閑話 シューゼルト・ラ・デキャルトの日常 (2)
それからは本当に繁忙な日々が続いた。
しかしながらやりがいのある仕事。
親子ほど歳の違う年下であっても尊敬すべき上司。
文句などあろうはずもない。
ビニールハウスの問い合わせは最初の内は主に地方貴族からではあったが、ハルウェルト商会の紹介もあってデキャルトの試験運用の様子を見学したいと幾つかの領主がやって来たとベルデンから文も届いた。
地方では食料自給率が低く、困っている領地は少なくないからだ。
しかも設備自体は高価であってもリース契約というものを活用できるため初期費用が安く抑えられるのも経済的に困窮しているところには魅力的だ。
初めてその契約形態をお聞きした時には驚いたが。
相手の都合をある程度聞き、無理のない範囲の予算で設置出来る設備。ろくに会ったこともない相手とそのような契約を結んで良いのかと。
「大丈夫だよ。だって抱えて逃げられやしないもの。
ビニールハウスは大きくて動かせないものだからね。その心臓部の場所は契約者にしか教えていないし、その人とウチのメンテナンス部にしか解除出来ないようにしてある上に台から外せば壊れるように設定してあるもの。仮に上手く持って逃げたとしてもそれを展開すればすぐにわかる。懐に隠しておける大きさじゃないんだから。
まあ詳細な設備起動方法を知らなきゃどのみち盗んで逃げたところで他の場所で新たに展開出来やしないけどね」
成程、聞けば納得の理由だ。
そういうわけでビニールハウスは農地拡大を狙えるとあって興味のある地方領主や大地主の方々が多くデキャルトを訪れ、様々な特産品をついでにと見てお帰りになることが増え、お陰で本来の畜産業の方の他領との取引も増えてきたという。
本当にありがたい限りだ。
そしてまずは第二試験運用地としてグラスフィートに、続いて隣接する辺境伯領にと建設され、その先々にハルト様はロイやテスラ、サキアス、ヘンリーなどを共に連れてお出掛けになり、ご自分の目で確かめて問題点を指摘しつつ、改善案を御提示され、順次契約設営していった。
お忙しいのだから部下に任せたらどうかという声も上がる中、こういうのは最初が肝心なんだよと仰って。
そうして評判が評判を呼び、その問い合わせは海外からも届くようになる。
まさに私がお役に立てる場面だ。
契約関係の話では必ず商業班幹部が側に付いていてくれたこともあり契約などで困ることもなく、彼等のその手腕を目の当たりにするにつけ、如何に私が足りないことだらけだったのかと理解する。
彼等は下調べから準備、その危険性、相手の人柄まで想定、計算して動く。
驚くほどに用意周到だ。
あらゆる可能性を考えて、失敗した場合の対応など先々まで考え、対策を打つ。
一度話し合ったから『良し』ではない。
分野の違う専門家達を集めて問題点を洗い出す。
それは開始前だけではない、施行後も続くのだ。
「本当にすごいですね。ここに来て私はどれだけ自分の考え方が甘かったのか思い知らされます」
これだけの頭脳が揃えられなかったというのは言い訳だろう。
私達は身内だけで話し合い、他者を殆ど頼ろうとはしなかった。ここでは足りない人材であれば即捜索、調査、確保に走る。
決して楽観的に考えず、大勢で話し合い、ここ、アレキサンドリア邸の敷地内の大小合わせて十以上もある会議室で何度も何度も検討、会議を行うのだ。
今日もビニールハウスの取引先が増えたことによるメンテナンス管理の話し合いが持たれたのだ。
ハルウェルト商会では管理が必要な商品は売り付けて終わりではない。
二年間の半年毎のメンテナンス契約が含まれた状態で販売されるのだ。通常の扱い方をしていて壊れれば無償で修理出来る契約。以後は希望に応じて継続するか否かを客に決めさせる。一度継続を破棄すれば以後は問題が発生すれば修理費が掛かる。継続契約すれば消耗部品以外の技術料は無料になる。
そしてそれらの修理データから更に改善策が練られていく。
勿論、それは購入契約時にしっかり口頭で説明され、サインを頂くのだ。
私は会議に出席させてもらいながらその内容を聞いていたのだが本当に驚くばかりだ。
技術者であるミュウゼがそんな私の様子に小さく笑った。
「みんなハルト様の影響ですよ。
彼の方は仕事に関しては何事も慎重に慎重を重ねて行動を起こします。
