第二話 その決断が難しいのです。
冒険者のギルドカードを返納して外に出るとそこには人垣が出来ていた。
注目されるのにはもう慣れたけれど、例の三箇条は相変わらず有効なのか挨拶されても一定の距離が保たれているのはありがたい。
私が名前を呼ばれてにこやかに手を振りかえすときゃあっという甲高い悲鳴が上がり、なんかアイドルみたいな扱いだなあと唇の端をひくつかせつつも努めて愛想よく振る舞いつつも馬小屋に向かうとイシュカが人垣と私の間に立って歩いてくれる。
こうしてイシュカの隣を歩いているとかなり身長差が縮まってきたと思う。
何か危険を感じるとさりげなく前に出て守ってくれる。
うっかり転びそうにでもなれば今でもイシュカは軽々と抱き上げてくれるのも全然変わっていないけど、以前はすっぽり胸の中に収まっていのに今では顔の位置が随分と近くなった。庇うように抱きしめられると立派な腹筋のあたりに顔が押し付けられる形だったのに今では心臓の音がよく聞こえる位置に顔がくる。
そんな状況は気恥ずかしくもあり、照れ臭くもある。
少しだけ、ほんの少しだけみんなの私の扱いも変わってきた。
もう子供じゃないけど、大人と呼ばれるにはまだ少しだけ早い年頃。
婚約者のいる女の子なら嫁入り先でその家の仕来りを覚えるため行儀見習いに行く子もいる歳だ。特に領地持ちや高官の家に嫁ぐ場合はほぼ例外はない。実際、二つ年上の姉様も今年から親元を離れてるし来年の秋には結婚式が既に予定されている。
だが私には相変わらず女の子の婚約者はいない。
イシュカ達がいるから別に欲しいと思ったことないしなあ。
それに私が好きなタイプの女性って探すのに難しいし。
理想が高すぎるからだろうと言われても『ソウデスネ』としか言えない。歳上ってあたりで既に条件がかなり厳しいというのは充分理解している。
だってイイ女ってのは周りが放っておくわけもなく既に売約済みだもの。
勿論、中身のイイ女って意味ですよ?
それに歳上男好きの噂を率先して流したおかげか最近では見合い話が持ち込まれることも少なくなったし(魔王様に可愛い娘を嫁がせたくなかったのかも?)、じゃあ跡取りはどうするんだって聞かれたけど優秀な子供がいれば養子縁組で問題ないんじゃないって答えた。
血筋なんてものに拘りはない。
なんならミゲルがウチにいることだし、ミゲルに子供が出来たらしっかり跡取り教育するのもありかもなんて、そんなことを思ってるくらいだ。
血統でいうなら全く問題ないどころか王家の血筋、あの陛下の血が受け継がれているんだもの、しっかり育てればきっと私なんて足下に及ばないくらい優秀になるんじゃない?
第一、子供を作るためだけに結婚するなんて女性にも失礼だ。
とにかく跡取り問題はどうとでもなる。
ただ疑問もある。
イシュカ達とこのまま結婚するにしても私の場合は行儀見習い的なものはどうなるのか?
私の方が明らかに歳下だしイシュカ達に恥をかかせたくはない。
そういうことはまだ先だと思っていたから今まで考えたことなかった。
歴史なんてものはない、紙っぺらのように薄い家だけど私も一応侯爵家。正直、堅苦しい仕来りなんてものはどうでもいいと個人的には思っているのだが制約や規則みたいなものがあって余計に面倒臭いことになっても厄介だ。
でも私の場合は入婿してもらうわけだし、既にみんなウチで働いてる。
ウ〜ンと唸っているとそれに気づいたイシュカに声を掛けられた。
「足下がお留守になっていますよ、ハルト様。
まだお考えになるなら私が抱き上げてお連れ致しましょうか?」
蹴躓きそうになって腕に抱き止められ、そう問いかけられて私は赤くなる。
屋敷の敷地内ならともかく、この歳で町中抱っこは少々恥ずかしいと思うのだけれどイシュカは平気なのかな。
私は慌てて体勢を整える。
「あ、ゴメン。大丈夫、大丈夫。急ぐことでもないから」
「何をお考えになっていらっしゃったんですか?」
考えてたことは考えていたんだけどね。
「去年から嫁入り修行に出ている姉様のことだよ。
私ももうすぐ十二歳じゃない?
