閑話 レイバステイン・ラ・レイオットの決断
いつだって僕は子供扱い。
僕の方が半年だけだけど年上なのに。
それを口に出せないほどハルトはいつも大人で。
頑張っても、頑張っても追いつけない。
そりゃあすぐに追いつけるなんて思ってない。
だってハルトは僕の知っている大人達より強くて頭がいい。
一生賭けて追い掛けるって決めたんだ。
しつこい殿方は僕のなりたいイイ男じゃないでしょうって母上は言うけど、諦めるなんて出来ない。ならば嫌われるまで追い掛けてみればいいって父上は言う。
目標は高い方がいいからって。
ハルトにはそれだけの価値があるって。
嫌われて、側にいられなくなったとしても、『あんなふうになりたい』って思える人間がいるのは悪いことじゃない。考えたくないけれど、もしもハルトに嫌われて、二度と会いたくないって言われたとしても僕の目標のする男がハルトであることは変わらないだろうって。
確かにそうだって思った。
僕が恋焦がれ、憧れ続けてる人は簡単に捕まえられるほど易い男じゃない。
強くて、綺麗で、賢くて。たくさんの人が憧れる。
カッコ良くて、優しくて。大勢の人が尊敬する。
他にもいっぱい、たくさんすごいところを持っている。
あんな男になれたなら、僕はきっと自分に自信が持てる。
自分に胸を張っていられると思うから。
僕はハルトに魔法の無詠唱破棄の覚え方を教わった次の日から必死になって練習した。
まだイシュカもガイも出来ないって聞いたから、他はまだまだ全然敵わないけれど、せめて一つくらい、あの二人に勝てるものが欲しかったんだ。
次に会った時、出来るようになってたら、ハルトは驚くかな?
褒めて笑ってくれるかな?
ハルトの笑顔は僕を幸せにしてくれるんだ。
ほわっと温かい気持ちになって、ドキッとする。
そんなことを考えて一生懸命練習した。
毎日、毎日、魔力が尽きる寸前まで繰り返し練習した甲斐あって僕はそれがあの二人よりも早く出来るようになって、それが原因なのかわからないけれど、もともと多かった魔力量は跳ね上がり、僕が学院三年生の頃にはイシュカ達の魔力量を追い越した。
『すごいね、レイン』
そう言ってハルトは褒めてくれて、嬉しくて僕は喜んだ。
でもそれを父上に報告したら、ジッと僕を見て大きな溜め息を吐いたんだ。
「それで?」
父上は僕を応援してくれている。
一緒に喜んでくれるって、褒めてくれるって思ったから僕は戸惑った。
「レイン、お前はハルトに褒めて欲しかっただけなのか?」
そう、僕はハルトに褒めて欲しかった。
イシュカより、ガイより早く覚えてたこと、出来ることが増えたこと。
凄いね、よくがんばったねって、褒めて欲しかった。
でもそれだけなのかと聞かれた僕は黙ってしまったのだ。
父上は僕の頭の上に大きなその手のひらを乗せてクシャリと撫でた。
「お前が頑張っていたのは私も知っているし、認めてもいる。
だが、それで、それだけで、お前はあの二人に勝てるのか?」
そう聞かれて僕は答えられない。
勝てるのかと言われれば、無理だと答えるしかなかったから。
俯いた僕に父様が言った。
「無詠唱破棄も今はあの二人も修得できているのだろう?
それは僅かな時間の差でしかない。
二人とお前では経験が違う。おそらくお前よりも上手くそれを使いこなすだろう。
魔力量にしてもそうだ。
アイゼンハウント団長はマリンジェイド連隊長の魔力量には及ばないのにも関わらず、この国一番の強者と言われている。
それは何故だ?」
聞かれて僕はすぐに答えられない。
考えたところで思い出した。
それは多分、父様がよく言う総合力ってヤツだ。
魔力量、剣術、馬術、知略では連隊長が上だ。
だけど体術、技術、体力、戦闘センス、咄嗟の判断力や魔獣討伐の現場での経験、そういったものは多分団長の方が上なんだ。
そしてそう思い当たったところでイシュカ達と僕の違いを思い知る。
無詠唱破棄は僕の方が確かに早く覚えた。
けど、すぐにガイもできるようになって、イシュカがそれを追うようにできるようになった。
その時間の差はたった三ヶ月。
魔力量が多くても、父上が言うようにあの二人ほど僕は上手く使いこなせているとは言い難い。
だって二人がそれを会得する前から僕はそれでも二人に敵わなかった。
それは今もなお、だ。
本気の二人の前で僕はいつも自分の力不足を思い知らされる。
「あの二人に張り合ったところで、お前はまだまだ彼奴らには敵わない。
それが現実だ。
お前がただハルトに褒められたかっただけだというなら構わん。それで満足していれば良い。だがそれではいつまで経っても二人には追いつけんぞ?
