閑話 テスラ・ウェイントンの覚悟
俺は口下手だ。
言いたいことは山ほどある。
だがそれを上手く言葉に出来ないだけなのだ。
結果、無口で無愛想。
それが俺に対する周りの評価だった。
だが性格なんてものはそんなに簡単に変えられるもんじゃない。
ハルト様は俺のことを聞き上手だと勘違いしているようだが本当は違う。
人の話を聞いている方が楽だから黙っているだけだ。
不精で始終顔と表情が隠れた俺を、他人は感情が読みにくいと言う。
常日頃、無口を装っている俺は一度タガが外れると、それまで仕舞っていた言葉が堰を切ったように溢れ出して止まらなくなる。
夢中になってつい余計なひと言を言ってしまって相手を怒らせてしまうのだ。
だが、ここにいる人間はもともとそういう性格なのか、いや、この屋敷の主人に感化されているのだろうが俺のこの性格を、ただ笑って許容する。
ここは俺にとって、たまらなく居心地の良い場所なのだ。
俺のここでの主な仕事はハルト様の開発業務のサポートとその書類作成と管理、各部署との連携だ。役割的には武力以外の側近達の丁度真ん中あたりのところだ。
サキアスほど専門的な知識はないが、そこそこに話が通じ、マルビスのような商才はないが幅広い商品知識があり、キールみたいなセンスはないがそれなりに器用、ロイと違って気配りは出来ないが前職の関係で職人への理解とその連携が取りやすく、ハルト様のような発想力には恵まれていないがそれを補強する程度の知恵がある。
中途半端といえば実に中途半端な立ち位置と言えなくもないが、その分、マルビスは手が回らないところを手伝ってもらえるから助かっているとよく言う。
つまり俺はハルト様を含めた彼等の助手的立場。
際立った才能があるというわけではない。
それが俺のコンプレックスでもあった。
俺はハルウェルト商会が立ち上がる前からの、側近、幹部の中でもロイ、マルビスに続く古株。
それは運が良かっただけの話ではないのか?
ここにいる者達よりも少しだけ、ハルト様と出会うのが早かっただけ。
今やここにはハルト様を支える多くの人間が大勢いる。
俺がいなくてもここは回るのではないかと。
そんな疑問が湧き上がることもあった。
それなりにあったはずの仕事への自信はどんどん小さくなる。
「何を馬鹿なことを言っているんでしょうかね、テスラは」
ハルト様の騎士団にある別邸にガイと一緒にやってきたマルビスにポツリとそんな愚痴をつい漏らしたことがある。
するとマルビスは呆れた口調でこう言った。
「いったい貴方以外の誰がハルト様から様々な情報や発想を聞き出せると言うんです?
あの人の突飛な発想を理解して辛抱強く聞き出し、形に変えられる人が他にいるとでも? ロイには聞き出すことが出来ても形には変えられませんし、キールには形に変えられたとしても、そもそも聞き出すことが出来ません。私には開発に必要な知識が足りませんし、突飛な発想は理解できても人の話を聞かない自分本位のサキアスに貴方の仕事が出来るはずがないでしょう」
捲し立てるように言われた言葉に思わず俺は口籠る。
「ハッキリ言ってしまえば、人材的に言うのなら私達の変わりは複数の人間がいれば代わることが出来ることが殆どです。代わりが利かないのはハルト様だけです」
いや、マルビス達の代わりは、と、言いかけて、複数という単語に気がついた。