普段は大雑把でおおらかなところもあるんですが客商売は信用が第一、手を抜いて良いところと悪いところの区別をつけろとよく仰います。
やると決めたからには後で後悔しないように今ある全力を搾り出せと。
それでも失敗することは勿論あるんですけどね」
それはそうだろう。
これだけ大きな商会だ。動けばその規模も大きくなるし、その数も、なさねばならない案件だって多いだろう。
「ハルト様は全力を出し尽くした結果ならどんな損害を被ろうと私達を責めることはありません。全ての責任はそれでOKを出した自分にもあるのだから失敗を反省し、同じ過ちは繰り返すな、次に活かせばそれで良いと」
「手を抜けば勿論叱られますけどね」
「休みの日に遊ぶのなら止めはしない、好きにしろと。どんなに忙しくても休日はしっかり取れとも言われますけどね」
ミュウゼを補足するようにオルカとグイラ、リラインが言った。
「他の商会だったらそうは言わないよな。
出来ないなら休日返上で働け、何が何でも間に合わせろって言われるのが普通だ」
「そうそう、俺等は使い捨ての部品。失敗は全て部下の責任、即クビだろ?
でもここじゃ頑張っても無理なら期日も予算もなんとでもする。責任の取れない半端なものを売りに出すな。疲れた頭じゃ良い案も浮かばないし身体を壊したら元も子もないから駄目だ、休息は取れ、だろ?
自分はロクに休みも取らないのに。
っていうか、多分予定が詰まってて取れないんだろうけど」
リラインの言葉にハルト様の行動を思い出す。
そういえばハルト様がまともに休暇を取られているのを殆ど見たことがない。
夕方からはゆっくりしているから良いんだよと御本人は仰っているが、ロイやマルビス達の話を聞けば遊んでいるわけでもない。商品開発や今後の展開、警備体制強化など側近の方々の間で話し合っていたり書物を読んでいたりと、とてもじゃないがゆっくりしているとは言い難い。
更には何か問題が起これば最速で即時行動をなされるのだ。
これだけの大商会だ。
問題が起きるのは最早日常茶飯事。
それに加えて魔獣などの出現を聞けば速攻で討伐の指揮を取り、最前戦にお立ちになる。本人は休ませてもらっていると言うがいつお休みになっているのだろうかと不思議なくらいだ。
「だからだろうな。時間が少し空くとたまに椅子とかでうたた寝してるんだよな。そうするとマルビス様やイシュカ様達が抱き上げてベッドまでお連れしてるけど」
グイラのその言葉にリラインが自分の目尻を目一杯指で押し下げて口を開く。
「こ〜んなにヤニ下がった顔でな。
まあそれもわからないでもないけど。
ああいう時くらいだもんな、ハルト様が無防備なのって」
「絶対俺らに抱き上げさせてくれねえもん」
「婚約者の特権ですからってな」
彼等の会話を聞いているとどれだけ彼の方が慕われ、大事にされ、尊敬されているのかがわかる。
自分達より遥かに歳下の子供。
だが子供というには大人びた、大人顔負けの考え方と思考、行動力を持つハルト様に対して反感や反抗的な態度は見られない。
私の見えないところではあるかもしれないとも考えたのだが不穏な空気や蔑むような言葉遣いや視線、そういったものがまるで感じられないのは本当に不思議だ。大きな組織になればなるほどそういう影というものが大きくなりそうなものであるというのに。
彼等の口から出るのはまるで自分のことのようにハルト様を自慢するような言葉ばかり。揶揄うようなそれにも親しみが込められて悪意というものがみえない。
するとコンコンコンッと戸口から扉を叩く音がして彼等が一斉にそちらを見る。
そこにマルビスの姿を認めて慌てて口を噤む。
「余計な話はそれくらいにして下さい。
貴方達にはまだ仕事が残っているでしょう?」
マルビスのその言葉に彼等はガタガタと音を立てて慌てて椅子から立ち上がる。
「あっ、そうだっ、いけねっ」
部屋から飛び出して自分達の仕事に戻って行くオルカ達をマルビスが苦笑して見送る。
「ハルト様は本当にみなさんに好かれているんですね」
私がそう溢すとマルビスは大きく頷いた。
「勿論です。ここで働いている者は多少なりともハルト様に助けて頂いてこちらで働くようになった者も多いですから。
感謝しているからこそでしょう。
ですから反感を持っている者がいたとしても、その大多数は彼等のその意識に染められてしまいます。
朱に交われば赤くなるとも言うでしょう?