レイン、お前はそれで良いのか?」
父上に問われて僕は大きく首を横に振った。
違う。
僕がなりたかったのはもっと別のもの。
「・・・嫌だ。僕はハルトの一番になりたい」
だから僕はあの二人に勝ちたいと思った。
「ならばお前のすべきことは?」
「誰よりも強い、ハルトを護れる男になる」
イシュカやガイよりも強い男になる。
それは簡単なことじゃないかもしれないけど。
そう思って拳を握った僕に父上は強い口調で言ったんだ。
「違う。それはお前でなくても出来ることだ。
仮に団長ほど強い男となったとしても、辺境伯と私二人相手では勝てない。そして私はあの二人よりも強いと自負しているが、彼奴ら二人を同時に相手して勝てるとは思っていない。
それがどういう意味かわかるか?」
父上はイシュカ達よりも強い。
その父上より団長の方が強い。でも団長と同じくらい強くなったとしても、父様と辺境伯二人相手にすれば僕は負ける。
そう言われて僕は父上の言いたいことがわかった。
「僕がいなくても、大勢の騎士がいればハルトは護れる」
実戦において一対一という状況は稀だ。
ハルトは命を狙われることがある。
大抵の場合、その相手は一人では襲って来ない。だからイシュカは出かける時には少し離れた場所から専属護衛達に周囲を見張らせる。彼等が捕まられればハルトは気付かない時もあるし、彼等を突破して潜り抜けても最終防衛ラインとしてイシュカやガイ、ライオネルが側にいる。
僕だけが強くなっても、一人では護りきれない。
例えば十人の刺客に一度に狙われたとしたら、二人、三人は止められても対処に遅れれば、その刃はハルトに届く。でも僕がいなくても、十人いれば一人ずつで対応できてハルトは護れる。
だからイシュカは自分がどんなに強くても必ず他にも護衛をつける。
「そうだ。ハルトの周りには強い男は沢山いる。
レインがいなくてもその代わりになれる男達がいる。
ならばお前がなるべき男は?
団長や連隊長、私や辺境伯。イシュカとガイよりも強い男は他にもいる。
なのにハルトが私達よりもあの二人を頼る理由は?
戦闘に出られないロイやマルビス、テスラ達を信頼し、助力を乞うのは何故だ?」
ハルトは何か事件が起きた時、僕には頼らない。
それは戦闘に限ったことじゃない。
だけどロイやマルビス、テスラやキール、サキアスにいろんなことをお願いする。
ライオネルやケイ、アンディやゴードンに頼むんだ。
力を貸してって。
一人では出来ないこともみんなが協力してくれれば出来るって。
だからお願いしますって、ハルトは頭を下げるんだ。
たとえあの二人に勝てるほど強くなったとしても、それはハルトの一番と同意じゃない。
イシュカ達に勝てたところでハルトの一番になれないなら意味なんかない。
「いざという時に惚れた相手を守り抜ける強さは確かに必要だろう。
レインしか側にいない状況が来ないと決まっているわけではないからな。
だが、その時お前は一人じゃない。
その横にはハルトがいる。
彼奴も守られたままでいるほど弱くはない、だから遠慮する必要はない。
力を借りれば良いのだ。
だがそれだけでは彼奴の一番にはなれん。
彼奴らとお前の違いがわかるか?」
解った。
父上が言いたいことが。
確かにイシュカ達は恋敵だけど、イシュカ達はハルトを護るための仲間でもある。勝ちたい、いつか勝てるようになるっていう目標とハルトを護るっていう目的は別なんだ。
イシュカ達に勝てたところでハルトを護れないなら意味がない。
なりたいのは誰よりも強い男じゃない。
ハルトを護れる男。
側にいて助けになってあげられる男。
僕は俯いていた顔をあげた。
「僕はハルトに頼られる、ハルトを支えられる男になる」
イシュカ達と戦闘能力で張り合う必要はない。
