第十話 それは子供が大人になる瞬間です。
翌日、朝食を終え、シュゼット達のデキャルトへの里帰りを見送った後、ポチの様子を見に行くと、そこにはケイがリヤカーで既にポチのエサを防御結界前に持って来てくれていた。
ウチの警備三人と団員二人、合計五人での厳重警戒警備体制が敷かれている面々と朝の挨拶をかわしながら近づく。
「ありがとう、ケイ。助かるよ」
「いえ、たいしたことでは」
いつも先回りして雑用といえるものまで働いてくれるので本当にありがたい。
何か変わったことがないかと警備に報告を聞くと特に暴れる様子もなく大人しくしているという。ただ人が入れ替わる時には流石に少しだけ警戒する様子を見せていたらしい。
もっとも今はまた私の出現に、檻の隅に縮こまっているけれど。
「ですが一つ、気になることが」
「何かあったの?」
躊躇いがちに口を開いたケイに尋ねる。
「あったと言えばあったのですが、たいしたことではありません。
アレを御覧になって頂ければわかるかと」
そう言って振り返って視線を向けたのは檻の中の餌箱だ。
防御決壊を解いてその中に足を踏み入れてそこを覗き込む。
「三分の一くらい、残ってるね」
それも内臓だけ。
どういうこと?
量が多かったというにはその他残飯は綺麗に平らげられている。
それもくっきり境界線を引いたみたいに。
昨日は確か残飯を右側から、内臓を左側からと分けて入れたはず。そりゃあ仕切りがあるわけじゃないんだから中央付近はチャンプル状態にはなっていたけど。
「ねえイシュカ、団長。ウォーグって肉食、だよね?」
「間違いない(ありません)」
だよね。
ランスの報告でも家畜を襲って食べてたって聞いてるし。
「昨日の夜勤警備って誰?」
変な餌箱の減り方が気になって聞いてみる。
「俺らです。まだ交代時間ではありませんので。もうすぐ朝番が来るはずです」
「食べてたのを誰か見た?」
「いえ、俺らが来た時は既にこの状態でした。見ているとすれば夕番のヤツではないかと。ライオネル様が万全を期すために警備時間を少しずつズラして九枠三交代制で警備予定を組まれましたので」
つまり疲れのピークが重ならないように一人ずつ入れ替えたってことか。
流石はライオネル。
もと辺境警備隊所属の経歴を持つだけある。
そうすれば報告もその時にまだ残っている者から報告も聞けるし一石二鳥だ。
「俺達もそれに倣って警備予定を組もうと思っているのですが宜しいでしょうか?」
「ダイロンが許可を出せば俺は構わん」
団員達の方はキッチリ三交代制になっていたらしい。団長の許可を取っていた。
私の質問に警備が申し出る。
「夕番のヤツを呼んで来ますか?」
今現在夜番いるってことは夕番の人達は多分まだ寝てるよね?
