閑話 マルビス・レナスの決意
一攫千金。
商売というのはギャンブルに似ている。
しかし成功は約束されたものでなく、幸運の女神に見放されたら終わり。
どんなに成功が見えた状態であっても気を抜いてはならない。
それはあっという間にひっくり返されるものだ。
幾多の障害を潰し、ありったけの情報を集め、用意周到に積み上げる先に成功はある。
しかしどんなに手を尽くしたとしても幸運の女神は必ずしも微笑んでくれるとは限らない。
一年前、女神に見放された私は最近思うのだ。
幸運を運んで来てくれるのは本当に女神なのだろうかと、そう。
あの日、ハルト様がワイバーン九匹の討伐を無事に終えて戻られた日から私は走り込みを始めた。
すぐには無理であろうが今度有事があった時に私だけが置いていかれるような事態は御免だ。
とはいえ、鈍った身体がすぐに動くようになるはずもなく、まずは体力作りからだ。
ランスに相談したところ剣、槍、弓の中では後方支援もできる弓が一番適正があるだろうと言われたので合わせて毎日朝晩、二キロの走り込みと五十本の弓を引くことにした。もっと多い方が良いのではないかと尋ねると、私の仕事は護衛や戦闘ではないのだから本来の仕事に差し支えが出るような鍛え方は止めた方が良いと諭された。最初から飛ばすと後が続かないのでまずは身体を動かすことに慣れることから始め、徐々に量と質を上げ、せっかく魔力量が平均より多いのだからお側にいる時に護衛の者が駆けつける時間を稼ぐことのできる防御魔法を磨くべきだと言われ、納得した。
確かに今から必死に頑張っても日頃から鍛えている兵士達には追いつけない、だからといって本業が疎かになっては本末転倒だ。万が一の場合、守らなければならない相手に守られるようでも駄目だ。私に出来る最善はランスの言う通り基礎体力を上げ、防御する手段を身につける事だろう。
体力がついてきたら一度ハルト様に相談するといいとも言われた。
自分達の中でおそらく一番魔術の扱いが上手いのがあの方だからと。
だが私はハルト様が魔法を扱っているのをほとんど見たことがない。
ちょっとした生活魔法さえあまりお使いになるところを見たことがないのだ。
使えないのではなく使うことを忘れているといったほうが正しい。
ハルト様が手作業している横で私が魔法を使うと『ああ、そっか』と言ってすぐに私を真似てみせることからもそれは伺える。私と同じ水と風属性を持っていることは間違いない。だがランス達の話を聞いているとどうやら火と土属性の適正もあるようだし、使用人達の話によれば怪我を治してもらったことがあると言っていたので聖属性も持っていそうだ。
最低でも火、水、風、土、聖の五属性はお持ちになっているとみるべきだろう。
普通ならば魔力属性と魔力量の測定は学院入学前の半年前に神殿か冒険者ギルドで行うのが常識だ。
幼い子供の魔力量はその頃になるまで安定していないことが多いからだ。
だがワイバーン偵察個体単騎討伐の実績で冒険者ギルドではすでにBランク昇格が確定されて後は認可登録待ちだということは聞いているし、九匹撃破の件が本部に報告されてからはBの認可前にSランク確定になるのではないかという話もある。そうなってくるとハルト様の持っている属性をギルドではすでに把握している可能性があり、魔力量についてもある程度承知していると考えるべきだろう。それなのにも関わらず一般の冒険者に情報が回っていないのは秘匿されているからと見るべきか。
私は一緒にお偲びで町をまわりながら楽しそうに買い物を楽しんでいるハルト様を眺めつつ、そんなことをつらつらと考えていた。貴族の買い物としては随分と安いものばかり、贅沢するつもりはまるでないらしく、平民と同レベルの物を買い漁っているのはどうやらリゾート開発事業の商店街に並べるための商品開発が目的のようだ。既に商品として出来上がっているものではなく、手が加えやすいものを基準で選んでいる。
確かに何か目玉となるものや流行りのものを何点か用意するだけでも客引きになるのは間違いない。
それに気がつくと私は余計な事を考えるのを止め、まずは自分が出来る事でお役に立つべきだとハルト様の言動に注意を払うことを最優先として動いた。
