閑話 テスラ・ウェウントの謀略 (1)
不思議だった。
次から次へと尽きることのない泉のように湧き出る知識とアイディア。
時折会話の端々に混じる聞き覚えのない単語。
俺は雑学的な知識だけは多い方だと自負していた。
なのにハルト様の口から飛び出すのは俺の知らないことやアイディア、その他諸々のことがいっぱいだ。
商業ギルドに勤めていても得られない様々な知識。
この人は何処からこのような発想を得るのか。
だが、変だ、妙だと疑うよりも聞きたい、知りたいが先に立つ。
ワクワクしてそれらに聴き入っていたそれに、甘い感情が芽吹き、混じり始めるのにそんなに時間は掛からなかった。
だからいつから好きだったのかと聞かれても答えられない。
いつの間にか貴方に向かう感情は恋へと変化していた。
でも最後の一歩がなかなか踏み出せない。
俺は臆病なのだ。
それでもこんな楽しい毎日がずっと続けば良い。
そんなふうに思っていた。
毎日が新しい発見に満ちていて、その発想力に目を見張る。
それに俺は益々夢中になる。
俺が貴方に夢中なのは月日が経っても変わらない。
変わらないのだが、感じる違和感みたいなものが月日を重ねるごとに積もっていく。
何故こんなことをこの人は知っている?
どうしてこんなことをこんなに簡単に思いつく?
俺はハルト様に負けず劣らずの本の虫、活字中毒だ。
書棚にある本の中には載っていない知識。
これらの情報をこの人は何処から仕入れてくるのか。
ただそれが知りたかった。
だから好奇心に勝てず、あの日、貴方にカマをかけた。
そして知った貴方の真実。
それは他の誰も知らない貴方と俺の、
甘い、
甘い秘密だったのだ。
疑問が大きくなり始めたのはビニールハウス建設計画あたりからだ。
気候に左右されることなく農作物を育てることが出来る施設の考案。
それ自体はとりわけ驚くこともなかった。
今あるものを工夫し、活用する。
ハルト様がよくやっていることだ。
火属性の魔法で灯りを採るランタンから温度を低温化することで足下を温めるコタツ、逆転的発想で水属性魔法を使用して冷やす方向にベクトルを向けた冷蔵庫や冷凍庫で食料の長期保存に成功し、それを拡大し、立てた塀の上に透明な比較的薄い結界を屋根のように張ることである程度の密閉した空間をつくり、その中の空気を温め、もしくは冷やし、温度を調節することで、本来なら育たない季節の、育たないはずの作物を育て、収穫する。そして屋根を付けることにより、砂の舞う荒地でも芽吹いた苗を砂塵から守る。
命や大事な物を守るために張る結界を食物の成長を守るために使おうなどという発想はまさかのものだ。
話を聞けば凄く難しいという話をしているわけではない。
あるものを利用して新しい物を作り出す。
していることは単純明快。
だが簡単に思いつくものではない。
所謂発想の転換だ。
だが王都から我がハルウェルト商会に就職するために陛下が送り込んできた農林畜産系に詳しい専門家達でさえ唸るその知識と発想力。
次々と打ち出される政策と、対策、その危険性までも指摘し、彼等が知らないことまで語り出すのには驚いた。
ハルト様の御父上、旦那様の統治するグラスフィート領はシルベスタの食糧庫と言われるほどの穀倉地帯。旦那様の書斎にある全ての書物を読んだという話はイシュカから聞いていたので最初はそのせいかとも思った。
しかしながらその書斎の主である旦那様でも知らない、陛下が送り込んできた専門家達でさえ持っていない情報と知識をハルト様は披露することになったのだ。旦那様と専門家、その両方全てが揃うことは滅多になかったので、おそらく彼等はそれらの知識はハルト様が持っていたものとは認識していなかったかもしれない。その知識量と記憶力に驚いていたけれど、結局はそれがハルト様からもたらされたものだとおそらく気付いていない。
