第五話 何事も想定外はつきものです。
日暮までの時間も短い。
とりあえず今夜のところは領民に被害が出ないように防衛ラインの構築だ。
ランス達が作らせていた風上の柵の中に供物たる家畜を入れ、ついでに大きな木桶にありったけのワインを水で割ってたっぷり注いぎ、一緒に置いておく。
酒呑み達が勿体ないとボヤいていたのが聞こえたがそこはあえてシカトする。
魔獣が興味を示すかどうかはわからないが日本の神話とかにも八岐大蛇に酒を呑ませて酔わせ、退治したという逸話もある。まずは警戒されないように弱い酒で試してみようということになったのだ。
アルコールが回れば足がフラつく。
美味しいと思って魔獣が飲み干せば明日は度数の高いものを薄めることなく注いで酔わせてしまおうという作戦だ。
そして食堂その他で集めた家畜の血を柵の周辺に撒き、風下の物見櫓に見張りを置き、銅鑼を鳴らしての合図を決め、討伐部隊の半分百名強は頑丈な建物に待機。残り半分は万が一家畜の方向に魔獣が向かわなかった場合に抜けてくると思われる場所に手分けして土壁を形成。一番通可能性の高い場所に残りの部隊を配置して夜に備える。
私は当然、ここに待機。
イシュカとガイ、ライオネルと頼りになる精鋭三十人も一緒だ。残りの警備はどちらにもすぐに駆けつけやすい物見櫓の位置に陣取る。
結局私は今日のところは気配を隠すことをやめた。
強者(自分ではそう思っていない)がここにいるぞと主張していれば、わざわざそちら側には向かわないだろうと言われて。
そうして冬の凍える寒い中、焚き火にあたりつつ温かなスープを飲みながら呑気に過ごしている。
「ギャジー、少しは落ち着きなよ」
私の言葉に呆れたような彼の声が返ってくる。
「よく落ち着いていられますね。俺は気が気じゃないです」
ギャジーの言葉に幾つかの小さな笑いが起こる。
わからなくもない。
イシュカにも聞いたけど、団長達魔獣討伐部隊、緑の騎士団も大捕物の時はピリピリした雰囲気がいつも漂っているっていってたし、それが普通なのだろうけれどウチの本部部隊はいつものことなので動じる様子もなく火を囲みながら和やかに食事を取っている。
「大丈夫だよ。ガイの危機察知能力は緑の騎士団団長とタメを張るよ? 危険が迫れば教えてくれる。交代で見張も置いてあるし、すぐに結界も展開できるように準備もしてある。出来る限りの準備はした。上手く作戦がハマってもハマらなくても明日もあるんだから最初っからそんなに気合い入れてると最後まで持たないよ。
肝心な時に真の力が発揮出来なかったら勝率だって下がる。休める時にはしっかり休んでおきなよ」
私がそう言うとギャジーは納得しきれないのか複雑な面持ちで焚き火の近くに腰をおろす。
すると離れた場所からギイスの明るい声で『みんなハルト様みたいに図太くないんですよ』という声が掛かり、本部隊精鋭陣からドッと笑いが起こる。
まあそのあたりは否定しませんよ?
事実ですから。
でもそれに笑っていられるみんなの神経もそれなりに太くなってきているのではないかと私は思うんですがね。
イシュカが火に掛けられたスープを鍋から掬ってギャジーに差し出す。
「ハルト様のスープはとても美味しいですよ?」
湯気の立ち昇るそれに彼の喉と腹が鳴る。
それに小さく笑いが起こり、キマリが悪そうにギャジーがイシュカからスープを受け取った。
今日のメニューはクリームシチュー。もっとも具材たっぷり過ぎてシチューというよりもクリーム煮といった感じが近いけど。やっぱり腹ごしらえは大事だよね。
「いつもハルト様が食事を作ってるのですか?」
ポツリと呟いたギャジーの言葉に私は頷く。
みんなが土壁や見張り台を作ってくれていたんだもの。
当然これはいつもの私の役割だ。
「こういう時はほぼね。
力仕事じゃ私はまだまだ役に立たないんだから出来ることは率先してすべきでしょ? ランスから聞いたことない?」
私も三年間でだいぶ成長したけど警護のみんなに比べたらまだまだ非力。土木作業などの重労働では役立たず。ならば私が私が出来る仕事をするべきなのだ。
「いえ、支部長がお側にお仕えしていた頃はよく御馳走になったと」
小さくギャジーが首を横に振る。
美味い、美味いってみんなで食べてくれてたあの頃が懐かしい。
「ランスには随分助けられてきたよ。すごく感謝してる。本当は側近としてシーファと一緒に側にいて欲しかったんだけどね」
信じられないという顔をしたギャジーにライオネルが付け加える。