次の日、私が自分の仕事を終え、屋敷にある建設中の倉庫に足を運ぶとずらりと並ぶ木桶の中心で服の袖を捲くり上げ、何やら作業に没頭しているハルト様の姿を見つけた。何をしているのかと木桶を覗けば先日買い求めていた布と思われるものが安い茶色の染料を使って斑に染められていた。
ハルト様に声を掛け、了承を貰ってから桶に入っている布地を一つ一つ取り出す。
斑だと思っていた茶色に染められたそれは、全て異なる美しい模様を描いて染められていた。
規則的に並ぶその模様は現在使われている搾りやボカシの手法とはまるで違う。手で描かれたものとも違う、見たことのないものだった。
この人の商品開発基準は自分が欲しいものだったはず、だけどこれは・・
染め方を尋ねれば見本で取っておいたという折り畳んだ布を見せて解説してくださった。この方法の素晴らしいところは色だけでなく、染める割合によって模様は変化し、同じ物は二つとしてないことだ。布の折り方によっても模様は変化するからバリエーションも豊か、複数色使えば更にそれは無限になる。
「面白いことをなさいますね」
「これなら難しい技術もなく、簡単に模様がつけられるから安上がりだと思うんだ。洋服や鞄だけじゃなくてベッドカバーやテーブルクロスでも面白いかなって。洋服の古着もこういった模様に染め直せば汚れや色褪せも目立たないから平民でも手が出しやすいかと思ったんだけど」
平民全てが簡単に新しい服に手が出せるわけじゃない。
真新しい物も用意する一方で安価に模様染めができれば古着品も利用し、売り出す事ができる。新品は無理でもコレくらいならと思わせられれば手も庶民にも手が出せるだろう。物珍しいものを用意できたとしても高いものばかりでは見物人は増えても買う人はいない。
貴族であるハルト様がここまで平民目線に立てるものなのかと感心した。
「貴方はあくまでも平民目線なのですね」
「平民相手に商売しようとしているんだから当然でしょ」
当たり前のことのように貴方は言うけれど、それは簡単に出来るものではない。
そもそも金銭的価値観が違うのだ。
植え付けられた感覚はそう簡単に修正出来ない。
そう言えば以前庶民の平均月収を聞かれた覚えがある。買い物をする時にも店員に一番の売れ筋を聞いていた。その上での商品開発と企画を考え、まずは平民にも手が出せるものを、良いものを並べて見て貰い、頑張ってお金を貯めれば買える程度の価格設定の商品、庶民の憧れを並べようとしているのだ。
「他にも簡単に模様が入れられるといいんだけど、鉄素材で革製品とかに模様入れられないかな」
そう言って差し出された紙には鉄の棒の先に花や模様を彫った判が付いたものの図面。
「焼印だよ、木製の物や布とか食べ物とかにも応用できると思うんだ」
比較的低温で熱したそれを押し付けることで焦げ目がそのまま模様になるのだと、説明されて理解した。
以前確かに罪人に印を付けたり、木札に押し付けて昔は通行証などに使われていたがそのような使い方をしようとする者はいなかった。薄手の素材は焼印を押せば焼けて燃え尽きてしまうものという認識が邪魔をしていたのだ。
「すぐに手配します」
ハルト様は決して難しい事をしているわけではない。
あるものを利用し、簡単に加工出来る範囲の、言わば工夫だ。
発想の転換、思いつく事さえ出来れば誰にでも可能な手法。
「マルビスって凄いよね、仕事は早いし、出来ないって言わないよね」
感心したようにハルト様に私は首を横に振った。
「そんなことありません。私には出来ない事のほうが多い。それは貴方が無理を言わないからですよ」
「そうかな? 結構無茶なこと言ってると思うんだけど」
「無理と無茶は違います」
無茶は押し通せばなんとかなるもの、無理は押し通そうとしてもどうにもならないものだ。
「んじゃ無茶ついでにこういうのも欲しいんだけど、頼んでもいい?」
ポケットからゴソゴソと取り出されたもう一枚の紙には円形と半円形の真ん中が空いている輪のようなものが書かれている。
「なんですか? コレは」
「出来れば木製、金属でもいいけどある程度の荷重に耐えられるのが条件。大きさは女の人が腕にかけられる大きさで対でとりあえず三組くらい。試してみたいから少しずつ大きさ変えてみて」
話の筋から考えるなら女性の鞄の持ち手だ。だが鞄ではなくて持ち手だけというのは何か意味があるのか?