だが俺はハルト様が出席した会議のほぼ全てに同席していたのだ。
それを知らないわけもない。
余計なことは言わなくても良いとばかりにハルト様は出娑張り過ぎることもなく、いつも一歩後ろに引いている。そうして話し合いは進み、デキャルト領の農業改革が始まった。
三つの貯水池を作り、蓋付きの用水路を通すことでそれをビニールハウスまで引っ張り、深く地面を掘り下げたことで見つかった水脈を利用して砂防を作り、小麦を育てる。
一つ一つはほんのひと手間の工夫。
だが理に適っている。
問題点を一つ一つ潰していくことで立てられた、それは用意周到な策。
驚いた。
まさかこんな方法で傾いた領地経営を立て直そうだなんて。
農作物は慣れていない者が育てれば、すぐに出荷出来るようなものが出来るとは限らない。だが、それでも野菜が育ち、収穫出来ればその土地に住まう者達の腹を満たすことが出来る。腹を満たすために使う金が減ればその分、他の物を手にすることが出来る。野菜を育てることに慣れ、売り物になるものができるほどになったなら、今度はそれを出荷することで賃金や資金を得る。
そうしてお金を、経済をハルト様は回すのだ。
実に上手く考えられていると思う。
焦る必要はない。
借金は無利子、増えることはないのだから、そうして暮らしが少しずつ豊かになっていくはずだと。
自ら現場に出向き、あり余る魔力量を最大限に発揮して築いた竹林の砂防。
それは見事に覆い茂り、舞う砂埃を食い止めることに成功した。
砂に埋もれることのない湧き出る泉。
おそらくこの秋には麦の穂にこの地は黄金色に染まるだろう。
その光景が目に浮かぶようだ。
そんな偉業を成し遂げた張本人はそれを誇るでもなく、早速竹細工の加工について俺に尋ねてくるのだ。
思わず笑ってしまった。
魔力の使い過ぎでフラついた足が力を取り戻すと忙しなく動き出す。
その後を心配そうな顔でイシュカが追い掛ける。
よく見るいつもの光景だ。
「タケノコ、タケノコ生えてないかなっ」
タケノコ?
なんだ、それは?
また聞いたことのない名前だ。
生えるというからには植物だろうし、竹藪に突っ込むからにはそこにあるものなのだろう。
「タケノコ御飯、私、大好きなんだよね。ねえ、イシュカも探してっ」
「なんですか? そのタケノコというのは?」
「地中に埋まってて先だけ顔を出してる竹の子供? みたいな? 茶色で先端が尖ってるんだよ」
「そういえば竹が伸びる時、そんなものが次々顔を出して伸びていきましたね」
「そうっ、それそれっ、それが地中から少し顔を覗かせた状態のヤツが煮ると柔らかくて、独特の歯応えがあって美味しいんだよ」
そんなものが食べられるのか?
聞いたこともない。
成長すれば固く、建築資材の骨組みにも使われるそれが?
イシュカとガイ、ライオネル以外は危険だからとその場から離れていたのでそんなものまで見えなかったのだけれども、そんな会話を交わしながらイシュカを共に再度突入して行き、暫くすると両手に角笛の形にも似た茶色の物体をホクホク顔で複数抱えて出てきたのだ。
これでタケノコ御飯が作れると。
そうして屋敷に戻った後、ハルト様は本当にそれを使ってその日の夕食に『タケノコ御飯』なるものを早速食卓に上げた。
食べたそれは確かにハルト様の言うように独特の歯応えがあり、美味しかった。
諸外国を渡り歩いていたマルビスでさえ食べたことがないというその食材と調理法。
ハルト様は一体何処で知ったのか?
