第二十七話 大失敗、やらかしました。
私の不安を他所にガイとケイはそこに危険が無いことを確認すると手招きをして私達を呼んだ。
心配は杞憂に過ぎなかったのかとホッと胸を撫で下ろす。
どうも何事にも疑ってかかる癖が付いたかなとガイ達のもとに歩みを進めると、そこは洞窟の終点ではなく、もう一つの可能性として考えていた天井が削れて抜けた、ぽっかりと空が見える場所だった。
地熱で溶けた雪で出来た小さな湖、流れる細い川は崖を流れ落ち、滝となっている。ポチが喉が渇いていたのか物凄い勢いで川の水を飲んでいるところを見ると水質的にも問題はないのだろう。
実際、それ自体は特別驚くほどでもない。
だが目を見張るべきはその畔に立つ朽ち果て、崩れかけた神殿だ。
その奧には更に続く洞窟が見える。
「かなり古そうな感じではあるな」
ぐるりと見渡してフリード様がそう言った。
冬場ということもあってかその建物の外観に絡まる蔦は枯れて茶色に染まり、囲まれた切り立つ崖と土の天井に守られているせいもあってか、上空の冬の吹雪くような風とは対照的なほど微かな風にそよそよと揺れて、時々それがハラリと落ちる。
人の手の入らない建造物というものは崩れるのも早い。
ところどころ欠けた石造りの柱は今にも倒れそう、というより、既に太い柱の何本かが折れて天井が落ちている、所謂廃墟。
いや、この場合は遺跡と言うべきか。
それを囲うように生えている針葉樹林は雪の綿帽子を積もらせ、時折それが重みで落ちて音を立てている。
「ハイアットも言ってただろ。この辺りには平地も少ないから殆ど人が住んでいた歴史はベラスミにはないって。となればそれ以前、三百年近い前に建造された確率が高い」
ヘンリーがその倒れた柱に触れてそう言った。
「だろうね。ベラスミから見つからないように隠れ住んでいたとするなら尚更だ。ただ崩れ具合からすればその後も多少ベラスミの支配を逃れた者達で手入れされてたかもしれないよ」
サキアス叔父さんもそれに同意しつつ、冷静に状況を分析している。
要するにベラスミ建国の立役者となった者達に過去の遺物として葬り去られた歴史の爪痕といったところか。
人や獣が使えば道ができる。
道が出来て踏み固められれば草は生えない。
その痕跡が見えないことを考えるならここは既に朽ちていると見るべきか。洞窟の中に残っていた足跡は、やはりたまたま残った人類が暮らしていた痕跡、化石みたいなもの?
詳しく調査してみないとハッキリしないが、それは私の管轄でもないし、叔父さん達も専門外だろう。国として外交の歴史でもあれば話は変わってくるかもしれないけれど、シルベスタと併合されたユニシス王国までは歴史で多少習っても他国の建国前の先住民との争い、侵略の歴史にまで精通していないのが普通だ。
それでも、専門外ではあっても滅多に見ることの出来ない過去の遺物は珍しいのだろう。叔父さん達だけではなく、フリード様やイシュカ、警備達も危険を感じないこともあって各々散策している。
それともこういうところはゲームとかみたいな『過去の文明のお宝が眠っているかも?』的な浪漫もあるのかな。
「どちらにしても危険自体はそうないと思うぞ。
嫌な気配もねえし、何かが棲みついていたとしても小物だろうな」
つまりガイのアンテナに引っかからない程度ってことね。
不穏な空気を漂わせていない限りはガイ達の察知能力も低い。それでも常人よりは優れていることは確かなのだけど。
「でも魔獣って穴グラが好きなんだよね?」
なのにここまで到着するのに対処に困るようなのはいなかった。
私が威嚇したからというにしても随分と少ないようにも思えたけど。罠があったからというのも理由の一つだろうけど、それらを上手く避けるヤツだっていそうな気がしたのだが、結果は否。
リスク回避ってヤツなのかな。
疑問に思って私は尋ねるとガイとイシュカが教えてくれる。
「まあそうだな。だが今回の場合は苦労して得られる獲物が小物ばかりじゃ効率が悪いからじゃねえの? 苦労する餌場より麓の方が獲物が多い。
より楽な方に行くのは普通のことだろう?
それに穴グラっていうよりアイツらは暗いところが好きなだけだ。だから田舎の山ん中の廃村の空き家なんてのも好きだぞ」
「人里離れたところに放置された神殿や崩れかけた城に棲みついてたって事例もありますしね」
成程。
言われてみればその通り。
「それは絶好の寝ぐらだろうね」
「驚かねえの?」
一瞬なんでそんなことを聞くのかと思ったが、すぐにわかった。
神殿とは聖なる場所。魔物や魔素とは一番縁遠いと言われているところだ。
「だって人がいなければ神殿なんて意味がないでしょ?
