閑話 アンドレア・ラ・デキャルトの盟約 (3)
彼から出されたのは借金を彼が立替、無利息でそれを私とメルティ、妹が彼のもとで働いて借金を返済するというもの。
そして同時に示されたのは我がデキャルト領立て直せる可能性を秘めた提案。
一人で返せないお金も、三人ならば返せるでしょう、と。
ロクデナシの貴族の玩具になるよりマシだと思うよと。
どうするのだと聞かれれば即座に私は願ってもないと頷いた。
だが領地経営の方は成功するかどうかもわからない、他領のことまで責任が持てないから無理だと。
その話を聞いて私はすぐに彼を支える存在として父の名前を上げた。
ならばいっそその計画を立ち上げ、実行する前から直接関わってしまえばいい。
そうすればその提案に反対せず受け入れ、実行した私達の責任で通せる。
万が一にも彼に迷惑はかからないはずだ。
手を差し伸べて頂けると言うならば父はきっとこの要請を拒まない。
父の人脈と貴族への影響力は必ず彼の役に立つはずだと。
そう告げると連隊長はすぐに陛下の元へ行き、すぐに私と同行して父の宿泊している海岸沿いの宿屋に向かって下さった。
突然の夜も遅い訪問に驚いてはいたが、その事情を話すと私を叱り飛ばした後、謝罪を述べ、私と同じく、すぐ神妙な面持ちで『是非に』と頷いた。
そして尋ねた。
自分の領地の経営を傾かせた自分などで役に立つのかと。
すると連隊長は目を丸くして突然大声で愉快そうに笑い出した。
「それについては心配する必要は全くない。
彼等に必要なのは貴方が持つ人脈と外交手段、貴族への影響力だ。
あそこにはたった数年であのグラスフィートの経営を立て直し、片田舎でしかなかったあの地をこの国有数の街に押し上げたヤリ手の経営陣が揃っている。それを思えば貴方がたが平民に頭を下げることに抵抗がないのなら、むしろ学ばせて貰えばいいんじゃないかな?
あの経営手腕とその極意というものを」
連隊長のその言葉に私は父と顔を見合わせる。
確かにその通りだ。
あの地に行けば彼等の仕事を間近で見ることが出来る。
私達がするべきことは経営への口出しではない。
彼等の補佐。
地位という垣根さえ取り払えば与えられた絶好の学ぶ機会。
連隊長が言うように頭を下げて願えば良いのだ。
彼等は人を、従業員達をそうやって教育し、自分達の頼もしい戦力へと育て上げ、あそこまで巨大な商会へと成り上がり、領地を繁栄させた。
ならば私達も教えを乞えばよい。
彼等のやり方をこの目で見て、手伝い、学べば良い。
プライドなどとうに捨てている。
それに気づいて父と私はその眼前に広がった希望と可能性に身を乗り出し、顔を輝かせた。
そしてすぐに父の支度が整うのを待ち、一緒に城に戻る。
陛下と宰相からその計画と詳細を聞き、必ずや彼の力になってみせると約束する。
「其方には発表時よりこちらから護衛をつける。彼奴にこれ以上力をつけさせたくない輩から妨害が入らんとも限らんからな。
明日はそのようにこちらから話を持っていく。
しかと頼んだぞ?」
父と二人、陛下の御前で膝を付き承る。
「承知致しました。この度の御配慮と御好意の数々、感謝の言葉も御座いません」
「礼はハルスウェルトのヤツに言え。彼奴が提案せねばなかった話だ。