「まだ自分では力も功績も足りないから自信を持ち、胸を張って側に居られるようになったら加えて下さいと、彼は自分で言ったのですよ」
あの頃はライオネルも側近ではなかった。
ライオネルより弱い自分が彼を差し置いて側近になるのはおかしいからと断られてしまったのだ。
別に強いから側にいて欲しいとか、弱いから相応しくないとか、私はそんなこと考えたことなかった。私は私が側にいて欲しいと思う人が近くにいてくれたらなあって思っているだけで。
でもランスとシーファが納得できない、必ず自分の力で私の側に仕えて見せると言ったから、私は信じて待つことにした。
だって二人は私との約束を一度も破ったことはない。
「支部長は一応三年ごとに変更予定でいるからね。警備員も三分の一くらいずつ二年で入れ替えて本部と全部の支部を回ってもらおうかと思っているよ。勿論事情があって動きたくないって人もいるだろうからその辺りは考慮してもらうように総括管理を任せてるライオネルにも頼んである。
自分の守るべき領地はみんなに知ってほしいからね。
本部と一つの支部じゃ人手が足りないっていう時には各支部から応援してもらわなきゃいけないし、みんなには仲間の顔は覚えてもらいたい」
「それは支部立ち上げの最初からお聞きしてますけど」
ここのルストウェル支部も例外じゃない。
今年の春から実行するつもりでいる。
「うん。だからね、アレキサンドリア領はみんなで守っていきたいんだ。誰かの責任じゃなくて、私も含めた全員の力で。だからたくさんの絆を繋いで、多くの友人を作ってほしい。
知らない赤の他人のために力は尽くせなくても、そこにいる友人のためなら駆けつけようって思うでしょう? 私達がランスやハンスの力になりたいって思って駆けつけたみたいに」
私はそう告げて微笑った。
領主の肩書きが相応しくも、似合ってもいない私だけど、でも、それでも大切な人達が大事にしている人ならば守りたいって思えるから、自分勝手な私はたくさんの大切な人を作ろうと思うのだ。
そうしたらこんな私でもみんなに相応しくあろう、頑張ろうって思うから。
地味に、平凡にって思ってたけど、大事な人が一人、また一人と増えるたび、自分が強くなれる気がするから、今はたくさんの人に注目される、こんな生き方も悪くないと思っている。
少しの休みとたまにちょっと長い休暇が取れるような暇くらいは欲しいケド。
そのくらいの贅沢は許されるよね?
「私はまだギャジーのことをよく知らないけどランス達が信頼してるんだもの。仲間の友達は助けたいって思うでしょう?
だから安心して?
責任も取らない、義務を果たさない人でない限り私は見捨てたりしないよ。
私の出来る範囲でしか約束はできないけど」
そこまで許してしまったら無秩序になる。
私はらしくないけど『領主』だ。
罪人を捕らえ、裁く立場でもある。
公平な立場で決定を下さなければならないこともある。
片方を立てればどうしたって片方はヘコむ。
下したその決定がきっと恨まれることも、反感を買うこともあるだろう。
もとより万人に好かれようとは思っていなかったことを思えばそれはたいしたことではないけれど、だからこそ多くの人の声が聞けるようにならなければならない。
ギャジーが空になったスープ皿を覗き込んでポツリと言う。
「団長は・・・いえっ、なんでもありません」
言いかけた言葉を飲み込んで否定する。
団長?
ああ、ギャジーの言う『団長』となるとゴードンのことか。
彼はゴードンの副官だったのだ。もしかしたらゴードンがウチに来ることになった経緯を聞いているのかもしれない。それを思えば慕っていた彼がウチでどう扱われているか気になるのも当然。
ならば安心させてあげなきゃね。
私はギャジーのスープ皿を受け取るとおかわりをよそう。
「元気でやってるよ。頑張ってくれてる」
だから大丈夫、安心していいとどうしたら伝わるだろう。
言葉というものはそれだけでは信用できないこともある。
よく知らない人や敵対している人、相手にあまりいい感情を持っていなければそれは尚更疑ってかかるだろう。
それが嘘ではないと信じてもらうには・・・
「そのうちギャジーが本部に出向してきたら会えると思うよ。彼はいつも頑張り過ぎだから少し長い休みで暇があったらウェルトランドの従業員向けの保養所でも利用して会いに来てあげてよ」
百聞は一見にしかず。直接会って貰えばいい。
自分の目で確かめれば私の言葉も真実だとわかるだろう。
いや、ゴードンが私に不満を持っていたらその限りではないのか?