「ある程度の商品開発しないと。物珍しいものがいくつかあればそれだけで人が呼べるし。アスレチック施設だけじゃすぐに飽きられるよ。商店街も流行ってくれないと続かない。新しく開発は無理でもちょっとしたアイディアで見た目だけでも変えられないかと」
確かにハルト様様の言う通り、言う通りなのだが、
「普通はそんなにポンポンとアイディアなんて浮かばないんですよ」
「浮かんだって形に出来なければ無意味だし、売れなければ赤字だよ」
「今のところ貴方が考えたもので売れないものはないです。私はそこまで能無しじゃありませんよ」
ハルト様の考えるものは斬新で、売り方さえ間違えなければ一財産つくれるものがほとんどだ。
「知ってる。マルビスは有能だよ。何言ってるの?」
「そういう意味じゃないです」
有能だと認めて頂けるのは嬉しいが完全に勘違いをしている。私は大きくため息をついた。
「まあいいや、私にできることは知れてるからね。
とにかく任された以上グラスフィート領の命運がかかっちゃってるし失敗するわけにはいかない。商売のことは私は役立たずだから頼りにしてるよ」
たかが知れてる? 役立たず?
そんな事があるはずないだろう。
新規事業で最も難しい事をいとも簡単に次々とやってのけておいてこの人は何を言っているのだ。
会話が噛み合っていない。
この方は変なところが抜けていると思うのは決して私だけではないはずだ。
旦那様とロイと私は王都からやってきた使者が帰った後、三人で話し合いの場を設けた。
ハルト様の討伐に対しての報奨という名目だが本当のところはわからない。
ある程度予想していたとはいえ、思っていた以上に展開が早い。
ハルト様はまさしく『金のなる木』とも言うべき存在。あの方の知識や発想力は使い方次第で巨万の富にもなるだろう。万が一、このことが他国にまで知れ渡ることになれば各国の王族も交えた奪い合いにさえなりえるのは必至だ。
当人であるハルト様には全くその自覚はないけれど。
グラスフィート家の爵位は伯爵、それよりも上の公爵、侯爵、辺境伯辺りの上位貴族からゴリ押しされると拒絶するのは難しい。今回の件についてもそうだ、本来十二歳前の子供であるハルト様には戦闘参加の義務はないはずだった。おそらくこれからもこういった横槍は入ってくるだろう。場合によってはその功績を妬む者にお命を狙われることすらあるかもしれない。
私の進言に旦那様は暫し考えた後、護衛を増やすことを決断した。
だがそれだけでは足りない。
それをロイが指摘した。
「それは勿論ですが、まずはハルト様を他領に奪われないための大義名分も必要になってくるでしょう。ハルト様がいなくなればリゾート計画も頓挫してしまいますからね」
そう、まだ公にされていない計画ではあるがこの事業はハルト様なくして成功はありえないのは火を見るより明らか。奇想天外な発想、商品開発、合理的で斬新なアイディア、ハルト様はこのリゾート開発事業において必要不可欠な存在、代わりなどいない。
妙案はないものかと頭を抱える旦那様に、私は名実ともにハルト様をリゾート計画の責任者に据えてしまうことを提案した。リゾート施設は土地から動かせない、そうなると当然その土地から責任者を強引に動かすにためにはそれなりの保障と金額が必要になってくる。しかもハルト様は複数の商業登録を持ってみえるので更にその金額は上乗せ、半端な貴族に払える金額などではない。
相当財政にゆとりがあるところでないと厳しいはずだ。その条件に該当する領地は公爵家の二つ、後は命令権を持つ王族だが領地の行く末を左右するような人物を動かすとすれば王族であってもそれなりの保証が必要になるではあろうが。
だがハルト様の価値は金貨などには変えられない。
例え赤字になったとしても、あの知恵と知識は金などには換算できない価値がある。
しかし問題はそれだけではない。
「それでも嫁入り候補の送り込みは避けられません」
そう、それなのだ。
ロイの言う通り様々な利権に絡もうとするならそれが一番手っ取り早い方法だ。
貴族の間では家のために嫁ぐ事など日常茶飯事、これでハルト様のご面相が悪ければ御令嬢達も嫁ぐのを嫌がるであろうがハルト様は女の子と見間違うかのような美少年、しかも文武両道となれば親の命令などなくとも押しかけてくるだろう。それらから逃げる方法があるとすれば相手が避ける状況を作るのが手っ取り早い。
平民を婚約者、第一婦人候補、もしく伴侶候補を据えてしまうことだ。
そうなるとハルト様と結婚させようと思うなら空いている席は第二以降。平民の下になるのは貴族であれば、上位貴族であればなおのこと避けるだろう。問題があるとすれば確実にハルト様は嫌がるであろうことだ。後で婚約破棄すればいいと言っても納得しない可能性が高い。
自分が、ではなく相手が傷つくことを嫌がるのがハルト様だ。
だが、それがもし自分が少なからずも意識している相手だったとしたら?
