第五十一話 勝負は時間との戦いです。
ヤバイ・・・
ヤバイヤバイヤバイッ!
いや、ヤバイどころの話じゃないでしょ、アレはっ!
本能がそう告げていた。
嘘でしょうっ?
誰かコレは嘘だと言ってっ!
明らかに想像遥かに超えちゃってるでしょうがっ!
なんでいつも、いつもいつもいつもいつもっ!
私はこんな目に遭うのっ!
溢れそうなほど目を見開いて怯えたところでソレは目の前から消えるはずもなく。
こういう場合、大抵怯えて目をそむけ、背中を向けたら終わり。
弱者認定が掛かり襲いかかって来る可能性がある。実際、足の遅い調査員が喰われた。他の三人はソイツの片手がまだ地上に出ていなかったから、四人いたから偶々逃れられただけ、運が良かっただけなのだ。
気合いだ、気合いっ!
意地でも目を逸らすなっ!
ガタガタと震え出しそうな脚を踏ん張って、両頬を思い切り引っ叩き根性を入れる。
「あんなもの、伝承でも聞いたことありませんよっ」
イシュカが叫ぶのも当然だろう。
今までのクラスSと呼ばれてる魔獣なんて足下にも及ばないくらいヤバイのなんてその出立ちだけで理解できる。
圧倒的存在感。
間違いなくクラスSS以上、災害どころか災厄級レベル。
そりゃあね、嫌な予感はありましたよ。
こういう時の私の『引き』は最悪、最凶に近い。
前世の男運の悪さもどうかと思っていたけれど、コレはそれを凌駕する。失敗すれば即座に生命の危機なのだ。
全てに於いて『幸運』を手にできるなんて、そんな御都合主義な夢物語を信じるほど私は初心でも頭がお花畑でもありませんけどね。なんでこんなにこの世界に生まれ落ちてから、何度も、何度も何度も何度も何度も、こうして生命を張るような物事にこうも巻き込まれることになる?
もう泣きたい。
いや、泣いてる場合じゃないけれど。
ホント、ケツ捲って逃げ出したい。
騎士団所属ならまだしもこんな命の危険があるような場面に遭遇するなんて、一生に一度あるかないかでしょ?
なんでことあるごとに私目掛けて押し寄せてくるのっ!
まさかこの世界に生まれ変わった私に、神様だか閻魔様だか知らないが『この際残った面倒事の片付けは全部やらせとけ、アイツは図太いから大丈夫だ』みたいな感覚で残ってる厄介事を押し付けているんじゃないでしょうね?
意図的、計画的じゃないでしょうね?
他所の領地でこんなことあったなんて報告も噂も聞いてない。
なんでいつもウチばっかり。
人生というのはかくも不平等なものなのだと実感する。
「何があったっ」
「それがっ・・・」
這々の体でで逃げ出してきた三人に連隊長がことの次第と成り行きを問い詰める。
近衛の二人は一応私欲に取り憑かれた研究者達が何かをしでかさないか交代で何人か見張っていたらしいのだが、食事と休憩に地下から出た調査員と研究者が階段を上がって行くのを見届けて、この近衛二人も地上に一旦上がるつもりでいたそうだ。しがみつくように居座ろうとする彼等を促し、追い出し、注意して、不承不承頷いた研究者達が扉から階段に向かったところで、他に人が残っていないか残り二つの部屋を確認している近衛の二人の目を盗み、三人の調査員達は扉の前に戻った。
そうして二人の近衛が確認を終えて階段を登ろうとしたところ、背後から何かが転がり落ちる音がして振り返ったそうだ。そして次の瞬間目にしたのはポッカリと空いた大きな穴と悲鳴を上げながらその穴に引き摺り込まれていく一人の研究員の姿。その直後に聞こえた何かを喰む音。悲鳴はすぐに途絶え、ゴクリと何かを飲み込む音が聞こえた瞬間、理解したそうだ。
コレは間違いなくヤバイ状況だと。
穴の中に引き摺り込まれた研究員は何かに喰われて果てたのだと。
そうして即座に必死に階段を駆け上がり、後は私達の見た光景だ。
研究者何故そのようなことになったのかと問えば、追い出されるほんの少し前に壁の僅かな綻び、ヒビを見つけたそうだ。そして微かな隙間から覗いた景色、暗いはずの部屋を照らす僅かな光。何百年もの昔のもののはずなのに何故それが今も機能しているのか、未知の技術か、お宝発見かと歓喜した。
そこで欲が出た。
宝の山分けは仕方ないにしても、その技術なり、知識なりを独占し、自分の研究成果として発表すれば名を上げられるのではないかと。そうしてそのヒビを見つけた三人で結託、近衛の警備の隙をついて自分達でそれを確認し、後はその痕跡を消せば宝を独占できなくても名声は手に入る。そうすれば財産もいずれ手に入れられるはずだと。
嫌な予感は見事的中。
自分本位の輩達によってこの悲劇はもたらされたと、こういうわけだ。
「たっ、助けてくれっ」
・・・・・。
何を寝呆けたこと言ってんのっ⁉︎
要するに自分達の強欲が招いた結果の悲劇でしょうっ!