疑問がわいた。
読書好きのハルト様のことだ、書物で知ったのではないかとマルビスは言った。自分も全ての国と地域に行ったことがあるわけではないからと。
だが気になった俺は後日、タケノコの調理方法の商業登録書類を持って商業ギルドに問い合わせてみることにした。
植物というのは地方、地域によって名前が変わるものも多い。
だから時間が掛かるかもしれないと言われたが、俺はもとギルド職員。そんなことなど言われるまでもなく知っている。内容によっては年単位でかかることも。
急いでいないから大丈夫だと伝え、しっかりと調べて欲しいと頼んだ。
そうして月日が流れ、変わらず忙しくも楽しい日々が続き、タケノコという単語も当たり前に定着し、その疑問を忘れかかっていた二年以上経った頃にギルドから届いた報告書にはハルト様が『タケノコ』と呼んだ食材はウチでの登録が初めてだったことが判明した。
あれから二年経った今、タケノコ御飯のおむすびはウェルトランドでも定番の売れ筋商品だ。
何故ハルト様はあの硬い竹の芽が食べられることを知っていたのか?
その下ごしらえの方法にも迷いがなかった。
思えばシルヴィスティアで売られている料理に使われているイカやタコの下処理も、料理も最初から手際良くなされていた。その外観にロイやイシュカも初日は引き気味で遠巻きに眺めていたというのに、狂喜乱舞してタコをむんずと素手で掴んで振り回してもいた。その異様な形の生き物に危険が無いと最初から知っているかのように。
タコもイカも南国の海沿いの町で食されていたのは後日知ったのだが、あの時も驚いたものだ。何故そんなことを知っていたのかと。だがスルメやタコ焼きなどの商業登録が通ったことを思えばあれも奇妙だった。
おそらく側近達がなんとなく察している、ハルト様が隠されている秘密に関係しているのではないかと推測したものの、だからといって、頑なに隠そうとしているものを暴くのも憚られ、俺は尋ねることもできないまま、それも日々の忙しさに記憶の底に沈みかけた時、それは再び蘇る。
ルストウェルからの魔獣討伐応援要請を受け、お出掛けになった先でウォーグを連れ帰って来たことに驚かないでもなかったが、ハルト様のやることだ。
この程度で驚愕していては身が持たない。
俺は連れて来られたウォーグをハルト様の側で眺めつつ、団長やサキアス達の会話に耳を傾けていた。ウォーグを前に話している内容は魔獣を手懐ける方法とその使い道についてだ。
野生に生きる動物達は危機察知能力に優れていることが多く、弱い個体であればあるほど己が敵わないと知れば見つかる前に逃走する。それ故強い魔獣が現れるとその辺り一帯から動物達の気配が消え、その魔獣の住処を特定するのに時間を要する。つまり上手く訓練出来れば狩りをする時に獲物を追い込ませる猟犬のように魔獣を追い立てたり、翼竜種の背に乗って上空から偵察出来るのではないかということを話し出す。
成程、魔獣を手懐けられるということはそれも可能になるかもしれないということか。
空を飛ぶ魔法や技術はまだ開発されていない。
それが出来るならまさに値千金、一夜にして億万長者の大富豪にもなれるだろう。
ところがハルト様は頭の中でその利便性と危険性を秤にかけたらしく、苦虫を噛み潰したような顔をした。
ハルト様は出来もしないものにこんな反応はしない。
無理なものは無理だと割り切るのが早いからだ。
つまりその方法に心当たりがあるということに他ならない。
確かに空を高く飛べるということはある種の危険性を孕んでいる。
戦争ともなれば空からの攻撃は味方側であるならば地上の敵を狙い放題、だが敵方であるならばハッキリ言うなら防ぐことはかなり難易度が高い。そしてもしそれが簡単に利用出来るようになれば犯罪も増えてくるだろう。今まで高い塀に囲まれていたために侵入できなかったところにも簡単に入り込めるようになり、邸宅への不法侵入や無断での国境超えなどの犯罪も可能になる。
その全てを取り締まるのは容易ではないだろう。
だが知りたい。
好奇心は猫をも殺す?
