。領民のほぼ七割は商会従業員とその家族、残り三割もほぼ委託や内職、家屋の賃貸などで商会となんらかの関わりがある。商会に全く関係のないヤツは珍しいぐらいだろ。
領民の戸籍がほぼ正確に把握されている領地なんてウチくらいじゃないのか?」
ウチくらい、ではなく、間違いなくハルト様の経営するアレキサンドリア領だけだ。王都でも無理だ。
アレキサンドリア領にはスラムや貧民街がない。盗賊や野盗といった者達もハルト様自ら片っ端から捕縛して回っているせいでアレキサンドリア領には居付かない。ウルフの類はおろか、グリズリーやワイバーンなどの竜種やコカトリスまで討伐するような猛者に追いかけ回され、逃げられると思う悪党はほぼいないだろう。更にはハルト様が陛下からの密偵、というよりもほぼ従業員化している監査員が堂々と闊歩している。隠すから怪しまれる、違法なことをするつもりがないのだから存分に調べて貰えば良いと、一切それらを拒まないせいで常時監査官が入っているようなものだ。不正も違法な商売も、やろうとするならかなりし辛い環境だ。
観光産業がメインであることもあって人の出入りは激しいので窃盗や傷害などの犯罪が皆無とは言わないが、そういう者にはかなり生きにくい領地であることには間違いない。
「元々商会管理の土地がそのまま領地となった部分が殆どですからね。領地を賜ったというより所有している土地が領地になり、そこに住む従業員が領民となっただけですから」
領民達からすればハルウェルト商会のオーナーに領主という肩書きが加わっただけ。むしろ不当搾取されないと判っている分だけ安心して暮らすこともできるだろう。
ハルト様とあの男では人間性に雲泥の差だ。
それは経営者の手腕、領主としての威光、文武その他諸々についても同じ、器というものが違いすぎるのだ。
あんな男とハルト様を比べるのも烏滸がましい。
「で、どうする? 相当上手くやっているんで去年の暮に国の観察が入った時も経営は問題視されてねえ。二重帳簿のありかも今のところ不明だ。証拠がなけりゃタレコミしても問題なしで片付けられる可能性が高いぞ。罰金も家財を処分して用立て、税率も変わらない。しかも息子の一人が話題のウチの御主人様の婚約者となれば領民もある程度安心している。
いざとなったら御主人様が手を差し伸べてくれるとでも思ってるんだろうな。
生憎ウチの御主人様はそこまで甘くねえ。
まあお前が助けてくれって一言いやあ助けるんだろうが、お前はそんな気は無いだろう?」
当然だ。
何故あんな男のためにハルト様に御面倒をお掛けする必要がある?
私は必死に昔の記憶を思い起こす。
「帳簿が見つからなくても利益計上されていない隠し財産が見つかれば問題ないのですよね?」
「まあそうだな。何か心当たりがあるのか?」
経営利益以外の収入が証明されなければそこから追及される。
男爵家は真っ当な経営をしていれば何か副業でもない限り、愛人を複数囲えるような甲斐性はない。子供の頃にはそれをわかっていなかったけれど食い詰めて騎士団に入団してくる団員達やハルト様の御父上の旦那様やサキアスの実家を見ていて判った。となればどこで違法なことをしていることは間違いない。件の娼館経営がその一端だったわけだが、おそらく他にも何か違法なことをしているだろう。でなければ散財癖のある正妻を養えない。叩けばいくらでもホコリが出てくるはずだ。だが追及する証拠がなければ言い逃れし放題。
明確な証拠。裏帳簿が無理でも収入源を立証できない財産が見つかれば芋蔓式に罪を暴けるだろう。
私は必死に昔の記憶を探る。
隠し場所。あの男が頻繁に出入りしていた部屋や脈絡のない行動、視線の先。何か手掛かりがあるはずだ。
大量の記憶に埋もれていた中から不審と思われる情報を引っ張り出す。
あの屋敷で暮らしていた子供の頃にはたいして気に留めなかった、今では不審と思われる行動。
「思い当たる場所は幾つか。ただ十年以上前の記憶ですので確証がありません」
「良いんじゃねえ? 心当たりがあるだけ上等さ。
何処だ? 全部調べられるかどうかはわからんが、ケイにも手伝わせて調べてみてやるよ。アンディやマルビス達にこの話はしても良いか?」
ガイの言葉に私は頷く。
「構いません。早めに処理すべき案件ですから。ただ・・・」
「判ってるって。御主人様の耳には入れたくないってんだろ? 御主人様は俺らには大甘だからな。余計な気を使うとも限らん。
ただ大事になり過ぎた場合は保証できんぞ」
「それは仕方ありません。御迷惑をかけるよりはマシです。お願いします」
ハルト様は身内と認めた者のためなら苦労を厭わない。
私のことを自分の家族だと仰って下さった。
血が繋がってなくても互いが互いを思いやれる、一緒に楽しく、穏やかに流れる時を過ごし、暮らすことが出来る、そんな相手は家族と呼んでもいいでしょう?
『イシュカは私と家族になるのは嫌?』
そう尋ねられて私は即座に首を横に振った。
嫌なはずがない。
だが時々不安になるのだ。
私はこんなに幸せで良いのかと。
こんな私が貴方の家族になっても良いのだろうかと。
そんな不安を口に出せば貴方は微笑って答えてくれる。
『そんなのいいに決まってるでしょう』と。
貴方のお側は居心地が良すぎて困るのだ。
だから私は恋をしてしまったのだ。
貴方に・・・




