第五十話 特大災厄引き当てました。
目が覚めた翌日。
どうやらほぼ完徹で作業していたらしい調査員の方々がトボトボと疲れた顔でポツリポツリと姿を現した。とりあえず文章の解明はまだのようでホッとする。
今日は本来の予定であるなら集落訪問なのだけれど如何なものか?
朝の内からお米を硬めに炊いて昨晩ケイが作っておいてくれた混ぜご飯の素を投入し、蒸らしておく。今日の昼の弁当、おむすび用だ。集落訪問が延期されてもこれが昼御飯になることは間違いないのだけど。
今日の朝御飯は白飯と川魚の塩焼きに山菜お浸し味噌汁。
純和風な食事だがそれを食べていると残しておいたそれらを近衛達が各々盛り付けて持っていく。眠そうに大欠伸をしているところをみるとなかなか寝付けなかったようだ。
彼等の間を縫って連隊長とフリード様、近衛達が食事を取りに来た。
軽く挨拶を交わすと二人は私達の前に座る。
「昨日の件だが、なんとか集落には予定通り今日向かうように説得したよ」
まずは報告とばかりに食事に手をつける前に早速連隊長が口を開く。
どうやら連隊長とフリード様は交代で彼等を見張っていたらしい。なにせ私がすぐに最後の一文と思われるものに気がついたのだ。頭の良い研究者達がそれに気が付かないわけもない。私が地下を出た後、一つ一つ石板を外し、早速並べ変えようとしたのだが、私と同じく文字の長さでその一文を解読したらしい。
すると私の予想通り、『必ずや幸福が訪れん。それを信じてこの扉を開けよ』とそれは訳されたらしい。すると彼等は大いに沸き立ち、そこは興奮のるつぼと化し、遅々として進まぬ解読作業に短期調査隊であるのだから、まずはその部屋をこじ開け、その石板は城内の研究室に運び入れ、ゆっくり解析すれば良いと言い出す者も出たということだ。テンションが高ければ気も大きくなりがちだ。ついでに言うなら興奮MAX状態で眠れるわけもなく、それが焦れれば結果は言わずもがなである。
これも想定内といえば想定内なのだけれど。
「よくそれで了承しましたね」
欲に目が眩めば普段なら目に見えるモノも見えなくなる。
兎角特権階級、特にその中でも上の下あたりが一番タチが悪い。必要以上に見栄を張り、散財しがちだからだ。本当の上流階級の人間というのは陛下や閣下達を見ていてわかるが、そんなものを張る必要もなくその立ち居振る舞いには余裕と品がある。
では一応曲がりなりにも侯爵のお前はどうなのだと聞かれれば、勿論、所詮成り上がりの田舎者に品などあるわけもなく、自覚があるからこそ取り繕うこともなく、『それがどうした、何が悪い』と胸を張るのが私である。見栄など張ったところで粗雑で粗忽な私の行動を見れば一目瞭然、メッキが剥がれるどころか元からメッキを貼るつもりもないわけで。
メッキを貼るには手間もお金が掛かる。
更には彼等は研究者。研究にもお金がかかる。
だからこそ目の色変えて喰いついたのだろうし、横取りされないためにも急ぎたいところであろう。
「流石に焦ったよ。ハルトの話を聞いていなかったら日程短縮のために私もそれに賛成していたかもしれない。フリード様が諌めて下さって助かったよ」
いったい飢えた餓鬼状態の彼等をどうやって説得したのか。
少々気になってフリード様に目を向ける。
「私も今より若い頃にはそれなりにこういう経験があったからね」
「なんと仰ったのですか?」
フリード様は苦笑して教えて下さった。
「幸運の前には大抵苦難が待ち受けているものだ。見つけた幸運を手にする前に手に負えない災難が襲いかかったらどう対処するのかねと。私の経験談付きで話して聞かせたよ。過去にも宝物が何度か見つかったこともあったが、殆どの場合、その前には試練や苦難が待ち構えていたと」
本当にその通りだと思う。
それは我が身を振り返ればよくわかる。私の幸運の前には必ずや面倒や危険、厄介事が聳え立っていた。時には死と隣り合わせ、時には大事な人を危険に晒すようなものが。そんな目に遭うくらいなら真面目にコツコツと、地味に生きていたいと何度思ったことだろう。
だが人生というのは大概イージーモードに出来ていないのだ。
簡単に叶う夢など夢じゃない。
それは現実。
叶えようとする大きな夢の前には大抵大きな障害がある。
ズルしてそれを手にすれば、その先には痛いしっぺ返しが待っている。要は苦労や災難という代償を先払いするか、後払いするかの違いでしかないのだ。
強欲に目が眩んだ者はそれがわかっていない。
フリード様の言っていることは正論だ。
「ハルトに守って貰えるなどと思わないことだと忠告しておいたよ。
君達はハルトを怒らせている。協力を求めた者に対して感謝も敬意も示さぬ相手には指一本動かすことはないだろうってね。