仕事だけならばマルビスの代わりは独りでは難しいかもしれないがゲイルとジュリアス、ノーマンなど複数の者がいればなんとかならないこともない。ロイの代わりは及ばないまでもエルドとカラルがいれば代行できないこともないだろう。実際、ロイがハルト様に付いて屋敷を離れている間はあの二人が取り仕切っている。イシュカの代わりもライオネルやガジェット、ハンスやランス、シーファ、複数いればカバーできないこともない。ガイの代わりも今はケイにもう一人、二人の腕聞き情報屋を雇えば賄えないこともない。
つまりはそういうことなのだ。
「重要なのは彼の方が信頼出来るか否かなのですよ。
彼の方は誰でもすぐに受け入れるようでいて、肝心なところまでは立ち入りをお許しになりません。
御屋敷の三階までは立ち入らせる者も増えてきましたが四階にはまだまだ限られた者だけ。機密保持の面もあるとはいえ、特に四階の私室に気軽に入れるのは私達婚約者のみです。旦那様やキール、サキアスでさえ滅多に入れません」
言われてみれば確かにそうだ。
内密で動くことが多いのは俺達側近の中でも婚約者の位置にいる者が多いとはいえ他の人間は殆ど入ったことがないはずだ。
「そういうわけで彼の方が本当の意味で気を許すにはそれなりの時間がかかります。
たった紙切れ一枚のこととはいえ、多分安心なされているんでしょうね。
この国の婚姻関係は破棄するのに他国よりも厳しいですし。
確かに私達からの申し入れは難しいですけれど彼の方からの破棄は簡単です。破棄のための書類は既に旦那様が持っていらっしゃることを彼の方は知りませんから」
婚約者。
彼の方をこの地に留め置く手段として賜った幸運。
思えばあの時にそれを受け入れておいて良かったとも思うのだ。
ハルト様は今や諸外国の姫君の降嫁どころか入婿して王座にさえつける存在だ。
この国で王族に次ぐ最重要人物。
当人にその自覚はないが双璧、宰相と並ぶほどの存在だろう。
別に俺である重要性は低い。
「そんなもの、望めばいくらでも婚約したいと望む者がいることをあの人はわかってないだけだ」
「だとしてもです」
俺でなければならない理由?
マルビスのいつになく強い口調に一瞬戸惑った。
「あの人がそれを受け入れるまでには時間が掛かります。情があっても誰でもいいというわけではない。レイン様がその良い例ですよ」
言われて思い出したのは一途に、素直に、一生懸命彼の方を慕い、追い掛け、必死に相応しくなろうとしているステラート侯爵家の次男。
気を許しているように見えて一線を引いている存在。
可愛がってはおられるようだがキッパリとレインとの婚約は受け入れていない。
「サキアスとキールも一緒になればあの四階から住居を移すことになるでしょうしね。もう少し、彼の方を守るためにもここに普通に出入り出来る人間を増やしたいところではありますが、現状、なかなか厳しいという他ありません。
ランスとシーファがもう少し力をつけてきてくれるといいんですけどね。
実力的に彼等をそこまで引き上げれば反感も出るでしょう」
マルビスの口から出てきた名前に俺は驚く。
「知ってたのか?」
自分の他にもあの二人の距離感が近過ぎるのに気がついていた人間がいるとは思わなかった。
「何がですか?」
「サキアスとキールのことだ」
マルビスは何を今更とでも言いたげに肩を竦める。
「私は他の者達のように鈍くはありませんよ。
これだけ身近にいれば嫌でもわかります。
二人に自覚はないみたいですけど時間の問題でしょう。
こういうことは自分で気付いてこそだと私は思っているので世話を焼くつもりはありませんけどね」
なるほど。考えてみればマルビスほど聡い男が気が付かないわけもない。