ハルトは以前父上と同じことを言っていた。
自分は護って欲しいのではない。
力を貸して、頼って、一緒に戦って欲しいのだと。
それは戦闘に限ったことではないのだと。
だからロイもテスラもマルビス達も、みんな自分にできることで全力を尽くす。
戦場は他にもあるのだからって。
そう僕が答えると父上は大きく頷いた。
「そうだ。それが解かったのなら良い。
ハルウェルト商会は巨大な組織だ。その規模は最早小国にも引けを取らない、ハルトは一国一城の主。
だがそれはハルト一人では回らない。多くの人の手を必要とする。
だからこそ彼奴は信頼できる、大勢の者を側に置く。
必要だからだ。
イシュカ達にはイシュカ達にしか出来ないことが、ロイ達にはロイ達にしか出来ないことがある。
彼奴らは全員揃ってこそ無類の強さを発揮する。
彼奴らには彼奴らにしか出来ないことがあるように、レイン、お前にしか出来ない何かが必ずあるはずだ。
なんでも良い。彼奴に必要とされる、頼られる強い男になれ」
僕はこの時、父上が言う、強い男になれと言った本当の意味を理解した。
理解した。
でもわかったからといって僕にしか出来ないことが何かというのがわからない。
だから勉強も鍛錬も一生懸命頑張った。
僕にロイ達みたいに何か飛び抜けた才能や取り柄。
ハルトの力になれること。
子供の頃よりマシになったけど、僕はまだ人見知り。ロイみたいにハルトの苦手な気遣いなんてできないし、マルビスみたいな商才もない。テスラみたいに物知りで器用でもないし、キールみたいな絵の才能も、サキアスみたいな専門知識も欠けている。イシュカみたいにハルトの立てる戦略を理解できるわけじゃないし、ガイみたいにハルトに役立つ情報を集めて来れるわけでもない。ライオネルみたいに部下に配慮して兵を統率できるわけでもない。
じゃあ僕には何が出来るのだろう?
勉強は学年三位以内になれたって、ハルトは僕よりずっと頭が良くて、既に学院高等部卒業資格持ち。足りないところを助けるどころか勉強のわからないことを教わっている。
焦れば焦るほどわからなくなる。
十二歳の誕生日を迎えても、僕はハルトに足りない、僕が持っている何かを見つけられなかった。
もうすぐ学院も高等部に進学しない限り卒業する。
僕は少しでも早く、長く、ハルトの側にいたい。
気持ちばっかり焦る。
ミゲル様は王位継承権を捨て、高等部に進むことなくハルトのところに就職した。
ハルトのところでやりたいことがあるのだと。
そしてミゲル様の就職と共にハルトは企画営業部というのを立ち上げた。
「ミゲルのために? 違うよ」
ハルトの側にいられる場所。
僕にはまだないその居場所だ。
それをミゲル様のために作ったのかと尋ねるとハルトは首を振った。
「ミゲルにはね、そういう才能があるんだ。
私の作りたい、『楽しい』を盛り上げるために、それを率先してみんなを引っ張って、一緒に盛り上げて作り上げる力が。
多分、王子として色んなものを見聞きして育ってきたからだろうね。そういうものを見る目や発想力がある。だから私はミゲルのためじゃなく、ハルウェルト商会のために企画営業部を作ったんだ。
見ててごらん。
ミゲルにはお祭りを楽しむ、みんなを楽しませる才能があるから」
そう言ってハルトは微笑った。
そしてそれをすぐに僕は理解することになる。
ミゲル様は僕と違って物怖じしない。
自分の意見を真っ直ぐに伝えて、まとめて、ハルウェルト商会経営、もしくはその関連施設の開園祭、周年祭などのイベントを次々と企画営業部の仲間に打ち出していく。大人と対等に意見を交わし、時には強引に、みんなを引っ張っていく。
それは僕には出来ない、ミゲル様の才能だった。
ならば僕は?