ガイはそれをハルスウェルト教団信者の洗脳教育と笑って言いますが」
なるほど、それはなかなか上手いことを言う。
私達一家のように彼に救われた者であるならば平民の間では勇者とも讃えられているハルト様の下で働くのは光栄の至であり、恩返しでもあるのか。だからこそその話を周囲に何度も何度も話し、それを聞かされる者は似たような思考に陥るわけだ。
アンディにも聞いたことがある。
彼は彼が関わった事件の被害者やそれで職を失った者の殆どを雇い入れ、教育を施し、住処として寮を格安で提供していると。
「雇用条件に於いても我がハルウェルト商会はシルベスタ国内でも屈指のものです。ここを辞めて他に就職してもここほど良い労働条件で雇ってもらえるところは皆無にも等しいでしょう。ですから尚更他に移ろうなどと考える者は殆どいません」
才能があれば工房が与えられ、頑張れば頑張っただけ評価され、それは給金上乗せという目に見える形で返ってくる。それは働く者に自信とやりがいを持たせる。そして調子に乗ろうにも国家に、商会に貢献し、多大なる恩恵をもたらしている存在が自分達以上に働き、功績を上げているとなれば反論、抗議も出来まい。
努力もせず、自分の務めを果たさない者に対しては彼はとても厳しい。
そしてその判断に文句を付けようにも彼の存在がそれを許さない。
彼は驕ることなく自分の役目以上のことをしっかりと果たしている。
自分達よりも遥か年下である彼、ハルト様自身が。
ハルト様はここにいる者の象徴でもあるのだ。
本当にガイの比喩はまさしく正しいとも言える。
「そういう意味では既に私もハルスウェルト教信者と言えなくもないかもしれませんね」
領地を、家族を救って頂いた御恩。
一生を掛けてお返しして行きたいと一家親族一同の共通の認識。
彼の方に言わせると肩代わりしたわけではないから御礼を言われるほどではないと仰るのだが、給料天引きで引かれるとはいえ生活に必要な分はちゃんと給金も支給されているし、休日返上で仕事となれば特別手当も別で即日支払われる。
タダ働きは駄目でしょうと。
ここは居心地が良過ぎるのだ。
従業員達が居付き、ここでずっと働きたいと思わせるほどに。
「今は講師のために王都の別邸におられますが、雑用その他がない分だけあちらでの生活の方がむしろのんびりとされているくらいです。
今は溜まった事務仕事を片付けてくださる貴方もいらっしゃるので安心なされていることでしょう。
去年は王都から戻ってくる度に机に積み上がる書類を見ていつも深い溜め息を吐かれていましたからね」
マルビスが思い出したようにクスクスと笑う。
毎日のように執務机に積み上がる書類。
それが一ヶ月分ともなれば・・・
想像出来た光景に唖然とする。
「あの仕事量を一人でこなしていたんですか?」
大人でも悲鳴を上げたくなる量だ。
それを僅か八歳の子供がこなしていたのか?
「一応ロイが手伝っていましたよ。ロイはハルト様専属の秘書でもありますから。
ですがハルト様でなければならないものも多かったので。ですから私達は貴方が代行として来て頂いたことに感謝していますよ。これで彼の方にも少しはのんびりして頂けますから。
彼の方は働き過ぎなのですよ」
商会オーナーとしての仕事もこなしつつ、魔獣が出れば討伐に、問題が起これば即座に対応、片付けて、その傍で商品開発?