ロイは気配りはできてもそういった機微に疎いと以前言っていた。
「とにかくお願いしますよ。貴方の代わりは誰もいないのですからそんな弱気では困ります。
彼の方に相応しくないと思うのではなく、彼の方に相応しくあろうとして下さい。それは仕事や才能などという不確かなものではなく、必要なのは彼の方を支える覚悟です。
貴方に足りないものがあるとすればそれだけだと私は思いますけどね」
そう俺にズケズケと言うとマルビスはさっさと階段を降りてハルト様のもとに向かった。
足りないのは覚悟、か。
流石マルビス、痛いところをついてくる。
確かに俺にはそれが足りていない自覚がある。
ガイは別として、いや、ガイも例の大蛇の事件以降から若干態度が変わってきてることを思えば、多分、それが足りていないのは婚約者の中では俺だけだ。
それがずっと引っ掛かり、俺の心奥底に、澱のように沈んだ。
とはいえど、ハルト様の周囲はいつも騒がしく、忙しいのは間違いない。
不器用ではないものの、性格的に大雑把なハルト様はアイディアを出しても細かい調整や細工が苦手だったり、仕上げの途中で無理だと思うと適当に仕上げる。要するに発想力自体は素晴らしいのだが制作者としては向いていない。商品として並べられるほどのものを作るのには適していないのだ。
本人もそれを自覚しているらしく、よく言うのは、
「いいんだよ。私は職人じゃないんだから適当で。
技術もバリエーションもお任せで。余計な口出しして素人の私が作ったところで売り物になんかならないんだから」
と、笑って言う。
だがマルビスはハルト様が手ずから作ったものは大事に保管しているのを知っている。手本として見せても必ず後で回収している。
特にいつも持ち歩いているダブルクリップは、初めてハルト様がマルビスのためにと考えて作って商品化したものだからと、ボロボロになったそれを壊れれば何度も何度も修理して使っているのだ。既に商品化しているのだからと新しいものを使えば良いのにと言われるたびにそう言って自慢して、ならば大切にとっておいて他の物を使えば良いと言われれば道具は使ってこそ生きるものだと言われたからと使い続ける。
修理もできなくなったら袋に入れて首から下げて持ち歩きますと。
要するにあの男は自慢したいだけなのだ。
誰かのためにと考えてハルト様が作った物はあれ一つだけ。
彼の方の一番初めに部下になったのは自分なのだと語りたいだけ。
呆れるほどにあの男はハルト様に夢中なのだ。
だから中途半端な気持ちでいる俺に覚悟が足りないだけだと言うのだろう。
実際、俺自身もそれは自覚しているのだ。
今現状で一番好きなのは誰だと聞かれれば間違いなくハルト様だと答えられる。
だけど何が何でも最後まで共に付いていくのだという気合いと覚悟が俺にあるだろうかと問われれば、返せる言葉は『多分』の一言だ。
ハルト様の側は楽しい。
今までなかった考え方や発想力、それに伴う行動力。
圧倒されるのだ。
世間一般の常識に捉われず、身分の垣根などお構いなしに軽々と飛び越えて様々な功績、武勲を上げても、それを誇るでもなく自分の生き方を貫く意志の強さは魅せられる。あの人が子供であることを忘れてしまうほどに。
こんな俺はハルト様に相応しくない。
あの人が名を上げれば上げるほど俺は葛藤した。
いっそ婚約者の座を返上してしまえば楽になるのか?
でもあの人の一番近くに行けるこの側近と婚約者の地位を捨てても俺はハルト様の側にいられるだろうか?