僕にはハルトのために何が出来る?
持ちかけた自信はシオシオと萎れていく。
そんな時だった。
ハルトがウォーグの群れの討伐に向かうらしいという話を聞いたのは。
丁度僕は学院卒業のために必要な、最小限の単位を取りに出席して、父上のところに顔を出した時、聞いたのだ。
僕は慌てて父上との話もそこそこに、獣馬ノワールに跨って家を飛び出し、ハルトのところに向かった。
早く、早く。
やっと戦闘でハルトの役に立てるようになってきたんだ。
危ないからと退げられることも今はない。
僕の、僕だけにできることはまだ見つかっていないけど、僕がいることで助けられることもある。ハルトには及ばないけど僕は珍しい四属性持ち、使える魔法だって随分増えた。
役に立てるとハルトが『ありがとう、レインがいてくれて助かったよ』って微笑って御礼を言ってくれるんだ。
僕はハルトの役に立ちたい、助けになりたい。
だって僕はいつか颯爽とハルトを助けて、頼りになるねって、カッコイイって言ってもらいたいんだ。
男なら好きな人にはイイところ見せたいのは当然だろう?
動機が不純?
それも上等だろう。
言いたいヤツには言わせておけ。
好きなヤツの前でカッコつけなくてどうする?
そう父上が言っていた。
僕もそう思う。
護りたいと思うものが出来るのは悪いことじゃない。
頑張る理由が増えただけ、強くなれるだろうって。
そうして男は強くなるんだって。
大事な者を守り抜ける男になれって。
だから必ずハルトを護れる強い男になるんだ。
僕の大好きな、ハルトの笑顔を守れる男になってみせる。
まだまだ全然足りないところだらけだけど。
そして慌てて駆けつけたハルトの屋敷。
息を切らせて玄関に向かって全速力で走るとハルトの姿がそこに見えた。
その隣には団長の姿も見える。
既に討伐は終わった?
それとも団長もハルトを助けるために飛んできた?
僕は駆け寄るとハルトの身体に怪我が無いことを確認するとホッとしてギュウと抱き締めた。
「良かった、無事で。昨日の夜、ここに来る前に父上のところに寄ったらハルトがウォーグの討伐に向かったって聞いて心配で慌てて飛んできたんだ。
それでウォーグは討伐出来た? まだこれからなら僕も付いて行くよ」
僕はいつも何かと出遅れる。
側にいられる時間がみんなより少ないせいもあるんだってわかってる。
だから僕は早く大人になりたい。
学院生じゃなくて、ハルトの側にいられる大人に。
でもいつも苦しいから離してくれって言うハルトが今日は何も言わない。
僕がハルトの名を呼ぶとイシュカが代わりに教えてくれた。
「レイン様、ウォーグの討伐は終わっています」
終わってる?
また僕は間に合わなかったのか。
それにしてはハルトの様子が変だ。
不思議に思ってその顔を覗き込むと奇声を上げて僕の腕を振り払い、ものすごい勢いでハルトは走り出した。
ロイとマルビスに真っ直ぐ全速力で中庭を突き抜けるハルトを追えと言われ、僕は慌てて追いかける。
そして湖の側の生垣の陰に隠れたハルトを僕は見つけた。
「・・・ハルト、良かった。ここにいたんだ」
ガサリと音を立てて枝をかき分け、芝の上に膝を抱えて顔を伏せ、蹲ったハルトの前に膝を付いて僕は座る。
どうしたんだろう?