そんなこと知ったことか。
まだ誰も成し得ていない、その技術があるのなら見てみたい。
俺の好奇心が疼く。
いったいどのような方法を思いついたのか。
この人はまるで吃驚箱だ。
俺の知らない技術や知識の宝庫、ワクワクさせてくれる。
それはタチの悪い麻薬のように俺を虜にするのだ。
甘い声で囁けば真っ赤になって耳を押さえる。
そういえば俺の声が好きだと言ってたな。
この人を口説くのに役立つなら本気で習ってみようか、そんなことも考える。
そうして二人きりになる機会を待って、俺は切り出した。
空を飛ぶ方法がどういうものかということを。
風属性魔法を使った僅かに浮かび上がる魔法や、身体強化のよる常人離れした跳躍で飛び上がったりすることは出来ても空中で姿勢を保つことが困難で、なかなか上手くいかない現実。
それ故に広い範囲を見渡すには高い木の上に登ったり、襲撃などを早く察知するために塔や砦を築き、物見櫓を建てたりと、人間は様々な趣向を凝らしてきた。
もしもそんな技術や魔法が見つかれば、一攫千金、あっという間にその名は知れ渡り、歴史にも名を連ねることになるだろう。既に歴史的快挙を築き続けているハルト様からすれば更にその功績を一つ積み上げることに過ぎないのかもしれないけれど。
ハルト様は深く考えているようで基本的に単純だ。
思考の海に一旦沈んでしまうとこちらが驚くような判断や考察、推論を述べることも多々あるが、そういう状態になると今度はその他一切のことが頭から抜け落ちる。
要するに二つのことをいっぺんに出来る器用な性格をなされていないのだ。
何処でこの病気ともいうべき悪癖が発症するかわからない。それ故にイシュカ達が警備を常に厳重に敷いているわけなのだが、俺はよくこの状態を利用することが多い。警戒心が無くなってこの状況は、それに付随する、思考を邪魔しないことであれば無意識に質問にも応えて下さるからだ。
何度かそれとは違う関係ないことを質問したことがあったが一気に我に返った。
思考を阻害するものはアウト。
それを考えさせ、誘導することであればセーフ。
側にいて、何度かそれを繰り返せばそのあたりの加減も覚えてくる。
深く掘り下げて情報を聞き出すにはコツがいる。
だが流石に今回ばかりはガードが堅い。
それは戦被害を拡大化する可能性があるものだからだろう。
ハルト様は人と人が争う戦場には殆ど出たことがない。
それは抜きん出た参謀としての才能、戦略家であるということも関係しているのだが、一点集中型であるハルト様に多対一の戦闘は向いていないことが大きい。
戦場に於いてその状況は稀であることは俺でもわかる。周囲全てが味方であるとは限らない。戦場でそういう場所があるとするなら遥か後方、支援部隊や作戦本部になるだろう。ならば最初からその場所に置いて置くべきだろうし、そこでこそハルト様の力が最大限に発揮される。
眼前の敵に気を取られていては本来の力が発揮出来ない。
しかしながら、そんな戦場に出たことがないはずなのに、この方は何故か戦争の悲惨さをよく知っている。
物語で読んだというにしては犠牲者側寄り。
ああいう話は英雄譚として語られることが多いのでその被害者、犠牲者についての記述はほぼ無い。なのに何故その悲惨な状況を庶民目線であたかも見て来たかのように語るのか、俺にはそれが不思議だった。
ハルト様は謂わば支配者階級の人間だ。
庶民、平民の暮らしには本来疎いはずなのだ。
貧乏貴族の三男で産まれたからというだけでそのような感覚があるというのも妙だ。
成人した大人であるなら、もしくは戦争被害者の経験がある辺境の産まれならまだしもシルベスタは今の国王陛下になってからは国土拡大や侵略戦争の類は起きていない。貧困に喘いだとしてもグラスフィート領は国の中央寄り、戦争の現場を目にする機会はありえない。だが巻き込まれていないはずの戦場や犯罪の手口、開発事業のその先に待つ危険性や可能性を的確に指摘する。
普通開発者、特に天才と言われるような発明家や研究者というものは便利な道具や技術を考えることに夢中になってもその先にまで考えることは少ない。
それが出回って悪知恵が働く者に悪用され、そんな使い道があったのかと気づく。
サキアスやヘンリーを見ていてもそれはわかる。
まだ起きてもいない未来のことまで深く考えていない。
考えること、常識を覆すことに夢中だ。
なのに何故か?