私はロイの方を見た。
見ている限り恋愛ではないだろうがハルト様だけでなくロイも意識しているのは間違いない。
「ならば口説き落としてしまえばいい。
ロイ、貴男なら出来るかもしれませんよ?」
ロイと馬に二人乗りするだけで真っ赤になっているくらいだ。
いくらハルト様が大人びているとはいえまだ六歳の子供、恋愛にまで長けているとは思えない。
「ハルト様の年上好きは耳聡い貴族の間ではすでに知れ渡っています。これから送られてくる見合い相手もそれなりの歳の方も出てくるかもしれません」
「そうなると相手の都合のいいようにされる可能性もある、か」
旦那様が難しい顔で思案する。
「今回の登城で賜る褒美の代わりに王家の庇護を求めるという手もあるが、どちらにしろ、ハルトの婚約者の席を空けて置くのは得策ではないな」
その結論に達するのは当然の結果だ。
仮に庇護を受けられたとしても、数年先、後四年もすれば子供が作れるようになる。そうなってしまうと既成事実を作られるか、でっち上げられれば拒絶することも難しくなると考えられる。
「望まぬ相手を押し付けられるのと好意を持った相手との婚約。どっちがマシかと問われれば考えるまでもないことかと。ハルト様がロイを意識しているのは傍目にも明らか。貴男がその座に納まればそういう輩の虫除けになると同時に常に貴男が傍に控えることでまとめて護衛が可能な分、警備の壁も厚くすることができる」
この国では重婚も、同性婚も認められている。
相手を養う甲斐性があればという注釈がつくが、これからハルト様が起こす事業と多数の商業登録のことを考えればニ、三人どころか十人以上花嫁や伴侶を迎えたとしても間違いなく養えるだろう。
「とはいえ、これはロイ、貴男の人生にも関わってくる話。無理に押し付けるつもりはありません。
旦那様の許可さえ頂けるなら私がそのお相手に立候補しても構いません。
これから口説かせていただかないといけないのでそれなりに苦労しそうではありますが、ハルト様に本気のお相手が現れたら側室か愛人に下がればいいだけのこと。私はハルト様のお側から離れるつもりはございませんので、そこに愛人の肩書が加わったとしてもなんの不都合もありません」
どのみち私はいわく付きの男、結婚はとうに諦めている。
それにこの先もハルト様の側に仕え続ける契約だと思えばむしろ望むところ。
旦那様は少し悩んだ後、私の提案を受け入れた。
「いいだろう、其方の案を採用しよう。
但し、条件を二つ、つけさせてもらう。
ハルトの意思を尊重すること、婚約の際には同時に離婚調停の同意書を用意することだ」
「当然のことかと」
出された条件はリスクを避ける上で絶対に外せないものだ。否はない。
離婚調停の書類さえ揃っていれば婚約破棄も離婚も難しいことではない。離婚の際に一番大変なのは親族全員の同意とサインを集めることだ。だが私の親族はすでにこの世にいない。書類の用意は造作もない。
「事が事なだけに公にすることはできないが、この二つの条件が満たせる者であれば他の者でも構わん」
「それは条件が飲めるのなら、ハルト様の御心を射止めさえすれば平等にチャンスが与えられる、そういう認識で構いませんか?」
「その認識で構わん。但し、この件はあくまでも内密に、だ。無論、ハルトにもだ」
そして旦那様により決定は下された。
その後、ハルト様を正式にリゾート開発責任者に据えるために候補地の選定の旅先で一泊する予定の宿に着いたとき、いつも半分程度しか埋まっていない宿の部屋が最上階と一部屋しか空いていないと知って一つ仕掛けてみることにした。
空いている部屋を二つとも押さえた上で適当な理由をつけてチップを払い、宿屋の主人に口止めした。
実際には六人分のベッドが空いていたのだが四人分だと嘘をつき、ハルト様の出方を見ることにした。
予想外だったのはハルト様自らソファに陣取り、眠ろうとしたことだ。
思わず大笑いしてしまったが当然ロイがそれを許すはずもなく、すると今度は大きいベッドでロイと私が眠ればいいと言い出したのでそれは私が辞退した。
ロイが怒り出すだろう、『貴方とならともかく』という余計な一言をつけて。