まあそれならそれで身から出た錆、仕方ない。
長く勤めてくれたなら名誉挽回のチャンスも巡ってくるだろう。
私は私にできる限りのことをする。
そう決めたのだ。
私の言葉に驚いたようにギャジーが顔を上げる。
「・・・いいんですか?」
何故疑問系?
別に閉じ込めているわけじゃなし。
そんなに私は悪逆非道に見えるかな?
そりゃあいまだに王都の貴族の方々には地獄の大魔王の如く恐れられてはいるけれど、一応、平民受けはそこまで悪くないはず。
それは私の思い違い、勘違い、自惚れというヤツでしょうかね?
私はスープ皿を差し出して明るい声で答える。
「良いに決まってるじゃない。
但し、勤務時間以外にね。
ゆっくり時間を取りたかったら前もって手紙で休みを合わせるといいよ」
別に私は何も禁止なんてしていない。
一応商会関係の秘匿事項もあるから全部ではないけれど、ギャジーの聞きたい、言いたいことはそういうことではないはずだ。
「私は尽くしてくれる人に理不尽を強いたりしないよ。
ちゃんと大事にする。だから安心して?」
私がそう言うとギャジーは差し出されたスープ皿を暫く無言で見つめて、その瞳からポロリと一雫の涙が滾れ落ちた。
「ありがとう、ございます」
その感謝の言葉を述べて私からスープを受け取った。
それがスープに対しての御礼ではないことくらいわかっている。
だけど、
「ほらっ、ちゃんと食べなよ、ギャジー。お腹空いてたら力なんて出ないよ」
ここはあえて聞かずに、私は小さく『どういたしまして』と応えた。
夜もだいぶ更けてきて、暖かい焚き火にウトウトし始めた頃、それまで呑気に寝そべっていたガイが突然ピクリと険しい顔で起き上がった。
一瞬にして辺りに緊迫した空気が漂う。
「火を消せっ、ヤツらは夜目が利く。明かりはそのままでいい」
私の耳に足音は聞こえない。
でもガイがそれを聞き間違えるとは思えない。
それがよくわかっている本部警備隊員達はすぐに行動を起こす。
だがそれと同時に聞こえてきたのは二回、三回、二回、三回と一定のリズムを刻む低い金属音。見張り台の方角だ。
「おいっ、今銅鑼が鳴ったぞ。向こうにも現れたのかっ」
そう、ウォーグ達のために用意した餌場ヤツらが姿を現したということだ。
ということは、つまり、
「ガイッ、気配は幾つある?」
私の声にガイがジッと森の奥の方向を睨みつける。
町や村方向に抜ける道は土壁で塞いだ。
罠を思わせる細工もしてある。
そして抜けられる方向をわざと用意して私達がここに待機することで動きを誘導した。魔獣避けたる私の効力が発揮されて今晩はやり過ごせるならそれも良し、供物の家畜に喰らい付くも良しと。
本当は明日に持ち越したかったのだが仕方がない。
全てが予定通り行かないのはいつものことだ。
私は溜め息を吐いて立ち上がる。
「二つ、違うな。三つだ。一つ馬鹿デカイ気配がこっちに向かってる」
ガイの返答にまさかの二手に分かれての襲撃を確信する。
向こうはおそらくエサの確保に向かい、こちらはボス自らが出張った所謂偵察部隊。多分私がここにいたからこそのこの事態。下っ端では私に全滅させられるとでも思ったのだろうか。万が一の事態には逃走する算段をつけるための囮としての手下を連れての御来場というわけだ。
少々予定外ではあったけど、むしろコレはチャンスだ。
あちらに魔素憑きは向かっていない。
それ以外であれば油断さえしなければあちらの部隊が梃子摺る相手でもない。
となれば群れのウォーグの数を減らす絶好の機会。
「ギャジーと第三班から第六班は中継地点の味方と至急合流、一緒にランス達の応援に向かって無理しない程度で魔狼の群れの討伐を。
魔素憑きは私達で相手をする。
第一班と第二班はそれ以外の二匹をお願い。
今日は倒せなくてもいい、明日に備えてここで足止めして群れの戦力を削ぐ」
「ですがっ」
「前戦に立つのは領民を守る領主たる私の務め。
魔素憑きに普通の攻撃は通らない。ならば人数が多過ぎても犠牲者が増えるだけ。普通のウォーグならば人数がいれば充分討伐出来るって言ってたでしょ?