いきなり逃げ出すみたいに走り出すなんてハルトらしくない。
手を地面に付いてどうかしたのかと尋ね、そっと前髪に触れようとするとビクリと身体を硬直させ、首を小さく横に振った。
僕は聡い方じゃない。言ってくれなきゃわからない。
そう尋ねた僕にハルトは消え入りそうな声で呟いた。
「・・・ごめん。私もわからない」
頭が良いハルトがわからないって、どんな難問なんだろう。
「わからないのに僕から逃げたの? どうして?」
「・・・多分、恥ずかしかったから」
少しだけ躊躇いがちにハルトが言った。
「なんで恥ずかしかったの?」
「・・・いつもよりレインが」
「僕が?」
グッと言葉に詰まって、更に小さな声でハルトが漏らす。
「急に、大人に見えて吃驚した」
そう言われて僕はすごく嬉しかった。
だって僕は早く大人になりたかったんだ。
ハルトが認めてくれる大人に。
それはやっとハルトが僕を隣に立てる存在だって認めてくれたってだから。
「でも私には・・・」
「イシュカやガイ達がいる。でしょう?」
その先の言葉を僕がそう言って遮るとハルトは目を見開いた。
だから僕は言ったんだ。
そんなのとっくに知ってるって。
だって僕はそれをずっと後ろから見てきたんだから。
ハルトの隣に立つイシュカやガイの姿を。
どんなにハルトがイシュカ達を大事にしてるか僕は誰よりも知ってる。
それでも僕は諦めない、ハルトがイシュカ達と結婚しても。
僕の前に何人いてもいい。
もうメゲて落ち込んで、蹲ったりしない。
今は一番ビリでも、いつか、絶対、何年掛かっても僕が一番になってみせるからって宣言したんだ。
そうして差し出した手をハルトが握り返してくれた時、僕は天にも昇る気持ちってこういうのをいうんだろうなって思ったんだ。
一緒に手を繋いでハルトの屋敷に戻るとそこにはロイが待っていた。
そしてハルトの御父上から渡されていた婚約届を一通差し出され、婚約者に贈る自分の瞳の色の宝石を用意できるかと揶揄うように言われて少しだけムッとして僕が選んですぐに用意すると言うと急がなくても良いと言う。
すごく意味深な言い方。
それは気が変わってもいいんですよって聞こえて僕は早く仕上げてくれって頼む。
だってハルトの気が変わって、『やっぱりやめる』なんて言われたら僕は絶望しそうだ。
ムキになってそう答えるとロイはすました顔で言った。
「御期待に添えるかは分かりませんが、一応職人には伝えておきます。
ではお願い致しますね。
それから、イシュカ達からの伝言です。
『名目上の一席はお譲り致しますが、そう簡単にハルト様の一番はお譲りしませんよ』と。
勿論、それは私も、ですが」
にっこりとロイが微笑ってそう言った。
ロイに焚きつけるように言われて僕は言い返す。
「僕も負けないからっ」
要するに僕が父上の、侯爵家の息子だから第一席の名前だけは譲ってあげますよと遠回しに言われているのだと気がついて僕はそう言い返した。
絶対負けない。
僕はここからだ。
ここが僕のスタートライン。
今まではそこにも並ばせてもらえなかったんだから。
グッと拳を握り締めて決意を新たにするとロイが更に付け加えた。
「頑張って下さいね。レイン様は私達より一歩どころか二歩、三歩出遅れているのですから」
・・・・・。
「ロイって意外と性格悪い?」
今までそんな態度、取っていなかったのに。
そう溢した僕の言葉をアッサリ、それをロイが認めた。
「私はいつもこうですよ。客人にはそれなりに対応しますが。
特別なのはハルト様だけです。
それとも貴方には客人として対応した方が?」
やっぱりロイは意地悪だ。
それは僕に部外者のままで良いのかと聞いているんだ。
僕はキッとロイを睨む。
「それでいいっ」
絶対負けるもんかと僕は決意新たに拳を握りしめたんだ。
翌日すぐに剣を振うのに邪魔にならないバングルのデザインをキールに頼むと僕は急いで父上に報告して、ロイからもらったそれを自慢げに見せると父上が『よくやった』って褒めてくれた。
そしてちょっと待っていろと言って書斎を出ていくとすぐに小箱と一つの袋を机の上に置いた。
「マルビス達のところに持って行け。
彼奴らはお前に一席を譲ってくれたのだろう?」
開けられたそれは僕の瞳の色とよく似た紫水晶の宝石とたくさんのエメラルド。
僕がまだ報告していないことを言い当てた父上に頷いた。
「名目上の第一席は譲るけど、ハルトの一番は簡単に譲らないって」
そう言われた。
僕はロイ達よりもずっと出遅れているんだって。
父上は小さく息を吐いた
「だろうな。そう思って彼奴らへの慰謝料としてハルトの瞳の色に近い物で準備しておいた。これならハルトが身につける装飾品にも利用出来るし、あそこでは側近や専属護衛達の証としても使われているからな。
そうでなくても宝石ならば換金もしやすい」
それを父上が言ったのは随分と前だ。
僕が驚いて見上げると父上は小さく笑った。
「お前が諦めると言わなかったからな。売りに出さずに保管していた。
言っただろう?