何巻き込んでくれてんのっ!
真っ青な顔でガタガタ震える姿を見せられても同情の余地はない。
人の褌で相撲を取ったところで実力が伴わなければいずれボロが出るに決まってる。本当に優秀な人の中に入ってやっていける実力が無ければやがて堕ちる名誉と名声だ。
「なんてことをしてくれたんですかっ」
滅多に声を荒らげることのないフリード様の怒号にその研究員の顔は更に蒼白した。
「ハルトッ、何か対策はあるかっ」
連隊長が振り向いて叫んだ言葉にフリード様やイシュカの視線がこちらに向いた。
無理ですっ、無茶ですっ、勘弁して下さいっ!
私は髪を掻きむしる。
「そんなものっ、あるわけないでしょうっ!
あんなのが出てくるなんて、想像の限界超えてますよっ」
私は眼前の脅威を指差して叫んだ。
一応は今日イシュカと考えるつもりでしたよっ!
先住民と通訳達を見張りつつ、検討する気、満々で。
連隊長達が説得してくれるというならそんなすぐに行動起こさないだろうって。私の取るいつもの手段はある程度の状況、敵が判明していてこそ使えるもの。多少なりとも文章が解明されれば僅かでも情報が得られるかもしれないなんて、甘い考えがあったのも事実。
それが突然、いきなり現れた存在に対応できるわけもないでしょうっ!
それはお前の驕りと油断だろうと言われれば返す言葉もないですけどね。私が今回承った任務は案内と見張りと牽制、こんなものの討伐要請は入っていません。
所詮行き当たりばったりの緊急手段、穴だらけの策を取るしかないんですっ!
私の立てる対策は属性持ちの竜種ならこんな感じとか、冬山で出会すグリズリーならこういったことに気をつけてとか、過去のデータをもとにして組んでいる。最低限の情報でも解ればまだ手の打ちようがあるけれど、何もわからないこの状態で、どうやって闘えって言うのっ!
あんな如何にも魔物ですって感じの、どの分類に属するかも判らない、持ってる属性すらも特定できない、ナイナイ尽くしでいったいどんな手を考えればいいのっ!
文句と嫌味は山程浮かんでくる。
でも肝心なアイディアが出てこない。
崩れた石造りの天井の瓦礫を浴びてもびくともしないとなれば相当頑丈であることは間違いない。筋肉押しの肉弾戦タイプか、膨大な魔力を駆使しての魔術戦闘タイプかすら判らない。ダルメシアに見せてもらった過去の図鑑にもこんな外観の魔物、載ってなかった。どんな能力を持っているかも想像つかない。
どうすりゃいいってのよと叫びたいのは山々だが、ここでそれを口にしては士気が下がる、不安を煽る。早く何か対抗手段なり、突破口なりを見つけるかしなければ。
私はギリリッと歯を食い縛った。
思考を止めるな、考えろっ!
いつもそうして私は数多の苦難を乗り越えて来たじゃないか。
肩から上の部分しか出ていない時点でライオネルより身体は大きいだろう。調査員を掴んだ手の大きさから察するに、立ち上がればウチの領地を囲む国境線にも手が届き、その重量を支える立派な体躯なら、おそらく頑丈に作った塀もひと蹴りで瓦解する。あんなのの侵入を許したら私の領地は一巻の終わりだ。
なんなのっ、このもとベラスミ帝国領はっ!
少し離れた渓谷にはイビルス半島並みの魔獣の楽園が生息し、五年前には大蛇の魔物が出現し、今度はこんなのが出てくるなんて。
よくもまあとんでもないものを私に押してけてくれましたよねっ、陛下っ!
物騒にも程が過ぎるでしょうっ!
混乱した頭を必死に回しつつ、全体が見えていないソイツを観察する。
何か、何かあるはずだ。
倒せないまでも、せめて足留め、弱体化、時間を稼ぐ方法が。
分類、系統、属性、なんでもいい。
何かキッカケさえ掴めれば、そこから追い込みを掛けられる。
大雑把な作戦をまず立てて、後はその穴を塞いでいけば・・・
必死に思考を巡らせている横でイシュカがポツリと呟いた。
「ハルト様、アイツ、さっきより魔力量、増してませんか?」
・・・えっ?