イシュカ達が本当に私と結婚してくれるなら私の場合、そういうのってどうなるのかなあって、ふと疑問に思っただけ」
アシュタルトの手綱を引きながら私が疑問を素直に口に出す。
「本当に結婚してくれるならというべきなのは私の方の台詞でしょう?
私は『くれるなら』ではなく絶対結婚したいです」
悪趣味、物好きはいまだに健在か。
私的にはありがたいことだけど、それは答えになっていない。
「去年結婚したライオネルは知ってる?」
「確かに結婚しましたが俺は跡取りではありませんから扱いは平民です。妻ならば知っているかもしれませんが俺は領地持ちでも国の高官でもありませんので詳しくは」
まあそんなもんだよね。
自分に関係ないことなら聞いても普通忘れる。
私も興味がないことはヘンリーほどではないけど忘れがちだし。
違うか。
ヘンリーは忘れるのではなく関係ないことは覚えようとしない、か。
「その辺りはシュゼットか旦那様にお聞きすれば如何ですか?
ですが入婿になるのは私達なわけですし、もし何かあるとしても私達の方では?」
やっぱりそうなるのかな。
解決しておくべき疑問ならまずは聞いておくべきだろう。
切羽詰まってからでは不味いこともあるかもしれない。
私は頷いてアシュタルトに跨った。
「そういう風習は確かにありますが絶対ではありませんよ」
デキャルト伯爵領もと当主が言うのならそれに間違いはないだろう。
屋敷に早速戻ってシュゼットに尋ねるとそんな言葉が返ってきた。
「ですが、そうですね。名門と呼ばれる貴族の間では特にそういう風習がありますけど、どちらかといえば嫁いでみえる方がその家に馴染めるかどうかを判断するためという意味合いが大きいのですよ。
もっとも御家のためにと嫁がれる方も大勢貴族にはみえますのでそこまでくると破談になることは余程のことがない限りまずありませんね。特に女性の場合、特別な理由なく戻されると次の縁談が纏まりにくくなりますから」
つまりは家族公認の同棲みたいなものか。
やはり男尊女卑の傾向が強いよね。
稼ぎのある男の方が偉い的な?
そもそも男の稼ぎが幾らあったとしても家庭を守り、子供を産んでくれる女性の地位が下であることの方がおかしいと思うのだが。極端な言い方をすれば女性が稼げる世の中になったら男の絶対数は少なくても成り立つんですよ?
野生動物を見てみなさいな。
強い雄一頭がハーレム形成して多くの雌を侍らかせ、君臨しているじゃないですか。より良い子孫を残すための方法として。
弱者は選んでもらえなくなるんです。
男は自分を選んでくれたことに感謝すべきなんです。
勿論私も感謝してますよ。
イシュカ達は子供を産めるわけではないけれど子供が欲しいから結婚したいと思っているわけではない。
家族になりたいから結婚したい。
ずっと一緒にいたいから約束が欲しい。
やっぱり紙切れ一枚の差しかないって言うかもしれないけど、その紙切れがあるから繋いでいられる、安心できることもある。
「結構恋愛結婚が多いかと思ってたんだけどな」
ボソリと呟いたのはライオネル。
一応ライオネルも学院初等部は卒業している。学院内は将来の伴侶探しに躍起になっている子も多かったのでその意見もわからなくはない。
だがよく見ればわかる。
身なりの良い、育ちの良さそうな子息子女には学院入学当初から婚約者が既にいた子供が多かった。つまりは、
「子爵位以下か跡取りでない、次男以降でしたらそれなりに。ですが婚姻は家と家の縁を結ぶのに一番手堅い手段。家柄を気にする親に幼い頃から自分の家よりも格上の相手を選べと刷り込みされている子供もいますし、伯爵位以上になると位が下がるのを嫌う女性も多いのですよ」
苦笑してシュゼットが言った。
そう、そういうことなのだ。
上位になればなるほど該当する絶対数が少なくなる。
所謂玉の輿というのは滅多に狙えるものではない。
女性領主というのは聞いたことがないし、側室、愛人でも良いというなら別だけど、まだ十歳前後の女の子に『私は◯◯様の側室でいい』という子供は少ないはずだ。それも許容できるのはある程度分別がついて世間の厳しさを知った後くらいからだろう。