「その人は今日も警備に入ってる?」
「はい。同じ時間に来るはずです」
「ならその時でいいや。急ぐほどのことでもないし。今からエサを上げてみればわかるでしょ。一応交代前にコッチに一度顔出してくれってお願いして?」
たかがエサの減り具合が妙だっただけ。
非常事態でもあるまいし、寝ている人を起こすほどのことでもない。
「承知しました」
危ない至近距離まで近づこうとしているサキアス叔父さんとヘンリーをイシュカと団長に捕まえてもらいつつ私は首を傾げる。
肉食のはずのポチが食べたのは残飯と残飯の混ざった内臓のみ。
「これはどういうことでしょうか?」
妙に思ったのは私だけではなくイシュカもだ。
全部残しているなら警戒いてるか腹が減っていないという可能性もある。逆に全部平らげてしまっているならば昨日と同じく腹が減っているだろうで済む話。
「野生の狼なら特に珍しくもないぞ? 餌になる獲物が近くにいなかったり狩りに失敗したりすると木の実なんかを食べるヤツもいる。腹が減りゃあ普段食わねえモンでも食うだろ。フォレストウルフの腹の中からも稀にそういうモンが消化されていない状態で出てくる時もある」
「それはエサがない場合でしょう? 餌箱に入っている状態で内臓だけを避けるということが有り得ますか?」
う〜ん、団長とイシュカの意見も一理あるし、わからなくもない。
だけどまあわからなければもう一度同じように与えてみればわかる話だ。
「とりあえずポチにはまたエサをあげてみよう。内臓は残っているから残飯だけまた右側に。まだ冬場だし、今日一日くらいなら腐ることもないでしょう」
「内臓はどうしますか?」
「一応それは後で煮込んで味付けしてみるよ。中央付近の混ざっていたところが食べられていたなら味の付いた物が気に入ったのかもしれないし」
私達でも味付けのされていない肉は美味しくないと感じるのだ。
ポチにもそういった味覚がないとも限らない。
そう考えたところで思い出したのは前世での話。
そういえば友達の飼っていた犬が一度ドッグフードが切れて買い置きするのを忘れた時に、いけないと思いつつ、つい面倒だからと自分の夕食を分け与えた翌日から暫くドッグフードを食べなかったので苦労したという話を覚えている。
人間の食事は犬には健康に悪いけど味が濃くて美味しいので気に入ってしまったということらしい。勿論犬にも好みがあるだろうけど人によっても味覚が違うようにポチにも好みがあるかもしれない。
もしもそうなら好都合。
多少ポチの健康には悪いだろうが人を襲われるよりマシだ。やや濃いめの味付けでたらふく食わせて慣れさせて、人間や家畜の生肉を食べる気を失くさせてもらいましょう。そう考えてそのまま使わなかった内臓入りの寸胴をケイに中庭の方に運んでおいてもらうことにした。
手懐けるならまずは餌付けが基本でしょう。
しかしながら私がここにいるせいか、端っこからポチが餌箱まで出てこない。
仕方がないので見張りの警備に報告を頼んで私達は屋敷に戻ることにした。
そうして残っている仕事を片付けようと屋敷に引き返そうとすると前方から全速力に近い足音が近づいてきて一瞬イシュカ達に緊張が走る。
だがそれを団長が制して苦笑した。
つまりこの足音は知っている人間のものなのか。
そんなに勢い込んでいったい誰がやって来たのか。
姿が見えてきた人影の正体に気付いて私はカチンと固まった。
レインだ。
息を切らして汗だくで走ってくる姿に、ここ数日間忙しさにかまけてすっかり抜け落ちていた存在に私はマルビス達との会話を思い出す。
多分コレが漫画のコマのワンシーンなら私のバックにはシューッという効果音が入るはず。一瞬で顔が耳まで赤くなったのを自覚する。
忘れてはいけないはずの、記憶の隅に追いやっていた会話。
マルビスの『いつまでも子供のままではありませんよ』という言葉が甦る。
私より一回り大きな立派なガタイに精悍な顔つき。
既に子供とは呼べない体躯。
男臭ささえ漂うその姿を一ヶ月ぶりほどで見て、改めてその成長速度を見せつけられ、一歩も動けなくなってしまった私に走り寄ってくるとレインは青ざめた顔で私の身体にペタペタと触り、怪我がないことを確認するといつものようにギュウと抱きついてきた。
「良かった、無事で。昨日の夜、ここに来る前に父上のところに寄ったらハルトがウォーグの討伐に向かったって聞いて心配で慌てて飛んできたんだ」
レインが何か言っているのはわかってる。
心配してくれていたのもその表情でわかる。
でも私の脳は既にキャパオーバー、頭から湯気を吹きそうになっている。
いつもなら苦しいから離してくれと言って押し退けるのに、それすら出来ずに硬直していた。
「それでウォーグは討伐出来た? まだこれからなら僕も付いて行くよ」
レインの声は聞こえてる。
私の高い子供の声と違って既に声変わりの終わった低音の響く声。
聞こえているのだが混乱した頭はまともな答えを弾き出してくれない。
「・・・ハルト?」
流石に何の反応もない私を不審に思ったらしいレインが私の名前を呼んだ。
なんと答えれば良いのか、いや、答えは簡単だ。
レインは何も難しいことを聞いているわけじゃない。
なのに私は答えられない。
喉の奧に何か物が詰まってるみたいに言葉が出てこない。
私が身動ぎして俯くと抱き締める腕が緩んだ。
「レイン様、ウォーグの討伐は終わっています」
背後から私の代わりにイシュカの返事が聞こえてくる。
それでもなお口を開かない私を訝しんでレインが腰を屈め顔を覗き込んできて、ロイの優しくて淡いアメジストとは違う、その青みがかった濃い紫水晶の瞳とバチリと目が合って私の混乱は最高潮に達した。
「うわああああああ〜っ」
私の腕を掴むレインの手を振り切って奇声を上げ、全速力でダッシュをカマす。
背後からロイが叫び声を上げる。
「レイン様っ、ハルト様を追って下さいっ」
いやっ、だから追って来ないでっ!