それが気になって言葉巧みにハルト様の思考を絞り、誘導するように仕向ければその口から出て来た言葉は思いもかけない、いや、多少は考えたこともあった言葉。
生まれ変わり。
それはシルベスタの二大宗教の一つにもある考え方。
人は死んだ後、天国で魂の汚れを落とす洗濯をして生まれ変わる。
善行を多く積んだ者ほどその魂の汚れが少なく、すぐに汚れが落ちるためにその記憶が洗い流されることなくそれを持ったまま生を受けることを許され、罪を犯せば犯すほど、その濁った魂が白さを取り戻すまで苦行の毎日を送りながら地獄に流れる濁った川で洗濯させられる。
はっきり覚えていないが確かそんな内容だったはず。
眉唾物の、真実かどうかもわからない話だが、確かその教祖がそう言われていたはず。その後も歴代の大神官の極少数ほど、そんな記憶を持っていたという話がある。熱心なその信者が商業ギルドで語っていたのを思い出した。その時はそんな話を話半分で聞いていたのだが、ギルドに勤めていれば色々様々な噂が入ってくる。虚言癖でもあるかのような妙な話をする人間もいる。だが、それ以外では説明がつかないような不思議なことも幾つかあったのも事実で。
信じているか、と聞かれれば首を傾げるが、嘘だと思うかと聞かれれば首を横に振る。どっちだと問われて二択で選択するならば『信じる』という程度。
だがハルト様の場合はその『生まれ変わり』という言葉で殆どの不思議に説明がつくのだ。
俺達が知り得ない技術や情報、到底子供では身につけられないような膨大な知識。
いつそんなものを知り得たのか。
何故子供でありながらこれほどに大人びているのか。
俺は不安気な顔で見上げているハルト様に笑顔を向ける。
「これでやっと腑に落ちました。
貴方が『自分は天才児でない』といつも仰る理由が」
スッキリした。
今までの疑問が解けて。
俺は書き出した沢山のメモと走り書きに目を走らせ、そのうちの一枚を取り上げた。
「貴方が私達にずっとそれを隠されていた理由が何かあるのでしょう?
もうすぐマルビス達がやってきます。
詳しい話はまた後程。
まずはこれらの方法を、そうですね、一番無難なのはこの気球ですか。これならば材料費、規模、大きさから考えて悪用される危険も少ない。
まずはこれを実現化する方向で話をしましょう」
幾つかお聞きした中で一番手間と時間、金がかかりそうなもの。
低価格で簡単であれば広まるのも早い。
だが規模が大きく、金が掛かるとなればそう簡単に保有出来ない。飛ばすにしても大きさ故に悪目立ちして秘密裏に保有するのは難しい。おまけにこの材質、軽い布製でというなら弓矢一つで撃墜できる、戦に用いるにはリスクが高い。悪用される危険性も低いだろう。
俺は他のメモをかき集め、とりあえず山と積んである白紙の一番下に隠した。
「・・・黙っててくれるの?」
不安そうな声が尋ねてきた。
何をそんなに怯えているのか?