私が面白がってニタニタと笑ってしまったのがお気に召さなかったようでハルト様はロイを選び、ロイは私を睨みながらも一緒の寝室に消えて行った。
もしロイか私がソファで眠る事態になっていたらもう一部屋の鍵は使用するつもりだったのだが必要ないようだ。目論見通りといえばそれまでなのだがなんとなく胸の奥がモヤモヤとして気分が悪い。
主人を取られたようで面白くないからか。
自分が選ばれなかったことに対する嫉妬か。
旦那様の決定と私の警告はロイの頭の中に残っているはず。
あの二人を二人っきりで一晩閉じ込めてしまえば何かしらの変化があるだろうとは思っていた。
思ってはいたが翌日のロイの変化には私だけでなくランスやシーファも固まっていた。
何なのだ、あれは。
溶けよと言わんばかりの甘い笑顔と雰囲気に思わず砂を吐きそうだ。
もうあれは恋人同士と言われても周りは信じそうだ。
囃し立てると軽蔑したような目で見下され、
「ハルト様は人の感情に鈍いところがあるようなのでストレートに言葉は伝えることにしました」
と、そんな言葉が返ってきたがハタから聞いてる限り、口説いているようにしか聴こえない。
あれはハルト様が落ちるのも時間の問題ではなかろうか。
今は多少不自然であっても十年経てばそんな珍しいものでもなくなる。
二十歳以上年の離れた夫婦や伴侶など珍しくもない。
年の差はあれど自覚がない者同士お似合いではないかと思いつつも、やはり胸は痛んだ。
私は痛みの原因もわからないまま、複雑な思いを抱えて視察を終え、屋敷に戻ると旦那様に報告をし、ハルト様と二人で『スウェルト染め』の作業を終え、その日、眠りについた。
翌日になってもその痛みは消えないまま、話題の渦中であるハルト様と町に出掛けることになった。
大騒ぎになるではあろうが護衛の二人もいることだし、なんとかなるだろうと思っていた。だがその見通しが甘いものだと思い知らされたのはすでに一軒目の仕立て屋からだ。集まる群衆にもみくちゃにされ、領民にお力を振るうことも出来ず押し潰されそうになったところに討伐戦で一緒だった兵士達が駆けつけてくれなかったら厄介なことになっていただろう。食事と酒を報酬にその日一日護衛を引き受けてくれた。
彼らはハルト様の護衛増強人員の候補にしておくのもいいだろう。
その後も商業ギルドではテスラを新たに雇用する事を決め、冒険者ギルドではギルマスからSランクのカードを受け取り、雑貨屋、金属加工、木材加工、ガラス加工の業者を周り、その先々でもハルト様は目を輝かせて職人達を振り回した。私はそれを口止めしつつ、ハルト様の手料理をねだったナバル達にテスラを加え、伯爵家に戻った。
私を再び驚かせたのはその料理の腕前だ。
買ってきた多数の調味料の匂いと味を確認すると簡単なものだと言っていたにも関わらず、私が食べたことのない料理を作り始めた。
テキパキと手際良くナバル達に下ごしらえを手伝わせ終えると周りを取り囲み、食い入るように見ていたナバル達を鬱陶しいからと追い出した。
料理人からすれば確かにまだまだといわざるをえない手つきではあるものの迷いない作業を見ればそれなりの数はこなしていることもわかる。なんとも言えない濃厚で甘い匂いが辺りに充満すると、その匂いに今度はサキアス様が釣られた。面倒臭いといった様子でサキアス様を軽くあしらい、仕事に戻らせる手際も見事だ。
結局、サキアス様と私を含めた十人の胃袋をしっかり掴んだハルト様は旦那様に差し入れした後、食べ損なったロイにも夜食を食べさせて今、見送っている。
お仕事頑張ってねと見送る姿は、そう、
「まるで新妻みたいですねえ」
ポツリともらした私の言葉にハルト様は真っ赤になった。
「ロイに失礼だよっ」
普通はハルト様に失敬だと怒られるところ。
逆だと思うのだが。
意味がわかっていないようなので適当に言葉を濁すと思ってもみなかった言葉が返ってきて目を見開いてしまった。
「それはロイが私にとって特別だってこと? わかってるよ、それくらい」
なんだ、自分でも気付かれていらしたのか。
相当鈍いのではないかと思っていた認識を改めるべきか?