失敗るなよ? アレは自分の部下を軽く扱うことを決して許さぬ」
つまり彼等の前で貴族の特権と権力を振り翳すなよと陛下は仰りたいのだろう。
父がそれを聞いて口を開く。
「御心配されるまでもありません。
我々はあの方々から学ばせて頂くつもりなのですから。
師を敬わずして御教授頂けるとは思っておりません」
尊大な態度を取っていてはまともに聞くこともできないだろう。
私達はあくまでも彼に雇われる側の人間。
彼等とは対等な立場だ。
それを聞いて陛下は小さく微笑う。
「成程。ならばそう心配もあるまい。
あそこの経営陣は平民でも構わぬから是非にと大臣が勧誘していたほどだ。
自分は彼奴のものだからと断られはしたがな。
間違いなくこの国トップクラスの経営手腕。せいぜい励んで学んでくるがよい」
「御意に」
父と二人、頭を下げ退室すると早速その手配と準備にかかる。
そして翌日、陛下を介して父がハルト様に紹介され、その日の夕方、彼のもとへと訪れた。
挨拶を済ませるとすぐに移動の手配も付けて下さるという。借金を立替して頂く上に、しかも陛下からの御配慮とはいえ半ば押しかけるような状態だというのに彼は相変わらずあっけらかんとしている。
リディはそれなりに親交もあったが私はこれまでそんなに親しいと呼べるほどの付き合いもなかった。それでもこちら側に押し付けることなく要望を聞き、よろしくお願いしますと頭をお下げになる。
なるほど、リディに聞いてた通りの御方だ。
驕らず、賢張らず、気さくに、こちら側が敬意を持って相対すれば無茶なことも仰らず、話も意見も聞いて下さる。
あのガイが懐くほどには変わっているとリディの言葉も納得だ。
陛下が心配なされるのも道理。
この人のよさでは魑魅魍魎跋扈する王都ではすぐに付け込まれかねない。
そう思っていたのだが、決してそうではないことを思い知る。
ただ甘いだけではない物言い。
そして何よりも彼のすぐ側で油断なく目を光らせている側近、従者、護衛達。
彼が彼のままでいられるのは彼等あってこそのものなのだろう。
挨拶が済み、別邸を失礼させて頂き、宿屋に戻ると父が部屋でボソリとこぼす。
「なんというか、とても個性的な御方だな。
立ち居振る舞いから話し方、考え方に至るまで、まるで大人と会話していると錯覚しそうになる。眼前にお見えになる姿は間違いなく子供であるというのに」
全くその通りだ。
そういえば以前連隊長が時折実家の母親と話をしているような気分になると言っていたな。父親ではなく何故母親なのかはわからなかったが、彼が間違いなく並外れて大人びているのは確かだ。
私はリディとの会話を思い出す。
「それこそが天才児たる所以だろう。
学院の休みにミゲル様とレイン様がお見えになるくらいでハルト様の周囲に子供は殆どいない。お二人に対する態度もまるで保護者のようだとリディが言っていた。
側近の一人、一番若いキールでさえ今年成人の十五歳だが父親を数年前に亡くしてハルト様に見出されるまで怪我で動けなかった母親を支えていたというくらいなんで結構大人びているらしい。後は常に周りにいるのは彼の父親の方が近いくらいだ。
だからこそ余計になんじゃないのか?