いったいどれほどの仕事をこなしていらっしゃったのか。
そしてその仕事を補佐していたのは主にロイと目の前にいるこの男なのだろう。
「それは貴方もではないのですか? マルビス」
「私は良いのですよ。仕事は私の趣味ですから。ハルト様のお考えになる商品や施設は大変面白く、大いに稼がせて頂いてます」
趣味が仕事、か。
この男らしいと言えばらしいが。根っからの商人なのだろう。
「この間も面白い娯楽施設の提案をなされましてね。例のビニールハウスを利用したものなのですが、もしかしたらこの先、貴方の故郷、デキャルト領での運営もお考えになっているかもしれませんよ?
暫くは農業改革のお仕事が大変なので勘弁してくれと仰っていましたが、その詳細を別邸に付いて行ったテスラが今回の講師期間に聞き出しておいてくれるという話ですからそれも楽しみですねえ」
マルビスの口から出た我が故郷の名に驚いて目を見開く。
「デキャルトで、ですか?」
「ええ、あの頭の中には既に二つの構想があるようです。
ビニールハウス運用が安定してから、ということでしたけどハルト様の御父上、旦那様も乗り気です。御長男のアルフォメア様と話し合って是非グラスフィート港辺りに一つ建設したいと」
二つの企画を考えていらっしゃるということは、残りのもう一つをデキャルトの方にということ、なのか?
「ですからベルデン様には是非頑張って頂かないと。
農業改革が成功すれば、ここアレキサンドリアと王都、グラスフィートに次ぐハルウェルト商会提携の娯楽施設の建設計画が待っています」
「本当ですかっ」
それはまさに願ってもない、夢のような話。
私が思わず確認するように聞き返すとマルビスは笑って頷いた。
「本当です。楽しみですねえ。
ハルト様とテスラが組むと実に面白い提案が出てきますから。
彼の方の出される企画を現実のものとするにはテスラの存在が必要不可欠です。あの男は面白い発想、発明などに目がないので、ハルト様のそういった思考を加速させることが多いですから」
側近の中でも一際目立つ美しい容姿と声を持つあの男。
私の中ではそれ以外での印象が薄かったのだが。
「そう、なんですか?」
「まだシュゼットは見たことがないのかもしれませんが、あの男は普段あまり口数が多い方ではないのですけど興味のあることになると途端に饒舌になります。自分の好奇心を満たすために根掘り葉掘りと、それはもうシツコイくらいに聞いてくるんですよ。
ハルト様は夢中になってお考えになると他のことが一切抜け落ちる困った癖がありましてね。ですから外ではハルト様のお側には必ずイシュカかガイ、ライオネルが付くようにしているのですが、ガイはそれを『病気』と言ってます。テスラはそれを利用して誘導し、聞き出すのが上手いんです。だからこその開発部担当なのではありますけど」
つまり彼もハルト様にとって欠くことの出来ない存在であるということなのか。
サキアスはもともと高名な研究者でもあったし、キールは彼の考案する商品を販売するのにも欠かせないデザイナーだ。
足りないところだらけの自分を補い、助けてくれるのが彼等だと、ハルト様はいつも自慢げに語る。
「本当にここには目を見張る人材が揃っていますね」
「それもハルト様あってこそ集まった者達です。
結局は私達は彼の方の私設親衛隊みたいなものなのですよ」
親衛隊か。武力的な意味の身辺警護から私生活、仕事のサポートまで、各々の役割があるということか。
「信者ではなくて、ですか?」
「彼の方は私達にとって崇拝すべき偶像ではなく家族なので」
私の問い掛けにマルビスはそう答えた。
家族、その単語に思い出した事実。
「そういえば、貴方がたは婚約者でもありましたね」
その年齢差は実に十歳以上。
親子ほど違う女性を金で娶るように迎入れる貴族もそれなりにいるが、子供と言える年齢で歳上の男を多数婚約者として受け入れているのは稀で滅多にない。
「私達にハルト様以上に大事な者はいないので。
彼の方の側にいられるなら本当は肩書なんてなんでも良いんです。
ですが私達はどうしても彼の方の特別になりたかった」
その他大勢のままでは嫌だったということか。
だからこそ婚約したと。
それでもハルト様の年齢を考えればどうなるかまだわからない。
「彼の方にこの先、特別な人が現れたとしても、ですか?」
以前跡取りはどうするのかと、そう聞いたことがある。
男の婚約者ばかりでは子は成せないと。
その時は別に他の誰か、優秀な子供を見つけて養子縁組すれば良いから問題ない。みんなで跡取り教育するからと仰っていた。これだけ優秀な者達に揃って教育を受ければ一体どんな子供が育つのかとも末恐ろしくもあったのだが、今はいらないと言っていたとしても将来自分と血の繋がった子供が欲しいと言う未来があるかもしれない。
そうなれば彼等は多分一番にはなれない。
するとマルビスは迷いない瞳でキッパリと言い切った。
「関係ありません。それも覚悟の上です。
私達はそれでも彼の方から離れるつもりがないだけなので。
別に貴族の方々の間では特に珍しいことでもないでしょう?