あの人の側に並び立ちたい者は星の数ほどいる。
一度その座を捨てれば戻っては来られない。
シルヴィスティアがオープンして、ルストウェルのオープンが迫っても、俺は覚悟がマルビスの言う覚悟ができなかった。
そんな時だ。
学院祭でハルト様が襲われて、その暗殺者が捕えられたという話を聞いたのは。
あの人は半端な者に殺されるような腕ではない。
だが悪意や殺意には不釣り合いなほど鈍い。
あの人を狙うならそこが一番の穴と言ってもいい。
正面からその人の目を見れば何となくはわかるけど、上手く隠されたら多分無理だと本人も言っていた。隙をつかれたらどうなるかはわからないと。
それ故、イシュカはいつもハルト様にバレないように専属護衛を数人離れたところに配置している。出来ればハルト様に気づかれることなく片付けたいというのが本音だろう。
しかしながら真正面から馬鹿正直に来る襲撃者はまずいない。
どうしたって警備の穴というモノを狙って抜けてくる者は一定数いる。
それが今回の一件だ。
それ自体は実にありふれた事件と言えなくもない。
だがここからがハルト様がハルト様たる所以の問題(?)なのだ。
その暗殺者の奴隷紋を上書きした褒美にくれてやると陛下に言われ、それをアッサリと受け取ってきたのだ。
ビスクやケイ然り、合理的に考えるあの人は驚くほどに許容範囲、器が広い。
それがいくらあのベラスミで知り合ったゴードンの弟だというのだからさもありなん。彼の家族ごと受け入れる契約まで交わして戻ってきた。しかも問題ばかり起きているベラスミ独立自治区の叛乱軍鎮圧のために襲われる前に仕掛けると言うのだ。そのためにその翌日には団長と連隊長がやってきた。
叛乱軍鎮圧に送り込まれる人員は実に二百人超え。
これにウチの警備が加われば向こうの数ともタメを張れる数。
ハルト様とイシュカを中心に制圧部隊の作戦が練られ、俺が受け持ったのは馬車の改造。二台の馬車に指定された仕掛けを作るために加工工房に入り浸る。何度も試行錯誤と試験を繰り返し、完成した馬車に乗ってハルト様はイシュカ達と一緒に出発なされた。
俺はといえば旦那様と留守番だ。
戦闘でも物流でも俺は役立たずであることを考えるなら妥当だとは思う。
色々とゴタゴタはあったようだが見事解決。
ルストウェルも無事オープン。
そして陛下からは褒美にとベラスミの領地を下賜されて成人を、待たずに代行の助けを借りて新たな侯爵家としてハルト様の領地が経営されることになった。
その度々に自分の信奉者を増やし続けるハルト様。
口が悪いようで実はその人のためにと口に出される厳しい言葉。
自分に対する非難など『言いたいヤツには言わせておけばいいんだよ』と、どこ吹く風で気にも留めないのに俺達の陰口には食ってかかる。
自分はどう言われようと構わないが俺達が馬鹿にされるのは我慢がならないらしい。
身分で仕事の能力は決まらないと評価されるのは実力のみ。
ここでは努力と才能が評価基準、一切の忖度無しに下される判断。
貧しい者でも一気にノシ上がることができる可能性があるとなれば優秀な平民、下級貴族は自分の夢を掴むためにここへ就職し、競って仕事に励む結果が今のハルウェルト商会の飛躍、躍進だ。
以前にロイが言っていた。
ハルト様は時代を変える御方だと。
その予言めいた言葉は見事に的中したというわけだ。
結局、陛下に嵌められて、デキャルト領の経営立て直しにも絡む結果となったわけだがハルト様の使い方が実に陛下は上手い。
流石は一国の王たる器と言ったところか。
ベラスミはハルト様贔屓の領民が多い。
おそらく他の貴族が領主の座に就くよりも遥かに反感が出難く経営しやすいはずだ。領土を前倒しで押し付ける代わりに前職が外務大臣というハルト様とハルウェルト商会に足りない貴族への影響力と外交力を持たせることで義理堅いハルト様の性格を利用し、彼の故郷であり、彼の息子が経営するデキャルト領への支援をさせる。一挙両得どころか三得、三つの大きな問題を優秀なそれに関係する人材を送りつけて一気に片付けようというわけだ。更にはあの地に悪政を敷き、経済を停滞させ、領民を食い物にしていた勢力、蔓延っていたマーべライト伯とカイザック商会の関係者を根こそぎ捕縛。
それを考えるなら三得どころか四得、五得。
あの陛下がそこまで読んでいたかどうかはわからないが悪徳貴族の一掃も叶ったというわけだ。
ハルト様のこの国への貢献度は最早計り知れないものだ。