たがその後に続く言葉に私は固まってしまった。
「でも私にはマルビスも特別だよ?」
「私も、ですか?」
「当たり前でしょ。マルビスにはバレてるみたいだから白状するけど、ロイみたいな顔、私、大好きなんだよね。勿論ロイのいいところは顔だけじゃないけど。
綺麗で、でも女っぽいわけでもなくて、色気があって。
いいなって思うよ。見つめられるとドキドキするくらいにはね。
でも私を誰よりも優先してくれるマルビスが特別じゃない訳なんてないよ」
顔が好きって、意識してたんじゃないのか?
見惚れてただけ?
いや、そうは言ってない。言っていないが私も特別って・・・
「私は三男で期待されてなかったからね。跡取りである兄様達が優先されるのは当たり前で、妹達が産まれてからは手がかからなかった私は結構放って置かれることが多かった。
愛されてないなんて思っていないけど私はいつも二番手、三番手。
私よりも優先されるべき存在が常に他にいたんだ。
私は後回しにされることに慣れてた」
この時浮かんだのはロイの態度が明らかに変わったあの時の言葉、『ハルト様は人の感情に鈍いところがあるようなのでストレートに言葉は伝えることにしました』と。一昨日の夜、ロイはハルト様の心の中にあった幼い頃から抱えていた寂しさに気づいた?
だからなのか。
愛されてないなんて思っていない。
だからといって何時も後回しにされる事に慣れるはずなんてない。
ただ、この方は仕方のないことだと自分を納得させようとしているだけだ。
「マルビスは他の誰かじゃなくて、私を一番に優先してくれたでしょ?
それが凄く嬉しかった。
だからかな、たった三週間しか経っていないのにマルビスがいつも傍にいてくれたからもっと昔から隣にいてくれたような気がするよ」
私が特別である理由、それはロイとは別のもの。
この人の寂しさを自分は埋められているのか?
「私のお目付け役が終わればロイは父様のところに戻る、期間限定だもの。マルビスがここにくる少し前まで挨拶するくらいでほとんど喋ったことなかったし。寂しいけど仕方ないよね」
「期間限定、なのですか?」
つまり、ロイにとっての一番になれないと、この方は思っている?
だから仕方ないと諦めているのか?