国から給与が支払われていないハルト達に君達を守る義務はない、陛下からその勅命も受けていない。彼等が承っているのは今回の案内だけでそれ以上でもそれ以下でもない。陛下も多額の納税義務を果たし、国に多大なる貢献をしているハルトと代わりの効く研究員、どちらを優先するかなど余程愚かな者でない限り理解できるはずだ。近衛もハルトという犠牲を払ってまで貴方達を助けようなどとしないだろうと。
あれだけ好き勝手なことを言って助けて貰えると思っているなら君達は相当オメデタイ、自分の都合の悪い時ばかりハルトを頼るなとね」
そこまで口にしなかったけど、そう思っていたのは間違いない。
「まあ実際、その通りですけど」
なんで私の大事な人達を、私達を蔑む輩のために盾にしなければならない?
崇め奉れなどと言うつもりはないけれど自分達を見下す相手を助ける理由もないし、それは私達の仕事でもない。仲間を守るためなら命も張るが、生憎彼等のために賭ける命はない。守ってくれるだろうと期待されても困るのだ。
連隊長がそれに頷いた。
「仮に何かがあそこに潜んでいるとすれば状況から推察するに明らかに魔物の類だ。だとするなら、これ以上君の機嫌を損ねるのは良策ではないと判断したのだろう。ハルト個人所有のアレク魔獣討伐部隊は今や緑の騎士団とタメを張る実績があるからね」
タメを張るというよりも仕方なくというのが正しい。
「ウチの領地は八割くらいが山林ですからね。魔獣の出現率も高いんで」
父様のグラスフィート領もだけど、特にルストウェル、もとベラスミ領はもともと魔獣被害の多かった地域だ。経験は嫌でも積まざるを得ない。そりゃあみんな強くもなるというものだ。イシュカの戦術教育も功を奏しているのだろう。騎士達の性格や才能、特性、持っている属性までも考慮してライオネルと二人で支部に振り分けてくれてるし。
だからって横柄で態度の悪い敵対者まで助けてまわるほど私はお人好しではない。
私は正義の味方を気取るつもりは今もこれっぽっちもない。
貴方達だって、私達のピンチには迷わず私達を見捨てて逃げるでしょう?
それと一緒です。
「でも私は本当にあの人達を守るつもりはありませんよ?
彼等のために仲間を犠牲にするなんて真似は絶対しませんし、第一、背中に庇ったら最後、これ幸いと背後から刺されそうじゃないですか」
断言した私に連隊長がハハハハハッと笑う。
いや、笑い事ではないんですけど?
刺さないまでも自分が助かるためなら私を魔獣とかの前にドンッと突き飛ばし、私がパックリ喰われてる隙に逃げ出しそうだ。ただでさえ私は一点集中型、目の前のことに必死になると他のことが見えなくなって抜け落ちるのだ。背中に危険があるのでは戦いに集中できない。
そんな不確定不安要素があったら困る。
「護衛は近衛の仕事だ。君達に責任を負わせるつもりはないから安心してくれ」
「君は彼等を守るつもりがなくても脅威が出現すれば排除には動いてくれるだろう?」
連隊長とフリード様の言葉に不承不承頷く。
「仕方ありません。私の領地からもそう離れていませんから。それが脅威であるなら被害が出る前に排除、それが無理でも回避には努めます」
「それで充分だ。私としても彼等のために君を犠牲にするつもりはない。君は最早王族に次ぐ重鎮、この国に欠かせない者だからね」
連隊長の言葉に私はゲンナリとなる。
「勘弁して下さいよ」
やっぱり、そうなるのか。
団長も似たようなこと前に言ってたし、それは今後も何かコトが起きたら丸投げされる可能性有りってことだ。
思わず頭を抱えたが、まあいい。
面倒なことに変わりはないが、この際、開き直って『陛下にお願い』リストでも作って置こうかと思わず真剣に考えた。咄嗟に言われても『じゃあお酒で』が最近では定番と化しているし、何か問題押し付けられる度に景気良く振る舞っている酒も実はここから出ているのだ。お陰で大酒飲みが多いのにも関わらず、宴会の酒代が掛からないのはありがたいけれど、ウチの騎士達に感謝されると些か後ろめたい気がしないでもない。
とにかく二人が説得してくれたというのならとりあえず今日は平和に過ごせそうだ。
「では、とりあえず今日は予定通りということで」
まずはホッと一安心と、胸を撫で下ろした刹那、背後の廃神殿の方向からゴロゴロッと、重い何か固いものが転がる音がした。
「・・・今の、なんの音、ですか?」
それは嫌な予感。
ギクリとして恐る恐る後ろを振り向いた瞬間、ドゴッ、ガラガラッとかろうじて建築物の形を僅かに残していた廃神殿が目の前で跡形無く瓦解した。
何、アレ?