こっちは大丈夫だからランス達の方をお願い」
最初からこちらに来る可能性は視野に入れていた。
罠を警戒する知恵があるのならいつまでもこちらが用意したエサに食いつかないかもしれないと。基本群で行動する種族だから戦力を二分して二手に分かれて襲われることまで想定していなかったけど。
迷う表情を見せるギャジーに檄を飛ばす。
「領民を護るのが貴方達の仕事でしょっ、自分の責務を果たしなさいっ」
私が強い口調で言い放つと振り切るように走り出し、それに指定された警備隊が後に続き、後方に繋いでいた馬に跨るとすぐに姿が見えなくなった。
そう、それでいい。
どちらにしても魔素憑きに対抗するためには聖属性持ちの私が必要不可欠。
一応準備はしてあるけれど聖水の氷結実験はまだ立証されていない。成功するかどうかはわかっていないのだ。余裕があれば試したいところではあるけれど。
ウォーグの魔素憑きは確かにSランク。だけどそれは群れで設定されている。つまりは単体ならばそれ以下の可能性もあるわけで、戦力的には多分大丈夫なはず。そりゃあ多いに越したことはないという人もいるかもしれないけれど、それも時と場合によりけりだ。ウォーグのスピードに付いて行けないならむしろ犠牲を増やす場合がある。第一班と第二班の十人は本部の中でも精鋭中の精鋭。
私を入れてもたった十四人と侮ることなかれ。
真っ直ぐに森の奧を睨み据える私の横にいつものようにイシュカとガイが横に立つ。
ガイが私の肩に手を掛けて腰を屈め、耳元で囁く。
「全力威嚇はするな。尻尾を巻いて逃げられても困る。それでいて背中を見せるのはヤバイと思わせられる程度、ヤツがギリギリ勝てるか否か判断に迷うあたりの殺気だ」
「そんな曖昧じゃどのくらいか判んないよ」
自慢ではないが私は基本『だいたいね』の人間だ。
以前よりマシになったとはいえ気配を読むのはまだまだ下手なのだ。
ガイが少し考えるように間を置いて口を開く。
「五割、いや、六割くらいだ」
ってことは魔力量三千から四千クラスの大物って判断か。
「タイミングは?」
「俺が合図を出すまで待て」
「わかった」
待ち構え、考える時間があれば私もそれなりだとは思うけど、こういった咄嗟の判断力ではガイの方が優れている。ガイに言わせると自分のは勝てる方法ではなく逃走時間を稼ぐための手段だと言うけれど。
そもそも私もその点では似たようなもの。カッコ良くて勇ましくとは程遠い、所謂正々堂々というような男の浪漫を語る方々とは対極に位置あるのが私の戦い方なのだ。
勿論倒せるチャンスがあれば狙っていきますよ?
でも無理せず、あくまでも死傷者ゼロの方向で。
となれば、
「結界はどうする?」
護りが優先。最終手段として結界に閉じこもるか閉じこめるのも悪くない。だけど閉じこめるには近づく必要もあるわけで。
「それも待て。攻撃しても無駄だと思われてもマズイ。張るのは攻撃を仕掛けてきた瞬間に先ずはイシュカが張れ。攻撃すれば割れると思わせる。その内側に御主人様のをガッチリ張る。そうすれば持ちこたえられるはずだ」
なるほど。
まずは相手に調子に乗らせて油断を誘い、時間を稼ごうってわけね。
「わかりました。問題はその後ですね」
多少の予定は狂ったが、考えてみれば然程悪くはない状況。
襲撃されることも予想に入れていた。
予定と違って戦力集中はさせられなかったけれど。
「いつも貧乏クジばっかり引かせて悪いね」
私がそう謝るとニヤリとガイが笑う。
「今更じゃねえ? この程度の危機なんて今まで山ほどあったろ」
まあ確かに。
「そうですね。今回はまだマシな方ですよ。
相手も判っていてある程度の準備はできているんですから。ランク的にもSクラス以下なら珍しくもありません」
「大物ではありますがこちらには聖属性持ちのハルト様がみえますし、焦るほどではないでしょう」
ライオネルとイシュカの言葉に肩を竦める。
それは諦められているのか、はたまた期待されているのか微妙なところではあるけれど場馴れしてきている残った味方に漂う悲壮感はない。
さて、と。
まあ今夜は向こうの出方を探り、出来れば戦力を削るのが第一目標。
ランス達の方には充分な戦力を向かわせた。
確認された群れの数からすればあちらに行ったのは十頭程度。向こうにはランスを始めとする二百人弱の私自慢の警備隊で然程問題なく対応できるだろう。後はこちらで群れのボスを足止めして、できればお供の二頭を片付けられたら上等だ。
大きな気配なら後を追うのもそう難しくはないはずだ。
逃げられたとしても町や村の方向に向かわせなければとりあえずは問題ない。
私達は近づいてくる気配に戦闘体制を整えて待ち構えた。
 