「約束したでしょう? 俺は誰にも言わないと。
貴方が自分でマルビス達に話さない限り、俺は誰にも言うつもりはありません。貴方が仰るように便利なものというのは危険も一緒に併せ持っているものです。過ぎた技術は世界を混乱に陥れ、貴方や俺達の身をも危険に晒します。
それは俺の望むところではありません」
興味はある。
だけどそれが混乱を招き、今の生活を脅かすものであれば必要ない。
俺はただ知りたかっただけ。
今の生活を気に入ってもいる。
ホッと息を吐いて安心するハルト様を見て俺は笑った。
「それに、俺だけが知ってる貴方の秘密という響きも魅力的ですからね」
俺は仕事以外で口数があまり多い方では無い。
だとすればこれはチャンスだ。
口下手で行動力に欠ける俺はいつも出遅れがち。
二人だけが知る事実というものは甘い響きを持ってこの人を独占出来る。
そんな俺の言葉にボンッと紅くなる。
「気持ち悪いって、そう、思わないの?」
俺が?
貴方を?
そんなことありえない。
「何故です?
俺が好きになったのは今の貴方ですよ?
俺と出会った後に人格が入れ替わった、というわけではありませんよね?」
隠されていた真実を知っただけで貴方自身は何も変わっていない。
俺の問いにハルト様がボソリと答える。
「それは私が母様から産まれた瞬間から変わっていないけど」
「ならば何も変わることはありません。俺が興味を持って好きになったのは俺が出会ってからの貴方です。天才だから恋をしたのではありませんので凡人だから嫌いになるはずもありません。
ハルト様は俺に貴方と同じように生まれ変わる前の記憶があると言ったら俺を嫌いになりますか?」
その俺の問いかけにハルト様は全力で首を横に振る。
ですよね。
貴方は人をそんなもので判別しない。
だからこそ多くの人間に好かれている。
「そういうことですよ。御理解頂けましたか?」
何があっても貴方は貴方。
変わることは何もない。
「ありがとう、テスラ」
「御礼を言われるようなことではありません。
以前にも言ったはずですけどね。
俺は貴方がたとえ凡人になったとしても、それらの商品を前に改良策を話し合って意見を交わし、楽しんでいるだろうって。その言葉に嘘はありません。
今度二人っきりの時に是非貴方がいた世界の話を聞かせて下さい。
それはとても面白そうだ」
目尻に浮かんだ涙を嬉しそうに拭って笑うその笑顔にドキリとする。
まだ大人と呼べない姿。
でももうすぐ子供と呼べなくなる年齢。
そんな蛹が蝶に羽化する一歩手前のような不思議な魅力。
出会ってからもうすぐ六年になる。
この人はいつの間にこんなに美しく、違う、出会った時から貴方はいつも美しかった。特に困難に出逢った時、恐ろしくても決して逃げようとせず前を見据えて強がって、弱音を吐こうとしなかった。
凛として立つその背中の美しさに俺は何度見惚れただろう。
子供らしいあどけなさなんて殆ど見られなかったけど、時折見せてくれる弱さや幼さの残る笑顔に魅せられ、見惚れ、引き込まれていっただろう。
そんな俺の願いの意趣返しにか、ハルト様はふふふっと小さく笑う。
「テスラが子守唄を歌ってくれたら考えるよ」
俺を揶揄っているつもりなのか?