彼奴らの慰謝料は私が払ってやると。何をそんなに驚いている?
とはいえ、まだ名目上だ。
これからが大変だぞ?」
「わかってるよ。僕自身はまだハルトの一番は取れていない」
でも今まではハルトの視界に、対象内にさえ入れなかった。
それを思えば小さいな一歩かも知れないけど前進できたのだ。
「そうだ。既に大人の彼奴らとお前は張り合って勝たねばならない。
鍛錬も勉学も怠るなよ?」
横に並べばどうしたって比べられる。
相応しいと言われる男にならなきゃハルトが恥をかく。
『どうしてこんなのを選んだのか』と。
だから僕はこれからも頑張らなきゃいけない。
きっとハルトはそんなこと気にせずに、言いたいヤツには言わせておけばいいって言うと思うけど、僕の恋敵達は強敵だ。
じゃなきゃ僕はいつまで経っても『名目上』だ。
僕は父上の目をまっすぐに見て言う。
「『ハルトの隣に並んで恥じぬ男になれ』でしょ?」
「その通りだ。
ハルトの側には様々な分野の最高の男が揃っている。彼奴らが第一席を譲ってくれたのはお前が侯爵家の血筋だからだ」
言われなくてもわかってる。
イシュカがそれを僕に譲ってくれたのは僕が父上の子供で、ハルトを狙っている他のヤツらを牽制するのに都合がいいから。
僕は唇を噛み締めて頷いた。
悔しい。
でも今まではその資格さえ与えてもらえなかったことを思えば進歩なんだ。
だから僕のやることは今まで通りと変わらない。
一生懸命僕は僕のできることをやるだけだ。
「名目上などと言わせぬよう実力で其奴らをねじ伏せ、黙らせろ。
お前は私の自慢の息子だ。必ずそれができると信じている」
父上の言葉に僕はしっかり頷いた。
「これからも精進します」
でもやっと手に入れたハルトの婚約者という立場。
少しくらい喜んだって良いでしょう?
でもそう思っていたのを父上に見抜かれた。
「それから浮かれている今のお前には何を言っても無駄だろうからな。
年が明けたら一度帰って来い。良いな?」
そんなことしたら折角ハルトの婚約者になれたのに一緒にいられる時間が少なくなる。そう思って黙っていたら父上はサインをした婚約届を引っ込めた。
「返事は? 出来ぬならこれは渡せぬぞ?」
「寄りますっ、必ず」
「ヨシ、ではこれを持ってサッサと戻れ。彼奴らの気が変わらない内にな」
僕は父上の言葉を聞いてハッとなり、慌ててノワールに飛び乗るとハルトの屋敷に戻った。
それからハルトに色々事情があって捕まえて来たっていうウォーグを見せてもらって、飼えるように躾けるというのでそれを手伝いながら年を越し、一度父上のところに帰って家族に新年の挨拶をしてくるようにってハルトに言われたから、僕は不承不承頷いて家に戻った。
すると父上が待ち構えていた。
腑抜けてないか確かめてやるって手合わせさせられて、僕の腕が鈍ってないことを確認すると付いて来いと言って書斎に連れて来られた。
そこにある応接セットのソファには母上が座っていた。
「そこに座りなさい、レイン。大事な話がある」
そう言って母上の隣に腰掛けた父上が前の椅子を差す。
真剣な表情。
何か問題でも起きたのかな?