「ああ、間違いないな。僅かだが」
「喰った者の魔力を糧にしてるのか?」
続いたライオネルとフリード様の言葉に私は絶句する。
「みたいですね」
ダメ押しの連隊長の言葉にまずは撤退、出直し戦略は潰される。
放っておくということは魔力強化されるということだ。
つまり、ここで、今日倒すしかない。
そう判断した瞬間、私は即座に自分の荷物から二千クラスの魔石を取り出すと神殿跡を中心に結界を五枚の結界を展開させて指示を出す。
「とりあえず時間を稼ぎますっ、非戦闘員の方々を洞窟に逃して下さいっ、これ以上強化されるのはゴメンですっ」
自分達の蒔いたタネ。どうぞ囮なり餌になるなりして時間を稼いでくれと言いたいところだが喰った分だけ強化されるのでは堪らない。守りながら闘うのも不利だ。
結界の中に閉じ込められて暴れた魔物に結界の一枚が破られたが、尚も抜け出せないそれに魔物はジッとこちらを値踏みするように眺め、辺りを見回し、動きを止めた。
なんでだ?
理由がわからない。
これはラッキーなのか、それとも不吉な嵐の前の静けさなのか。
だがとりあえずは動きを止めた。
私はもう一枚結界を張り直し、五枚に戻して魔物から目を離さずに叫ぶ。
「早くっ、どのくらい持つか保証出来ません」
事態を理解した連隊長が頷いて、この状況に於いてもまだ自分達の荷物今回の研究成果だか報告書だかを持ち帰ろうとする調査員達の叱り飛ばして洞窟まで走らせる。荷物なんか持っていたらその分遅くなって逃げ遅れる。これ以上迷惑かけるなと怒鳴りそうになったが生憎目を離せない。
「避難させたらすぐに戻って来る」
「お願いしますっ」
非常事態に連隊長とフリード様が近衛と調査員に指示を飛ばし、避難を進める。
私の張る結界は膨大な魔力量故に頑丈ではあるけれど、相手の力量がわからなければどのくらい持ち堪えられるかも判断できない。だが一枚がそれなりの時間で割られたということはおそらく相当に強敵だ。
時間に猶予があるのか、ないのか?
それさえわからない。
だが焦る私達に反してソイツはそこからすぐには動かなかった。
頭の大きさからすると少なくとも半分、三分のニ以上は地面下にあるはずだ。
「アイツ、出て来ないね?」
何故だ?
長い間閉じ込められていたというのなら早く自由になりたいものではないのか?
イシュカはゆっくりと視界を巡らせて首を傾げつつ、自信無さげに呟いた。
「やはり闇属性を持っているのは間違いないのでは?
陽の光を嫌ってる可能性があります」
そうして言われてみれば確かに。
ここは洞窟の天井が抜けた場所。神殿上三分のニほどは洞窟の天井が残っている。日陰に引っ込んだまま出てこない。それを考えるならそこから立ち上がれば間違いなく残った天井は崩れ落ち、陽光に晒される。僅かに差し込む光に耐えていることを思えばアンデッドやリッチみたいに陽光に溶けるほどではないのか?
どちらにしろ予想的中か。
「となると、このタイミングで出てきたのは不幸中の幸いと見るべきかな」
「まだ陽が昇ってそんなに時間が経っていませんからね」
ライオネルの言葉に頷いた。
そう、時間的にはさっき朝食を取ったばかり。山間で平地よりは日差しが翳るのが早いとはいえまだ半日以上ある。それまで大人しくしてくれているかは疑問だけど。
どちらにしても時間との勝負だ。
闇属性持ちに間違いないとなればまず必要なのは、
「ライオネル、ガジェットにランス達に連絡してとりあえずありったけの聖水を至急送ってもらって」
以前は期限がそこそこだった聖水もサキアス叔父さんとヘンリーの研究成果もあって陣を模った製氷機の保存技術で長くなってきている。備蓄量はかなり増えているはずだ。
「魔獣討伐などに使用する道具その他一式は昨晩の内に既に国境上に揃えてありますのですぐに送らせます」
ライオネルが一緒に連れてきたウチの警備達の指揮を取る。
「どうするんですか?」
「とりあえず闇属性持ちだっていうなら聖水使ってみる。倒すのは無理でも上手くいけば弱体化くらいはさせられるかもしれないし」
尋ねてきたイシュカにチラリとポチに視線を流す。
ポチを捕らえたあの時は雌鳥に仕込んで食べさせたわけだけど、魔力を持った相手を糧に回復するとなるとその手は使えない。だが、凍らせた聖水をもし喰わせられたら弱体化をさせられるかもしれない。何百年も前だとすれば魔石の大きさは既に定着している。ポチみたいな効き目は薄いだろうが、体内魔素濃度を下げられれば戦況も有利に持ち込めるかもしれない。
「今から言うものをすぐに用意してっ」
私は思いついたものを片っ端から上げていく。
イシュカはそれらを書き留め、すぐにそれを持ってギイスがガジェットのもとに走る。
一通り指示したところでとりあえずは動かない魔物の見張りをライオネルに任せて私はその場にしゃがみ込み、イシュカと二人で地面の上にその思いついた策を説明していると足音が聞こえて顔を上げる。
「連隊長っ、フリード様っ、近衛のみんなっ」
非戦闘員達を送り出して戻って来てくれた心強い戦力に私達は歓喜する。
「足留めと見張りは私達が代わる。結界に閉じ込めておけば良いのだろう?