「そうだよ、だってロイは父様の秘書で、この屋敷の執事だもの。
私についてるのは臨時、父様の指示」
私が初めてお会いしたときからロイはハルト様の側にいたからてっきり御世話係だと思い込んでいた。
これは確認の必要がある。
「知りませんでした」
「言ってなかったっけ? まあわざわざ言うことでもないし。
リゾート計画の発案者は私だけど、私だけでは心配だった父様がロイとランス、シーファをつけたんだ。領地内を私一人で出歩かせる訳にもいかないし、私一人じゃ事業も興せない。だから伯爵家三男坊の御世話係としてロイを、護衛としてランスとシーファを貸してくれた。それまで私にはそんなのついてなかったよ、屋敷からほとんど出なかったから必要なかったし。
でもマルビスはロイがいなくなっても、傍にいてくれるんでしょ?」
確認するように尋ねて、上目遣いで見上げてくる。
その問いには迷うことはない。
「勿論です。私は一生貴方についていくと決めたのですから」
「またそんなプロポーズみたいなことを。子供にそんな事言って本気にしたらどうするつもりっていったと思うんだけど?」
「ありがたく頂くと申し上げたと思うのですが?」
たしなめるハルト様に私はきっぱりと言い切った。
そして胸を張って宣言する。
「私には甲斐性があります。なので万が一のことがあっても貴方一人くらい余裕で養ってみせますよ」
「それじゃあ本当にプロポーズだ」
はははっと声をあげてハルト様が笑う。
「貴方と私は一蓮托生、そうとって頂いても何も不都合はありません。
ですが、私はボンクラではありませんので必ずやこの事業は成功させます。
安心して任せて頂いて大丈夫ですから貴方は貴方の望むままに、私が全力でフォローしてみせます」
誓いにも似た私の決意にハルト様が嬉しそうに微笑む。
それだけのことが凄く嬉しいのだ。
昨日から感じていた胸の痛みが消えていくのを感じた。
私はこの方の特別なのだという事実に舞い上がっている。
高鳴る鼓動は興奮のせいだろう。
「マルビスって恋人とかいないの?」
「なんですか? 突然」
いきなりふられた話題に不思議に思って問いかける。
「いや、モテそうだなって思っただけ」
それは貴方の欲目だ。
私のような外見の男はそんなにモテるものではない。
人間、中身が大事だとよく言うが、第一印象というのはどうしても外見が物を言う。
特に女性はシビアだ。
最初の印象から減点して付けた点数で男の価値を決めることが多いからだ。
私はそう言う意味でいくと平均点。
引かれるものが少なくてこの辺なら妥当だと手を打たれる辺りだ。
以前なら大商人の息子という加点要素もあったけれど。
「いませんよ。事件前には財産目当ての方なら大勢見えましたが、ああまで露骨だとチョット、ね。
それに例の事件以降は巻き添えにならないよう、関わりになるのを避けられていましたから。貴方に雇われる前までは無職でしたし。それでなくても私のような男は倦厭されがちなのですよ。仕事で各地を飛び回って、いつ戻るかもしれない男を気長に待っていてくれるような奇特な人はいませんでしたねえ」
今となってはどうでもいい話だ。
確かに私の年で独身の男は大勢いるわけではないが妻子もなく身軽だったのでふらりとこの地に訪れ、貴方に会えた。
それは幸運とも思えるのだ。
ハルト様はしみじみと語る私をじっと見て、
「世間の方々は見る目が無いんだね。
待っているのが嫌ならついて行けばいいだけじゃない」
と、なんでもないことのように言い放った。
私は目をまんまるくしてハルト様を見つめ、そして爆笑した。
なんて簡単に、たいしたことでもないというようにこの方はそんな言葉を私にくれるのか。
「確かに、貴方ならそうしそうだ」
貴方がもっと早く産まれてくれていたなら、もっと早く私に出会ってくれていたら私の人生は全然別のものになっていたに違いない。
私は笑えて仕方がなかった。
「私、そんなおかしなこと言ったかな?」
いつまで経っても笑いが収まらない私に首を傾げるハルト様を見て私は納得した。
そうか、そういうことなのかと。
「いえ、これでも多少は独身であることを気にしていたのですよ。
でも貴方の言葉を聞いたらそんな自分が馬鹿らしく思えただけです。
自分が独りでいた理由がわかりましたから」
「わかったの?」
「ええ、私はまだ出会ってなかっただけなのだということがわかりました」
そう、私はつい最近まで出会えてなかっただけなのだ。
運命の人に。
当然だ。
こんな魅力的な方は他にいようはずがない。
知ってしまえば夢中になる。
離れてはいられなくなる。
まるで中毒患者だ。
タチの悪い副作用、恋という名の猛毒を持って人を狂わせる。
これは早めにロイに確認せねばならない。
この方は面食いではあるが、面食いなだけではない。
好みの顔に見惚れることはあっても、顔はその人の魅力の一部という認識でしかない。
ロイにその気がないのなら私が全力で陥しに行こう。
いいや、その気があっても構うものか。
この国では重婚も認められている、割り込んだところで問題はない。
ハルト様の御心を射止められるのなら平等にチャンスをいただけると旦那様も認めていた。
遠慮する必要などあるものか。
まずはハルト様を王族や他領の貴族に持って行かれないためにも絶対にリゾート開発計画を圧倒的な成功をもって収めねばならないだろう。
私は決意を新たに拳を握りしめた。