海千山千の大人と渡り合うには子供のままでは無理だ。
彼が追い込んだ悪徳貴族の数はそれなりだからな。
伊達に魔王と呼ばれているわけじゃない。
大人に囲まれてお育ちになると考え方が大人になるのも早い。フィガロスティア殿下もそういうところがあるからな」
子供でいることが許されない状況。
ただ、ハルト様は陛下や連隊長のお話では六歳の頃からあのような感じだった。
それを考えるならそればかりが原因ではないのだろうけれど。
私の言葉に父は頷く。
「成程な。子供というのは環境に染まりやすいからな」
いや、あのある意味頑固な性格は染まったものとは思えない。
むしろ周りが彼に染められている気がしないでもないのだ。
特にイシュガルド。あの変化は凄い。
以前の姿を知っているからこそ余計にそう思のかもしれないが緑の騎士団にいた頃はあのような感じではなかった。もっと冷静で、冷淡で、氷結の騎士と呼ばれるに相応しい醒めた目をしていたはず。
それが今やまるで過保護な保護者か極甘な恋人。
まあ彼の婚約者でもあることを考えればあながちその表現も間違ってはいないのだろうけれどあの変わりようは変化というよりも豹変と言いたいくらいだ。
父は彼との会話を思い出したのか小さく溜め息を吐いた。
「だが、確かにあれでは貴族社会の中はさぞかし生きにくいであろうな。
侯爵の地位を今回賜ったとはいえあの御歳だ」
「ああ、レイオット閣下とステラート辺境伯の後ろ盾がなければとっくに社交界から排除され、潰されていたと思う。
もっとも、本人はその方がありがたいと思ってるみたいだが」
事実、あの規模の貴族にしては珍しいほど、というよりも滅多にないことだが彼の邸宅では舞踏会やパーティなどというものは殆ど開かれない。
連隊長や団長達から力添え頂いた時などには無礼講と称してあれだけ景気良く酒も料理も振舞われているのだ。
資金が無いなどということはありえない。
彼は社交界に出張る気はないのだ。
「そうなのか?」
「ああ。爵位など欲しくはない、面倒なものを押し付けないでくれと屋敷で騒いでいたらしい。私も又聞きなんでその話が本当かどうかは定かじゃないけれど」
だがほぼ間違いないんだろうなというのは彼の行動からも伺えようというもの。
自分の地位を上げたいと思うなら貴族社会の縁と関わりを広げるためにもそういった席を開き、設けるのは当然。
それをしないということは、つまりそういうことなのだろう。
「彼の方を逃したくない陛下が押し付けた、というのが正しいんだろうな。
功績を上げる度、欲しいものはないのかと陛下が尋ねると何もいらないとお答えになっているそうだ。
曰く、『無料より高いものはない』、『欲しいものは自分の力で手に入れる主義』だそうだ」
私が苦笑してそう告げると父は目を見開いて驚く。
「それはまた・・・子供がおおよそ言う事ではないな」
「だろ? 年齢詐称しているのではないかと思ったくらいさ」
大人びているという言葉だけで片付けて良いものかどうか首を傾げたくなる物言いだ。まるで老成した大人が口にするような考え方だ。
「だが将来、フィガロスティア殿下と共にこの国を担っていくことになるであろう御方だ。私達も心してお仕えせねばならないぞ」
まさしく陛下の狙いもそこだろう。
陛下もフィガロスティア殿下との友好関係をしっかり築こうと、ことあるごとに二人の繋がりを周囲にアピールしている。差し詰め将来の宰相か近衛連隊長ってあたりか、経営に強いとなれば財務大臣でもイケるだろうし、魔術にも強いわけだから魔術開発部局長でも良いわけか。
文官、武官どちらでもどころか将来ありとあらゆる方面で活躍が期待できそうなところが彼の怖いところだ。
天は二物を与えずは彼には適応されなかったようだ。
だからこそ私達に課された任務、仕事はあらゆる意味で重要。
任されたのは次代を創造る御方を支える力。
縁の下の力持ちだ。
その重責に父と二人、それを自覚し、息を呑む。
だが、私達は引くわけにはいかない。
一度は絶望に支配された身の上、恐るものはない。
「ああ、わかっている。受けた御恩は必ず仕事でお返しする」
「そうだな。私も誠心誠意、お仕えするとしよう」
父と二人、決意表明するが如く強い意志を持って大きく頷いたのだった。
それからのハルト様の行動は早かった。
御屋敷に戻って来てすぐに支度にかかり、私が到着した翌日にはすぐに出立。