この国では重婚も認められていますし、優秀な部下を身内として留めておく手段として結婚なされる方もおいでになるくらいですから」
そういうことも確かに無くはない。
結婚は一つの契約手段として考える者もいるからだ。
縁戚を結んでしまえば裏切られるリスクが減るからと。
ロイは静かに微笑んで口を開いた。
「私達はハルト様が大好きなんですよ。
お側に居られるなら女性も、子供もどうでもいいと思えるほどには。
それに彼の方の子供なら私達はきっと可愛くてしょうがないでしょうしね」
だからそれも許容できると?
「きっと彼の方は間違いなく目を見張るほど美しく成長なされると思いますよ? そうでなくても私達の想いが変わることはないでしょうけど。
私達は彼の方の在り方と生き様、才能、優しさに恋したのですから。
彼の方が彼の方のままでいて下さる限り、どんな御姿に成長しようと私達のそれが揺らぐことはありません」
「 ハルト様は無意識に人の心を揺り動かす、鷲掴みにするような言葉を口になされるときがあります。
ハルト様の口にされる言葉の魔力、というべきでしょうか。
それは行動が伴っているからこその説得力を持ってその者を陥しにきます。ある意味非常にタチが悪いのですが、それに救われた者も多いのですよ。
だからこそ、ただ、外見に恋したわけではないからこそ、美しく成長なされたなら今よりもっと夢中になるでしょうね。
つまり私達が彼の方に恋焦がれる未来は既に確定しているようなものです。ハルト様が子供だとわかっていても見惚れているくらいなのですから」
そう言って小さく微笑うマルビスの顔は間違いなく恋する男のものだった。
そしてそれからの二年半、本当に忙しい日々の連続だった。
デキャルトでの農地運用が軌道に乗り始め、二年目にして規模はまだ小さいが一面の小麦畑が実現したその同年、グラスフィート港でハルウェルト商会と提携する形で珍しいフルーツをふんだんに使ったスイーツ店を配しての南国植物園がオープン。
今ではハルウェルト商会の客船運行もあって諸外国との交流も盛んになっていて、フィガロスティア殿下の取り仕切る国際貿易センターからの依頼も多く、貿易は更に活発になった。
そして兼ねてより計画なされていたデキャルトでの大規模な果実狩り施設計画もいよいよ本格化してきている。
勿論、ビニールハウスを介しての他領との取引も盛んになり、ハルウェルト商会では新たに提携する領地や諸外国との連携、管理を担当する外商班がハルト様が講師を終えられた来年から設立されることに決まった。
夏にはハルト様の側近の一人であるライオネルと娘のアニスが結婚、めでたいこともあった。
そして冬には本格的に自分本来の仕事、商会オーナーであり開発部門のトップとしてのお仕事にハルト様が戻られることになり、私の代行としての仕事も少なくなってくるので来年より商業班の補佐を付け、この外商班を新たに任されることになった。
勿論、それに否はない。
私の力が存分に発揮できる場を与えられたのだ。
張り切らない方がおかしい。
そして最後の講師業を終えられて屋敷の戻られた年末、ルストウェルでウォーグの出現が確認され、ハルト様は早速アレキサンドリア騎士団の精鋭達を連れ、討伐に向かわれた。
その後、そのまま向こうで休暇を取ってくると言って。
ロイとマルビス、テスラは残った仕事を私と共に片付けてからハルト様を追いかけるという。
一刻でも早くハルト様を追い掛けたい三人は手際良く仕事を片付けていく。
それでも流石に長時間働き過ぎだとカラルが持って来てくれたお茶と茶菓子に私達はひと休憩取ることにした。
「貴方がたは本当に彼の方が大好きなんですね」
本当に寸暇を惜しんで少しでも早く彼の方のお側に行こうとする。
私のそんな言葉にマルビスが何を今更という顔で答える。