そこに人がいなければ信仰なんてないんだから寂れた空の建物に差異はないんじゃない? 雨風凌げる屋根付きなんて寝ぐらには最高だよ」
まして壊れかけの建物なんて倒壊の危険があるなら普通の人間なら寄り付かない。オマケに朽ちかけた板を踏み抜いたり、転がる石に蹴躓けば音が鳴る。
迫る危険も察知しやすいだろう。
私がそう言うとガイは肩を竦めて宣う。
「そりゃまたごもっともな御意見で」
「で、イシュカ達の意見は?
まだこの先に洞窟が続いてるみたいだけど、このまま先に進むべきだと思う?」
既に進んで半日以上が経過している。
とりあえず休憩、休息は取るにしてもこういう場所は色々とありがたい。天井が抜けていれば火も焚ける。これで食べられそうな野草でもあれば一応簡単な調味料だけは持参しているので持ってきた食料も節約できる。一応持ってきている食料は二日分、後は現地調達で調査予定は三日。五日経っても戻って来なかったら救援要請を出すようにロイ達にお願いしているわけだけど。
イシュカが少しだけ考え込んで口を開く。
「とりあえず今日はここまでで休息を取るべきかと。ここを少し調査して安全が確認できればここを数名をここに置き、拠点として明日は半日で進めるところまで進み、何もなければ位置を確認した後、一旦引き返すべきかと。
無理はすべきではありません」
まあね。
仮に先住民が隠れ住んでいたとしても、その生活を壊す権利は私にはない。この場所を離れたいというなら話も変わるが環境が変わるというのはその人にとって良いこととは限らない。
ライオネルとガイもそれに頷き、意見を述べる。
「その意見には俺も賛成です。こういうものがあるのに手入れされてないってことは人が住んでいる確率は低いような気もしますし」
「遺跡調査は俺らの仕事じゃねえ。国の管轄だ。あの陛下か第一王子あたりに押し付けるべきだろ」
それもまたごもっともな御意見で。
下手に弄り回して壊しても、歴史的建造物の破壊とかアホな貴族達に喚き散らされても面倒だし。
それを聞いていたフリード様も同じ意見のようで特に異論は唱えない。
となれば私が反対する理由もない。
食料を節約するために川で水を汲み、石を組んで作った竃でライオネルに捌いてもらった魔鳥の肉で出汁を取りつつ適当に持ってきた野菜サラダをブチ込んで塩と胡椒で味付けしつつ、少し早めの夕食を取ろうと冬には嬉しい体の温まるスープを作る。
後は少し煮込めば良いだけだ。
サキアス叔父さんに鍋をかき混ぜてもらうように火の番をお願いすると、その間にまだ陽がある内にまずは現在地を確認するため一番高い木に登ってみようかとガイに肩車してもらいつつ一番下の枝に手を掛け、ヨイショとよじ登ったところで、続けてガイが登ってくるのを待って下を見下ろすとガイとケイの動きがピタリと止まり、剣呑な目付きで木々の向こうを睨んでいた。
明らかに視線の先を警戒している。
何か異常があったのか?
それに気が付いたイシュカとライオネル、警備達に緊張が走る。
私も飛び降りて備えようとするとそれをガイに止められる。
安全が確認できるまでそこにいろってことかな?
「出てこいっ、そこにいるのはわかっている」
静かに、だけど威圧的な声でガイが言う。
言葉で言うってことは隠れているのは魔獣とかじゃなくて人間だって判断したということかな?
まあ確かに相手が人であるならば、大抵の場合、ターゲットは私であるとここ最近ではわかってきましたけどね。
いろんな意味で力を持ち過ぎた私がいなくなれば自分達にその利が回って狂って考えている人がたくさんいるってことでしょう?
本当に馬鹿ではなかろうか?