こういうところはまだまだ甘くて初心な子供のようだ。
俺は大きく目を見開き、揶揄うように言った。
「いいんですか? それは俺を寝室に入れるってことですよ?」
その言葉にカーッと赤くなったハルト様に俺は大きな声で笑う。
「冗談ですよ。ちゃんと段階は踏みます。
約束しましたからね。
それにまだ歌の練習もしていませんし、下手に手を出して貴方の話を聞けなくなる方が俺には痛手ですから」
プクッと膨らませた頬。
そんな仕草は可愛いだけですよ。
俺を喜ばせるだけです。
「意外にテスラは意地が悪い?」
「かもしれません。男というのは好きな子ほど苛めたい、そんなヤツも結構いるでしょう?」
拗ねたそんな顔や涙が浮かんで潤んだ瞳に見つめられると鼓動が早くなる。
貴方のいろんな顔が見たくて意地悪したくなる。
「私はそんなヤツ、嫌いだもの」
拗ねた貴方の髪をクシャリと優しく撫でると俺は甘い声でその耳もとで囁いた。
「ではとびっきり優しく、甘く口説くとしましょう。
俺は貴方に嫌われるのが何よりも怖い男ですから」
更に真っ赤に、耳まで染まったその顔が可愛らしくて、俺はクスクスと微笑った。
そうして知ったハルト様の真実。
二人だけの秘密。
楽しかった。
ハルト様の前世の世界の話は勿論だが、声を潜めて交わす二人だけの会話。
一気に親密度が上がっていくような感じがした。
魔法のない、この世界とはまるで違う発展を遂げている世界。ハルト様が有り余る魔力を持ちながら魔法を用いない考え方や作戦を多様する理由を知る。
この世界には魔法という便利な物があるからこそ魔法ありきで物事を考える。魔法がなくても人間は便利な生活を手に入れることが出来るのだと。
そして知った。
人類が空を飛ぶことで起こった歴史の悲劇を。
何年もかけて人が築き上げた物を一瞬にして灰塵へと変える兵器。何万、何千という人間が火の海に焼かれ、傷つき、その侵略の爪痕は長く、何百年経っても人の心を蝕み、国家間の対立や人種差別があったこと、それらが写真やフィルム、データといった映像というものに残され、映画という人が演じる物語で再現され、その悲惨さを伝えても強大な力を持った傲慢な権力者や一部の国家は国民を使い捨てのように戦争へと追い立て、一瞬で何年もかけて作った街並みを、大量の命を落とすような兵器を投入、無惨で惨い現実を見ても、その争いを止めようとしなかったこと。
技術が発達することは良いことばかりではなかったこと。
それは何処の世界でも一緒だ。
新たな威力のある攻撃魔法が開発されたり、強力な魔導兵器が作られて激化した戦争はこの世界でもある。この世界の魔法とそんな技術が融合すれば遥か未来で起こる悲劇は倍増するだろう。
たった一人しか乗れなかった飛行機という空を飛ぶことの出来る乗り物は百年もしないうちに何百人という人間を遥か遠くの国まで乗せて運べるようになったという。キッカケさえ掴めれば発展していくスピードは早いのだと。
成程、聞けば納得の理由。
この人は発明される便利な物が巻き起こす、その未来を知っていたわけか。
いずれこの世界にもそんな技術が登場してくるだろうけれど、そのキッカケを作るのが自分でありたくなかったのだと。
そして世界を繋ぐキッカケとなったものもたくさんその世界では発明、発展を遂げていて、自分はそんな戦争がなくても楽しく過ごせることを証明しようとしていたのだと。
たくさんの『楽しい』があれば人はそれ壊してまで手に入れようとすることはなくなるのではないかと考えたのだと。
せめて自分が生きている間くらい、自分と自分の大切な人達がそんな争いに巻き込まれない世界を作りたかったのだと。
随分と壮大で大規模な夢だ。
それは世界統一よりも余程難しいのではなかろうか?
それを夢見がちだ、実現不可能だと言い捨てられないほどに巨大化したハルウェルト商会。着実にハルト様の企んだ『楽しい』は庶民の生活や心に伝播し、育っている。
それも多くの貴族まで巻き込んで。
それはいずれ崩れる砂の牙城かもしれない。
だけどどうせならそんな幸せな世界を企む方が夢があっていい。
きっと貴方はこのまま、この先も多くの庶民の味方を、賛同する同志を巻き込んで実現しようとするのだろう。
おそらく俺達を、大事な者を守るために全力で。
ならば俺はこれからも貴方の側で、
その夢を、
その計画を、
貴方と叶えるべく、
ただ、一緒に、その隣を歩いていくだけだ。