デキャルト領復興支援対策調査の一環として班を二つに分け、農業が主要産業であるグラスフィート伯爵の秘書をしていたロイと農業に詳しい一団の案内を私が、借金返済のための案内を兄が受け持ち、手際よく片付けていく。
そしてその間にも彼は精力的に動き、彼なりの視点から提案を次々に立て始める。
その手際、手並み、考え方に至るまで普通ではない。
そうして警備が不安な場所に妹達を置いておくのは危険だと管理する女子寮に先んじて受け入れて下さるという。まさに至れり尽くせりだ。
だがここで調子に乗ってはいけない。
彼は自分の役目を果たさない者に対してはシビアだ。
それは商会経営者所以のものだろうけれど。
ひとまず一通りのやるべきことを終えたので明日には屋敷へ戻るというその夜。
兄の書斎で今後のことを含め、父と相談したことを二人で話をした。
「なんというか、とても変わった御方だな」
その言葉に私は苦笑する。
父はその言葉を失礼と思ったらしく『変わった』ではなく『個性的』と称したが。
「父さんも似たようなことを言っていたよ。あれは普通じゃない」
本人に著しくその自覚は欠けているようではあるけれど。
「ああ。陛下が重用されるのも道理だ。
少々イメージは違ったが」
彼に対するそれは実にバラエティに富んでいる。
そのせいで彼の人物像は酷く掴みづらい。
「平民の間では英雄と讃えられ、貴族には魔王と恐れられる稀代の天才児、か?
黙って立っているとどれもそうは見えないだろ?」
出来上がっていない若木のしなやかさを持った細身の身体。
女の子にも間違えられそうな甘い中性的な顔立ち。
その中で瞳だけが不似合いなほどに凛とした輝きを放っている。
それがなければとても二本の剣を振り回し、素手で不成者を投げ飛ばすようには見えない。それどころかあの小さな身体には連隊長をも凌駕する魔力量が秘められ、学院の教師陣が舌を巻く豊富な知識。あの小さな体の中にどれだけの才能が眠っているのか見当もつかない。
兄は考え込むように顔を伏せた後、小さな声で言葉を漏らす。
「だがあの言葉の説得力は凄いな。考えさせられたよ」
そうだろうな、と思う。
彼の考え方は多くの貴族の特権意識を否定するものだ。
兄は自嘲気味に笑って言葉を続ける。
「私は人を動かすには金がいると思ってきた。そうして上手くいかないと人手が足りないか、任せた者の能力が足りないせいだと結論づけていた」
「別に彼の方はケチってわけじゃないぞ?」
「わかっている。ケチならばそもそもウチの領地の借金を無利子で立替ようとか支援しようなどと思わないだろう?」
そりゃそうか。
彼も言っていたように所詮他領のこと、放っておいたところで責められるわけでは無い。
だがああやって自分の知ったことではないと言いつつも困っているとなれば手を差し伸べてくる。ある意味露悪的と言えなくもないが彼の言い分は至極当然のことであって自衛の手段でもあるのだろう。大きな力を持つということは他人それだけ頼られることも増えるということだ。お人好しなままではタカられ、むしり取られるだけ。
おそらく、
「人を動かす術を心得てるってことだろうな。その自覚はないみたいだがな」
その言動と振る舞いは何十年と生きた大人のようだ。
「あれで自覚ないのか」
驚いたように目を見開く兄に私は頷く。
「だからこそ余計に周りが放っておけないんだろ。
彼の周りには国の中枢部の人間も認める人材が揃っている」
それ故のあのグラスフィートの躍進ぶり。
彼は自分に足りないものが何であるかをあの歳で把握しているのだ。
「あの外見に騙されると痛い目に遭うぞ。
彼は敵と認識した途端、容赦なくなるからな」
「伊達に魔王と呼ばれていないってことか」
王都の貴族が称するその通り名。
だが彼が追い込むのは権利ばかりを主張し、義務を果たさない権力者達。
それを考えるなら平民の立場から見れば魔王というよりもむしろ断罪の剣を持つ神の遣いにも思えるだろう。
立場が変われば見え方も変わるものだ。
「気さくで器も度量も驚くほど広い。
但しそれは味方に対してだけだ」
「気をつけるべき点は?」
援助を受ける立場である以上彼を怒らせるのは得策ではない。
兄の心配もよくわかる。
「驕らず調子に乗り過ぎないことだ。後は彼は自分の周囲にいる者を大切にしている。平民だからと軽く扱わないようにしてくれ」
「後は?」
「特にない」
「ないのか?」
それだけかと言わんばかりの兄の表情に俺は微笑する。
「ああ。それだけだ。度量が広いって言っただろ?