「当然でしょう? 嫌う理由が全くないのですから」
惚れた欲目というものか。
ハルト様にも欠点がないわけではないのだがそれすらも愛しいのだろう。
私にとっても彼の方の欠けたところは自分がお支えすべき点ではあっても評価を下げるものとはならない。目に余るような酷いものが思いつかないあたり、私も大概なのだろう。
「それで婚約者としての席順は決まったのですか?」
先日の話をふと思い出し、尋ねてみる。
特に口出しをするつもりは無いけれど、立場上、尋ねられることもあるだろう。
教えて頂けるのなら把握しておいた方が良い。
そう思って尋ねた私にアッサリとマルビスが答える。
「一応。名目上ではありますが」
既に決まったのか。
こういうことは多少なりとも揉めて時間が掛かるものだと思っていたのだが。
「お聞きしても?」
「イシュカとガイは変わりません。後は商会統括の立場から次席で私、ロイ、テスラの順でということになりました。
彼の方に順番は決められないというので私達の方で勝手に。
勿論ハルト様が反論なされて御自分でお決めになるというのであればそれに従うつもりはありましたが、責められると思っていたらしい彼の方は目を白黒させてましたけど」
その時のことを思い出したのかマルビスはそう言って楽しそうに笑った。
随分とあっけらかんとしている。
しかもハルト様に決めて頂いたのではなく、その目の前で自分達で決めてくるとはまたなんと言えばいいのだろうか。
「良いのですか? それで」
とりあえずハルト様がそれで良いというなら彼等が納得してのことであれば私が口を挟む問題でもないのだが。
「良いも悪いもありません。所詮名目上のものですし、ハルト様に順番を決めてくれと強制するわけにはいきません。
もともと最初は私達がその立場を賜わったのは縁談避けが理由でしたからね、今更です」
釈然としない私を見てロイがそう教えてくれた。
「そう、なんですか?」
その経緯を聞けば確かに誰が一番好きなのだと詰め寄るような行動は憚られるようなところではあるけれど。
「あの頃はまだ観光開発事業も計画段階でしたから。
他国の姫君との縁談が持ち込まれましてね。お断りするその理由作りのために。ハルト様を入婿で他所に取られるわけにはいかなかったのです。
身分の低い、親子ほど歳の違う男の婚約者を複数抱える男のところに娘を側室として送り込む王侯貴族はいないだろうとマルビスの提案がキッカケではありましたが一番最初の候補は私でした。
私の外見が彼の方の好みらしいというのが理由でしたが」
ロイが思い出したように口にした。
そういえば品のある色気のある年上の方がお好きだというのは辺境伯夫人と嬉しそうに会話しているのを拝見して察してはいたけれど。
基本的に彼の方は面食いではない。
美しい者が嫌いなわけではないがオマケみたいなものだと。
お側に居させて頂いた三年の間でハルト様が『素敵な人だね』と仰ったのは外見が美しい人ばかりではなかった。
どんなに美しい御婦人、御令嬢にお会いになってもその外見に殆ど興味を示されず、流行や噂話に興味を示されることもないまま作り笑いを浮かべ、自分の娘を側室に押し込もうとアピールしてくる貴族の方々を醒めた目で見ていた。御令嬢には難しい政治経済情勢の話などをワザと振り、関心を示さず言葉に詰まると言葉では謝罪しつつも明らかに興味を失くしているのを見て、聡明な女性がお好きらしいのは理解していた。
彼の方にとって伴侶とはアレキサンドリア領とハルウェルト商会を一緒に背負って歩いてくれる者、流行は追うものではなく作り出すものですからねとマルビスに笑ってそう言われ、成程と納得した。
だからこそ彼等五人を婚約者を選んだのかと。
だがそんな裏事情があったとは知らなかった。