おそらくだが、現在グラスフィート領で建設工事が進んでいるあの国際貿易センターも陛下の裏の意図があるもではないかとマルビス達が言っていた。
既に王都とグラスフィートを結ぶ運河も建設計画が進んでいるという。
どちらにしても俺達の仕事は変わらずハルト様の補佐。
きっとこの先もそれは変わることがないのだろう。
現在開発が進められている濾過装置とビニールハウス建設装置も完成すれば、一気に財政が苦しい農作物が主力産業の地方が活気付くことになる。支援、援助を求めてくる領主も増えてくるに違いない。
俺のグラついていた覚悟は次第に、着実に、ハルト様によって固められていく。
仕方がないではないか。
あの人は魅力的だ。
いや、魅力的過ぎるのだ。
俺はこの先ずっと、ハルト様に付いて行きたい。
未来も、その先来世でもずっとこの人に仕えたいと思う。
『貴方は来ないつもりですか?』と、前に聞かれたことがある。
生まれ変わってもハルト様を追いかけたいと思わないのかと。
追いかけたいに決まっている。
こんな人は、きっともう二度と俺の前には現れない。
来世でも必ず俺はこの人を探してまた側に置いて欲しいと願うだろう。
俺は簡易濾過装置の試作が完成したその日の夜。
ハルト様が寝室に向かわれた後にマルビスとロイの前で尋ねた。
覚悟を決めたが、自分はどうすれば良いのかと。
すると二人は微笑って『遅過ぎですよ』と言った。
そして俺に教えてくれた。
「テスラ、貴族の社交界にとって一番優先されるのは何だと思います?」
ロイに尋ねられて俺は首を傾げる。
「何って、地位と権力だろう?」
「違います」
当然と思って答えた回答は即座に否定された。
地位が低い者から高い者に対して公の場に於いて意見することは許されない。
身分が低ければ会話に入っていくことさえできないこともあるという。
ロイは苦笑して口を開く。
「美しさですよ。
圧倒的な功績と実力があれば話は変わってきますけどね。それでも存在感がなければフロアにいる大勢の人間にあっという間に埋もれてしまいます。
地位と権力があったところで目立たなければ声は掛からない。教養、マナー、ダンスなど、そんなものも勉強、練習である程度どうにでもなりますし、注目されればおのずと身に付いてくるものなのです。
ですがその人の生まれ持つ容姿だけはどうしようもない。
それ故注目を集めることこそ社交の華と誉れ。
だからこそ貴族の男は己のパートナーを着飾らせ、連れて歩くのですよ」
なるほど、貴族の美しさにこだわる理由がそこにあったのか。
確かにそうだ。
人混みの埋もれてしまっては縁も結べなければ仕事もやって来ない。
相手に見つけてもらわねば話にならない。
だからこそ流行を追い、話題を攫い、その中心になろうと努力する。
付け足すようにマルビスが言う。
「化粧をすれば変わるとハルト様はよく仰いますが、豪奢なドレスを身に纏い、高価な宝石で飾り立てたところで美しい者に努力されては及ばないんです。
そういう意味では貴方はキチンとした格好をすればそれだけで充分なほどハルト様のお役に立つはずなのですよ?
自覚はないみたいですけど」
確かにマルビスに言われて格好をそれなりに整えてから声も良く掛けられるようになった。だが俺の見た目で寄って来られても中身が変わっていないのだ、付き合っても勝手に幻滅されても面倒になる未来しか見えなかった。
そういう意味でもハルト様の婚約者でいることは都合が良かった。俺があの人のものだと知られてからは声を掛けられることもなくなったから。
不精な俺はマルビスに叱言を言われてやっと身なりを適当に整える。
今までそれの繰り返しで。
テスラの好きにすれば良いよ、と。
外見なんか関係ない、そんな言葉に安心して。
「貴方がどんな格好をしていようとハルト様は気になされません。それは貴方の中身で判断なされているからこそなのですが周囲は違います。
ガイと違って貴方は人前に出ることも多い。
人間関係というものは第一印象が大事なのですよ。
初対面なら尚更です。
注目されれば会話のキッカケにもなります。
その格好を整えるだけでハルト様への貴族の印象と評価が変わります。
貴方の美点はそんなものだけではありませんが、それも見て頂ける人がいてこそ気付き、評価されるものなのです。貴方がハルト様に相応しくありたいと願うなら、まずはその格好を改めることをお勧めしますよ?