でもだとしたら僕と手合わせする前にここに来たはずだ。
言われた通りそこに座ると母上が僕に尋ねてきた。
「レイン、貴方は学院を卒業したらどうするつもり?」
聞かれて僕は『ああ、そうか』と思った。
僕は一応成績上位者。
今年の卒業試験で良い成績が取れれば高等部に進むこともできる。
だけど僕の気持ちは決まっていた。
「僕は卒業できたらハルウェルト商会の警備部に就職しようと思っています」
そうすればハルトの行く先々に付いて行くことも出来る。
あそこにはイシュカ達以外にも剣術、武術の達人達も多い。鍛錬するにも困らない。
僕がそう答えると父上と母上は大きな溜め息を吐いた。
「だから言いましたでしょう? 絶対確認しておいた方がよろしいのではと」
そう母上に言われて僕は首を傾げる。
それのどこがいけないのか僕にはわからない。
母上が言うのは解るけど父上にまで呆れたような顔をされるとは思ってもみなかった。
「レイン、私が一年前に言った言葉を覚えているか?」
一年前?
この間ではなくて?
「私はハルトを支えられる男になれと言ったな?」
・・・思い出した。
忘れてたってわけじゃない。
でもこうして言われて思い出したってことは多分、頭の片隅に追いやっていた。
「彼奴らには彼奴らにしか出来ないことがあるように、レイン、お前にしか出来ない何かが必ずあるはずだ。なんでも良い。彼奴に必要とされる、頼られる強い男になれと私は言ったはずだ。
お前はそれが見つけられたか?」
父上に問われて僕は答えられない。
だってそれはまだ見つかってなかったから。
黙ったままの僕に母上が言う。
「ならば高等部に進みなさい。学院で学べば貴方の他の才能も見つかるかもしれないでしょう?」
母上の言っていることもわからなくない。
でも、それならハルトのところにもいろんな人がいる。
そこからでも学べるはずだ。
僕はハルトの側にいたい。
そう伝えると父上は首を横に振った。
「それは其奴でも出来ることではないのか?
お前でなくても良いことだ」
父上にそう言われて気がつく。
そうだ、その通りだ。
既にいる人の真似をしても仕方ない。
だってあそこにいるのはハルトがよく言う『一芸特化型の変人』だ。
僕がそれに勝てる可能性は低い。
一気に現実に返り、僕は浮かれ気分だったところをカナヅチで頭を殴られたような気がした。
ただ側にいたいだけならそれでもいいだろう。
でもそれじゃあハルトの一番にはなれない。
落ち込んだ僕に父上は尋ねる。
「レイン、お前はハルトの好きなタイプを知っているか?」
ハルトの好きなタイプ?
確か女性なら色気があって、よく気がつく聡明な人。
男なら、
「落ち着いた仕事が出来る頭の良い男。面食いではないが、あえて言うなら外見ならば細身の文系タイプだ。
お前の当て嵌まっているところはどこだ?」
そう告げて父上は僕に追い討ちをかけた。
僕に当て嵌まっているところ?
勉強はできる方だと思うけどハルトの言う『頭が良い』は勉強ができるという意味じゃない。機転が効いて、応用出来て、咄嗟の判断力が優れてる、そんな人のことだ。仕事ができるって言葉も僕には当て嵌まらない。僕はまだまだ剣の腕も魔法の腕も未熟、護衛としてもハルトの専属護衛上位三十人の中にも入れない。外見はロイが一番好みだって聞いたことがある。僕はロイとは正反対、父上に似てガッチリ体型、全然違う。
「勿論ハルトはそんなものだけでお前を判断しないだろう。
そういうヤツだからこそ、あれだけの数の人間に好かれているのだからな。
だがそれはその他大勢であるならば、だ」
父上の言いたいことがわかった。
僕がなりたいのはハルウェルト商会の従業員でもハルトの専属護衛でもない。
ハルトの、たった一人の一番だ。
「お前はなんの武器も持たずに彼奴らと恋敵として戦うつもりか?
それでお前は勝てるのか?」
・・・多分、勝てない。
ただでさえ僕は出遅れている。
イシュカ達には敵わない。
「ハルトは頭の切れるヤツを好む傾向がある。
ロイ、マルビス、イシュカ、ガイ、テスラ、みんなそういう男だろう?
レインが側近になりたいというだけならそれでも良い。
だがお前がなりたいのはハルトの伴侶じゃないのか?
それとも『名目上』だけで良いのか?