立場さえ弁えていれば大抵のことは気になされない。意見、反論どころか軽口もタメ口も許される。彼とその周囲の者達を下に見ず、対等かそれ以上で接すれば問題ない。
というより気をつけるべきはむしろ彼の側近をはじめとする周囲にいる者達だな」
彼等は彼ほど甘くはない。
不安に思ったのか兄が尋ねてくる。
「どういうことだ?」
「彼等も彼と同様頭が切れるということだ」
だからこそある意味恐ろしいのだ。
彼等は彼の穴を埋めるために集められた者達。
彼等が加わることで彼は無類の強さを発揮する。
「彼に害なすと判断すれば彼に見えないところであらゆる手段を使い、社会的な意味で排除してくるだろう」
そういうところは主そっくりだ。
大事な者を守るためなら手段を選ばない。
「彼等を味方につけるのはそう難しいことじゃない。
人の道から外れ、権力に驕らなければな。
私達がなるべきは彼等を守り、支える存在。
そうすれば彼等も私達が困れば力添えしてくれる。
与えられることに甘んじてそれを怠らなければいい」
それが陛下のやっていることだ。
国民なのだから当然ではなく、支え、守ることで協力を得る。
上から命令するだけなら、それは強制。
本当の意味で従うことはない。
与えられるからこそ返そうとする。
それは形あるものばかりではない。
優しさ、愛情、忠誠。
彼が無意識にやっているのも陛下と同じことだ。
与えてもらったから返している。彼はそれを当然としているだけなのだ。
人の信頼関係というものはそうやって築かれていくのだろう。
だからこそ彼等の結束は固い。
彼等はあくまでも他人、親族縁者ではない。
助けられること、与えられることは当然ではない。
私達は彼等にこれから返していかねばならないのだ。
受けた恩と感謝の心を。
目に見える形で、目に見えないもので。
そうして彼の領地へと向けて出発した途中、改めてそれを実感することになる。
後をつけられ、待ち伏せされ、いつものように襲撃者達を手際よく捕らえていく。
そんな中、私達の目を掻い潜り、彼を狙った暗殺者の矢を受けてガイが倒れた。
動揺を必死に押し殺し、ガイに治癒魔法をかけ、傷の塞がったことを確認した直後、彼は警護の者達の静止を聞かず、飛び出した。
まさに風の如く、あっという間。
そしてその暗殺者を見事倒し、戻ってきた途端、彼は歩くガイの姿を見て号泣した。
それは私が初めて見た、彼の子供らしい姿。
だが私の驚いたのはそんな彼の姿ではなく、捕えられた賊の姿。
彼の靴がソイツの口に嵌っていたのだ。
その理由を尋ねた私にイシュカが自分が見た一部始終を話してくれた。
その内容はまさに過激にして苛烈。
彼を敵に回すということはこういうことなのだと思い知る。
そうして襲撃者達を連れ帰り、騎士団に引き渡すとすぐに報復の準備に取り掛かる。
私が初めて彼から受けた依頼という名の命令。
最重要容疑者であるマーべライトとカイザックの徹底調査。
ガイに引き合わせられた諜報員候補の者達総動員で調査に当たる。マーべライトは伯爵位だ。私がもともと持っている情報もある。
それらをもとに出回っている噂の信憑性からその裏付け調査まで、資金に糸目をつけず、短期間で調べ上げると彼は既にマルビス達と作戦立案をしていた。国内の流通に大きく関わっているからこその手段と商人としての立場を利用した報復措置。その準備が既に整っていたのだ。
私達諜報部に彼等の行動を見張らせ、ハルウェルト商会の店舗をマーベライト領とデキャルト領に同時オープン。護衛人員も同時に送り込み、既にある彼等が関わっている商店を潰しに掛かったのだ。