誰しも自分が一番というのは憧れがある。
側室、愛人はいわば妥協。
ライオネルは複雑な顔で口を開く。
「夢がありませんね」
結構ロマンチストだよね、ライオネルって。
ライオネルに限らず男の人ってそういうとこあるよね。
夢を見過ぎてるから痛い目を見るのだ。
まあそれは男に限ったことではないかもしれないけど。
「そんなもんでしょ。結婚生活は現実だもん。恋愛とは違うよ。生きていくのにはお金が必要だもの」
それすらも乗り越えてこの人と結婚したいと思って叶っても、日々の生活という名の現実はそういった綺麗事を蝕んでいくものだ。
「意外ですね。貴方はそんなの馬鹿らしいと言うかと思いましたが」
「男としての言い分だけならね。わからなくはないよ」
テスラに言われてそう返した。
自分の夢を追いかける後ろ姿を応援してくれる、そんな愛した人と一生思い合って添い遂げる。
それは男女問わず浪漫があるだろう。
でも浪漫や愛でお腹は膨れない。
生活が荒めば心も荒んでくる。
それでも綺麗な心を保っていられる強い人はそんなに多くない。
「上位貴族の女の子でしょ?
自分のステイタスを簡単に下げられる子は少ないんじゃないかな。
相応の覚悟がなければ愛なんて一月も経たずに吹き飛ぶでしょ。百願えばそのうちの八十叶えられていた望みが十か二十、下手すればそれ以下になれば不満だって出る。
男にそれなりの甲斐性がなければ覚悟してたつもりくらいじゃあっという間にその決意も崩れると思うよ。
現実ってのは甘くないから」
「今までの当然が当たり前ではなくなりますからね」
私の言葉に賛同したのはマルビスとシュゼット。
豊かだった暮らしが堕ちるということがどういうことなのか二人はよく知っているからだろう。
「愛と夢じゃ御飯は食べられないよ。男はそれでもいいかもしれないけど女性は子供を育てていかなきゃならないんだもん。
夢を見るにはお金もかかる。
霞を食って生きていけるわけじゃないんだからウチで働いてる女の子達みたいに自分で稼ぐ手段を持っていたって自分の稼ぎだけで旦那と子供を養うのは厳しいと思うよ」
そして夢を追いかける男は兎角家族を顧みない。
夢が実現すれば家族を贅沢させてやれるのだと言って。
ここで忘れてはならないのは夢はあくまでも夢ということだ。
叶えるには相応の才能、強運、大金、もしくは想像を絶する努力が必要であることが往々にしてある。
その夢が大きければ大きいほど叶えられるのは一握りの人間。
シュゼットが肩を竦める。
「上位貴族の女性ではお金は稼ぐものではなく与えられるもの、もしくは上位であればあるほどお金を払うという認識すらない方もお見えになりますからね」
与えられるのが当たり前だから対価を支払うという当然の常識を持たない。
「どういうことですか?」
イシュカが疑問を投げかける。
それに答えたのはマルビスだ。
商人として貴族屋敷に出入りすることも多いからそれをよく知っているのだろう。
「代金は夫や側仕えが払うものだからですよ。まだその認識があればいい方ですね。裕福な方々は滅多に買い物などには行かれません。御用商人を呼びつけて買い付け、値札など全く気になされません。それは彼女達の夫が支払うものであって女性が支払うものではありませんから」
資産家の御婦人は買い物に出かけるものではなく、自分に相応しいものを持ってきた商人から買い付けるもの。店先に並ぶことのない高価な商品を見てただ選ぶだけ。
マルビスの言葉に信じられないといった顔のライオネルが呟く。
「・・・そんなの、幾らお金があっても足りませんよ」
「逆を言えばそういう高貴な令嬢を降嫁されるということはそれだけ出世を見込まれているということです」
高嶺の花は高値の花でもあるということだ。
手に入れて良いことばかりが待っているとは限らない。
「俺には無理ですね。今の妻で良かったです」
ライオネルの奥さんはもと伯爵家令嬢。
位だけならまさにライオネルからしたら高嶺の花だったわけだ。
溢れ落ちたライオネルの本音にシュゼットが笑う。