出来れば暫く放っておいてっ!
頭の中は混乱、ショート寸前なのだ。
私はそのまま真っ直ぐ全速力で中庭を突き抜ける。
「何っ、何かあったのっ!?」
「いいから早くっ」
状況がわからなくて慌てふためくレインをマルビスが追い立てる。
だから追って来ないで下さいってっ!
私は今、明らかにオカシイ。
ロイやマルビス、イシュカにテスラ、たまにガイ。
私が勘違いしそうな甘い口説き文句をみんなに囁かれたこともあったけど、アレらは私を子供扱いした上で、いつも揶揄うような口調で言われてた。
どこまで本気かわからない、本気にしたらどうするのだと聞けば本気を疑うような言葉が付け足されたり、主人としての好意を示されていたり、本心を濁すような言葉で締められた。
それは私の外見が子供だったから。
みんなが恋するには足りない年齢だったからだろう。
でもレインは違う。
最初からいつも私をそういう対象としてハッキリ意思表示してた。
でも外見詐欺状態の私は子供のレインは対象外で。
ずっと子供のままじゃない、マルビスに言われるまで考えたことなかった。
だって私には大人の記憶がある。
幼い子供は保護対象になり得ても恋愛対象にならなかった。
だけど子供は成長する。
この世界の子供は大人になるのがすごく早いのだ。
多分前世の私なら、レインを二十歳だと紹介されても疑わないだろうほどに。
上手く気配を消して湖側の生垣の陰に隠れたつもりがすぐにレインに見つかった。
もう少し、もう少しだけ、できればそっとしておいて欲しかった。
心の整理がついていない。
自慢ではないが私は恋愛経験浅いのだ。
婚約者はいるもののお付き合い自体すっ飛ばしているので前世と合わせてトータル五十年近い年月で恋人というものを持ったことがない。
慣れていないのだ。こういう色恋沙汰は。
友人知人、同僚の愚痴や惚気を聞かされて、漫画にラノベ、ドラマに小説、知識だけはあったって、私の恋人になりたいなんて物好きはいなくて。
それがいきなり恋愛期間無しで五人の婚約者持ち。
もしかしたら私がそういう意味で大人になるのを待っていてくれていたのかもしれないけど、実際そういう場面に直撃すれば、覚悟なんて、ホントは全然出来ていなくって、外見が前世のままだったら、オバサンがイイ歳して何を言っているのだと呆れられるか、気持ち悪いって言われても仕方ないかもしれないけど。
だってしょうがないじゃないっ!