実力と能力は既に充分あるのですから」
ロイにそう言われて自分の姿を省みる。
ヨレた皺だらけの服、伸ばしっぱなしで手入れされていない髪。
おおよそ貴族の屋敷で働く男の格好ではない。
ハルト様が何も言わないのを良いことに、それに甘えていたことに気付く。
キマリが悪くて俯くとマルビスが口を開く。
「ライバルを蹴落とし、敵を捩じ伏せるためにも己の持つ武器は最大限に活用した方が私は得だと思いますけどね。貴方がその顔を好きでないというのは知っていますが私なら嫌いであれば逆に尚更徹底的に使い倒し、利用し尽くしますよ。
その方が気分良いじゃないですか」
マルビスらしいその言い分に思わず笑みが漏れる。
嫌いだからこそ利用して使い倒す。
なるほど、この顔にそういう考え方と使い道もあったわけか。
結局、俺は親父に似たこの顔を嫌悪して逃げていただけか。
だがその思考回路、
「マルビス、ハルト様に似てきてないか?」
そう思ってポツリと呟くとロイがケロリと言った。
「そうですか? この男は出会った頃からこんな感じでしたよ?
ハルト様の前では猫を被っていましたけど」
だとしたらいったい何枚の猫を被っていたのだろう。
柔らかな物腰、落ち着いた雰囲気は紳士そのものだ。
俺がチラリと視線を流すとマルビスはさも当然だとばかりに宣った。
「当然でしょう?
お慕いしている方に自分の黒い部分を見せてどうするんです?
やっぱり『私のマルビスは絶対イイ男だよね』って言われたいじゃないですか」
・・・・・。
「それはわからないでもありません。『私のロイは最高に素敵だよね』と仰って頂けると私も天にも昇る気分になりますから」
要するにハルト様の前でカッコつけたいと、こういうわけだ。
同じ男としてその気持ちはわからなくもない。
だが、そういえば俺はあまり『私のテスラ』って言われたことがない。
全くないというわけではないけれど、明らかにこの二人より回数は少ないだろう。
その事実に気がついて俺は少しだけムッとなる。
ロイがそんな俺に気がついてクスッと笑った。
「貴方がその気になれば幾らでも聞けるようになると思いますよ?
彼の方は私達の自慢をするのが趣味の一つですから」
いいでしょ、凄いでしょ、あげないよ。
そんなふうにハルト様が客人達に話していたのは覚えている。
「いつも得意げに胸を張って褒めて下さいますからね。
あれは調子に乗りたくもなります。
キールは特にわかりやすいですね。年齢のせいで当初、キールは仮扱いでしたから尚更でしょう。初めてそう仰って頂けた日から暫くは口を開けばその話ばかりでしたからね。今では誰もが認めるハルト様の側近の一人ですけど」
マルビスの言葉にそれを思い出した。
それは屋敷の中だけではない。
職人達の前でもそういえばよく自慢していた。
余程嬉しかったんだろうなあって彼等に微笑ましく見られていたけれど。
「とにかく屋敷の生活スペースにまで気を遣えとは言いません。ですがここは客人やハルウェルト商会関係者が多く出入りするのです。
どこで誰に見られているかわかりません。
最低限の身嗜みに気を遣って頂けるとありがたいのですがね」
そうマルビスに言われて俺は反省する。
今後は改めるよう心掛けるから、身に付くまでは気が付いたら教えて欲しいと頼むと二人は快く微笑って頷いてくれた。
そうして俺が不精なりに気をつけるようになってから周囲の目が変わり出した。
ここの人間達はロイやイシュカの顔を見慣れている。
あの二人もかなり人目を引く容姿をしているのだ。
そうでなくてもこの場所には様々な理由で容姿端麗な者が多い。
俺の顔などたいして気にもしないだろう。
今更ながらに随分と自意識過剰だったなと苦笑する。