そうして彼等がその立て直しに気を取られている内に連隊長に彼等の調査報告書を届け、更にはそれと並行して陛下が送り込んできた農業に詳しい者達とロイにデキャルト領復興支援するために必要な貯水池建設計画を妨害されることなく実行。あっという間に我がデキャルト領に三つの貯水池が完成した。
そうして第二段階として騎士団服を借り受け、連隊長と連携してこちら側の手の者を近衛の中に紛れ込ませ手引き、マーベライトが経営していた闇カジノで闇オークションが行われているタイミングで監査部隊を踏み込ませ、言い逃れ出来ない状況に追い込み、更に屋敷のガサ入れで連隊長の前でその隠し部屋と金庫をオープン、その前日に入手していた裏帳簿をそこの中に放り込み、さもそこに隠されていたかのように装った。
その現場で何を喚いたところで既に言い訳。
現場証拠は既に押さえられていては何をどう言い繕ったとて説得力はない。
そうして彼が動き始めて僅か二ヶ月ほどで彼等はその財産、地位、権力を手放すことになったのだ。
社会的抹殺。
罪を罪と思わず、貧しい者を喰い物にしていた輩は彼等の制裁によってその殆ど全てのものを失うことになった。
ただ一つ、彼等に残されたのは己が命だけ。
それは贅沢に慣れ、溺れた者の惨めな末路。
こうして彼、ハルト様は王都の貴族の間で魔王の名を不動のものにしたのだ。
「どうだ? ハルト様の下は」
ヤツらに処分は下された数日後の昼下がり、ガイとケイの二人と一緒に今回の件で使っていた情報屋の誰を雇い入れるかを私有地の端に立っている酒場(上階が宿屋を装った諜報部隊の宿舎予定になっている)の上の応接室兼会議室で相談していたところに陛下と連隊長の書状を持ってリディが私のもとにやってきた。
私は溜め息を吐いて言葉を返す。
「どうと言われてもな。具体的にどういうことが聞きたいかハッキリ言え。
それでは曖昧過ぎて答えられん」
「居心地はどうだと聞いているんだ」
一応コイツなりに私の心配をしてくれていたのか、それとも単なる野次馬根性、興味本位か。
多分後者だろうな。
私は憮然とした顔で答える。
「別に悪くないぞ。
父もハルト様の来月の誕生日に向けて彼の方の御父上と共に準備を進めている。
それと並行してデキャルト領の復興計画も進めて下さっている。
その進行状況の早さと手並みには驚いているが」
サクサクと進んでいく話。
計画が決まれば即実行、あの行動力には感服している。
だがあれだからこそこの地が猛烈な勢いで発展していったのであろうけど。
リディは置いてある応接室セットのソファに呑気に寝そべると机の上にあった煎餅に手を伸ばし、パリンッと音をさせて食べ始める。
以前は私と一緒で外で出された物にはかなり警戒していたはずなのに、ここの料理には躊躇わず手を伸ばすようになった。
「だよな。俺も吃驚したぞ。ちょいと偵察に出掛けたらいつの間にかデキャルト領になかったはずの湖が三つも出来ていたのには」
「ハルト様のお力添えのお陰だ。感謝している」
「そっちの進行状況はどうなんだ?」
コイツが知りたかったのはそっちの方の情報か。
おそらく陛下に頼まれて様子を伺いに来たんだろう。
「今は作った水路や貯水池が埋まらないように砂防を作る計画が進んでいる。それに使えそうな植物をマルビスが手配しているところだ。それももうじき届くはずだ」
「それだけか?」
大雑把なところを答えるとそんな言葉が返された。