私もそれなりに魔力量は多い。私達は君達ほど魔物相手の戦闘は慣れていないがそのくらいならば出来る。君達はその間に討伐に必要な準備を」
私の強固な結界は魔力喰い。
一枚ならばまだしも五枚も張ればそれなりに魔力を消費する。
連隊長達は交代で魔力消費を抑えつつ交代で回復をはかり、魔石に魔力を補充させてくれるという。
「何か思いついた方法があるのだろう?」
連隊長の問いかけに私は頷く。
「効き目は保証致しかねますけど」
「無策よりマシだ。あんなものが我が国に踏み入れば存亡の危機どころじゃない。滅亡だ、頼む」
言われなくても。
起きてしまったことは取り返しがつかない。
このまま放り出せば折角軌道に乗ったルストウェルの施設も踏み潰され、領民にも危害が及ぶ。
五年の歳月を掛けた私の第二の城、破壊させてなるものかっ!
「ねえ、イシュカ。アイツの魔力量、どのくらいだと思う?」
結界保持を連隊長達に任せて私達は小さな折り畳みテーブルを囲み、私の立てた大雑把な作戦の補強を練り始める。その後ろでは私が指示したものを用意、手配するために私の護衛達が忙しそうに動き回り、忙しなく走り回っている。
問題はあの化け物の持っている攻撃力が如何程かということなのだが。
随分と気配を探るのはマシにはなってきたけど私は相変わらず相手の戦闘力を測るのは苦手だ。
イシュカはジッと動こうとしない化け物を見て慎重に口を開く。
「多分、三千か、多くても四千ほどと思われますが」
たったそれだけ?
魔素付きグリズリーとそれじゃあどっこいどっこいでしょ。
そんなはずない。
それともアレは図体がデカイだけの見かけ倒しだとでも?
「それにしては圧が強い気がするんだけど」
イシュカがそう判断した理由を尋ねる。
「おそらく、ですけど。もし封印されていたのだとしたら魔力がかなり削られていた可能性があるのではないかと。迫力はありますが魔力による威圧はそこまで感じません。もしくは封じられていた魔法陣か結界が作動していたということですからアレの持つ魔力を利用して持続、保持されていた可能性が考えられるかと。
ですからあの個体が本来持っている魔力量とは違います」
だから現在持っている魔力量と強さが比例していないと?
成程、それならその判断にも納得できる。
「でも魔獣とか魔物も時間経過で魔力量回復するよね?」
「ええ。ですがもし張られていた結界が聖属性であるなら魔物や魔獣が回復し難い可能性も大きいです。あれだけの大物となれば閉じ込める際におそらく相当体内魔力を削らなければ封印するのも難しいかと。もしくは張られていた封印みたいなものが回復する魔力量を上回る魔力消費だったからこその状態であるかもしれません」
私の知っている聖属性の魔法にそういったものはない。
だが私は賢者ではないし、一般公開されていない国家や神殿の管理している魔法陣もあるかもしれない。さもなくば失われた技術の可能性も捨てきれない。
だとすれば、魔力を減らした上で閉じ込め、更にアレの持っている魔力を利用して結界を持続させ、このまま放っておけば魔力が枯渇して死に絶えるしかなかったというのに、その寸前でアレはそこから抜け出すチャンスを得たってことなのか?
つくづく喰われた研究者達は余計なことをしてくれたものだ。
怒鳴りつけたいのは山々、だが今はそれどころではない。
いつ動き出すかも判らない。
責任追及は後回し。
できるだけ早急にアレと対峙したいのだ。
考えた通りに全て事が進むとは考えない方が良いだろう。
即座に倒せるとも思っていない。
となれば、後は時間との勝負。
是が非でもアレが本来の力を取り戻す前決着つけなければ。
焦る気持ちを抑えつつ、私は頭をフル回転させ始めた。