俺の作った竹馬に乗っているハルト様の姿を見ながら穏やかな気分で随分と暖かくなってきた日差しと風に吹かれ、春が近づいてきたことを実感する。
変わらぬ忙しい日々が愛しいと思える、こんな日が来るとは思わなかった。
両親の死を知ったあの日に俺の中で止まっていた何かが動き出したのを感じる。
ぽっかりと空いていたはずの心の穴は気付かないうちに埋められていた。
目の前のハルト様によって。
次の誕生日がくればあの人ももう九つ。
出会ってからもうすぐ三年の月日が経つのだ。
次々と起こる騒動や起こす事業で忙殺されて、気がつけばあっという間に時は流れていた。
イシュカがケイの存在を確認して騎士団支部に向かい、マルビスと幾つか言葉を交わし、ハルト様が俺のところに戻ってくる。
他愛もない昔話を交わしながら、変わらないだろうと思っていた俺の意識が少しずつ変化してきたように、この人も少しずつ変わって来ているのだと感じた。
そりゃそうか。
世の中に不変なものなど滅多にあるもんじゃない。
俺がこの人に変えられたように頑固なこの人も、少しずつ変わってきているんだ。
この人が何気なく口にした言葉が俺の固く閉じていた心を少しずつ溶かしていったように、ハルト様は焦ることなく俺を待っていてくれたのだ。
ならば俺はこの人に伝えなければならないだろう。
精一杯の感謝を込めて、自分の気持ちを、自分の言葉で。
俺は一つ深呼吸すると会話の切れ目で伝える。
「あの時断言できなかった言葉を今なら自信持って言えますよ。
俺は世界で一番貴方が好きです」
それはいつかのあの日、俺が曖昧な言葉で濁した気持ちだ。
『一番と言っていいほど』ではなく、間違いなく『一番』であると。
案の定そういった言葉に不慣れなハルト様は顔を染め上げて硬直した。
どんなに大人びていようとも、こういうところは子供だなと思う。
だが心というものは言葉にしなければ伝わらない。
察してくれというのは己の自分勝手な言い分なのだと、俺は感謝や言葉を惜しまないハルト様に教わった。
どんなに親しくなろうともその人は自分ではない。
言葉に、声にしなければ伝わらないことが多いのだと。
だから俺はこれからは伝える努力をしよう。
少なくとも、目の前にいるハルト様だけには。
「俺は自分でも口下手なのを自覚してる。
これからも貴方を不安にさせることもきっと多い。
正直、俺は恋なんてものはわからない。
だけど俺はずっと貴方の側にいたい。
今はそう思っています」
だから、
「こんな俺でも、貴方は家族に加えてくれますか?」
そう尋ねた俺に、ハルト様が嬉しそうに微笑い、そして言葉を返される。
「自信がないのは私も一緒だよ?
テスラは好きだけど、みんなも好き。
すごく自分勝手で我儘なことを言ってる私で、テスラは本当にいいの?」
『貴方でいい』ではない。
俺は『貴方がいい』。
たとえ自分だけのものにできなくても。
そんなことわかりきっている。
「何を今更そんなことを言っているんですか?
俺は俺だけを選んでくれと言った覚えは一度もありませんよ?
それに貴方の御世話は俺一人じゃどう考えても無理ですよ。
ならばここは割り切って、受け入れた方が早いというものです」
むしろ俺だけのものにしたらイシュカやマルビスあたりに密かに闇に葬られそうで怖い。
いや、ロイに寝首をかかれるのが先だろうか?
・・・違うか。
あの三人は誰よりもハルト様を大事にしている。
ハルト様が望むなら黙ってそれを受け入れて、感情を押し殺し、側に居続けることを選ぶだろう。
だが俺だけでは間違いなくこの破天荒な人を支え切れないのは間違いない。
ならば協力しあった方が良いというものだ。
貴方は時代を変える人。
伝説を作る人。
それを間近に見ることができるこの特等席を俺は決して手放さないと、
この日、この心に決めたのだ。