「私達はハルト様に拒否されないのをいいことにそこに付け込んだのです。
愛され慣れてなかったというのも理由の一つでしょうが彼の方は好意を持つ相手からの押しに弱いところがありましたので。
ですが今ではどういう意味であるかは別として、ちゃんと愛されてる自覚も私達はありますよ? 他の者には見せない顔も、私達には見せて下さいますから」
マルビスがそう嬉しそうに言う。
それはそうだろう。
私を含めたその他大勢と彼等に向ける笑顔は全然違う。
いつも毅然とした大人の顔を見せているのに彼等の前では年相応の子供の顔に戻る。それだけ彼等がハルト様にとって特別な存在なのだ。
「とりあえず私達の間ではその順番です」
付けられたとりあえずというロイのその言葉に私が反応するとマルビスが微笑う。
「後はレイン様次第です。
彼に私達の間に割り込む覚悟があるのなら彼が第一席になるでしょう」
その言葉に思い出したのは立派な体格のレイオット閣下の次男。
「ハルト様はずっとレイン様を子供扱いしてきました。
あれだけ大人びていればそれも致しかたないことなのでしょうけど」
テスラの言葉を否定できない。
それは私も思っていたことだからだ。
並の子供では話し相手にもならないだろうと。
大人と対等以上に会話が出来るのだ。それでも子供の中にいる時に揉めないのは彼の方が一歩引いたところから子供に合わせて保護者のように見守っていたからに他ならない。
だが既にレイン様も子供と呼べない歳になった。
「彼の方はしっかりされていますが、愛情に飢えたところがあるのはお気付きですか?」
少しの間を空けてロイが私にそう問い掛けてきた。
「それは、はい。なんとなく、ですが」
時折見せる不安そうな顔。
それは彼等が年頃の女性と話していたり、自分以外の者を優先しているように見えるような場面。だが嫉妬というような激しい感情というよりも、上手い言葉が見つからないのだが、怯えたような、そんな表情を僅かに覗かせる。
決して彼等はハルト様を差し置いているわけではないのだが、立場上会話を切り上げられないこともある。彼等は平民、ハルト様と正式に結婚すれば侯爵ではあっても籍はまだ入っていないのだ。
それでも彼等はそれに気がつくと彼女達が帰るとその償いとばかりにハルト様を抱き上げて甘い表情と言葉で語るのだ。
貴方が一番ですよと。
そうすると安心したように、花の蕾が綻ぶように笑うのだ。
「原因は色々とあるのでしょうが、私達が彼の方のお側にお仕えするようになった頃には既にあのような感じでした。様々な功績に対して不似合いなほどに自信が無い、愛され慣れていないというべきでしょうか。
自己肯定感が驚くほどに低いんです。
まるで自分にはその価値が無いとでも仰るかのように」
それは私も感じていた。
男は総じて、特に貴族の男というものは承認欲求と自己顕示欲が強い傾向がある。
だがハルト様はそれらが驚くほど低い。
それこそハルト様をよく知らない他者からみれば謙遜どころかか下手をすれば嫌味になりそうなほどに。
「仮に、私一人をそういう意味で愛してお側において頂いたとしても、ハッキリ言うなら情けないことに私には彼の方の心に空いたその穴を一人で埋める自信がありません」
マルビスがそう苦笑して言った。
彼はそれだけハルト様の心に空いたその穴が大きいと感じているのか。
「それは貴方がたも、ですか?」
「まあそう、ですね」
私が残る二人に問いかけるとテスラ小さく笑って頷いた。
そしてロイが口を開く。
「私達はハルト様よりも十以上歳上です。順当にいけば私達はこの先、彼の方を残して逝くしかなくなる。ですがひどく寂しがり屋の彼の方を一人きりで置いて逝くことはできませんし、したくはないのです」
彼等の言いたいことは理解した。