瓦礫の真ん中あたりからニョキッと伸びた不気味な黒い手。
嫌な予感しか、しないんだけど。
思わぬ事態に固まって動けなくなっていたのは、そこにいた全員だ。
その鋭く伸びた爪を持った四本指の手の肘が曲がり、完全に崩れた廃神殿の床に手をつき、ドシンッと重く鈍い音を立てた。
漂う異様な雰囲気。
「・・・説得、したんじゃ、なかったんですか?」
只事ではない状況に、私は思わず確認する。
「した。いや、したはずだったのだが」
ボソリと溢れた連隊長の言葉からは一切の感情が抜け落ちていた。
目を疑う常軌を逸した光景に思わず思考を放棄しそうになった。
「・・・なんですか? アレ」
なんとなく。
なんとなくだけど、どういう事態が起こっているのかは判断できる。
できるのだが、できれば理解したくない。
というか、信じたくない。
っていうか、全力で受け入れ拒否したい。
明らかに距離感がオカシイ。
折れた柱が、転がる瓦礫が道端に転がる石ころみたいに見える。
つまりそれはどういうことか?
言うまでもない。
要するに、あの不気味に黒光りしているあの腕は、それらがそう見える大きさであるということ、巨大な生物のものであるということに他ならない。
人のものとも違う。
四本脚の動物や魔獣とも違う。
その黒い腕の筋肉にグッと力が入ったかと思うと、ゆっくりと異様な雰囲気を漂わせながら不気味にギョロリと光る金の目が抜けた床下から現れた。
その全貌はまだ見えない。
だがその姿はまさしく異形。
頭上に生えた二本の羊のような角、その顔の輪郭は牛にも似ている。禍々しいその瞳は猫の目の形状に近く、細く尖った耳、漆黒の肌の色は黒鉄のような艶を、そして大きく裂けた真っ赤な口からは鋭い犬歯が覗き、紅い液体滴らせている。
あれ、人の血だよね?
よく見ればその奥歯近い場所に千切れた人の腕がブラ下がっている。
ゾッと、悪寒が駆け抜けた。
そして転がるように崩れた神殿から地面を這うように四人、近衛二人と研究者のニ人が逃げ、飛び出してきた。
瞬間的に悟る。
アレは今まで私達が相対してきたような魔獣や魔物とレベルが違うと。
それはSFXホラー映画か異世界ファンタジーの中の、空想上の化け物、怪物だ。そして呆然としている私達の前で筋肉質のその腕が前方に伸ばされ、逃げ出して来た四人の内の一人、逃足の遅い研究者の脚を掴み引き寄せる。
恐怖に泣き叫ぶその男は、暴れ、もがいたがその抵抗も虚しく、あっという間に地面の上を引き摺られ、パックリと大きく開いた鰐のような口の中に放り込まれた。
メキッ、バキュッ、ボキボキバキッと、身体が、骨が砕ける咀嚼音が辺りに響き渡り、そして太い首の喉仏が動くのと同時にゴクンッと呑み込む音とともにプッと口から白い物が吐き出された。
多分人骨、背骨だ。
それも今、目の前で喰われた人間の。
ってことは、他の骨は、噛み、砕いて食べちゃったってこと?
舌舐めずりしながら人一人、いや、出てくる前に一人既に餌食になっているというのなら、二人をアッという間に喰らったソイツは視線をコチラに向ける。
身体の芯から冷えるようなそれは、
圧倒的強者、捕食者の眼光だった。