ならば止めはせん。今年初等部を卒業したらハルトのところに行けば良い。お前も『一応』婚約者なのだからな」
でも僕にはまだ何も見つかってない。
僕は何も言えなかった。
父上の言う通りだったから。
俯いた僕に父上が聞いていた。
「レイン、お前は何かハルトに誉められたこと、勝てることはないのか?」
ハルトに誉められたことと勝てること?
何か出来るとハルトはスゴイねって誉めてくれる。
でもそれとは意味が違う。
ハルトには出来ない、僕の出来ること。
それはすごく少ない。
だってハルトは何をやっても凄いから。
いつも自分はたいしたことないって言うけれど、そうじゃないことは僕にだってわかる。ハルトのやっていることはハルト一人じゃできないことも多いけど、ハルトがいなきゃ出来ないことが多い。
イシュカやロイ達が出来なくて、僕が得意なこと。
僕は考えて、考えて、思い出した。
そうだ、一つだけ、一つだけあった。
「・・・ピアノ。
そうだっ、ハルトはいつもピアノを誉めてくれるっ、僕の弾くピアノの音が好きだってっ」
ハルトは機嫌が良い時に鼻唄を歌っている時がある。
それを僕が聞いていて、ピアノで弾くと吃驚した顔で嬉しそうに笑う。
スゴイねって褒めてくれるんだ。
僕が勢い込んでそう言うと父上は微笑った。
「ならばそれを磨けば良い」
「でもピアノはもっと上手い人がたくさんいるよ?」
僕のは所謂貴族の嗜み。
それにちょっと毛が生えた程度だ。
「お前は演奏者になりたいのか?」
父上に問われて僕は首を横に振る。
「ハルウェルト商会の主としている事業はなんだ?」
それは知っている。
ハルトが僕が一年の時、生徒会の後夜祭で言った言葉は生徒の中では有名だ。
「観光娯楽産業。人を楽しませるのが仕事だって」
みんな驚いていた。
そんなことが仕事になるのかって。
「ならばそれは武器になるのではないのか?
音楽とは音で人を楽しませるものだ。ハルトが欲しいと思うのは上位貴族の好むような上品な物だと思うか?」
僕はもう一度首を横に振る。
違う。
ハルトが必要としているのは貴族相手のものじゃない。
上品で畏まったところで聞くようなものじゃない。
もっと明るくて楽しい、大道芸人や吟遊詩人、舞台役者が歌うようなもの。
父上は僕に向かって言った。
「だろう? 勿論、勉強も大事だ。ハルトは頭が良いが時折訳のわからないことを突然ブツブツと喋り出す癖があるだろう?
知識がなくてロイやイシュカ達のようにハルトの言うことを理解できるか?
レインはそれを自分には理解できないから教えてくれとその度に彼奴らに尋ねるつもりか?」
違う。
そんなつもりはない。
僕は誰に聞くでもなく、それを理解したい。
僕はまた首を横に振った。
「ならば高等部には通え。それらの力をつけるためにな。
必要な教師は手配してやる。
確かに多少遠回りにはなるかもしれん。だが第一席の座は手に入れたのだ、焦って、慌ててしまっては手に入れられるものも手にできなくなるぞ?
『急がば回れ』ということだ」
僕は今度こそ父上が学院に通えという本当の意味を理解した。
浮かれて肝心なことを僕は忘れていた。
僕はハルトを支えられる男になるって決めたじゃないか。
ハルトの隣に似合う、必要とされる男になると。
父上の言うように、確かにそれは遠回りかもしれない。
でも、それはただハルトの側にいるだけじゃ手に入らない力だ。
『いろんな経験をして、たくさん友達を作って、人の傷や痛みを理解出来る優しくて強い男になる方がずっといいんじゃないかな』と、前にハルトが言っていた。
急いで大人になるよりも、それは良いことなんじゃないかって。
慌てなくても数年後には僕は大人になれる。
ならばその時ハルトに『カッコイイ』って言われる男に僕はなりたい。
僕の人生の先はまだ長い。
これからずっとハルトと一緒に、
ハルトの隣に胸を張って居たいと思うなら、
僕は今を頑張ろうと、未来を見据えた目標を持って僕は改めて誓ったんだ。