つまりそれはもう知っているということか。
ならば私では役不足だ。
「お前が聞きたいのは開発部の方の案件だろう。
そっちの方はハルト様かテスラに聞け。私ではわからん」
「ヘンリー様とサキアス様は絡んでいないのか?」
その二人の名前が出るということは例の濾過装置の案件か。
確かにあれが完成すれば水があっても濁って生活用水に困っている地域の役に立つだろう。それで早く陛下が情報を仕入れたかったのか。
ならばその開発を進めているのはその二人ではない。
「ああ。魔法を使わずに出来ないかと考えているらしい。魔力が必要になると平民だけでは管理が難しいだろうからってな。
ヘンリー様達には薄くても少ない魔力量で広範囲の結界が張れる装置が作れないかと頼んでいるようだが、それは知っているんじゃないのか?」
「報告は届いてる。だが何に使うかわからんので確認してこいと」
薄くてすぐに破れる結界が一体何の役に立つのかはわからない。
だがハルト様には何かお考えがあるようで。
「ビニールハウス? とかいうヤツに使いたいらしいぞ。
難しい話も農業系の話も俺では専門外だ」
今は芽が出た苗をデキャルト領から持ってきた土に植え替え、それで育てられるのか実験中らしいが今のところ順調に育っているらしい。
「ヘンリー様とサキアス様か。俺、苦手なんだよな」
ボソリと漏らしたリディに私は苦笑する。
それはわからないでもない。
「ならテスラに聞け。お前が必要な情報は専門的なものではないだろう?
テスラなら今はハルト様の御屋敷にいるはずだ」
「サンキュー、行ってくる」
そう言いつつもリディは動く気配はない。
相変わらず寝っ転がったままバリバリと煎餅を齧っている。
「行くんじゃないのか?」
「いや、コイツ食い出したら止まらなくって、つい」
その音に集中して考え込んでいたガイがふいに気がついて振り返る。
そして盛られていたはずの煎餅の山がかなり凹んでいるのに気がつき、叫んだ。
「あああ〜っ、リディッ、お前っ、折角の俺の楽しみをっ」
そう言って駆け寄るとその皿をリディから取り上げ、抱え込む。
「なんだよ、ケチくせえなあ。お前はいつでも食えるんだからいいだろ?」
「これはまだ発売前なんだよっ、手間がかかるし湿気るのが早いからって。
しかもこれは昼メシの後、俺のためにって御主人様が焼いてくれたヤツだぞっ」
「見えるところに置いておくお前が悪い」
「しかも俺の好物の甘辛ネギ味噌醤油ばっかり食いやがってっ」
「だって美味いんだもんよ、仕方ねえじゃん」
「仕方なくねえっ」
子供みたいなリディとガイの言い争いを聞きながら平和だなあと実感する。
つい三ヶ月ほど前は借金まみれでメルティと一緒になれるかも危ぶまれ、この世の終わりみたいな気分を味わっていたはずなのに、不思議な気分だ。
父もこんなに忙しくても穏やかな日々が再び送れるとは思っていなかったと言っていた。
ハルト様には感謝してもしきれないと。
だからこそ、もしデキャルト領の経営の立て直しが成功して借金が早く返せたとしてもハルト様が望んで下さるのなら必要として下さる限りお側で精一杯お仕えしようと父と二人、決めている。
あの日見た絶望の淵はもう遙か彼方だ。
今ある幸せな日々はハルト様が下さったもの。
忠誠を捧げたはずの陛下のお側で最後まで仕えることは出来なかったけれど、今度こそこの胸に抱いた決意は果たして見せると、
私は今日のこの晴れた青空と新しい私の主人に改めて誓ったのだ。