どんなに彼の側にずっと居たいと願ったところで人間には寿命というものがある。それは誰にでも等しく訪れるものであり、避けられないものだ。
彼等の歳はハルト様の倍以上。
ロイは少しだけ俯いて寂しそうに微笑う。
「ですからレイン様には是非頑張って頂きたいと私達は思っているのですよ。歳も近いレイン様であれば、少なくとも私達よりは長く彼の方のお側に居て差し上げられるでしょうから。
自分よりも一瞬でいいから長生きして欲しいと口にした彼の方の可愛い我儘をできる限り叶えて差し上げたいとは思ってはいるのですが、現実的には厳しいとしか言えませんので」
置いて逝かれたくない、か。
確かに愛する者から言われるのならこんな可愛いおねだりはないだろう。
だが歳が近ければ努力しますでなんとかなる可能性が高くても二十近く離れていればそれも厳しいのは間違いない。
勿論それだけが理由ではないだろう。
レイン様は侯爵家御子息。彼等は平民、もしくはもと貴族。万が一の事態が起きてどこかの高位の貴族の姫君でもハルト様が娶らなければならないような状況に陥った場合、彼らだけでは強引に第一夫人に押し込まれる可能性がある。だがレイン様がそこに座れば割り込ませることもできまい。名門レイオット侯爵家の御次男を押し退けてそこに座れる存在は現在皆無に等しい。
つまりハルト様に望まぬ縁談を持ち込まれる可能性は激減するということだ。
彼等が納得してそれでいいというのなら私が口を挟むのは違うだろう。
彼の方、ハルト様はそれだけこの者達に愛されているのだ。
私はふと、彼の方が今魔獣討伐に向かわれていることを思い出し、ルストウェルの方向を見遣るとマルビスがそれに気がついて口を開く。
「大丈夫ですよ。イシュカ達も付いていますし、この程度はハルト様からすれば日常茶飯事。彼の方は自覚こそありませんがシルベスタ王国一の軍師です。安全第一、無理をなされる方でも部下に無理を強いる方でもありませんから」
確かに。
彼は今までそういった事件で怪我人を出したことはあっても死人を出したことはない。『聖属性持ち国内最高魔力量の御主人様がついているんだから御主人様さえ無事なら後はどうとでもなるもんだ』と、ガイがよくそう言っていたのを思い出す。
現在聖属性を持つ者が多く在籍しているのが神殿だ。
確か王都の大僧正が魔力量二千二百程度だったはず。
聖騎士から前近衛連隊長となったフリード様よりも多い魔力量、八歳の学院入学前に既に魔力量三千を超えていたハルト様が聖属性持ちの中で最高魔力量というのは間違いない。神殿に抱えられる前に緑の騎士団軍事顧問の席に就いてしまったために神殿で抱えることが出来なくなり、当時は相当揉めたらしいという話も聞いている。
どれほどの魔力量を持つのかは討伐現場に出ない私は存じ上げないが、相当に多いことはお聞きしている。話から推測するに、おそらくはこの国最高魔力量と言われている連隊長よりも多いのではないかと思われるが騎士や警備にも知らされていないとなれば極秘事項、私の仕事に関係ないことであれば聞かない方が無難だ。
秘密というものは知らなければ話したくても話せない。
ならば知らない方が良い。
今頃はそのハルト様は現場に到着して領民の避難か討伐準備でもされている頃か?
状況からすれば数日でカタが付くとは思えないが。
そう思っていたのだが、翌日夕方、とんでもないモノを連れて屋敷にお戻りになったのを見て、私は思わず顎が外れそうになった。
そんな驚愕をもたらされるのもまた日常。
本当にこの方には規格外という言葉がよく似合う。
だが、その規格外さに救われた者が大勢いる。
きっとこの方はこれからも私を驚かせ続けてくれるのだろう。
檻に入れられたウォーグを見て、つくづくこの瞬間、そう感じたのだった。