私は前世で男性諸君に見向きもされなかった男らしい女。
意地っ張りで可愛げがないと吐き捨てられた女。
男より男らしいと称された女だったのだ。
そんなキラキラしたものに、全く、全然縁がなかったんだもの。
それもズラリと居並ぶ目にも眩しいイケメン陣に口説かれる未来なんて想像してなかったんだから。
実際一度死んでいるのでそれを未来と言って良いのかどうかは疑問だが。
「・・・ハルト、良かった。ここにいたんだ」
ガサリと音を立てて枝をかき分け、レインが芝の上に膝を抱えて顔を伏せ、蹲った私の前に膝を付いて座った。
この状況、初めてレインと会った時と逆だ。
「探したよ? 僕、なんかハルトの気に触るようなことしたかな?」
手を地面に付いてそっと私の前髪に触れようとして、ビクリと反応した私にその手を止める。
そんなレインに私は首を小さく横に振った。
「言ってくれなきゃわからないよ?」
だよね。だと思う。
だって、
「・・・ごめん。私もわからない」
ただ何も考えられなくなって、私は情けないことに結局逃げ出したのだ。
いつも逃げてもどうにもならないと言ってる私が逃げてどうする?
これじゃあみんなに説教なんてもう出来やしない。
「わからないのに僕から逃げたの? どうして?」
聞かれて少しだけ躊躇い、消え入りそうな小さな声で答える。
「・・・多分、恥ずかしかったから」
「なんで恥ずかしかったの?」
それを聞くのか。
結構レイン、容赦ないなあ。
まあハッキリしない私が一番悪いと言えば悪いのだが。
私はボソボソと呟く。
「・・・いつもよりレインが」
「僕が?」
グッと言葉に詰まったものの更に小さな声で漏らす。
「急に、大人に見えて吃驚した」
本当は全然急なんかじゃない。
少しずつ、少しずつ大人に近付いてたんだ。
私がそれに気付こうとしていなかっただけで。
バツが悪くて顔が上げられないでいるとレインが嬉しそうに声を上げる。
「だったら嬉しいよ、すごく。
だって僕は早く大人になりたかったんだ。
ハルトが認めてくれる大人に」
そうレインに言われて私は思わず顔を上げた。
そこには言葉通り、本当に嬉しそうなレインの顔があった。
真っ直ぐ見つめ返される瞳にドキドキした。
「だってハルトは僕をいつも子供扱いしてたでしょ?」
そう、子供扱いしてた。
護らなきゃいけない子供だって。
レインはそれをちゃんとわかっていたんだ。
「だから僕は飛び上がりたいくらいすごく嬉しいよ?
それはやっとハルトが僕を隣に立てる存在だって認めてくれたってことでしょう?」
確認するように言われて口籠もる。
確かにもう子供扱い出来ないって認める。
でも私には今、既に大事な人達がいる。
家族より大切な、家族より大事にしたいと思ってる、本当の家族になりたいと思う人達が。
それを考えると素直に頷くことが出来ない。
「でも私には・・・」
「イシュカやガイ達がいる。でしょう?」
言おうとしたことを言われて私は目を見開く。
そしてレインは微笑って言ったのだ。
「そんなのとっくに知ってるよ。
だって僕はそれをずっと後ろから見てきたんだから。
ハルトの隣に立つイシュカやガイの姿を。どんなにハルトがイシュカ達を大事にしてるか僕は誰よりも知ってる」
そうだ。
レインが知らないはずがない。
だってレインは私達の後ろでいつも守ってくれていた。
今の自分に出来ることをと、支えてくれていたのだから。
「それでも僕は諦めないよ? ハルトがイシュカ達と結婚しても。
僕の前に何人いてもいいよ。
それでもいつか、絶対、何年掛かっても僕が一番になってみせるから。
今は一番ビリでもいい」
それは私にあまりにも都合が良すぎではないか?
既に持っているものを手放したくないって、全部欲しいって抱え込む、まるで我が儘で強欲で、自分勝手なジャイ◯ンだ。
「ハルトの『好き』に加えてくれるなら僕はこれからも頑張ってのし上がる。
だって一番下だって言うのなら、後は這い上がるだけでしょう?
僕はもうメゲて落ち込んだりしない。
ハルトが僕に顔を上げて前を向く力をくれたんだ。
だからハルトが見ててくれるなら世界で一番イイ男になって、いつか絶対ハルトの一番を取ってみせるよ」
その言葉に私は何も言えなくなって、
ただ差し出された掌を、
ついウッカリ、握ってしまったのだ。