私一人がいなくなったところで我がハルウェルト商会は揺らがない。
優秀な幹部達が支えてくれているからこそのこの発展。それが理解出来ていない時点で底というものが知れている。まあそれを公言して幹部達に狙いが向いても面倒なので、そう思ってもらっている方が私としても都合が良い。外を出歩く時にはいつもイシュカやライオネルがついてくれているし、屋敷周辺も頼りになる専属護衛達が巡回している。捕まればウチの有能な諜報員達がしっかり身元、出処、派遣元を調べて証拠を掴んで来てくれるから、後はそれをサイラスの定期報告書と一緒に陛下のとこに届ければソイツはジ・エンド。陛下もフィアもそんな楽してノシ上がろうとするおバカを重用する人ではないですから。
なので最近は、私をヨイショして持ち上げて、御世辞にゴマスリしてくる貴族は放置しておくことにした。勝手に誤解して、祭り上げ、御輿を担いだところでそれはタダのハリボテなんですよとワザワザ御教授してやる必要もない。
否定して回るよりその方が効率的だと学んだ。
しかしながらここまで私はともかくとしてガイやイシュカ達に気付かれず、よくぞ付いて来れたものだ。
となればなかなか腕の立つ刺客なのかと呑気に見守っていたのだがガイ達の挑発や警告にも反応がない。それともこの数の達人達の守りをかい潜り、逃げ切る自信があるのだろうか?
だとすれば相当にオメデタイ。
大人しく成り行きを見守っているとガイとイシュカの指示で包囲網が狭められていく。
あ〜あ、もう逃げられないって。
サッサと投降した方が身のためだと思うよ?
太い幹に寄りかかり、ソイツが姿を現すのを待っていると、逃げられないと悟ったらしい刺客がガサガサと茂みの中から出てきた。
・・・えっ⁉︎
子供っ?
こんなところになんで?
いや、待て。
子供だからといって安全とは限らない。
歳の頃は推定十歳前後。クサレ貴族が魔法適正と属性が多い子供を攫って殺し屋として英才教育を施す、なんて設定もラノベなどではよくあったではないか。
様子を見つつ、眺めているとイシュカ達に明らかに怯えていた。
これが演技であるならばたいした役者だと思うけど、不審に思ったのはガタガタと真っ青な顔で震え、その場に腰を抜かしたようにへたり込み、泣き出したことだ。
色素の薄い髪、白い肌。
小柄で痩せ細った肢体は筋肉どころか骨が浮き出ている。
ナイフの一本も持っている様子はない。
身につけている衣服も質素ではないものの、明らかに粗末で時代遅れ。
何かがおかしい、普通ではないと感じたのは私だけではないようでみんなが動揺した。
そうだ、ここにくるまでの間でもその可能性を示唆してきたではないか。
旧ベラスミ帝国の支配を逃れ、隠れ住んでいる先住民族の存在を。
もしかして、その生き残り?
そう考えたのは私だけではないようで、サキアス叔父さんが滅びた国の言葉、ユニシス語で話し掛けるが反応はない。他にも知り得る簡単な古代言語で語り掛けるものの子供は恐慌状態に陥り、頭を抱えて蹲り、叫んだ。
たった一言。
『助けて』と。
私は慌てて駆け寄るとイシュカがその後を付いてくる。
ガリガリに痩せこけた、泣き噦るその身体を抱き締め、大丈夫だ、怖くないからと言い聞かせる。次第に泣き声が小さくなり、あやすように背中を叩くと少しだけぎこちない笑みを浮かべ、ホッとする。
そしてまだ微かに震える身体を温めるために叔父さんに作ったスープをよそって持って来てもらうとそれをどうぞと差し出す。
『美味しいよ? 心配なら私が先に一口飲もうか?』
知らない人に差し出された物に懸念を示しているというならまずは自分が飲んで毒など入っていないと示すのが早いだろう。
私がそう言うと小さく首を振って、『ありがとう』と言ってそれを飲んだ。
そして、やっと安心したような笑みを浮かべ、私がホッと息を吐くと近づいて来たポチがその子の涙に濡れた頬をペロリと舐めた。
びっくりして一瞬戸惑った子供は私がポチの頭を撫でて横に座らせると興味深そうにポチの頭に手を伸ばす。
『この子は図体のわりには臆病だから優しくね』
と、そう私が告げると伸ばした手を一度止め、ゆっくりとその手を差し出した。
大人しく頭を撫でられているポチを褒めてやると嬉しそうに尻尾を振る。すると毛並の感触が気に入ったのか、ポチの首に嬉しそうに手を回す。
そしてその子がここにいた理由と隠れ里の存在を聞き出した。
落ち着いたその様子にホッと息を吐いて気が付く。
そこにいた全員の視線が私に集まっていることに。
安心でも、警戒でもない。
驚愕に満ちたその表情に私は別の意味で私の悪い予感が当たったことを知る。
思い出した。
私はどうやら焦って大失敗をやらかしたようだ。
忘れていたのだ。
常日頃、無意識に使っている、
この世界での私の唯一のチート能力。
言語読解能力。
みんなのこの反応は当然だ。
この子との会話が理解出来ていなかったのだから。
たった一人、私を除いて。