「娘は伯爵家ですがウチは財政的にはかなり厳しかったですからね。お金がないということがどういうことかよく知っていますから大丈夫ですよ」
義父の言葉にライオネルが慌てる。
「いえっ、すみませんっ、お義父さん。決してアニスに文句があるわけではっ」
「わかってますよ。私も妻や娘に苦労させてますから。
ライオネルに文句があるわけではありません。アニスは良い男を捕まえてくれたと思ってますから。むしろ以前より良い暮らしをしているくらいでしょう。実家が巨額の借金持ちの娘を嫁にしようという物好きはそんなに多くはありませんからね」
確かにまだデキャルト領の借金は返済には遠いけど、でもライオネルの稼ぎなら奥さん収入をアテにするまでもなく養えるはず。何か特別手当が入るような大事件でも起こらない限り過度の贅沢は厳しいだろうけど、それが良いことなのかどうかは別だ。大事件ということは当然危険もそれなりだ。
「ですからハルト様の場合は特にお気になされることもないかと思われますよ? 既に婚約者の方々とは同居なされているわけですし。そうでなくても領主なわけですからあるとしてもイシュカ達の方にです。イシュカとガイももと貴族とはいえ騎士団を退団した今は扱いは平民ですから。できれば第三席くらいまでの方々は公の場でダンスが踊れるようになっておいた方がよろしいでしょうね」
やはりそういう問題も出てくるのか。
ウチも付き合いのある貴族、領主が少しずつ増えてきたから一応少しは舞踏会やパーティを開くようになってきたし、商業棟の変人達も活躍の場が増えてきてから表に出る機会も増えてきた。ドレスアップして自信に満ちた彼等はもう以前とはかなり意識も変わってきている。
環境が変われば意識も変わってくるのだろう。
家族に厄介者扱いされてここにきたわけだが、ここに自分の居場所を見つけて居着いてしまっている彼等は戻って来いと言われても頷く者はいない。
ウチへの再就職は認めていないからだ。
独り立ちするというなら邪魔もしないし、尊重もする。
対等な取引先としては認めても出戻りは許されないのだ。
それはウチが商業登録の宝庫であり、その技術流出を避けるための対策。居心地の良い場所を見つけた者に元の場所に戻れと言われても戻りたいと思うわけもない。
なんにせよ、そんな貴族との付き合いも増えてきたわけで、面倒だとは思っても侯爵としての義務、放り投げるわけにもいかず、そういう時は大概シュゼットとイシュカに挟まれての出席。流石はもと外交官というだけあって対人対処はお手のもの、私に強引に押し寄ろうとする気配を感じるとさりげなくイシュカと踊って来いと送り出してくれるので公然でダンスを披露する機会も増えた。それを見て、レインが次は自分の番だと割り込んでくることも多いけど。
そのせいか尚更私の男好きの噂は広まっている。
今度は侯爵家の次男坊を誑し込むつもりなのかと。
いや、誑し込もうと頑張っているのは向こうなんですが。
いいんですけどね、たいして問題ないですから。
相変わらずレインはめげないのだ。
「ダンスかあ。ロイやマルビスは踊れるのかなあ」
踊ってるの見たことないし、平民は踊る機会自体が殆どないから学院でも必須科目じゃない。
「イシュカが現在一席なのは存じ上げていますが次席と三席は既に決められているんですか?」
そこなんだよね。
もともとはイシュカが貴族だからって理由で暫定的にそうなったんだけど騎士団を辞めた今は扱いは平民。
「公の場に出るつもりのないガイが末席なのは決まっているんですが」
そう答えたのはイシュカ。
ガイ本人もそれでいいと言っているのでそこだけは決まっているのだが。
「誰が一番とかあんまり考えたことがなくて」
だってみんな大好きなのだ。
甲乙つけ難いほどに。
順位なんてつけられない。
「そんなに急がれることもありませんが、結婚される一年前までにはお決めになった方がよろしいかと思いますよ」
やっぱりそうなのか。
急がなくても良いと言いつつも、あまり深く考えていなかった決断を迫られている時が近づいているのは間違いなかった。